防府市教育委員会文化財課の吉瀬勝康さん、鞆雅子さんほかのみなさんには、最初のロケハン以来お世話になり続けています。
今も、なのです。
『マイマイ新子と千年の魔法』が公開された折に映画館に並ぶことになるプログラムに載せるため、「防府マップ」をわれわれスタッフの手で描き起こしたりしたのですが、細かい地名や何かで教えを請うことが続いています。恐縮です。

それから、映画の公開にあわせて『防府にかかる千年の魔法~「マイマイ新子」のふるさとを訪ねて~』展を開催していただけることにもなっています。
http://www.city.hofu.yamaguchi.jp/8040bunka/index.htm
文化財課は、われわれのロケハン当時には「文化財保護課」といい、今では課長を勤めておられる吉瀬さんはたしか係長さんでした。
文化財保護課は、防府の地上に残る歴史的文化財に関する仕事のほかに、防府を写した古い写真の収集もしていれば、地下から掘り出された埋蔵文化財についての発掘調査報告書の刊行も行っています。われわれが昭和30年のことを知ろうと思っても、千年前のことを知ろうと思っても、必ずお世話にならなければならないところだったのでした。
防府市役所でたくさんの写真を見せていただいたり、貴重なお話を聞かせていただいて、
「それではこれで。どうもありがとうございました」
と、その場をあとにしたわれわれは、その足で松崎小学校に行き、さらに時間があったので周防国分寺へ築地塀を見に出かけました。

と、なぜかそこで、先ほど分かれたばかりの吉瀬さんがゴム長靴を履いてやってくるではありませんか。
国分寺の前の道は江戸時代には山陽道だった由緒ある道で、
「当時道幅を広げる工事を行ったときの石碑がこの道の脇の石積みの中に残ってるんです。よいしょ」
と、吉瀬さんは側溝みたいな中に跳び下りました。じゃぼじゃぼと水の中を進んで、
「ほら、ここに」
と、指差す盛り上げた道路の肩にあたる石組みの中に文字を刻んだ石があります。

またひとつ勉強になってしまいました。映画に登場させられないのが残念ですが。
「明日、拓本を採るんですが、事前調査をやっとこうと思いまして」
吉瀬さんは、元々は考古学を究められた方のようで、「京都、掘ってみたいですねえ」などともいっておられれたのですが、こんなふうにフィールドワークをこなす係長さんだったわけです。
完成直後に『マイマイ新子と千年の魔法』をご覧いただいた吉瀬さんから、感想をいただきました。
平安時代の防府の鳥瞰全景カットで、多々良山の麓に前方後円墳が描かれていたのが、吉瀬さんの目にとまってしまったようです。
「国衙のまちを鳥瞰で引いていくシーンがありましたが
国衙の北、多々良山のふもとの毛利邸がある位置に
前方後円墳があり、頬が緩んでしまいました
監督は奈良の都平城京を造るときに前方後円墳を
壊していることをご存知なんでしょうね
私には『千年の魔法』を解く鍵穴に見えました」

やっぱり目のつけどころが違うなあ。
こちらとしてはそんな大それたつもりじゃなかったのですが、でも思い浮かべるうちに、「千年の昔にだってさ。それよりもっと昔の世界があったんじゃないの?」そんなふうに素朴に思っていたのはまちがいないことでいた。
ああ、映画の中に出てくる考古学者の先生が吉瀬さんに似ていたとしたら、それは偶然ではないかもしれません。われわれとして一生懸命、吉瀬さんのお顔を思い浮かべて描こうとはしたのでした。でも、実物の吉瀬さんはもっとずっと若々しい感じです。
今も、なのです。
『マイマイ新子と千年の魔法』が公開された折に映画館に並ぶことになるプログラムに載せるため、「防府マップ」をわれわれスタッフの手で描き起こしたりしたのですが、細かい地名や何かで教えを請うことが続いています。恐縮です。
それから、映画の公開にあわせて『防府にかかる千年の魔法~「マイマイ新子」のふるさとを訪ねて~』展を開催していただけることにもなっています。
http://www.city.hofu.yamaguchi.jp/8040bunka/index.htm
文化財課は、われわれのロケハン当時には「文化財保護課」といい、今では課長を勤めておられる吉瀬さんはたしか係長さんでした。
文化財保護課は、防府の地上に残る歴史的文化財に関する仕事のほかに、防府を写した古い写真の収集もしていれば、地下から掘り出された埋蔵文化財についての発掘調査報告書の刊行も行っています。われわれが昭和30年のことを知ろうと思っても、千年前のことを知ろうと思っても、必ずお世話にならなければならないところだったのでした。
防府市役所でたくさんの写真を見せていただいたり、貴重なお話を聞かせていただいて、
「それではこれで。どうもありがとうございました」
と、その場をあとにしたわれわれは、その足で松崎小学校に行き、さらに時間があったので周防国分寺へ築地塀を見に出かけました。
と、なぜかそこで、先ほど分かれたばかりの吉瀬さんがゴム長靴を履いてやってくるではありませんか。
国分寺の前の道は江戸時代には山陽道だった由緒ある道で、
「当時道幅を広げる工事を行ったときの石碑がこの道の脇の石積みの中に残ってるんです。よいしょ」
と、吉瀬さんは側溝みたいな中に跳び下りました。じゃぼじゃぼと水の中を進んで、
「ほら、ここに」
と、指差す盛り上げた道路の肩にあたる石組みの中に文字を刻んだ石があります。
またひとつ勉強になってしまいました。映画に登場させられないのが残念ですが。
「明日、拓本を採るんですが、事前調査をやっとこうと思いまして」
吉瀬さんは、元々は考古学を究められた方のようで、「京都、掘ってみたいですねえ」などともいっておられれたのですが、こんなふうにフィールドワークをこなす係長さんだったわけです。
完成直後に『マイマイ新子と千年の魔法』をご覧いただいた吉瀬さんから、感想をいただきました。
平安時代の防府の鳥瞰全景カットで、多々良山の麓に前方後円墳が描かれていたのが、吉瀬さんの目にとまってしまったようです。
「国衙のまちを鳥瞰で引いていくシーンがありましたが
国衙の北、多々良山のふもとの毛利邸がある位置に
前方後円墳があり、頬が緩んでしまいました
監督は奈良の都平城京を造るときに前方後円墳を
壊していることをご存知なんでしょうね
私には『千年の魔法』を解く鍵穴に見えました」
やっぱり目のつけどころが違うなあ。
こちらとしてはそんな大それたつもりじゃなかったのですが、でも思い浮かべるうちに、「千年の昔にだってさ。それよりもっと昔の世界があったんじゃないの?」そんなふうに素朴に思っていたのはまちがいないことでいた。
ああ、映画の中に出てくる考古学者の先生が吉瀬さんに似ていたとしたら、それは偶然ではないかもしれません。われわれとして一生懸命、吉瀬さんのお顔を思い浮かべて描こうとはしたのでした。でも、実物の吉瀬さんはもっとずっと若々しい感じです。