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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

振り返らない街角

2007-07-26 06:22:55 | 音楽雑誌に物申す

 昨日のレココレ誌のベスト選話の続きでありますが。

 読者にベスト選考を募る応募要項の隣に、これは”回答例”って意味ででしょうかね、”ウッドストック・カフェ”なるお店の店長氏の選んだ”60~89年の間に発表されたロックのアルバム・ベスト20枚”が掲載されていたんだけど、そのセレクトに目を通した私は、うわ、これは凄いと、まことに申し訳ないながらも笑っちゃったのでありました。

 だってさあ、ベスト1がエリック・アンダーセンの”ブルー・リバー”で、その後に続くのがジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ディランにバンド、ライ・クーダー、ジーン・クラーク、ボビー・チャールス、と、”70年代初頭のアメリカン・ルーツロック愛好会選定”もいいとこの世界がきっちり20アイテム、並べられていたからであります。

 もう、絵に描いたようなあまりにも典型的な例を挙げられると、思わず笑ってしまうってのはあるでしょう?そ、そりゃあんまりだ!そんなど真ん中の直球ってあるかい!と。

 まあ、何年かのずれはあるかもしれないが、この店長氏、私と同じ世代の人なんでしょう。私も70年代のはじめには、たとえば伝説のロック喫茶”ブラックホーク”に通いつめるなどして、これらの音楽に入れ込んでいた時期はありました、ハイ。そしてそれは忘れがたい素晴らしい時間ではあったんだけど・・・

 けど、この30年間のすべてを、あの数年間の思い出の中にってのもいかがなものかと。あれから後、音楽も、そして私たちも、それなりの人生を生きて来た、歴史を重ねてきたんじゃないの?

 そりゃまあ、パンクのセックスピストルズを”70年代のベスト1”としたレココレ誌の”公式見解”ってのももの凄くどうかと思う。
 で、この店長氏が今回、ベスト20選を発表するに至った契機となるのも、セックスピストルズのベスト1占拠(?)への反発があるようで、それには大いに同感できるんだけど、60年から89年の30年間の成果をピンポイントで70年代初頭のアメリカの一握りのミュージシャンに集約させるってのも、問題あるって意味ではいい勝負じゃないかなあ。

 けどまあ・・・こういう人って、いるんだろうな。私が想像するよりずっと多いのかもしれない。”あの時代だけが”と結論を出し、割り切ってしまえる人は、それなりに幸せなのかもね。
 けどねえ・・・私は、シンガーソングライターやらアメリカ南部サウンドに酔い痴れていた時代の思い出が素晴らしかったならなおさらのこと、そこからさらに一歩でも歩き出さなきゃしょうがないでしょ、と思うぞ。スモールタウン・トークは遠きにありて思うのもの、ってねえ。
 

ペットサウンズ現象

2007-07-25 04:06:33 | 音楽雑誌に物申す

 ここのところ何回か、ロックのベストやらジャズのベストやらを選出する、なんて祭りに合流して騒いできたわけですが。その震源地たるレココレ誌がついに、「あなたが選ぶ洋楽ロックアルバム」なんて企画を発表した。読者に各々のベスト20を選ばせて、その集計を行なうカタチでロックのベスト100を選出するのだそうな。またこれで一荒れあるか?(笑)

 応募規定を見ていて奇妙に感じられるのが、”1960年から1989年に発表されたロックアルバムの中から”とされている点。この30年間に限ることにどんな意味があるのかな?ロックンロールの誕生はさらに何年か前に遡ると思うんだが、それを切り捨てる事にどれほどの意味があるんだろうか?その一方、最近の10数年間も選考基準外とするのはなぜなんだろう?

 これまでのレココレ誌のベスト企画のように60年代、70年代、80年代と区切って発表してきたことにはそれなりの意味も効用もあったのだろうけど、今回のこの処置の意味は良く分からない。
 勘ぐらせてもらえば編集部に、今回の選者たる読者に対して深層心理のレベルで不信感があり、「どこかで縛りをかけないと、あいつらどんな無茶をやるか分からない」なんて形のない懸念が、なにごとかの”枠”を設ける事を欲し、”30年間に限る”とやらせたとか。

 いやほんと、何度考えても分からないね、この”30年間縛り”の理由は。特に時期を限らず、”オールタイム・ベスト”でいいんじゃないかと思うんだが。

 で、集計結果ってのは、よくあるロックの歴史の本にあるようになるのかなあ、やっぱり?単純に考えてみればビートルズとかがまず”基本”として入るわけでしょ?ストーンズもランクインだろうなあ。ハードロックの元祖としてツエッペリンとかは入るだろう。ディープパープルとかはどうなのか?あと、グラムロック関係でデヴィッド・ボウイとか。アメリカ方面はディランとザ・バンド関連かなあ。

 そのハザマに、リアルタイムじゃ誰も聴いていなかったくせに、まるで当時から名盤と認知されてきたかのような顔してビーチボーイズの”ペットサウンズ”あたりが入り込んで、一気に話はうさんくさい方へ。

 そういや、”後から追いかけたお勉強の結果の一票”と、”その音楽と同じ時代を生きた者の証言としての一票”が同居するってのはどうなの?これはちょっと意味が違うんではないか。と、ここまで考えて、自分がこの種の企画に感じる違和感がなんであったのか、判ったような気がした。

 勝手に”ペットサウンズ現象”とか名付けようか。こいつは、歴史が、あとの時代の人の都合で書き換えられてしまう事に対する、リアルタイマーとしての居心地の悪さの表明である。

 もう一回言うけど、発表された当時、日本のファンで”ペットサウンズ”を評価していた奴なんて、誰もいないんだからね。それがいつの間にか、”当時、我々はブライアンの目指した音楽の高みに驚嘆したのだった”とか、歴史の捏造が行なわれてしまう。
 一方、当時を知らない若いファンは、すでに勝負の終わったゲームの、その結果だけを見て「やっぱ、この辺は定番でしょう。早くデジリマ再発されないかな。当然、紙ジャケでね」とか言う、と。

 どうにかならんのか、と思うんだけどねえ。まあ、こんな風にして記憶は歴史に書き換わって行くのだろうけれども。と、もう完全に老人の慨嘆だなあ、これは。

九龍あたりのジャズの風

2007-07-23 01:32:28 | アジア


 ”迷”by Unique

 え~今、一枚のCDを聴いておりまして、ジャケを見ると片方の目ばかりが大写しになった女性の顔写真があり、”迷...Unique”の文字があります。私は最初、これがアルバムのタイトルなのかと思っていたんですが、どうやらこの”ユニーク”ってのが、香港人特有の英語名みたいですな。そう、これは香港の女性歌手、”ユニーク”嬢のCDであります。

 で、聴こえてくるのは、まあ、音楽的にはジャズです。黒のレザー・パンツに黒のTシャツ、長い黒髪をなびかせまして、英語中国語日本語入り乱れる落書きでいっぱいの香港の裏通りを歩む粋な姉さんである”ユニーク”女史は、香港随一のジャズ歌手であるわけですな。ジャケの解説文にも、「得がたきジャズの天才歌手である」とか書いてある。

 で、歌われる曲は”バードランドの子守唄”に始まりまして、”ミスティ”に”A列車で行こう”、ついには”ラウンド・ミッドナイト”へと、臆面もなく、といいたいくらい真正面な選曲であります。バックを受け持つピアノトリオ+ギターの中国人と英国人混成のバンドもなかなか達者な音で香港の夜をリードしております。

 アルバムの主人公、ユニーク嬢の歌いっぷりも、けだるげな歌唱にときおりシャバダバとスキャットなど織り交ぜまして、まずは堂々たる女性ジャズボーカルぶり。どうやら香港の小さなクラブにおけるものらしいライブ録音は、世界上どこでもジャズのライブが行なわれる現場では醸し出されるのであろう、らしい空気を万全に醸し出しているのでした。

 まあそれだけなら特にここで文章にしておこうとも思わないんですが、一箇所だけ彼女がまさに”ユニーク”なところがある。それは、それらジャズの大スタンダードナンバー群に彼女は自分で広東語の歌詞をつけ、歌っているんですな。

 おかげで、なにやらビミョ~な雰囲気が彼女の歌には漂ってしまっている。音楽的には、まったく普通の、ありがちな、常道を行くジャズなんですよ。今、私がしているように、文章を書くのに使っているノートパソコンのあんまり上質ともいえない再生装置で聴いていると、異常に気が付かずに聞き流してしまいかねない。でも、よく聞いてみると、これはやっぱり広東語のジャズなんですわ。

 コトダマとはよく言ったもので、その広東語詞の濃厚な響きは、ユニーク嬢のジャジーな節回しのむこうに、喧騒の香港の街のきらびやかなネオンの輝きや、その光の下で繰り広げられる香港人たちの人間ドラマの発する体温から匂いまで、余さず描き出してしまうのですな。音楽的には”ありがちなジャズボーカル”のままで。
 いや、可能ならそちらにまで聞かせに行きたいくらいですけどね、この奇妙な歌世界を。

 そんな事をユニーク嬢がすべて意図して行なったとは言いませんけどね。彼女はただ、好きなジャズ曲を自分の言葉で歌ってみたかっただけでしょう。そうすれば、香港の地でそれほど認知度が高いともいえないらしいジャズ音楽を取り巻く状況が、もう少し変わるのではないかとか、あるいは考えたのかもしれない。

 いやまあ、分かりませんけどね、それもこれも推察の域を出るものではない。私が彼女について知っているのは、気まぐれで購入したこのCD一枚がすべてで、この文章を書く上で下調べの検索をかけてみたけど、何も引っかかってこなかったしね。
 ただ、誰が歌ってもこんな具合の”効果”を醸し出すとは限らないだろうし、これも一つの才能なんではないかと。

 とか何とか言いながら裏ジャケを見ると、発売年度は1996年になっております、このCD。そうかあ。返還十年。香港が北京政府に”返還”される、それがもう目の前に迫っている頃に、このアルバムはリリースされたんですね。ユニーク嬢は今、どうしているんだろう?”ジャズ歌手”なんて微妙な存在にとって、政情の変化ってどんなもの?

 いやいや。その程度の社会の変化はいかにも香港人らしく図太くやり過ごし、今も何も変わらなかったような顔してジャズを歌ってるんでしょう、ユニーク嬢は。そう決めておきます。

Trav'lin' Light

2007-07-21 00:25:28 | 北アメリカ


 いつか放映されていた英会話学校か何かのコマーシャルに、

 先生「that's right!」
 生徒「それは明るい!」
 先生「?」

 というのがあったが、私にはあまりおおっぴらに笑えない理由がある。あ、何がおかしいかは、分かるよね。

 ”Trav'lin' Light ”は、ジャズ・ボーカルの大御所、ビリー・ホリディ(画像)の創唱になる佳曲で、男と別れた女性が一人気ままな旅に出る様を描いている。それまでいたものがいなくなってしまった喪失感と、厄介ごとから自由になった開放感とがない混ぜになったような、乾いた感傷が印象的な歌詞だ。
 彼女のバンドメンバーのペンによるメロディも、シンプルなフレーズの変奏を重ねた独特の構成で、あてどなく風に吹かれて行くような旅愁を、上手く表現している。邦題は”身軽な旅”とされているのを見たことがある。

 実は私、この”身軽な旅”って歌のタイトルを”旅する明かり”と長いこと解釈していた。どう勘違いしたかは、分かるよね。いや、その程度の英語の実力だ、放っておいてもらいたい。それはそれとして。
 まあでも、このイメージは悪くないと勝手に決めている。いつまでも夜の明ける事のない広漠たる大地があり、その薄明の街道などを、ちっぽけな明かりを手にした旅人が一人、また一人と、癒されることのない孤独を胸に、あてのない旅を続ける、そんなイメージ。

 この歌には奇妙な思い出がある。

 もう20年も前になるが、はるか年上の友人から借りた、戦後すぐに進駐軍巡りをしていた日本人バンドマンが使っていたというジャズの楽譜集をめくりながら、気まぐれに目に付いた曲を探り弾きしていたのだが。そのうちの一曲に強力なノスタルジーを感じ、オーバーな言い方をすれば電流を通されたような状態になった。
 「自分はこの曲を知っている。ほんの小さな子供の頃に、自分はこれを聴いている。しかもそれは、何か非常に悲しい出来事の背景に流れていたのだ」
 そんな確信があった。とは言え、いつ起こった、どのような事情に絡むものなのか、何も思い出せはしなかったのだが。
 子供の頃、私の生活環境に普通に存在していた、キャバレーなどに出ていたバンドマンたちに関わる何ごとかではないか、との漠然たる思いがあった。

 たとえば小学生の私が友人と路地でメンコなんかしているそばで、バンドマン同士が、抱え込んだ悩み事を話し合っている。それはその時の私のような幼い子供には理解の出来ない、ややこしい人間関係に関わることだ。あるいは、人間が背負わされた、どうにもならない過酷な運命に関する物語。
 私は、聴こえない振りをして遊びに興じながら、その話から耳をそらせずにいる。それは非常に悲しくやりきれない物語なのだが、そもそも話の全貌さえ理解できない子供の身、”楽器を演奏する職業のオニーチャンたち”の置かれた窮状に心を痛め、あるいはそのような現実が実在するという事実にショックを受けながらも、しかし、いかんともすることが出来ない。

 いや、本当にそんな場面があったのか、それさえも定かではないのだが、ともかくそんな場面に大きく関わりがあると確たる理由も無しに信じうる
、何ごとか心の古傷を微妙に刺激するメロディであったのだ、その曲は。
 「なんだ、この曲は?」と私は首をひねり、何度もそのメロディを弾いてみたが、胸中に正体不明の古びた姿をした感傷が湧き上がるばかりで、何ごとも明確なものは浮かび上がって来ない。そんな具合にして生まれた疑問は、今も正体不明のまま、なのだが。つまりそれが”Trav'lin' Light ”なる歌だったのであるが。

 その歌がどのような素性の歌であるのかなど、その時に調べたのだが、もちろん私の事情と絡むはずもなく。ただ、”旅する明かり”を燈しながらうら寂しい世界の果てまでも旅を続けるバンドマンたちのイメージが心の内に住み着くばかり。
 そういえば、あれら現実世界のバンドマンたちは、その後、どのような人生を歩んだのだろう?時代は変わり、生バンドの入ったキャバレーも次々に姿を消して、職場を追われた彼らは、いつの間にか私の生活圏から姿を消してしまったのだが。

 ”Trav'lin' Light ”の歌詞をビリー・ホリディは地方を演奏旅行中に書き、それに彼女のバックバンドのメンバーが曲を付けた。旅先で金に不自由していた彼らはその曲を、知り合いの小金持ちのミュージシャンに、二束三文の値で売り飛ばした。その曲への評価はだが、その後、非常に高いものとなり、ビリー本人が物故してからもずっと、歌の権利を買い取ったミュージシャンの懐に多大な著作権料をもたらし続けたという。まあ、そういうものだ。
 

私版・ロック・ファンの選ぶジャズ25枚

2007-07-19 02:45:09 | いわゆる日記


 そんなわけでただいま、やっと選出完了しました。mixiにおけるマイミク横断企画第2弾、”ロック・ファンの選ぶジャズ25枚”の我がセレクトであります。

 ワールドものばかり聞いている私がロックファンと言えるのかどうかがそもそも怪しいって話もあるのですが、もともとはロック好きとして音楽ファン稼業をはじめたんで、お許しいただきたい、と言うかなんと言うか。まあ、私の愛するジャズのアルバム25枚、どうかご覧ください。

1) Eric Dolphy / OUT TO LUNCH (1964) #写真
2) Thelonious Monk / SOLO MONK(1965) 
3) Charlie Parker / FIESTA(1952) 
4) John Coltrane & Johnny Hartman(1963)
5) Fats Waller / BEST OF ・・・
6) Johnny Griffin / THE KERRY DANCERS(1962)
7) Jimmy Smith / AT CLUB "BABY GRAND"1&2(1956)
8) Dollar Brand / AFRICAN PIANO(1969)
9) Chet Baker / SINGS(1956)
10) Paul Desmond / EASY LIVING(1965)
11) Art Farmer / TO SWEDEN WITH LOVE(1964)
12) J.J.Johnson / BLUE TROMBONE(1957)
13) 山下洋輔トリオ / MONTREUX AFTERGLOW(1976)
14) Sun Ra / THE HELIOCENTRIC WORLDS OF SUN RA 1&2(1965)
15) Ornette Coleman / CHAPPAQUA SUITE(1966)
16) Misha Mengelberg / WHO'S BRIDGE(1994)
17) Bill Evans with Jeremy Steig / WHAT'S NEW(1969)
18) Boby Enriquez / THE WILD MAN(1981)
19) Don Cherry / ETERNAL RHYTHM(1968)
20) Steve Lacy / THE FOREST AND THE ZOO(1966)
21) The Jazz Composer's Orchestra / COMMUNICATIONS #8~11(1968)
22) Herbie Mann / MEMPHIS UNDERGROUND(1968)
23) 渡辺貞夫 / ムバリ・アフリカ(1974)
24) Art Ensemble Of Chicago / URBAN BUSHMEN(1980)
25) Charlie Haden / LIBERATION MUSIC ORCHESTRA(1969)


 戦前の、ミュージシャンと言うよりジャズ芸人(もちろん褒め言葉!)とでも呼びたい5)ファッツ・ウォーラーから近代の前衛ジャズまで、脈絡は何もありませんが、私にすればごく素直に選んでの結果です。
 トップを争うドルフィとモンクの二人が、我が最愛のジャズマンと言えるのかなあ。

 3) は、巨人パーカーがラテン・ジャズというかアフロ・キューバンものばかりを楽しげに吹きまくっている一枚。こんなお気楽な歌心に溢れた奴も好きなんですよ。
 18)22)23)あたりは、そんなノーテンキな音楽を欲する我が嗜好が反映されております。まあ、細かいところを突っ込めばいろいろあるかも知れないけど、なんとなく流れ聴こえてくれば楽しくなれる、それでいいじゃないか、と。

 18)のフィリピンの怪人ピアニスト、ボビー・エンリケスなんか、今、どうしているんでしょう?リッチー・コールasのサイドメンとして来日した際、そのナイアガラ瀑布みたいな雄大なソロに度肝を抜かれたものでした。オスカー・ピーターソン発山下洋輔行きとでも言うのか。

 ボーカルものでナット・キング・コールを入れたかったんだけど、あれはジャズ歌手と言うより黒人のポップス歌手、というのが私の定義なんで、替わりに4) にジョニー・ハートマンを入れました。バラード集で当てた後で調子に乗る(?)コルトレーンを相棒に、”て~おんの魅力”で夜を愛しんでおります。
 あとは、10)11)なんかの、ちょっと小味の切ない感傷も捨てがたいですな。

 ロックを聴く上での”参考”として聴いてみたのが付き合いのはじめ。その後、私の音楽趣味の正面に出ると言うか、”一番好きな音楽”の座に着いた事はないんですが、かといって、一度も興味を失うこともなく今日まで来た不思議な相棒、ジャズ。何者なんでしょうねえ、こいつは・・・

日本のジャズ in 50'~60'(中途半端ですまん!)

2007-07-18 01:30:17 | いわゆる日記


 え~、昨日予告しました我が”ジャズ・ベスト25”ですが、どうも中途半端な結果となってしまいました。
 例の1)で提示した、”戦後のジャズブームの頃、地方の歓楽街で少年時代を送った者の記憶の中のジャズ”ってテーマなのですが。

 当時、まだガキだった私がバンドマン連中と一緒にレコード聴き狂っていたわけでもなし、盤の名など挙げられず。今の時点で後追いで彼等の好んでいた盤の名を並べても、それは単なる調査結果でしかないし。どうにもベスト25など並べようもなし。

 しょうがないから当時の空気を伝える日本のジャズベスト10など発表してお茶を濁させていただきます。明日にでも、本来の私にとっての”ジャズ・ベスト25”を発表させていただきます。2)になる訳ですかね。

 なお、下のリストは編集盤やら未発表発掘やらベストやらばかりなので発表年度は記してありませんが、録音はどれも1950年代の終わりから1960年代のはじめ頃とお考えください。個人的思い入れとしては、小粋なジャズコーラスグループ、”伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ”のアルバムでも入れたかったところなのですが。


1)幻のモカンボセッション’54 by 守安祥太郎 秋吉敏子 渡辺貞夫 &・・・(写真)
2)ビッグ・フォア・プラス・ワン登場! by ジョージ川口&ビッグ4
3)銀巴里セッションJUNE 26,1963 by 高柳昌行と新世紀音楽研究所
4)松本英彦のモダン・ジャズ by 松本英彦
5)KING RE-JAZZ SWING: CHIEMI SINGS by 江利チエミ
6)ジャズ&スタンダード by 美空ひばり with 原信夫とシャープス・アンド・フラッツ
7)スタンダードを唄う by 弘田三枝子
8)クレージー シングルス by ハナ肇とクレージーキャッツ
9)オール・スター・ジャズ・イン by V.A.
10)可愛い花”by ザ・ピーナッツ(シングル)

 1)は、当時の日本ジャズ界のまさしく先頭を走っていた幻の天才ピアニスト守安の貴重なレコーディングが聴ける、これが凄い。まあ聴いてみてください。不幸な事件で夭折してしまった守安の激情に、あなたの感性をぶつけて欲しい。
 2)は、当時のジャズブームを牽引したスター・バンドの爆発を。
 3)は、まだ前衛音楽に踏み込む前の、リリカルかつエネルギッシュな高柳のギター・プレイが聴きものなのです。
 4)も、粋なジャズ・アルバムでした。
 5)6)7)と日本のジャズ・ボーカルを並べてみましたが、私としては江利チエミをもう一つ押したい気分です。再評価を促すって奴ですか。1963年の吹き込み当時、まだ16才の弘田三枝子のエネルギッシュな歌唱も良いですね。その後彼女はご存知のように歌謡曲の世界に行ってしまうのですが。
 8)は・・・当時、クレイジーはまだ、ステージで音楽ネタのコントとかやっていたのですね。当時の日本人は皆、それを愛していました。
 9)ですが。1957年度のスイング・ジャーナル誌の人気投票結果にもとずいて集めたメンバーにより吹き込まれた、お祭り的オムニバス作品。当時の音楽状況が分かり易いんで、下に曲目とアーティスト名をコピペします。ラテンの曲あり、戦前ネタあり、実験作あり、の混沌振りに注目。

1. アイ・ゲッド・アイディアス(南里文雄・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
2. いとしのヴァレンタイン(伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ)
3. ベサメ・ムーチョ(海老原啓一郎・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
4. 私の彼氏(鈴木章治・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
5. テンダリー(丸山清子・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
6. ヴィブラフォン・ラプソディによるテーマ(平岡精二・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
7. ベイシー氏エンジェルに会う(原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
8. 枯葉(松本英彦・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
9. 夜も昼も(中村八大・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
10. ラモーナ(河辺公一・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
11. パリの四月(高柳昌行・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
12. スペインの姫君(武井義明・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)
13. スウィート・スウ(鈴木章治とリズム・エース)
14. タキシコ(白木秀雄・ウィズ・原信夫とシャープス・アンド・フラッツ)

 10)筒井康隆がこの曲のヒットを、「自分の好みと世間の好みが一致した稀有な例」とかエッセイに書いておりましたが・・・まあ、この曲でリストを終わりたかったのであります、私としても。

 しかし、こうして10枚並べてみると、ほんとに瑞々しいといいますか、眩しい思いさえいたしますなあ。

私的ジャズ史のための不完全なノート

2007-07-17 05:23:21 | いわゆる日記


 またもmixiの、いわゆる”マイミク”であるit's me さんより、楽しくも悩ましい企画が提示された。いわく、” ロック・ファンの選ぶジャズ25枚”と。ううむ・・・

 私の人生でジャズに大きく関わった時期が3つあり、

 1)私は歓楽街育ちであり、また、家はアパートを経営もしていたので入居者にバンドマンもおり、そして子供の頃、日本はジャズ・ブームだったので、「歌謡曲とは別の、けど普通に聴こえてくる音楽」として幼少時にジャズを日常的に受け止めていた。
 2)青少年の頃、”ロック革命”とかがやって来て、クリーム時代のクラプトンのアドリブ等に惹かれた結果、「アドリブを聞くならジャズだよな」という判断でジャズを意識的に聴き始めた。
 3)ライ・クーダーなどに傾斜するうち、アメリカの古いルーツ音楽に興味を持ち、初期のジャズにもチェックを入れ始めた。
 
 以上の中のどれから選ぶか、それとも3種混合でやるか、ここでまず悩まねばならなのでありました。

 実際、私のジャズへの興味というのも我が事ながらつかみ所がなく、どうすれば形になるのか分からない。まあ、とりあえず3つすべてを順を追って書いて行けば、何か見えてくるかもしれないってことで。

 まず1)であるが、つかみ所がないといえば、これほどつかみ所がないものもない。何しろ当時私は単なるそこらのガキだったのであり、音楽ファンでさえなかった。
 強いて興味ある音楽を挙げれば、ソノシート(というものがあったのだよ、若い人)で手に入れた”荒野の七人”とか”OK牧場の決闘”といった”西部劇映画”の主題歌であり、もっと欲しかったのは、その映画で使われた拳銃のレプリカであるモデルガンだった。そんなガキの耳にも何らかのジャズが届いていたということなのか、当時の私にもそれなりに音楽ファンの芽が吹いていたと解釈すべきか。

 我が町でただ一軒のジャズ喫茶であるYを経営している、私が勝手に”小森のオバチャマ”と渾名している老嬢の話では、その頃はまだ日本中を席巻した戦後すぐのジャズ・ブームの名残りは脈々と息ついており、ホテルのクラブや街角のキャバレーなどなど、バンドマンたちは仕事場に事欠かなかったそうな。そんな連中が連日、町一軒のジャズ喫茶Yに押し寄せ、店の前には入店待ちのバンドマンたちが列を成したという。
 
 彼等が好んで聴いていた音楽に、幼い自分がどのように接していたのか、まるで覚えていない。レコードのタイトルにおいておや。歌の一節、あるいは楽器の音色などは確かに記憶の中にノスタルジィの色を帯びながら残っているのだから、無縁だった訳でもあるまいと信ずるのみ。
 リアルに思い出せるのは、知り合いのバンドマンが見せてくれた楽器などを魔法の道具に接するような気持ちで前にしていた自分、そんな光景ばかりだが。
 
 親からは、”あんなヤクザな連中に近付いてはいけない”と言われていたバンドマン連中の雰囲気というのは・・・
 あれはなんというタイトルの映画だったかなあ、古い日本映画にあったのだが、金持ちの運転する高級車に突っかけられたジャズファンの青年が「俺の怪我はいいけど、この黒人に謝れ!」と怒鳴りつつ、車輪の下に踏みにじられたジャズのレコードのジャケ写真を指差す、なんてシーンだ。

 まあ、当時のバンドマン連中が、そのように音楽を聖なるものと仰ぎ見る発言をする現場に居合わせた記憶は、実はない。どちらかといえば、私の親が禁忌としたのもむべなるかなと思わせるようなヤクザな雰囲気を漂わせていたのだが、にもかかわらず、そんな映画を思い出してしまうのは、連中が心中密かに抱いていた純情のごときものを私は感じ取っていたのだろう・・・とまとめたら、いかにも作り過ぎでうさんくさい話になってしまうが、まあ、そのような部分もあるにはあった、のだろうねえ、きっと。

 当時のジャズとのかかわりを再確認させられるのが、実はジャズ喫茶などで無駄に時間を過ごしている際である。「あ。この曲を子供の頃、聴いてるよ、俺」なんて感じで”再会”するのである。聞こえてきた曲がある時、子供の頃の記憶と強烈にシンクロする。
 あの時、聞こえていた音楽はこれだったのか、という再確認、というよりは種明かしみたいなものだ。その”種”は、たとえばアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズとか、オスカー・ピーターソンとか、特に珍しいものともいえないものであるのだが。

 と、さっぱり話の核心に至らぬまま文章だけが長くなって行くばかりなので、ここでひとまず。

身捨つるほどのロックはありや?

2007-07-15 23:47:06 | その他の日本の音楽


 ”日本の音楽ネタが続いてしまって恐縮であります。先日の”日本のロック・ベスト25”企画に対する自分の回答を検証するのがなんだか面白くなってきているのだ。そんな次第で今回も。

 10位に、北原ミレイの”捨てるものがあるうちはいい”を入れている。これは別にギャグでもなんでもない、本気のランクイン。一応、演歌寄りの歌謡曲歌手というのが彼女のポジションだろうが、この一曲はロックだなあと聞くたびに思う。

 彼女のヒット曲の一つである”石狩挽歌”は、あまり好きな曲ではなかった。その理由は。
 まあ、つまらない話であるが、「かって大量に水揚げがあり、北の漁場を大いに富ませたニシンが、次第に獲れなくなって行った」なる現実が歌詞の背後に織り込まれ、いかにも「これは社会派の歌なのです」といった風情。その辺がどうも好きになれなかったのだ。

 歌なんてものはそんな”メッセージ”なんかより、しがない個人の取るに足らない恨みつらみに執着すべきものだと思っている。とりあえず私は。

 かといって、あれが北原ミレイのデビュー曲なんだろうか、ともかく最初のヒット曲、”懺悔の値打ちもない”も、それほど興味は惹かれなかった。これは確かに”石狩挽歌”と違って個人の執念に関する歌だが、こちらは概視感というのか、どこかで聞いたことのあるようなありがちなテーマに思えて、退屈に感じられたのだ。

 やはり図抜けて”捨てるものがあるうちはいい”が良い。曲調は”懺悔の・・・”や”石狩挽歌”の路線を受け継ぐものだが、歌われる世界はずっと乾いている。というか、そもそものテーマが魂の”飢え”や”渇き”かと思える。

 男からの別れの手紙を懐に収めた娘や、わけあってそれぞれの家を追われたカップルなど。あるいは、これから身を投げようと試みる、雨降る桟橋。
 そんな男たち女たちのいる風景がモノクロームのシュールな筆致で描かれ、「そのような立場に追われようとも、泣く必要も、死ぬ必要さえない。そんな風に捨て去れるものがあるうちは、まだ良いのだ」と”説破”する。

 後に残るのは灰色のコンクリートが剥き出しのハードな地平だけ。その北原ミレイの歌唱の、ザラザラでクールな手触りが強力にロックだと思うのだ。

 このクール感。たとえば、おなじミレイの歌に他にも散見される。たとえば、なんと言うことはない韓国演歌であるはずの”太田ブルース”を聴いてみる。
 夜のプラットホームに滑り込む、煤け、古びた列車が、その質感や匂いなどまで伴うリアリティをもって描き出され、その巨大な乗り物に、つなぎあった手と手を離せと命ぜられ、無為に従うカップルの姿が歌いこまれる。

 愛し合いながら別れる男女の報われなかった愛がテーマの歌と思わせながら、実は鋼鉄の巨大なものが轟音を立てて運ぶ”運命の暴力”がテーマなのである。運命の黒々とした貌がレールの上を疾走する、そこがロックなのである。

 北原ミレイはもともと典型的な歌謡曲の歌手ではなく、ジャズやシャンソンを学んだ後に、あのようなレパートリーを武器とする歌手となったという。このあたりに何ごとかありはしないかなどとも思いかけるのだが、いやいや、そのような経歴の歌手は、さほど珍しくもないんだろうな。

 それにしてもミレイとは不思議な響きの名で、本名だったらどうしようか?と案じつつ検索をかけてみたら、北原ミレイの本名は”南玲子”であると。ミナ・ミレイ・コか。肝心なところでかましてくれるじゃないか(笑)

ジャックスの話、その他の話

2007-07-13 23:42:23 | その他の日本の音楽


 昨日の文章に対し、”日本のロック・ベスト25”企画の主催者でいらっしゃる”神風おぢさむ”さんからコメントをいただきました。それへの私の回答も含めて、こちらに再録いたします。

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2007年07月13日14:52
神風おぢさむ。

あたいとは2.20.23が被りました。
外にアーティストのアルバム違いになったのは、ジャックス・・・あたいは2ndのジャックスの奇蹟の方を、とはっぴいえんど・・・風街の方を、PANTAはマラッカ選びました。
さすがに北原ミレイ、冠二郎は見当もつきませんでした。

60年代のGSを、どう見て評価するかは、もっと議論がなされていいですね。
問題は「早川義夫/かっこいいこと~」なんです。確か当時のNMMでもベストのロック・アルバムになっていたと思いますが、個人的には疑問がのこったことを覚えています。ま・当時は通常のバンド形式でやるのがROCKって思っていたこともありますが・・・。但し、大好きなアルバムであったことは確かで、随分カバーしたもんでした。

2007年07月13日23:19
マリーナ号

 神風おぢさむさんへ

 どうもコメント、ありがとうございました。今回の文章、さすがにあまりに私的な感想なので、”日本のロック・ベスト25”のコミュには書き込めませんでした。

 あの奇妙な熱っぽさに彩られた60年代末の日々。そこで夢見たすべてが現実に変わると信じて飛び込んだ70年代はしかし、狡猾な話のすり替えによってワンダーランドはもぬけの殻と化していたのでした。そして、かって愛したロックは、別の何かといつの間にかすりかえられてしまった。
 それが私の60~70年の”日本ロック史”でした。そして、80年代に入って私はもう、ロックそのものに興味を失ってしまう。

 ”ホテル・カリフォルニア”においてイーグルスが歌った「当ホテルは69年以来、スピリッツを切らせている」なる歌詞は忘れがたいし、鈴木いずみが言い残した「1969年、皆はそれをすべての始まりの年と信じたが、実はそれはすべてが終わった年だったのだ」の言葉は、ますます真実と感じられます。
 
 ジャックスは、基本的に”嫌な音楽”なんだと思います。あんな音楽は聴きたくないと感ずるのが普通の精神だ。そして、嫌がゆえに目をそらそうとするんだけど、でもなぜか見続けねばいられない。聴き続けねばいられない。
 そんな逆説的な魅力ゆえに、私(私たち)は、今の流行の音楽と比べても格段に稚拙な響きを持つジャックスの音楽に、今日までこだわり続けて来たのではないでしょうか。

 そんな”嫌な魅力”が、1stの方により強いと考え、私は1stをランク・インさせました。
 そして、その嫌な感じだけを凝縮して出来上がっているアルバムが、”かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう”なんだと思います。その、健全な市民社会に対する嫌がらせのごとき不愉快な存在感。そいつがまさに”ロック”なんではないでしょうか。今の若い人たちがその響きに、どのような意味合いを読み取っているのか、それは私には分かりませんが。

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ヤスガスファームを遠く離れて

2007-07-12 22:28:20 | その他の日本の音楽


 先日話題にしたmixi横断企画、”マイミク横断企画・皆で選ぶ日本のロックアルバム・ベスト25”の集計が行なわれた。
 はじめは私も主催のお二方と同じく、参加者は20人くらいかと読んでいたのだが、終わってみれば90人近くということで、いやあ盛況でした。
 そして、その集計結果は下のようなものとなった。おおむね、予想したような顔ぶれが評を集めたようだ。

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☆マイミクつながり89名による「日本のロック・ベスト25」の結果

順位 アルバム名  年  演奏者  
【総合得点順】
1 風街ろまん   71 はっぴいえんど
2 ソングス    75 シュガーベイブ
3 黒船       74 サディスティック・ミカ・バンド
4 一触即発     74 四人囃子
5 火の玉ボーイ   76 鈴木慶一とムーンライダース
6 センチメンタル通り 73 はちみつぱい
7 THE BLUE HEARTS 87 ブルー・ハーツ
8 バンドワゴン   75 鈴木茂
9 Solid STate Survivor  79 YMO
10 ひこうき雲    73 荒井由実
11 氷の世界     73 井上陽水
12 HOSONO HOUSE   73 細野晴臣
13 ほうろう     75 小坂 忠
14 泰安洋行     76 細野晴臣
15 無罪モラトリアム 99 椎名林檎
16 メシ喰うな!   81 INU
17 ジャックスの世界 68 ジャックス
18 Char       76 Char
19 玉姫様      84 戸川純
20 はっぴいえんど 70 はっぴいえんど
21 A Long Vacation 81 大瀧詠一
22 マラッカ     79 パンタ&ハル
23 シングルマン   76 RCサクセション
24 カメラ・トーク  90 フリッパーズ・ギター
25 ライフ      94 小沢健二

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 まあこれは予期していた事とは言え、私にとってはやはり苦い結果となっている。
 日本のロックは70年代以降、確実に、私が進んで欲しいとは思わなかった方向に向って”成熟”をして来た。今回の結果に向き合うことは、その苦い結末の、再確認の作業でもある。日本のロックはこんなものにしかなれなかった・・・

 自分なりの”日本のロック・オールタイム・ベスト25”を選んでいるうちは楽しい作業だったのだが・・・いや、このような結果が出るとは、やる前から分かっていた筈なのだ。そもそも年齢から言っても、私は選者中の少数派に属する。

 「いったい何が不満なのだ」と問われて、人に納得のしてもらえる回答が出来るだろうか?
 ただ、あの奇妙な熱気に包まれた60年代末の狂騒の日々の後にやって来たのが、こんな時代だったことに納得の行かないものを感じているのだ。ロックがこのような、ある意味妙に風通しの良い健全な代物に”成長”してしまったのが情けないのだ。

 60年代、当時盛んだったラジオの洋楽ヒットパレード番組に耳を傾け、海外のロックを追いかけていた頃。それらの音楽に酔い痴れていれば、こちらの心はこの宇宙のどこへでも飛んで行ける、そんな具合に夢は広がったものだった。
 が、自分の周囲を振り返れば”ロック的状況”などはどこにも存在はせず、テレビに出てくる”同時代の日本のロックバンド”たるGS連中が奏でるのは、歌謡曲まがいの湿っぽく甘ったるい音楽でしかなかった。

 そして60年代末、ロックの変革の時代がやって来る・・・ウッドストックにフィルモアに・・・など言う書き方を続けていたらとてつもなく恥ずかしい文章になりそうなので、無理やりここで止めるけれども。(気まぐれですみません)

 ともかく60年代末期から70年代初めにかけて、この日本において非常に刺々しく強烈な”違和感”を放ち出していた、誕生しかけの”日本のロック”たちは・・・それから数年後には台頭してきた”健全で高級な音楽性を誇る、商売上手なニューミュージック”の波に飲まれ、あまりにあっさりと歴史の闇のハザマに消えてしまった。

 何が悪かったと振り返っても詮無いことだ。日本のロックの側に展望も戦略も技術もなさ過ぎたし、何より彼らは、変転する時代を泳ぎ切るには幼な過ぎた。

 ”あの時代”を知らない人々に、私がさっきから何をぼやいているのか説明するのは、やはり私の手に余る事業のようだ。ただ60年代と70年代のハザマに私や私の同時代人が夢見たものとはずいぶん違った未来を、我々は生きている、というだけの話。そしてこのような落ちこぼれを置き去りに、歴史というものは進んで行くものなのだろう。いつの時代も変わりなく。

 私の選んだ”日本のロック・オールタイムベスト25”は、そんな、”失われてしまった日本のロックのありえたかもしれないもう一つの流れ”への追悼であったともう一度申し上げ、そちらもここに再録しておく。まあ結局、消え去るべき老人の繰言でしかないのだろうが。

☆マリーナ号個人選・日本のロック・ベスト25

1.パンタ/クリスタル・ナハト(1987)
2.ゴールデン・カップス/スーパー・ライブ・セッション(1969)
3.カリプソ娘/浜村美智子(2003)
4.ザ・ダイナマイツ/ヤングサウンドR&Bはこれだ!(1968)
5.ビバ!ビーバーズ!(1968)
6.DEW/布谷文夫LIVE (1998)
7.幻の名盤開放歌集・藤本卓也作品集(1993)
8.幻の名盤開放歌集・日本コロムビア篇(1992)
9.ゴールデン・カップス/第一集(1968)
10.北原ミレイ/棄てるものがあるうちはいい(シングル・1971)
11.パワー・ハウス/ブルースの新星(1969) 
12.ザ・ヘルプフル・ソウル/ ソウルの追求(1969)
13.麻生レミ&フラワーズ /ラストチャンス(シングル・1969)
14.パンタ/PANTAX’S WORLD(1976)
15.早川義夫/かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう(1969)
16.ザ・ボルテージ/シェイキン・マイ・ソウル(シングル・1968)
17.ズー・ニー・ヴー/ズー・ニー・ヴーの世界(1968)
18.ジャックス/ジャックスの世界(1968)
19.セブンアップ!/麻生京子(CMソング・1966)
20.頭脳警察/セカンド(1972)
21.三上寛 /ひらく夢などあるじゃなし(1972)
22.冠二郎/バイキング(シングル・1998)
23.谷山浩子/鏡の中のあなたへ(1978)
24.はちみつぱい/センチメンタル通り(1973)
25.はっぴいえんど/1st(1970)