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別冊「バビル2世」マガジン

「バビル2世」のコミックス&アニメその他を中心に、オールドファンがあれこれ語ります。

高橋良輔監督作品その2「ガサラキ」第17回

2008-12-29 20:51:15 | 「ガサラキ」関連
延々と語り続けてきましたが、いよいよこれで最後です。
さあ「まとめ」、いきますよ~。


まとめ

前回、高橋良輔監督の言葉をちょいとご紹介しましたが、なんともビミョ~なことをおっさってますね。「視聴者に無理を強いた」とは。
いやほんとに、見ているこちらは無理しっぱなしでしたよ。最初の方で書きましたけれど、「脳内補完計画」なしには到底理解不能。一言一句も逃すことができない─というわりに、やっぱり取りこぼしも多々あり。
(だって、「今のどういう意味?」なんて考えてるうちに次のセリフが、という具合でね)
う~ん、苦行に近いものがあったなあ。

それでも夢中で見ていたのは、やはり主役のユウシロウが健気で可愛いかったからです。真面目な男の子が好き、というのは、古見浩一君以来の私の「お約束路線」なんでございますよ・・・。

さて、ここでDVDあるいはLD第9巻の解説書の中にある「野崎透vs高橋良輔 シリーズ終了特別対談」の中から、気になる言葉をひろってみましょう。
ちなみに、野崎透さんはシリーズ構成担当、小説版執筆の方です。本編の脚本も何本か書いています。


高橋「・・・今回、僕の気持ちとしては、結果的に重い内容になったけれど、社会的な主義主張を並べようという気はありませんでした。あくまでエンターテイメントとして成立させたかったというのが本音です。」


おお!なんと高橋監督はもっと肩のこらないものを目指していたわけですな。
しかも西田さんについては、監督は当初「諸葛孔明」のイメージで行こうと思っていたとのことです。外見は若いイケメン(汗)で。
しかし野崎氏がとことん反対し、ジイ様の国学者になりました。
CDドラマのあとがきにもあるように、ひとりひとりの現場スタッフがノリにノリ、それぞれの主張の中からひとつの振幅をもった流れが爆走した結果が、この「ガサラキ」という作品だということです。
実はこれこそ「高橋流現場主義」とでも言いますか、チームのみんながわいわいがやがやとやりながら、必然的に流れができる─みたいな方向で作品が出来あがっていくんですね。
これは、たとえば大御所・宮崎駿監督や、虫プロ時代に同僚だった出崎統監督のように、確固たる自分自身の色を前面に押し出す人たちとは全然違う方法論だと思います。
どちらがいい、悪いといったことではなくて、これが高橋良輔という人のやり方です。
したがって、「監督、絶対これですよ」と主張するスタッフがいれば、「まあ、ソレもアリだね、それ行こうか」となるんですね。
それが暴走気味になると・・・「ガサラキ」のような失敗作にして大傑作になってしまうんですな


野崎「僕は、これまでロボットアニメについては、遠くから眺めている立場だったんですよ。・・・で、実際に現場に参加してみた印象としては、とにかく決まり事が多い世界なんだな、ということでしたね。もちろん、これらの決まり事を成立させることによってロボットアニメが作られ続けてきたのでしょうが、やはり今となってはおかしいんじゃないかな、と思うことがいくつもあるんですよ。・・・とにかくここから出発してみよう、という感じで」
高橋「・・・ただ僕が見る限りにおいて、決まり事を避けようとするならば、これからもずっと野崎さんが直面していく問題があると思う。というのも、エンターテイメントの8割から9割、場合によってはすべてが、皆が馴染んでいる材料を提出して作品を成立させている。というか、それが成功の秘訣になっている。・・・でも野崎さんの場合、この類型を望む数が非常に少ない。僕は8割程度は見慣れた奴で良いかな、と思うんだけど。野崎さんは8割を変えたいと考えているように思われる。・・・アニメの場合、どうしても複数のスタッフで作っていかないといけないから、8割を変えようとすると、意見のぶつかり合いの落としどころがなくなってしまう。」
(司会者)それらの間を採るというわけにはいかないのですか?
高橋「それが難しい部分でね、作品が丸くなってしまうんだよね。どこにもカドの無い作品は、魅力に欠けるんだよなあ」


いい人だ、高橋監督
はっきり言って「理想の上司」ですよ。ちょっととんがって、自己主張が強くて、でも才能にあふれた部下を、なんとかうまい具合に伸ばしてやりたいと考えている、という風情じゃありませんか。
それというのも、自分が若い頃、同じようにとんがって、世を拗ねて、斜に構えて、でも心の中に鬱屈した思いを抱えていたってことが、きちんと自分の中で整理されているからなんですよね。(※高橋監督のインタビュー等からうかがえます)
だからこそ、若者の斬新なアイディアを生かしてやりたい。なにより、自分自身がいつも斬新なことに挑戦してみたいと思っている。
でも、そのまんまじゃ周囲と軋轢を繰り返してしまうから、うまい具合に自分が落としどころを示さねばならない。
(ちなみに、「ガサラキ」製作時における野崎氏は36~37歳で、この作品が初シリーズ構成担当)


野崎「・・・それまでのウケようとする股旅物は、一宿一飯の義理を果たしながら進行していて、確かにその方が視聴者にもカタルシスがある。でも、あえてそうは作らなかったというわけです。・・・だってユウシロウも、所詮は17歳の少年だったから・・・。」
高橋「やはり野崎さんは・・・いくら優秀な人物だと設定しても、子供だという部分で一歩立ち返ってしまう。決まり事が嫌いなために。ただ誤解されると困るんだけど、だからと言って野崎さんの考え方が悪いと言うわけではありません。この作品に関して、それがユウシロウを突出させるのにマイナスに働いたということだけです。私がその部分を、もっと上手く引っ張っていくべきだったのでしょう。」


これでCD第4巻の監督のあとがきにあった言葉の意味が見えてきました。
あまりに存在感の薄かったユウシロウ。西田さんや黒い兄貴ばかりが前面に出て、「所詮は子供」なユウシロウが中心となって物事を動かすなんてありえねえ!な展開。
でも、それじゃあミもフタもないじゃありませんか。主人公なのにぃ
ってことで、25話ではミハルと一緒に「(いちおう)世界を救うユウシロウ」の姿を描き、真の最終回・幻の第26話では、明るく未来に邁進するユウシロウの様子を活写して大団円。
これは、無理を強いられながらも最後までついて来てくれたファンに果たすべき責任であり、監督としての謝意なのだと思います。
さらにいえば、ちょっと不遇だった主人公・ユウシロウへの愛。
そういうことなんだと、私は信じております。
(アクの強い大人たちの陰でモジモジして目立たないユウシロウってのも、実はワタクシ的にはツボなんですがね

色々な考えを持つ人たちとチームを組み、意見をたたかわせながらひとつのものを作っていく。
時には、自分とはまったく方向性が違うものができたりもする。それでもいい。それが現場の醍醐味だから。
─現場にあって、常に新しいことにチャレンジしたい。
これが、高橋良輔監督という人物です。

野崎さんと高橋監督は、「FLAG」(06年)で再びコンビを組みました。
この感想もいずれ

長々と好き勝手なことを書き連ねてきましたが、なんとか年内に収まりました!よかったよかった。

ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

おしまい。