goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

書評・歌声喫茶「灯」の青春

2007-05-17 03:09:59 | その他の評論

 ”歌声喫茶「灯」の青春”丸山明日果・著 集英社
 
 もちろん私は、それに青春を燃焼させたなんて世代ではないのだが、その現場での盛り上がりを伝えるニュースくらいなら子供の頃に見たことはある。
 店に集まった若者たちが声を合わせ、アコーディオンなど持ったりした”歌唱リーダー”に導かれるままに、ロシア民謡やら、その時々の流行り歌など熱に浮かされたように歌い上げていた。いわゆる歌声喫茶。

 昭和30年代に人々の間で熱に浮かされたように支持され、隆盛を誇った不思議な音楽運動、とでも呼びたい現象。あれは何だったのでしょうね?
 ふと不思議になることがあり、また、どうやらそこで歌われていたメニューの中心に位置したのが、毎度すみません、私の偏愛するロシア民謡であったりすることもあって興味を惹かれてもいたのだった。

 そんな私なのだけれど、その内幕を描いた好都合なノンフィクションを読むことが出来た。
 これは、ひょんな事から自分の母が”歌声喫茶”の創立メンバーであったのを知った著者が、そんな母の青春の軌跡に興味を惹かれ、その足跡を追い、ルポをものにしようと試みる物語。

 まず提示される、自らの進むべき道を探しあぐねる、若き日の懊悩の内にある著者の姿。
 読み進むうち、著者自身とその母、どちらもが”わたし”なる一人称で描かれ、二人は時に区別が付かなくなったりする。これには若干の混乱を味あわされる。
 が、著者は、若き母親の日々の情熱に自分を重ね合わせるようにして取材対象に迫っているので、これはこれで一つの表現と受け取るべきだろうし、実際、不思議な描き方ながらも、そこに奇妙なリアリティを創出してもいる。

 そして、関係者を訪ね歩くうちに浮き彫りになって行く、高度成長期に向かって走り出した日本において、”うたごえ喫茶”なる不思議な場で燃え盛った青春の群像。いや、当時、その実際がどのようなものであったのか、これを読むだけですべて把握できるものではないけれど。

 それはおそらく、戦争の暗雲が去り、やって来た”戦後”の自由な空気の中で、不器用ながらも人々が抑圧されていた人間性を回復して行くために行なった一つの通過儀礼だったのではないか。
 それにはまた、そのような人々の素朴な人間性なるものが、やって来る高度成長の時代に飲み込まれ、次なる日本構築へ向けての国家揚げての作業に再編成され吸収されて行く予兆を感じ取っての、不安の叫びも含まれていた、とするのは穿ち過ぎだろうか。

 時空を超えて様々な情熱が絡み合い、疾走する様を見るような、不思議なまぶしさに満ちた本だった。

帰れる故郷、帰れぬ故郷

2007-05-15 01:54:51 | イスラム世界


 ”Ya-Rayi”by Khaled

 シェブ・ハレドという歌い手に対する、アラブの現在進行形の大衆音楽を世界の舞台に引き上げた男という栄誉は、時代が変わろうと変わるものではないだろう。

 1990年代に、北アフリカはアルジェリアのアラブ人たちの一部に愛好されていたローカル・ポップス、あるいは単なる不良の音楽だった(?)ライ・ミュージックは、フランス人の辣腕音楽プロデューサーの演出下でハレドの発表した”クッシェ”なる大ヒットアルバムによって世界上の音楽ファンの耳元にまで到達した。それに関心を示したか否かは、人によって違うだろうが。

 とりあえず私は、最先端の今日的なダンスミュージックとしてパワー・アップされたアラブの大衆音楽の妖しさ、激しさに大いに血が騒ぐ思いをしたものである。

 その後、シェブ・ハレドが歩んだ道は、あまり気楽なものでもなかったようだ。なにしろヤクザな大衆音楽などには政治的、あるいは宗教的になかなか厳しいイスラム世界の出来事である。ハレドは彼の主戦場を、アラブ移民の多いフランスはパリに移していったようだ。

 ようだ、というのも気のない話だが、当方もハレドに関しては”アラブのポップス入門の際に世話になった人”みたいな認識で済ましてしまい、その後、エジプトはどうだ、モロッコもなかなかいけるぞ、などと浮かれ騒ぐうちに彼の存在をなんとなく忘れたみたいな形になっていたのだ。

 そのような日々を過ごしていた2004年、手元に届けられたハレドの新作が、この”Ya-Rayi”である。中身を聞く前から妙な予感はあった。イスラム圏には珍しい、酒や女やクスリを多くテーマにしている不良の音楽である”ライ”のヒーローである彼のアルバムは、ジャケ写真もそれなりに人相凶悪に、無頼の面影を漂わせて来たのだが。

 今回はご覧のように、髪も短く刈り込み、人の良さそうな微笑を浮かべた普通のオジサンの顔をしたハレドが大写しになっている。飛び出してきた音楽も、いつもの不穏な響きのアラブの下町音楽とは様子が違い、ある種の落ち着きに満ちている。
 何でもこれはアルジェリアの歌謡曲とも言うべき存在の音楽、シャアビなるものだそうで、つまりは怒れる若者、地に足をつけて伝統に還る、といったところか。

 もちろん、ハレドの歌はいつものように熱く、バックのサウンドにもさまざまな刺激的な工夫がこらされていて、大いに聴き応えはあるのだが。だが、どのような考えがあってこのような方針転換を図ったのか、それは分からず。
 今、改めて聴き直し、同じようにアラブ・ルーツのフランス移民の魂を歌う男、ラシッド・タハが昨年発表した、やはりアラブの伝統への回帰作、”Diwan 2”のことなどに思いが行った。

 あのアルバムで、タハは故郷の音楽を改めて演じてみせた結果、逆に彼にはその”故郷”がもう帰れぬ場所である事を露呈してしまっていると私には感じられた。おそらくは長いフランス暮らしのうちに、彼の感性はもうアフリカの根を失い、彼がパリで異邦人であるのとまた別の意味で、タハは北アフリカでも故郷へ回帰する能力を喪失した異邦人である。

 その一方、ハレドのこのアルバムでは、ハレドと北アフリカを結ぶ臍の緒はより太いものだったように実感される。”シャアビ”は、ハレドの帰郷を大きく手を広げて迎え入れ、ハレドもそれに答えるように豊かな伝統音楽の花を咲かせているのだ。何の不安も矛盾も感じさせることなく。

 二人の間にそのような差異が生じた次第にはそれなりの事情があるのだろうが、それについて語るほど、私は二人の来歴に詳しくはない。どちらの人生がより幸福だろうかなんて話は、もとより余計なお世話だ。

 はじめから異邦人としてアラブの音楽を聴いているこちらの立場としては、タハのような不安の立像としての音楽が、より親しみやすく感じられるのだが。いや、これだって異文化誤解の一変種でしかないかも知れず。ハレドの豊饒に素直に身を任せるのが本来のリスナーの姿勢かも知れず。いやまあ、勝手にやるしかないのですがね。

 それにしても長の年月。あいつはああなり、こいつはこうなり。ワールドミュージックもそれなりの時を刻んだ。

未来都市ソフィア

2007-05-13 05:16:47 | ヨーロッパ


 ”Bonba”by Maxima

 え~い、画像が見つからない!ということで、ヤケクソでブルガリヤの切手の絵など貼っておきました、すいません。
 ブルガリアの女性3人組のコーラスグル-プが出したアルバムについて書こうとしたんだけど、この3人の画像が、ネットのあちこちを探し回っても見つからない!

 特にマイナーなアーティストを探しているわけじゃなく、現地では普通にアイドルグループのはずなんですけどねえ。彼女らに関する画像も記事もさっぱり検索に引っかかって来ず。
 まあ、いつものことなんですけどね。これもワールドもののファンの悲哀か。それとも、何かこの手の情報を探し出す要領があるんですかねえ。ご存知の方はご教示を!

 まあ、ブルガリア語をはじめとして、読めもしない外国語のサイトを眺めても何が分かるわけじゃありませんが、ここに貼るアーティストの画像くらいは見つかるだろう。え?CDのジャケをデジカメででも撮ったらいいじゃないか?はい、そうしたいのは山々なんですが、現在、予算の都合でその手のものを買う余裕がない。情けないね、どうも。

 というわけで。気勢があがりませんが。

 以前、「ロシアあたりの大衆音楽は、こちらで言ったら80年代辺りに流行ったエレクトリック・ポップスの影の非常に濃いものが多く、どうやらこれは、世界標準に連中が後れを取っているとかそういうことではなくて、現地の人々の好みがそのようになっているようだ」なんて事を書きました。

 ここに取り上げるのは、これはやっぱり現地ではアイドル歌手なんでしょうね、我が国のそれと比べるとオトナの色香が漂い過ぎですが、おねーさんたち三人組のコーラスグループ、”Maxima”であります。

 サウンドはまさに、ドビビビビビビッと繰り出される打ち込みリズムとシンセの無機的な響きが印象的なエレクトリック・ポップス。そいつに乗って三人が妖しげにハモるのは、東欧風といえばいえそうな、くらいの民族性を窺わせつつ、のマイナー・キイの歌謡曲っぽいダンスナンバーであります。

 以前、アジア=アフリカを横断するかたちでイスラム教の信仰領域に沿って展開する演歌系コブシ音楽の存在など指摘して見せた人がいますが、そのようなかたちで”ユーラシア歌謡曲ベルト”なんて考えを提示したくなりますが、まあ、あまりに広漠たる話なんでおいて置くとして。

 ブルガリアの音楽というと、例の民俗コーラスなどに注目が集まる仕組みになっていますが、ポップスを追いかけているとむしろ、この打ち込みビートバシバシと響き渡るモノクロームな手触りの電子ポップスに出会ってしまう。

 この無機的なリズムと、ほのかに哀愁味を漂わせつつ流れて行く東欧メロディの取り合わせには、なんとなく私が子供の頃に愛読していたソビエトのSF小説に描かれていた未来社会など想起してしまうのですね。灰色の空の下に広がる、鉄骨剥き出しの未来都市の風景。懐かしいようなもの悲しいような手触りのシュールな幻想が広がります。

 なかでも、タイトルナンバーの”Bonba”は、ひときわ酔いが深い。これはラテンのイメージで作られた曲なんでしょうか、彼女らのレパートリーの中でもひときわ明るい感触の歌で、モノクロの未来都市でロボットがピコピコと陽気なダンスを踊る姿など浮かんできます。この不思議なSFっぽさが嬉しくて、何度もこればかり聴いてしまうのでした。

 ただ、この曲で製作サイドが意図したのであろう南国の陽光は、私には感じ取れません。やっぱり広がるのは灰色の空で。かの国の人々には、そうでもないんですかね。
 遥か遠きドナウの彼方ブルガリア。私にとってはいまだ、SFの一部だったりして。

赤いレイ

2007-05-12 04:27:51 | その他の日本の音楽


 ”ベスト・オブ・大橋節夫”by 大橋節夫

 大橋節夫のオリジナル曲集というのを聴いてみたわけですよ。と、いきなり言ってもなんだか分からない人のほうが多いでしょうね。大橋節夫とは戦後日本のハワイアン界の大物で、ほら、加山雄三の”お嫁においで”ってあるでしょう。あれのアレンジをしたのがが大橋節夫です。あのイントロのスチールギターの響きなんか、まさに大橋節夫ワールド。

 とか、分かったようなことを言ってますが、さすがに日本ハワイアン音楽史とか、詳しくはないですけどね。

 この大橋氏のオリジナル曲というと、有名なのはやはり”秋の夜は更けて~♪”でおなじみの、「幸せはここに」でしょう。マイナー・キイの哀愁に満ちたメロディは、実に日本人好みの架空の、ちょっぴり哀しげな”南国幻想”を現出していました。

 まあ、そちらの方は残念ながら私の趣味ではなかったんですが、まだ青少年の頃に、ある初老のラップスチールギター弾きから教わった、ちょっと良い曲がある。”赤いレイ”っていうんですが。こいつはいかにもハワイアンらしい爽やかで愛らしいメロディを持っていました。

 日が落ちてから夏の砂浜を散策しつつ何の気なしに口ずさんでいる、なんてのが似合いの気のおけない小曲。いかにもウクレレ片手に作った感じの。
 歌われているのは、レイに託した夏の日の恋の思い出、ひと夏だけの”あの子”との思い出という、まあ定番の歌詞ですね。

 季節を過ぎて色褪せちゃった清涼飲料水の夏のセールのポスターが秋風に吹かれてヒラヒラしているみたいな、過ぎ去ってしまった恋の感傷がサラリとまとめられていて、、なかなか粋な歌でね。

 万人の感動を呼ぶ大げさな大作より、こんな風に、散歩のときにふと口ずさんで、ちょっぴり胸の奥に甘酸っぱいものがよぎったりする、そんなのが本物のポップスと信じられた。そんな歌が好きなんですよ、私は。

 だから私は、「大橋氏は、あんな歌をもっと作っているのではないか。もし他の作品もあるのなら、聴いてみたいものだなあ」とか願ったものでした。でも当時、さすがに戦後日本のハワイアン・ブームなんて過ぎ去っていたし、大橋氏のレコードなんて手に入らなかった。

 やがて時の流れに流され、いつのまにかそんな想いも忘れてしまった頃、大橋氏の訃報がもたらされんでした。(大橋氏は第2次世界大戦の末期、特攻隊の隊員として出撃命令を受け取り、が、出撃の数時間前に日本が無条件降伏して命をとりとめた経験をもっておられる。そんな世代に属します)

 そして没後、発売されたのが、この”大橋節夫オリジナル・ヒット集”と副題を打たれた大橋氏の自作自演曲集だったのですね。
 で、親類縁者でもないのに遺産を貰っちゃったみたいな気分で、このアルバムを聞いている次第です。

 やはり良いですね。中にいくつも収められていました。期待したとおりの、”赤いレイ”に通ずるような、海辺の仄かで儚い、そしてまるで重苦しいリアリティなんかはない、水彩画で描かれた絵葉書の絵みたいな歌の世界が。

 大橋氏がナウいハワイアン音楽のスタートして鳴らしたのは昭和30年代でしょうから、その当時のものはやはり古い印象を受けてしまうのは仕方のないところで。

 なかにはマヒナ・スターズなんかにも通ずる、やや歌謡曲臭の強過ぎるものもあり、いやそういう音楽そのものを否定するわけではないんですが、やはり私は”赤いレイの大橋節夫”のファンですんでね、お許しを願って、そのあたりはパスさせていただいておきます。

 それにしても驚いた、というかどぎまぎしてしまったのが、このアルバムではじめて聴いた大橋氏の歌声でした。そのスチールギターのプレイと同じく、ビシッと決まったプロらしい歌声を想像していたのだが、聴こえてきたのは、なにやらヒラヒラと空を掴むような、そう、加藤和彦なんかを想起させるような茫洋たる歌声。それが逆に生々しくてね。
 
 あんまり”歌手”としての表現に主眼を置いていなかったのか。いやいや。変に気張って歌ったりするのは粋じゃないと江戸っ子の大橋氏は考えておられたのかも知れませぬ。だから私もとりあえずこの文章、とっとと終わっておくことにします。

神よ、エストニアを守りたまえ

2007-05-10 03:19:30 | ヨーロッパ


 ”Inspe”by Inspe

 いわゆる”バルト三国”の一角であるエストニアのトップ・プログレバンドの1983年度作品。今、手元にあるようにCD化されたのが1999年ということで、つまりこの作品が世に出たのは、エストニアがまだ、嫌々ながらソビエト連邦を構成する一国となっていた時期であり、CD化された頃にはソ連邦は崩壊、エストニアは晴れて独立国となっていたという次第だ。

 ソ連と地続きであったとはいえ、血縁としてはむしろ北欧に属するというエストニアらしく、このアルバムで聴ける音も、いかにも北の国らしい静謐が漲っている。いわゆるシンフォニックなプログレの王道を行く作りで、今聴くと、やや時代錯誤の気味も漂うのは、まあ、致し方ないだろう。

 冒頭、ギターが透明感のあるフレーズを早弾きしながら突き進んで行くあたりは、北国の雪原に嵐が吹き荒れている様子の描写かとも思われ、なかなかエキサイティング。
 一転、フルートやリーコーダーがフィーチュアされる、童話の世界を想起させるファンタジックな場面などは、”北欧ロック”としてのInspeの面目躍如たるものがある。

 作品全体に響き通すのが、なんとも柔らかな印象のシンセの響きである。北国の、白夜の底にほんのりと光を放ちながら続いている雪原が目に浮かんでくるような。その響きがあまりに優しいので、あとで思い出すInspeの音と言うと、このシンセの音ばかりとなってしまう。

 ジャケを開くと8人の構成メンバーの写真があるのだが、学生っぽいというか、なんとも生真面目な”研究者”の様子をしていて、そのあたりがいかにも”旧・共産圏のロックバンド”の雰囲気を漂わせている。まあ、要するにダサいわけですな、ある意味。そこがいかにも、であって、辺境ロックのファンはむしろ嬉しくなってしまうんだから弱ったもので。

 共産圏のロックに興味を持ち、苦労しながらアルバムを集めて聴き始めた頃は、そんなミュージシャンたちの写真に触れるごとに、”自由な音楽表現がなかなか叶わない社会体制のなかで自らの音を求め続けた彼ら”の苦闘の物語も込みでその音を聴き、感動などしていたものだ。

 それなりの情報も入るようになり、アルバムも比べものにならないくらい容易に手に出来るようになった今、それら”共産圏ロックの伝説”には、真実だった部分も、勝手な想像にもとずく作り話だった部分もあったと知った。なんだそうだったのか、とは思ったが、そのようにして異郷の音楽に入れ込んで聴く機会を得た事を、損をしたとは思っていない。

 このアルバム発表の数年後にエストニアを含むバルト三国は、ソ連からの分離独立を求めての闘いを始める事となった。当時、テレビのニュースで、エストニアで行なわれた、分離独立を要求するロックコンサートの様子を見た事がある。

 ”対岸の同胞”であるフィンランドからやってきたロックバンドなどをゲストに迎えて行なわれた、そのコンサート。エンディングはピアノに向かったエストニアの人気ロック歌手が歌い上げる、「神よ、エストニアを守りたまえ」なるゴスペル調のナンバーだった。

 それから時代は一回りも二回りもして。だが、先日とどいた下のニュースを読む限り、独立成ったとは言え、いまだエストニアの苦悩は続いているようだ。強い国力を誇る国々のハザマに生きる小国の苦しみは尽きる事がないかのようだ。
 なんとか、ひどい事にならずに事態の解決の道が見つかる事を祈る。

 ~~~~~
 
 ☆エストニアVSロシア、緊張高まる

 エストニアの首都タリンで先月26日から27日にかけて発生したロシア系住民らと警官隊の衝突をきっかけに、ロシアとエストニアの間で緊張が高まっている。
 モスクワのエストニア大使館前ではプーチン大統領の親衛隊集団が27日から連日、抗議集会を開き、大使館は2日、主要業務の中断に追い込まれた。
 カリユランド駐露大使は同日、記者会見し、欧州連合(EU)と対露制裁を協議していることを明らかにした。

 エストニア政府は先月26日、国会決議に基づき、タリン中心部にあった旧ソ連兵の記念碑を撤去し、郊外の軍人墓地へ移転する作業を開始した。
 これに抗議するロシア系住民が同日夕から記念碑周辺に集まり、解散させようとした警官隊と衝突。1人が死亡、市民44人が負傷したほか、一部が暴徒化して市内の商店を襲撃。計約1100人が拘束された。撤去は先月27日に完了し、今月8日に移転先での記念碑の除幕式が予定されている。

 エストニア国民の約3割にあたるロシア系住民にとって記念碑は、第二次大戦後、エストニアをナチス・ドイツから「解放」した誇りあるソ連の象徴。
 だが大半のエストニア人には旧ソ連による占領の象徴で、毎年5月9日の戦勝記念日には、記念碑周辺で双方の小競り合いが続いてきた。

 ロシア側は「歴史の書き換え」などと反発し、上院は27日、政府にエストニアとの国交断絶を要求。プーチン大統領を支持する親衛隊「ナーシ」などの若者約100人が、モスクワのエストニア大使館前で深夜まで大音量の音楽を流して抗議集会を開き、「指名手配・ファシスト国家の大使」と記したカリユランド大使の似顔絵を市内各所に掲示するといった嫌がらせを続けている。(毎日新聞・5月3日)
 
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070503k0000m030040000c.html

港町十三番地

2007-05-09 04:52:47 | その他の日本の音楽

 ”港町十三番地”by 美空ひばり

 我がブログの名はワールドミュージック町十三番地というのだが、もちろん、美空ひばりの初期のヒット曲、「港町十三番地」のパロディである。ブログを始める時、ふと浮かんだ言葉をそのまま付けた。

 ”港町十三番地”は、美空ひばりの出身地である横浜の町をイメージして作られたのだろうけれど、私が子供の頃にその歌を聴いて勝手に夢想した、彼女の幼年時代の横浜の町のイメージに、私の内なる”ワールドミュージックの原風景”が奇妙な形で二重写しになった、そんな幻想をこのタイトルに封じ込めたつもりだ。

 それはたとえば、幼少の頃のひばりが親に言い付かって小さな容器を提げ、近所の豆腐屋に豆腐を一丁、買いに行く光景。

 港町の夕暮れである。いくら横浜とて、現在のようなお洒落な大都会になりきってはいないだろう。古い日本の風景がまだ息付く下町の風景が広がっている。
 そこにふと迷い込んだ、どこやらの国からやって来た青い目の船員。いや、ここはやはり、”マドロスさん”と呼ぶのが正しいだろう。

 船を下り、外国人船員相手の飲み屋を探して横浜の街にさまよい出た、その”マドロスさん”は、不意に目前に広がった、まだまだ貧しい日本人の暮らしの風景を尻目に、酒と女たちが待つ酒場のネオンサインを求めて歩を進める。

 そこで彼がふと口ずさむ、故国の港を出る時に流行っていた、たわいない流行り歌のメロディ。
 そいつはたそがれ時の街角に不思議な余韻を残し、消えて行く。

 「あれが、海のむこう、アメリカで流行っている歌なのか。なんと心弾むメロディだろうか。いつか自分も船に乗って海を越え、あんな歌が歌われているきらびやかな世界をこの目で見てみたい」そんな憧れが豆腐を購うための硬貨を握り締め、マドロスを見送る少女の胸に芽生える。

 まあ、それだけの話です。ひばりの歌で歌われているのは、むしろマドロス氏が飲み屋に腰を落ち着けてからの光景ですな。狭い通りに紅い灯青い灯が燈り、グラスに酒が満たされ、酒場女たちの嬌声が響く。陽気な船乗りたちの、つかの間の慰安のひととき。そんな街の華やぎに関する歌。

 私なんぞは世代的に、ほんの幼少の頃のもう霞みかけた記憶のむこうで揺れている、たまらなく切なく懐かしい光景と感ぜられるのだけれど。
 そしてその”幻想の横浜”の裏通りは、ほんの1ブロック歩いただけで、田舎の小さな温泉郷である私の町の、ささやかな飲み屋街になぜか通じているのだった。

サブリのイスラム兄弟仁義

2007-05-08 03:44:35 | イスラム世界


 ”La Elah Ki Boli Bol” by Sabri Brothers

 先日、以前聞いた際にはあまり乗れなかったカッワーリーの中堅歌手、Ali Faiz Aliの新作アルバムを聴いて、その出来の良さに感心したなんて書いたが、それではこのアルバムを今聴いたらどんな感じなのかなと取り出したのが、同じくパキスタンのイスラム宗教歌、カッワーリーの人気歌手、サブリ・ブラザースが10年ほど前に出したこのアルバム。

 いやなに、むさいおっさん二人が化粧して頬寄せ合っているジャケ写真がなかなかに気色悪く、面白がって買ったものの、あんまり聴かずに放り出したまま歳月が過ぎてしまっていたのでね。

 しかし、人気兄弟歌手コンビが、こんな具合に着飾って化粧までしてジャケに写っている。そのあたり、これらの歌が日常的に聴かれている土地においては、宗教歌だからといって、辛気臭いものだったりお堅いものだったり、するばかりでもないのでは?と思われ、興味深いものがあります。

 CDに久しぶりに耳を傾ければ、いきなりチュドドドド~ン!と飛び出すシンドラムや大張り切りでブチブチと暴れまわるチョッパー・ベースと、なかなかに恥ずかしいものがある。なるほどねえ。この頃は、こんなアレンジがナウかったわけですな。ワールド・ミュージックの新しい地平を開く、ですか。

 などと、時が経過したからこそ言える嫌味など頭をよぎるのですが、しかし、嫌悪のようなものは感じない。むしろ、そんな軽薄なアレンジを受け入れ、いい調子で歌を聞かせているサブリ兄弟の腰の軽さといいますか調子のよさが、なんだか憎めない、みたいな気分になります。

 それにしても二人とも実に深く重く渋い声。それがイスラミックな揺らぎを描きつつ流れて行く、民謡と呪文の中間くらいにあるメロディを豪快な掛け合いで歌って行く様はやはり相当の快感で、あやや、もっとサブリ兄弟の作品を集めておけば良かった、いや、今からでも遅くはないぞ、なんぞとラジカセを前に焦ってみたりするのでありました。

 カッワーリーを聴き始めの頃、私も当たり前にヌスラットの精緻なイスラム歌に夢中になっていたんで、サブリ兄弟がこのアルバムで聞かせているような温泉気分(?)でホイホイと歌い流す芸風は、軽く見ていたんですなあ。確かにヌスラットのような繊細な芸を演じて見せてくれるわけじゃないが、細かい事にこだわらず豪放に歌いまわすその歌声の流れは、まさに名も無き大衆の喜怒哀楽を清濁合わせて受け止めて流れ行く大河のさまに通ずるものがあると思われるんでした。

 聴いていてふと思い出したのが、あの”幻の名盤開放同盟”が出した編集アルバムに入っていた”神ブラザース”なる浪花節語りの兄弟が歌う演歌。失恋した弟を「馬鹿野郎!」と叱り付ける兄貴、という設定。その掛け合いは、なにしろどちらも浪曲で鍛えた重た過ぎるガラガラ声同士であって、濃厚だったなあ。

 あんなぐあいに庶民の暮らしに当たり前に寄り添い、時に「馬鹿野郎!」と怒鳴り倒してもくれる、こわもてのようで意外に近しい距離にあるアラーの神のもう一つの顔が覗けたみたいな気分にさせてくれるアルバムだったのでした。購入後10年経過、改めて聞いてみた感想としては。

ベルチョラリの渡る谷間に

2007-05-07 03:37:52 | ヨーロッパ


 スペインとフランスとに挟まれた山中に生きる少数民族、バスクの人々というのも、例の独立運動などのきな臭い話題が表面に出てしまいがちですが、なかなかに不思議な、というか古代史好きのロマンなど掻き立てずにはおかない人々ですねえ。

 何しろ言語の構造やら血液型といった、もう動かしようのない物理的な検証の結果を見ても、周囲に同属と認められる民族がいない。この人たちは何なんだ?どこから来た?同じヨーロッパでは古い種族のケルトの連中なんかとは関わりはあったんだろうか?

 当然、文化においても独特のものを持っている訳で。私がはじめて聞いたバスクの伝承音楽であるベルチョラリというのも、なかなかに不思議なものでありました。

 どう紹介したらいいのだろう・・・無伴奏の非常に素朴な歌唱法で、大自然への頌歌などを歌い上げる、なんだか日本で言ったら和歌を節をつけて読み上げる、なんな感じにも聞こえる歌謡です。
 そのメロディは古い聖歌のような、ちょっぴりヨーデルっぽさを加味したような。民謡というよりは伝統芸能という感じで、バスクの人々の心のふるさととでも言うべきもののようです。

 以前に手に入れた・・・あれれ、どこかへ行ってしまったんで、ちょっとタイトル紹介も出来ずすみませんが、ベルチョラリ・フェスティバルのライブ盤があったんですよ。毎年、バスクの山村で行なわれるアマチュアの歌い合わせ、とでもいうものの記録です。2枚組のLPに、老若男女、さまざまな人々の歌い上げるベルチョラリが収められていました。

 それを聞いた感じでは、歌唱の優劣を競うといった感じではなくて、参加者の誰もが公平に暖かい拍手を浴びている。古老の渋い歌唱も、若者の頼りない慣れない感じの歌いぶりも同じように友好的な雰囲気で受け入れられている。つまりは、文化としてのベルチョラリを継承し、歌って行くその事自体に意義を見出している感じで。

 今現在、自分の国を持てない立場にある、歴史ある少数民族たるバスクの民としては、このような古代の息吹を伝える音楽があること、非常に大きな意味があるのかも知れません。

 もちろん、そんな遠い国の馴染みのない、ろくに情報も入ってこない音楽を分かったふりも出来ないんだけど、レコードに針を落として、バスクの人々の素朴な歌声で歌われるベルチョラリを聴いていると、古代から山間に吹き渡っていた風を浴びているみたいな、なかなかに清冽な気持ちになって、快いんですね。

 (添付した写真は、ベルチョラリ大会のステージの様子)

小学校の校庭から

2007-05-06 05:55:24 | その他の日本の音楽


 まあ、毎度毎度のお話といいますか、私の文章の書き出しには「ネットをやりながら傍らのつけっぱなしのテレビでろくでもないものを見てしまった」なんてのが多いわけですが、そんなことばかりあるならいっそテレビなんか消してしまって、CDでも聴きながらネットしてれば良さそうなものと思うでしょ?私もそう思うもの。

 でもまあ、夜中のテレビの、さっぱり面白くない番組をボケッと見つつ、無為に時間が過ぎて行くのを感じるってのも、退廃のうちに腐れ果ててゆく快感みたいなものがあってやめられなかったりするんですな。

 それにしても以前、そんな深夜のテレビを例の如く、見るともなしに見ていたら、新人ロック歌手専門のプロモーション・ビデオ番組が始まり、「本音で力いっぱい生きられた、それが僕らの小学校。今日でさよなら小学校」なんて歌を歌ってる女の子のシンガーソングライターのビデオ作品が流された時には頭を抱えたなあ。

 とうの昔にハタチは超えたろうにと思われる、いかにも生真面目そうな女性だった。ともかくなあ。その歳になって、「本音で生きられた」とか、小学校の話をされてもなあ。

 しかもそのビデオ、ディランの”サブタレニアン・ホームシックブルース”のパクリなの。つまり、歌われる歌詞が画面に歌手自身が持ったテロップで示される、というパターン。まあ、いいけどね。それに関する言い訳は、とうの昔に用意済みなんだろうからね、言ってみたってしょうがないんだろうけどね。でもねえ。小学校の話をされても。

 で、今日も今日とて、見てしまいましたよ、頭痛物件。彼らの悪口は以前、ここにも書いたような気がするなあ。クロマニオンズって言う、あれは日本のパンクロック界の大御所、見たいな存在なんでしょ?例のブルーハーツの流れを汲むんじゃなかったっけ?

 その連中が新曲を歌っていたんだけど。その曲がなんとも情けない代物でねえ。「紙飛行機がス~イスイっと彼女の窓辺へ♪」とかいう、まあ、うろ覚えですけどね、あんまり覚えたくもないし。ともかくそんなたわいもない歌ですよ。こいつらも小学校の頃を懐かしがっているのかなあ、なんて思わされる仕組みの。

 それでも彼らのファンのコなんかはあの歌を聴いて、「あんな歌をあの歳になっても歌っている、そんな少年のようなピュアな心が美しいのよっ!」とか、目をハート型にしてるんでしょうかね。

 曲調は、もう型にはまっりきった、30年くらい前から変化してません、みたいな類型的なパンク曲。もちろん、日本独特のふやけたフォーク調は加味してありますよ。それがなけりゃ、この国で商売はして行けません。

 そいつを、「ボクら、見事に頭の中、空っぽで~す」みたいなケレンともいえないような空疎なポーズをとりつつ歌い演奏するわけですね。そんなポーズはもうとっくに破産を宣告されて久しい”形骸化したロック”の典型的姿でしかない。わざわざ”振り”をしなくとも、頭の悪いのは歌を一節聴いただけで十分、分かったし。

 しかも歌われる歌詞が「それが僕らの小学校~♪」みたいな代物ではねえ。幼稚園でこころ行くまでお遊戯をしなかったから、まだその世界に未練があるんじゃないの?と失礼ながら疑ってみたくなるのですよ、私などは。
 何で”日本のロック”って、こんなことになってしまったんでしょ?多かれ少なかれ、我が国で”ロック”と称されている音楽って、このレベルかと認識されるんだけど。

 私見では、あの”RCサクセション”が童謡路線といいますか、”ロックとはすなわちガキの遊びである”との路線を提示し、そいつを固定化したのがブルーハーツである。そのあたりで流れが決まった、と想像しているんだが、おおかた、そんなものなんでしょ?

 栄光の70年代過ぎて後の日本のロックなんてまるで聴いてない私なんで、見えていない部分は相当にあるだろう。私の言い分に疑問を感じた方、議論を挑んでも、その論を理解する知識がそもそも当方にはありませんので、ご承知おきください。

 いや、外国のロックだって、相当なものだと思いますよ。きっと多くの歌が、くっだらねー事を歌い上げていると思うんだ。こちらが相手の言葉を理解できないから、恥ずかしくなったりうんざりしたりせずに洋楽ファンをやっていられる、なんて側面もきっとあるに違いない。
 でもねえ、あんな具合の幼児性の臆面もない賛歌ってのは、どうなんでしょうね?ひょっとして日本固有のものじゃないかなんて、時に疑ってみるんですが?

 ともかく若い連中は、そんな方向へ流れてゆく自らを疑いもせず、そしてまた一方には、先にNHKのオヤジロック・コンテスト評で書きました、生暖かい人情話の海に飲み込まれんとするオヤジ・ロックの世界がある。こりゃ難儀な話だと思いますねえ。

夜の波止場にゃ

2007-05-05 00:44:40 | その他の日本の音楽


 ”哀愁波止場”by 美空ひばり

 今日も時間の使い方をミスってしまい、日課のウォーキングを夜の10時にはじめる羽目になってしまった。別に忙しい日々を送っているわけでもなく、堂々、昼寝なども行なっていはするのだが。
 しかしこれで本当に体に良いのか?と疑いつつも海岸の遊歩道に出て歩き出す。

 さすが連休の中日(?)とて、国道を行く車の数は多い。あんなに張り切って登り車線を行くのはつまり、さっきテレビの道路情報が伝えていたUターン・ラッシュの渋滞にこれから参戦せんとする剛の者なのだろうか。たまらんなあ。これからじゃ、家に帰り着くのは何時頃なんだい?

 薄くライトアップされた砂浜には、家族連れやら若者たちの群れが三々五々出て、はしゃぎ声を上げている。今年の気候ではさすがに、まだ泳ぎ出すお調子者はいないが。いや、いつもは時々いるんだよ、季節でもないのに”ノリ”でその場で全裸になってしまい、海に飛び込む奴ってのが。

 いつもはこんな時刻には閑散としている海岸遊歩道も、あちこちのベンチで若いカップルが腰を下ろしていたりして、もしかしたら我が斜陽の観光地にも明日があるのではないかと信じかけるが、この人々は、まるで金を使って行かない客なんだよなあ。

 歩き続け、湾の外れ港に出る。もうとっくに島巡りの観光船は索に繋がれ、桟橋のあちこちで夜釣りの人々が小さな明かりを燈している。チャポ、と波が岸壁に寄せる静かな水音が聞こえる。

 そんな風にして港から見る夜景は、いつもならなんとなく血が騒いだり切なくなったりでこちらの気分を映し出すのだが、今日は街が賑やかだった分、逆に、その輝きの前に、こんな時間に一人でウォーキングなんかやっている自分のうらぶれた自画像が炙りだされるみたいな気分になってきて、あまり良い気分ではない。

 ふと、美空ひばりの”夜の波止場にゃ”なる歌を思い出した。いや、思い出したもなにも、”夜の波止場にゃ~誰もいない~♪”って、この部分しか私は記憶していない歌だが。

 この歌がリアルタイムで流行っている頃、多分私は頑是無いガキをやっていて、当時、この歌を聞いてしまうのは、なんとなく禁忌だった。妙にやりきれないくらいうら寂しい気分でこちらを押し包んでしまう歌だったから。
 それはたとえば幼い頃、深夜、ふと目が覚めてしまって寝付けないまま、一人で布団の中で聞いた夜汽車の汽笛の音に匹敵する、圧倒的な孤独の響きがあった。

 ”夜の波止場にゃ~誰もいない~♪”

 この歌声のむこうに、静まり返った波止場を吹き抜ける冷たい風の気配があって、そこで船を見送った人、船に乗って行き、ついに帰って来なかった人たち、彼らが残していった岸壁に染み付くような孤独がシンと息を殺している、そんな感触が指に触れるくらいのリアルさで感じられるように思えた。
 別にその時点では単なるそこら辺のガキでしかなかった私は、どんな別れの体験もあるわけではなかったが。

 昔はそんな感傷に身を引きちぎられるような思いをしたものです、で終われたら良いのだが、なんとそいつは、もう何十年も歳を経たこの身の奥の奥に姿を潜めて、昔のままの姿で、いつでも出番の来るのを待っていると知れた。別にこれも、今はじめて知ったわけでもないのだが。

 高度成長があり、石油ショックがあり、バブルがあり。そんな間、あの黄色い波止場のランプの明かりはずっと、そのうら寂しい光を夜の波間や舫ってある漁船の上に投げかけていた。それは、我々が過ぎ去った後もきっとずっと変わらずに、そのままそこにあるのだろう。

 しばらく見ていたが、船着き場の隅で釣り糸を垂れている人々の影は動かず、魚の釣れる気配も見えなかったので、私はまた歩き出し、家に帰った。