goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

還れ、アフリカの吠え王

2007-06-13 01:25:24 | アフリカ


 ”1974 CHALLENGE CUP ”by ALHAJI AYINLA OMOWURA

 てな訳で。我が最愛の歌い手、アフリカの暴虐王、故・アインラ・オモウラの名作アルバムがやっぱり現地でCD化されていたのであります。

 入手できて、ともあれめでたい。なんて言わなくてはならないのが悲しいが。思い出す80年代、このアルバムのアナログ盤を中村とうよう氏がMM誌の輸入盤レビューで傑作とほめていたのを読んで、おお、これは入手せねばと翌日、今は亡きメルリ堂なんてレコード店に飛び込んだら楽勝でエサ箱に並んでいて、ホクホクしつつ購入した、なんて記憶があるからだ。

 あの頃は我が国の輸入レコード店に、普通にナイジェリア盤が並んでいたんだよなあ。そいつがまさか、「どこに行っても見つからない。こうなったら現地ナイジェリアまで買出しに行くしかないのか」とか悲壮な決意を固める日が来ようとはね。まったく。

 久しぶりに聞く”チャレンジカップ”は、やはり良い。ジャケとタイトルから想像するにサッカー絡みの作品らしいが、バックグラウンドに関してはなにも分からず。ただ、サッカーなる競技とオモウラの音楽、ともにそのパワフルな疾走感に通ずるものがあり、意味が分からぬままに普通に納得させられてしまうのも、昔と同じだ。

 それにしても、この頃のナイジェリアの音楽というのは力があったんだなあと嘆息せざるを得ない。オモウラの鋼の喉から飛び出す、強力にイスラムっぽいコブシのかかったボーカル、それに呼応して吠えるワイルドなコーラス陣、乱打されるパーカッション群と、音楽全てが一体となって実に堅牢な存在感を主張しつつ、強力にスイングしている。音楽全体に鞭のようなしなやかな躍動感や生命感が漲っていて、いやあ、良いよなあ。

 当時、というのはいつ頃を言うのか私もしかとはわかっていない、なんとなく70~80年代くらいを想定して読んでいただきたいが、あの頃のナイジェリアの音、オモウラのやってるアパラに限らず同じイスラム系のフジや、イスラムと離れて、あのサニー・アデのジュジュ・ミュージックと、どれもほんとに黒光りのする生き生きとした輝きを放っていたものだった。

 今、細々と聴こえてくるナイジェリアの音楽の近況、今ひとつ迷いがあるようにも思えてなんだか心細いのであるが、なんとか昔日の勢いを取り戻してくれる事を遥か地球の裏側から祈るものである。
 いやそれ以前にかの国の音楽、もっと気軽に手に入るようになると良いんだけどねえ、ともう一度ぼやきつつ。

ひばりの洋楽カバー集

2007-06-12 02:34:20 | その他の日本の音楽


 ”LOVE!MISORA HIBARI JAZZ&STANDARD COMPLETE COLLECTION1955-1966 ”

 我がブログの名称は”ワールドミュージック町十三番地”であり、これはもちろん、美空ひばりのヒット曲名のパロディ。美空ひばりの歌に関する記事もいくつか書いているし、彼女の元夫である小林旭に関する記事もいくつか書いていて、これでは私を美空ひばりの大ファンか、あるいは非常に高い評価を与えている人物かと思いこむ人もいて不思議ではない。

 が、実際は相当違っていて、ひばりの歌に本気で興味を持ったのは、いつぞやブログに感想を書いたが、初期のひばりが洋楽からの影響をいかに咀嚼し自分なりの”ポップス”を作り上げて行ったか、その成果の記録としての編集アルバム、”ひばり、リズム歌謡を歌う”を聴いて以来だ。

 生前のひばりに対する私の印象は、「なんか偉そうでうっとうしいオバハンだなあ」といったもので、その歌に高い評価を与える人々の存在も逆に、権威主義への反発から彼女の歌をあえて聴かない、という行為に私を駆り立てる方向に作用していた。
 それでも”リズム歌謡を歌う”の企画が音楽的に相当面白いものであるのは容易に想像がついたので、ついにひばりのアルバムを買うに至ったのだが。

 もっとも子供の頃に、”誰がうたっているのか知らないが、普通に町に流れている流行り歌”として、初期のひばりのヒット曲には聴き馴染んでいた。頻繁に聴こえてきた記憶があるのは”花笠道中”や”越後獅子の唄”だったが、”東京キッド”や”悲しき口笛”などの最初期ものも、耳にした際の思い出ははっきりしないにもかかわらず、歌そのものは記憶に完全に残っていた。

 そんなひばりの、これは”洋楽カバー集”である。ジャズのスタンダード・ナンバーを中心に、ラテン、シャンソン、ナポリ歌謡にアイルランド民謡と、縦横無尽に取り組み、歌いこなしている。
 ある意味、先に取り上げた”リズム歌謡を歌う”と表裏一体を成す作品と考えられるかも知れない。このようにして自分の内に取り入れた洋楽からの影響を”成果”として形にして見せたのが”リズム歌謡を歌う”であると。

 今回の盤を聴いていて考えさせられるのはやはり、すでに評価も高い”ジャズもの”の存在感である。まだ若き日のレコーディングであるのだが、すでに堂々たるジャズ・シンガーぶりである。なにより”ジャズを歌う自分”を楽しみ切っているのが実によく分かる、奔放な歌いっぷり。

 そして。そんなジャズ歌手としてのひばりを聴いていると、後年の”演歌の女王”みたいな評価と言うのも、相当に的外れと言うか、無理やりの押し付け的なものではなかったか、などと思えて仕方がなくなって来たりもするのだった。

 だってさあ。ひばりが演歌を歌う際の表現形式というのか、そのようなものはすでにこの若き日のジャズ・ボ-カルもののうちに確立が成されているのである。ひばりって、ジャズの延長線上にある一応用問題として、演歌を”処理”していただけだったんじゃないのかなあ?
 と思うしかないほど、ひばりは当時、ジャズ歌手である自分を楽しんでいた。と聴こえる。

 もっとも晩年の彼女は、周囲の評価に乗せられるままに、自分でも自分を演歌歌手と信じ込むようになっていたようだが。いや、あそこまで歌謡界のど真ん中に鎮座ましましていた人物の内面など、シロウトに読めるはずなどないのだが。

 若き日の。まだいろいろなものに縛られる以前の、つかのまの陽光のまぶしさ。そんなものに満ちた作品集と感じた。

赤猫バディの旅批判

2007-06-10 02:02:59 | 北アメリカ


 ”My Name Is Buddy”by Ry Cooder

 このライ・クーダーの新譜というのは、評判がいいのかなあ?なんか、私の見回した限りでは良いみたいだ。

 ”アマゾン”に宣伝のための文章が下の2件あった。とりあえず、ライの新作アルバムがどのようなものであるかの解説にもなるので、引用しておきます。

 ~~~~~

1)◆名作『チャヴェス・ラヴィーン』(2005年作品)以来、2年ぶりとなるライ・クーダーのニュー・アルバムは、放浪の赤猫(Red Cat):バディの物語。名手ライによる、音楽でしるされた、17章の人生の物語 ---。

2) 前作に続きノンサッチからリリースの新作は、放浪する"赤い"猫「バディ」と仲間たちによって語られる、不況や赤狩りといった過ぎし時代のアメリカン・ストーリー17編。ある意味初期の作風に通ずるルーツ回帰のサウンドをマイク&ピート・シーガー、ジム・ケルトナー、ヴァン・ダイク・パークスなど旧知の仲間、そして息子のホアキム・クーダーも参加して綴ったオーセンティックなアルバム。ソング・ライティングはもちろんのことクーダーによる曲ごとのストーリーも秀逸。(江畑 謙)

 ~~~~~

 そんな感じで。これらを読むと、なんか良さそうな感じも受けるのだが。原点に還ってリフレッシュ、か・・・

 私にとってライ・クーダーと言う人は、70年代の初めに出会って以来、ルーツ・ミュージックを追いかける面白さを教えてくれた恩人であり、ともかく大きな影響を与えられた人だ。
 けれど時の流れは過酷なもので、もう大分前から、私は彼の音楽に興味を持てなくなってしまっている。私の音楽の好みも変わったし、彼の音楽も代わった。

 今では彼の発表したアルバムのうち、最初期の3枚を時たま引っ張り出して聴き返すくらいのもの。(この3枚だけはいまだに私にとっては重要な作品であり続けているのだ)完全に”昔、そのような人がいました”と言った扱いになってしまっている。申し訳ない話だが。

 そのライが初心、つまり初期の音楽性に立ち返って新作を発表してくれたというのだから、私としては色めき立ってもいいところだ。だが。
 ライのこの『マイ・ネイム・イズ・バディ』に、実は私は、あんまり興味がわかないのだった。

 実際の音が届けられる以前にもたらされたそのアルバムに関する情報に接した際にすでに・・・
 なんか”作り上げ過ぎ”って印象を受けてしまって、期待よりは鼻白む思いのほうが強くなっていた。ゲストだって豪華すぎるし、アルバムの構成だって、いろいろ詰め込み過ぎのように思えた。

 ”初期の三枚”で展開されていたのは、あのウディ・ガスリーが”ダスト・ボウル・バラッズ”で描き出した、大不況下のアメリカの大衆が生きた過酷な現実と、そこから生まれた音楽の、ライ・クーダーなりの継承といえるものだった。

 私が”初期の3枚”から受けた感銘は、若きライ・クーダーが、時の流れにセピア色に色褪せた不況時代の音楽の世界に、彼独自の音楽世界の確立を夢見て飛び込んで行く、その胸のときめきそのものだったのかも、などとも思う。

 その”初期の三枚”の魅力を、若きライの寄る辺なき心情が辿る行き先の分からない旅に、聴く者の同行を誘うからとすれば、同じ道筋を、とうにベテランの、巨匠としての評価を手に入れて久しいライが辿りなおす『マイ・ネイム・イズ・バディ』は、あまりにも立派過ぎた。

 すばやく手に入れた知人に聞かせてもらった実際の音はやはり・・・これまでにライが積み上げたキャリアに裏打ちされた、確信に満ちた音楽世界が展開されていた。
 そして私には。成熟したライによって隅から隅まで行き届いた設計のなされた”旅”の提示には、なんかあんまりスリルが感じられず、胸がときめかないのだった。

 変なたとえで申し訳ないのだが・・・

 子供の頃、私は自分で冒険小説のようなものを構想し、”お話”作りに夢中になっていた。まあ所詮は子供の夢想、ありがちな秘境探検物語のつぎはぎであり、大した話ではなかったのだが。
 そんな私はある日、物語の舞台となる地方の地図を書き出し、登場人物のリストなど作ってみたのだが・・・それが出来上がった途端になんかしらけてしまって、一気に”お話”の創造に興味を失った、なんてことがあった。

 なにやらわけが分からないから旅は胸がときめくんであって、旅先の細部まで見渡せて論理的に説明がついてしまうんでは煮詰まるばかりである。

 なんて事を「バディ」を聴いて私は感じてしまったのだった。 「若い頃にやった旅を、成熟した知識を持った立派な大人たる自分がもう一度辿りなおせば、もっとずっと立派な旅になるだろう」なんて具合には、なかなか行かないのだ、残念ながら。

パンク嫌悪・白人嫌悪

2007-06-09 03:11:00 | 60~70年代音楽


 先に、レコード・コレクターズ誌の60年代ロックに関する記事が納得行かない、などとこの場に書いたものだが、70年代に関してはもっと納得行かない(笑)なにしろ、アルバム・ベスト100のトップに位置するのがパンクのセックスピストルズとは何ごとであるか、と言う・・・

 私はパンクという音楽にはまるで興味がもてなかった。というか、非常な嫌悪を感じていた。あれをロックの再生であるとか持ち上げる人が結構いたのが、と言うかいまだにそのような評価をする人も多いのが、まるで納得行かないのである。

 他の人が公にしたパンクの評価で非常に共感できたのが、”パンクは虚弱児の居直りである”という、あれは確かミュージック・マガジンに載った記事の中にあった表現で。うん、あれを読んだ時は思わず、「わが意を得たり」と膝を打ったものだった。

 そうなのだ。パンクに存在意義を認める人には、”複雑になりすぎたロックに原初のエネルギーを取り戻した”なんて評価の理由があるらしいが、私には連中の音楽、こけおどしばかりで、その芯は相当に虚弱なものとしか感じられなかったのだ。

 パンクのもっとも不愉快な部分は何だったかと振り返るに、ともかくあれは「白人どもが”自分たちの終末”を”全世界の終末”として他の民族にも押し付けようとするもの」ではなかったのか。

 なにやら得意げに旧世代のロックの終末など宣言して見せるが、その話題がそんなに重大なのは、欧米を価値観の頂点と定める白人種の都合においてなのであって、イトゥリの森のピグミーは、メナム河の渡し守は、ロックなんかが滅びようとどうしようと昨日と変わらぬ朝を迎える。オッケイだよ、お前らに滅びてもらったって。

 ・・・。私も、かなりムチャクチャな話をしているんだろうけど。

 ともかくパンク全盛時、私は強力な”白人嫌悪”のうちにあった。音楽雑誌にギターをかかえた白人青年の写真が載っているのを見るだけでも腹が立ったものだった。

 なんかさあ、パンクをやってる白人って、でかい顔してたでしょ。無教養な白人青年が安全ピン刺してそこに立っている。パンクの御旗の元で、ドサクサで白人たちの雑な世界理解が大手を振って歩き出す。そんな感じが凄く嫌だった。

 パンクの奴らってさあ、なまっ白い額の隅にニキビかなんか作ってるんだよ。鼻なんか妙に赤くてさ。

 70年代前半、パンク登場以前の時代に、”放浪のシンガー・ソングライター”たちの顔をレコードジャケットで見ていたときは伸ばし放題の長髪と顔を覆う髭で目につかずにいた、彼ら欧米人の、”いかにも白人”のバタくさい生理の生々しさ、そんなものが気持ち悪くて仕方なくなっていた、いつのまにか。

 いまだに、どう説明したら分かってもらえるのか良く分からない話ではあるのだが。そして私はいつしか、あんなに入れ込んでいたロックの新譜に興味はなくなり、カリブ海のポップスやアラブの民俗音楽のレコードなどを漁り始めていたのだった。

台湾に抱かれて

2007-06-07 23:49:09 | アジア


 ”下午的一齣戲”by 陳明章

 机の引き出しの中から陳明章のCDが出て来て、「何でこんなところに入れっ放しにしたんだろうな?」と首を傾げたが、なにやら正体も忘れた昔の領収書や、もはや意味の分からなくなってしまったメモなんかと共に埃にまみれてひっそり眠っているのも、彼のこのアルバムにはなんだかふさわしくも思えたのだった。

 陳明章といえば台湾のベテラン・フォークシンガーであって、現地ではただいま、「台灣本土新民謡音樂教父」などと物々しい尊称を奉られているようだが、その顔下半分を覆う髭やずんぐりむっくりの体型、飄々とした独特の音楽性などから私などには、ちょっとした間違いで場違いな現代に生まれてしまって困惑している仙人みたいに見えて仕方がない。

 彼の名を知ったのは80年代の終わり、”黒名單工作室”なる台湾発のラップのプロジェクトに関わった大物ミュージシャンとして、だった。その歌詞によって台湾の政治の世界を揶揄したがゆえに一時は発売禁止の憂き目を見た、との話題と共に日本のファンの元に、そのアルバムは姿を現したのだった。

 が、聴いてみれば彼らの作品にはそのような尖った表情はまるで感じられず、中国の伝統的な音楽を取り入れた、むしろユーモラスな表情が印象に残った。
 そして、北京語が支配的なポップスの世界で使われるのは当時珍しかった台湾語の響きも印象に残った。ミャーとかギャーとかの音が目立つそれを友人は名古屋弁のようだといい、私の耳には般若心経を読んでいるように響いたのだった。

 同時期に手に入れたアルバムが、この”下午的一齣戲”である。

 こちらは陳明章のソロ作品。新聞に載っている映画の宣伝広告をパロディにしたジャケの示すとおり、収められた各曲が映画の一場面の如く、現代の台湾に暮らす無名の大衆の生活の一幕一幕を鮮やかに切り取って見せていた。

 我々には馴染みの西洋音楽の楽器と中国の伝統楽器、そして陳明章自らが奏でるアコースティック・ギターの響きが相まって作り上げたサウンドは、おそらくはレコーディングが始まる以前から古びていたのではないかと思えるほど時に馴染んだセピア色をしていた。そして、どこか童謡を思わせる、不思議に懐かしいメロディライン。

 その流れに身を任せていると、自分が幼少時代を、台湾の寂れた地方都市の下町で過ごしたかのような錯覚にも囚われるのだった。
 いや、実際、陳明章は複雑な歴史に翻弄されるあの小さな島、台湾の懐に抱かれて生きて行く人々の原寸大の魂のありようを、実感としてこちらの心に映写してみせたのかも知れない。

 その存在も忘れていたこのCD、見つけたついでに今から久しぶりに聴いてみようかと思っているのだが、そう思うと本当に、”久しぶりに故郷に帰る”みたいな微かな華やぎが心のうちに宿り、奇妙な気分になるのだった。


グアンタナメラを探して

2007-06-06 02:51:39 | 南アメリカ


 ”Guantanamera”by SANDPIPERS

 う~ん、あちこち検索かけて「グアンタナメラ」(Guantanamera)という歌の日本語訳詞をさがしてるんだけど、見つからないなあ。あなた、ご存知ありませんか?
 いや、日本語詞があることはあったんだけど、それは私の探している、というか私の記憶にある歌詞とは違うんだなあ。

 私は昔、というのは1968~9年頃なんだけど、”新譜ジャーナル”という雑誌に載ったヴァージョンが欲しいわけです。
 誰の訳詩だったとか、具体的にどのような語句が出てきたのかなど、まるで記憶にないんだけど、その歌詞が原曲の良さを一番生かしていた気がするんですわ、なんかかすかな記憶の中でね。キューバの自然の美しさなどが簡潔な言葉で表現されていて。
 なんて、歌詞内容を具体的には一言も覚えていないのに私もよく言いますが。

 「グアンタナメラ」というのはホセイート・フェルナンデスというキューバの大歌手が書いた民謡調の曲で、これは60年代、ピート・シーガーやサンドパイパーズといったアメリカのフォーク系歌手たちが取り上げてヒットさせております。
 彼らはキューバの国民的英雄である詩人、ホセ・マルティの詩をホセイートの書いたメロディに当てはめて歌ったのだけれど、そもそも原曲の詞もそうだったのか、不勉強で分からない。私の探している日本語詞がそれに準拠しているのかももちろん分からないんだけど。

 で、検索で見つかった日本語訳の”グアンタナメラ”の歌詞の何が納得できなかったかといえば。
 なんというか、”ためにする歌詞”みたいな、”革命キューバ”を礼賛する意図ばかりが先に立っている”党の歌”にしてしまっているんですね。

 そりゃ私も、今日の世界を支配するナンバー1のならず者国家、アメリカ合衆国に終生突っ張り続けるカストロ将軍の勲を賞賛するにやぶさかではないんだけれど、そんなイデオロギーのしもべになるなんて、カリブの太陽の賜物たるキューバの音楽に似つかわしくないしね。ほんと、そんな縄張り争いなんかどこ吹く風の、のどかで美しい歌なんです、グアンタナメラってのは。

 で、なぜその歌の日本語詞が必要なのかと言いますと、ステージでちょっと歌ってみたくてねえ。そうすれば”あの頃”の気分といいますか、初心って言う奴に帰れるんじゃないかって気がするんです。
 まあその前に、もう長いこと人前で歌っていない時代遅れのシンガー・ソングライターに歌わせてくれる場所を探さなくちゃならないけどね。

終わりなき循環コード

2007-06-05 04:22:04 | その他の日本の音楽


 以前から、これについては書いておきたいなあと思っていたのだが、うまい取っ掛かりが見つからぬままに放り出していたら、アーティストご本人が意外な急逝をされてしまったのでますます書きにくくなってしまった。と言えばもちろん、”ザードのボーカル”こと坂井泉水なのですが。

 その件については先に、工藤静香に関する記事の付け足しみたいに触れてみましたが、その部分は、このようなもの。

 ~~~~~

 そういえば、と言う扱いでいいのかどうか、”ザードのボーカルの坂井泉水”が亡くなりましたね。
 彼女は、作品は非常に日なたの存在であるにもかかわらず、ご本人は日常、なにをしているのか分からない。ライブをするわけでも無しねえ。そのあたりが不思議だった、というか、そう思わせるのも戦略だったのかもしれないが。
 それが、ガンの治療を受けている最中、病院の階段で転落死と。突然の知らせに、”魔境”に生きることの、実は昔から何も変わらない孤独など嗅ぎ取ってしまったんですが。
 まあそもそも、”ザードのボーカル”ってさ、構成メンバーははじめから実質、彼女しかいないのは誰でも知っていることで、でもあくまでも”ザードのボーカル”って肩書きが強調され、テレビのニュースでまでもそう呼ばれる。この辺が今風の典型的芸能界の嘘のありようなんですね。

 ~~~~~

 先日、この文に関する感想をいただいたので、それに対して書いてみた返事
などの延長線上に何か書けるかも、などと今、思いついた次第であります。

 いただいたコメントの中で興味を引かれたのが、「ジュディ&マリーや大黒磨季を
好きと言うのには比較的抵抗がないが、ザードを好きと言うのは抵抗がある。
なぜだろう?」というくだり。なるほどねえ。それは実感として非常にリアルなものに
思える。と感じて、下のような返事を書いてみたけれど。

 ~~~~~

 それこそまさに、ザードの音楽が日本人の琴線により深く食い込んでいたから、でしょう。基本的に日本人って、ああいうのが肌に合うんだと思います。あの線の細さとかフォークっぽさとか。だからこそ、パンツの中を見せてしまうような恥ずかしさがあるんでしょう、好きと言ったら。
 それに比べると、”JUDY AND MARYや大黒摩季”って、より外国からの借り物くさいものがある。”本気”とは一本線を引いたところがある。だから好きと言っても恥ずかしくない。んだと思います。

 ~~~~~

 などと。とりあえず、思うところはこんなところか。

 で、私がザードの音楽に関して考えていたこととは。とりあえず青春時代にロックのミュージシャンになど本気でなる気でいた自分にとって”ザードのようなタイプの音楽の変わらぬ人気”というのは、ある意味、挫折の記念碑のようなものであった、と言うこと。

 日本人てさあ、やっぱりパワーないんだよ。生命体としての。ああいうザードみたいな音楽って、要するにフォークでしょ?私の青春時代の言葉を使えば”カレッジ・フォーク”って奴です。
 C-Am-F-G7なんていう、恥ずかしくなるほど安易なコード進行をギターでかき鳴らしながら、よく言えば水彩画のように爽やかな、悪く言えば人畜無害できれい事のメロディを作り、いかにも低血圧な癖のない美声で歌い上げる。

 そんな音楽を、我が日本民族はずっと前から好んできたんですねえ。なんと申しましょうか、四畳半を吹き抜ける竹林よりの風、一陣。みたいな余情ですか。
 なんかねえ、そんなちまちましたものではなくもっとパワフルでもっとでっかい世界観が提示できないものかなあ、そんな苛立ちがあったわけですね。ロックを志した青少年としては。

 けど、カレッジ・フォークからニューミュージック、それから今度はJポップて言うの?時代は変わり貼られたレッテルは変われど、脈々と、歌い手も入れ替わりつつ、そのような低血圧音楽は大衆の内に生き続けているのですなあ。もてはやされているのですなあ。

 そして時を経て。まあ、日本人てのはそういうものだからしょうがないじゃないかと私も諦めがついた。と言いますかね。いやまあ、そんなことを考えるのも邪魔くさくなってしまった。どうでもいいじゃないか、世間の皆がどんな音楽を好もうと。皆がそれを好きなら、聴いてればいいじゃん。

 ただ一つ。例の”ザードのボーカル”って言い方で相変らず亡くなった歌手を呼ぶのが当たり前となっているみたいだが、せめてそれだけはなんとかしてくれないものかと思う。これって、なんか彼女のいたポジションをロックっぽい扱いにしたいってわけなんでしょ?

 ああいう”フォークソング”をなぜか執拗に”ロック”扱いしたがる理不尽、これが納得できないんだがなあ。その方がアーティストずらしやすいとか、商売上有利とかあるんだろうか?
 あの種の音楽の演者がキャリアを積んで、「ロックにこだわってやって来て良かった」とかコメントするのを聞いた時の背筋をゾワ、と駆け上る気色悪さ、これだけは・・・ロックにこだわって来た奴にしか分からんだろうぜ。

 うんまあ、これも本来、どうでもいいことなんだろうけどねえ。もはやロックとかにも思いいれは失っている私なんだから。それとも、これが私のうちに残っている、ロックへの最後のこだわりなんだろうか?むむ・・・


韓国・トロットの暴走

2007-06-03 02:22:08 | アジア


 思えば”goo”でブログを開設した際の最初の記事は、韓国のポンチャク・ミュージックに関するものだった。
 あの、アバウトな打ち込みリズムに乗ったカセット片面ノン・ストップで続く、まあ要するに東亜風にディスコ化された”演歌チャンチャカチャン”のアシッドミュージック(?)の世界は、まさに私の理想とする大衆音楽の姿の一つと言えた。

 次から次に飛び出してくるサウンド上の奇矯なアイディアの奔流。チープにしてエネルギッシュな、そしてどこかBクラスっぽいピントはずれな情熱に溢れた歌手たちの歌声。

 地元の韓国においては、その刹那的で安易な刺激性ゆえに、過酷な労働を強いられる長距離トラックのダライバーたちに覚醒剤代わりに使い捨てられているとか、お洒落な若者たちにはまったく人気がなく、そのかわりオッサンオバハンたちには絶大な人気を誇るとか、異国の大衆音楽好きにはたまらなく魅惑的に響く、おいしい噂にも事欠かなかった。

 だがさすがに、一通り名作(迷作?)と噂も高いカセットやCDを集めてしまうと、そもそもがそう奥が深い音楽でもなし、いつしか情熱も失って、ポンチャクの存在自体を忘れている事も多くなっていた。

 などとこちらが不義理をしているうちに、いつしかポンチャクのモトネタ(?)であるところの韓国演歌、”トロット”の世界に火がついていた・・・のかも。と歯切れが悪いが、たいして有効な情報源なども持たない当方、あんまり確信を持って言い切れないのだ。
 が、ここのところ、濃厚な出来のトロットの傑作に出会うことも多くなっている。強力なディスコ仕立ての、ある意味ポンチャクの地位を揺るがす(?)下世話ぶりで、これはやはり来ているのではないか。

 今、手元にある、なんと”トロット・ベスト・チャンチャラチャン”と発音するタイトルであるらしい2枚組の企画ものらしきCDなども、なかなか豪快な出来上がりで、いやもう、ほとんどポンチャクを聴くノリで行ける。これをほめ言葉と取るか、その逆と取るかは、各人の音楽哲学にかかわる問題と思うが。

 収められている各曲のメロディはほぼすべてド演歌、それも変にフォークぽかったり芸術ずいて高級ぶったりの日本の昨今の演歌とは逆に、宴席で皆で手拍子を取りつつ高歌放吟、なんて場面に合いそうな、分かり易くて人懐こいものばかりだ。
 それがディスコ仕立てというべきかバスドラ4つ打ちの豪快な打ち込みリズムにのり、ポンチャクと構造上は同じ、曲間をおかずに延々と、悪く言えば一本調子に、よく言えば最後までボルテージを落とさずにあくまでポジティブにエネルギッシュに、そして饒舌な歌声でもって進撃する。

 その歌声は、韓国で人気となっているらしい4人組セクシーアイドルグループ(添付した写真参照のこと)であるLPG(ロング・プリティ・ガールズ、だそうです)を核として、何人かの男女の共演になるものだが、特に女性歌手陣はなかなか韓国らしいパワフルな実力派が多くて気持ちが良い。

 それにしても、この妙な感じをどう表現したら良いのかな。

 男性コーラスが演歌のメロディをアップテンポで歌い継ぐうち、だんだん崩した歌い口になって行き、ついにはラップの世界に突入してしまうあたり。
 あるいは。核になっている女性歌手たちにもいろいろ個性があって、古式豊かな典型的歌謡曲歌手もいれば、「黒人音楽大好きです」みたいな熱いコもいる。それが入れ替わり立ち代り、ドのつく演歌をノリノリで歌い上げるのだ。
 ドサクサのような、何もおかしいところなど実はないような、なんとも妙な気分。

 非常に古臭い世界が時代の最先端にそのままの姿で突き抜けてしまったとでも言うのか、気恥ずかしいような一本取られたような、妙な痛快さをもって猥雑な庶民のパワー丸出しで全力で疾走する、その姿に恐れ入るよりほかはないのだった。はい、ガンガン行ってください、トロット・ミュージック様。

訳詞さまざま

2007-06-02 05:17:06 | いわゆる日記


 今、ある外国曲の日本語の訳詩がないかと思ってネットの世界を探し回っていたんだけど、別の曲の日本越しで凄いのに出会ってしまった。”ケサラ”という、まあそこそこ有名な歌の日本語詞なんですが。

 あの曲、カリブ海はプエルトリコ出身の歌手、ホセ・フェリシアーノが、あれは70年代の初めころでしょうかね、イタリアのサンレモ音楽祭に参加した際に歌った歌でした。ラテン系語の巻き舌を伴い歌い上げるバラードの味わいもなかなか濃厚な一曲であります。

 日本では、確か岸洋子さんが歌われていたと記憶しております。その際の歌詞は、岩谷時子さんの、下のものが使われていたはずです。

>平和で美しい国 信じあえる人ばかり
  だけど明日はどうなることやら
  誰も分かりはしないさ
   ケサラ ケサラ ケサラ
   僕たちの人生は階段をてさぐりで
   歩くようなものさ

 で、今回私がネットの世界をさ迷い歩いて出会ってしまった別ヴァージョンというのがあります。「歌声喫茶・のび」というサイト(http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/)に掲載されていたんですが。

 ”にしむらよしあき”という方の訳詩です。
 この方は自ら訳詞をし、歌手としてもステージに立っておられるようなんですが、ケサラの三番の歌詞に、下のような日本語詞を付けておられます。

>3 いつも思い出すのさ 自由のために死を選んだ
グエン・バン・チョイ ジョー・ヒル ビクトル・ハラを
決して忘れはしないさ
ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
僕たちの人生は 平和と自由もとめて 生きてゆけば いいのさ

 これは凄いなあ。「いつも思い出すのさ」と言われても、こちらはそのお三方が何をした人々なのかも、はじめから知らないんですからね。思い出しようがない。しかも、「自由のために死を選んだ」というのだから、穏やかではないですな。

 まあ、にしむらさんが生きておられる世界では、この辺は基礎教養として知っていて当たり前で、歌のこのあたりは聞かせどころ。歌われている三人の人生に思いをはせ、聴衆も大いに盛り上がるのかも知れないのですが。

 ちなみに一番の歌詞は、下のようになっております。

>1 押さえ切れない怒り こらえ切れない悲しみ
そんなことの繰り返しだけど 決して負けはしないさ

 にしむらさん、”反権力”とか”闘いのための歌”とか、そのような世界に生きておられる方のようですね。

 で、だからなんだ?と問い返されると困ってしまうのですが、いや、別々の文化や価値観の中に生きるってのも大変なことだなあと。

続・60年代の切片

2007-06-01 21:38:34 | 60~70年代音楽


 というわけで、5月30日の”60年代の切片”の続編であります。これは、私の記憶に残る当時のヒット曲をあえて無秩序に並べ、レコードコレクターズ誌の特集によって整理整頓されてしまった”60年代”というオモチャ箱をもう一度ひっくり返し、失われたカオスを取り戻そうという試みです。それでは、いざ。

魔法を信じるかい?(ラヴィン・スプーンフル)
ビレッジ・グリーン(キンクス)
レッド・ラバーボール(サークル)
霧の五次元(バーズ)
ウイチタ・ラインマン(グレン・キャンベル)
太陽の当たる場所(スティービー・ワンダー)
悪魔とモーリー(ミッチー・ライダーとデトロイト・ホイールズ)
今夜は眠れない(エレクトリック・プルーンズ)
グアンタナメラ(サンド・パイパーズ)
グリーン・タンバリン(レモン・パイパーズ)
インセント・アンド・ペパーミンツ(ストロベリー・アラーム・クロック)
ジス・マジック・モーメント(ジェイとアメリカンズ)
悲しきラグドール(フォー・シーズンズ)
ソウル&インスピレーション(ライチャス・ブラザース)
素敵な貴方(ナンシー・シナトラ)
ロング・ロング・ホワイル(ローリング・ストーンズ)
ワン・モア・タイム(ゼム)
ワン・モア・タイム(ゴールデン・カップス)
本牧ブルース(ゴールデン・カップス)
もう一度人生を(ゴールデン・カップス)
トンネル天国(ダイナマイツ)
初恋の丘(ビーバーズ)
君に涙と微笑を(ボビー・ソロ)
ナポリは恋人(ジリオラ・チンクエッティ)
花咲く丘に涙して(ウイルマ・ゴイク)
2万4千回のキッス(アドリアーノ・チェレンターノ)
イザベル(シャルル・アズナブール)
インシャラー(アダモ)
自由への賛歌(ラスカルズ)
アイ・セカンド・ザット・エモーション(スモーキーロビンソンとミラクルズ)
スインス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー(テンプテーションズ)
カモン・レッツゴー(マッコイズ)
ウィンチェスターの鐘(ニュー・ボードヴィルバンド)
アイキャン・ヒァ・ミュージック(ビーチボーイズ)
キープオン・ランニング(スペンサー・デイヴィス・グループ)
サムバディ・ヘルプ・ミー(スペンサー・ディヴィス・グループ)
グッドモーニング・スターシャイン(ロックミュージカル”ヘアー”挿入曲)
メランコリー東京(ブルー・インパルス)
明日なき世界(高石友也withジャックス in”ヤング720”)
ホワイトルーム(クリーム)
メンフィス・アンダーグラウンド(ハービー・マン)
ホームワード・バウンド(サイモンとガーファンクル)
サークルゲーム(ジョニ・ミッチェル)
ウッドストック(CSNY)
オン・ザ・ロード・アゲイン(キャンド・ヒート)
風は知らない(タイガース)
スタンド・バイ・ミー(当時、生バンド出演が普通だった我が日本のディスコで、夜毎演奏に興じていた無名のGS予備軍全員)

 だめだ。100書こうと思ったんだけど、結構疲れるわ、これ。