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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

世界の中心でお涙頂戴を叫ぶ

2007-09-08 06:11:22 | 時事


 さっきからテレビを見ていると、役所浩司が主演の映画だかテレビドラマだかのコマーシャルがやたらに流される。
 「象の背中」とか言って、癌で余命いくばくもない公務員かなんかの物語のようだ。

 なんか夫婦の間で
 「子どもたちもいつの間にか大人になって行くな。もう大丈夫だ」
 「何が大丈夫なのよ」
 なんて会話が交わされて、きっとこのあたりが泣かせどころなんでしょうな。
 残り少ない人生の時を前にして、夫婦の愛とは。とかなんとか。

 そういえばこの間から盛んに、癌で余命半年を宣告されたサーファーだかの物語のドラマ化のコマーシャルも流されていましたな。サザンのクワタが主題歌かなんか歌っちゃって。

 こういう”難病もの”のドラマって、昔から妙に人気があったのよなあ。私は辛気臭くて大嫌いなんだが。
 昭和30年代で言えば吉永小百合の”愛と死を見つめて”とかね。そういうものって、しばらく忘れられていたと思うんだけど、昨今、急激に復活してまいりました。

 あ、ちょっと前に公開された田村正和の映画もそんなのだったな。
 ニューヨークを舞台にジャズマンが主人公の「大人のラブストーリー」とか宣伝してるけど、要するにアレも「主人公が死ぬのが売りの話」なんでしょ?
 ほら、今、「同じ病気で妻を亡くした」なんて独白をする田村の姿がスポットで流れた。噂をすれば影という奴だ。こちらのかたも余命いくばくもおありでない。それはそれは。

 なんかさあ、この頃はドラマといえばそんな話ばかりで、いい加減にしろと言いたくなりませんか?
 要するに登場人物が死ねばいいんだ。そうなりさえすれば感動の物語で、百倍泣けます、で、バカな聴衆大満足ですか。

 こうなってくると、もう、戦争映画とかだって無事ではすまない。靖国も英霊も不戦の誓いもA級戦犯も何もありませんわ。人を死なせる必然性があれば利用しない手はない、ってなものでしょ。
 「この前の作品もその前の作品も、主人公が白血病で死ぬ話を作っちゃったからなあ。今度は戦死でもさせとこうか。公開は夏だし、時期的にも終戦記念日に絡ませられるしなあ」とかいっちゃってさあ。

 でもって。もはやそんな構図は丸見えであるにもかかわらず、泣けさえすれば皆は映画のチケット買うのな。ドラマにチャンネル合わせるのよな。そういうことなのな。

 で、ふと思ったんだけど。
 朝青龍でも金正日でもいいよ、この間、資金の流用問題で顰蹙買った政治家でも良いや。そういう連中ってさあ、記者会見を開いて泣いて見せればいいと思うんだよな。え?そんなことすれば自分の非を認める事になる?
 いや、いいの。昨今の日本人、事の正邪なんかどうでもいいんだもの。とにかく泣けりゃいいの。

 私が悪うございましたと懺悔し、その場でボロボロ涙をこぼして見せれば、我が国民はホイホイ感動して情にほだされて、どんな悪事を働いた奴であろうと、全部許します。今、国民はそんなメンタリティに成り果てているんだから。

 赤子の手をひねるようにたやすい、という奴ですよ、あなた。いや、ほんとにそのうち、誰かやると思うよ。すべての問題点を泣いてごまかし、無罪を勝ち取る大悪人、とかさあ。
 あっと。以上の文章でなにか文句を付けられた際には、当方も即、滂沱の涙を流して詫び、許しを乞う覚悟は出来ております。その時は感動してね。

宵の明星

2007-09-06 23:01:26 | 60~70年代音楽


 ”Salty Dog”by Procol Harum

 今回の台風9号は私個人に危害を加えるべく、つけ狙っている。それだけは確かだ。テレビの気象情報など見ても、台風は私の地方、というより明らかに私の家を目指して進んで来ているからだ。

 昨日からの風雨は一段と勢いを増している。さっきちょっと外を見てみたのだが、国道沿いに植えられた椰子の木は風に煽られて葉のすべてが風下になびき、妙な姿となってしまっている。真ん中で折れるのではないかとも思える。
 電柱もかなりの勢いで揺れていて、こいつも本気でぶっ倒れるのではないかと心配になるほどである。

 停電は、ともかくしないで欲しい。なにしろひどい風でまったく外に出られないし、私には、こうしてネットするくらいしかやることがないからだ。

 これで台風自体はまだずっと南の海のむこうだというのだからなあ。私の住む、この地方に上陸するとすれば、明日の夜明け頃とか言っているが、この荒れようでは街自体が持つかどうか分からないぞ、そんなに先まで。

 外を眺めると、夜の街の外周が白くけぶり、淡く光っているのが不思議だ。あれは風に吹き飛ばされた雨が霧状になって空間を埋め、それが街の生活光を受けて光っているのだろうか。
 風は、町の通りの、普段は音なんか立てないような場所までも入り込み、ガタガタと大きな音を立てて走り抜けて行く。

 通りを行き交う人も、車の影もない。そりゃそうだよな。というか、こんな時に出かけねばならない用事が出来ない事を祈るばかりだ。本来であれば興味本位で海でも覗きに行きたいのだが、この風雨ではとても無理であって。
 子供の頃、台風の日の海は波が荒くて面白かったので好んで泳ぎに行ったものなのだが、今日ではそんな事は考えられないだろう。台風の荒れようも昨今は余裕がないなあ、などと呟いてみるが、科学的根拠というものがない。

 嵐を描いた音楽は、などと考えてみると私の場合、英国のロックバンド、プロコルハルムの1969年度作品、3rdアルバムの”ソルティ・ドッグ”に収められた”宵の明星(Wreck Of The Hesperus)”なんて曲をまず、思い出してしまう。

 曲の冒頭の性急な感じのピアノの分散和音や、間奏で奏でられる緊迫した表情のストリングスが、嵐による大波に翻弄される大航海時代の帆船の姿など、見事に描き出している。
 しわがれた声で歌い上げられる教会っぽい和音進行のメロディは、信心深い水夫が、マストにすがりながら挙げる神への祈りを想起させる。そして彼の頭上に輝く不可思議な聖跡、セント・エルモの火。中天に懸かる宵の明星・ビーナスは、彼等水夫の守り神なのだろうか、

 なんて光景があの歌を聴くたびに浮かんでくるのだが、歌詞の意味をきちんと聞き取ったことがないので、そのようなテーマの音楽なのかどうか、実は私は知らない。いい加減な話である。

 ともあれ。あの頃のプロコル・ハルムは良かったなあ。船の側面に縛り付けられている木製の浮き輪の中にヒゲ面の水夫が下品に笑っている意匠の、”ソルティ・ドッグ”のジャケ画。あれからしてもう、海の、潮の香りが漂ってくるものだった。

 プロコルハルムというバンド自体にも、どこかしら海の匂いがしていて、いかにも七つの海を制覇した大英帝国のバンド、という感じだった。
 そいつがいつの間にか潮の香りをぬぐい捨てて内陸性の(?)クラシカル・ロックのバンドになってしまい、私の興味の外に去ってしまった。

 私を魅了したプロコル・ハルムの”海のロマン”は、偏屈なキーボード奏者、マシュー・フィッシャーがバンド退団の際に一抱えにして持っていってしまい、そして彼は自身のアルバムで、そんな海への視線を感じさせる歌の数々を発表し続けた。
 けどマシュー・フィッシャーなんて、聴いたことのある人も、あんまりいないみたいですね。もったいないなあ。いい歌、歌うんですけどね。まあ、しょうがないか。

ブライアンこそストーンズ!

2007-09-05 03:33:43 | 60~70年代音楽


 ネット上の知り合いの”バッキンガム爺さん”さんのところでうかがったのだが・・・いまどきの”自分はローリング・ストーンズ通である”と自称する連中においては、

>どうしても『ベガーズ・バンケット』『レット・イット・ブリード』
>『メイン・ストリート』そして『スティッキー・フィンガーズ』じゃないと
>ストーンズではない

なんて事になっているそうなのである。

 な~にを言っておるのかと。いまどきの”自分たちはストーンズのコアなマニアである”などと自称している連中は、まさに”半可通”の典型例みたいな奴らなんだなと、私は呆れてしまったのである。情けなくなってしまったのである。
 何も分かっておらん。バンケットからフィンガースまでだと?ああ、嫌になるくらい普通のロック観をお持ちで、まことに結構なお話でございますなあ。

 そんなものを”傑作”として褒めそやす感性、なんて月並みな”ロック理解”なんだろう。
 そんな退屈な価値観しか持ち合わせないなら、ストーンズの理解者ぶるなどやめておくがいい、片腹痛いわい。
 そんな凡庸なロック観を並べ立ててストーンズの通のような気分になっている連中がでかい顔をしているのがマニアの世界とは、いまどきのストーンズ・ファンも不幸だ。

 ストーンズが最高だったのは、ブライアン・ジョーンズがメンバーだった頃、彼が生きていた頃、それに決まっているじゃないか。60年代、あの”スゥインギン・ロンドン”の熱くてヤバい空気が伝わってくるようなヒット曲群、あの妖気漂うスリリングな感触を理解できないのか!
 あそこでブライアンがかき鳴らしていたVOX製のビワ型ギターの、ブルース・ハープの、スライドギターの、そして時にはシタールやマリンバの響きの、聖なる猥雑さが聞き取れないのか?

 ストーンズとはすなわちブライアン・ジョーンズなのであって、彼の死後のストーンズなど、単なる出しガラに過ぎない。

 ”バンケット”から始まる70年代の一連のストーンズ作品、そのラフでタフなブルース・ロックの響きを評価したがる気持ちもわからないでもない。正直を言えば私も、”メインストリート”の発表当時、そのアーシーなロックの響きに、その出来上がりの見事さに舌を巻いた記憶はある。
 だがしかし、同時に、不思議も感じた。そんなに良い出来上がりのロックのアルバムであるにもかかわらず、なぜ自分は、このアルバムに愛着を感じないのか?
 今なら、その答えは簡単に分かる。そこにブライアン・ジョーンズがいないからだ。

 ストーンズの一連の70年代作品。それは実は遠い昔、まだロンドンの不良少年だったブライアンが夢見たロックの道の果てに、当然の帰着として現われたものに過ぎない。ミックもキースも、とうの昔にあの世に旅立った者の引いたレールにただ乗り込んで旅をしただけ、それだけに過ぎないのだ。
 そこに素晴らしいサウンドはあっても、そこに核となる魂が不在だ。だから私は”メインストリート”を客観的評価はしても愛することは出来なかった。

 そして・・・だから見ろ、ストーンズはいつの間にやら歌う蝋人形、クリエイティヴな側面など見るべくもない、単なる”大企業”と化してしまったではないか。

 もう一度言う。実はブライアンがストーンズだ。ブライアンだけがストーンズだ。だから、ストーンズが最高だった頃は、ブライアンが生きていた60年代でしかありえないのだ。

太陽と石の道から

2007-09-04 00:33:47 | 南アメリカ


 ”Identidades”by Maria Ines Ochoa

 「この新大陸の先住民は、海を越えてやってきたヨーロッパの人々を始めは、もしかしたら神ではあるまいかと半ば信じ込み、オズオズと歓迎の儀式をしました。
 そんな彼らにヨーロッパからの人々はためらうことなく襲いかかり、神殿を破壊し、富を奪い、人々を虐殺し、あるいは女たちをてごめにしました。
 そんな風にして行なわれた強姦によって生まれた、この大陸の先住民とヨーロッパ人、双方の血を受け継いだ子どもたち。その子孫が私たちなのです」

 照りつける中央アメリカの太陽の下、人の良さそうな笑みを満面に浮かべた老人にそんな話をされても対応に困るのだが、話者は全面的に聞き手に対する好意としてその歴史を語っているのである。
 しばらく前にテレビで放映されたメキシコの歴史に関わるドキュメンタリー番組の一齣だ。

 1960年代、たとえばマンボブームなどと言うものが世間を騒がせたりもして、ラテン音楽が全世界的なブームとなった時期があり、その頃の最先端を形成していたのがメキシコの大衆音楽だった。たとえば、手元に当時、ナット・キング・コールが発表したラテンのヒット曲ばかりを歌ったアルバムがあるのだが、収められている曲のほとんどはメキシコのヒットメロディだったりする。

 あの時期、なぜメキシコ音楽は世界音楽の最前線に踊り出るのが可能だったのか、またなぜその後、メキシコ音楽は国境線の内側に隠遁したままなのか。
 その辺は不勉強で分からない。というか、納得できる答えを出せる人もいないのではあるまいか。

 今回のアルバムは、かってメキシコの”新民謡”を代表する歌手としてメキシコ大衆に愛され、その人気の絶頂期にこの世を去った大歌手”アンパーロ・オチョア”を母に持つ若い女性、マリーア・イネスのデビュー盤である。

 歌うのは母と同じ、メキシコの大地に根ざした民謡調の曲ばかり。偉大過ぎる母と、完全に同じ土俵で勝負している。まるでその名跡を継ぐ、みたいな感じで、母のいくつかの名高い”持ち歌”さえもを歌っている。

 たとえば長嶋一茂なんて人を思い出しても、偉大過ぎる親の歩いた道をそのまま辿りなおす事のしんどさは想像が付く。何を好き好んで、と思うのだが、ジャケ写真の彼女はサトウキビ畑の中に佇み、両手を広げて微笑んでいる。
 母の残した”名”と、それがもたらす運命を、まるで歓迎するかのように明るい笑みを浮かべて受け止めようとしているようだ。ごく自然に。

 その姿勢と同じように、マリーアの歌唱もきれいに背筋を伸ばした素直で力強いものだ。まるで屈折することもなく、マリーアは偉大なる母の歩んだ道を、ごく自然に歩んでいる。
 メキシコの伝統に根ざした、あくまでも地に足の着いた、素朴過ぎる歌。社会の矛盾を告発し、欲におぼれた権力者に怒り、たくましく生きる無名の庶民へ賛辞を贈る歌詞。

 このようなタイプの歌がメキシコでは、どれほどの規模と深さで大衆に愛されているのか、私には想像もつかない。おそらく音楽の紹介者は、自らの視点に有利なように現実に下駄を履かせて語るであろうし、その解説をそのまま信じて良いのか、私には今のところ、判断できずにいる。
 なとという解釈もひねくれているのだろうが、まあ、あんまりお人よしにしていると妙な事になってしまう。これは、世界中あちこちの音楽に接してきた体験から学んだことなので、マリーアにもお許し願うしかないのだが。

 しかしまあ、このような歌を民衆が好んで聞く、と信じたくもなるようなメキシコの近代史ではある。

 そういえば昔、永六輔が、ある落語の大師匠にメキシコの大衆歌謡を聞かせたら、「私は外国の音楽は良く分かりませんが、この音楽の国、ずっと周りからいじめられてきたんじゃないですかね?」と尋ねられた、などと語っていた。「さすが一芸に秀でた人は、物の本質を見抜く力がある」と言う意味合いのエピソードとして永六輔は紹介していたのだが。

我がプログレ20選

2007-09-02 00:58:27 | ヨーロッパ


 ”Ojciec Chrzestny Dominika ”by Jozef Skrzek

ネット上の知り合いである”バッキンガム爺さん”さんのサイトで、よもやと思ったプログレが話題になっていたので私も尻馬に乗り、”我がフェバリット・プログレッシヴロック・アルバム20選”など挙げてみることにする。まあ、あれこれ解説は後にして、まずは20枚を。

1)Area / 1978 (Italy 78)
2)Banco del Mutuo Soccorso / Io Sono Nato Libero (Italy 73)
3)MAURO PAGANI / Same (Italy 78)
4)Triana / El Patio (Spain 75)
5)PFM /Per Un Amico (Italy 72)
6)Kebnekaise / Ⅱ(Sweden 73)
7)Osanna / Palepoli (Italy 72)
8)Samla Mammaz Manna / Klossa Knaptatet (Sweden 74)
9)Companyia Electrica Dharma / Tramuntana (Spain 77)
10)Formula 3 / Sognando E Risognando (Italy 72)
11)Pooh / Persifal (Italy73)
12)Omega / Gammapolis (Hungary 79)
13)Le Orme / Uomo di pezza (Italy 72)
14)Franco Battiato / L ombrello e la macchina da cucire (Italy 95)
15)Arti e Mestieri / Tilt (Italy 74)
16)Demetrio Stratos / Cantare la voce (Italy 78)
17)Alameda / Same (Spain 79)
18)Il Volo / Same (Italy 74)
19)Aphrodites child / 666 (Greece 70)
20)Jozef Skrzek / Ojciec Chrzestny Dominika (Poland 80)


 何か重要な作品を忘れているような気もするが、こんなものでしょう。

 ご覧になったとおり、イタリアものがやたら多いです。どうもこれ、私が音楽ファンとしての自覚を持つ以前、極初期の思春期ごろになんとなく好んでいたイタリアの歌謡曲、カンツォーネの、あの下世話で甘美な幻をイタリアのプログレに求めている気配があります、私には。だからまあ、純粋なプログレのファンではないと言えるかもしれない。

 そもそもワールドミュージックのファンであるところの私の視点としては、プログレなるものをヨーロッパの土俗音楽と定義しておりますし。(つまり、トラッドよりも、もっと泥臭い音楽であると考えているのであります)


 怪物・ディメトリオの、地中海古典声楽にヒントを得たといわれる奇怪なヴォーカルをメインに押し立て、バルカン半島の民俗音楽をジャズロック風に止揚して、強力にスイングするサウンドを作り上げたAreaの作品はどれも素晴らしく、79年のディメトリオ突然の夭折によって、この素晴らしい地中海ロックが永遠に失われてしまったのがいまだに残念でならない。

 Bancoは、あの強烈なイタリア臭さがたまりません。複雑に構築されたサウンドと、巨漢フランチェスコの、あの朗々たる”我らがテナー”な歌声と。

 スペインのフラメンコ・ロック(?)トリアナの、あの泥絵の具を塗りたくったような土着の、極彩色の幻想は凄かった。濃厚な、血の匂いに満たされた音楽世界には「ヨーロッパにこんな音楽もあったのか」と仰天させられたものでした。

 スエーデンのサムラ・ママス・マンナやスペインのコンパーニャ・エレクトリカ・ダルマなんて連中の、ヨーロッパ原住民にしか理解不能なのではないかと思わされるアクの強いブラック・ユーモアの世界に無理やり首を突っ込むのも、実に不快な快感でありました(?)
 
 (何がなにやらわけが分からん、と言う方へ。それが普通ですから、大丈夫)

ウクレレは燃えている

2007-08-31 00:52:15 | 太平洋地域


 ”Ukulele Paradise!”by 平川洌

 サンズイに”列”で”キヨシ”と読むとは知らなんだなあ。ともあれ、私が恐れ入りつつ”スロウハンド”と密かに渾名しているウクレレの名手、平川氏の好アルバムであります。

 スロウハンドとはもちろんクラプトンの昔のアダ名を念頭に置いているのであって。平川氏はエディ・カマエ~ハーブ・オオタの流れに連なる、ウクレレの風雲児系列のプレイヤーであります。つまり、旧来の、のどかに和音を奏でるリズム楽器の立場に甘んじることなくバンドの中央に位置し、ソロで華麗にメロディを弾きまくるタイプのミュージシャン。

 とは言え、日本ハワイアンの歴史などにはまるで詳しくない私、平川氏がその世界でどのような立場にあるのやら、詳しくは存じません。が、その演奏を聴く限りでは、かなりの革命児なのではあるまいかと想像する次第で。

 平川氏がアルバムで取り上げる曲目の多くは、いわゆるハワイアンからは大幅に逸脱するケースも多い。プラターズやらナットキング・コールやらプレスリーなどのレパートリー、映画音楽やポルカやら。ともかく、ロックの、といいますかビートルズの時代の到来寸前までのポピュラー音楽総まくり、みたいなセレクトであり、まあ平川氏、その頃に青春を送られたかと思うんですが、興味深い。

 また、バンドの編成もハワイアンへの固執はまるでみられず、私の集めた近作においてはスチールギター等の、いわゆるハワイアンぽい楽器は使うことなく、むしろ軽くジャズっぽいプレイをするピアノ弾きを相棒としてスインギーに決める演奏を好まれるようです。

 それにしても、情け容赦のないプレイをする人だなあと、今、CDを聴き返して思わず笑ってしまったんだけれど。アップテンポの曲では素早い各種フレーズを駆使し、演奏時間いっぱいを存分に駆け回る。スローな曲では凝った装飾フレーズ全開で、切ない情感を歌い上げる。

 他の楽器がソロを取っている時でも、あるいはパワフルなコードストロークを、あるいはアルペジオを、あるいは凝ったオブリガートで主旋律に絡みまくりと、自己主張をやめない。この人、あとちょっと生まれるのが遅くてロック・ミュージシャンをやっていたら、ブッとい音でレス・ポールとか弾きまくっていたんだろうなあ、などと空想し、ふと笑えてしまったりしたのだけれど。

 そういえば。私は観光地の繁華街で育った者であり、その地の利を生かして(?)キャバレー等に出ている、人生ハスに構えたイナセなバンドマン諸氏に楽器の演奏法や音楽理論を学び、育って来たのだけれど、よく言われた言葉がある。「バンドをやるなら、音楽のジャンルにこだわるなよ。手前の楽器にこだわれ」と。
 この言葉の実践なのだろうなあ、平川氏の演奏姿勢なども。

 ともかくこのアルバム、この夏、私がもっとも頻繁に聴いたアイテムなのであって、夏の締めくくりとして、ここに紹介する次第。平川氏の作品にしては、取り上げられた曲は素直にハワイアン中心である(笑)特にラストの「ホノルルの月」の切なさは、何度聞いてもよろしいですなあ。

シリア暴走王

2007-08-30 00:17:00 | イスラム世界


 ”Highway to Hassake”by Omar Souleyman

 サラーム・アレイコム。皆さん今日は。カセム・アリです。
 ・・・などと言うギャグの意味の分かる人々もすでに死に絶えて久しい。あたりは一面の荒野だ。
 
 オマール・スレイマン。シリアの大衆ポップス・スター。当方はもちろん、今回初めて聞いたのだが、すでに長いキャリアを持ち、数多くのカセット(CDではなく、カセットであるところが泣ける)をシリア国内においてリリースしているようだ。

 音を聞くまでもなく、ジャケ写真がすでにうさんくさい。アラブの民族衣装として馴染みの頭巾は赤白チェック柄であり、漆黒のレイバンのサングラスと大きな口髭は彼を、まるでコントに出てくる戯画化されたアラビア人のように見せている。現地に行くことがあったら、こんな見かけの人物からは、何か買ったり、紹介された車に乗り込んだりはしない方が無事であろう。

 聴こえてくるのもまた、そんな彼の外見を裏切らない素敵な論外ミュージック。
 まるでパロディかと思いたくなるようなぶっ飛んだアラブ大衆音楽の歌と演奏であり、何回かまえに記事として取り上げたシリア歌謡界の女王の音楽とは、まるで生きる世界が違っている。あくまでも民衆の埃にまみれた喜怒哀楽とともに生きて来た猥雑な実感が彼の勲章なのだと、その音楽は強力に物語っている。

 安い打ち込みのリズム、わざと下手に弾いているのかと首をかしげるミストーンだらけの民俗楽器の早弾きショー。そして何より、猥雑なエネルギーに溢れたスレイマン本人のボーカル。それは、なにやら”公民館からのお知らせ”なんかに使われていたと思われる埃まみれのPAから飛び出してくる。

 音が割れようと知ったことか。いやむしろ、多少割れているほうがカッコいいような気がするぞ・・・多少と言うより、思い切り割れていたほうがますます良くないか?
 悪乗りは果てしなく。曲数を重ねるごとに、音楽は狂騒と騒音の坩堝、地獄と極楽の区別の付かない無限のユートピアへと逆落としである。

 こいつはおそらく韓国の歪んだ大真珠、あのポンチャクの遠い、だが非常に濃く血の繋がった親戚なのであろう。本来、ボーカルなどに使うべきではないPAを平気で使いまわす大衆音楽のタマシイは、あの21世紀アフリカの星、コノノNo1などを嫌でも思い出さずにはおれない。西欧仕込みの”高度な音楽性”など、笑い飛ばしてやれ、それで十分。

 夢想する。世界を図抜けた笑いで包囲する、アホ系ワールドミュージックのブラッド・ライン。
 いや、やってる当人たちは本気なんだろうけどね。だが、私も本気で支持するから、それでアイコだ。文章が意味不明だが気にするな、いまさら。

雨。その他の天気。

2007-08-29 00:00:05 | いわゆる日記


 さっき、フルダチの”ニュースステーション”なんてのがテレビで始まったので、そいつをチャラチャラチャララ~ン♪と左に受け流し、私は恒例の夜のウォーキングをはじめたのだった。

 家から出ると、意外にも強い風が海岸通りを吹き抜けていた。ふと、1960年代に流行った、”夜の東京の片隅で”なんて古い歌謡曲を思い出してしまった。
 詞の一節に「風が出てきたね。雨になるんだろうか」ってのがあり、それが昔々、初めて聞いてからずっと記憶に残っていた。風が吹く、と言う現象を雨がやって来ることの予兆と捉える、そんな考え方もあるのを知り、当時、なんだか新鮮に思えたのだ。

 夜も更けた暗い湾に面し、きらびやかなネオンの光を垂れ流しながら風に吹かれている人間の築いた大都会があり、そいつはだが、巨大な自然と比べればちっぽけで、地球の歴史と比べれば、まさに拭けば飛ぶような存在でしかない。その都会の片隅で、寄る辺ない日々を送る男女が会話ともいえない会話を交し合っている。「雨になるんだろうか」と。
 そんな生の風景の一齣がなんだか妙に心に残った。

 そういえばあの歌を歌っていた歌手は、大橋巨泉がスカウトして来た、と言うのがデビュー当時の触れ込みだったのではないか。ジャズ評論家の巨泉のくせに、その歌手がやや古めかしい雰囲気さえ湛えた演歌の歌い手だったのが意外だった。

 その後、数年たってから巨泉も、「俺が見つけた時は、ギターの弾き語りで軽い感じで歌っていた。それが良かったんだけどね」とかコメントしていたので、彼も、あのような形で売り出されるとは心外だったのかも知れない。その歌手もこの世を去り、すでに何年かの歳月も流れた。自分が引き立ててやった後輩に、先に世を去られるのはどんな気分なのだろう。どうなんだ、巨泉?

 都会の片隅で「雨になるんだろうか」と話を交わす男女の風景に、ふと連想してしまうのがベテラン・シンガー・ソングライターのランディ・ニューマンが歌った、”I Think It's Going To Rain Today ”だ。
 この狭い地球に人類が溢れそうなひととき。自分は家に一人座り込んで、「今日は雨になりそうだなあ」などと考えている。昔、友人にしてしまった過酷な仕打ちなど、いまさら反省しても取り返しはつかないと言うのに、ウジウジと何度も反復しつつ思い出しながら。

 あの歌を聴くたび、”ザンジバルに立つ”なんてSF小説を、それこそ関係ないのに、読みたくなったりするのだった。ちなみにこの小説のタイトル、全人類を直立不動でぎっしりと詰めて立ち並ばせれば、ザンジバル島にすべて収納可能だ、という計算に元ずく。

 歌詞の意味の聴き違いを楽しんだ(?)のが、キッカワ・コウジの”レインダンスが聴こえる”だった。
 あれは多分、雨音を”雨のダンス”と表現した歌なのだろうと思うが(いまだに本当の歌詞は分かっていない)私は、長い日照りに苦しんだアフリカの農民が、やっと降った雨を喜び、豪雨の下の農地でびしょぬれになって感謝の踊りを踊っている、そんな風景を歌った歌と勝手に解釈した。本当の意味を知ってしまうのが嫌で、あえて歌詞を調べたりせずにいる。

 もっとほかに決定的な雨の歌があった気がするのだが、今は思い出せない。というかこの文章、私は何を言いたかったのやら。
 外ではまだ風は吹いているのだろうか。雨になるんだろうか。

右腕

2007-08-26 02:24:48 | いわゆる日記


 今年は酷暑だろう、なんて言っていた気象庁が夏本番になると自信をなくし、「意外に冷夏かも」とか言い直したりしたが、何のことはない、夏が来てしまえばやっぱりクソ暑いじゃないか。

 なとど言っている間にもう時計の針も真夜中を回り、気が付けば8月最後の日曜日は、もう来てしまっている。そういえば、日課の真夜中のウォーキングの際にもこの頃は、海浜公園のあたりからはいつの間にか虫の声なども聞こえているのだった。
 明日、いや厳密にはもう今日なのだが、ともかく明けて日曜日となれば、夏休み最後の悪あがきと言うべきか、凄い人出なんだろうな今年も。

 毎年、私の街では8月最後の日曜日に、ひと夏に何度やったか分からない花火大会の締めくくりを行なう。さすがにそこまで来てしまうと、もう近隣でも夏のイベントはあらかた終わってしまっているようで、その花火大会には、夏を惜しむ、行き所のない観光客が大量に押し寄せるのだった。

 そいつが終わればさすがにひと段落と言う感じになり、海水浴場に押し寄せる客の数もガクンと減る次第となっている。そういえば今現在も、いつものように酔っ払った観光客が砂浜に花火を持ち込み、自主的に花火大会を挙行しているのだが、その花火の音もなんだか力を失って聞こえる。秋が来たとはっきり目には見えないものの、ふと風の音に驚かされると古人が詠ったのも、こんな感覚か。

 思い返してみると、この夏は稲川淳二の怪談をテレビで3回くらいしか聞かなかったなあ。良くないなあ。その辺を減らして行くのがテレビ局の編成の方針だとすればきわめて面白くないぞ、怪談マニアとしては。あんなものは季節の定番だし、同じ話だって良いのだ、落語とかだってそうじゃないか、何度聞いても面白い話は面白いのだよ。
 あれはバブルの頃という事になるのか、深夜のテレビで夜明け近くまで延々と怪談を語る番組などあって、良かったなあ、あの頃は。

 深夜に怪談の放送は、相当以前に遡っても行なわれていたのだろうな。私は学生時代、というよりほんのコドモの頃にも、そのようなものに見入っていた記憶がある。
 当時、稲川淳二に相当する怪談スターは誰だったのだろうな?まったく記憶はないが、それなりに名手はいて、陰々と闇を語る営業をしていたはずだ。

 そういえば。過去のそんな番組の中で歌われたある歌があり、今にして思えばそれをきちんと聴いて記憶にとどめて置けばよかったと私は悔やんでいたりするのだ。

 その時私は深夜、居間のテレビに見入っていた。家族は二階の寝室でとうに寝入っていたと思う。私は一人、深夜の怪談番組を楽しんでいたのだ。今日のその種の番組よりずっとのんびりした作りではあったと記憶にはある。
 老人の司会者がゆったりと時間を割り振り、出席者は静かに体験談を語り終え。そのあたりで”幽霊”に扮したコメディアンかなにかが不意に乱入し、スタジオに賑やかしに呼ばれていた女性タレントが悲鳴を挙げる、なんてのが定番の進行だった。

 そんな中で一人だけ、ちょっとレベルの違う怖い話をした出席者がいたのだ。どんな話だったか、一言も覚えてはいない。ただ、深夜に一人だけで聞くのは、ちょっとヘヴィ過ぎると感じたことだけ覚えている。彼が話し終えると、他の出席者が「うわ」とか言って腕に出来た鳥肌をこすったりした。

 司会者はそこで、さて、とこちらに向き直り、ここで怪異に関する持ち歌がおありの歌い手の方がゲストにいらしているので、歌っていただきましょうと言った。
 その歌手、誰だったかなあ?女性歌手であったこと以外、何も思い出せないが、確かにそんな歌がレパートリーにあっても不思議はない感じの歌い手ではあった。筈だ。

 その歌は「右腕」というタイトルの歌であり、「この歌は、本当にあった事に取材して作られたんですよね」なんて会話が、司会者と歌手の間であったような気もする。

 彼女はスタジオの中央で一礼し。陰気な感じのイントロが流れ。そこで私は。なにしろ根性なしで、その後の次第を報告するのも恥ずかしいが、ともかく当時私はまだ頑是無いコドモであったので、お許し願いたい、そこで私は恐ろしさに立ち上がっていた。あんなに怖い話を聞いたあとで、そんな気持ち悪そうな歌など、とても聴けないと思った。

 家族は二階で寝静まっており、あたりはシンとして風も起こらぬ夜の静粛が広がっているばかり。そんな環境で自分は一人ぼっちなのだ。

 そして歌手は冒頭の一節を歌った。

 「裏の沼で」と。

 そこで私は。う~ん、はっきりとは覚えていないんだな。ともかく私は、その歌の続きを聞いていない。テレビのチャンネルを換えてしまったのか、それともテレビを切ってしまい、そのまま2階へ、家族の元に行き、オシッコして寝てしまったのか。

 で、今にして思うのだ、あれはどんな歌だったんだろうなあ?と。検索かけてみたり、いろいろと調べてみたんだけど、何もそれらしき資料に出会えない。もはや、「そんなこと、本当にあったのかな?」と、自らの体験ながら疑いの気持ちまで起こって来る始末。
 まさか、まさかね、そんな歌が放映された事実はなく、私が聞いたと思っている歌など、ぜんぜん歌われていないし、そもそもそんな歌は存在しない、なんてことは・・・

 夏は行く。

Richard Sings Thompson 切望

2007-08-24 00:49:44 | ヨーロッパ


 ネット上の知り合いである”神風おぢさむ”さんがリチャード・トンプソン一家の音楽について日記に書いておられたので、ちょっと尻馬に乗って、これまでも何度か主張してきた”例の話”をまた繰りかえしてみようかと思う。

 リチャード・トンプソンといえば、60年代末、あの伝統あるフォーク・ロックバンド、ファポート・コンベンションのメンバーとしてデビューした後、一貫してイギリスのトラッド寄りのフォークロック・シーンをリードしてきた巨人であるわけだが。
 当方、彼が70年代、当時の奥さんリンダとのデュオで活躍していた当時の作品を、彼自身のヴォーカルで録り直したアルバムなど作ってくれないかなあ、などと長年、夢想してきているのである。アルバム・タイトルもとうに決まっている。”リチャード・シングス・トンプソン”だ。

 事情を話せば。
 70年代の初め、「もっと英国トラッドの研究を極めたい」との理由でフェアポートを脱退したリチャードが、72年、研究の成果の一つとして世に問うたのが1stソロアルバム、”ヘンリー・ザ・ヒューマンフライ”だった。こいつは当方、”我が永遠のロックアルバム20枚”みたいなものには確実に入る傑作と思っているのだが。
 リチャードはその後、奥さんで歌手のリンダとデュオ・チーム”リチャード&リンダ”を結成、まあいわゆるオシドリ・デュオという奴として、音楽活動を続けることとなる。で、このチームは二人の夫婦生活が終わりを告げる80年代初めまで継続するのだが。

 実は当方、このリンダという人の歌、あんまり好きではなかったのだった。なんというか、ややアメリカっぽかったというか、日向臭いというか、リチャードの陰影にとんだ歌を歌うには、やや歌声の輪郭がはっきりしてい過ぎた感があるのである。
 だからさあ。もったいないなあ、と思うのだよ、リンダのファン、およびリンダ自身にはまことに申し訳ない話だが。

 当方、リチャードと言う人の全盛時代というのは、このリンダとのコンビ時代、つまり70年代だと信じている。まあ、その後のリチャードの音楽も、それは素晴らしいのでしょう、きっとそうなのだろうとは想像するが、だが60年代に世界を夢見る事を教えられ、70年代に燃え上がる世界を自分なりに駆け抜けてみた世代としては、どうしても”70年代最高!”そう信じてしまうのだ、放っておいてくれいっ。

 で、その時期、リチャードはたくさんの素晴らしい歌を書いているのだが、デュオのユニット内ではギター弾きに徹することも多く、曲のほとんどは当時のパートナーである、そして当方があまり歌手としては評価しないリンダが歌っているのである。

 これはねえ、リチャード&リンダの現役時代から不満だったのさ。「この歌、リチャード自身の歌声で聞けたら素晴らしいだろうになあ」なんて、新作アルバムを手に入れるたびに、実に歯がゆい思いをしてきた。
 だからねえ、どうせもうリンダと分かれちゃって久しいのだしさ、当時の曲をリチャード自身の歌声で聞かせてくれないものかと。やっぱり彼の音楽の一番理想的な表現者はリチャード自身と思うんでね。

 なんてえことを何度も何度も主張してきたのだが、この企画は実現に至らない。まあ、私の文章なんかリチャードが読むはずもなし、そりゃそうなんだけど。
 けど、賛同者の一人くらい、出て来てくれてもいいんじゃないかと思うんだがなあ。あなた、聞いてみたくありませんか、”リチャード・シングス・トンプソン”を?ねえ?ねえ?