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HEATH FC会員のつぶやき

2009年3月12日(木)東スポ報道をきっかけにしたつぶやき

2015年3月28日(土)DER ZIBET 30th Trip vol.0 目黒鹿鳴館

2015-04-06 22:37:57 | 日記
2015年3月28日(土)DER ZIBET 30th Trip vol.0 目黒鹿鳴館

3月15日大阪、28日東京のDER ZIBET 30th Trip vol.0、無事終了しました。
「最近は東京をやってから大阪だけど、以前は地方を回ってから最後に東京でやってた」とはISSAYの弁。
東京、大阪ともに良いライブだったので、印象に残ったことを書いておきます。

セットリストはデルジ公式で公表済み、どちらもまったく同じ曲でアンコールの追加も無し。
ただ、「地方を回ってから最後に東京」のツアー(二ヶ所だけですが)の間に、ライブが成長したと感じました。
東京のほうが断然良かった。

Hikaruさんは真弓さんのドラムが走り過ぎると、何度も真弓さんにアイコンタクトを送り立て直そうとしていた。
とてもバンマスらしかったです。
HALさんは聴かせどころの『Club Idiot』のベースは大阪より断然良く、
この曲では一歩引いた真弓さんのシンバルが綺麗な音を鳴らしていた。
真弓さんは、むしろ控えた音の方が断然際立っていた。
真人さんは東京ではワンマンショーが始まっていた、声量無いけど楽しかった(笑)

大阪のステージは、アコースティック前の演奏はともかく、
曲(演奏)と、歌詞の内容、ライブパフォーマンス、容姿の美しさ、歌い方等で、
どれかが過剰ということが無かった。
総合的なバランスの良さで、聴き手が集中しやすいステージでした。

東京は、照明が暗い怪我の功名でしょうが、
視覚(ISSAYの美しさ)に邪魔されずに歌の世界に入り込めました。

集中するというより、歌の中に落ち込んだ感じ。
その感覚が一番顕著だったのは『蜃気楼へ』なのですが、それは後述。

ISSAYのステージングは、大阪の方がよく見えました。
例えば、アコースティックコーナーの『泡沫の舞踏会』での、煙草を吸う気だるげな姿勢。

曲の世界観の表現でいえば、『Lost Boy』。
眼を隠し、老人のような足取りで手を差し伸べるのは、救いを求めてなのでしょうが、
大阪ではこの曲の最後でISSAYは死人の顔をしていた。
東京だけ参戦した方は、映画の『ノスフェラトゥ』(ムルナウ版)を画像検索してください。
絶望の視覚化です。

大阪と東京の最大の違いは、
『疲れてしまう前に』から『水の中の子守唄』への繋ぎのMCでした。
「さっきの歌もですが、これも祈りの歌です」(大阪、東京とも同じ)に続けて、
「叫びも、祈りです」(東京のみ)と、言い添えられたことでした。
あの一言が鍵になって、絶望と慰撫と昇華の流れを体験できた気がします。
あくまで主観ですが、あの一言で世界が広がりました。
『蜃気楼へ』が、昇華。
上昇しながら墜落する感覚。
深い水の中を落ちていく、でも頭上の水面には明るい月。
反転した水の上は、深海と見紛う成層圏の深い青。
海を鏡面とした、海の深さから空への高さ。
あの月が、ホルスの眼。

繰り返しますが、主観的な体験です。
照明が抑えめな為、視覚に邪魔されず歌に集中できたり、
ISSAYの歌がこの数カ月で顕著にうまくなっていることなどの相乗効果だったのでしょう。
ただ、この人の歌を、絶望している誰かに聞かせたいと感じました。
あの時の海で、どれだけの人が、失い、叫び、そして祈ったのだろう。
それでもあの海で生きて行こうとする人達に聴かせたい。
歌詞が書かれた時代もテーマも違うのに、数十年を経て時代の歌になっていた。
ISSAYが、自分の歌を生まれ変わらせた。
絶望と慰撫と昇華で。

あくまで主観ですが、それでも私の確信でした。