分不相応なモノを持つのはかっこわるいとされていて、
たとえばシャネルのスーツで電車に乗るとか。
「シャネルのスーツ着るひとは電車なんか乗らない」
っていうことで、
むかし村上龍がどっかに書いてたな。
おのれの身の程を「わきまえる」っていうのはたしかに
そうありたいことで、美徳とされてますが。
同時に、
「自分なんてこんなもんなんで、そこそこのところで安パイよろしく」
と遠慮しちゃうのはつまらない、とも思う。
高級な靴を履くと、その靴が似合うような高級な場所に、
その靴が連れていってくれる…とかなんとか。
靴はともかく、私は常にじぶんの「身の丈」を「押し上げる」ために、
ちょっとづつ「分不相応」なものを背伸びして買ってきていた、とおもう。
おもに乗り物ですけどね。
21のときに最初に買ったバイクは「ジレラ・サトゥルノ500」だったし、
28のときに最初に買ったクルマはアルファロメオだった。
ローン大変だったなぁー。長かったなぁー。
六畳一間でロータス・エリーゼ的な、エンゲル君な潔さに
ある種の「ハイリスク・ノータリンな粋」を感じていたけれど。
でも30過ぎるとなんか違うな、と思いはじめてきましたね。
エリーゼも、やはり「それなりの収入のある人の生活」を
想定してデザインされていて、
だから六畳一間で乗るエリーゼは、
その存在もそのひとの生活もかなり「ゆがんで」いる。
文字通り六畳一間(写真。懐かしい)で
アルファロメオ生活だった自分は、
そのへんのところに限界を感じていて。
いろいろ考えて、いま、
じぶんの身の丈をぐっと伸ばすために背伸びする
ことがあるとしたら「どこ」か?
という自問に対する答えが「広い部屋」だったんですね。
だからアルファロメオに涙の別れを告げて、広い部屋に引っ越してみたわけです。
いまのところ順調に、いろんなことが「好転」している感触があります。
やっぱなんだかんだいって、毎日ずっと暮らす「部屋」の「性能・馬力」って、
確実に効いてくるというか、文字通り「身の程」の向上を感じますよ。
なにかひとつ「角度のついた」生活を目指すならば、
部屋にこだわってみることをオススメしてみます。
環境の影響が、日々の生活にいかに強烈な影響を与えることか。
その強さは例えて言うなら「トルクが太い」。