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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

バグダッド発、世界へ

2007-06-27 01:53:53 | イスラム世界


 ”Yawmyat Rajoul Mahzoom ”by Kathem El Saher

 イラクの大歌手であります。その、ただいま全アラブ世界で話題の新作、とのこと。

 彼が2003年に発表したアルバム、”Hafiat Al Kadamain ”が私は初対面でしたが、その歌声の”ストイックな激情”みたいな持ち味が印象に残りました。それ以前に聴いていたイラク・ポップスのアンソロジーなどから受けた、アラブ世界においてはかなり硬派に属するイラク・ポップス、というイメージをそのまま踏襲するような歌手と感じました。

 なんと言いますか、アラブ・ポップスの世界の歌い手が一様に身に付けている官能性というんでしょうかね、そのような感触が、イラクの歌手には、やや希薄なんではないか?なんて感じています。
 代わりに、アラブ民族の誇りを背に負った、図太い土性骨が一本通った硬派な歌い手が多いように、私には思える。

 これは”今日のイラクの現実”というものを念頭に置き過ぎた、先入観に満ちた見解かも知れませんが。
 もっとも、彼の新曲プロモーションのためのビデオ・クリップにも、濃厚に”平和で知的だったイラクの人々の暮らしに土足で踏み込み、暴虐を加えるアメリカ兵”の画像は頻出し、その現実はやはり、”こっちへ置いておいて”という具合には行きそうもないのですが。

 このアルバムも、そんなアラブの伝統が濃厚に影を落とす、民族色濃厚、かつパワフルなサウンドをバックに、やや陰りを帯びたKathem El Saherのストイックな歌声が響き渡る、そんな作りとなっております。
 民族色は濃厚だけれど土臭くはなく、これがイラク風の洗練なのだろうか?ロック等、欧米の流行り音楽からの影響はまるで感じられないものの、きちんと同時代感覚を放っているあたり、端倪すべからざるものを感じさせます。

 ともかくすっと背筋を伸ばして立ち、目の前の現実をきちんと見据えて、派手さはないが誠意に溢れた歌を歌って行く、そんな歌い手の姿勢に心の奥深くで共鳴せずにはおれない、そんな作品であります。まあ、イラクの言葉が分かるわけでもなし、何を歌っているのかは、もちろん分からずに聴いている当方なのですが。

 冒頭に述べた2003年のアルバムにも収められていますが、彼は、サラ・ブライトマンと”戦争は終わった”なんて曲をデュエット(と言うには、彼の出番が短過ぎる気がするが)していて、さて、国際的にもその存在が認知されつつある、と考えていいのか?
 この辺のメジャーなポップス状況はよく分かりませんが。まあ、”今ウケ”するには彼のキャラクター、ちょっと無骨過ぎるような気もするんですがね。
 

ニューオリンズ、懐かしいニューオリンズ

2007-06-26 01:10:05 | 北アメリカ


 ”New Orleans Lullaby ”by Rick Trolsen

 海水浴場が間近かに広がる海辺の観光地に住んでいる。朝、仕事にかかろうと家を出てバイクにまたがると、目の前を水着の女の子がアイスを舐め舐め歩いて行ったりして、一気に働く気を失ったりする。住んでいる町内そのものが夏の間、海の家と化すのだ。

 夜、夕涼みにはちょっと遅すぎる時間に、散歩がてらヨット・ハーバーのあたりをウロウロしていると、観光客たちがコンビニで買いこんだ花火を浜辺で打ち上げていて、ライトアップされた海岸の上空が火薬の煙で霞がかかったようになっていたりする。そんな場違いのはずの硝煙の匂いさえも、いつの間にか夏の風物詩として町の夜景に溶け込んでしまった。

 海岸の遊歩道は昼間に照りつけていた太陽の熱気が空気の中にまだ淀み、ドロリと空間の歪むうちに、現実と非現実の皮膜がゆっくりと溶けて行くような幻想に人を誘う。あちらから歩いてくるのは、はたして現世を生きる人間なのだろうか?
 国道の向こうで灯る繁華街のネオンが海面に揺れ、風に鳴るヨットの係索が、まるで巨大な怪獣の咆哮のように湾に響く。アメリカ南部のどこかの田舎町に自分はいるのだ、と信じ込もうとするのだが、そいつはやっぱり無理があるようだ。

 Rick Trolsen は、ファンク・ミュージックを演奏するユニークなブラスバンド、”Bonerama”のトロンボーン・プレイヤーとして一部のスキモノたちの間で名をはせる存在であるが、昨年、この、過去への追憶でコテコテに固められた、セピア色のソロ・アルバムを世に問うている。
 何でも彼は若い頃にアメリカ海軍の軍楽隊に所属し、ニューオリンズの街に少なからぬ日々、駐屯していた過去があるとのこと。そんな”音楽の都”における若き日の思い出に捧げたのが、このアルバムであるそうな。

 とは言うものの、いったい彼はいつ頃、どんな風にニューオリンズで過ごしたのか。
 裏ジャケの写真、深夜のニューオリンズはフレンチ・クオーターの通りの一隅に腰掛け、トロンボーンを手に追憶に耽る風情の彼は、すでに白髪の老人である。いつもの攻撃的なサウンドを売り物にするファンク・ブラスバンドのメンバーとしての彼が、無防備にそんな自分の実像をさらけ出してしまっている。

 収められている演奏もすべては後ろ向きであり、明日に向かう何ごとも存在せず、すべて甘やかな過去の思い出に捧げられている。
 取り上げられた曲は、ファッツ・ウォーラー、デューク・エリントン、ホギー・カーマイケルらの手になるスタンダード・ナンバーばかりであり、第2次世界大戦以後、時間の経過はなかったかのような風情。

 ただ一曲収められたRick のオリジナル曲、タイトルナンバーである”ニューオリンズ・ララバイ”もまた、そのラインナップの内にあって何の違和感もないアナクロな優しさに溢れた佳曲である。
 スタイルとしてはピアノトリオをバックにしたトロンボーンのソロ・プレイ。何曲かで Rick は、ルイ・アームストロングばりの渋い喉も披露している。

 海軍軍楽隊出身というのが珍しいかどうかよく分からないのだが、とりあえず白人ジャズ・プレイヤーとしての彼のキャリアは王道を行っているとはとても思えず。初期にはジャズ・ロックバンドに所属し、その後はブラジル音楽に興味を示し、今日はファンク・ミュージックにうつつをぬかしている。
 それが彼が望んで歩んだ道なのか、こいつももちろん分かりはしないのだが、そんなキャリアの彼が感傷の対象とするにはちょっと不思議な、スタンダードなオールド・ジャズで埋め尽くされた盤である。

 アグレッシヴな活動を続ける彼の心の底には、ニューオリンズ仕込みの、このような感傷が、ずっと息を潜めていたと言うのだろうか。
 それとも、ここで聞かれる感傷と言うのはニューオリンズという街そのものの孕んだ感傷を Rick が演じて見せたものであって、これは一幕の虚構なのだろうか。

 などと余計な推測も、Rick の奏でる、流れるようなトロンボーンの調べにいつしか溶解し、気がつけば古きジャズの都、ニューオリンズの街に Rick が寄せる感傷に今夜はとことん付き合うぞ、そんな気分にさせられているのであった・・・

ナポリタンの嘘

2007-06-25 03:45:20 | 時事


 嘘っぱちだな。
 ドラマで使われた曲のヒットのおかげで忘れられていたスパゲティのナポリタンが復活した、なんて趣旨の記事だけど、何言ってやがる、街ではこれまでも普通にナポリタンは食べられてきたし、忘れられたことなんてないぞ。

 話題作りのために現実を捻じ曲げやがって。こういう”作り上げられた歴史”って凄く気持ちが悪い。

 でもどこにもいるお調子者は、話を疑いもせずにすぐに話題に乗って、、「ああ、そういえば昔、ナポリタンってのがあったよなあ。あははは。また食えるようになったの?すげえ懐かしいじゃん」とか言い出すんだよな。で、そういう奴が”ノリの良い奴”って事になったりするんだけど、うん、ただのバカだと思うよ、そういうのは。

 ○復活!懐かしの「ナポリタン」 (ゲンダイネット - 06月23日 10:10)
 「愛しのナポリタン」という曲がヒット中だ。日本テレビ系ドラマ「喰いタン2」のテーマソングで、「粉チーズでおめかし、嗚呼ぁ タバスコ、愛しのナポリタン~」とラテン調で歌う。オトーサンたちの間でも、「昔、喫茶店で食べたナポリタンが懐かしい」という声が強まっている。
 「ナポリタン」(小学館文庫)の著者・上野玲氏もこう話す。「洋食屋やビアホール、居酒屋などで、『懐かしの』と銘打ってナポリタンを復活する店が増えています。コンビニでもナポリタンは隠れたベストセラーです」

陽のあたる島、あのあたりに

2007-06-23 01:20:35 | アフリカ


 ”Mgodro gori”by Mikidache

 ボサノバを”ジャズの一種”呼ばわりにされて頭にきたアントニオ・カルロス・ジョビンが、「ジャズの誕生などよりずっと前から、ブラジルの海岸に寄せる波の音の内から、あのリズムは聴こえてきていたのだ」なんて言ったのだったが、(うん、細部はちょっと記憶が怪しい話だが)そんな挿話など思い出してしまう、これもまた海から生まれ、陽のあたる島で育った伸びやかなリズムの物語である。

 コモロ諸島の音楽、と言ってもそれがどこなのか、すぐに見当の付く人は少ないだろう。アフリカは東南の海岸、マダガスカル島との間に広がる海峡に点在する島々であり、これはその地のローカルポップスのヒーロー、Mikidacheがものしたアルバムである。

 ともかく爽やかな海辺の音楽である。アフリカの地にありながらどこかほのかにアジアの気配をも漂わせる。いかにもインド洋の音楽らしい、といって良いのか、ハチロク系の軽やかなリズムは、まるで南の島に打ち寄せる波のように寄せては返す。
 アルバムの主人公、Mikidacheの陽気な歌声が、晴れ上がった空に向かってどこまでも登って行く。アコーディオンがメインに出てくる部分では、なんだかブラジルっぽくも感じるニュアンスまで現われ、なかなかに楽しいものがある。

 このあたり、つまりはアフリカ東南部はマダガスカル島周辺で歌われる音楽のメロディラインの正体には、以前から非常に興味を惹かれている。
 カラッと乾いているように聴こえるものの、その奥深くのどこかに不思議な湿り気が含まれている旋律。降り注ぐ陽光の元の不意の陰り。あるいは真夏を吹き抜ける一陣の冷風。

 どこからやって来たのやら履歴の分からない奇妙な哀感が、太陽の賜物とも言いたい、このあたりの音楽の芯の部分にひっそりと身を潜めている。それが音楽の表情に、その土地にはありえない日本の秋をも連想させる微妙な陰影を刻んでいる。
 どこからやって来たのか、この湿り気は。

 などというこちらの、もしかしたら考え過ぎの観察を尻目に、この”世界のバス通り裏”みたいな(?)気の置けないちっぽけで愛すべき大衆音楽は、ローカルな祭の華やぎを繰り広げて行く。

 コモロ諸島を構成する島のうちの大部分は、独立国としてささやかな産業なども持ちはするものの、いわゆる”世界の最貧国”のレベルの生活に苦吟しているようである。
 その一方、このアルバムに収められた音楽の故郷であるマヨッテ島はいまだフランス領の内にとどまり、それゆえに、観光地としてそれなりの栄華を享受しているとのこと。

 これもなにやら微妙な気分に誘われはするのだが。
 まあ、そのような部分に関して、地球の裏側の住人たる我々があれこれ言うのも余計なお世話であろう。
 ああ。波の上を音楽が渡って行く。

”百万本のバラ”に突っ込む

2007-06-21 00:10:30 | ヨーロッパ


 先にここで、「加藤登紀子よ、テレビで見たけど、ロシア・ポップスの”百万本のバラ”を、ボサノバのリズムなんかで歌ってんじゃねえよ。どういうセンスのアレンジだ、あれは!」とか文句を言ったことがあるが、そういえばあの歌の歌詞もどうかと思うぞ、と言う話をしそこねていたのだった。

 百万本のバラ。まああれの大意はほぼロシア人の書いた原詩のままのようなので、加藤登紀子にだけ文句を言っても仕方ないのだが。

 歌の概要としては、”貧しい絵描きが女優に恋をし、彼女が好むと言うバラの花を百万本、何とか金を工面して彼女が泊まっているホテルの周囲に飾り付けた。翌朝彼女はバラの花でまっかっかとなった街角を見て唖然としたのだが、そのまま次の公演地に行ってしまい、画家と女優は無関係のままであった”といった物語のようだが。

 なんなんだ、この詩は?これ、どこに感動すればいいんですかね?まあ、百万本と言うのは比喩だとしても、非常に大量のバラを想定した歌詞であるわけでしょ?そんな物量作戦を発想することのどこに”詩”が存在しうるのかと。
 この辺、文化の基本的な違いを感じてしまいますわ。悪趣味でしょう、そんなのは。いかにも肉食民族の西洋人が思いつきそうな”ガサツな詩情”と思います。やだねえ。

 だいたい、”貧しい画家”が生涯に持っていいバラの花の本数はマキシマムで一本、これでしょう。10本でも論外なのに、百万本とは何ごとだ。そんなの、想像するだけでも間違っている。「いや、この間、バイトしてちょっと金が入ったんだよ」とかそういう問題ではない。清貧の精神、というものは、そういうものでしょうが。

 あのいかにもアメリカの下品な感性を象徴するような映画、”ランボー”の最近作で、主人公が体力をつけようとしてグラスに入れた大量の生卵を飲んだりする、見ているだけで胸が悪くなるようなシーンがありました。あれが西洋人の感性なんだよな。
 あそこは、日本人だったら握り飯とオシンコでしょう。それだけを腹に収めて山中にこもり、ストイックに修行に打ち込む。

 それと同じことでね、いくら相手の女がバラを好きだからって、町を本当にバラだらけにしてどうするんだよ。だいいち地球に優しくない。後始末をどうするのか考えたうえでの狼藉なのか。
 いやしくも君は芸術家でしょう?本物のバラなんか買い集める前に少し工夫をしてみたらどうだ。画家なんだから街中バラの絵で埋め尽くしたっていい。そしたら神様だって奇跡を起こしてそのバラを本物に変えてみせるくらいのサービスも考えたかも知れないじゃないか。

 まったく。あの歌のメロディはともかく歌詞って、なにをどう感動すればいいんですかね?私はいまだに分からないんだが。いや、”批判”とか銘打ってはおりますがね、ほんとに素朴な疑問。ロシアの人たちって、あの詞で、どんな具合に感動してるんだろ?


 ☆添付した写真は、”百万本のバラ”の創唱者、Алла Пугачева(アーラ・プガチョワ)

”ザードのボーカル”問題

2007-06-20 00:15:06 | その他の日本の音楽


 え~とですね。今月初め、あの”ザードのボーカル”である坂井泉水が不慮の事故(らしい)で亡くなりました。

 で、それに絡めて私は、ここに以前より”ザード”に関して思っていた事を書きました。

 一つは、「洋楽がどうのとか言ってロックの名盤1000枚集めたって、日本人にとって、あの種の低血圧で小奇麗な音楽が結局、限界なんだろうなあ」そう思い知らされたのが、”ザード”のいつまでも衰えぬ人気であったこと。

 もう一つ、何かと言うと亡くなった坂井泉水が”ザードのボーカル”と称されるのが異様な気がしてならなかったこと。”ザードというバンド”なんて何も実態はなく、坂井泉水なる歌手を売り出すための虚構でしかないのは、音楽ファンの誰もが知っている。にもかかわらず、なぜ、性懲りもなく”ザードのボーカル”なる肩書きは繰り返し提示されるのか。

 この記事に関し、以前よりの知り合いであるシン@本さんがブログのコメント欄になんども感想を書き込んでくださいました。

 そのやり取りが印象に残り、あまり人目につかないブログのコメント欄に置いておくのももったいない気がしたので、ここに記事として公開する次第です。シンさん、勝手な事をしてすみません。事後承諾を迫る形になってしまい、申し訳ないのですが、どうかお許しください。

 (下のやり取りの元になるのは、6月5日の”終わりなき循環コード”という記事→であります。合せてご覧ください)

 ~~~~~

★ロックではない (シン@本) 2007-06-09 02:49:38

なるほど、頭の中がすっきりしました。
JUDY AND MARYとかは、「最近の音楽なにが好き?」と聞かれたときに答えるための方便みたいなものなのかもしれません。
「ジュディマリが好き」
「へ~、おしゃれなの知ってるね」みたいな。
「ZARDが好き」と言ったら
「ふーん……(じろじろ)ZARDねえ」
と、いろいろ見すかされるような気がする。
(でも考えてみたらどちらも「最近」ではないかも)

あれはフォークだな、とは前から思っていました。
系譜をたどると、「ふるさとの話をしよう」とか「早春の港」とか……童謡や唱歌からしてそうですね。

でも唱歌ってアイルランド経由でしたよね。
(違ったかな?あいまいな記憶ですみません)
近代以前はどうだったんでしょう。ZARDから江戸の歌までを考えてしまいました。

でもZARDってロックは意識していないのでは?
ファンも(つまり私も)ロックにあまり重きを置いていないし(笑)。
むしろバンドブームに乗っかったのでは、と思うのですがよく分かりません。

こんなに長く書くってことは、自分の心にモヤモヤがあったんですねえ。あらためてそう思います。

★. (マリーナ号) 2007-06-10 02:15:52

ザードの音楽ってのは、日本人の音楽の好みの”痛いところ”を突いてくるって気がします。その人が音楽の知識を持っているほど、それは”痛い”というべきか。
いずれもう一度、ちゃんとした形でザードについて書いてみたいと思っています。

唱歌ってのは、いずれにせよ西洋かぶれの音楽家によって作られた、あんまり自然なものではない作り物ですよね。近代以前はどうなんだろう?わらべ歌なんてのは、普通に日本音楽の系譜につながるものと思っていましたが、詳しく調べてみると何か出てくるのかもしれません。

”ザードとロック”を考える時、基本になるのはあの「ザードのボーカル」って言い方ですよね。”ザードのメンバー”って”ボーカル”しかいないって明白な事実なのに、テレビのニュースのアナウンサーまでもが、その言い方をする。これって、”ザードはロックだぞ”と念を押すためのものと思うんですが、では何のために?この辺も、解きたい謎です。

★ロックの要素はひとかけらもない (シン) 2007-06-14 19:57:59

>ザードのメンバー”って”ボーカル”しかいないって明白な事実なのに、テレビのニュースのアナウンサーまでもが、その言い方をする。これって、”ザードはロックだぞ”と念を押すためのものと思うんですが

いや、それはどうでしょうか。
ZARDに、ロックと思われていいことがあるとは思えません。今でもロックの印象といえば「騒々しい音楽」なんですから、さわやかなイメージで売ってきた彼女には、ロックと呼ばれるのはむしろマイナスだと思います。

実態のないバンドをZARDとして存在させ続けることによって、神秘的な雰囲気を作ろうとしていたのではないでしょうか。テレビにも雑誌にも出ない、という戦略の一環だったように思います。

★, (マリーナ号) 2007-06-16 03:26:02

まあ、あんまり論争するテーマとも思えませんが(笑)
その”バンド”ってのがアレなんですね。今、日本で、”ボーカル”なんてパートのいる”バンド”ってのはロックバンドしかいなんで、やっぱりあれは”ロック”って商標で売りたいのでは?
”ロックは騒々しい音楽”ってのは、そりゃ洗練された文化に生きる人が持つイメージで、”ロック→西洋の音楽→あっちから来たものは無条件にお洒落”なんて貧困な価値観のうちに生きているのが一般大衆というものではないでしょうか。
で、そんな”大衆”に”かっこいいもの”としてアピールしようって戦略だったんじゃないかと。

★むきになることでもないんですが…… (シン@本) 2007-06-17 14:22:47

私もこんなに長びくのはちょっとどうかと思うんですが(笑)このままモヤモヤしているのもなんだし、書いちゃいます。

ボーカルのいるバンド=ロックバンド

という公式は、どうかな、あまり成り立たないんじゃないでしょうか。
最初はそうだったかもしれないけど(詳しいことは分りません)、今はロックだなんて意識せずに「ボーカルのいるバンド」をやっているところが多いような気がします。
いえね、なんでこんなにこだわるのかというと、私自身ZARDをロックだなんて感じたことは一度たりともないんですよ。全然、まったく、ロックではないもん。
これがBzとかGRAYとかだったら分るんですよ。ロックと思われることがステータスになる、ということが。でもZARDはねえ。ロックと思われて得することがあるとは想像できないんです。

★, (マリーナ号) 2007-06-18 22:45:06

うーん、そうすると、なんだって彼女を語る場合、”ザードのボーカル”といちいち強調されるんでしょうか?音楽番組や芸能情報ばかりではなく、一般のニュースのアナウンサーまでが、わざわざそう呼ぶわけは何なんでしょう?「歌手の坂井泉水さんが亡くなりました」で十分用事は足りるはずなのに。
”ザードのボーカル”と付け足す必要がある誰かがいる。しかも彼は一般のニュース番組にまで影響を及ぼす”権力”を持っている。これはなんなんでしょう?

★思いつきだらけです (シン@本) 2007-06-19 02:08:23

なんででしょう……もうここまでくるとなにがなんだか分りません(笑)。

レコード会社がバンドとして売り出して、その結果バンドとして売れたから「ZARDの坂井泉水」として呼ばせて、それが定着したのかもしれません。
特に深い意味はないような気がします。

あ、今思いついたんですが、「ブギの女王、笠置シヅ子さんです!」や「永遠の若大将、加山雄三さんの登場です」に近いのかもしれない。「ZARDの坂井泉水さん」って。
最初はバンドの名前だったのが、形骸化するにつれてだんだんと枕詞のようになっていったんじゃないでしょうか。
ん~、でも本当はよく分らない。というか、私、あんまり気にしたことなかったんです。

亡くなってみると、彼女の歌が無性に懐かしい。なんだかんだ言っても結局好きだったんだなあ、と今になって思います。

★. (マリーナ号) 2007-06-19 21:38:22

 一つ確かなのは、大の大人が「何ごとかわざわざやる」のには、その裏に金か権力か、そんなものが存在していなければならない、と言うことです。
 全国放送の、芸能担当でもない一般のアナウンサーが、各局揃って「ザードのボーカルの」とやるのは、やっぱりなんか異様です。
 これが”サザンの桑田”が死んで、それを報道するのだったら、「サザン・オールスターズのボーカルの桑田さんが」とアナウンサーが言っても何も変ではない。我々は”サザンなる”バンド”の実在を確認済みですから。だけど・・・”ザード”なんて”バンド”が実在していないのは、日本の音楽ファン誰もが知っていることです。
 なのに、あちこちのニュースで当たり前のように「ザードのボーカルの」と各局のアナウンサーたちが真面目くさって言っている。なんか気色悪いです。その裏にあるものを何とか知りたく思い、ここで、「ロックなるナウいものの捏造」という仮説をとりあえず出してみたのですが。

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ロッキン・ロシア民謡を求めて

2007-06-18 22:49:03 | 音楽論など


 先日、吾妻ひでおに関わる話のところで”鶴”を聴くために鮫島有美子の”ともしび・ロシア民謡を歌う”を引っ張り出した、なんて書いたが、そのアルバム自体について。
 とはいっても彼女はクラシックの歌い手であり、徹頭徹尾裏町の大衆音楽支持者の私はクラシックという音楽形態に対する興味は皆無といった状態である。大した感想もいえないのだ。ともかく、上手いも下手も良いも悪いも分からない。ああ、こういう音楽もありましたか、と右から左に受け流すだけ、といった有様である。

 だったらなんでクラシック歌手のCDなどをを買ったのだ?と疑問に思われようが、収められているロシア民謡が好きなものばかりだったのでふと気が惹かれたのと、すべて日本語で歌われているようなので、歌詞を覚えるのに都合が良かろうと考えたのだった。
 歌詞を覚えたところで、いまさら歌声喫茶でロシア民謡を労働者学生諸君と高歌放吟する機会もなさそうだが、まあ、好きな歌の歌詞を楽して覚えられるのは良いからね。

 で、聞いてみた感想としては、うん、やはり私にクラシックは関係のない音楽だなあと再確認した、と言うところか。俗世と隔絶されたかに思われる環境において研ぎ澄まされた高度な演奏技術の提示よりも、譜面も読めないような雑民が欠陥だらけの自己流のテクニックで奏でる、街角で生きるメロディに、やはり私は血が騒ぐ構造になっている。

 それにしても、かって我が国でも相当の広がりを擁して愛好されたと言う割には、あんまり聴くに値するロシア民謡の録音って見当たらないではないか。通販サイトのレコードを検索しても、結局、ダークダックスとかを買うしかないようである。あのようなお上品なコーラスでロシア民謡を聞いてみても、私としてはもう一つピンとこない。

 これはあまり面白くない情勢ではないか。加藤登紀子?いや、論外ですから。

 などとぼやいていたら、以前、岸本力氏の歌唱を推薦されたことがある。バスの実力者で、日本におけるロシア民謡の権威である由。うん、氏の名はロシア民謡を扱っている店のカタログで何度か拝見して存じ上げているのだが、残念ながら、どうやら氏は日本語で歌っておられないようなんで。(一緒に、”二期会の会員です”とも教えていただいた。うう・・・。そう言われましても、私、二期会なるものが一体何なのか、まったく分かっておりません。すみません)

 ともかく岸本氏はロシア民謡を原語でのみ歌っておられるらしい。これは私にとっては大きなマイナス・ポイントです。

 まあロシア民謡に限らず、外国音楽をその国の言葉だけで歌ったアルバムに、どうも私は興味をもてない。それだったらその金で現地の歌手のアルバムを買ったほうが良いからね。外国の歌に、文化に、我が国の言葉を持ってトライした、そんな闘いの記録が欲しいのだ、私は。心惹かれた異国のメロディに、たとえ舌足らずであろうと、我々の言葉による詞が付けられたものを、その歌手の真似して歌ってみたいのだ。

 つまらないなあ、まったく。いても良さそうなものだと思うんだがね。岩のように逞しくワイルドなロシア民謡の歌い手。めちゃくちゃロックンロールな奴。音楽的教養なんてなくてかまわない。その代り、庶民の歌い手らしく街角で培った、直感一発ですべてを理解する、つまりは大衆音楽の歌い手のフットワークを十全に備えた、そんな歌手が。

 いたんじゃないかと思うんだよ、そんな歌い手となる素養を持った者が。かってのロシア民謡ブームの時代に。でも彼は、学校できちんと発声を習わなかったから、譜面も読めないから、とか言うつまらない理由でスポイルされて無名のまま忘れ去られていった。あったような気がしてならないんだがなあ、そんな事が。

”鶴”と漫画家

2007-06-17 03:23:31 | 音楽論など


 ”うつうつひでお日記”by 吾妻ひでお

 昨年、自身の失踪体験とその後のホームレス生活、さらにその後のアルコール中毒による入院の次第を描いた漫画、「失踪日記」が注目を集めた(と言うのも昔からのファンにしてみれば悲しいが)吾妻ひでおの新著、「うつうつひでお日記」をこの頃、就寝前に寝床で読んでいる。
 「失踪日記」に著された波乱の後、どうにか漫画家としての生活を取り戻した吾妻の、しかしかなりリハビリ色の濃い日々を自虐的ユーモアを込めて描いた作品。「何もしてません。事件なし、波乱なし、仕事なし」などと帯に書いてあるが、その件に関してはあんまり他人事ではない当方としては、笑えず。

 でまあ、こちらも自虐的となりつつ読んでいるのだが、ふと音楽的に気になる部分が出て来た。たとえば、吾妻が妙にロシア民謡の”鶴”に執心であったりする部分。市民コンサートの類に出かけて吾妻は、この曲が演奏されるのに出くわし、「好きな曲だ」と落涙し、後日、”鶴”の収録されたCDを手に入れては、またも涙ぐみつつ一日中聞いている。

 まだ精神安定剤などの力を借りつつ日常生活を成り立たせている事もあり、かなりセンシティヴな状態にあるのであろう、吾妻の心。
 そのような吾妻の心に、そんなにも”作用”している”鶴”なる曲の実相を知りたく思った。
 曲自体を聴くのは簡単。吾妻の手に入れたCD、鮫島有美子のロシア民謡集を私は、ずっと以前に購入済みである。が、弱ったことに私には”鶴”なる曲に、特に記憶がないのだった。

 ”鶴”はアルバムの1曲目に収められていて、真面目にアルバムをアタマから聞いていったりしない私は、それより後に収められた別の曲を聴くために、いつも飛ばしてしまっていた曲なのだ。
 そんな訳で、実質、初めて聞く”鶴”である。アルバム冒頭を飾るにふさわしい荘重な曲調の歌である。短調の、重々しく悲しげな、いかにもロシア民謡、と言う感じ。

 確かに悪い曲ではないが、吾妻がそんなに入れ込む理由が簡単に納得できる、という感じでもない。2~3度聴くうち、「そもそもなんでこんなに間奏が長いのだ」なんて疑問も出て来た。
 原曲がそうなのか、このアルバムのアレンジャーが凝ってしまったのか、複雑に盛り上がる間奏は、なんだかプログレッシヴ・ロック好きが喜びそうな芸術趣味であり、”民謡”でこれはいかがなものかと思ったのだが、クラシックのアルバムにそんな文句を言っても仕方ないのかも知れない。

 歌詞は、”戦場で倒れた兵士の魂が鶴に変じて故郷に帰る”といった趣旨のもので、今流行の、”千の風になって”なんて歌を連想させるものがある。もちろん、こちらのほうがずっと歴史の有る曲なのであるが。

 それにしても、”鶴”などというジャパネスクなもの(?)が主題となる外国曲も珍しいが、ロシアにはそのような言い伝えなどあるのだろうか?と調べてみると、どうやらこの詞、ロシアの詩人により、広島における原爆被爆を念頭において作られたものと分かった。鶴などが出てきたのは、被爆者の枕元に飾られた千羽鶴からの連想のようだ。

 そうなってくると、間奏の”芸術くささ”も意味合いが想像ついて来る。この曲が冷戦下のソビエトで、”帝国主義に抗する人民芸術”と官僚根性で決め付けられ、箔を付けられた”芸術歌曲”である証なのだろう。

 もちろん詩人も作曲家も、そのような事情を念頭に置いた上で”鶴”の詩情を歌い上げたわけではあるまい。それとも、冷戦下のソビエトで、それなりに高名な芸術家として生きるのは、つまり、そのような結果を承知していたのだろうか。
 いや、詩人と作曲家の仕事に何の不純な意味も見出せはしない。音楽の向こうに提示された、灰色の原野を行く鶴と魂の永遠に関するメッセージは、確かに聞く者の胸を打つ。ただ、無理やり付与された”芸術くささ”が、奇妙な不自然さを漂わせるばかり。

 なんて事を考えつつ”鶴”を聴いていると、そのむこうにそそり立つ”国家”というバケモノの巨大さと、それに対峙する無名の庶民たる漫画家、吾妻の姿の、あまりの小ささに唖然としてしまうのだ。

 けれど、放浪やアルコール依存で傷つきながらも、遥か異国の詩人の祈りに共鳴して頬を濡らす、そんなあまりにナイーブ過ぎる個人の感傷がその庶民一人一人の胸にあるうちは、最後の希望もまた奪われはしない、なんて、文章にしてみると凄く恥ずかしい事を、ふと考えたりもした。

国境の南

2007-06-16 03:29:21 | 音楽論など


 もはや歴史の生き証人みたいな発言となってしまうが、テレビというものは昔は一日24時間ベタっと放送していたのではなく、時に”テストパターン”なる時間があった。
 要するに放送が途切れる時間帯であって、その時間には放送局のロゴマークやらともかく静止画が画面に映し出され、音楽が流れたりしていた。そして昔の人間はそのような時間もテレビの前から去らずに飽くことなくその動かない画面を凝視し、次なる番組が始まるのをじっと待ち続けたものだった。

 テレビが皆の家に来て間がない頃、まだまだ公園に置かれたテレビの前に街中の人間が集まり、力道山のプロレスを見ていた記憶が生々しい素朴な時代の話だが。

 ある日の昼下がりテストパターンが妙に記憶に残っている。明るい陽の当たる港の風景が画面に映し出されていた。桟橋に渡し舟が着き、バナナかなにか、ともかく南の果物が荷揚げされていた。白い作業着を着た、黒人の港湾労務者たちの笑顔。
 そんな静止画のバックに、艶やかで伸びの良い歌声が朗々と響いていた。そいつはいかにも、その船がやって来たのであろう南の国の詩情を深く宿した響きがある、と思え、深い印象を受けた。今から思うに、それは当時の人気黒人コーラスグループ、”プラターズ”のヒット曲、”煙が目にしみる”だったのだが。

 プラターズのレパートリーの多くに微かに差す南の面影、というものが昔から気になっている。まあ、”夕陽に赤い帆”や”ハーバーライト”といった、そこはかとなく”南”や”海”を志向する曲もあるのだが、特に南がテーマではない曲にも微妙に南の陽光の気配が漂っている気がする。

 それはたとえば冬の日の夕刻、ニューヨークはマンハッタンの一角で働くサラリーマンの脳裏に、ビルの壁に当たる弱々しい陽の光が一瞬、遥か南の国のイメージを描いて見せる、そんなつかの間の幻想に属する話であるのだが。
 プラターズのレパートリーが特に南を志向するような音楽性を持っているわけでもないゆえ、逆にその”微妙な仄めかし”の感触が心に残る気がする。

 同じ時代の黒人コーラスグループで、そのような南志向をあからさまにして成功したのがドリフターズ(アメリカの黒人の、コーラスグループの方だぞ!)だろう。
 彼らは”渚のボードウォーク”やら”サンド・イン・マイ・シューズ”といった南志向のリゾート感覚溢れるテーマを、流麗なストリングスの響きを伴うラテンのリズムで歌い上げて見せた。でもこちらは見せ方があからさまな分、逆に幻想の深さには欠ける気がしないでもない。

 自分以外の誰にも通じないような話を書いているかも知れない。それはたとえば、プラターズの”見えそうで見えない南への誘い”みたいな感触が、現実の南半球ではない、たとえば稲垣足穂が”第3半球”なんて言葉で表現して見せた非在の幻想空間を予感させて興味深い、なんて話なんだが。

 同質の”非在の南”を描いて見せた作品として、ライ・クーダーの3rdアルバム、”放浪者の物語”に収められていた”マリア・エレナ”の演奏がある。
 おそらくライが子供の頃に耳にしたロス・インディオス・タバハラスの演奏、その記憶に触発されたのであろう、独特のノスタルジイに満ちた幻想空間。それはいかにもアメリカとメキシコの国境線上に存在していそうで実は存在しない、そんな”楽団”の演奏を模して見せた二重の虚構である。その酔いは深い。

 後のアルバムにおいてライが本物のメキシコの血を引くミュージシャンを招き、演じて見せた”南の音楽”は、それが音楽上のリアリティを持つゆえに、逆に幻想の輪郭がはっきりし過ぎてしまい、イメージの広がりには物足りないものがあった。
 きちんとした”現地音楽の理解”によって、国境の向こうの、見え、手に触れることの可能な音楽世界は詳細に描かれる代わりに、人が、めったに越える機会を持てぬ国境の向こうの異世界に描いた幻想は消え去ってしまう。

 まあこれも虚実皮膜の間の話で、「だからどうした」と問われれば「どうもしない」と返すより仕方ないのではあるが。

 そういえばカナダのカントリーロックバンド、”グレイト・スペックルド・バード”の演奏になる”リオ・グランデ”なんて曲も、その種の儚い夢想を紡いだ楽曲として忘れがたい。エイモス・ギャレットの非凡なギター・プレイが中心となり描き出す、遥か南の地を流れる悠久の大河に寄せる幻想。そいつは北の国の住人の心の中だけに存在する南、非在の南に関わるロマンスである。

 以上、”ワールドミュージックのありえたかもしれないもう一つの可能性”に関する夢想を書いてみたが、いや、ほんとに誰にも通じない話かもなあ。もしかしたら子供の頃のSF仲間にでも話してみるべきテーマなのかも知れない。

”グッバイ・ロックンロール”の80年代

2007-06-15 01:45:12 | いわゆる日記


 ”Remain in Light ”by Talking Heads

 知り合いの音楽評論家、小川真一さんがご自身のWeb日記に、”80年代ロック・アルバム ベスト25”について書いておられた。なんでも、60年代、70年代、と”レココレ”誌の特集記事に選者として関わってこられたが、80年代については選者から外れたので、との事。

 なんだかなあ。同じ選者で統一した方がいいんじゃないの?とか、ふと思ったのだが、まあ、それはそれとして。

 それより意外だったのが、同世代である小川さんが80年代のロック・シーンを当時、結構楽しんでおられたようだと分かったこと。そうかあ・・・80年代と言えば、私にとってはロックと完全に縁が切れた時代なんで、同世代の小川さんはあの時代のロックを楽しめたんだ?と、ちょっと驚いたのだった。職業上、楽しまざるを得なかった側面もあるものの、そればかりでもないようだ。

 しかし、”ニュー・ウェイヴの影響を受けてテクノ・カットにしてみたり、髪をおっ立ててパンク風のバンドでギターを弾いていたこともあった”とはねえ・・・いや、今度、当時のお写真をアップして見せてください(笑)

 だからもちろん、小川さんの日記に挙げられたアルバム群を見ても、私としてはなにがなにやらで、聴いたことのある、あるいはどんな音か見当の付く音は半分もない。
 小川さんは80年代を”音楽に対する姿勢、聞き方をガタガタに揺すぶられた時代だ”と定義しておられるが、私の方はずいぶんとあっさりとロックと縁を切ってしまった。

 70年代の後半辺りには、入ってくる”洋楽”の新譜のどれもがさっぱり楽しめず、というより何が面白いのかさっぱり分からず弱ったり、なんて時期が続いたものだが、80年代に入るとさすがに覚悟が付いて(?)音楽に関する軸足をホイホイとロックから外して”世界のあちこちの音楽”へと移す事となった。

 まだ、”ワールドミュージック”なる呼び名はなかった。そいつはサルサでありカリプソでありアフロ・ビートであり、あるいはフォルクローレやヨーロッパのトラッドやアラブの民俗音楽だった。

 今、”軸足を移す”にあたっての、我が”ロックに関する思い入れと断念”の瞬間など思い出そうとするのだが、何も浮かんでこない。大した愁嘆場があったわけでもないのだろう。つまんないから聴くのをやめた、それだけだ。70年代後半の”楽しめる新譜に出会えない苦闘”が、あるいはそれの前段階に当たるのかも知れないが、”断念”自体は何も苦痛ではなかった。

 一番最後に”楽しめた”ロックの新譜は、Talking Heads の Remain in Light だった。こいつを最後にロックと縁を切った。とはいうものの、ヘッズやその周辺に私でも楽しめる音は他にもないかと探したりはしたんだけどね、実は。でも、そんなものはなかったのだった。面白かったのは Remain in Light 一枚だけだった。

 もうちょっと厳密に言うと、80年代を過ぎても、いや今でも、プログレ関係の一部を買い続けてはいるんだが、これはロックを聴く意識ではなく、むしろワールドミュージック的視点で、”ヨーロッパの土着の音楽”と捉えて聴き始めたんで、ロックを聴くのとは別の話だ。

 そんな訳で私にとっての”ロックと80年代”は、あっけらかんとした空洞であったりする。小川さんが書かれているように、時代に自分の音楽に対する姿勢を問われるような、そんな体験をしておいたら貴重なものだったろうとも思ったりするが、そうはならなかったのだから仕方がない。実に軽薄なる”グッバイ・ロックンロール”だった。