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メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

細部へ注目する目

2009年11月19日 07時14分40秒 | いただいた感想より

 この映画の不思議なところは、取材のために試写に来られた記者・ライターの多くの方々が、帰り道では一マニア、一映画ファンの顔になっておられたことでした。

 「アニメージュ・オリジナル」から取材に来られた廣田恵介さんに至っては、「次はあの細部を見たい」と試写を合計5回ご覧になったとのことで、頭が下がります。

 1ページの3分の2という紙面を費やしてこの映画を紹介してくださったサンケイ・エクスプレスの谷口隆一記者とは、mookiさんの『マイマイ新子と千年の魔法』アカペラBGMのライブ会場でバッタリ顔を合わせてしまいました。「こんなところまで取材ですか?」と聞くと、「いえ、もう趣味になってしまってます」と。谷口さんはmookiさんの妙なる歌声を楽しんでおられたようでした。

 「アニメージュ」編集部の久保田志乃さんからはこんなお言葉をいただいてしまいました。励みになります。


『マイマイ』は、「どこが良いか」を
いちいち解説するのが野暮に感じられるといいますか…、
一人一人、それぞれの人生に引き寄せて、
心で感じてもらいたい作品だと思いました。
私にとっては、こんなにも、世界の広さと深さを
感じさせてもらった映画は
久々、いや初めてかもしれません。



 『マイマイ』との付き合いが最も古いのは、映画の舞台となった山口県防府市のほうふ日報・縄田陽介記者です。
 プロジェクトが稼動し始めてすぐ、まず、防府市教育委員会文化財保護課の吉瀬係長に「資料協力のお願い」が電話で行ったのですが、藪から棒な話で、吉瀬さんは「マッドハウスって何?」と戸惑われ、
「あんた、映画とかアニメとか好きだけど、知ってる?」
 と、尋ねた相手が縄田記者でした。
「し、知って・・・・・・存じております!」
 縄田さんとは、去年の夏休みの地元オーディションで始めてご挨拶しました。その後、8回も試写をご覧になり、スイス・ロカルノ、カナダ・オタワでの上映状況をも(時に自費で)見に行かれるようになってしまわれました。

 縄田さんからは長文をいただいています。


 ドゥルーズ『シネマ』を読みたいから、というよこしまな理由で名作の呼び声高い映画を観てきて7年になろうか。読み取る感性と知性の不足や、日頃の些事による疲労と時間の過小などにより読書の成果はさっぱりで、そして難しい映画はやはり難しく、寝てしまうことしばしばだ。が、そんなこととは関係なく面白かった映画、美しかった映画、そして映画という表現方法を活かし切ったであろう、拍手したくなる映画と出会う喜びを味わうこともしばしばあったことも確かなのだ。
 動機のよこしまさとは関係なく、結果近づいたものの美を享受できるという幸運は存在する。こういう方向に人生がねじ曲がってしまった運命に、今のところ感謝している。


 『マイマイ新子と千年の魔法』山口県先行上映が行われた日、県内3映画館での4回にわたる舞台挨拶、地元での大ヒット祈願パーティーを終え、片渕監督や関係者の慰労会が方言指導担当の森川信夫防府図書館長行きつけの店「T」で行われた。1日、為すべきことを為し、会で語るべきことを語られた監督は心地よい安堵感の中で夢の世界に旅立たれたのであるが、後始末と打ち合わせを終え合流した映画スタッフが加わると場は一気に活気づいた。

 東京からロゴデザインを担当された方も「来防」され
(注・宣伝デザインのビラコチャのスタッフも、防府までわざわざ来てくれていたのです)、慰労会に合流、お仕事の際の貴重なお話を聞かせていただいた。直前の大ヒット祈願パーティーで偶然ビンゴの賞品が当たったことから登壇され、今までの仕事と来防の経緯を語られたことからはじめて遠方から来られたことがわかった。
 同じく、パーティーでは「観るなら地元」と神奈川からいらっしゃった方にも賞品が当たり、この作品には波長の合う人を強力に引き込む磁場があるなと実感した。

 慰労会では今まで名刺交換のみであまりお話しできなかったスタッフの方とも会話できた。商業映画とはいえ、最近はあまりに単純明快な深みのない映画が多すぎる、これでは観客が育たない。一言で言えば簡単だが、重く深い問題に憤っておられ、
「今の映画界に果たして小津、溝口は生まれ得るのか」
 との投げかけに、
「私だって、この作品を小津、溝口、成瀬を観るのと同じつもりで観てますよ!」
 とつい答えてしまい、互いの立つ所を察したふたりで固い握手を交わすことになった。ああ、やはり心ある人は商業という枷の中でもなにかやってやろうとそれぞれの立場で奮闘している、と心が熱くなったものだ。


 単にアニメを好んで観ていただけの自分に映画を薦めてくれた友人に、アニメと映画の違いをこう説かれたことがある。

   アニメは描くもので、映画は映すものだ。

 映画の画面を完全にコントロールすることはアニメに比べれば難しい。特にスタジオの外、野外で撮影するときは監督の意図しないものが写り込んでいる可能性だってある。監督の方でもメインの物語に観客の視線を引きつけつつ、その背景で別の出来事が進行させているかもしれない。意図と偶然の結果として表れた映画の画面の全体で何が起こっているか、それを観なければならない。

 そして、映画に対しアニメは偶然の不純物が入ることはあり得ない。何万枚もの絵を描くのに、不必要なものは描いていられないからだ。
 なるほど、その通り。
 そういえば、片渕監督も今回の山口県初日でこんなエピソードを紹介された。映画の学校で上映し、生徒さんに感想を求めたところ、
あれほどもの麦を『大の大人』たちが一生懸命作っているなんて、素晴らしいと思いました
 という一文があったとのこと。
 田舎の農業が都会の若者の目にはそんなにまぶしく映るのかね、と思っていたら、画面の風になびく麦の穂を毛の一本まで丁寧に描いている様子のことを言っているのだった。これには頭が下がる。

 だが、アニメと実写の違いを説明するのに上の言い方では、まるでアニメが手間を惜しんで作品に深みを与える細部、観客にもひょっとして監督にさえも気付かれないかもしれない豊かな剰余の部分を切り捨てているとでも言いたげではないか。
 ちょうど、世界を描写する記述が世界そのものを決して描ききれぬと原理的な限界を指摘するように。

 さて、「映画と同じように『マイマイ新子と千年の魔法』を観ている」と豪語してしまった私であるが、その観る目はきわめて粗雑である。
 防府での試写会、スイス・ロカルノ国際映画祭、カナダ・オタワ国際アニメーションフェスティバルでは内部で「零号」と呼ばれているエンディング映像のないものが上映され、私はこれを都合6回観た。零号を3回観た時点でそれにエンディング映像と主題歌を追加し、音声なども調整された「完全版」を東京で観る機会があった。

――東京からの転校生、貴伊子が三田尻駅に降り立つ。
――駅舎を出た貴伊子たちが見る駅前の光景。
――キャメラは正面の視界に入る建設中の洋食店「山陽楼」や、皇族や著名歌手も泊まったという木造3階建ての「旭旅館」を収めた後、レンズをゆっくり左に振り、右に振る。
――防府の素朴な住民達が駅前を通り、談笑する声が聞こえる中、
何かが落ちる

 音声の調整がなされた完成版で初めてこのユーモラスな効果音に気づき、オタワでの3度の上映で確かに零号でもそれが起こっていたことを確認した。とにかく笑いの多かったオタワの観客もこれには気がつかなかったらしく、声を上げての笑いは起こらなかった。そんなことを、この場面で「庶務課の藤原」演ずる阿川雅夫防府市総務部次長に話した。
「わたしゃ、最初気付かなかったんですが、あのとき
あらぬものが落ちますよね」
「落ちるね」
 気付いてるじゃん、この人。「え? そんなものが落ちるの? 落ちてるの?」という言葉を期待していたのに…。注意力がある人は数度で細部まで見えてしまうのだな、と心の中で「orz」の姿勢を作っていた。

 もうひとつ、山口県初日のキャラバン隊が出発する直前、徳山駅前のホテルで原作者の高樹のぶ子先生と片渕監督に再会したとき、話題に出ていたのは、
あのモンシロチョウが最後にどうなったか知ってますか?」
 という問い。
 え、確かに蝶がひらひらしていたような気がするが、と一瞬恥じ入る。
 まさしく、背景で別のドラマが展開していたのである。このときの答えは、各人映画館で確かめていただきたい。

 こうした例を挙げていると、皆さんは例えば『天空の城ラピュタ』でラピュタ崩壊時に悪役ムスカが実はいっしょに転落していたらしい、といった事例を連想されるかもしれない。こうしたなかなか気付かない細部や背景にまで制作者の意図が入り込んでいるのは丁寧に作られたアニメーション全般に言えることだろう。そして『マイマイ新子と千年の魔法』も確かに構想5年、制作2年とも言われる、長い時間をかけ非常に丁寧に作られた作品である。

 ただ、今作には舞台とした時代と土地が名指されている原作『マイマイ新子』の存在がある。
 片渕監督はその舞台となる時代、土地の大量の資料を渉猟し、4度現地に足を運び、膨大な写真を撮り、それらを想像力のよすがとした。
 もはや映画に匹敵するような、視点の外になにが存在するか、
なにが起こっているか気を抜けないほどの細部にまで及んだ再現の意図と、本物の世界に到達しようと動く想像力が、我々の注意力を超え、無意識にまで働きかけるであろう豊かな剰余をもって、ひとつの「別世界」と言えるものまでフィルムの上に作り上げていると言えるのではないかと私は思うのである。



 私が生まれたのは昭和53年。昭和30年にはほとんどなかったテレビの存在は物心ついたときから常識で、小学校でファミコンが、高校でウィンドウズとインターネットと携帯電話がそれぞれ自分の視界に登場した。今の小学3年生からすると、時代の流れに遅れたおっさん(年齢不詳、実は31歳)に見えるに違いない。
 この30年だけを見ても環境はめまぐるしく変化した。かろうじて伝統は生き残っていたとはいえ、昭和30年当時の遊びについてはごく若干を経験したのみだ。デジタルキッズのはしりとも言える世代で生きる中、テレビゲームの経験さえも乏しい私ではあるが、思い出深いのはスクウェアの作品の『聖剣伝説2』『聖剣伝説3』『クロノトリガー』の3作である。これらは今の最新鋭のゲームに比べればそれこそ低精細もいいところだろう。ただ、その制限された表現力の中で、これら3作は確かに浸りたくなる「別世界」を作り上げていた。今でもふと思い出しては、あの世界にしばしの間戻りたくなるのだ。それは今は失われたかに見える、昭和30年の遊びでも同じことであって、実践する子らも、大人との日常とは異なる「こどものせかい」にあって、その心は「別世界」に向け飛び立っていたに違いない。

 映画やアニメの評価の極点のひとつに、それが作り出した「別世界」に浸りたくなる、立ち戻りたくなる、というものがあると思う。
 実は、上でさんざ書いてきたような写り込んだものの分析なんか、あるいはメディア固有の精細度や方法論さえも、実際体験からの余韻の充実そのものに比べれば取るに足らぬものだという思いがよぎり、ふっと肩の力が抜けることがある。
 今、一番声を大にして言いたいのは、
「私は何度も何度も『マイマイ新子と千年の魔法』が目前に延べ拡げてくれた絵巻物の「別世界」に入り込み、浸り、楽しんでみたい」
 ということだ。
 これからも、饒舌な私は飽きることもなく人前で延々と様々な豆知識を披露するだろうが、全ては最後にここに戻ってくる。いや、戻ってきたい。その、根源的な魅力があるからこそ、『マイマイ新子と千年の魔法』は多くの波長が合ってしまった人を、その磁場嵐に巻き込んでいる。
 高樹先生が今回の訪問でおっしゃった、「防府を中心にしたマイマイの渦」はこれから日本列島を、そして世界で大暴れするに違いないと私は夢想するのである。

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