goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

タンゴ酒場の夢

2007-03-09 05:40:02 | 南アメリカ


 ”Solo Tango”by Raul Parentella

 ”聞いているところを人に見られたら恥ずかしいなと思うアルバム”というものがあり、その一つがこれである。”ソロ・タンゴ”というタイトルだが、なにかの楽器がソロで奏せられるわけではない。単なるタンゴ、みたいな意味合いであろうか。そのような言葉遣いがあるのかどうか知らないが。

 シンプルな、シンプル過ぎるリズム隊を従え、サックスとピアノとバンドネオンがタンゴの、”ベタベタな感傷を歌う歌謡曲”としての側面にのみスポットライトを当て、ひたすらむせび泣く趣向の盤である。その臆面もない感傷の歌い上げようが実に恥ずかしい。

 ”世界的に通用するワールドミュージック”などという晴れがましい音楽とは対極にある、ドメスティックな人肌の音楽。アルゼンチン人にとってはあまりに卑近な感傷にかかわる音楽であり、スーパーの店内に流しておくのもウザイと感ぜられるのではあるまいか。

 もっとも似合いなのは、安い飲み屋のBGMである。深夜の、だらしのない酔っ払いにはきわめて居心地のいい空間を演出するであろうし、スカスカの音作りのインストゆえ、そのままカラオケ代わりに歌いだすのも可能だ。選曲も、アルゼンチン人の掌に良く馴染んだ昔懐かしいメロディの連発のようだ。

 でも、こういうのが聴きたいんだよ。ご立派な芸術作品なんかじゃなく、現地の人々の下駄履きの喜怒哀楽にかかわる音楽。こんな音楽に「恥ずかしながら」と溺れつつつ、ブエノスアイレスの下町の気の置けない酒場で、人々とベタな感傷に酔い、夜が明けるまで飲んだくれていたいと思う。

ウランバン批判

2007-03-07 04:48:34 | その他の日本の音楽

 ウランバン DX : 初代桜川唯丸 with スピリチュアル・ユニティ

 おおむね、皆のこの十数年ぶりで再発された作品への評価は好意的なもののようで、だからなかなか当方の感想が述べにくいのだが。いや、だからこそ書かねばならんのだろうと。
 河内音頭などとも同系列の仏教系語り物ダンスミュージックである江州音頭の大物、桜川唯丸を主人公に、打ち込みやシンセなどを導入し、新しい世界を展開して見せた作品である。発売当時もワールドミュージック好きの間で評判を呼んだものだった。

 ワールドミュージックがまだ耳新しい言葉だった頃には、当方もこのような音楽を、「おお、ミクスチュア感覚!音楽の新しい地平を切り開く試み!」などと素直に感動していたものだが。自分なりのワールドミュージック観が出来上がるにつれ、このような作品に違和感を覚えるようになっていったのだった。
 なんというのかなあ。なんか無理やり作り上げているって不自然な感触に納得できないというか。聴いていて、どうしても必要とは思えなくなって来るのだ、その”打ち込みやシンセ”の音が。

 また、このアルバムには”ブンガワン・ソロ”などというインドネシアの歌が挿入されているが、そのような歌が音頭の世界で普通に歌われているとも思えず。これも無理やりのワールドミュージックのイメージ作りのための演出、と思い始めるとその歌の存在が不自然でたまらなくなり、何でこんなわざとらしい事をするのかと嫌悪感しか感じられなくなってしまう。

 主人公の唯丸氏が、この音に納得していたかどうかは知らない。とりあえず、乗せられればその気になってしまうのは誰にでもあることであるし。
 ともかく当方、今ではこの音に接するたび、「江州音頭という音楽自体がそのままで十分エキサイティングであるのに、何を無理やり打ち込み音を導入しなければならないのか。よその世界から来たものが”現地”の音楽を安易にいじるのはやめろよ」と、だんだん凶眼になって行く心境であるのだ。

 それはまあ、世間になじみのない音楽を外部の人々に聴いてもらうためにはそのような工夫も必要と理解しないわけではないのだが。のだが、それをして”××音楽の新しい地平を切り開く”とか言い出してもらっては困るのである。それはあくまで一時的な措置であり、入門用のその音のむこうには、自然な形の音楽が控えていてもらわねば。大事なのはあくまでもそちらの音楽だ、という認識がなければ。

 ともかく、”お洒落なロック屋”が自分勝手な美学に元ずいていじり回した”現地の音楽”を押し付けられるのは、もう御免だ。
 今回のこの作品のケースは日本国内の出来事であるが、欧米のプロデューサーがアジア・アフリカなど各方面の音楽に赴き勝手な事をしているのに出会うと、新植民地主義などという剣呑な言葉も引きずり出したくなって来るのだが、間違っていますかね、ええ?

 ここで、たとえば当方が昨年のベスト1アルバムに選出した”LA NOUVELLE GENERATION DU REGGADA ”など聴いてみると、実に爽快な気分になってくる。収められているのはモロッコの祝祭音楽の”新しい地平”なのだが、それはあくまでも現地の人々の美学に元ずくもの。欧米のプロデューサーの感性では発想し得ない”奇矯な試み”が音の中に溢れ返っている。

 たとえばボコーダーを使ってのイスラム風メリスマのかかったボーカルの演出などという無茶なこと、どんな奴が思いつくのか。ともかく、欧米の新しい音楽を真面目にお勉強した者の仕業ではあるまい。土着の音を、いかに”ニューヨークの最新の音楽流行”と折り合いをつけるかにただただ腐心するのが音楽プロデューサーの仕事と理解している人物では出来ない発想。その展開が嬉しいのである。楽しいのである。ザマミロなのである。

 ああ、だから、”新しい音作り”を当方もすべて否定するものではない。江州音頭が歌われている地元の若者かなんかが、彼独自の美学で電気楽器を操作した挙句に出来上がってしまった、都会からやって来たおしゃれな音楽プロデューサーが一聴、顔をしかめるような暴挙だったらいつでも歓迎したいと思うのである。

 なんか、訳の分からない話をしているかなあ。ともかくよその音楽を自分の都合で弄り回して得意になるのはやめてくれ。という話なんだけど。

モンゴル高原彷徨

2007-03-05 22:50:56 | アジア


 モンゴル人のシンガー・ソングライターなのだが、”騰格爾”をなんと読むのかが分からなかった。
 長いこと、中国人の名のように”騰”が苗字で”格爾”が名前との認識で分けて呼んでいたのだが、どうやらこれ、”TENGGER:テンゲル”と発音し”天”の意味、これ全部でファーストネームらしい。

 そういえば司馬遼太郎の本で「モンゴル人は基本的にファーストネームしか持たず、ファミリーネームが必要になったときは父親の名をもって代用とする」なんて話を読んだ記憶がある。

 モンゴル人と言っても中国領の内蒙古の人であり、中国内で活動している歌手である。1960年生まれ、28歳の時に発表した”我的興安嶺”が評判となり、プロ歌手の道に入る。音楽的には中国のポップス歌手によくあるフォークロック調に分類されるが、ともかくその濁声の迫力が凄い。モンゴル人がホーミーを唸る際のようなガラガラ声でシャウトされると、それだけでもう唯一無二の世界が出来上がってしまう。

 出世作の”我的興安嶺”とはもちろん、中国東北部とモンゴルとの間に屹立する大山脈地帯・興安嶺のことなのだが、彼の歌はこのように広大な大自然や、そのうちに放浪する人間の感傷などが大きなテーマとなっているようだ。

 彼のアルバムは中国語の歌詞の曲の中に何曲かモンゴル語の歌が混じるという、アメリカで言えばテックスメックスのような状態であるのだが、彼の歌の聞き手にどの程度モンゴル民族がいるのか。彼の歌の”受け方”を見ると、彼の持つモンゴル的要素はむしろ、中国人の聴衆相手にエキゾチシズムでアピールする、そのような作用をなしているように思える。

 そんな彼が1991年に出した、唯一全曲モンゴル語のアルバム、”蒙古”は忘れられない作品である。

 冒頭の、ジンギスカンに捧げた頌歌のワイルドさ、喉も破れよと言わんばかりのシャウトに、いきなり魅了されてしまう。
 あとはもう、北京のミュージシャンたちによるロックの音に、むせび泣くモンゴル名物”馬頭琴”の響きが入り混じった独特の騰格爾サウンド(?)が運んでくる、広大な草原地帯に吹きすさぶ風や厳しい大自然のありよう、その只中で営まれる人々の暮らしなどの手触りに触れ、すっかりモンゴル気分に酔うのみ。

 その無骨な感傷の世界に、一時、ずいぶん入れ込んだものだが、実は騰格爾、音楽的にはあまり幅の広い人ではなく、何枚かアルバムを手に入れたら「大体先は見えた」と思え、その後は聞いていないのだから、ファンというのも当てにはならない。自分のことだが。

 いや、その後も新譜を出したという情報やどこそこでコンサートを行なったなどという話題に接するたびに、その後の音を聴いてみようかなどと思うこともあるのだが、世界のあちこちから届く目新しい音の情報にまぎれ、なんとなくそのままになってしまっている。この文章を書いた記念に、今の騰格爾がどんな音楽をやっているのか、ちょっと確認してみるのも悪くないかも知れない。

 我が国で騰格爾が一番”メジャーらしきもの”に近付いたのは、90年代半ばに出したアルバム、”黄就是黄”がミュージックマガジン誌の”輸入盤新譜レヴュー”に取り上げられた時だったろうか。まあ結局、それでも特に話題にもならず終わってしまったのだが。

 そのアルバムの冒頭に収められていた”東方的駱駝”が、印象的ナンバーだった。
 1970年代アメリカのシンガー・ソングライターたちがこぞって歌っていた放浪に関する歌と、大昔、駱駝の背に荷物を積んで砂漠の彼方を目指した絹商人たちの物語がサウンドの上で二重写しになった、不思議な出来上がりのナンバーだったのである。

 ちょうどそのあたりから彼のアルバムを聞かなくなっている私なのであって、なんだか騰格爾が、その隊商に加わってタクラマカン砂漠の向こうに行ってしまってそのまま帰ってこない、みたいな錯覚が心中にあるのだが、このイメージは悪くないので、いや、このまま彼の音楽は思い出のうちに眠らせてしまうのが正解でもあろう。(いやまったく、ファンなんて連中は信用が出来ない)

パオアカラニの花束

2007-03-04 04:54:05 | 太平洋地域


 相変らず昼下がりのひととき、街の周囲に広がる山間部の別荘地帯を散歩気分で車で流して歩いたりしているのだが、今年はこの暖冬のせいで、そこの道沿いに植えられている桜がえらいことになっている。
 テレビの天気予報では桜前線がどうの、なんて話は始まってもいないというのに、当地の桜はすでに満開を通り越して、散り始めているのだ。

 いつも春は別荘地帯の満開の桜がアーチを作った、その道を通り抜けるのがなかなかの快感だったのだが、こう早々と散ってしまっては、そいつを見届ける者もなし、いくらなんでももったいない。見物人が私のような物好きな閑人だけでは、桜もやりきれなかろうよ。 
 などと呟きながら、散り落ちた桜の花びらが染め上げたピンク色の道路をダラダラ走り抜けたりしているのだが。

 そんな際に良く聴くBGMは、以前ここで話題にしたこともあるハワイのウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が、息子の、やはりウクレレ弾きであるハーブ太田Jrと吹き込んだデュオアルバム、”Ohana”である。こいつはのどかでちょっぴり切なくて、やはり良いねえ。

 そのアルバムの2曲目にたまらなく美しい曲が収められていて、その名を”パオアカラニの花束”という。これはほんとに、そのイントロが聴こえると反射的にカーステレオのボリュームを上げてしまうくらい、きれいなメロディラインの曲なのである。

 その切々たる思いを伝えるようなメロディラインから、私は長いことこの曲を恋人との別れを歌った歌なのだろうと想像していたのだ。が、この間、初めて真面目にライナーを読んでみたら、”王座を追われ、幽閉されていたハワイ最後の女王リリウオカラニが、彼女が愛した庭園に咲いた花々で作られた花束を贈られ、それに感動して作った曲”とあり、うわあ、そういう意味のある曲と知らずに聴いていたのかと息を呑んだのだった。

 リリウオカラニ(1838年9月2日-1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王である。1893年、ハワイのアメリカ合衆国への併合を企てた”共和派”が、アメリカ海兵隊の力を借りて行なったクーデターにより実権を奪われ、宮殿に幽閉される身となった。その後彼女は、クーデター騒ぎで人質になった人々の命と引き換えに女王廃位の署名を強制され、彼女はそれに応じ、ハワイ王国は滅亡。そしてハワイはアメリカに併呑される道を歩むこととなるのである。

 まあ、その頃からアメリカはこんな事をしていました、なんて話なのだが。アメリカ人は得意げに言ったのだろう、「ハワイの人々よ。自由の使者アメリカは、王の専制から君たちを救い出した。民主主義の名によって。これからは君たち民衆がハワイの主人だ」なんて事を。そんな甘言を弄しつつ、彼らはハワイの国そのものを奪い去って行く。

 そのような欺瞞が進行する中で、ハワイの人々は宮殿に幽閉されている女王のために、彼女が愛した庭園でしか育たない花々を摘み、花束を作って、彼女に送った。「いつまでも私たちはあなたを愛しています」とのメッセージを込めて。それに応えて囚われの女王が書き上げたのが、あの”パオアカラニの花束”だったのだなあ。それは切ない響きを持つはずだよ。

 ~~~~~

 何万というハワイ人はどこへ行ってしまったのか。
 みな家にとじこもってシャッターを下ろし、この悲しみの日を迎えていた。
 ハワイ人が示した親切な歓迎の気持ちを、アメリカから来た白人たちは裏切ったのだ。
 一つの国家が強奪されるのを、この日ハワイの人たちは見たのである。

 「ハワイ王朝最後の女王」(猿谷要著・文藝春秋)より。

 ~~~~~

 リリウオカラニ女王といえば、あの”アロハ・オエ”の作曲者としても知られる、音楽家としても優れた王族だった。
 この歌といいアロハ・オエといい、彼女の作品にはことごとく、”近代”という荒波に飲まれて滅び行かんとする、古きよき楽園の日々に対する愛惜の念が込められているように感じられてならないのである。

エレキの魂

2007-03-03 05:58:21 | 60~70年代音楽


 エレクトリック・ギターを”エレキギター”、あるいは単に”エレキ”と呼ぶようになったのはいつ頃なのだろう?命名者は誰で、どんないきさつが?全然知らないのだが、どのみちあんまり立派な日本語とも思えない。と言っても、そんな言い方をするな!とかいきり立つほどの意味も無いだろう。まあ、日本でベンチャーズの人気が沸騰し、アマチュアのコピーバンドが日本に溢れた60年代中頃、”エレキブーム”の頃だったのだろう。

 その当時、”かまやつひろしのギターアンプ調整法”なるものを噂話として聞いた。まあ、たわいのないもので、”かまやつはアンプの高音部をすべてカット、低音部を思い切りブーストして使っている。そうすればカッコ良い音がするとイギリス公演の際、学んで来たからである”なんてのが話のすべてだった。

 ギターに夢中になり始めだった当方もすっかりその気になり、かまやつを真似してアンプの高音をゼロに、低音を全開にしてギターを弾いていたものだったが、安物の楽器ゆえ、どれほどの効果が出ていたものか。

 頃はといえば60年代終わり、GSブームも末期にさしかかった頃なのだが、”尾藤イサオのR&B天国”なるテレビ番組があった。ゴールデンカップスなど”実力派”のGSがよく出ていたので欠かさず見ていた。
 番組中の”勝ち抜きバンド合戦”のコーナーなども、”自分と同じように世に打って出る予定の者たちの実力と傾向を知る”という意味においても興味深いものだった。確か、そのコーナーの勝ち抜きバンドから、プロになったものもいたと記憶している。

 そこに出てくるバンドが次々に取り上げていた曲がジミ・ヘンドリクスの”紫の煙”だった。当時としてはその辺りのコピーを行なうのが最先鋭だったわけだが、問題はあの歪みきったギターの音をどうするか、だった。

 すばやい奴は”ファズボックス”などという、まあ、今で言えば雑なディストーションとでもいうべき出始めのエフェクターを仕入れてきて思い切り汚い音をスタジオに響かせていたが、そのようなものを持っていないバンドも多く、彼らはともかく異様な音が出ていればいいだろうとの解釈の元、深過ぎるエコーを効かせて、あの印象的なイントロを引き倒していたりしていたものだ。

 その後、いつのまにかフェイザーやらコーラスやらと、凝ったエフェクターが巷に流れ出し、誰もが簡単に、いかにもそれらしい快い歪みを手に入れることが可能になっているが、そういうのもつまらない気がする。なんかさあ、あまりにも安易に目的地に着いてしまうのって退屈じゃないか。

 などと、昔の不器用な”エレキ”の音が妙にいとおしく思えてきたりするのだ。ギターの音ばかりじゃない、音楽そのものも簡単に”一丁上がり”で、安易なものが、流行りものとして軽薄にもてはやされる世の中にうんざりした時などに。

 (と、他人事のような話をしているが、私も一時、ギターを弾く際の足元に色とりどりのエフェクターを並べて悦に入っていた過去はある、こっそり認める)

 まあ、そのうち、日々の暮らしに取り紛れて楽器に手を触れることもいつしかなくなって行くのが人生と言うものだが。そしてある日、ふと久しぶりにギターを引っ張り出してみる、なんて時には、懐かしの”かまやつ式アンプ調節”を行なう。高音はカット、低音はフルに。エフェクターなんて使わないよ、アンプ直、だね。この渋い音が我がふるさとって気がするよなあ。

 やっぱりかまやつ式音作りがいいな~♪と、この意味不明の文章を”チキンライス”の替え歌で締めておく。

古いお城のものがたり

2007-03-02 05:15:20 | その他の日本の音楽

 今、検索をかけてみたら、これに関してはもう何人かがウエブ上の日記に書いていて、そうか、他の人にも気になっているのだなと頷いてしまったものだが。

 NHKで、もう相当に昔から”みんなのうた”というコーナーをやっているが、歌と映像あいまって、時々妙に心に残る、それもトラウマとして残るような作品を生み出している。あれはなんなの?わざとなの?そうなってしまうの?
 まあ、いいけど。で、これもその一つとして人々の記憶に残ってしまう一作となるのではあるまいかと思われる物件に最近、出会った。

 それは”古いお城のものがたり”という歌で、どうやらウクライナの歌、ということだが、詳細は分からず。確かにスラブ色濃厚なメロディラインではある。歌っているのもエカテリーナなるロシアの女性歌手という事だが、特に外国人風でもない日本語で歌われている。

 夕暮れの街角で迷子になった子供の心の内で鳴り続けているような、短調の非常に物悲しいメロディである。歌詞は、「森の中で古城に迷い込んだ女の子が豪華な舞踏会に迎えられるのだが、それは古城が見せたつかの間の夢だった」そんな物語を詠っている。

 と言っても、どことなく納得しきれない、「え、それで終わりなの?」と拍子抜けするような説明不足の部分があり、もしかしたら当方が歌の裏に秘められた意味をつかみかねているのか、あるいは、放送では省略されているが、実は歌詞にはさらに後半部分が存在するとの事で、それを聴かねば本当のところは分からないのかも知れない。

 歌と一緒に流される映像が凄い。ハンガリーの映像作家による、サンドアートという砂に描かれた不思議なイラストによる動画なのだが、絵の中に染み透った”貧困”や”孤独”のイメージが臭気を発するが如く濃厚で、舞踏会の夢から覚めたのちの女の子を襲う空白感の表現など、ちょっと肌に泡を生じせしめる、の感がある。

 やりきれないもの悲しさを秘めたメロディと、サンドアートの強力なイメージの奔流とがあいまって、深夜、一人でテレビに向かっている際に出会うと、なんだかこちらまで見知らぬ世界に迷子として放り出されたみたいな寄る辺ない気分になってしまう。これを見て、軽いトラウマになってしまう子供がいても不思議ではないだろう。

 それにしても”みんなの歌”って、どういう製作理念でやって来ているのか。あのコーナーに関する思い出話などし合っても、「あれは良い歌だったねえ」ではなく、「あれはなんだったんだろう?」との話題ばかりが出るのだが。いや、それが不満なのではなく、その調子でずっとやっていって欲しいのだが。

 (冒頭の画像は、サンドアート作画中の映像作家、ツァコ・フェレンツ)

ピアノ伴奏要りますか、君が代に?

2007-02-28 02:59:56 | その他の日本の音楽

 え~と、小学校の入学式で「君が代」の伴奏を求められた音楽教師がそれを拒否して懲戒処分を受けた件で裁判が行なわれていて、その結果が出たようですが。あ、今回、政治の話ではありませんので。先に申し上げておきますが。

 では何の話かといいますと、最高裁のサイトにある判決理由の一部に、こんなのがあるんだそうで。あ、判決理由全文は確認してません。すべてネットに公開されているのかどうか知らないし、されていたとしても読み通す根気はないです、すみませんが。
 で、え~、下のような文章です。

”なお、上告人は、雅楽を基本にしながらドイツ和声をつけているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想および良心を有するとも主張”

 このケースでそんなこと言っても特に裁判結果に意味を持つとも思えないけど、音楽の話としては突っ込んでみるのも一興かも。

 つーか、もう少しぶっちゃけた話、”君が代”歌うのにピアノの伴奏要りますか、あなた?”平均律のピアノで”ってあたりに抵触するのかなあ、あの歌をピアノの伴奏で歌うのって、なんか変じゃないか?あの歌にピアノは合わないでしょう。どんなアレンジで弾いても違和感漂う感じだ。

 まあ最近、”君が代”が歌われる現場にあんまり居合わせないので実態が良く分からないんだが、たとえば学生時代なんかは君が代はやっぱりピアノ伴奏で歌われていたんだろうか?あんまり昔で忘れちゃったけどさあ。
 歌われていたんだろうなあ。今の感性で想像してみると相当におかしなものだったろうと思うんだが、どんな具合だったのか、さっぱり思い出せない、ピアノ伴奏。イントロなんか、どんな具合だったのさ?

 ”ドイツ和声をつけている”ってのは、ひょっとして学校の行事ではハモって歌ってるのか?だとすれば、これはほとんどギャグでしょ。あのメロディを西欧風クラシックの理論にもとずくハーモニーとか付けて、似合わないピアノで伴奏までして”斉唱”するってのは。ほとんどブラック・ユーモアの世界だ。

 そのような醜態がいつ頃から晒されているのか知らないけど、これも西欧コンプレックス丸出しの無神経なお役人風日本の近代化劇の一幕なのでありましょう。
 などと考えて行くと、私は政治的意味とか興味ないですけどね、音楽的には、このピアノ伴奏拒否教師に一部賛同したくなりますわな。よくもそんな悪趣味なものを公の場で。

 でもこの教師、もし”国歌斉唱”に異議を持っているなら、あえてピアノを弾いて、その悪趣味に協力してしまうって手もあろうになあ。学校の請うがままに演奏を行なう行為がそのまま、君が代なる楽曲を侮辱することにつながるんだから。
 いや、”政治的意義”ってのは、そういうものじゃないのか。いい加減ですみません、ほんとに政治方面、あんまり興味ないもんですから。

 一方、スポーツの開会式なんかで君が代を聞く機会はいくらでもあるわけですが、こちらの方はおおむね無伴奏で歌手の独唱という形をとる。これが、あの”楽曲”に一番ふさわしい演奏形態って思えますね。

 で、こいつは私の美意識で言えばだけれど、あの歌、合唱そのものにもあんまり向いていないわ。声を合わせて歌われると、それが例の”ドイツ和声”を伴っていなくとも、なんか凄く雑な音楽って印象になる。
 基本、独唱用の歌じゃないのかと思う。これ、君が代の歌詞がもともと和歌であるから、とか想像してるんだけど、どうですかね?

 あと、関係ないけど、以前、右翼の看板掲げているけど実態はどう見てもヤクザ、って連中が君が代斉唱をしている現場に居合わせたことがあるんだけど、あいつら、君が代を思いっきりコブシをコロコロ廻して歌うのもどうかと思うぞ。場末のカラオケスナックじゃないんだから。ある意味、不敬罪にならんのか、あれは?

 ~~~~~

 ○<君が代伴奏拒否>教諭の敗訴が確定 最高裁判決
 (毎日新聞 - 02月27日 18:01)
 公立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を求めた職務命令を拒否し、懲戒処分を受けた東京都の女性音楽教諭(53)が「伴奏命令は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」として東京都教育委員会の処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は27日、原告側の上告を棄却した。国旗・国歌の「強制」を巡る初の最高裁判決で「伴奏命令は思想・良心の自由を侵害しない」として、職務命令を合憲と判断した。同種訴訟に影響を与えそうだ。

S・H氏との論争

2007-02-27 05:31:11 | いわゆる日記


 ひょんなことから今日、思い出すハメになったのだけれど・・・絵本作家、S・H氏と手紙で行った「論争」、あれはもう何年前になるのかな・・・

 そもそもの発端は、彼が発行しているミニコミで述べていた「植民地主義肯定論」に私が反発を感じ、抗議の手紙を出したのが発端だった。そこで述べられていたS・H氏の「論」とは、このようなものだ。

 「ヨ-ロッパがアジアやアフリカ諸地域を植民地化したのは良くない事と言われているが、そうだろうか。良い面もあったのではないだろうか。すぐれたヨ-ロッパの文化が各地に広がり、新しい文化を生んだのだから。悪口を言うより、まず学び、誉めよ。これです」

 ちなみに、彼の主張には「ヨ-ロッパ文化の世界各地への伝播」に関する肯定はあるが、「他地域の文化のヨ-ロッパへの伝播」は無視されている。はじめから考えにも入っていない。ヨ-ロッパの文化を学び誉めよと言っているのであって、それ以外の地域に存在する文化を価値あるものと認めている形跡は、その主張の中には全く認められない。

 たとえば彼、フィリピン人がどこかで語っていたと言う、「スペインは宗教を、アメリカは教育をもたらしてくれた。日本人は、何ももたらさなかった」なる文言を掲げ、欧米によるアジア支配を擁護せんとするのだけれど、では、スペイン人が侵略してくるまで、フィリピン人たちには宗教がなかった、とでも言うのか?そうじゃないでしょ?土着の宗教を圧殺し、むりやりキリスト教を押し付けたんじゃないのか?

 この辺り、ヨーロッパ以外の地域文化の価値を認めず、その存在そのものから無視する、彼独特の論理構造があからさまとなっている。また、アメリカが教育をもたらした、とは何事か?それは、”アメリカに都合のいいフィリピン人”作成のための一行程だったのではないのか?その証拠に、アメリカのもたらしたと言う”教育”は、今のフィリピン人の幸せのために、いかなる貢献をしていると言うのか?

 そもそも、植民地にされる、という事がどんな事であるのか。オランダがインドネシアを領有していた時期、オランダ人の平均身長は数センチ増えた、という。逆に言えば、その分の苦渋を植民地の人々は被ったという訳だ。
 植民地にする、される、というのはそういった事だ。

 それを「ヨ-ロッパの文化が学べて良かったね、無知な土人の皆さん」と言うのか。そしてそもそも、植民地化された人々にはヨ-ロッパの文化に「影響されずにいる自由」はあったのか。それを好ましくない文化と判断し、拒絶する選択肢は、どうなのだ。奪われていたのではないのか。

 まあ、そんな事を書き送ったのですが・・・いや、本当はもっといろいろあったのだけれど、なんか、書いていて脱力してしまいました。全く何の話も通じない論争相手だったのでね。とにかく「ヨ-ロッパ文化は素晴らしい。学び誉めよ」の一辺倒で、他人の意見など聞く意思は全く無し。思い出すのも力が抜けてしまう不毛の一幕だった。

 彼の返事の末尾に書いてありましたよ、「あなたもこちらに来て、カトリックの宣教師たちと話し合ってみたらどうかなあ。皆、いい人ですよ。キリスト教への疑いも晴れるでしょう」と。
 呆れましたね。現場にいるセ-ルスマンの愛想がいいのは当たり前でしょう。

 まあとにかく、この論争を契機にキリスト教を信じる人々に対して私は、大いなる疑惑やら嫌悪やらを感ずるようになったのでした。あの絵本作家のような身勝手で独善的な考え方に、人をさせてしまう宗教であるならば論外であると。 

エチオピアの秋

2007-02-26 04:23:11 | アフリカ


 ”Zion Roots”by Abyssinia Infinite

 あれはもう20年近くも前になってしまうのか、ワールドミュージックなる言葉がまだ新鮮だった頃、それなりの”ワールドもの小ブーム”に乗って世界各地から渡ってくる珍奇な音を、もともとスキモノの私は大喜びで迎えたのだった。
 それらの中でも”最先鋭”と呼び声も高かったいくつかの作品は、現地の音にヨーロッパの、時にはアメリカの、稀には日本のプロデューサーが手を加えた、”ハイブリッド”なものである事が多かったと記憶している。

 それらの音楽の売り出し文句にいわく、「現地の伝統的な××音楽とヒップホップの出会い!」「民族楽器××と強力に渡り合う、スリリングなシンセの響き!」「まさに原始vs原子!」とかなんとか。
 こちらもまた、その惹き句をそのまま信じ、「このさんざめく民俗打楽器のハザマから沸き起こる現地語のラップの、なんと格好よいものか!」なんて感嘆の声を挙げていたものだった。

 が、”ワールドもの”を聴き重ね、自分なりのワールドミュージック感らしきものが確立されてくると、それらのものがだんだん空しいものに思えてくるのだった。なんか、無理やりの空騒ぎではないのか?
 その”話題性”は、その音楽が世界に向けて飛び出して行く際に人々の耳目を集めるため、必要なものではあったのだろうが、しかし、不自然な形で”いわゆる先進国”のプロデュースが加わることは、そんなにめでたい事なのだろうか?むしろ、音楽そのものを歪める余計なお世話だったのではないか?

 そんなものより現地の人々が日常、聴き馴染んでいる、なんでもない”港々の歌謡曲”のいなたい響きの方がずっと好ましい。
 それはもちろん、”ハイブリッド”な音作りのものにも傑作はあった、それはあったのだが。でもまあ私はかなりの数の”音楽の歴史を変える”筈だったアルバムを、いつのまにか色あせて感じられて来て、中古レコード屋送りとした。それも事実だ。

 さて、3年ほど前に出たこのアルバム。主人公の女性歌手ジジはワールドものの敏腕プロデューサーとして鳴らすビル・ラズウェルの奥さんであるエチオピア人である。現在、二人はニューヨーク在住らしい。となればこれも”時代の先端を行くハイブリッドな大傑作”なのかなあと、ある種、不安に駆られつつ聴いてみたのですよ。という感性も捻じ曲がったものかもしれないが。

 まずは、いかにもエチオピアな、まるで日本民謡みたいな感触の曲で始まる。尺八のようなフレーズで絡んでくるサックスとともに、”津軽平野に雪降る頃はよ~♪”みたいなメロディが歌われ、解説を読むと、これはエチオピアの民謡のようだ。

 分厚い響きの打楽器が空間を埋め、それに乗ってジジの歌声が流れる。恐れていた(?)満艦飾のきらびやかななものではない。とはいえ洗練された音作りではあり、エチオピアものに多いアクの強い響きではない、むしろ、なんとなくマダガスカルやらレユニオン、といったインド洋ものを思い出させる、淡い水彩画的な手触りがある。

 ここではアフリカは生々しいものではない。擦りガラスの向こう、そぼ降る雨のむこうから広大な大地が呼びかけてくる感じだ。
 ここでの、ジジにとってのアフリカは何なのか?ニューヨーク暮らしを続けているから、と言っても、そこにあるのは望郷の念でもなし。いずれにせよ、ラズウェルの手により抽象化された”アフリカ”をジジは演じている。

 音楽として好ましいものであるか否かと問われれば、好ましい感触はある、と言わざるを得ないだろう。だが、「これは一体どこの音楽なのか?」といった若干の落ち着かなさもまた、あることは事実だ。
 かって、ブーム全盛期(?)のような派手な演出ではない、むしろ”引き”の印象が強い作りのこの作品、”外国人が手を出した現地音”の新機軸であるのかどうか。
 現地エチオピアの人々には、この音はどう聴こえるのだろうか?このあたりの本音を尋ねてみたいと思うのだが。
 

我が心はハイランドにあり

2007-02-23 03:46:34 | ヨーロッパ


 先日、ブログ仲間の”まーさん”が日記に書いておられた。「セルティックは元々は、サッカーで得た収益をアイルランド移民に救済として寄与するためにできたサッカーチームなんです」と。その一言に、あっ、そうだったのかと膝を叩いた私だったのでありました。

 そうか、チーム名のスペルだって、”Celtic Football Club ”だものな。とっくに気がついているべきだった。

 セルティックとは、あの中村俊輔が所属している、スコットランドはグラスゴーを本拠地とするサッカーのクラブチームですね。検索してみると、確かにカトリック系やアイルランド移民の支持が多いなどの記述に出会います。セルティックは、英国連合が孕む政治的、民族的、宗教的な問題をある種象徴するチームなのですねえ。

 それにしても”アイルランド移民の救済目的”とは。

 ”大英帝国”の隣りに位置し、貧しい島国としてさまざまな辛酸を舐めてきたアイルランド。そして、古くからの”宿敵”たるイングランドに、英国島の主導権争いで敗れ、併呑されて”大英連合帝国”を形成する羽目になったスコットランド。

 そんな辛苦の歴史を刻んできたスコットランドとアイルランドはまた、失われた幻の民族たるケルトの血を引く”同胞”でもあるわけで。
 海峡を挟んで向かい合った”ケルトの末裔”たる両国が扶助の心を持って結ばれた証の一つがセルティックなるサッカーチームである。ああ、これは心中に熱いものが湧き上がる話であります。

 と、ここで、スコットランド人の心の故郷とも言うべき詩人のことなど思い出してみる次第です。ロバート・バーンズ。スコットランドの国民的詩人です。スコットランドの民謡を愛し、37年の短い生涯に書き残した多くの詩は、今でもスコットランドの人々の心に生きています。
 我々日本人に親しい話題としては、「蛍の光」「麦畑」などの原詩は、このバーンズによって書かれた、あたりでしょうか。

 冒頭に掲げたジャケは、そのバーンズ作品をスコットランドのトラッド界を代表する名歌手、アンディ・M・スチュワートが歌ったアルバムです。
 簡素な伴奏にのって、アンディ・M・スチュワートの暖かい歌声が描くバーンズの詩世界に心遊ばせ、ひととき、スコットランドの空を思う冬の日、なんてのがあってもいいですな。

 スコットランド北部に位置する山岳地帯、ハイランド (Highlands)は、ケルト民族の言語や慣習が残ることで知られています。スコットランドの人々の心のふるさとであるようです。最後に、ロバート・バーンズによるハイランドに捧げる詩などご紹介。

☆我が心はハイランドにあり

我が心はハイランドにあり,我が心は此処にあらず。
我が心はハイランドにありて鹿を追う。
野の鹿を追いつつ,牡鹿に従いつつ,
我が心はハイランドにあり,我何処へ行くも。
いざさらばハイランドよ,いざさらば北の国よ。
剛勇の生地よ,価値ある者の国よ。
我何処を彷徨うも,我何処を漂泊うも,
ハイランドの山を我永遠に愛す。

いざさらば山々よ,高く雪におおわれたる。
いざさらば渓谷よ,また下なる緑の谷よ。
いざさらば林よ,また生い茂れる森よ。
いざさらば急流よ,どうどうと流るる川よ。
我が心はハイランドにあり,我が心は此処にあらず。
我が心はハイランドにありて鹿を追う。
野の鹿を追いつつ,牡鹿に従いつつ,
我が心はハイランドにあり,我何処へ行くも。

中村為治 訳 「バーンズ詩集」 (岩波文庫)より