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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

誰かZoricaを知らないか

2007-03-22 01:02:26 | ヨーロッパ


 え~、ルーマニアのZoricaという歌手のアルバムがちょっと面白かったんで何か書いてみようと思いましてですね、とりあえず検索をかけてみたんですよ。ともかく何の知識もない歌手である事だし。どのような活動をしている人なのかくらい、知りたく思いましてね。
 が、これが何も引っかかってこない。いや、”Zorica”なる名義の記事や画像とかはたくさん引っかかってきます。が、どれもこれも私が今回書いてみようとしている歌手のZoricaとは関係のないものばかり。とりあえず分かったのは、Zoricaなる名は東ヨーロッパでは一般的な女性名で、医学上の功績を上げたZoricaって人がいるらしい、なんて、何の参考にもならないことばかり。

 もう、嫌になってきましてですね。芸能人でファーストネームだけで営業している人に言いたいよ。前から思っていたんだが、ファミリー・ネームも名乗った方が良い。かってはシンプルなネーミングの方が親しみやすかったりしたんだろうけど、このパソコンが当たり前の時代、やめた方がいい。検索がうまく行かなくて頭に来るんだよ、まったく。
 今回の場合、ともかく他に検索のキイとなるような言葉がない。そもそもジャケにはルーマニア語しか書いてないから、そうでなくともチンプンカンプンではあるし。

 と、いい加減嫌になって来てですね、もうヤケで、レコーディングに参加しているアコーディオン弾きの名前を彼女の名のあとに付けて検索かけてみたら。ありゃりゃ。それらしきサイトが引っかかってきたので驚きました。
 しかも、音楽のサイトじゃない。どうやらルーマニア料理のレストランの宣伝サイト。で、そこの座付きバンドというのかな、晩餐の合間に出てくる座興バンドで歌っているのがZoricaであるようだ。しかも、そのサイトでは、アコーディオン弾きの男の方が名前の扱いが大きい始末。うむむ・・・

 その記事に添付されていたのが上の写真です。ルーマニア料理のレストランの片隅で、こんな感じで歌うのを稼業としているのがZoricaであるようだ。いや、もしかしたら店の持ち主がZoricaかアコーディオン弾きのどちらかであるような気もする。二人のサイト上での扱いの大きさから想像するに。いずれにせよこれもすべてルーマニア語の記事なんで、なんとなく想像するしか私には出来ないんですが。
 ただ、私の手元にあるCDのジャケ写真に比べるとZoricaがちょっと老け過ぎている気がするんだなあ。ジャケ写真は、もっとアイドルっぽい。まあ、女性の顔の秘密に関してはわからないことが多いし、これはちょっとこっちに置いておきますが。

 でも面白かったんですね、これもまた。Zoricaの歌が生きている日常がどのようなものであるのかに、こちらとしては不用意のまま直面できた。こちらはワールドミュージックの何のと勝手にロマンチックなイメージを抱くけれど、とうのミュージシャンにとっては地道に”お仕事”だったりするんですね。

 私なんかがもし二人の店を訪れて「イスラム圏とキリスト教圏の文化が激突するバルカンの地にあって、さらにラテン民族の飛び地でもあるという特殊な立場にあるルーマニアの、ルーツ系ミュージシャンたるお二人にうかがいたい」とか力んでインタビューしても彼らは、腹の底で(うっとうしい奴が来たなあ。こっちはとっとと料理を食って帰ってくれるのが一番ありがたいのに)とか思うだけかも知れないなあ、と。現実を生きて行くってのは、そういうものなんですね。

 あっと、本末転倒。とってつけたようになりますが、Zoricaの音楽は、ルーマニアの民謡をモチーフにしているんですかね、シンプルで人肌に暖かい楽しいものでした。とかく尖った手触りになりがちなバルカンの音楽としては例外的に、Zoricaの陽気な持ち味の歌声とあいまって、明るい陽が終始降り注いでいる感じ。
 ここで聞かれる、どこか丸っこい印象のメロディは、バルカンではアルバニアあたりでよく聴かれるもので、その辺のつながりも興味深く感じます。

 それにしても参加ミュージシャンは、歌手のZoricaと日常のパートナーであるアコーディオン弾きに加えて、リズム打ち込み役も兼ねたキーボード・プレイヤーがいるだけのシンプルなもの。スカスカの音のむこうにルーマニアの下町のざわめきが聞こえて来そうな。徹頭徹尾、庶民派で嬉しくなる二人であります。いや、ご当人たちはもっとゴージャスにやりたいと思っているんだろうけど、おそらく。

アフガニスタンの古典音楽

2007-03-21 04:01:08 | イスラム世界


 ”Rubab Raga”by Khaled Arman

 これはアフガニスタンの民俗音楽というんでしょうか、古典音楽というべきなんでしょうか。タブラのみをバックの、ルバーブなる弦楽器の演奏もの。北インドの古典音楽の影響濃い、というか私などにはどこが違うのか分かりません。即興性の高い典雅な弦の爪弾きが繰り広げられる。

 ルバーブはメインの弦が三本で、それに付随する共鳴弦が十数本あり、これは旋律弦が爪弾かれるとそれに共鳴して鳴るばかりではなく、伴奏弦としてダイレクトに始終かき鳴らされます。

 シタールと違って使われているのがガット弦であり、それゆえバリバリと早いフレーズを弾かれると一瞬、フラメンコ・ギターに聴こえる一瞬もあり。そういえば北インド音楽から受ける深い思想性みたいなものよりも、もっと直情的な、激情と知ってもいい感情の爆発を感じる瞬間もあり、やはり影響を受けているのは明らかでも、インド音楽そのものではないなあ、と思わされます。

 アフガニスタンという地勢が示すとおり、これはあくまでもイスラム圏の音楽なのでしょう。インド音楽の形式の中でイスラム的激情が燃え上がるというか。

 最後に収められているアフガニスタンの民謡をソースとした演奏はいかにも深山幽谷にこだまする、みたいな旋律が印象的であり、このあたりはアフガニスタンの人々の、生活の中の生の感情がそのまま伝わってくるようで、感動的なのでありました。

 ところでこのラスト曲、早弾きが極まったあたりで、まるでベートーベンの”運命”の一部みたいなメロディが延々繰り出されるんだけれど、これは偶然似ているだけなんだろうか?ジョークでそんな事をやるようなタイプの音楽ではないんで、まさかと思うんだけど・・・

 いや、ほんとにまるでそのまま”運命”の中から引用しました、みたいなメロディが延々と奏でられるのであります。ジャケの解説には何も書いてはないんだけれど。これは気になります。と言いつつ、疑問の解ける日は永遠に来ないんだろうなあ。

Балаган Лимитед

2007-03-19 04:15:00 | ヨーロッパ


 ご紹介しますは”バラガン・リミテッド”であります。

 ロシア民謡を今日風にポップにアレンジして聞かせる、という趣向のコーラスグループ。現地ロシアではそれなりに受けているようで、こちらに伝えられる現地の売り上げベスト10とかに新譜がランク・インしていたりする。
 ほんとなんですかね、この人気というのは?我が国で、民謡中心に歌っているグループが人気を博するなんて考えられないものな。たとえば昔々、我が国でも”赤い鳥”なんてグループが”竹田の子守唄”なんてのを流行らせたりした、あんな感じなのか。

 グループの個性はといえば、まあ、掲げた写真をご覧になれば即、お分かりの通りおめでたいものです。難しい事は言わずにアゲアゲで行こうぜ、みたいなノリで昔の、80年代風の、と言ってもいいかもしれない、そんなやや古めのディスコ・サウンドに乗せて、哀愁のロシア・メロディを歌い上げる。日本人のロシア民謡ファンとしては、もう少ししみじみやってくれないものかと思ったりもするんですが、現地のロシア人の感性とはこんなものなのかも知れず、まあ、しょうがないですな。

 それにしても。今、ちょこっと書きましたが、この”80年代ディスコ風”ってのが面白い。当時、”ジンギスカン”とか、そんな意匠の低俗なヒット曲ってのがあったでしょう。一小節四つ打ちのドスドス打ち込まれるバスドラの音に導かれ、エッホエッホの掛け声もアホらしく、なんとなくロシア民謡調のメロディが歌い上げられる、ヨーロッパ発の軽薄きわまるディスコのヒット曲が。

 まあ、あんなものを論じても仕方がないが、それにしてもあれ、なんでネタは”ジンギスカン”なのにロシア風のメロディだったんでしょうね?昔、東方の騎馬民族に侵略された西欧人の記憶の中ではロシアもモンゴルも区別はつかない?良く分かりませんが。
 なんか、あれを想起させられる部分もないではない出来上がりなんですな、バラガン・リミテッドの音作りってのは。あんな”ジンギスカン”のノリで、ロシア民謡を楽しげに歌い上げてしまう。で、どうやらそれがロシア人たちには受けているようだ。

 ここで、妙な方向へ話が行きますが。

 たとえばアフリカの都市型ポップスなどというものの多くは、逆輸入されたというかアフリカに里帰りしたアフロ・キューバン音楽が根になっていたりする。
 アフリカからドレイとして新大陸に連れて行かれた人々が現地で出会ったヨーロッパの音楽と自らの音楽とをバッティングさせて生み出した音楽、それが時を隔ててアフリカの人々に好まれ、演奏されるようになり、新しい音楽の花を咲かせる。ワールドミュージック・ファン好みの物語です。 

 で、このバラガン・リミテッドの音作りってのも、”ロシアに里帰りした擬似ロシア・サウンド”が元になってるんですかね?あの軽薄な”ジンギスカン”の”ロシア調”に共鳴したモスクワのミュージシャンとかが真似して作り出したのが、バラガン・サウンドなんだろうか?聞いていると、そうとしか思えないんだが。
 そもそもロシア人って、”ジンギスカン”を聞いて、どういう感想を持ったんだろうか?

 なんて、さっきからいくつも”?”マーク出してますが、こんな話題、誰にも興味ないよな、うん。ということで、中途半端ですが、ここでおしまい。

 あ、”80年代風”の件ですが、これはあながちロシアのポップス状況が遅れているって証明ではない。現地には欧米風に言って”今日風”な音も存在しているのだけれど、そもそもロシアの人々ってのは、あの80年代っぽいディスコやテクノの音が根っから好きみたいですな。韓国演歌における、鼻つまんだみたいなミューミュー言うシンセの音愛好現象みたいなものであります。といったって、これも誰にもわからないような話題だが。
 

流れてしまった”イエスタディ”

2007-03-18 03:01:58 | 音楽論など


 ・・・と言うわけで、急逝したスズキヒロミツ氏を痛むニュース報道のバックには、私がいっくらやめろと騒げども、「たどりついたらいつも雨降り」などという、”モップスのフォークソングのヒット曲”が流れるのが定番となりつつ、日々は流れて行くのでありました。情けないなあ。

 私はともかく、ああいった頭の悪い無神経なフォークが嫌いで、そんなものが何でモップスの代表作みたいに扱われねばならないのかと、情けなくなってしまうわけなんです。モップスってロックバンドじゃなかったのかよ?
 だからヒロミツ氏に、「あれは嫌いな歌で、ヒットしてしまったから仕方なく、営業で歌っていただけだ」と言ってもらえて、救われた気分になったわけです。生きて行くには嫌々やらなければならないこともある、それなら理解できるし。けどなあ、死してなお営業が続くんじゃ、やりきれないよなあ。おいたわしや。

 納得できない葬送の曲といえば、昔の話になりますがジョン・レノンが殺された日のことなど、ふと思い出してしまった私なのでありました。
 ジョンが殺された日、それを伝えるニュースのバックに、やたらに”イエスタディ”が流れていたのをご記憶の方もおられるでしょう。

 当時、私も、私の周囲の者たちも、「ジョンが死んだのに、なんでポールの歌をかけるんだよ」と腹を立てていたんですが・・・当時の、特別にロックに関心もない人にとってビートルズの曲と言えば、まず”イエスタディ”だったんですねえ。まあ、「湿っぽい話題だから、静かな曲をバックに流しておけばいいだろ」とか、そんなもんだったんでしょ、テレビ局のニュース担当者の考えとしては。

 けど、”イエスタディ”といえば、あれはビートルズの曲の中でもひときわポール・マッカートニー色の強い、というか完全にポールの曲だ。”オトナの人”に、「ビートルズも良い曲を作るな」とか言われるのが嬉しくてたまらない人の愛玩物。そして、ジョンのアグレッシヴな生き方とは、まるで相容れない奇麗ごとのメロディ。
 そんなものが、よりによってジョンの死を知らせるニュースのバックにかかってしまう口惜しさってのを噛み締めた人も、当時、少なからずいた筈なんだけど。

 でも、その当時って、日本のロック状況なんてそんなものでしたよね。だって、もう、ものすごくあんまりな話なんだけど、同じビートルズのメンバーの認知度を比べてみても、ジョンのそれがポールのそれに追いついたのって、まさにあの事件の被害者となり、悲劇の主人公となってから、でしょ?

 それまでは大多数の人にとってビートルズといえばポールだった。多くのビートルズのファンにとって、ポールの作る分かりやすいポップなメロディが好ましいものだったし、ジョンって存在は、まあ、どう理解したらいいのか分からなくって二の次だったでしょ?

 それが、突然の悲惨な死というものが、ジョンの社会へ向けての発言や前衛的な表現が受け入れられる素地となって行った。突然の凶弾に倒れ、命を失うことによって、やっとジョンはポールと同じ比重を持って語られるようになった。あんまりな話だけど、我が国におけるジョンとポールの物語って、そんな風だったんだよ、お若い皆さん。

 だからやっぱり、ジョンの死を伝えるニュースのバックには”イエスタディ”が流れてしまったんだなあ。たとえば”イマジン”なんて曲は当時、皆は知りもしなかったんだよ、聞いたこともなかったんだよ。マニア以外は。それがついこの間の話。

 ともかく。流れてしまうんだよねえ。なにかというと”イエスタディ”とか”たどりついたら・・・”とか、そっち方向の曲がさあ。肝心な時に。これが悔しいのよなあ。

30年目の幻滅

2007-03-17 04:49:07 | その他の評論

 文庫本を買っておいたものの、なんとなく読みそこなっていた矢作俊彦の「ららら科学の子」を、やっと読破。つまらなかった。

 30年前、中国へ密航したままだった学生運動の闘士が、”蛇頭”の船で今日の日本に帰ってくる。主人公の目に映る、変わり果てた日本の姿。さて、何が起こるのか・・・なんて物語。きっと面白いと期待していたので、読後、思い切り拍子抜けしてしまった。

 矢作は手持ちの駒、つまり60年代末期の学生運動の挿話やら文化大革命当時の中国の無残話やら、小説の話や映画の話やらを次々に絢爛たる絵巻物として繰り出すのだが、なんだか「ああ、またか」みたいな既視感ばかりが生じてしまうのだ。おお、この退屈さは何だ。意味ありげなケレンばかりが目に付いて、でもその向こうに新しい発見って何も見えてこないんだ。

 ”変わり果てた日本”と”行き過ぎる時代”を前にしてかっこ悪く傍観者の姿勢を取る主人公のかっこよさもまた、すでに見飽きた予定調和の世界としかこちらの心に響いてこない。主人公は見物人に終始するばかりで、それに積極的にかかわるわけでもなし、エンディングも、なんだかとってつけたような”ちょっといい話”で、こんなのつまらん。

 帰国した主人公の目に映る、30年の間に変わってしまった日本の様相などを並べ立てての時代への違和感の表現など、まるでありきたりの文明批判と言う感じで、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
 60年代末、漫画家ダディ・グースとして颯爽と登場した矢作のかっこよさに私たちは、何の疑いも無しに最上級の喝采を送ったものだった。だったのだが。

 ”小説家”となって再び人口に膾炙するようになった彼に、まさに30年ぶりに再会した私もまた、変わり果てた日本と、そのむこうに屹立してくる真実を見てしまったこの小説の主人公と相似形の体験をしたと言えるのかもしれない。
 その結果、分かってしまったもの。それは、”矢作、というかダディ・グースって、かっこつけてただけじゃないの、要するに?”である。

 うん、そう思うよ。かっこいい表現者を演ずる才に長けている、それだけの人。当方、そのように結論つけました。以上。うん、無茶な結論かも知れないけど、こう考えたら、なんか青春時代から抱えてきた憑き物が落ちたみたいでね。だからまあ、むちゃくちゃでもかまわないや、と。

ブラインドバード喪失

2007-03-16 00:15:56 | 60~70年代音楽


 ヒロミツ氏の死去を悼む特別企画として。ヒロミツ氏が彼のバンド、モップスを率いて70年代はじめにヒットさせた「月光仮面の歌」って、ありましたよね。昔のTV番組の主題歌をスロ-ブル-ス形式に変えて歌った他愛ないコミックソング。それをモップスが野音でやったある夜のことなど思い出してみたい。

 時は1970年代の極初期、場所は日比谷の野音、ということで意識のタイムスリップ、の上、読んでいただきますようお願いします。

 今、まさに売れている最中のヒット曲であり、と言うことで、皆、そこそこ喜んで聞いていたのだ、その曲を。が、その途中。
 ギタ-の星勝がデタラメ言語で何やら喋り、それをヒロミツが「月光仮面のオジサンは、こう言っております」とか「翻訳」してみせる、まあ、曲の笑わせ所、そこにさしかかったとき。

 それまでステ-ジのすぐ下で、シンナ-とかやってたのかなあ、寝ころがっていた、年季の入った感じのヒッピ-氏が。いや、古い言い方でフ-テン族と言ったほうが雰囲気が出るが、彼が「ウエアアアアアア」とでも表記するしかない奇声を大声で発したのだ。
 すると、なんとなく。何となく、一瞬、その場の空気が白けた。星勝のデタラメ語も急に元気がなくなってしまい、ヒロミツの「翻訳」も「う-んと。え-と」とほとんど絶句状態になってしまった。
 
 そんなしどろもどろのまま演奏は尻すぼみで終わり、その後のモップスの演奏も、調子を取り戻す事のないままだったと記憶している。

 つまりフ-テン氏は、モップスのステ-ジを奇声でブチ壊してしまったのだ。が、私の心のうちには、なぜかその時、彼に対する怒りはなく、それどころかむしろ、「正しいのは彼のほうだ」みたいな思いがあった。
 おそらく、会場にいた他の皆も同じ思いだったのではないか。皆のあいだにも彼に腹を立てる雰囲気はなく、むしろ急に夢から覚めたように、モップスの演奏が失速して行くのを、静かに見守っていたのだ、なぜか。

 さらに言えばモップスの面々も、恐らくは何らかの思いを味わっていたのではないか。それはたとえば、”後ろめたさ”といったような。でなければ、あれほどのベテランバンドが、客席からのたった一度の奇声で、あそこまで調子を狂わせてしまう筈がない。

 そのフ-テン氏はあの時、まるで、「王様は裸だ」と叫んだ子供のように、その奇声によって皆を、一時、目覚めさせてしまったのだ、と私には思えてならないのだ。
 彼は、おそらくは無意識に、皆に問いかけたのだ。「そんな幼稚な悪ふざけではなく、今、この場で、もっと切実なロックが奏でられるべきではないのか?」と。そして、モップスの面々も含め、その場にいた者すべてが、冷水を浴びせかけられたように、一瞬、無邪気な祭りの夢から覚めてしまったのではないか、あの時?

 もちろん、「何故、彼のその一声が、それほどの力を持ちえたのか?」と問われたら、「ツボに入った」とか「何となくそう思う」等という間抜けなものしか私に答えはないし、その時遭遇した状況を、勝手に自分の思い入れで解釈してしまっているだけと言われればその通りなのだが。しかし、「夢の70年代」の終わりは、もうその頃には始まっていた、そんな気がする。

 その後モップスは、フォーク歌手の吉田拓郎の作になる”たどりついたらいつも雨降り”なるフォーク曲を歌い、”ジーンズと下駄履きの、白いギターを持った気の良いお兄さん”を求める当時の日本の大衆の心情におもねる道を歩き始め、多くの支持を集めた。そして私は、彼らに興味を失っていった。

 言い切るが、モップスはデビュー時、1stアルバムを出した5人組だった頃だけがロックだった。サイケだった。
 まだまだぶきっちょだった黎明期の日本のロックの極北からファズ・ギターの響きとともにやってきて、もう一つの世界の扉を開けてくれたように思えた。当時、田舎で一人、孤独にフィルモアの夢など見ていたロックファンのガキたる私には。
 なのにのち、4人組になってからは坂道を転げるように退屈になって行った。

 と言っても、秘密の鍵を抜けた一人が持っていたって話じゃない。毎度おなじみ、”生きて行くのはなかなか大変なんだよ”って話をしているわけだ。
 こいつに勝てた奴はいないから仕方がないし、これからは4人組になってからのモップスのことは思い出さないでいてあげよう。

嫌いだったんだね、「たどりついたら・・・」が

2007-03-15 02:21:59 | 60~70年代音楽


 モップス時代のヒット曲に、吉田拓郎作の「たどりついたらいつも雨降り」があるが、ヒロミツ氏は「嫌いな曲だけどヒットしたから仕方なく歌っていた」と語っていたそうだ。

 死去を伝えるニュースのハザマでそれを聞いて、なんだか「せめてもの救い」みたいな気分になった。

 昔々、モップスは好きだったけど吉田拓郎は大嫌いで、だからなんか釈然としないものを感じていたんだ。でも、そうかそうか、商売だから嫌々歌っていたのか。それならいいや。

 いや、良くはないけど。まあ、しょうがないやね、世の中、ままならないものだから。

 グッバイ。

 ○鈴木ヒロミツさんが死去
 (日刊スポーツ - 03月14日 14:31)
 歌手やドラマの脇役などとして活躍した俳優の鈴木ヒロミツ(すずき・ひろみつ、本名=弘満)さんが14日午前10時2分、肝細胞がんのため東京都千代田区の病院で死去した。60歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
 1967年、グループサウンズ「ザ・モップス」のボーカルとしてデビュー。「たどりついたらいつも雨ふり」「気らくにいこう」などのヒット曲を出した。
 その後、俳優に転身。「夜明けの刑事」などのテレビドラマや映画などの脇役として多数出演したほか、歌番組「レッツゴーヤング」の司会などで幅広く活躍した。

赤道直下、亜細亜、南欧。

2007-03-14 01:52:29 | アジア


 ”Meriam Bellina Vol.1”

 この人の歌に関して書こうと思い、いろいろ資料を求めて検索してみたんだけど、女優としての実績がほんのちょっと紹介されているだけで、歌手としてはたいした評価をされていないんだろうか?と首を傾げてしまった。冒頭にステージ写真でも貼ろうとしたんだけど、これも”女優”としての画像しか見つからないし。

 ワールドミュージック好きがまず注目するインドネシアの音楽といえばダンドウットだろうが、なぜか私はあんまりその方面に興味がない。タイあたりをはじめとして、他の東南アジア諸国の音楽に関しては泥臭い嗜好であるのに、なぜかインドネシアものに関しては、そのあたりに関心がない。我ながら妙だなと思うのだが。

 で、インドネシアものは何を聞いているかといえば、ポップ・インドネシアを聞いている。要するに土着の臭いのない、都会派のポップスであるのだが。こいつがちょっと良いのだ。気に入ってしまっているのだ。

 赤道直下の島国であるインドネシアで、冷房の効いたひっそりと静まり返った清潔なオフィスで過ごすお洒落な階層のための音楽って感じで、本来の私が好きになるはずはないんだが。まあ、香港あたりの洗練された、アジアの大地から数センチ浮き上がっているポップスの退廃を楽しむのと同じような趣味で好んでいるとでも言えばいいのか。

 たとえばこの美人女優兼歌手であるMeriam Bellinaのアルバムを、なんの予備知識もなしに聴かされたら、どこの国の音楽か分からない人は当然、出てくるだろう。これはポップ・インドネシアの、まあ懐メロ集みたいなものらしいが、その”ノスタルジック”はアジアの方を向いていない。Meriam Bellinaが可憐な声で歌い上げるのどかな美しさに満たされた歌の数々は、不思議な南欧情緒みたいなもので溢れている。

 雰囲気としてはポルトガルあたりのさらに南に無理やりもう一つのヨーロッパの国を作ってしまったような。からりと晴れ上がった空に時を経た石作りの古城が聳え、海を渡って来た風に吹かれて、征服者の王の記念像は大西洋の彼方を指差す。そんな架空の国から聴こえてくる、古きよき時代をいとおしむ昔々の歌謡曲。

 それはかって、インドネシアを植民地支配していたポルトガルがそこを支配した事の”副作用”としてインドネシアの民衆の感性の内に刻印し、そのまま置き忘れていった”ラテンの血のエコー”とでも言うべきものなのだろう。罪深い話なのだが、流れ去った歳月が、理不尽な植民地支配の生々しい罪の行方を曖昧なものにしてしまっている。

 Meriam Bellinaはそれらの感傷を、あくまで自らの土地の伝承として歌っている。その”南欧気分”はインドネシアの人々にとって、もはや借り物でもなければ押し付けでもない、地に足の着いた昔ながらの肌に馴染んだ感傷として成立してしまっている。時の流れという奴は、いつでもなかなかの曲者である。

 その感傷がかって、”ポップ・インドネシア”として洗練された都会の生活者の心情を歌おうとする際に浮かび上がって来ていたという構造に思いをいたせば、長い長い時は流れても”ヨーロッパの旦那方”による当地への魂の支配は続いているとも言え、複雑な思いが浮かび上がらないでもないのだが。
 いや、今日の”ポップもの”が、これは世界各地で起こっているのと同じようにアメリカ文化の支配下にある現実をむしろ憂えるべきなのだけれど。

 (冒頭の写真は、植民地時代のインドネシアの風景)

不可視の煉獄

2007-03-12 22:47:19 | 音楽論など


 ”Le Sacre Des Lemmings”by Tete

 なんかフランスの音楽を紹介する人たちに共通するおかしな雰囲気、というものを私は感じてならないのだが、あなた、どうですか?

 ともかくそれらの人々の文章においては、手放しのフランス賛歌が延々と展開され、音楽を紹介したいのかフランスなる国のコマーシャルをしたいのか、ついにはわからなくなってくる。宗教の勧誘なのかこれは?フランス真理教とか、そういうものの?うさんくさい。どうにも臭う。
 私が最近のフランス発の音楽に興味が持てないのも、そのあたりに原因の一つが確実にある。

 ここでラテン音楽の雑誌である”ラティーナ誌”の07年3月号、「スラム」なるフランスで起こっているムーブメントについて述べた昼間賢氏の文章を例にとる。(ちなみに「スラム」とは、昼間氏の解説によれば”ラップから音楽を取り除いたポエトリー・リーディングの一種”なのだそうだが)

 まず、スラムなるムーブメントへの賞賛が続くのだが、それはそういった類の記事であるのだから良いとして。文章が佳境に入ると、”長らく「自由・平等・友愛」の理想を掲げてきたフランスでスラムが好まれるのは自然なこと”なんてフレーズが飛び出し、「一体今はいつなのだ?」と唖然とさせられてしまうのだ。

 やがて”黒人でイスラム教徒のスラマー”なる人物の「フランス人であることとは、宗教を問わない民主主義的な哲学と常に連帯しているということだ」なんて発言が引用され、ああまた始まったのだなと頭を抱えさせられる。いつの間にか論の主題は音楽ではなく、”フランス”になってしまっている。
 そんな具合に記事は音楽に関する話のようでいて、その裏面に、”異なる宗教や人種を飲み込む度量のある、偉大なるフランス文化”賞賛のメロディを盛大に奏でながら進行して行く。

 他の人々の文章も大体がそんな具合。いちいち引用しているときりがないのでやめておくが、ともかく論の決着するところは常に”フランスは偉い。フランスは偉大だ”であり、この人たちはほんとに日本人か?と、以前、南太平洋で世界中からの非難を横目に行なわれたフランスの核実験など、ふと思い出したりするのである。

 そんなに異なる世界からの流入者に寛容なフランス社会であるならば、なぜいつぞやのように移民たちが暴動など起こすのだと突っ込みたくなるが、それを見越して、すでに”フランス信奉者”の人々からの答えが用意されている。
 いわく、”それこそフランスが時代の最先鋭である証拠である。他の国々は、暴動を内包するレベルにさえ達していない”と。なんだかここまで来ると汚職がばれちゃった政治家の言い訳みたいになってくるが、ご当人は大真面目のようだ。

 これに関しては私が突っ込まずとも、同じ”ラティーナ”07年2月号誌上にインタビューが掲載されている、西アフリカ生まれフランス育ちの黒人ミュージシャン、”テテ”がフランスにおける人種差別に関して重要な発言を行なっていてくれている。やや長めであるが引用する。記事は、各務美紀氏による。

 「今、フランスでは、誰もそういう問題について指摘してはいけない、とっても気味の悪い雰囲気があるんだ。ストレートな表現の歌をラジオでかけてももらえない、というように。(中略)アメリカでの人種差別とフランスでの人種差別はまったく違うものなんだ。アメリカでは誰もが人種差別があると意識していて、コミュニティも混在している。フランスでは共和制の秩序として、個人と民族的コミュニティとの関係を断ち切らなければいけない。(中略)この国でマイノリティが人種差別について何か体験を発言するということは、差別された分の責任を負うということなんだ。”問題を抱えているのはあなただけではありません。それは、あなたの努力不足が原因です。あなたこそ社会に溶け込もうとしていないのでは?あなたの責任です”と。」

 何が”自由・平等・博愛”だろうかと。こいつは巧妙に仕組まれた偽善の煉獄ではないか。

 ”フランス文化に敬意を払い、それを学べば、土人のお前も人間扱いしてやろう”というのがフランス文化の異人種への基本姿勢と当方は認識しているのだが、ここで話題にしている”日本人にしてフランス真理教信徒”の人々というのも、その”フランス文化の関門”の蟻地獄に真っ正直にはまり込み、”フランス文明を称揚すること、すなわち自分の存在証明”くらいに思い込まされてしまっている、ある意味、被害者ではあるまいか。

 などと考察している私なのですが、冒頭にジャケ画像を掲げたテテの最新アルバムを買おうかどうしようか迷っております。興味は惹かれるものの、フランス語の歌が苦手でしてね。いや、もはやフランス語そのものさえうさんくさく聴こえてしまうこの頃なのでありまして。

ディメトリオの”声の歌”

2007-03-10 01:23:42 | ヨーロッパ

 ”CANTARE LA VOCE”by Demetorio Stratos

 とりあえず、このアルバムのジャケ画をとくとご覧ください。天を仰いでハミングするアルバムの主人公、歌手のディメトリオ・ストラトスの喉にもう一つの口が開き、どうやらもう一つの歌を歌っているようですね。気持ち悪いですねえ。

 中に入っている音楽もこんな感じなんですよ。伴奏も何もなし、ただ歌手一人の声のみによるさまざまな声楽上の実験が収められている盤なんです。
 モンゴルのホーミーに影響を受けたんでしょうか、一度に二つの声を出してみたり、もともとディメトリオが探求していたギリシャの古典声楽に元ずく奇奇怪怪な発声法などなど、ともかく”どこまで人間の喉は妙な音を出せるか”に焦点を絞ったかのような不思議世界が展開されている。

 このアルバムを持ってる人なんてものは、思い入れでコレクションに加えているだけで、盤に針を落として音を聞いたりしませんな。こんなわけの分からない音楽、聴いたってしょうがないんだもの。
 でも、だからといってその盤を手放すことは決してない。むしろいとおしがって、レコード棚の一番良い場所にしまっておく。マニアのやることは、やっぱり尋常じゃありません。

 さらに、そんな聴きもしないアルバムを、アナログ盤だけではあき足らず、CD再発されたらそれもさっそく買い込んでるんだから、何を考えていることやら。まあ、そんな連中の一人が、かく言う私なんですが。

 このアルバムの主人公、ディメトリオ・ストラトスは70年代、イタリアで活躍した非常に個性的なプログレバンド、”AREA”の歌手であり、創造的エネルギーの源でした。
 アラブ~バルカンの民俗音楽とジャズロックが地中海独特の太陽パワーを炸裂させつつ、強力にバッテイングし燃え上がった”AREA”というバンドも素晴らしいバンドだったのですが、78年、中心人物のディメトリオが白血病で急死してのち、急速に失速して行きました。というか、バンドの魅力の相当部分をディメトリオが負っていたのだから、それも仕方がない。

 とはいっても諦め切れないファンたちは、ディメトリオが何枚かのソロ・アルバムを残している事を知ると、大喜びでそいつを買い込み。そして。「なんじゃこれは?」と呆れ返ったのです。その盤に収められていたのは、あの素晴らしかった”AREA”のサウンドとは似ても似つかない音楽だったからです。つまり上述の奇怪千万なる実験声楽。そんなソロ・アルバムばかり遺していったのですな、ディメトリオは。
 とは言え、これもまた敬愛するディメトリオの音楽であるのに違いはないのだから、無下には扱えない。

 ここで、我ながら自分の書いている文が可笑しくなってきたのだが、普通はこの”AREA”ってバンドの音楽について文章を書くところです。そのエネルギッシュにしてクリエイティヴな音楽をどれほど愛しているかについて、思うままに。だけど。
 この悲喜劇もまた、書き残しておくのも面白いと思ったのです。”AREA”の話は、何人もの人がすでに書いているしね。

 あの強烈な”AREA”のサウンドをもっともっと聴きたかったのに、何が悲しくて訳の分からん現代音楽もどきの実験声楽に付き合わねばならん、と言いたいところをグッとこらえてディメトリオの残した音源を買い集めるファン。それにしても一枚くらいは、かっての”AREA”のサウンドを彷彿、なんて盤を残しておいてくれても良かったのにねえ。
 いや、からかうような文章を書いてますが、私もそんなファンの一人であるのは間違いないんですから。