”河出夢ムック・中上健次 没後10年”
何年も前に出たムックの書評で申し訳ない。
「河出夢ムック」の中上健次特集を読む。つまらない。面白かったのは、新宿で彼がフーテン状態にあった頃の仲間、川嶋光(その仲間のうちに、鈴木翁二がいた事を知り、ちょっと驚く)による一文だけだ。
彼は、”あの頃の仲間”の視点を変えず、作家となり、社会的名士と化した中上を、「お前、何をまともな社会人みたいなツラ、してやがんだよう」と、変節したフーテン仲間としての扱いで、皮肉り倒す。湾岸戦争に対して反戦アピールを出した”作家協会の一員”たる中上に対して、「てっきりフセイン支持をぶち上げるのかと思っていたのに」と毒ずいてみせる。
その死を悼む想いは、あくまでも内に秘められ、最後まであからさまになることはない。作家としての業績に関しても、無名のうちにあって、ジャズ喫茶の片隅で並べていた若き日の中上の益体もないゴタクを、当然の如くに上位に置き、世に文筆業者として名を成して後の業績になど、興味も示さず。その、身もフタもない論旨の偏りが、逆に、いっそ快く感ぜられる。
その他の記事はいかがなものか。感心できるものは少ない。特に対談。ことに村上龍や某評論家(名も忘れた)などとの対談はクソである。話されているのは結局、「ここにいる俺らって、只者じゃないよなあ」それだけであり、そんな自足の宴に、何の価値があるものか。また、ビートたけしとの対談は、多くの”たけしvs文化人”の通例にもれず中上もまた、インテリをひたすら気取りたがるたけしに調子を合わせ、機嫌取りに終始するのみで、正視し難いものがある。
そのような人間や、そのような状況を引き寄せてしまい、あるいはど真ん中に入り込んで自足してしまう部分。無駄に限られた時間を使ってしまったなあと、彼の早世を思うと、嘆息が漏れる。そんな連中と付き合っている時間に、1本でも多くの小説を書いておけばよかったのに。
中上の”紀州・木の国根の国紀行”なる作品には、一読、すげー本だな、とのけぞった私なのである。それだけに。
まあ人間、なにもかもどこまでもすばらしい、とはなかなか行かないのさ。ということだな。中上に限らずだけど。もちろん。