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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スパークスはゴキゲンなり

2007-02-06 03:25:56 | 北アメリカ

 ”Hello Young Lovers ”by Sparks

 スパークスというバンドは好きだったなあ。70年代初めに、後のテクノの先取りの如くにピコピコしたビートを前面に押し出し、また、かのフレディ・マーキュリーにまで影響を与えたという”オペラ風歌唱法のロックへの導入”などなど奇矯な試みをいろいろかまして、変なもの好きな当方を大いに楽しませてくれたのだった。

 74年作の「Kimono My House 」に始まり、「Propaganda 」「Indiscreet 」と繰り出された三作のアルバムあたりは、これはもう文句なしに傑作であり、今聴いても十分に斬新なものがある。

 アメリカ出身のくせに音の手触りがまるでイギリスっぽくて、成功を掴んだのもイギリスに活動の場を移してから、ってのも彼ららしい皮肉な話だ。

 バンドと言っても、ようするにロンとラッセルのメイル兄弟二人のユニットと言っていいだろう。
 いかにもかっこいいロック歌手である弟のラッセルと、時代錯誤のチャップリン風チョビ髭を生やしたキーボードのロンの取り合わせも、人を食ったビジュアルだった。そうそう、初めてスパークスをテレビで見たジョン・レノンがロンを指し、「おい、ヒットラーがテレビに出ているぞ!」と大喜びだったなんて逸話もあった。

 あっと、冒頭で「好きだった」とか過去形で行ってしまったけどこのバンド、いまだ現役で活躍中で、ついさっき、昨年出たばかりの新作、”Hello Young Lovers ”を聞いたばかり。

 このところロックそのものに興味を失っていた当方、ほんの気まぐれで久しぶりに聞いてみたスパークスのその新作アルバムが、素晴らしい出来だったんで嬉しくなって、この文章を書き始めたんでした。「ずっと新作にもチェックを入れずに来てしまって、すまん!」ってな彼らへの謝罪の意味も込めまして。

 で、”Hello Young Lovers ”なんだけど、デビュー当時から追求していたオペラとロックの融合の道をますます究めている。もう、よくもこんなにややこしい作業をこなす気になったものだなと、多重録音されたボーカルやキーボードの音の嵐に呆れてしまった次第。デビューから30年以上も経っても、ロン&ラッセルの創作意欲、全然衰えていないのなあ。

 ややこしく入り組んだ音楽性ではあるんだけど、歌詞の方は短い言葉を執拗に繰り返す、むしろ原始的なエネルギーの演出があからさまだ。入り組んだ音楽性。呪術的に反復される言葉たち。
 その辺りに、高度の洗練の先に不意に開けた原始の輝き、みたいな新鮮な衝撃があり、どぎまぎさせられる。
 なんかねえ、ロックによって変形されたオペラがバリ島のケチャみたいな響きを帯びて聞こえてくるんだよねえ。これは深いや。

 一つだけ残念なこと。ロンのちょび髭が細長くなっていて、あのチャップリン風(そしてヒットラー風)の時代錯誤の戦前ヨーロッパ調のものでなくなっていたこと。これは元に戻して欲しいなあ。その上に蝶ネクタイなんか締めて。これじゃ、そこらの小洒落たホテルの支配人だよ。


キャッシュのバカ歌が伝えるもの

2007-02-05 02:31:30 | 北アメリカ

 ”Everybody Loves A Nut”by Johnny Cash

 しかしアレですね、昨日みたいに”戦いの歌ウンヌン”なんて話を書いちゃうと、まるで私が”歌は正義を伝えるもの”とか、”歌には主義主張があらねばならぬ”とか考えてる人間であるかのように思われちゃうかなあ?まあ、逆の人間であるわけなんですけどね。ただ今回、そのような歌と民族性の相性、なんてことにふと思いが行ったもので、あのような文章を書いてみたんだけど。

 ちょうど高校の頃が反戦フォークとか注目が集まりだした頃で、同級生たちはそんなのが大好きだったんだけど、私は連中の崇拝する反戦フォーク歌手(岡林とか、いるでしょ?)連中は大嫌いだった。そいつらの”正義の味方”気取りが鼻についてね~。その歌の主張ウンヌン以前に、嫌悪を感じてしまって共感なんてとても出来なかった。

 実際のところ、”絶対的正義の歌”なんてのはないと思うんですよ。以前、もう20年くらい前じゃないかと思うんだけど、ある音楽誌で、”ベトナム戦争とロック”なんて特集が行なわれて、あの戦争に従軍した兵士たちの体験談として、”ロックをBGMに流しながらベトナムのジャングルを爆撃していた”なんてのが掲載されていて、ひときわ印象的だったわけです。

 そこでは、反戦とか歌っているはずだったバンドのものほど爆弾投下作業のBGMにはノリが良かった、とも述べられていた。なんとも皮肉な話ですが、殺戮の現場ではそうなんだろうなと、妙に納得させるリアリティを持った挿話だった。「殺すな!」という叫びの提示するリズムに乗って、流れ作業で爆弾は投下されるわけです。

 まあ、仕方がないでしょうね。歌には、音楽には、うつろいやすい感情やその場の気分は伝えることが出来ても、主義主張なんてものを乗せて運べるほどの利便性なんて、そんな都合のよい構造はない。もっと、人間の手になんか負えないほどややこしく深い、正義や悪なんて概念の彼方にあるもので、だからこそ我々はそれに魅了されてならないわけでしょう。

 五木寛之の昔の小説、「海を見ていたジョニー」なんてのも思い出されます。これもベトナムの戦場で残虐な行為を重ねてしまった、音楽を聖なるものと信ずる黒人兵ジョニーのものがたりです。彼は、”自分の音楽は汚れているべきなんだ”と思い込むんだけど、実際の彼の演奏は、戦場で重ねた苦しみの体験により、より深く感動的なものになっていた。ついに彼は、「最後の心のよりどころである音楽さえ信じられないのなら・・・」と、自ら命を絶つのですが。

 なんてえ話をしているうちに、ふと聴きたくなってしまうのがここに取り出だしましたるアメリカの大物カントリー歌手、ジョーニー・キャッシュの” Everybody Loves A Nut”であります。「みんなみんな、アホが好き」って感じでしょうか。これ、”「私はメッセージソングに反対である」というメッセージがテーマのアルバム”なんですな。

 私なんかよりちょっと先輩のフォークファンにはおなじみ、シェル・シルバースタイン(日本では絵本描きとして有名になってしまった人だけど)作の”大蛇に食われて死んでゆく男の悲しい悲しい物語”なんて歌が収められてます。こわもてのカントリー歌手のドスの聞いた声でバカ歌が歌われるのも楽しい、そんな内容。

 そんなお笑いソングの連発のハザマでキャッシュは語りかけてきます。「主義主張がどうの、なんて話は後回しで良い。まずはきっちり”歌”を歌おうよ。それが俺たちの職分じゃないか。そんな風に誠意を尽くせば、お前の思いなんてものは、きっとその後についてくるはずさ」と。そんなものだと思いますね、うん。



勝利を我らに・ハングル版?

2007-02-04 01:22:43 | アジア

 今は快調に韓流ドラマとやらを世に送り出している大韓民国ですが、実はしばらく前は軍人出身の大統領が独裁的権限を握り戒厳令が引かれたりの国情で、北の将軍様をあれこれ言える状態ではなかった訳で。そんなのを思えば、隔世の感があります。いや、今日のかの国の裏の実情とか、知りませんがね。

 その頃、韓国からのニュースを見ていて妙に印象に残った一場面がありました。当時、詩人の金芝河という人が政府批判の詩をおおやけにしたかどで囚われ、極刑の危機さえある、なんてことが国際的なニュースとなっていた。で、その金芝河氏の罪を裁く公判が開かれるというので、その応援者や家族たちが裁判所を取り囲んで、氏の公判の行方を見守っている、そんなニュースを私はテレビで見ていたのでした。

 (あっと、金芝河氏の”反体制詩人”としての評価とか、私には出来ません。あんまり興味が持てなかったんで、彼の詩とか読んだこともなかったし。ただ、当時の韓国政府は、一人の詩人の詩行を排除する必要を感ずるほどの代物であった、ということですね)

 するとそこで、後援者や家族たちが”勝利を我らに”を、韓国語で歌う場面に出くわしたのです。私は、「へえ、韓国の人たちは”勝利を我らに”を自国の言葉で歌う事を可能にしていたのか」と、まあ、感心してしまったのです。とりあえず。

 ”勝利を我らに”、つまり、“We shall overcome”といえば、1960年代のアメリカ公民権運動を象徴する”戦いの歌”であり、その後もフォーク集会やらデモ行進の際などに戦いの”宣言歌”として、大いに歌われて来た歌でした。とりあえずアメリカでは。その歌詞をあえて直訳風に記すれば、

「我々は勝利するだろう 我々は勝利するだろう いつかある日
おお心の奥深く私は信ずる 我々がある日 勝利する事を

我々は恐れない 我々は恐れない 今日、この日に
おお心の奥深く私は信ずる 我々が勝利する事を」

 2節目は、アメリカの社会派フォークの大御所であるピート・シーガーが、「この歌のもっとも大事な部分」といっていたのが印象に残っていますが。

 ともかく、こんな詩を賛美歌のメロディに乗せて、アメリカの”公民権運動家”の人々は戦っていたわけですね。具体的には、彼らのデモ行進を殴り倒してでも阻止しようと隊列を組む警官隊の列に、彼等はその歌を歌いながら突入して行った。
 
 でもこの歌、日本ではそのようには歌われなかったというか、ともかく使い物になるような日本語詞を付けられることがなかった。というか、誰も思いつけなかった。
 いや、とりあえず付けられた詞はありますよ、「勝利の日まで 勝利の日まで 戦い抜くぞ~ おおみんなのその手で」とか言う、なんとも迫力のないものが。

 昔々、私がそれをはじめて聞いたとき、それは確か森山良子が歌っていたのだが、まだ若かった彼女のお上品な歌声にこそ良く似合うものであって、それで”戦いの炎”なんて心中に燃やす気分になれる者は、まずいなかったんじゃないだろうか。

 これってさあ、文化上の興味深い問題だと思うんですよ。なぜ、”勝利を我らに”は日本語に馴染まなかったのか?その後、そんなアメリカの反戦歌に影響を受けて作られた”日本語のフォーク”の歌詞など聞いても、この問題って、見て見ない振りをして置き去りにされて来ていたと私には見えて仕方がないんです。

 その一方。アメリカの文化が異文化であるのは同じ事であろう韓国の人々は、どうやら”勝利を我らに”を自国の言葉にしていたようだ。しかもそれは、反体制派の詩人が命を賭して戦っている現場で歌えるほどの切実さを持ちえていたようだ。この違いってなんなの?

 いやまあ、韓国語版の”勝利を我らに”がどのようなニュアンスの歌詞であるのか、もちろん私は知りません。もしかしたらたいしたものじゃないかも知れないです、森山良子が歌っていたのといい勝負だったりして。
 そしてまた、たとえそのありようを説明されたって、そんな微妙な問題が理解可能かどうか、はなはだ怪しいものですが。

 まあとりあえず、そのような事があった、それを私は目撃したとだけ、ここに記しておきたい。
 この件に関して何かご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

子午線超えて

2007-02-03 04:16:50 | ヨーロッパ

 "I himmelen" by Triakel

 まだまだクソ寒い日々は続いておりますが、それでもたとえば日の長さなんてものは、確実に長くなっているようです。ちょっと前までは、もう夕方5時くらいには世の中真っ暗になってしまっていたんですが、この頃は、日差しが頼りないながらも残っていたりね。
 こんな冬の真っ盛りの時期になると、脈絡もなしになんとなく思い出される風景ってのがあります。子供の頃に見た、家の近所の通りのなんでもない冬景色なんだけど。

 いまだに冬になると思い出すんだから、何ごとかインパクトのある出来事がその風景の中で起こったのかもしれないけれど、もう何も覚えていない。ただ、大気が寒気に満たされ、凍えた指先が痛んだり、なんてことが起こると条件反射的にそれらの風景が記憶の中に蘇り、ひとときたゆたい消えて行く、それだけの話。

 軒先の低い家が並んでいて、その場所は明白に分かっている。隣の町内のある通りなんだが、区画整理とか家屋の建て直しなんかで、それはとうの昔に失われた風景となってしまっている。冬の弱い陽光が家々の庇越しに差し込んでいて、子供たち、それは私の幼い頃の遊び仲間のようなんだけど、どいつもこいつもゴロゴロに着膨れた姿で、吹き付ける木枯らしに頬を紅くして、何ごとか声高に言い合っている。鬼ごっことか、そのタグイの遊びをしている様子。

 うん、それだけの話で申し訳ないんだけれど、冬至であるとか小春日和であるとか、冬を象徴するような言葉を耳にするたびに、この風景が頭をよぎって行く。なんなんだろうなあ。他の光景でも良かろうものを。特に悲しいでもなし、楽しかったでもなし。ただ、流れ去った時間の長さにひどく遠い気持ちにさせられるばかり。

 スエーデンにTriakelというトラッドバンドがあって、彼らが1998年に出した同名のデビュー・アルバムに"I himmelen"って曲が入ってるんだけど、その曲の雰囲気が、今挙げた思い出の切片のイメージに非常に合っていて、ふと時間の空いた冬の昼下がりなどに何度も繰り返し聞いてみたりする。そうしたところで何が分かるわけでもないんだけれど。

 Triakelは女声ボーカルにハモンドオルガンとバイオリンという三人編成のきわめて素朴な音のトリオで、スエーデン民謡のひときわ地味なところを地道に演奏する。
 オルガンはこの曲において、ハモンドの特性を強調するというよりも、小学校の教室に置かれていた足踏み式のオルガンの音を模しているようだ。バイオリンはクラシックの奏法ではなく鄙びた民謡調の音を響かせ、ヴォーカルの女性の声はあくまでも素朴で。

 聴いているとまるで子供の頃、そのような音楽を日常的に聴いて育ってきたような錯覚に陥りかけるが、もちろん、そんなことがあるはずがない。北欧の民謡など耳にしたのはオトナになって音楽ファンとして自覚的にそれを選び取って初めて、のことなのだから。

 ヒンメルとは確か天国を意味する言葉だから、"I himmelen"は、おそらくスエーデンの賛美歌なのではないか。優雅な三拍子で、北欧の民謡に特徴的である、フィヨルド式海岸の谷間に木霊する様な、どこまでも天高く昇って行くような澄み切ったメロディを持っている。どことなく”中世”を思わせる響きでもあり、実際、相当に古い曲なのではないか。

 晴れ上がった青空の高みに、シベリアを越えてきた凍りつく空気が吹き荒れている。天気予報がそんな冬の便りを伝える日は、気まぐれに蘇る自分の脳裏の意味不明の記憶と、それと妙な共振を起こす古い北欧の賛美歌を思う。この青空を越えていった向こう、はるか地球の裏側で何百年も前に生き、"I himmelen"を歌って神の国を褒め称えていた永遠に見知らぬ人々の事など思う。

モスクワの夜に鎖を打った日々

2007-02-01 22:42:06 | 音楽論など

 鮫島有美子というクラシックの歌い手がいますが、彼女がロシア民謡ばかりを歌ったアルバム、「ともしび」の曲目解説に、下のような文章があります。あっと、文章に署名がないので誰が書いたのか分からないんだけど、同じ場所に歌手の紹介を書いている”音楽文化研究家”長田暁二氏が書いておられるんでしょうね。

 「モスクワ郊外の美しい景色の中に<青春を語りながら夜を明かす><平和を願う心><祖国を讃える気持ち>が自然に溶けあった、清楚で健康的な味わいの抒情歌で、1954年の作品。当時、世界中の青年、学生がモスクワに集まって開かれた世界青年学生平和友好祭を意識して作られ、フルシチョフの微笑外交の影響もあってか世界中に広まった」

 そして私はこれを読んで、ああまた始まったと苦笑せざるを得なかったのであります。解説されているのは「モスクワの夜は更けて」って曲なんですが。ロシア民謡の中では比較的ポピュラーな歌なんでお聴きになった事はあるのではないかと思います。ジャズなんかに編曲されて演奏されたりもしますよね。

 で、私が苦笑してしまったと言うのも。この歌の解説って、どれを読んでも「青春」「健康」「清潔」「平和」なんて、まあこう言っちゃあなんだがきれい事のセリフがこれでもかと詰め込まれているのが普通なのであります。

 ともかくロシア民謡を語らんとする音楽ライター諸氏は寄ってたかってこの歌を「若者たちが集まって、スケベな事とか一切考えず、清廉潔白に夜を過ごした思い出が歌われているのだ、この曲は。それ以外の意味は、考えるのもまかりならん!」とムキになっている。まるでこの歌が「僕らはみんな、生きている~♪」とか、あのような早朝ラジオ体操系の健全ソングとでも言いくるめたいかのようだ。なんなんだよこれは?と首を傾げてしまいます。

 だってねえ、先にも述べたようにこの歌のメロディはジャズにも援用されているくらいで、ロシア民謡独特の哀愁を漂わせつつも、「ちょっとヤバい事が起こるかもな」みたいな春の宵、それこそ青春期の胸のトキメキを暗示するような響きを帯びているってのに。誰が聞いても。

 いやいや。だからこそ、歴代の音楽ライター諸氏は「モスクワの夜は更けて」を、異常な念の入れ方で”健全な歌である”と主張せねばならなかったのでしょう。なぜならロシア発の”革命”は真面目なものでなければならなかったから。「こんな妖しい春の夜は、ちょっと女の子でも引っかけに行きたくなっちゃうなあ」なんてセリフを、人民革命の聖地、ロシアの若者たちに言わせるなんて許されることではなかった。

 だけどさあ、そんな事言ってるからソビエト連邦は崩壊しちゃったんじゃないの?あちこちの国で、人民のためのはずの政党が、いつの間にかその人民そのものを抑圧するシステムに変容してしまったりしちゃったんじゃないの?だから社会主義は”負け犬”扱いを受ける羽目になったんじゃないの?

 昔の人は頭が固かったんだなあ。視野が狭かったんだなあ。などと苦笑の後に溜息ついたりしちゃうんですがね、古い楽譜やレコードジャケットにある、「モスクワの夜は更けて」の”曲目解説”に出会うたび。いや、昔ったって、それほどの過去の話じゃないんですが。いやいや、今だって結構現役の。右左関係なく、とかく”正義”のお好きな皆さんは、ね。

ひばり、リズム歌謡を歌う! 1949-1967

2007-01-30 02:29:01 | その他の日本の音楽


 ”リズム歌謡を歌う! 1949-1967 ” by 美空ひばり

 というわけで。これは最近リリースされて、スキモノには話題の一発ですな。美空ひばりが”洋楽”からの影響を見事に自身の音楽として血肉化して歌いこなして見せた”リズム歌謡”の作品群(1940年代から60年代にかけて)を集めた50曲、2枚組のCDであります。

 とか言ってるけどねえ、こんな凄い作品集を簡単に語れるはずはないんで、今はまだ盤の端っこをちょっと齧ってみただけって状態なんだけど。それでも十分、そびえ立つ音塊に圧倒されるばかり。美空ひばりって、”演歌の女王”に祭り上げられちゃう前は、こんなにも面白かったんだそう。

 ブギウギのリズムと伝統的歌謡曲の世界のバッティングの傑作としてとうに定評のある”ロカビリー剣法”や”河童ブギウギ”の痛快さはいまさら言うまでもないけど、それ以外にも知らずにいた傑作群が目白押しだ。

 これはエグい作品だろうなあと期待した”エスキモーの娘”は、普通にジャズ曲で、いやいや曲調はそうなんだけど、出来上がりはやはり強力で、その後、欧米のロック界で何度も登場することとなる”諧謔系オールド・ジャズ志向”の先行作であり、すでに完成されている感があり、であります。おーい、マーティン・マルとかその辺の連中、聞いてるか。聞いてねえだろな。そりゃそうだが。

 同じくファンキーなる出来上がりを期待した”チャルメラそば屋”は、よくある中華サウンド、チャカチャカチャッチャチャッチャッチャ~ン♪”なんて世界が展開されるのかと思いきや、屋台のラーメンのチャルメラの音とペダル・スティールの、頭の線がねじ切れるような並走を見せるイントロに導かれた軽快なカントリーのサウンド。
 でも、どうしてカントリー?なんて質問は受け付ける気配もなく、歌声は中華の双喜マーク乱れ飛ぶ西部の荒野に走り去ってしまうのでありました。

 その他、この調子で書いているときりがないんで、”白いランチで十四ノット””すたこらマンボ ””ペンキ塗りたて ” と曲目だけ挙げておくんで、後は適当に想像してください。うん、現物は多分、その想像のはるか彼方を行くかも知れないが。

 しかし、これだけ多種多様でムチャクチャな曲の数々をあてがわれつつ、それをことごとく歌いこなしてしまった歌手ひばりに改めて敬服、であります。いや、入ってきた異文化をねじ伏せて、見事なエンターティメントにしてしまった作家と歌手の共同作業に敬意を、というべきか。

 それじゃ、私はこれから、この盤の続きを聞かなきゃならないんで、内容に関する詳しい話はまたいずれ、という事で。

”みうなノート”がカワイソス

2007-01-29 01:39:37 | その他の評論

 ”みうなノート” by みうな(講談社)

 ネット書店内をうろついていたら、「みうなノート」なんて本に出会い、複雑な気分になってしまった。みうなというのは、まあ、マニアなアイドル好きしか知らないだろうけど、モーニング娘なんかの所属するハロープロダクションの、やはりアイドルグループ、”カントリー娘”のメンバーだった子です。

 カントリー娘ってのは、北海道で牧場を営む軽いタレント、田中義剛がモーニング娘人気に便乗して、”牧場で働きつつアイドルをやるグループ”なんてものを思いつき、デビューさせてしまったグループでした。モーニング娘のメンバーが助っ人に入ったりもしましたが、けどまあ当然の如く人気グループにはなりえず、はっきり言ってハロープロダクション内にあって、お荷物的存在だったグループでしたな。

 で、今回、話題にするみうなって子も、これはモーニング娘のメンバーのテストに落ちてカントリー娘に廻されたんだっけ?詳しい経緯は知らないが、まあそんなような挫折を抱きつつ、グループのメンバーに加わったはずです。だってあなた、モーニングとカントリー、どちらの”娘”のメンバーになりたいと思いますか?

 でも、マイナーなアイドル好みの連中からはなかなか強い支持を受けている子でもありました。「モーニング娘のメンバーに”昇格”させてやれば良いのに」なんて声が、発表されたモー娘の新メンバーがパッとしなかった時などにファンの間から上がったりしてましたな。

 そんな彼女は、ハロプロ内で結成されたフットサルのチームでも、なかなかの活躍を見せていました・・・というけどねえ。

 この話は以前もしましたけど、なんでハロープロダクションとか巨乳が売りのイエローキャブって、妙に所属タレントにフットサルをやらせるのに熱心なの?どちらの事務所にも、芸能活動では何をやっているのか知らないが、大張り切りでフットサルをやってる姿だけはテレビで見た事がある、なんてタレントが何人もいるでしょ?

 彼女らもねえ、そんなものやりたくて芸能界に入ってきたわけじゃないんだろうに。こちらファンの側だって、そんな汗臭い姿じゃなくて綺麗に着飾って歌を歌ってる姿や海辺に水着で寝転んだエッチなポーズを見たいんだよ、本来は。
 なんかねえ、裏でなにやらフットサルに絡む、うさんくさい金の流れがあるらしいですけどね、私は詳しいことは知りませんが。(裏事情、ご存知の方はどうかご教示ください)

 つまりは、彼女らも我々も、どこかの誰かの汚い夢の犠牲者だ。もう一回言うが、フットサルなんか見たかねえってんだよ。彼女らだって、そんなものはやりたくないと思うよ、命令でやらされてるが、本心ではね。

 で、話はみうなに戻ります。そんな彼女はこの春、カントリー娘をやめます。その後のことはまだはっきり分からないんだけど、おそらく芸能界を去ることになるんじゃないか。私も彼女には好感を持っていた者のひとりなんでこんな言い方は忍びないが、夢破れて去って行くのですなあ。

 それにしても、そんな彼女が芸能界に残して行く唯一つの彼女名義の作品、”みうなノート”がシングル盤のCDとかじゃなくて、フットサル体験記であるってのが、やりきれないよ、たまらねえよと私は大声で言いたいのであります。

 そんなものを書く事を目的に芸能界を目指す奴なんて、絶対にいないんだよ。そりゃそうだろう?なんとかしてやれよ、関係者。ひどい話もあったものだぜ、まったく。

シルクロード吠え王

2007-01-28 00:32:38 | イスラム世界

 ”Love's Deep Ocean”by Alim Qasimov

 一部の人の間で以前から話題になっていてちょっと気になった、中央アジアはアゼルバイジャン共和国のイスラム歌謡、”ムグハム”を歌う、現地では名人の誉れ高いという男性歌手のアルバムであります。

 なんだかその髪型や、”アジア”を濃厚に漂わす風貌から、ウチの町内に住んでいる寿司屋の板さんか大工の棟梁が歌手してるような印象をジャケだけ見ると受けて仕方ないんだけど、CD廻して飛び出してきた歌には、なるほど恐れ入りました。確かに迫力の歌声。伴奏の民俗楽器を従えて、堂々の渋い歌唱が響き渡る。

 同じイスラム圏の豪腕の歌い手、ということでカッワーリーのヌスラットなど引き合いに出して語られる事の多い人のようで、なるほど、鋼の喉が天を突いてイスラミックなコブシをグルグル廻しながら法悦境へ舞い上がって行く様は、かのパキスタンのイスラム宗教歌、カッワーリーを連想させないでもない。

 しかし、カッワーリーのあの、強力なコーラスや手拍子を伴って濃厚に盛り上がる濃密な熱さはなく、Qasimovの音楽には終始、中央アジアの草原を渡る風が吹いている。歌いかける相手も、アラーの神よりは果てしなく広がる平原やら太陽や月、といった大自然であるように、とりあえず私には聞こえる。一人馬上で旅を行く者の、ひんやりとした孤独を内に秘めた歌声。”シルクロード風馬子唄”って感じなのね。

 ああでも、彼ら中央アジアの騎馬民族が大々的に勢力拡大した昔、地平線の彼方からこんな歌声が聞こえてきたら、攻め込まれる側の兵士たち、怖かったろうなあ。

 まだまだローカルな民俗音楽として存在しているだけで、外国に進出するどころか現地の流行り歌としてさえ機能する以前のもののようだけど、何かのきっかけでこの味わいをキープしたままで”ムグハム”が国境を食い破って走り出したら凄いだろうなあと、多いに妄想するものである。


1990年

2007-01-27 02:45:33 | アジア

 ”1990年”を収めた吉屋 潤1974年のアルバム、「海程」

 この間、発表された”日本沈没”の再映画化って、結局ヒットしたのかなあ?韓国のヒトビトが大喜びで見に走って、かの地では大ヒットしたなんて話は聞こえてきたけど。

 あの映画が最初に映画化された1970年代初期から中頃ってのは、終末ブームとか言われて、妙な末世間が世間に流れていたものだった。ずっと続けて来た高度成長経済が中東発の石油ショックでずっこけてしまったりで、世情も一気に暗いものになり、その風潮に乗って”日本沈没”は大ベストセラーになった。

 そんな行き詰まりの世情の中で、ひょっこり、という感じでチマタに流れ出した韓国発のヒット曲が”1990年”だった。
 「1990年、娘は21」なる歌い出しで、その時点からは16年ほど先のことになる未来に、今は幼い自分の娘が大人になる日の事を歌っていた。その頃には娘はもう恋も知り、あるいはその恋に破れて、私の差し出す酒を受け取ることもあるかもしれない。

 当時、日本と韓国を、そしてジャズ界と歌謡曲の世界をまたにかけて活躍していた在日韓国人のミュージシャン、吉屋潤の作品で、日本では菅原洋一がカバーを歌っていた。

 これには、ちょうどその頃、自分なりに歌を作って歌いだしていた私は、一本取られた、みたいな気分になったものだった。まったく明るいビジョンが見えてこないみたいな閉塞感にとらわれた人心、というものにあえてぶつけるように、まるで当てにならないものに思える未来に敢えて題材を求め、「幸福になれ」と、自分の娘の未来のための祝福を歌うなんて。

 そして時は流れ。我ら人間は特に絶滅もせずに、が、もしかしたら滅亡した方がまだマシだったかとも思える局面など現出させながらも世紀末を通り過ぎ、21世紀暮らしにもヒトビトは馴染んだ。まるで当てないものに感じられた”未来”たる”1990年”はいつのまにか、もう17年も前に”近過去”となってしまった。

 その、まだ来ぬ未来を歌に歌われた吉屋潤の娘は21+17で、いまは38歳となっている訳だ。あの歌詞を、フォーク調歌謡のメロディに乗せて歌い上げた吉屋潤自身は、”1990年”の5年後、1995年の3月にソウルで亡くなっている。日韓のハザマで、不思議な運命を辿ったミュージシャンだった。

 あれは何の本だったかなあ、ずっと以前に読んだ、”五木の子守唄”の学理的分析をした書の中に、若き日の吉屋順が登場していたのだ。この子守唄に潜在するリズムについて、「よく聞いてみろ。お前の血の中に眠っている、お前の民族のリズムだよ」と、彼は音楽上の師に指摘されていた。
 そのことが吉屋潤の意識のうちにある種の自覚をもたらした、なんて話だった。

 うん、何を言いたいのか分からない文章になっているが、それは毎度のことなんで、このまま終わる。ひどいか。それにしても油断しているとあっという間に時は過ぎて行くよなあ。



ジェットストリーム

2007-01-26 02:34:23 | いわゆる日記

 昨夜の”ニュースステーション”で初期FM放送を代表する番組、”ジェットストリーム”を特集していた。なにか、かの番組にとって意味ある日付けだったのだろうか、昨日は?

 そういえば先日も何かの番組でジェットストリーム回顧が行なわれていた。そちらでは「ようやく生活にゆとりが出来た日本人が、航空会社の提供になる、海外旅行を身近かなものとして取り上げるあの番組を好んで聴くようになっていた」というという理解だったようだ。

 一方、ニュースステーションの特集では、「海外への知識は増すけれども、まだまだ気軽に出かける生活レベルには至らない日本人の憧れを、あの番組は満たしていたのだ」となっていた。”いかにも団塊”みたいなオヤジたちへの思い出インタビューも交えつつ。

 ちなみに、城達也氏のナレーションによる、本来の姿の放送が行なわれていたのは1967年7月から1994年12月という。

 どっちなんだよ?という事で、まったくの思いつきでアレだけれども、便乗してジェットストリームについて書いてみようと思うのだが、実はこれは無茶と言うものであって、私はあの番組のリスナーではなかった。そもそもFMを聞く趣味もあまりなかったのだ。というのも、どうせ自分の好きな一般の支持低調な音楽など放送でかかるとは、はじめから期待していなかったからで。

 それでもジェットストリームの、有名な城達也氏のオープニングのナレーションくらいは聞いたことはある。今、ネットから採取してきた、その現物を下に引用する。

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遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。
満点の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。

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 音楽の間に差し挟まれる城氏の語りもさまざまな海外ネタが中心であったようで、やはり番組のキイとなるのが海外への憧れであるのは間違いないだろう。
 城氏がオープニングに「ミスター・ロンリー」のメロディをバックに読み上げていた、番組を象徴するようなこの詩(?)も、都会の夜の中に飛び立った外国航路の旅客機の窓外に展開する情景、などを想起させる仕組みになっているようだ。

 でもこの詩、よく読めば必ずしも語り手は飛行機に乗ってはいなくて、地上の、自分の書斎かなんかにいて、頭の上に広がる夜空に想念を広げているという理解も可能ですね。というか、音楽無しでこの詩だけを目の前にすると、そちらの理解の方が納得できるようにも感じられる。

 地上とは思い出ならずや。と言ったのは稲垣足穂だが。思いつきで引用してみただけで、これはこの際、あんまり関係ない言葉だが。この番組、要するに「ミスター・ロンリー」のメロディと、この語り、これですべてなんでしょうね。それだけじゃ1分くらいで終わっちゃうから、いろいろムードを継続できそうな音楽をかけて場をつなぎ、番組を成立させていた。

 1967年7月から1994年12月・・・いろんなことがありました。アホみたいに儲かってそんな時代が永遠に続くかと思えた頃もあり、一瞬にしてそんな高慢の鼻をへし折られた時もあり。

 シンプルな物語だよ。いつもいつも憧れていたんだ。こんな場所で這い蹲って生きていないで、ストリングスの奏でる、地球の引力の存在を忘れさせてくれるような「ミスター・ロンリー」をバックに流しつつ、雲海の彼方へ出かけてしまいたい。けど、そいつはいつもつかの間の幻想で、気がつけばいつもの部屋で”夜の饒舌なる静寂”に耳を済ませる自分がいるばかり。

 さて、どうせだからエンディングの語りも引用して終わることといたしましょう。あなたのパイロットはマリーナ号でした(おいおい・・・)

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夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは
遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります
お送りしております、この音楽も美しく、
あなたの夢に、溶け込んでいきますように

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