”Kenya dance mania”
日本においてザイール(当時は、その国名だった。今はコンゴである)原産のリンガラ・ミュージックに注目が集まり始めたのはやはり80年代の始め頃と考えていいのだろうか。ルンバ=ロックなる今日的リンガラのパターンをぶち上げたパパ・ウェンバなんて”スター”も生まれたりしたのだった。
そのあたりにはいろいろ不思議な騒ぎも起こったりしたようだが、ちょうどその頃、田舎暮らしを始めてしまった当方は”東京リンガラ・シーン”の活況を具体的には知らない。どなたか詳しい向きが書き記して下さるのを待つのみである。
ところであの頃、本場であるコンゴはキンシャサから、はるか離れて東アフリカめざして辺境巡業の旅に出たバンドたちに思い入れていた方は、どのくらいおられたのだろうか。
オンボロ・トラックに楽器とバンドのメンバーを積み込み、大平原を東へと旅に出る”放浪のバンド”のロマンはなかなかおいしい幻想をかき立てる。 が、もちろん現実は厳しいものだったろう。それでも出かける東アフリカ、ケニアのナイロビなどには、それなりの稼ぎの場が控えていたのだろうか。
・・・なんか話の運びがギクシャクしてしまうが、実は暑さのゆえに頭が少々茹っている、お許し願いたい。
あの80年代、我が日本のリンガラ・ファンの皆がルンバ・ロックに狂い、パパ・ウェンバの動向に注目していた頃、私はそっぽを向いてケニアの音楽シーンに思いをはせ、国境線をまたいでコンゴからケニアに流入したバンドたちの音を追いかけたりしていた。
まあ、生来のへそ曲がり、という事情もあるが、それ以上にリンガラ音楽展開の地としては”辺境”である東アフリカで、ある意味、歪んだ形に表現を尖らせている連中の音に、不思議に血が騒ぐ、そんな事情もあったのである。
これに関してはブログをはじめたばかりの頃に、大好きだった在ケニアのコンゴ人バンド、”モジャ・ワン”についての記事も書いたので、参照願いたいが。
で、この盤、”ケニア・ダンスマニア”は、70年代終わりから80年代にかけての、ケニアにおける音楽シーンを飾った歴史的録音を集めたアルバムである。現地ケニアのバンドあり、コンゴからの、あるいは南の隣国タンザニアからの、国境超えのバンドあり。
80年代当時は、このような音に焦がれて、ケニアからの直輸入のシングル盤など、どうして見つけ出したのか我ながら驚いてしまうのだが、ともかく買い集めて聴きまくっていたのだった。
”本家”たるコンゴのリンガラポップスの音はケニアにおいて、ルオーやキクユといった現地の部族ポップスの影響を受けつつ変質していった。その変質具合に、現実との感性高いバンドマンたちの切り結びようが窺われて、実にスリリングである。
先に、これもケニアの部族ポップスとして気を惹かれる、ベンガ・ビートについても感じたのだが、バンドの音は、コンゴのものよりずっと”ロックバンド”っぽくなる。よりコンパクトにまとまり、都会の喧騒を駆け抜ける要領を身に付けた、みたいなシャープさを感ずるのだ。
南アフリカ共和国から、ここケニアあたりにかけての地域における低音楽器の充実を指摘していたのは中村とうよう氏だったか?ともかくここにおいてもベースギターのプレイは確かに素晴らしいものがあり、その方面のプレイヤーの方は是非御一聴をお願いしたいものである。かっこいいぞ。
ともかく。80年代頃のケニアの文化的状況というもの、どうなっていたのだろう、などと思いをはせてしまう。ここには明らかに、ある一面において、世界の最先鋭に触れた瞬間がある。80年代のケニアはナイロビ!多くの音楽ファンには知られることなく、しかし、最高に弾けていた!