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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

クサナギとハモニカ爺さん

2006-10-05 02:50:19 | いわゆる日記


 テレビを見ていると、スマップのクサナギが、なんかお爺さんと話してるCMがありますよね。あれは何の宣伝なんだろうな。思い出せないっての、問題なくないか。まあ、私が心配してやる理由はまったくないんだが。

 ともかく、お爺さんが「若い頃は、ライブなんかもよくやったなあ」なんて昔話をしている。
 で、毎度テレビのCMにおいては非常に安易に”良い人”を演じさせられているクサナギは、お爺さんの若い頃の夢をそのまま眠らせまいと、車椅子生活の人でも乗ることが可能なバリアフリー仕様の車をあつらえ、足の不自由なお爺さんを乗せてどこやらのライブハウスに遠征する。

 そして、「もう一度ステージでハーモニカを吹いてみたい」とのお爺さんの夢を叶えてあげる、そんな物語が展開される訳ですわ、そのCMにおいては。
 いや、そのストーリー展開には別に私、文句はありません。ただ、一言言いたいのは、その画面から聞こえてくる「お爺さんの吹くハーモニカ」のプレイが、なんかパッとしないなあって事であります。

 いや、お爺さんが年老いて若い頃のようにプレイ出来なくなっちゃったってな話ではなくてね。そこでお爺さんが吹いていると設定されているハーモニカの演奏スタイルが、そもそもたいしたものじゃないのよな。

 フォーク歌手が肩にハーモニカホルダーをかけて、ギターを弾きながらブカブカ吹くような、その程度のものなんだなあ。これといった気の利いたフレーズを吹くでもなし、ただ漫然とハモニカ咥えて息を出し入れしているだけ、みたいなプレイだよ、あれ。

 まあ、そんなように吹くしか対処のしようのない曲だからなんだけどね、演奏されていた曲が。ハーモニカが引き立つような曲じゃない、はじめから。
 「若い頃にはブルース・ハープじゃ、ちょっと鳴らしたもんだよ」ってお爺さんを描くなら、もう少しハーモニカって楽器が生きるような演奏を設定するべきだと思うぞ。

 なにが言いたいかというと、要するに、あのコマーシャルに出てくるお爺さんのハーモニカ吹きに、もうちょっとかっこ良い場面を用意してやれなかったのかって話なんだけどね。ブルースバンドに臨時に加わる設定とかさあ。

 まあ、”変にカッコイイ設定にするよりも、ある程度ブザマな姿を提示するほうがお茶の間に流れて行くコマーシャルとしては人畜無害で無難だから”って発想で、あのようなブカブカだらしないハーモニカのプレイが設定されたのかも知れないけど。無難さでは人後に落ちないクサナギが使われているくらいだから、ほんとにそうかもなあ。

 いや、ほんとにどうでもいいような事を言ってますけどね。これからはあんなふうに老後の音楽生活のありようを考慮に入れたりするのも必要な時代に入って行くわけでしょ、老人社会と化して行く我が国は。もうちょっと気を入れて”バンドマン爺さん”をかっこよく見えるように描けよなあ。と、それが不満だったわけさ。

 それにしてもあのコマーシャル、何のコマーシャルだったんだろうなあ。思い出せなくって、いいのかよほんとに。



オリジナル・ソウルシスター!

2006-10-04 02:27:45 | 北アメリカ


 ”Original Soul Sister ”by Sister Rosetta Tharpe

 シスター・ロゼッタ・シャープ。彼女の歌をはじめて聴いたのは、中村とうよう氏の編集になる、黒人によるクリスマス・ソングを集めたアルバムでだった。
 収められていたのは”セントメリーの鐘”というきれいな曲だった。ゴスペルを歌う人であるとのことだったので、その曲の印象も込みで”清楚な、神への捧げものとしての歌を歌う人”なんてイメージで受け止め、実はそのまま忘れていた。

 先日、あるレコード店の廉売の対象商品として彼女の初期レコーディングを集めた4枚組みのCdセットが売られていたので、おお、そういえばそういう人がいました、などと失礼な事を言いつつ、遅まきながら購入してみた次第。

 1915年生まれの彼女の、38年のデビュー当時から49年辺りまでの作品が収められているのだが、聴いていって笑ってしまったのだ。私の抱いた”清楚”なんてキャラじゃないね、この人は。むしろ、”豪快”というキャッチフレーズの方が似合いだろう。”セントメリーの鐘”は、むしろ例外的な曲と考えるべきだ。

 添えられた何枚もの写真でも明らかなように、ドでかいフル・アコースティックのギターを抱えてゴスペルを弾き語るのが彼女の売り物なのだが、そのギターの饒舌なこと!基本のフレーズは戦前ブルース歌手の弾き語るあの古いタイプのブルースギターなのだが、ともかくバリバリバリバリ弾きまくる。どこかでこんなノリを聴いた記憶があると思ったら、津軽三味線なのだ。
 あの、”ジョンガラ節”みたいな、音数の多いギターをかき鳴らしながら豪放に歌いまくる。人間としても、かなりおおらかな人だったんじゃないだろうか。CDを通して聴いていると、彼女のキャラがこちらに暴れこんでくるみたいな感覚に襲われる。

 もしかしてアメリカの大衆には我がバタヤン、田端義夫氏みたいな受け方をしていた人かもしれない、ロゼッタ・シャープって。ギター抱えて「オス!」とか言いながらステージに出てくる様子が目に見えるようだ。

 初期にはギターの弾き語りだが、すぐにフルバンドをバックに歌ったりもするようになる。CD付属のブックレットには、デューク・エリントンやキャブ・キャロウェイと一緒にいる写真も見受けられたりもする。
 フルバンドをバックのレコーディングの際にも、彼女の”売り”だったギターのソロは省くわけには行かなかったのだろう、冒頭だけに、彼女の特徴あるギターソロの配されたものが何曲もある。その辺もやっぱりバタやんっぽいなあ。

 さすがに彼女ももうこの世の人ではないが、今、ネットの片隅で見つけた、シスター・ロゼッタ・シャープの映像を見終えたところ。ギブソンのSGをガッツンガッツンにかき鳴らしながら、”ダウン・バイ・ザ・リバーサイド”を歌っていた。

 いつの録画か知らないが、見た目はすでに”老人”の彼女、でもまだまだエネルギッシュな歌声であり、ギター・ソロであった。大ベテランに敬意を表したのであろう、スーツにネクタイで決めた男性コーラス隊がバックに控えているのだが、逆に失礼に感じられるほど。お前ら、あの伝説のシスター・ロゼッタ・シャープが歌ってるんだぞ、もっと猥雑に盛り上がらんかい。

 それにしても、”セントメリーの鐘”が聴ける盤って、どれなんだろう?あの歌のほうももう一度、聞き直してみたいんだが。




取り付くメロディ

2006-10-02 22:59:35 | アンビエント、その他


 月初めの月曜日ということで、銀行方面へ出金やら入金やらがいろいろあって午前中、ジタバタしてしまったんだけど、他の人たちにとっても事情は同じと見えて、銀行のキカイの前にはどこも長蛇の列という次第。

 えーいくそ、邪魔くせえなあ、こいつら、とか勝手な事をほざきつつ用事をこなしていたんですがね。余計にムカつかせてくれたのは、忙しくしている間中、私の頭の中にずっと響いていた歌。それは「金毘羅船船」だったのであります。あの「こんぴらふねふねお池に帆かけてしゅらしゅっしゅ♪」とかいうどこやらの民謡ですね。

 なんでそんな、日頃は思い出したこともない、もちろん好きな歌でもないし私の生活に関係のあるわけでもない、あんな間の抜けた歌が、クソ忙しい朝の時間にずっと頭の中で鳴り響いていなけりゃならないんだ。ガキガキに尖がったハードロックとか、テンション上がりっぱなしのクラシックとかが鳴っていたのなら、まだそのときの心境にふさわしいから納得できるんだが、なぜ、あの曲?

 そんな事ってありませんか?なんだか知らないが、特に好きでもない歌が、まるで取り付くみたいに頭の中で鳴り出して止らない、なんてこと。

 SF作家のアルフレッド・ベスターは名作「分解された男」の中で、あえてそのような曲に取り付かれる事によって、超能力者にテレパシーで心を読まれるのを防ぐ、なんてアイディアを披露していたけれど、そのくらいのしつこさはありますな、その種の歌の取り付き具合ってものは。

 それにしても、一体あれらのメロディはどこから来るのかなあ?たとえば日頃、典雅なクラシック曲を好んで聴いていた筈の人が、つい本音が出てベタベタの演歌を鼻歌で歌ってしまうなんてのとはこの場合、ちょっと違うでしょう。
 
 そういう意味の”普段は抑圧されている、実は好きな曲”って訳でもない、なんだか意識の間隙を突いて思いもしなかったところから吹き上がってくる、突発事故みたいな選曲ではありませんか、多くの場合。

 その多くが、これはまあ私の場合なんですが、あえて口ずさんでみると、むしろなんだか情けない気分になるような曲だったりします。なんで出てくるのかなあ、取り付くのかなあ、そんな曲が。

 こいつはほんと、謎です。もし詳しいことを知っている方がおられたら、ご教示よろしくお願いいたします。う~む・・・




ロック絶滅のある風景

2006-10-01 02:51:10 | 音楽論など


 さっきテレビで”クロマニオンズ”なるバンドのライブを見た。あいつらって確か、”日本のパンク本流”とでも言うのか、ブルーハーツとかの流れを汲む連中だったと記憶してるんだが。

 で、なんかねえ、見ていて嫌なものを感じた。ボーカルの奴が顔を歪めてみせる感じとか、ずっと昔に音楽雑誌で見たイギリスのパンク・ニュージシャンのそれの、空疎な物真似に見えた。こいつ、何年同じことやってるんだ?

 それは、「ライブなんていったって、これは実は流れている音源にあわせた口パクなんだぞ」とバラして面白がるように歌の最中にマイクを離れてドラマーのところにじゃれつきに行ったり、といった悪ふざけにも感じたことであった。

 いや、演奏そのものが。昔のパンクの”定番”をなぞっただけの退屈な代物じゃないか。カラオケ演じてるのは、実はテレビじゃなくて”アーティスト”ぶってるお前ら自身ってこと、ひょっとして気がついていないのか。そうなんだろ?

 あのさあ・・・パンクとかがナウかった頃っていつだよ?もう、四半世紀は経ってるんじゃないのか。とっくに無効を宣告されてしまった過去の亡霊。そんなものに唾を吐いてみせることこそ、ロックじゃないのかい。パンクじゃないのかい。

 そんな昔受けた一発芸にいまだしがみついて、そんな、とうにカビの生えてしまった価値観にしがみついて、全然クリエイティヴじゃないじゃん。昔受けた”名声”にすがりついて食い継ぎ、生きるなんて。醜悪だよ。かって”パンク”が敵としたもの、そのものに自分が成り果てている事実、そろそろ気がついたらどうだ。

 情けないと思った。グロテスクとも思った。こんな連中がそのうち、「ロックンロールにこだわって生きて来て、本当に良かった」とか人生を振り返るかと思ったらやりきれないよ。まあ、ロックの死滅の現場、この歳になると、もう何度も対面してきたわけだけどさ。

 もう何度も書いてきたことなんだけどね。「ロックンロールは死なない」とかよく言うでしょ。あれって、本当に死なないんだったらそんなお題目、掲げる必要はない。ロックが死にそうだからこそ、あるいはもう死んでしまったからこそ、そんなセリフが出てくるわけです。

 悲しいですね。とか言うよりむしろ、ロックを敵とするべきなんでしょうな、かって、まだ生きていた頃のロックに育てられた身としては。あのようなものが”ロック”として世に認知されている現状であるならば。




大腸は囁く

2006-09-30 05:04:44 | いわゆる日記


 整腸剤、”ザ・ガード・コーワ”のコマーシャルは、なんとかなりませんか。

 大腸の調子を整える薬なんですか、あのコマーシャルに出てくる男優の口調、とりわけ、セリフの合間に入る「ぬふっ」とかいう鼻息は何とかなりませんかね。

 「決まった時間に(ふぬっ)出ないん(ふんっ)だよな。出ても(ふんっ)柔らかかったり硬かったり」

 あの鼻息の中に、彼のウンコ(硬かったり柔らかかったり)の臭気が混入していて、テレビの画面から匂って来るようで、どうにも不快です。せめて、食事時は流すのをやめて欲しいです。

 あんまり気がついている人がいないみたいなんだけど、注意して聴いてみてください。一度気になりはじめると、もう(ぬふっ)耳障りで耳障りで(ふぬっ)かのCMが流れるたび(ふんっ)腹が立ってくるから。

 まあ、これをして音楽の話というのもどうかと思いますが、我ながら。



イージー・リスニングの黄昏

2006-09-29 03:47:34 | アンビエント、その他


  ”憂歌団”のギター弾きだった内田勘太郎が2002年に出したソロアルバム、”Chaki Sings”は、若干のダビングはあるものの、彼のギターのみで演奏された、「ひき潮」や「ムーン・リバー」や「夏の日の恋」など、かなりベタで、かつ時代遅れでもある”ムード音楽”の定番曲集となっている。

 ブルージーに迫る、まあ、この曲なら当たり前なのだが「我が心のジョージア」や、勘太郎がこのところ住み着いているという沖縄の音楽が取上げられていたり、といったフォローが入っているからいいようなものの、ブルースバンドたる憂歌団のファンだった者には「なんじゃこりゃ?」と首を傾げさせる設定のアルバムで、あるいは何かのアイロニーが含まれているのでは?ともかんぐる人もいるかも知れない。

 が、私は勘太郎自身の筆になるジャケ裏の解説文を読み、ははあ、彼も私と似たような幼時における音楽体験をしてきたんだなあと、ニヤニヤしてしまったのだ。そこで勘太郎は、ラジオからふと流れてきた”たくさんの楽器の音が響き合い滝のように流れたり夏の雲のように湧き上がったりする演奏”に別世界へ誘われる心地を味わったと、10歳にもならない頃の体験を語っていた。
 それはそのまま、”音楽ファンになる以前に聞えていて心惹かれていたが、惹かれていた事自体にさえ、まだ気がついていなかった音楽”に関する私の思い出を語るに十分な表現である。

 それらは、ストリングス主体のイージーリスニング・ミュージック、とでも定義すればいいのだろうか。”パーシー・フェイス楽団””フランク・チャックスフィールド楽団””カラベリときらめくストリングス””101ストリングス”なんて、それらを演奏していた楽団名も、記憶の片隅に転がっている。まあ、大甘なアレンジで往時のヒット曲を臆面もなく歌い上げる、安易な娯楽と言えばその通りの演奏である。

 そんなものが私の子供の頃は、市井で”軽音楽”として愛好されていたものだ。今日、その種の、町を流れる”とりあえずのBGM”の座は、アメリカ産のどぎついダンスミュージックに奪われて久しいのであるが。

 私にとっての、それらイージーリスニング・ミュージックの最古層の記憶は、母が針仕事などしている脇で鳴っていたラジオから流れていたものとして、である。

 その、過ぎ去った歳月によってぼやけかけた記憶の中で、商家だった私の家はいつも定休日である。店の照明が落とされた薄暗い家の中で母が針仕事をしていて、私は一人遊びに飽きて、手持ち無沙汰にラジオから流れるムードミュージックを聞いている。少年時代の内田勘太郎は、どのような環境で、あれらの音楽に別世界への扉が開くのを見ていたのか。

 もう少し成長してから、そう、あれはたぶん中学に入ったばかりの頃なのだろう、私は従兄弟が何かの祝い事の際に記念にくれたラジオを布団の中に持ち込んで、寝付けぬままにラジオの深夜放送を聴いていた。まだ、今日のように深夜のラジオが若者向けの番組一色に染められてしまう前の時代、夜はまだまだ大人の時間だった。森重久弥のトークエッセイの如きもの、女優によるお色気トーク”夜の囁き”といった番組、等々。

 当時、私が好んで聞いていたものの一つに、先に挙げたようなイージーリスニング・ミュージックにときおり詩の朗読などを挿入する構成の、”夢のハーモニー”なる番組があった。湧き上がる大編成のストリングスの響き。女性アナウンサーによって読み上げられる、やや浮世離れのした誌の一節一節。

 その時点でもすでにやや時代遅れ気味の雰囲気漂うその番組は、ずっと遠くの、もうとっくの昔に閉鎖になってしまった放送局が何十年も前に放送した番組が、どこかの時空のゆがみに閉じ込められていて、それを何かのきっかけで私のラジオが受信してしまった、そんな浮世離れの感触を孕んでいて、深夜の無聊の友としては、なかなかに味のあるものだった。

 この番組、そういえばいつ頃まで放送されていたのだろう。と言うより、私はいつ聞かなくなったのだろう、と言うべきか。受験生相手の騒がしい”ディスク・ジョッキー”が深夜のラジオを占拠し、私自身も乏しい小遣いを工面してローリング・ストーンズやアニマルズの新譜を買い、下手糞なギターを奏で始め、イージーリスニング・ミュージックのことなど忘れてしまうのは、計算してみると、遅くともその一年後くらいであった筈なのだ。

 押し寄せてきた騒がしい時代に慌しく踏みにじられ、いつの間にか喪われてしまった、やわらかな時間の記憶。思い出すよすがは、今でもスーパーのワゴンセールなどで490円とかで売られているムード音楽のCDであり、前述の勘太郎のソロアルバムだったりする。こんな音楽には、変な”再評価”の光など当たらないと思うが。もちろん、それで良いのであるが。


ユエの流れ

2006-09-27 02:49:24 | アジア


 ふと「ユエの流れ」という曲を思い出し、ちょっと調べてみようなんて気を起こしたのだった。誰だったか、日本語盤シングルを出していたのだったよな。
 それは「流れは月にきらめき 憶いは波にゆらめく」そんな歌詞で歌いだされる優しいメロディの恋歌で、ベトナムの民謡だか歌謡曲だか、そんな風に紹介されていたと記憶する。

 ベトナム戦争真っ盛りの1960年代末の話である。そのような暴虐の振舞われている現実と裏腹の、ひそやかな恋歌がベトナムから伝えられる。当時、その歌が(稀ではあったが)ラジオから聞こえてくると、なんとなく”襟を正す”みたいな気分になったものだった。

 ”帰ってきた酔っ払い”の大ヒットを受けて、フォーククルセイダースがその次のシングルとして用意していたものの、発売の前日に発売禁止となった朝鮮民謡、”イムジン河”を思い起こさずにはいられない、アジアっぽい旋律が心を惹く一曲だった。
 いや実際、”イムジン河”の話題性を横から拝借、の意識がリリースしたレコード会社にあったとしても不思議ではなかった。

 ちょっと調べてみると、意外にもこの曲、”甲斐バンド”の甲斐よしひろがソロアルバムでカヴァーしているようで、その情報ばかりが引っかかって来てくさってしまったのだが。

 それでもオリジナル(?)の歌手名が”マリオ清藤”であることは分かった。彼の顔は”ユエの流れ”のジャケ写真で見たものを記憶している。もう若いとはいえない、また、二枚目とも言いがたい(失礼!)小太りの男がマイクに向かっていた。かけていた大振りのサングラスが東南アジアっぽさ(?)をそこはかとなく演出していた。
 そこまでだった。その名と彼の”ユエの流れ”が1968年発売であること、それ以上の情報はなかった。高く、柔らかな声質の歌手だったと記憶にはあるのだが。

 ”ユエ”というのは、ベトナムの古都フエを流れる香江(フオンジャン)なる河を指すようだ。

 1968年の”テト攻勢”でベトナム解放軍がフエを解放したあと、米軍が反撃、フエ再占領をした。米空軍次官のタウンゼント・フープスが、1968年3月のメモに米軍のフエ攻撃の結果を次のように記した。
 ”残されたのは廃墟と化した市街だった。建物の80%が瓦礫と化し、破壊されたあとの残骸の中に一般市民2000の遺体が横たわっていた。市民の4分の3が家を失い、略奪が横行した。米軍に支えられた南ベトナム共和国陸軍の兵隊たちが最悪の犯人だった”(1967年ベトナム戦犯国際法廷文書集へのノーム・チョムスキーによるまえがきより)

 ユエの街は、豊かな歴史を誇るベトナムを代表する古都のようだ。そこで遠い昔、月を写す川面のほとりで恋する人を待っていた娘の面影。歌は、こう結ばれている。”装い凝らして待てど あの人 来ない”と。
 そして時は流れ、戦の暴虐は人の想像力を超える勢いで振舞われ。そしてさらに時は流れ。もう爆弾の降ることのないユエの流れのほとりで、恋人たちは逢瀬を重ねているのだろうか。

 検索しているうち、須摩洋朔(すまようさく,1907年 - 2000年)なる人物の名が引っかかって来た。第二次大戦中、東南アジア方面で軍楽隊のメンバーとして転戦し、戦後はNHK交響楽団のトロンボーン奏者などを務めている。この人物が歌謡曲の作曲家である筒美恭平とともに”ユエの流れ”なる曲を作った、との記述に出会った。私の記憶している曲がそれであるかどうかも、とりあえず検索では明らかに出来なかったのだが。



ラ・ビオレテラ

2006-09-26 01:58:49 | 北アメリカ


 ”街の灯”の一場面

 楽器店の店頭で楽器の試し弾きなどする際に、なんとなく弾いてしまう曲というのがあって、その一つが、”ラ・ビオレテラ( La violetera )”である。あの歴史上のコメディアン、チャップリンが1931年に作った映画、”街の灯”の挿入曲として世に知られている。

 貧しく盲目の花売り娘に大金持ちの紳士と誤解されたチャップリン扮する浮浪者が、彼女が視力を取り戻す手術を受ける費用を捻出するために悪戦苦闘する、その辺りで大いに笑ってもらう仕組みである。不況下にあるアメリカの矛盾を大いに突きまくりつつ。

 で、手術が成功し、明日は娘の目が見えるようになるという日に、惨めな文無しの失業者である自分を知られたくないがために、急な用事が出来たとチャップリン扮する浮浪者は娘の元から立ち去る。後世、有名となるセリフ、「大丈夫、世の中は勇気と希望と、少しのお金があれば生きて行けるのだから」を言い残して。

 「勇気と希望と」で、美しい話と見せかけて、「少しのお金」も必要であるという認識も滑り込ませる、その苦さがあなどれない感触を残す。

 チャップリンの感傷過多な世界ってのは好みではないが、このような作品に”街の灯”と名付ける感覚は好ましく思う。
 
 始めてこの映画を見たときは、「ははあ。これが名画と言われる、けど毎度おなじみのチャップリンの浮浪者ものコメディなんだな」くらいの認識しかしていなかったのだが、このような内容の映画がニューヨークで金融大恐慌が起こり、世界が激震しているまさにさなかに作られたという事実は、今、この日本の世情の中で思うと、ますます深いものに感ぜられてくる。

 ”ラ・ビオレテラ”は、その盲目の花売り娘のテーマソングとして奏される美しいメロディである。

 1920年代のスペインにおけるヒット曲との事。先の見えない不況の底辺で出会った不遇な二人の間に通い合う、宝石のような感傷を歌い上げるに十分な、逆にゴージャスに浮世離れした美しさが零れるメロディである。

 ラテンの血の生み出すメロディって、ときに”それゆえに罪悪”と判決を下したくなるほど美しかったりするのだなあ。




僕のベイビーに何か?

2006-09-24 01:44:13 | アジア


 ”When Something Is Wrong With My Baby ”by Sam & Dave

 駅前の”××ボゥル”といえば、××ホテル直営の変哲もないボーリング場なのだが、その前をたまに通るとき、それが夕暮れの時間帯だったりすると、妙に怪しげでいて切ないような不思議な気分に襲われる。

 なぜそんな気分になるかというと、中学の同級生で、その年齢ですでに不純異性交遊という奴で有名をはせていたN子が、そのような時間帯に所在無げに佇んでいるのを、高校時代に見ているからだった、考えてみれば。そんなに早くから男漁りに励むとなれば不細工と相場は決まっているのだが、N子はといえば、学校で一二を争うくらい見た目は可愛い子だったから始末が悪かった。

 おや、N子じゃないか。中学を卒業して後はじめて見るけど、相変らず駆け巡る青春をやっているのかなあ、そうか、あいつがあそこにいるって事はつまり、今、この町の不良の溜まり場の最前線は××ボゥルなのか、などと外角高めに見送りつつ、私はバスの窓ガラスの向こうに小さくなって行くN子の姿を目で追っていたのだった。

 その日私は、家に帰り着くとすぐに愛用の安物のレコードプレイヤーの前に行き、サム&ディブの”When Something Is Wrong With My Baby”を何度も聴いたのだった。N子の今の相手ってのは、誰なんだろうかな、などと妄想しつつ。
 
 When Something Is Wrong With My Baby (僕のベイビーに何か)というのは60年代、”ダブル・ダイナマイト”と讃えられたリズム&ブルース界の強力デュオ、”サム&デイブ”の熱血バラードナンバーである。あるアンケートのごとくのもので”決定的な思い出の歌とは”への答えとして私は、この歌を挙げたのだった。

 この歌を聴くと、中学~高校頃に気になっていた不良の女たちの事を思い出すのさっ。てな理由で。ドロンと暗い熱気が淀む”不良の現場”で場違いに燃え上がる純愛妄想の、それは格好のBGMと思えた。
 とは言え、私の育った田舎町のディスコでこの曲が演奏された事実は確認していず、すべては私の妄想の中に生きる”でっち上げの思い出”に過ぎないのだが。

 我が青春時代、不良連中のメインの活動場所といえばディスコと相場が決まっていて、ディスコで受けている”踊りやすい音楽”といえばリズム&ブルース、というのが当時の定番であったものである。
 1960年から70年代にかけての我が国におけるリズム&ブルースという音楽のありようは、”ディスコの不良連中の育んだ音楽”としての側面を抜かしては語れないだろう。

 都市の悪場所で出会った、外国の音楽などにまるで興味がなさそうなヤバめのお兄さんがソウル・グループの事情に意外にも詳しかったり、見事な黒人振りのステップで踊るのに驚かされたり。そのような想い出はいくつか持っている。

 そんな、アメリカ合衆国の都市の黒人たちが生み出した娯楽音楽としてのリズム&ブルースと、東洋の外れ、日本国の不良連中の”夜明けのない朝”の、意外にマッチするような、大変な誤解の元にすれ違っているような奇妙な相関関係は、なかなかに”良い話”として思い出せるタグイのものである。

 その後、80年代まで、バブルガム・ブラザースなぞというコメディアン上がりのデュオ・グループがその残り香を伝えていたものだが。
 そして”クラブ”などという日なた臭いものがもてはやされるようになった今日、その種の不良ロマンの湿り気は、繁華街のエアコンの排出する熱気とともに都市の上空に雲散し、消滅してしまった。




国歌斉唱・国旗掲揚

2006-09-22 23:47:25 | 時事

 ”本日のニュースより”、であります。元記事は最下部に引用してます。

 石原閣下は、「「式典で国旗・国歌に敬意を払う行為は(学校に)規律を取り戻すための統一行動の一つ」とか言っておられるみたいだけど、学校に規律を取り戻すってなんだろうなあ?

 普段、酒タバコにドラッグ売春恐喝強盗まがいをやりたい放題やってる生徒連中が、”指導”を受けて「ペナルティ食らいそうだから」、なんて理由で一時的におとなしくし、しらばっくれて整列して国歌なんかうたっているのを見て、「ああ、我が校の規律は守られている」なんて悦に入ってる教育関係者とかいたらアホでしょ。

 そんなもんでいいのかい、教育現場の規律って?

 大体、暴走族の暴走の現場を見ていても分かるとおり、国旗とか好きなガキって、不良に決まりだものね。まっとうに暮らしてる日本人はそんなものに興味は持ってないよ。
 それは、国旗だの国歌だのってものを、我々国民が”ある人々”に奪われたままになってる日本の国情による。外国におけるそれと比べるわけには行かないんだよ。

 まあ教育現場に限らず、上のような理由から、そもそも国旗とか国歌とか出てくる場面てのは、あとにろくでもない事がひかえてるって相場が決まってるから、逃げるに限る。うっかりその気になって最前線で弾除けにされてから、だまされてる自分に気がついても、もう遅いからね。


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 ○石原都知事が控訴方針…国旗・国歌通達の違憲判断(読売新聞 - 09月22日 20:21)

 入学式や卒業式で教職員に国旗に向かって起立し、国歌斉唱するよう義務づけた東京都教育委員会の通達を違憲とした21日の東京地裁判決について、石原慎太郎都知事は22日の記者会見で「控訴しますよ。方針は変わらない」と述べ、控訴審で都側の主張を訴えていくことを明言した。

 石原知事は「式典で国旗・国歌に敬意を払う行為は(学校に)規律を取り戻すための統一行動の一つ。裁判官は実態を見ていない」と反論。通達は文部科学省の学習指導要領などに基づく適法なものだとして、「義務を怠った教師が懲戒処分を受けるのは当たり前」と述べ、正当性を強調した。

 一方、小坂文科相は、この日の閣議後会見で「これまでの判決と照らして予想外で、都教委の主張が認められなかったことは驚き」と話し、都の対応を見守る考えを示した。

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