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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

バルカン一閃!

2007-04-05 05:28:57 | ヨーロッパ


 ”Vasmalom”

 1980年代の終わりから90年代のはじめにかけては、東欧の一党独裁政権の将棋倒し的崩壊やソビエト連邦の分裂などなど、東ヨーロッパの共産圏諸国が激動した時期といえるだろう。

 そして能天気なワールドミュージック・ファンたるこちらとしても、歴史の大きな変換点に立ち会うことの興奮などもそれなりに感じ、なにより、「このような社会の急変に巻き込まれることにより、東欧各国では、相当に面白い音楽的動きが生ずるのではないか、そして改革が進み、風通しの良くなったそれらの地域からは、新しい音楽の情報も続々と入ってくるのではないか」などと大いに期待をさせられたものだった。

 それ以前に、細々とそれなりに、とでもいう形ではあったが聴いていた東欧やロシアの音楽には、なかなかに期待をそそられるものも多かった。なにより、アジアとヨーロッパ、イスラム教文化とキリスト教文化の激突地帯である。民俗音楽のレコードなどを通して、独特のスリリングな響きを持つ東欧音楽の存在は確認済みだった。

 さらに70年代、すでにフランスのレーベルからその片鱗が紹介されていたハンガリーのトラッド会の動きや、当時の政権に弾圧されつつもその監視の間隙を縫うように活動を続ける東欧各国のロックバンドの動きなど、非常に魅惑的に感じられたものだった。
 これが社会の改革開放によって、より自由に活動を行なうようになれば、激変する社会に生きる刺激なども当然加味もされ、凄いことになるんじゃないか、などなど。

 が・・・現実に90年代の新しい時代の扉が開いてみれば・・・実情は期待したほどでもなく、むしろ、これはまあ私の場合は、なのかも知れないが、それ以前より情報も音楽そのものも入って来なくなったのが実情だった。
 「まあ、社会がそれなりに落ち着くまで、しばらくは音楽どころじゃないのかも知れないなあ」などと、これも新政権樹立のなったアルバニアの地で、なんともレベルの低いネズミ講もどきの騒ぎが起こった事を伝えるニュースなどをテレビで見ながら、呟いたりすることと相成った次第だが。

 そんな拍子抜けの私の元に90年代初めに届けられたのが、”東欧圏初のインディーズのアルバム”なる触れ込み付きの”Vasmalom”のデビュー・アルバムだった。ハンガリーの新進トラッド・バンドとのこと。ハンガリーのトラッド・シーンが相当に意欲的な動きをしているのは先に書いたとおり、フランスのあるレーベル提供の何枚かのアルバムで知っていたので、これは期待できた。

 まだ”アナログ盤新譜”も健在だった時代の話である。やや粗雑な紙質のジャケに収められたアナログ盤の重み。モノクロームで印刷された、男女5人のメンバーが風に吹かれ、ハンガリーの荒野に立つジャケ写真の”ヨーロッパの奥地”イメージが印象的だった。

 そして。盤に針を落として飛び出してきた音は、まさに期待通りに刺激的だった!
 ハンガリーのトラッドをベースとし、バルカン半島各地の独特の音素のさまざまなブレンドを行なったそれは、暗く重い激情に満たされ、歴史に揺籃される東欧の地の奥深くから響いてくる地鳴りのようにも聞こえた。

 電気楽器等を使わず、あくまでも東欧の伝統楽器のみによる音作りであるのも、彼らの音楽的冒険を地に足の着いた仕上がりにし、その凄みを増すことに成功していた。
 独特のイスラミックな旋律を吹き鳴らす木管楽器群と、強烈に小アジア風味を掻き立てるパーカッション群は、音の迷宮としてのバルカン半島を強力に描き出して見せた。

 「こいつは・・・凄いよ」このアルバム、私はその年の年間ベストアルバムに選出した覚えがある。確かに、新しい東欧の歴史の扉を開くにふさわしい作品と確信できた。

 その後、Vasmalomというバンドはいまだ存在し、意欲的な音楽活動を続け、アルバムも私が確認しただけで3枚を数えているのだが、あの時の1stアルバムほどの衝撃はない。センスの良いトラッドバンドによる優れたトラッドアルバムではあるのだが、時代のしかるべきポイントでしか出せない奇跡の音というのは、やはりあるようである。

タタールの娘

2007-04-04 01:41:07 | ヨーロッパ


 ”19” by Алсу

 私のようにロシア・ポップスに興味のあるワールドミュージック・ファンには、いろいろ分離して少なくなってしまったとはいえ、ロシア連邦を構成する各共和国からやって来た歌手なんてものも、なかなかに血の騒ぐものを覚える存在である。そんな次第で、今回はタタールスタン共和国出身の歌手、アルスーのことなど。

 タタールスタンは、ロシア共和国の首都モスクワからシベリア目指して東への旅を続け、行き先にウラル山脈の見えて来たあたりに展開する。アルスーの出身地であるウグルマという街は、あのサハロフ博士が旧ソ連政府の弾圧を受け追放されて最初に幽閉された村より、さらに東にある。アルスーのプロモーション・ビデオなど見ると、彼女の故郷の街を行く人々の面立ちは、かなりアジアの色が濃い。

 アルスーのフルネームはAlsu Rälif qızı Safinaといい、毎度のことですいません、正式な読み方は分からない。顔立ちは確かにロシア娘のそれではない。といって、どのあたりの出身と予備知識無しに当てるのはかなりむずかしく、でも、なんとはないエキゾチックな感じが魅力ではある。

 1983年生まれ、17歳のときにモスクワの音楽シーンにデビューした美女の誉れ高き彼女は、まあ、アイドル歌手と言ってもいいのだろうが、ステージ姿など見るとすっかり落ち着いた風で、もはや大人の風格がある。というか、日本のアイドルのようにキャピキャピした歌など歌わず、一貫して静かなバラードを歌う、それは彼女の芸風というべきか。

 以前にも書いたかもしれないが、ロシアの大衆音楽には、80年代に世界中で流行ったエレクトロニクス音楽の影響がロシア風に洗練されつついまだ尾を引いていて、そのあたりがロシア民衆の普遍的な音の好みと解釈しても良さそうだ。

 打ち込みのリズムに乗ってクールな和音を積み上げるシンセの響きなどによって構成される、ちょっと聞いた感じではスカスカに隙間の空いたそのサウンドは、冷たいようでいて、その裏には一つ突かれると激情の爆発を呼ぶ、なにやら危ない予感を孕んだロシア独特のものだ。

 そんなサウンドの中でアルスーはスローバラード中心の、あくまでもアンニュイな歌の世界を提示してみせる。まるで霧の渦巻く彼方から聞こえてくるような儚さを滲ませ、短調の旋律にほのかな悲しみをたたえつつ淡いメロディは歌われ、それは彼女がやって来た地、東の異郷への憧れなども喚起してみせる。

 ここにあるのが、彼女がまさに19歳の時に発表されたアルバム、”19”である。自作の曲なども含まれた意欲作であり、何より1曲だけタタール語で歌われた”Эткей”のエスニックな響きには血が踊る思いがする。

 現在の彼女は”国際的展開”など目指し、あのフリオ・イグレシアスの息子のエンリケとのデュエット盤をリリースしたり、活動の本拠をロンドンに移して英語版のアルバムを発表したりの活動をメインとしているようだ。

 残念ながら、と付け加えるべきだろう。その作戦が成功するか否かはともかく、”グローバル・スタンダード”を目指した彼女の音楽世界はアメリカ寄りのものに変化し、私などに楽しめるものでは、急速になくなりつつあるからだ。「19」が結局、私にとってのアルスーの最高傑作となってしまうのかも知れない。

鍛冶屋の秘密

2007-04-02 23:59:37 | いわゆる日記

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☆村の鍛冶屋(かじや)

作詞・作曲不詳/文部省唱歌

しばしもやまずに 槌うつ響き
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋

あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)
早起き早寝の 病い知らず
鉄より堅しと ほこれる腕に
勝りて堅きは 彼がこころ

 ~~~~~

 知人がブログで、童謡の”村の鍛冶屋”の歌詞に関する話をしていた。一番の歌詞は聴き慣れていたが、二番の歌詞は改めて聴くととんでもない精神論に突入する、そこがうさんくさくて面白い、と。

 いわれてみればその通りで、いや、”信念は岩をも通す”ってうんざりするような精神世界。
 子供の頃の記憶にうっすらとある”昔の人”ってこんなノリをしていたような気もします。早朝から飛び起きて屋外で上半身裸で乾布摩擦するとか、そういう感性ね。
 
 それを読んで、それならその先はもっと凄いはずだ!と「村の鍛冶屋」の歌詞に興味を持って検索をかけたのですが、ほんとに3番の歌詞は、さらに妙な具合になっている。ちょっと引用しますが。

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刀はうたねど、大鎌・小鎌
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤よ、鉈よ
平和のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と

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 ”平和のうち物 休まずうちて日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と”って何だろう?
 ”平和のうち物”ってフレーズ、末尾の”敵と日毎に戦う”って一語を無害化するために取ってつけた感じが大いにする。
 冒頭の”刀はうたねど”ってのも、訊かれてもいないのに”非武装”を宣言しているみたいで不自然だ。逆に物騒な気がしてくる。

 この歌詞、明らかにあとから一部が書き換えられた気配を感じます。これ、おそらくもともとはバリバリの戦意高揚歌として世に出たものではないですかね。
 それを戦後、世情に合わせて一部を書き換えた・・・んだけど、逆に変な感触が倍増されてしまったって次第かと。

 なにもねえ・・・そんなつぎはぎせずとも、新しい歌を作ってしまえば良かろうものを。昔の人はものを大事にしたってことなんですかねえ。

 検索をかけてあちこちのサイトを覗いてみても、大方は2番の歌詞までで、3番以降は紹介されていないが、これ、意図してそうなってるんですかね。
 ちょっと私なりに”原詞”を創作してみますと。

軍艦うたねど 鉄兜
小銃・地雷に 迫撃砲
正義のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 東亜の敵と

 なんてのはどうですかね?

 そういえば阿佐田哲也こと色川武大氏が、コドモの頃にこの歌を聴いた際の印象をエッセイに書いていた。「大人になったらこんなに辛い人生が待っているのだろうか、と非常に嫌な印象を受けた」そんな趣旨の文章だったと記憶している。こちらは先に書いた精神論への嫌悪だったんでしょうが。

 最後に、歌詞のフルコーラスを御紹介。

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☆村の鍛冶屋(かじや)

作詞・作曲不詳/文部省唱歌(四年)

しばしもやまずに 槌うつ響き
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋

あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)
早起き早寝の 病い知らず
鉄より堅しと ほこれる腕に
勝りて堅きは 彼がこころ

刀はうたねど、大鎌・小鎌
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ) 鋤よ、鉈よ
平和のうち物 休まずうちて
日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と

かせぐにおいつく 貧乏なくて
名物鍛冶屋は 日日に繁昌
あたりに類なき 仕事のほまれ
槌うつ響きに まして高し

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南都夜曲

2007-04-01 01:22:23 | アジア


 ”思想起・郷土口唱文学1”by 李碧華

 台湾の李碧華は好きな歌手だ。湿度99パーセント、みたいな濡れそぼった歌声が透明な悲しみの糸を引いて静かに流れて行く。あの水彩画みたいな繊細な歌の世界が良い。
 80年代末に彼女が発表したこのアルバム、ただ事ではない、みたいなタイトルだが、台湾に古くから伝わる大衆歌の集成、といった意味になるのだそうだ。

 歌われている歌のどれもが、不思議な懐かしさに溢れている。よくある”チャカチャカチャッチャ・チャッチャッチャ~ン♪”みたいな中華のメロディは出てこない。むしろ、日本の懐メロ歌謡曲に通ずるようなニュアンスを持つ歌がほとんどである。とは言え、基本的なところでやはり異郷のメロディなのだなあと感じさせられもし、そのあたりが微妙である。

 封入されている歌詞カードに印刷された台湾の風景写真も、秋の空の下の田園風景、夕日の中のイカ釣り船、交通信号の明かりが滲む夜の操車場といった、日本人である当方の感傷中枢に普通に働きかけてくるものばかりなんだが。

 李碧華の歌声に誘われるままに、古い台湾の思い出を懐かしがってしまってかまわないような、そうでもないような。

 そんな微妙なむずがゆさを心の隅に置きながら聴き進むと、なんだか異郷の見知らぬ街角で、どこからか流れ来る、嗅いだ事もないけれども奇妙な懐かしさを喚起する夕餉の匂いを感じ取りながら、行き先を見失って途方に暮れる迷子みたいな気持ちが芽生えてくる。
 この通りをもう一つ曲がれば見慣れた風景に出会える、そう願って歩を進めるが、広がるのは見知らぬ街角の風景ばかり。

 実際、台湾の文化に触れるたびに感ずるこの不思議な懐かしさはなんなのだ?つまりは、かって我が国がかの地を植民地支配していた、その時期に置き忘れた日本文化の残滓に、こちらの感性が微妙な反応をしているという仕組みなのだろうか。

 収録作の中で一番気に入っているのが、台湾の南に位置する古都、台南市の一夜を歌った”南都夜曲”だ。ほのかな悲しみの漂う、そして、行ったこともない土地へのゆえの無い懐かしさに胸がいっぱいになる、そんな優しいメロディを持つ歌だ。

 古い台南の街の通りに、どこからか人々が賑やかに笑いさざめく声が聞こえている。
 琵琶が嫋々とかき鳴らされ、杯は酒で満たされる。そして、失われた恋に慟哭する人がいる。
 孤独。孤独。人の生涯の真の伴侶は吹き抜ける風だけだ。

 いつか行った事もないはずの台南の街に帰りたい。そして、逢った事もなかった懐かしい人たちに”再会”し、一緒に、初めて口にする思い出の酒に酔いしれていたい。
 李碧華の歌声が喚起する南の古都への感傷に導かれるままに、いたこともない場所へ”帰郷”するシュールな夢に酔う、春の夜なのであった。

Night They Drove Old Dixie Down

2007-03-30 05:18:42 | いわゆる日記


 昨日に続いて、”他人の文化に踏み込んで音楽を奏でてしまうこと”の話なのだが。
 ここでアメリカのルーツ系ロックの最高峰、ザ・バンドの2枚目のアルバムに入っていた、”Night They Drove Old Dixie Down ”という歌をもちだす。

 これはアメリカ合衆国の歴史上の影の部分を題材にした歌、南北戦争に題材を取った、”敗北した南部人による北部人への恨み節”みたいな歌なのである。この歌が昔から気になっていたのだ、私は。
 ”北軍は我々の鉄道を焼き払い、兄の命を奪い、何もかもを持って行った。先祖からの血にかけて俺は復讐を誓う”なんて歌なのだ、ともかく。

 そのような微妙な(アメリカ合衆国における南北問題!)事情を、5人のメンバー中4人が異邦人であるカナダ人、なんてバンドがおおっぴらにアメリカ国民の目の前で歌ってしまって良かったのか?などと、疑問なのである。
 あの歌をコテコテのアメリカ南部の人間が聴いたとして、どのような感想を持つのだろう?「良く我々の気持ちを代弁してくれた」と感謝する、なんて単純な構造にはなっていないだろう、人間の心は。

 それはもっと頑ななものであって、たとえば、「お前ら外国人に分かったような事を歌われる覚えはない!」とか、そんな怒りを覚えたりするのが普通ではないのか。彼ら南部人にとっては、”栄光の歴史”なんかではないのだ、その出来事は。反発を買ったりはしなかったのか、発表当時?

 あの歌を歌っているのがメンバー唯一のアメリカ人メンバーであり、しかも彼はひどく濃厚な南部訛りの持ち主であるがゆえに、そのリアリティで乗り切った、なんて話も聞いたが、そんなものだろうか?こいつはいまだにわからないままである。

ネオンの海を歌うなら

2007-03-29 04:42:38 | 音楽論など


 つけっ放しにしておいたテレビを横目で眺めながらネット相手に無駄に時を過ごしていたら、椎名林檎のライブ特集的なものをNHKテレビが放映を始めた。作品の成立由来に関する長めのインタビューがあり、そこで林檎の、出世作というか彼女のイメージ決定作だったもの、というべきか、”歌舞伎町の女王”等の歌に関して語った内容が印象的だった。というか、私の知りたかったことに関して語っていた。

 彼女自身は、これまで歩んできた人生において紅灯の巷や水商売の世界などに特に親しかったわけではなく、それらの曲が描いていた夜の街のありようは空想の産物であると。

 なるほどなあと頷いたものである。逆に私は地方の温泉地の繁華街で育った者であり、だからあのような水商売ネタの歌などに接すると微妙に感情を刺激されたりする事がある。まあ、ナマな言葉で言ってしまえば、「水商売の街の現実も知らずに、お前ら、勝手な事を言うなよなあ」である。

 「こんなうらぶれた街へ流れてきて」なんてセリフは、それが現実であるし、現実の街の住人もそのような言質を成す場合があるのだからなんとも思わないが、「この街では自分は顔役である」とか、いかにも場慣れたみたいな発言をされると、気に触る部分がないではない。お前がネオンの街の何を知っているというのだ。

 いやまあ、いきり立ってみたところで。芸能界、売れた者勝ちであって、私がこんなところで腹を立てたって、林檎が”歌舞伎町の女王”であるという仮想現実はもはや既成事実(訳の分からない表現だが)と化している。いまさら、仕方がないのではあるが、とりあえず私は、なんとなく納得できないままである。

聖スーダラ王昇天

2007-03-27 23:32:17 | その他の日本の音楽


 巨星落つ。植木等御大が亡くなった。ここ数年、病気がちでおられたのは知っていたのだが・・・

 とは言え植木御大のことであるから、最後のご挨拶にもう一度天空いっぱいに姿を現して呆然と見上げる日本全国民を相手に「お呼びでない?お呼びでないね?こりゃまた失礼いたしましたっ!」と大音声で呼ばわり、改めての御昇天など演じて欲しいと願わずにはいられないのだが。

 戦後の日本が高度成長に向かって走り始めたその時期に生を受けた当方、昭和を彩ったあの秀逸なるコメディ番組、”シャボン玉ホリデー”を基礎教養として育った。
 番組中、コメディアンとして脂の乗り切った姿で暴れまわる若き日の植木等は、まさにアナーキーなエネルギーに溢れ、真正面からの意味でヒーローだった。

 なんとか、”スーダラ節”が日本の新しい国歌として承認されるまで元気でいてくれると信じていたのだが。そいつはまあ、無茶な期待というものだった。

 湿っぽくならない。ウジウジするのはかっこ悪いと教えてくれたのが、植木御大その人だったからだ。ここは植木御大の往年のヒット曲をもって送りたいと思う。

 二日酔いでも寝ぼけていても タイムレコーダ ガシャンと押せば
 どうにかカッコが付くものさ 
 チョッコラチョイとパーには なりゃしねえ あホレ
 ドンと行こうぜ ドンとね
 ドンがららったドンとドンと行きましょう

 (「どんと節」作詞・青島幸男)

 ○クレージーキャッツの植木等さん死去
 (日刊スポーツ - 03月27日 19:51)
 映画「無責任」シリーズなどで知られ、歌手としても活躍した日本を代表するコメディアンの植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日、お別れの会などを開く予定。
 57年から「クレージーキャッツ」のメンバーとして活動。61年に青島幸男さん作詞の「スーダラ節」が大ヒットし国民的人気者に。翌年の「ニッポン無責任時代」に始まる映画「無責任」シリーズで、日本中にブームを巻き起こした。テレビのバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」では「お呼びでない」など多くの流行語を生んだ。
 歌手としては「スーダラ節」のほかに「五万節」「ハイそれまでョ」などのヒットがある。93年に紫綬褒章、99年に勲4等旭日小綬章。
 植木さんは今年1月、食欲不振を訴え、都内の病院に入院。今月8日には一時自宅に戻ったものの、翌9日に再入院。今月中旬には病状が悪化し、この日、妻登美子さんと娘3人にみとられて、静かに息を引き取った。

谷山版の”テルー”

2007-03-26 22:51:33 | その他の日本の音楽


 ”テルーと猫とベートーヴェン”by 谷山浩子

 日曜の朝早くのニッポン放送でフォーク歌手のイルカが司会の”イルカのフォーク堂”って番組をやっている。夜昼とっちがえていて明け方寝る私にとっては寝しなに聞く”超深夜番組”となっている。

 かかるのは、ようするに”年老いたフォーク世代”とかを対象にした番組なんでしょうな、70年代とかの懐メロ・フォークの数々で、まるで私の柄じゃない。ない筈なんだが、さすが私も寄る年波か、それともそのような形で何度も聴いているうち聴き慣れてしまったのか、”風と落ち葉と旅人”なんて女の子二人が歌う爽やかフォークかなんかを聴いて、「こんなのも今となっては逆に新鮮だよな」なんて頷いているんだから弱った話ではある。まあ、そんなものを聴きつつ本の2~3ページも読めば寝付いてしまうのだから、許して欲しい。

 そんな具合で、昨日の朝もベッドに入るなりラジオをつけたのだが、その朝はなぜか谷山浩子が司会をしてた。
 谷山のファンの私としては「しめた、司会が谷山に代わったのか」とか喜んだんだけど、それどころではなかった。イルカのダンナがなくなり、急遽、谷山が代理登板なのだそうだ。そりゃ大変だね。
 イルカのダンナと言っても当方、その顔も浮かんでこないのだが、確かもともとは同じグループのメンバーとしてイルカと一緒にステージに立っていたんじゃなかったっけ。とすれば私も”現役の歌手だった時代”に会った事があるのかも知れず。
 そんな同世代の人間たちが親になり、孫が出来て、やがてある日、死んでいってしまう。
 いやあ、時というのは大変な代物だ。

 番組の中で谷山が、「アニメ映画の主題歌にと提供した歌」といって自分のCDをかけた。あの「ゲド戦記」の主題歌の「テルーの歌」だった。ありゃりゃ、あれは谷山の作曲だったのか。
 どうりで、なんか私のアンテナが反応するはずだ。いや、実はあの歌は気になっていて、でもアニメの主題歌に興味を示すのも気恥ずかしくて、聞かないふりをしていたのだ。谷山の歌であるのなら、大手を振って聞けるわけだよな。いや、谷山のファンという事自体がヤバイのか。

 映画に使われた、新人の女の子が歌うヴァージョンは、青春時代にありがちな自閉気味の心象が表に出ていたが、谷山本人の歌はもっとふくよかな人生への賛歌となっていて、オトナとコドモでは、同じ歌でもずいぶん違うものだな。

 とはいえ、デビュー当時の谷山といえば、そんな具合の自閉気味の少女が心の中で育てた幻想世界で見たものを歌っていて、当時、”お兄さん”から”おじさん”の領域に踏み入れかけていた当方としては、認めざるを得ない自分の現実へのはかない抵抗の意味も込めつつ、その現実拒否具合に声援を送る、みたいな気分で彼女の歌世界を贔屓にしていたものだったのだ。

 やがて時は流れ、谷山は・・・確かもう大分前に結婚もしているよな。そして今、盟友(なんだろう、きっと)の不幸に、ピンチヒッターとして引き受けたラジオ番組の司会を如才なくこなして、自分の歌のプロモーションもしっかり紛れ込ませる。
 そして私は、気がつけば谷山の歌を聞かなくなってずいぶんになるのだった。ずっとファンのつもりでいたのだが、そういえば彼女のアルバムを最後に買ったのはいつだったか。別に、ファンをやめたくなるような、何か気に入らないことがあったわけじゃない、時の経過の中で擦り切れていってしまうものもあるということだ。

 いつのまにか。何もかにもが曖昧になって過ぎて行ってしまう。何がいいとか悪いとかではなく。ただもう時の流れの前で、否応もなく。

 「ゲド戦記」の、まだ英語への吹き替え作業も終わっていないフィルムによる試写会がアメリカで行なわれた際、招かれていた原作者のアーシュラ・K・ル・グィンは日本語のままの「テルーの歌」を聴き、「この歌は気に入ったので、英語版にもそのまま残して欲しい」と言ったとか。その願いは聞き入れられたんだろうか。ル・グィンは、あの歌にどのような幻想を見たんだろうか、などと、ふと思った。

イスタンブールの赤色エレジー

2007-03-25 02:47:46 | イスラム世界


 ”Turnalara Tutun Da Gel”by Ozhan Eren

 ウディ・アレンとエルヴィス・コステロを混ぜたみたいな黒ブチ眼鏡の青年が、ナイーヴそうな横顔を見せているジャケ写真。トルコのシンガー・ソングライター、Ozhan Eren のアルバムであります。

 まあ、ワールドミュージック泥臭派の私としては、このようなジャケは普段は怪しんで近寄らない。”トルコにもアメリカのものと変わらないようなお洒落なポップスがあるんですよ”とか誇らしげに言い放つタイプのミュージシャンっぽい雰囲気漂ってるんで。なんか、いかにもな、「欧米か!」な歌をピアノに向かいつつ歌うのではあるまいか、なんて感じなんで。

 それを何で買ってしまったかといえば。いや、自分でも良く分からないのです。なんかありそうな気配がしたとしか言いようがない。
 まあ、買ってしまったものは仕方がないので、ともかくCDを回転させてみる。と。飛び出してきたのは。意外にもトルコの民俗楽器による厳かなアンサンブルの音だったのであります。

 ありゃりゃ。ジャケのイメージとはかなり離れた土着伝統派の音作り。収められている曲はすべて自身の作詞作曲のようですが、どの曲もトルコの伝統音楽を地味に追求した、落ち着いた作風のものばかり。このしみじみとした感触は、もしかしたらこれってトルコ人の心の故郷に触れるような作品集なのかも、とまで思わせるものがあったのでした。

 ただ、想像通りだったのは、その歌声。なにやら頼りなくフラフラと揺れ動くその声は、地に足の着いた伝統音楽をやるよりは、やっぱりお洒落な都会派の無国籍音楽を歌っている方が納得できる。

 へえ、不思議な奴もいるもんだなあと、イスタンブールの街から見た、アジアとヨーロッパを隔てるポスポラスの海峡に沈む夕日など、そりゃあこちらは行ったことも見たこともないけどよ、思い起こさせる切ない曲など聴きながら首をかしげていたのですが、あっと。日本にいましたよ、こんなポジションにいるミュージシャンが。

 この歌い手、Ozhan Erenって、トルコのあがた森魚じゃないんだろうか?それも、”赤色エレジー”をヒットさせた頃の。ジーンズに長髪で、まるで場違いの演歌歌手たちに囲まれてのテレビ出演などしていた頃の、あがた森魚だ。

 うん、そんな感じがするんだよ。その”民族派”らしくもない頼りなげな歌い方や、若いくせして見事に時代の流行に背を向けて古い音楽に居場所を求めてみたりする、そんな偏屈ぶりとかね。
 いや、Ozhan Erenが本当にそんな奴かどうか、知りませんよ。ただ、その方向で理解してみると彼の存在を納得しやすいってだけの話なんですが。

いかすじゃないか、西銀座駅前~♪

2007-03-23 01:09:35 | その他の日本の音楽


 何となく気になっていた今村昌平の昔の映画を見る。ケーブルテレビで行われた今村作品特集において。

 フランク永井のヒット曲絡みの「西銀座駅前」である。よくタモリが「ABC,XYZ、それがオイラの口癖さ~♪とかいうけど、そんな口癖の奴ぁいない」と、その妙な歌詞をからかっている唄である、”西銀座駅前”とは。
 そもそもが昭和30年代、東京は西銀座方面で開店したデパートのキャンペーンソングだそうで、それが思いがけずヒットしてしまったので便乗して作られた歌謡映画(なるジャンルがあった、当時は)なのだから、これはもう、いい加減な代物にならざるをえないだろう。実際、上映時間も1時間ほどで、作りも軽い軽い。

 戦争中、兵士として赴いた”南洋の島”と、そこにおける”原住民の娘”との恋愛のごときものの思い出が、白日夢として頻繁によみがえり、本業である薬局の仕事も上の空の男が主人公。一方、その妻は、まだ幼い子供の”お受験”に熱中し、ダンナを健康のためにと、新発売の薬漬けにしている、高慢ちきな女、という構図。
 妻がご執心の”戦後日本の新生活”を象徴する新薬と、ダンナが憧れる未開の島、この対比によって文明批評でも繰り広げるかと思いきや、そこまで深いものはなし、とりあえず話の運びの都合上、そんな設定にしておこうか、程度のものである。

 ダンナはある日、キャバレーのホステスを酔った勢いで連れ出し、モーターボートで海に乗り出し、そして(そうなるだろうと万人が思うとおりに)海路に迷い、潮に流されるまま、怪しげな島に漂着する。そこはどこか、彼がいつも見る”南洋の島”を彷彿とさせないでもない場所である。仕方なくホステスと彼は、その島で一夜を明かす羽目と成り、そしてこれもお定まり、ホステスは彼に性的アピールを送るのであるが、不器用な彼は、その気はあるものの要領を得ない対応しか出来ず、ブザマな失敗を繰り広げるのみ。
 そしてもどかしい一夜は明け、二人が島を探検してみると、そこは何のことはない、・・・であった、なる、腰砕けオチの作品。

 でも、なぜか私は、その、まあいわばたわいない映画を見るうち、切なくなってきてしまったのですなあ。
 ドラマのバックに描かれる昭和30年代の日本の風俗が、私の幼年時代の記憶を喚起する部分が多々あるってのも大きいのだが。こんな風に、ようやく戦後の荒廃から立ち直った日本人は、たわいない笑劇に興ずる余裕さえ手に入れかけていた。でも、まだまだ現実は映画のレベルに追いついてはいず、日本人の大方は貧しくて、でも、豊かであろうとする夢は疑う事もなく持っていて、そんな夢を象徴するものが、たとえば”西銀座駅前のデパート”だった。
 そんな時代に日を送る人々に見守られながら、私は、頑是無いガキとして育って来たのだった。そうだったのだよ。切ないなあ。そんなものを客観視する能力など、もちろん、当時の自分は持っていなかったのだ。当たり前だが。

 ”元ネタ”であるフランク永井は語り手として、ある時は駅員、ある時はパン屋の主人と姿を変えては登場し、たびたび画面に向き直り、展開されるストーリーをまぜっかえすように皮肉な解説を加える。そんな彼がラストシーンにおいて、当たり前の顔をしつつ、にこやかに笑いながら、吸いさしのタバコを路上に投げ捨てるシーンがあるのだが、もちろん、今日ではタバコの投げ捨てはご法度です。無駄に使い捨てることの可能な世界など無いと皆が知ってしまった今日においては。

 あの頃のあの人々は、どんな楽園にたどり着いたのか。何を手に入れるための、我々の日々だったのか。映画が無邪気に明日を信じる能天気な代物である分、なにやら物悲しい気分は五割り増しとなってしまうのである、気まぐれに時代を振り返ってみた者の胸中では。