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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

欺瞞セッションatマリアナ

2006-12-27 05:07:44 | いわゆる日記


 今、深夜のテレビで「ウインドトーカーズ」なんて映画が始まっていたんで、なんとなく見ていたんだけど、こりゃひどい代物でしたな。ジョン・ウー監督、ニコラス・ケイジ主演。
 第2次世界大戦におけるマリアナ諸島攻防を扱った戦争映画なんだけど、ともかくうさんくさい。

 その戦闘においてアメリカ先住民のナバホ族の言葉が通信時の暗号として効力を発揮したという、まあ、ほんとかどうか知りませんが史実に元ずき、アメリカ軍の中にナバホの兵士がいるわけです。で、何かというと、そのアメリカ大陸先住民の”精神性”が取り上げられる。こいつが見せ所みたいだ、どうやら。

 頻繁にナバホ族の祈りのシーンが映し出されたり、それだけではアメリカ映画における”白人優位”が揺らいでしまうからでしょうか、白人の主人公が戦場で負った心の傷が意味ありげに強調されるんだが、こいつもいかにもとって付けた風でうそ臭い。

 ついには、作品中に頻繁に響き渡る、ナバホの民族楽器らしい縦笛と、白人兵士の吹くハーモニカが、両者の魂の交歓を表現してるんでしょうなあ、共に演奏されるシーンなんてのは気持ち悪くて鳥肌が立ちましたね。

 監督のジョン・ウーってのは香港映画からハリウッドへスカウトされた監督のようだけど、こいつも食えない奴だなあ。今、その人となりを知るために検索かけてみたんだけど、アクション・シーンに鳩を飛ばして、「平和への祈りを込めたのだ」とか主張しているらしい。そんな安易なおためごかしってあるかい。

 結局はアクションが売りの戦争活劇のくせして、何を思わせぶりをやっているんだかなあ。こんなものに最近の観客ってのはコロッと騙されちゃって、簡単に感動とかしてしまうんだろうか。情けない話であります。
 で、最後には戦場の友情やら持ち出して、定番の人情劇で締める、と。ああくだらないくだらない。時間の無駄でした。



JB!こんな平和は欲しくなかったのに

2006-12-26 01:11:19 | 北アメリカ


 クリスマスの日の夕方のテレビのニュースで、「アメリカのソウル歌手、ジェームス・ブラウン氏が」と臨時ニュースを伝えるテロップが流れたので、てっきりまた、かのソウル帝王JB氏が、なにかやってあちらの警察に捕まったのかと思った。

 これまでも、散弾銃抱えてレストランのトイレに立てこもったり、いろいろやってきたものなあ。そしたらなんと、”死去”の知らせだったんで、これは一本取られたね。死ぬような人とは思わなかった。だってソウルの帝王JBだぜ。ゲロッパ、ゲロンナッパの人だぜ。

 アトランタの病院で亡くなった。73歳。今の時点ではここまでで、死因は聞こえてこない。なんか、明かせないような事情があるのか?まあ、おいおい明らかにされて行くんだろうけど。

 彼の音楽が、アメリカ中に飛び火していた黒人たちの生きる権利を求めての戦いに、見事に呼応して燃え盛っていた60年代。彼は、そのファンク・サウンドに乗せて”俺は黒い!それが誇りだ!”と、黒人であることの誇りを、美しさを高らかに宣言したものだった。

 それから時は流れ、・・・帝王JBの音楽はダンスシーンにおける、安易に盛り上げるためのネタとして切り売りされ重用され。そんな形で”市民権”を得てしまった。

 そして今、アメリカの黒人たちは、黒人という呼び方、黒という色自体を差別として忌避し、”アフロ・アメリカン”なる呼び名を用いるのが作法となった。

 すべては曖昧のまま、それなりの地位を手に入れた黒人たちが、”黒は差別”として臭いものにフタをしてしまうその時、JBの”俺は黒い、それが誇りだ!”との叫びもまた、闇の彼方に葬り去られて行くのだろうか。

 それにしてもクリスマスを選んで死ぬとは。嫌がらせだよな。黒人たちを奴隷として使役する際に都合の良い宗教、キリスト教なんかを押し付けた白人たちに対する。と信じておく。



ノルウエイの讃美歌集

2006-12-25 01:05:09 | ヨーロッパ


 ”Julekvad ”by Asne Valland

 今、このアルバムについて記事を書こうとして、一応参考資料を求めて検索してみたら、彼女、というのはつまりこのアルバムの主、ノルウエイの女性歌手、 Asne Vallandのことなんだけど、彼女は、1996年作のこのアルバムの後、作品をどうやら発表していないらしいのに驚いた。現地のカタログに、何も他の作品が掲載されていない。

 厳密に言うと2001年に”Himmelske Balsam Og Sodeste Drue ”なる作品があるようだけど、これはVCDとなっているんで、ちょっと音楽作品とは言えないのかも知れないので。

 彼女、ノルウエイのトラッド系の歌手でしてね。私などは、その憂いを秘めた、いかにも北国の静謐さを感じさせる清楚な少女らしい歌声と、ついで(ほんとか?)に美貌にまいってしまったものでした。

 で、このアルバムが世に出たころ、「これは素敵な新人歌手が出てきたなあ」とか同好の士(きわめて少数)と頷きあったものだけど、その後の展開ってなかったんだなあ。なにしろ情報を手に入れるのもむずかしい遠い異国のこと、こちらが知らない間に大歌手に成長していてくれるかと思ったんだけど、地味なトラッド歌手では、なかなか難しかったのかもなあ。

 なんと、かのマルティン・ルター作詞になる古い賛美歌で幕を開けるこのアルバム、どうやらクリスマス限定商品だったらしいんですな。ラストはノルウエイ語の”清しこの夜”で締められるんだけど、それ以外の収録曲もおそらく、曲調から考えて有名無名の賛美歌なんでしょう。

 キリスト教と縁のないはずのこちらも、なにやら敬虔な気持ちにさせられてしまう、Asne Vallandの歌声です。軽薄なクリスマス便乗商品などとは程遠い作りであります。
 徹底して音数を絞りこんだサウンドをバックに、いかにも北欧らしい、澄んだ可憐な歌声を響かせる様は、まさに「静謐を聞く」の感あり。心洗われる、という奴ですな。

 絞り込んだサウンドと書いたけど、ともかくパープとトランペットです、”楽団”の編成は。それに、たまにパーカッションが絡む程度。こんな編成で賛美歌を演ずる伝統ってのがあるんでしょうかね?まあ、イングランドにも”ブラスモンキー”とか、妙な編成のトラッドバンドがあることだし、これはそれほど異様な者でもないのかもしれない。

 そっと耳を傾けていると、空から金色の粉かなんかが敬虔な想いを歌い上げる彼女に降り注ぐ風景などが浮かんで来ます。先日、「クリスマスは不愉快」みたいな事を書いたけど、こんな音楽を聞かせてくれるなら、悪くはないでしょう、クリスマスも。

 どうやら彼女は、デビュ-盤にあたるトラッド・アルバムと、この賛美歌集の、2枚しか作品がリリ-スされなかったようだけど、いや、まだこれからです、微力ながらも応援してるんで、頑張って欲しいです。というわけで、月並みではありますがメリー・クリスマス。
 



クリスマス呪詛気分

2006-12-23 02:52:02 | 北アメリカ


 クリスマスというものがすっかり苦手になってしまったのはいつ頃からなんだろうか。

 子供の頃は、まああの頃は今と違って激動のクリスマス商戦とか吹き荒れはしなかったものの、それなりに世間が年の瀬の到来とともにクリスマス・ツリー色に染まって行くと、こちらもガキなりにときめいたものだったが。けどまあ、今の私にサンタさんが贈り物を持って来てもくれないだろうしねえ。

 ともあれこの季節になると、年々ひどくなる感じのクリスマス商戦の、「おい、クリスマスだぜ、幸せだろう?そう思わない奴は皆に一番嫌われるタイプの暗い奴と烙印押されるがそれでもいいのか?良くないんだったら笑えよ。幸せそうにしろよ。クリスマスなんだぜ。幸せそうに笑って金を使えよ」みたいな脅迫イメージにうんざりしつつ町を歩く日々なのである、毎年。

 そんな年末になると思い出すのが、もう20年も前(いやもしかしたら、あれから30年くらい経つのかも知れない。ともかくそれがアナログ盤の新譜だったのは覚えている)に友人に聞かされた、あるブルースマンのアルバムである。その歌声である。

 そのブルースマンの名前を思い出せないのがもどかしいのだが、ともかくスチールギターの弾き語りという、珍しい存在だった。1950年代のシカゴあたりで活躍した人ではなかったか。

 彼のそのアルバムに、クリスマスに関するブルースが収められていて、その歌が、この季節になると妙に聞きたい気分になるのだ。”メリークリスマス・ベイビー”とかいったかなあ。曲名も記憶の彼方に霞んでしまったけど。

 何でもそのブルースマンはひどく白人を嫌っていて、レコーディングもあまり数はなく、彼を写した写真やインタビュー等の記録も、まともに残っていないとか。ジャケに使われていた、彼を写したモノクロのステージ写真は、だから非常に珍しいものだったのだろう。

 気難しそうな顔つきのミュージシャンがカントリー・ミュージックの世界で使う大型のペダル・スティールギターの上にかがみこんでいる、そんな様子がひどく奇妙に感じられる写真だったのだが。

 彼の音楽は、そのモノクロ写真に漂ううそ寒い空気をそのまま伝えるものだった。ブルースギター定番のフレーズも、スチールギターの安定しない奏法で爪弾かれると、独特の不安感を醸し出した。
 そして、地の底から響いてくるような彼の歌声が囁く。”クリスマスおめでとう、ベイビー♪”と。めでたくもなんともない。凍りつくようなイメージが広がる。

 クリスマスなどという白人にとってばかり都合の良いキリスト教の祭りに対する呪詛みたいに、それは聞こえた。彼はなぜ、そんなに不愉快ならクリスマスなんてものを題材に歌なんか作ったのか?それも白人への嫌がらせか?

 ともあれ、機会あればもう一度聴きたいなあ。あのスチールギター弾き語りの、氷点下のクリスマス・ソングを。
 


帰郷

2006-12-22 03:12:00 | 音楽論など


 あれはNHKの”みんなの歌”なのかな、深夜のテレビでときどき、「いらっしゃい」って歌を聴くことがある。この間、ふと興味が湧いて、いつもは見逃す画面の表示を注意してみたら、倍賞千恵子が歌っているようだ。作詞作曲者は読み取れなかった。

 まあ、歌としてはですね、「おいでんせえ」「ゆっくりしっちょくれ」なんて、どこやらの方言を駆使して歌われてます。ふるさとの人の心は何も変わっていないよ。みんな君の帰りを待っていたんだよ、なんてメッセージが優しく歌い上げられる。

 どうやら都会暮らしから久しぶりに故郷へ帰って来たらしい、その村出身者を優しく迎える昔馴染みの横丁のオバサン、なんて立場からの暖かな心使いを歌う歌であるようだ。
 「あのおばあちゃんの駄菓子屋はコンビニになってしまった。だけどおばあちゃんはまだまだ元気だよ」なんてフレーズを差し挟み、懐旧の涙を聞く者の胸に溢れさせる仕組み。

 けどねえ。その歌詞につけられた音楽が、まあ、当たり前といえばその通りなんだけど、西洋音楽のフォームに元ずくものなんだな。ちょっと聞いた感じではフォーク関係者、あるいはクラシック関係者の可能性もあり、なんて感触のメロディであります。

 これって、どんなもんかね?”懐かしい日本の田舎の風景”を歌うための音楽が西洋の音楽である。今、流行のフレーズ使えば「欧米かよ!」であるのは困るんじゃないかな?
 実際この歌、おそらくはそれが原因で、私の心には「なんかでっち上げの感傷くさいなあ」と反発を生じせしめ、さっぱり響いてこなかったりする。

 とはいえ。とはいえ、ですよ。それじゃこの歌が日本古来の民謡のメロディを持っていたとしたら。それはますます聞くものの心に違和感を増してしまったでしょうね。だって普通の日本人、”日本の伝統音楽”なんてものを含む日本固有の文化なんかに包まれて育ってきたわけじゃないし。アメリカのポップスの方がよほど気軽に楽しめるんだよ。

 心安らぐ故郷なんて、実はどこにもない。つまり我々日本人、二重の意味で音楽的には孤児であるんですね。

 うん、まあ、いまさらあえて書くようなものじゃないけどね、こんなテーマ。でも、”日本人にとってのワールドミュージック”を考える時、嫌でも思い出さざるを得ない事でしょ。とりあえず書いておこうかと思って。
 誰でしたっけ、「”日本人だから日本人らしくやろう”と考えた時点ですなわち、もうその姿勢は不自然なのだ」って言った人は。




無責任忌

2006-12-20 23:33:52 | その他の日本の音楽


 今朝早く、青島幸男が亡くなった。

 昭和30年代、当方がガキの頃、一世を風靡した「スーダラ節」「日本一の無責任男」などなど、植木等やクレイジーキャッツの面々に提供した歌詞や、テレビ番組「しゃぼん玉ホリデー」における”画面に出てきてしまう放送作家”としての彼の悪ふざけ根性は、当時の我々悪ガキにとっての基礎教養みたいなものを成していたように思う。あるいは高度成長期を生きた日本人の魂のアンダー・トーンか。

 後年の政治家としての活動などは、痛快に思えたものもあるとは言え、基本的には興味のもてないものだった。むしろ国会議員になった後、当時司会をしていたワイドショーにおいて、視聴者の質問に、妙に慣れきった政治家口調で答える彼に、なにか汚れたものを感じてしまい、残念に思えもした。

 日本人のほとんどが政治家である彼に慣れきった後に作った”これで日本も安心だ”などという”再びの植木ソング”の歌詞も、”ひらめきの感じられないオヤジの床屋政談”の感もあり、失望させられた。
 そういえばその頃彼は、「スーダラ節」などの昭和30年代当時のヒット作を、「社会への呪詛に満ちた歌だった」と定義し、半ば、その価値を否定していたようだった。

 作家としても一家を成したが、これも当方にとっては、どうも薄味の感があり、こいつもまた興味が持てなかった。 
 結局、当方にとっての青島幸男は、昭和30年代の、あの悪ふざけの過ぎる作詞家兼放送作家だった。あれで十分だった。十分過ぎた。
 
 太宰治の”桜桃忌”を真似て”無責任忌”なんてのをふと思う。意味ないけどな。せめて彼が生きているうちに”スーダラ節”が日本の国歌になれば良かったのにと思う。いや、本気でさ。



アフタービートの衰退と滅亡

2006-12-19 02:44:53 | その他の日本の音楽


 月曜日のテレビ、”笑っていいとも”に夏川りみがゲストで出て、”涙そうそう”をタモリの要望に答えてその場でアカペラで歌っていた。で、客席は手拍子で応じていたんだけど、皆が打つそのリズムが”頭打ち”だったんだよなあ。

 つまり、”ブンチャブンチャ”と曲のリズムを表現するとして、後ろノリ、”チャ”のところで手を打つアフター・ビートではなく、頭ノリというのか、”ブン”の部分で手を打ってしまっている。

 これって、私なんかが青少年の頃には「お婆さんがご詠歌に手拍子を打つみたい」とか言って、日本の民衆の音楽的後進性の象徴みたいに言われていたものでした。
 で、私も「カッコ悪いなあ」と感じていた。”ブンチャブンチャ”の”ブン”でリズムを取るより、”チャ”で手を打つほうがどう考えたってカッコ良いものなあ。

 そして昭和30年代、40年代と歳月は流れ。そんな我が日本の民族大衆も、洋楽に親しむ機会が増えるとともに黒人っぽいアフター・ビートの感覚に目覚めて行き、”ブンチャブンチャ”の”チャ”の部分で手拍子を打つのがだんだん普通になって行ったのでありました。

 で、そうだなあ、1970年代の半ばあたり、あの栄チャンの”キャロル”がデビューした頃が”日本人のアフタービート感覚”の最盛期だったのではないかしら、私の記憶する限りでは。あの頃、我が日本の聴衆もロックのリズムに合わせ、軽やかに腰なんかスイングさせつつ、アフタービートで普通に手拍子を打っていた。

 それが。さらに歳月が流れた今。どういうことの次第か分からないけれど、いつの間にか皆は、昔と同じように”ブンチャブンチャ”の”ブン”の部分で手拍子を打つようになってしまっている。また”ご詠歌の世界”に帰ってしまっている訳だ。これって、なんなんだろうなあ?なんで、あそこまで行けたものがまた衰退してしまったんだろう?

 まあ、いろいろ価値観はあります、「日本人には日本人のリズムの取り方がある。何もかも欧米追従でもあるまい」って考え方だってあるわけだから。それこそ、ワールドミュージックの論理ですね。

 ただこの場合、「ロックのリズムも理解して、日本土着のリズム感覚も忘れない」というのではないわけで、ただ単にアフタービートの音楽があるのに、それへの乗り方が分からないってだけのこと。それに対峙できる日本固有のリズムとか確信持って打てるわけでもなし、やっぱりこれは”衰退”と考えるしかないわけですよ。

 これってなぜだろう?町を流れる”日本の流行り歌”っての、現状ではアメリカの物真似みたいのばかりでしょう?ラップなんてのが当たり前に流れているし、黒人の音楽性は、普通に受け入れられているかに思える。いわゆる”Jポップ”のバンド名なんかも横文字ばっかり。それなのに、その連中の繰り出すアフタービートのノリはどこへ流れて行っているんだろう?。

 いや確かに、そんなバンド連中のライブでは、それなりのアフター・ビートの手拍子に出会えるのかも知れないんですがね。
 でも”笑っていいとも”の客席では、つまり一般大衆のレベルは、あの頭打ちのご詠歌調で手拍子を打つ昔に帰ってしまっている。もう一度言うけど、「日本人なりの力強いリズム」なんかの展開が他にあればいいんですがね、そういう事情でもない。なんかうら寂しい気持ちになってくるよなあ。

 いつか、「ジャズと自由は手をつないでやって来る」、そんな言葉を、五木寛之が小説の中で引用していたんだよ。あれは誰の言葉だったのか。で、手拍子は何と手をつないでやって来るのかなあ。



都市漂流

2006-12-17 22:22:52 | アジア


 ”東京プレイマップ”by 沢たまき

 ”ベッドでタバコを吸わないで”のヒットで知られるジャズ系歌謡曲の歌い手であり、女流アクションドラマ”プレイガール”の”ボス”役でも親しまれた粋な姉御、故・沢たまきの、77年の傑作アルバムである。一曲一曲、東京のさまざまなプレイスポットを舞台に、女性たちの恋模様を演じて見せた盤。ある時は誘い、ある時は口説かれ、またある時は年下の女友達の失恋話に付き合ってやる。

 このアルバムが妙に私の印象に残ったのは、収録曲の一つ、”学生街”たる御茶ノ水を舞台に、学生時代の恋の思い出を描いた「はじめての日のように」を彼女がテレビで歌った際、思わず涙ぐむのを偶然、見てしまったからである。こわもての女ボスというドラマの役柄をそのまま身にまとって芸能界を泳いでいた彼女がうっかり見せた不覚の一瞬。彼女にそうさせてしまった、この歌は何だ?

 彼女、沢たまきがデビュー時、当時としては珍しい”女子大生歌手”であったことと無関係ではないようだ。自身の実人生にかなり重なる部分のある歌詞内容ゆえ、と言う事情があったことは、たまき自身もその後のインタビューで認めてもいる。

 また、この歌をキイに見て行くとこのアルバム、なかなか面白いことにもなる。

 まず、1970年代後半の東京における一人の都会暮らしの女性の流浪の物語が浮かび上がってくる。大学を出た後、どこかの会社に勤め、のち、水商売方面に流れた形跡がある。その間、結婚&離婚、あるいは不倫によるゴタゴタ、などの気配を漂わせつつさまざまな恋を渡り歩く女の面影が漂う。まあ、当方の”読み”から行くと(笑)なのだが。

 もちろん、このアルバムの歌詞は東京のさまざまな場所にランダムに女性像を置き、都会に暮す人々の哀感を描こうとしたものであって、提示される各曲の主人公がすべて同一人物とは想定されていない。

 だが、冒頭述べた「はじめての日のように」なる歌の中で、”その時代にこの場所で学生生活を送った女”という手がかりと言うか座標軸が与えられたことにより、収録曲すべてが有機的つながりを持ったかのように認識され、その後の足取りを追うことの可能な生身の女に、このアルバムの主人公が見えて来てしまうのである。その上、沢たまき自身の”不覚の涙”がまた、ますますそれにリアリティを加える。

 尋ねてみたいもう一度、ニコライ堂に聖橋・・・歌の主人公も、彼女と付き合っていた男も、ともに御茶ノ水近辺の大学に通っていたようだ。古本屋でボードレールの詩集を探す彼女は仏文科だったのだろうか。男の趣味はクラシック音楽で、モーツアルトが好み。などなど。
 「若さが匂うこの街は昔とちっとも変わらない」とアルバムの中では歌われているが、それからさらに30年近くが過ぎた今日から見れば、描かれているのはとうの昔に失われたのどかな学生たちの生活風景である。

 さまざまな恋のシュチュェーションに積極的に、かつあくまでお洒落にふみこんで行く70年代後期のオトナの女の生活誌(と想定されたもの)が大都会東京を舞台に華麗に提示される。そのハザマで、一曲だけベクトルの違う「はじめての日のように」は、ひっそりとつぶやきを繰り返す。「あの日から繰り返し傷ついてきたけれど、はじめての日のようにもう一度恋したい」と。

 それは戦後の高度成長期が終わり、やがてバブルのあらえっさっさの乱痴気騒ぎへと堕ちて行く、そのハザマに浮かんだ、華やぎつつもどこか不安の翳が付きまとう奇妙な白日夢。
 このアルバムの主人公はなぜせわしなく、東京の夜をさすらわねばならなかったのか。”御茶ノ水から駿河台”の日々を遠く見やりながら。あそこで我々が曲がった曲がり角には、一体どういう意味があったのだろう。つぶやいてみても過ぎた時は、もう戻りはしないのだが。


バカ咲き誇る美しさ

2006-12-16 21:11:25 | 時事

☆抜粋

 ”子供への方策”より

 団地、マンション等に「床の間」を作る
 教育の責任は当人50%、親25%、教師12.5%、一般社会12.5%であることを自覚させる
 敬語を使う時間を作る
 遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の「我慢の教育」をする
 地域の偉人の副読本を作成・配布する
 学校に畳の部屋を作る
 簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする


 ”大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと”より

 子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
 「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
 バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
 一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学を保留扱いする
 警察OBを学校に常駐させる
 名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する 

 ~~~~~

 ○「美しい国」へ教育を再生=改正教基法成立で首相談話
 (時事通信社 - 12月15日 21:10)
 安倍晋三首相は15日夜、改正教育基本法が成立したことを受けて、「歴史的意義」を強調、「美しい国」づくりへ教育再生を推進するなどとした談話を発表した。談話の要旨は次の通り。
 改正教育基本法の成立は誠に意義深い。このたびの改正では、これまでの教育基本法の普遍的な理念は大切にしながら、道徳心、自律心、公共の精神など、まさに今求められている教育の理念などを規定している。
 この改正は、新しい時代の教育の基本理念を明示する歴史的意義を有する。本日成立した教育基本法の精神にのっとり、個人の多様な可能性を開花させ、志ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本をつくることができるよう、教育再生を推し進める。学校、家庭、地域社会の幅広い取り組みを通じ、国民各層の意見を伺いながら、全力で進める決意だ。 

 ~~~~~


アフリカの岸辺、インド洋の風

2006-12-15 03:00:01 | アフリカ


 ”Sanker”by Nathalie Natiembe

 おなじみ、東アフリカの海に浮かぶ小島、レユニオン発の痛快盤。主役は女性ボーカル&パーカッション奏者であります。

 快調に鳴り渡るパーカッション・アンサンブルをバックに歌いまくるのだけれど、同じようにパーカッション&ボーカル・ミュージックである、ナイジェリアのフジやアパラのテンションの高さと比べると、このレユニオンのマロヤという奴はずいぶんとゆったりと伸びやかな響きがあり、やはり海に向かって開かれた海洋性の音楽という感じである。

 唯一参加しているメロディ演奏可能楽器であるアコーディオンが鳴り出すと、そのしなやかさは倍化され、サンバなどの響きに近くなってくる。この辺りは悩ましく、この辺りにポルトガルは噛んでいないと思うのだが、どのような影響がと首をかしげてしまう。

 一方、アフリカ名物の親指ピアノやマリンバが加わる曲もあり、そちらはグッとアフリカ色が濃くなるのだが、それが本来の彼女の音楽性なのかどうか、これは分からない。当方としてはこちらの方が快い響きで、この感じでずっとやって欲しく思うのだが、彼女としてはゲストを迎えたレコーディングのみの企画もの色の濃い音楽なのかも知れない。

 この辺も悩ましいところだなあ。もっとも気に入った曲は”ジャー、ラスタファリ!”と呼ばわるレユニオン風のレゲ(?)、”Rasta Maloya”なのだが、この感想も、彼女の音楽をあんまり理解していないがゆえ、なんて言われそうだ。つまりこの盤、本来の彼女の持ち味から若干逸脱しているように思える曲ほど聴いていて快感なのである。当方にとっては、なのだが。

 とかいろいろ言っているが、はるか遠くの何の情報も無い音楽、余計な疑心暗鬼になっている可能性もあり、くだらないことに悩まず、好きなように楽しんでしまうのが正解なんだろうなあ。

 それにしても、一連のマロヤものを聞いていていつも思うのだが、なんでこんなミキシングにするのだろうか?妙に一音一音くっきり聞こえる、なんかクラシックとかジャズとかで言うところの”良い音”なんである。磨きたてられた埃一つ無いスタジオで、居心地悪そうにレコーディングするミュージシャンの姿など浮かんできてならないのだが。
 もっとボーカルや各楽器の音が溶け合った、ライブな音像で聞かせるのが正解でしょ、こんな人懐こい音楽は。関係者、勘違いしていると思うぞ。