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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

初秋

2007-09-25 03:20:00 | ものがたり


 午睡の中にあった。昼の日差しはまだまだ夏の面影だが、こうして風通しのよい居間に寝転んでいると、空気そのものの中に密かな涼気が忍び入っているのが感じられる。昼食後の怠惰なひととき。ほんの一刻、横になるつもりが、いつの間にか深い眠りに引きずりこまれていたようだ。

 ふと気が付くと、店で母と妹が、何事か会話を交わしているのが、聞こえてくる。妹が来ていたのか。隣りの町内に嫁に行った妹が”里帰り”に来るのは日々、特に珍しいことでもない。二人の会話の内容は、どこか不明瞭で、聞き取れない。話し声そのものが小さいのか、それともこちらがまだ夢うつつにあるせいか。

 再び眠りに入っていたようだ。睡眠は浅くなり深くなり、何事か夢は見ている筈なのだが、記憶には残らない。
 隣室から、先刻より咳払いの音が聞こえてきていた。聞き慣れた、が、このところずっと聞く事のなかった咳払いの音。それが、十数年前に死んだ父のそれであるのに気が付くまで、しばらく時を要した。

 父は、60過ぎても、言葉に妙なところで幼児語の切片が残っている男だった。眉毛の事を「マミヤ」と言い、魚の「鮎」を「あい」と発音した。「自分は人生の成功者であり、人生の成功者は人の集まりがあったところで壇上に上り、挨拶の一つもするものだ」と信じ込んでいた。だから宴席に臨むたびに当たり前のように乾杯の音頭を取ったのだが、実は彼は人前が苦手で話し下手の男だった。
 だから彼の”演説”は、頻繁な絶句と意味の無い咳払いが大量に含まれた、しかも、慣用句を継ぎ足しただけの、ほとんど中身の無い、無残な長話でしかなかった。生涯、彼は自分が下手糞な話者であると言う事実に気付かずにいたようだが。少しぐらいは「何か変だな」とか「なぜ、自分の話は他の”成功者”のように流麗ではないのだろう?」などといった疑問を持っても良さそうに思うのだが、その気配はなかった。
 「そうでありたい」と「そうである」とは、必ずしも同一ではない場合がある、というより、食い違うケースの方が圧倒的に多いのが、その種の客観性の欠如を抱えたまま、彼は鬼籍に入ってしまった。

 ついでに言えば父は、自分で思っているほどの”成功者”でもなかったろう、他人から見れば。
 父の残した借金を返すのには、若干の歳月がかかった。
 そんな父が生前、演説の場で絶句するたびに、持てない間を埋めんとするかのように頻繁に発していた、あの咳払いが隣室から聞こえてくる。

 横臥したままの私の視界に、天井近くにしつらえられた収納庫が入ってくる。あそこには、何が収められているのだろう。子供の頃から不思議で仕方がなかったのだが、その謎が解明される前に、家は改築され、収納庫は解体、破棄されてしまったのだった。

 居間の真下に、商品収納のための地下倉庫が作りつけられているのは、改築前も以後も変わりない。ただ、改築前の地下倉庫は、現在よりもずっと狭くて汚くて、なにやらすえた匂いがしていたのは、鼠の死骸などが、見えないどこかに転がっていたせいだろう。
 その地下倉庫からある夜、祖母の号泣する声が聞こえてきて、まだ幼かった私は、ひどく動揺した、そんな記憶もある。どちらかといえば気丈な性格の祖母であり、それが、そんな形で人目を忍んで泣かねばならぬ、どんな理由があったのか。何も分からぬままに、ただ私は祖母の泣き声のただならぬ激しさに怯え、一人、居間で震え続けたものだった。
 もう40年も前に鬼籍に入った祖母の泣き声が、遠く近くに聞こえている。それはとてもかすかな響きで、小さな胸の痛みを残しはするが、私の心を、あの日のようにかき乱しはしない。祖母の号泣の理由は、いまだ、分からぬままだ。

 母の声がし、私は午睡の世界から現世へと引き戻される。母は言う。これから妹と一緒に買い物に行くから、そろそろ惰眠を切り上げ店番にかかれ、と。私は冷め切った番茶を飲み干し、立ち上がる。
 コンクリートの箱として立て直されて久しい我が家に、雨が降るごとにひどい雨漏りに悩まされた、あの古い木造家屋、私が生まれたあの家の面影はどこにもない。

 店の表戸を開け、国道の向こうに広がる海水浴場を望む。砂浜に人影はない。夏の間にあれほど渋滞を繰り返した国道は閑散とし、すっかり弱まった日差しの下で、白々と東へと続いている。

 私は吹き抜ける秋風の中で大きく伸びをしてみる。足元に、干からびたトンボの死骸が一つ、飛び来たり、そしてまた、飛ばされて行った。

遥かなる”俺”の呼び声

2007-09-24 00:04:58 | その他の日本の音楽


 これはず~っと前、まだCDなんかもなかったんじゃないかな?なんてくらい昔話なんですが。
 あるところでラップやらレゲやらの関係の大きなコンサートがありました。ライブというか、”××フェスティバル”みたいな名を冠されているような、でかい野外の奴。場所はよみうりランドだったような気がするんだけど、もう細かいことはすべて忘却の彼方です。

 で、そこにトリかなんかで日本のラップ界で当時、大物と言われていたラッパーが出演したわけです。
 誰だったかなんてのも、もちろん、覚えてないよ。日本のラップの歴史を書いた本でも眺めて、適当に見当をつけておいてください。というか、私のこの文章を読んで誰だか分かったら、教えてください、私にも。

 で、そのラッパーは、いろいろ社会に対する問題意識も高く、自らのラップの中にもそのような社会的なメッセージを込めているってのが評価されているみたいだった。
 もっとも、私のように、ワカモノ文化に距離を置いて眺めているオジサンにとっては、「なんだかアメリカのラップの歌詞を翻訳しただけの”問題意識”にしか見えないけどなあ」という印象しか受けなかったんだけど。なんか”アメリカにおける社会の矛盾”を、無理やり日本の現実に当てはめて”メッセージ”しているような、不自然な感じ。

 まあ、私が青少年の頃の”反戦フォーク”のヒトなんかも、直訳内容の黒人問題の歌とか、外国人の作った”ヒロシマ”の歌の日本語訳とかを歌っていたことだし、そんなものなのでしょう。パンクが流行った頃は日本の青年たちも欧米のお手本を見習って懸命に髪の毛立ててツバ吐いて、たしね。そんなもんです、”日本における社会派音楽”のありようってのは。

 で、そのラッパー氏、ステージに出て来るなり、歓声を挙げる観客たちを手を広げて押しとどめてこう言ったのだった。
 「ちょっと待ってくれ。その前に俺の話を聞いてくれ。マジな話なんだ。ちょっと静かにしてくれ」

 なにごとか?といぶかる観客に彼は、いつになく生真面目な調子で、今、彼が巻き込まれている”問題”について話し始めた。その”問題”ってなんだったかなあ?所属レコード会社との間に生じた歌詞をめぐるゴタゴタとか、そんな内容だったと記憶しているんだが。

 で、彼はステージに直立不動のままマイクを両手で握り、その”問題”について、いつもの粋なラッパーの姿はどこへやら、なんだか朝礼の時の校長先生みたいな固い口調で事情を説明していったのだった。観客は、「そんな話には興味はないけど、オヤブンが真面目に話してるから、俺らもちゃんと聞かなければなあ」みたいな中途半端な顔つきで、その話を聞いていたのだった。

 で、一応の事情説明が終わり。ラッパー氏はいつものように熱く叫んだのだ、「よ~し、堅い話は終わりだ。たのしもうぜ」とか。おう、と客席も応じ、バンドの演奏が始まり、いつもの通りのラップのライブがはじまった。ラッパー氏も、先ほどまでの仕事中の公務員みたいな立ち居振る舞いを忘れたかのようにリズムに合わせて腰を振るのだった。

 それがなんかおかしくてねえ。その”問題”は、それこそ君らの大事な”メッセージ”に関わることじゃないのか。だったらそれをラップにして歌わんかい。ライブの途中で音止めて真面目くさって演説なんかせずにさあ。
 結局、”真面目な話”はあくまでもきちんとした形でするもので、音楽などという”お遊び”と混同するような不真面目な真似をしてはしけないものと考えていたんだね。

 レゲのラップのなんのと肩肘張って新しがっている連中のど真ん中に、そんな”古い価値観に生きる融通の利かない日本人”が生き残っている。その滑稽さを、”社会的な問題意識の高い音楽”をプレイするミュージシャンの側も、そのファン連中も、なにも変だと感じなかったってわけだ。

 うん、いや、それだけの話です。昔、そんなことがレゲやらラップやらの歴史の中にあったというだけの。
 現場じゃ凄くおかしかったのよ。周りのワカモノたちが、その”変なこと”を当たり前の顔をして受け入れているのも含めて、妙におかしくてならなくて・・・なんてこと、こうして文章にしても、あの空気は伝わらないんだろうなあ。う~ん・・・

 ああ、でも・・・あの三木道三って言ったっけ、レゲ関係の男が昔歌った”一生一緒にいてくれや♪”とか言う歌、最近、女ヴァージョンとか出たみたいね。ときどきテレビやらから聴こえてきたりするから、それなりに受けているんでしょうね?
 私、あの歌が大嫌いなんだけどさ。

 嫌いな理由の一つを挙げると、リスペクトのなんのと言いながら、実は自分のエゴ、わがままを振り回す事を正当化しているだけである、そんなところ。
 白人が支配者として強権を振るう世界で、虐げられた黒人たちが人間としての権利を取り戻すために掲げた”リスペクト”って概念を、わがままいっぱいに恵まれた世界で育ってきた日本の坊ちゃん嬢ちゃんたちが安易に自己正当化のために流用するなよ、とその辺に腹が立つわけなんだ。

 で、あの歌にうかがえる、平気でエゴを振りかざす姿勢を思うと、あの時の”校長先生の訓示”みたいな態度、あれはあれで本質が表れていたんじゃないかって気もしてくるわけです。お前ら整列しろ。おとなしく俺の話を聞け。なんてね。
 メッセージがどうの、なんて言ってる連中のタマシイのど真ん中には、結構そんな権力志向が横たわってる、そんな気がしてきてならないわけです。

ポップインドネシア、ラテンの面影

2007-09-22 04:31:10 | アジア


 ”Cinta Pertama”by Bunga Citra Lestari

 とりあえず私、ワールドミュージックのファンをしているわけです。世界中のあちこちにアンテナを伸ばして、おいしそうな音楽を探している。
 どちらかと言えば嗜好は泥臭い。ポップスよりは歌謡曲、歌謡曲よりは演歌、みたいな。同じワールドものでも、”世界に羽ばたく芸術家”とか、”この国にもアメリカと同じような洗練されたポップスがあるんです”なんて歌手は興味がもてなくて、現地の裏町で愛されているようなイナタい、”港々の歌謡曲”的な世界に興味がある。まあ、そんな趣味であるわけで。

 ところが、場所がインドネシアとなるとやや形勢が異なって、なぜだか都会派のポップス支持だったりするんだから我ながら何を考えているやらよく分からない。
 インドネシアといえばワールドミュージックで最も初期に注目が集まったインドネシア演歌、ダンドゥッドをはじめとして、土俗ポップスの宝庫みたいなもので、その辺に興味のある向きはたまらない場所であるはずなのに、なぜかかの地に起きましては、その方面に背を向けて現地の都会派ポップスなど聞いている私なのであります。

 ここに取り上げるのもその一枚。いわゆる”ポップ・インドネシア”と言う奴ですな。
 ここでは土着の音楽はとりあえず無縁なのであって、ともかく洗練されたアレンジと美しいメロディラインによって、繊細な都会人の日々の感傷を密やかな憂いをこめて歌い上げる、そんな世界が提示されている。

 インドネシアの人口は世界4位だっけ?しかもさまざまな人種の坩堝。そんな国が赤道直下に広がっていて、政治的にも経済的にもたくましい蠕動を繰り返している。
 それはある意味、非常に生々しく暑苦しい現実であるんだけれど、この”インドネシアにもあるんです”的な洗練された都会派ポップスが描くのは、まるで別の世界。

 高層ビルのオフィスや瀟洒な郊外の住宅にはきちんと気温も湿度もコントロールされた清潔な空気が通い、高価なブランド物の服に身を包んだ人々がお洒落なラブロマンスに憂き身をやつす。
 事情を知らない人に聞かせたら、どこの音楽と思うんだろう?南欧かどこかのポップスと勘違いしても不思議はないだろう。少なくとも、赤道直下で消費されている音楽とは思えないんじゃないだろうか。

 でもこれも、世界の政治経済の明日に強大な潜在力を持って姿を写すインドネシアという大国の、もう一つの”リアル”であるのもまた確かであってね。
 で、自分がこの音楽のどこに惹かれているのか分析しますとですね、音楽のむこうで脈打っている”ラテンの面影”ではないかと推測しているわけです。

 インドネシアは長らくオランダの植民地であったのだけれど、古くから交易などを通じてポルトガル文化の存在が影を落としていたのは、たとえばインドネシアの古い大衆音楽、クロンチョンで使われているのがハワイのウクレレそっくりの弦楽器であったりするのを見ても明らかなのであって。あれは明らかにポルトガル原産ですからね。

 そんなポルトガルが遠い過去にさまざまな文物とともに当地に持ち来たって、インドネシア人の心の奥底に置き忘れていったと思われるラテンの激情の影がおりに触れて、このシンと澄んだクールなポップスの奥底で揺らめく、その辺に惹かれるんですよね。
 それを思う場合、独特のインドネシア語の響きがまた良いのですね。ちょい巻き舌で発音されるインパクトの強いインドネシア語がここでは、なにやら”擬似ラテン語”的な響きを持って迫ってくる。

 音楽的にはロックやソウルの影響しか感じられないけれど、魂の揺らぎのありようがいかにもラテンである。とは言え、その音楽はロックともソウルともラテンとも関係のない、喧騒のアジア最前線、赤道直下の地である、インドネシアに存在している。その辺の矛盾がまた、聞いていてスリリングなものを生み出しているんですな。
 あるわけのない音楽がそこにある。エアコンの効いた居心地の良い室内から窓ガラス越しに見下ろす、灼熱の、喧騒のメインストリート、そんな感じ。

オルガンのある街角

2007-09-21 03:11:12 | 南アメリカ


 ”Organo Oriental,Street Organ Music of the Oriente de Cuba”

 残暑厳しき折から、と言うことでこのようなタイトルのアルバムを聞いているわけなんです。

 まあ要するに伝統派のキューバ音楽のアルバムなんだけど、オルガンがメイン、というのが珍しいところ。上に添付した写真をご覧になれば分かるとおり、なんか古色蒼然たる代物ですな。音の方も、いまどきあんまり聞かないブカブカした音色の、いかにもオルガンて感じです。シンセとかじゃもちろんないし、キーボードって呼び方もピンと来ない。やっぱりオルガンと呼ぶしかない。

 ストリート・ミュージックということで、どうやらこの古びたオルガンを通りにガラガラと引っ張り出し、パーカッション群(このCDのメンバー表を見ると、コンガ+ボンゴ+ティンパレスの黄金のトリオにマラカスやギロ、たまにトランペットを吹いたりヴォーカルを担当したりするメンバーが加わった5人編成)をバックに、キューバ音楽の懐メロをひたすら弾きまくる、という音楽のようです。

 どこからこんな編成が出来上がったのか分からないし、これまでこんな編成のラテンも見た事がない。ほんとに路上のみで営々と生き抜いてきたキューバ音楽のもう一つの演奏形態があった、ということなんでしょう。

 モノが鍵盤楽器ですからね、それも素直にメロディを奏でて行くんで、ラウンジ風に当然なります。なんとなくテクノな感じ(笑)も醸し出してみたり、ワッと厚い和音を重ねられると、擬似ストリングスの趣も漂い、弦セクション+パーカッションのマラヴォワなんかを思い出したりする。
 その一方、ホーンセクションが存在しない分、パーカッション群の動きが生々しく伝わってきて、結構血の騒ぐ部分もあります。ある意味、打楽器演奏の勉強になったりするんじゃないか。

 解説を読んで行くとこの演奏形態、家族によって編成され、街角での”興行”がなされて来たとのこと。お父さんがオルガンを奏で、子どもたちが打楽器を。
 そういわれてみると、ということでもあるんでしょうか、聞いて行くうちに、演奏者たちがオルガン奏者の周りで丸くなって顔を見交わし、励ましあって演奏を続けているような暖かい独特のグルーヴ感が伝わってくるのでありました。

 しかし、不思議な風景だろうなあ、ラテン・オルガンバンドのいる街角。

失われたモーガンタウン

2007-09-20 02:37:46 | いわゆる日記


 ”Ladies Of The Canyon ”by Joni Mitchell

 今、私の机の上には先日、ネット書店を徘徊した際に衝動買いした漫画の文庫本2冊が置かれている。ある種、苦い気持ちでそれを見る私がいる。本の著者名は”樹村みのり”で、書名は”菜の花畑のむこうとこちら”と、”カッコーの娘たち”である。
 どうやら現時点で、出版社のカタログに生きている樹村みのりの漫画は、この2冊だけらしい、と知ったのが私の苦い思いの正体なのであるが。なんでそうなるのかな?なぜ、彼女のその他の傑作群は絶版になったままなのかな?そんな疑問を抱きつつ、衝動的に買ってしまった2冊なのだが。

 樹村みのりの漫画は好きだった。一時、かなり熱を込めて愛読していた。特に、子どもたちの世界を描いた初期の作品が気に入っていた。「病気の日」や「贈り物」や「菜の花」、そしてもう少し大人になりかけた少女たちを描いた「早春」など。

 先日、ここにも書いたが、この夏、知り合いのAさんが交通事故で突然にこの世を去った。何しろ急の事故(当たり前だが)であり、そして慌しく葬儀も行なわれてしまったので、私はAさんの死に顔も見ていない。だから彼がもう私の生活の時間内に決して戻ってこない、その実感がさっぱりわかず、奇妙な宙ぶらりんな感覚の中にいた。そして気がつけばいつの間にか樹村みのりの作品、「見えない秋」がおりに触れて思い出されるようになっていた。

 夏休み中の事故によって、クラスメイトを失った小学生の女の子の戸惑いを描いた作品。光と影が織り成すイメージの連なりによって女の子は、繰り返しやって来る季節の輝きの中の生と死について思いをはせ、そして新しく出来た友達と新しい朝に向って歩き出す、そんな物語だった。

 「ああ、自分が感じているのは、あの漫画のあそこに書かれていたこと、そのままだな」そんな風にふと思うことが何度かあり、ゆっくり出来る時間を見つけて、書棚の奥から樹村みのりのその作品をいつか引っ張り出し、読み返してみたい気分になっていた。
 そんな次第で、先日は樹村みのりの作品をネット書店で検索してみる気まぐれを起こしたのだった。目的の作品は蔵書として持ってはいたが、現在、彼女の作品はどのような形で人々に親しまれているのか知りたくなって。

 結果、唖然とすることとなった。現時点ではこの2冊以外、絶版なのか。あの作品も、この作品も書店の棚には並んでいないのか。古書店や漫画喫茶にあったとしても、いや、そういう問題ではないのだ。樹村みのりの、最も素晴らしかった時期の作品群が刊行物として現役でないと知ったのが無念な気分だった。

 ネット書店での検索結果には、彼女が漫画家本来のとは別の方向で関わった書物の名も散見された。そのあたりから推察するに、もともと関心を持っていた社会問題などに彼女が、あまり効果的でない関わり方をして、それゆえに漫画家としてやや後退した立場となってしまったのかな?とも想像が出来たが、それ以上は詮索しないことにした。
 知ったところで私に何が出来るわけでもないし、いずれにせよ、いつか樹村みのりの漫画作品にきちんと光が当たり、正当な評価を受ける日は来る。そう私は信ずる。

 ふと、ジョニ・ミッチェルの”モーニング・モーガンタウン”という曲を聴きたくなっていた。「青春の光と影」や「サークルゲーム」や「ウッドストック」などなどのヒット曲で高名なアメリカのシンガー・ソングライターであるジョニ・ミッチェルに、樹村みのりは単にファンというより、非常な親近感を持っていたようだ。何かの作品にあったな、「ジョニさんもそばかす、私もそばかす」なんて書き込みが。

 ”モーニング・モーガンタウン”は、ジョニの3枚目のアルバム、レディス・オブ・ザ・キャニオン”の冒頭に収められていた曲。朝もやの中で目覚めてゆく住み慣れた町への挨拶みたいな、みずみずしい感性を伝える、いかにもこれから音楽の世界で羽ばたこうとする新進歌手の心のときめきが伝わってくるような小品だ。
 なぜここでそんな曲を思い出したのか、自分でも分からない。こんな昔の曲、ジョニのファンもジョニ自身も、もう聞き返すこともないようにも思える。あんな”ナイーブ”過ぎる私的フォークの世界も、いまどき流行らないだろうという気もする。

 先に述べた「ウッドストック」や「サークルゲーム」なんて初期作品が収められたアルバム、”レディーズ・オブ・ザ・キャニオン”は、今でも”有効”なんだろうか、聴き継がれているんだろうか。モーガンタウンに通ずる道に、今でも人は行き交っているんだろうか。
 なんて事をふと思った。しつこい残暑は週が明けても去らず、過酷な夏の残滓はまだまだ尾を引く、などとテレビの天気予報が言った。

ケルトを敵とする日

2007-09-18 05:16:16 | 音楽論など


 昨今、妙に見ていて苛立つテレビ・コマーシャルというのがあって、あれはハンディカムというのか、小型の撮影機材。正式には、”パナソニックのハンディカムSDハイビジョンムービー”と言うらしいが。
 そいつを娘の運動会に持って行く母親、なんて設定のCMである。

 で、娘に「ハイビジョンで取ってね」とか言われた母親たちが右手を外に開くと掌に収まるくらい小型の撮影機が現われる、なんて運びの映像。
 それら、母親に扮した出演者たちがいかにもモデル丸出しな気取り倒した雰囲気を醸し出していて、なんか鼻につく。まずそこが気に入らないのだが、それは今回の文章の主題ではない。

 どうも、それに被る音楽が私を苛立たせているようなのだ。それは、セリーヌ・ディオンが歌う「To Love You More」なる歌らしい。なんというか劇的な、まるで大作映画一本終わったかのような大仰なバラードなのだが、そのメロディ、いわゆる”ケルト的響き”と言う奴を感じさせる代物である。
 おそらくそんな感じに聴こえるように作られたメロディのはずだ。哀切さのうちにケルティックな神秘を秘めて渡って行く、そんなメロディであるように。

 どうもその”ケルトもどき”のあたりが、私を一番苛立たせているんではないかって気がするのだ。

 思えば、”いかにもケルト”なメロディが我が国のテレビCMのBGMとして使われるのは、いつの間にか珍しいことではなくなっている。
 ”シェナンドー”やら”サリー・ガーデン”やらと、かっては、自分のリスニングルームの中でしか鳴り響くことのなかったそれらメロディが、晩飯食ったり税務署に提出する書類を作ったりの日常空間の一瞬に、テレビCMとともに流れ出るのに、こちらもいつの間にか慣れはじめている。

 ヨーロッパの古代史の中で、時の流れに吸い込まれるように消滅していった謎の民、ケルトの人々が残した独特の玄妙な響きを持つメロディ。ケルト民族の存在自体が孕んでいた謎が、そのメロディにさらに奥深いロマンを付加した。
 若い日、私は気ままに心のうちに描いた、あまり科学的根拠のない幻想を弄びつつ、ケルトのメロディが収められたレコードに飽きることなく向い、時間を過ごしていた。

 独特の哀切さを秘めたメロディと不可思議な文様美術を残し、遠い古代に滅びた正体不明の民族の神秘。現実との折り合いを要領よくつけることもままならず、無為な日々を怠惰に送る青少年には、まあ相応な愛玩物でもあったのだろうと思う。

 いったい、今日のCMの世界における”ケルト・ブーム”に、いかなる裏の理由があるのか?私はいまだに知らずにいるのだが、ともかく、青春時代の孤独な幻想の呪物が今頃になって日向臭い日常に持ち込まれ、日常的な道具扱いで消費されるのは、あまり気持ちの良いものでない。

 ここで時代はもうどれくらい経ってしまったのだろう、劇作家の寺山修司が生きていた頃に戻る。それはNHK教育テレビの”日曜美術館”なる番組で、その日の特集は、シュールな画風で知られるルネ・マグリットだった。寺山は語っていた。

 「かって僕らは、マグリットが描いた山高帽の紳士が演じた超現実の夢に己が想像力を託した。が、マグリットの描いたイメージは今日、テレビCM等の現場で散々援用され、消費され、山高帽の紳士は退屈な日常の一齣となってしまった。
 今、僕らは、かって僕らが愛した山高帽の紳士を敵とする事から、もう一度はじめねばならないのかも知れない」

 なるほど。今頃になって私は、あの頃の寺山の言葉を妙に生々しく反芻するのだった。そう、どうやら私は、かって愛したあのケルトのメロディを敵とせねばならぬらしいのだが・・・

 (冒頭の画像は、アイルランドに残存するケルト民族の古跡)

さらに洋楽に演歌を探る

2007-09-16 23:37:49 | 音楽論など


 ”孤独の太陽”by ウォーカー・ブラザース”

 あっとしまった、前回の”60年代洋楽に演歌の影を見た”リストに、ウォーカー・ブラザースの”イン・マイ・ルーム”を入れておくのを忘れてしまったなあ。
 あの曲を入れておけばそこを突破口に、かのバッハ巨匠も演歌世界に引きずり込む計略が成り立とうものを。
 あの曲の邦題は”孤独の太陽”でいいんだっけ?まあ、今の若いヒトビトには、”チャララ~ン、鼻から牛乳!”と説明したほうが分かりやすいんだろうけど、メロディだけに関して言えば。

 あと、”ストップ・ザ・ミュージック系のメロディ群”に関しても、もう少し述べておきたかった。いやこれに関しては別に一章設けても惜しくはないテーマと言える。

 もう一つ落としていた演歌大曲が”ブラック・マジック・ウーマン”である。
 作曲者のピーター・グリーン、60年代英国ブルースロック・シーンをリードしたギタリストであると同時に、実に演歌な心を持った作曲家であったと、これも特筆しておきたい。
 彼は他にもいくつかの演歌的メロディのインスト曲を作っており、当方としては”古賀政男~アントニオ古賀~ピーター・グリーン”という演歌系ギタリストの流れを主張したいところなのである。

 しかし、演歌的なイメージを求めると、どうしてもマイナー・キーの曲が多くなってしまう。

 まあ、それだけの成り行きじゃない、たとえばクリームの”ホワイトルーム”の「文句あっか」と言わんばかりの歌いだしは、故・村田英雄先生がキッと客席ナカジクを見据え、「博多生まれで 玄海育ち♪」と見栄を切る瞬間を彷彿とさせるものがある。
 また、オーティス・レディングの、”ジ~ズア~ムズオブマアアア~イイン~♪”と自らの深層心理の奥底に探査機を沈めるかのような歌い出しは、北島サブちゃんが”な~みだぁのぉ~おおおおおぅっ 終わりのひとしずく~ ゴムの合羽に染みとおる~♪”と、まさに聞く者の心に染み透るような歌いっぷりに通ずるものがあり、そこが演歌だといいたいのである。

 それにしても、マイナー音階。こいつには、貧乏であるとか無教養であるとか因習に満ちたであるとかジメジメした感触であるとか、なかなかに陰湿なイメージがくっつきつつ、演歌の定義のすぐ隣に当たり前の顔をして座り込んでいる。

 これはどこの文化圏でもそうなのだろうか?いや、どのみち、”西欧文化が標準”と言うことが刷り込み済みの白人文化のナワバリ内でのみ通用している”合意”でしかないんだろうけど。それ以外の地域には、そもそもメジャーともマイナーとも言いようのない音階が平気で存在しているのであって。

 今回はとりあえず、話はまとまらないままに終わる。世界演歌探求の旅は、まだ途についたばかりだ。

60年代洋楽ポップスにおける演歌の探求トップ20

2007-09-15 00:23:49 | 音楽論など


 ”Stop The Music”by Lenne & The Lee KIngs

1)悲しき願い / アニマルズ
2)バンバン / ソニーとシェール
3)ストップ・ザ・ミュージック / レーン&リーキングス
4)キープミー・ハンギン・オン / バニラ・ファッジ
5)ホワイト・ルーム / クリーム
6)リトルマン / ソニーとシェール
7)朝日の当たる家 / アニマルズ
8)エピタフ / キング・クリムゾン
9)今日を生きよう / グラスルーツ
10)サテンの夜 / ムーディブルース
11)マンチェスターとリバプール / ピンキィとフェラス
12)アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー / CCR
13)スーという名の少年 / ジョニー・キャッシュ
14)ジーズ・アームズ・オブ・マイン / オーティス・レディング
15)霧の五次元 / バーズ
16)マイ・フェバリット・シングス / ジョン・コルトレーン
17)ビーナス / ショッキング・ブルー
18)マルセリーノの歌 / マルセリーノ
19)空の終列車 / スプートニクス
20)オーキー・フロム・ムスコーギー / マール・ハガート


 何をバカな事を言っておる、てなものですが。いやなに、昨夜、北島三郎先生が歌われるマカロニウエスタンのテーマ曲なるものがテレビから流れるのを聴きまして、ふとこのようなお遊びを思いついた次第です。
 まあ、どういう意味の遊びかは、分かってくださる方は説明せずとも分かってくださるでしょうし、分からない方はおそらくどのように説明してもお分かりになれないでしょう。・・・と言うような微妙な皮膜の間のジョークなんですが。

 これは何度も書いていることなんだけど、”悲しき願い”って曲の根にあるものってなんなんでしょうね?これ、どのあたりから生まれてきたメロディなんでしょう?
 メロディを奏でながらリズムを取ってみると、なんかアラブ世界のダルブッカとか、あの種の打楽器を持ち出したくなるようなノリが旋律のうちに感じられてならないんです。
 イスラム的と言おうかアジア的といおうか、欧米連中から言わせれば”異教的”なものが脈打ってはいませんかね、この曲には。

 60年代に存在していた”ティーンビート”なる音楽雑誌の新譜レヴューのコーナーに、「ソニー・ボノってひょっとして日本人じゃないの?彼の書くメロディって、なんだかもの凄く日本人好みのものがあるよね」とか書いてあったのが記憶に残っています。
 実際、ソニーとシェールの一連のヒット曲というものも、妙にネットリとした歌謡曲チックな何かを内包していて、この辺の来歴も気になります。

 ”ストップ・ザ・ミュージック”と”ダンシング・オールナイト”と”セクシーナイト”は実質、同じ曲ですね。”ホテル・カリフォルニア”も怪しい気がします。その他、”ストップ・ザ・ミュージック系”のメロディって、探ればいろいろと出て来そうな気がします。一ジャンルを形成するやも知れません。

 バーズの”5D”をここに入れるのは異論もおありでしょうが、この曲が流行った当時、私がシングルで聴いていたら父に「お前は浪花節を聞いているのか?」と真顔で尋ねられた記憶がありますんで、まあ、参考物件として挙げておきます。

 その他、シャンソンとかカンツォーネを入れだすと収拾がつかなくなるので。と言うかあの辺は普通の意味で演歌ですよね。
 あ、あとジョニー・キャッシュの奴は歌詞がモロに演歌w


小鳳鳳、走り続けろ!

2007-09-13 04:11:58 | アジア


 ”向前走”by 小鳳鳳

 秋ですね。先日は急にストンと気温が下がり、用事があっていつものようにTシャツと短パンでバイクにまたがったら、昼下がりの街ははっきりと”寒かった”ので、呆れてしまった私でした。まったく昨今は。猛暑は秋抜きで、いきなり冬に直結しようとしやがる。
 おかげでこの頃、風邪気味で不調ですが、皆様、いかがお過ごしでございますか。

 この日録に書いたらちょうど良いような興味深い音楽に出会い、ちょっと熱中してしまったりするのはたびたびだが、「いやいや、もう少し資料が集まって記事にしよう」なんて言っているうちに書くタイミングを逸してしまう、なんてことがある。

 まだろくにその音楽に関する知識もないし、CDの2枚や3枚聴いただけであれこれ言うのは早いかな、などと思って、音楽への感想を述べる事を躊躇しているうちに、気が付けば、もうその音楽への興味が、こちらのうちで一段落していて、特に文章を書いてみようなんて情熱は失せかけている。「余計な事をグダグダ言わずに、黙ってCD聴いていればいいや」とか何とか言っちゃって。

 実は、「その音楽の実体は良く分からないのだが、なんとなく惹かれる、匂う」なんて時点が一番面白いのだ。一番、音楽とホットな関係が成立しているのだ。資料を集めて冷静に分析してみたりするようになったら、それはもう、ある種の倦怠期なのだよ、きっと。

 そんな次第で。一時期、夢中で聴いていたのだが、ろくに記事にせずに終わろうとしているある音楽について、ちょっと書いてみる。

 そもそもは、もう10数年前、いつも利用しているレコード店の店主氏に「面白い音楽がある」と教えられたのだ。聴いてみると、チャチャチャの軽快なリズムに乗り、極彩色のアレンジを施された中国歌謡や日本の懐メロ歌謡曲の中国語ヴァージョンなどが次々に飛び出してきて、そのバイタリティ溢れる音楽世界に驚かされた。

 マレーシアあたりを中心に展開している、東南アジア各地に在住の中国系住民らの間に流布する大衆音楽とのこと。福建省から東南アジアに流出した人々が多いようで、歌われる歌詞は同じ中国語でも福建語が多く、それゆえそれらの音楽、我が日本のマニアの間では”福建もの”とか”福建ポップス”と呼ばれているそうな。私は勝手に”南洋中華街サウンド”と呼ぶことに決めていた。

 マレーシアは人口1千万余のうち、中華系は三分の一程度だが、多くは商店などを営み、抜け目ない商才を発揮して経済力を蓄える。そんな彼らに反発を覚えた”多数派”のマレー人たちの中の一部の者による”中華系国民”への焼き討ち事件なども過去において起こっていたそうで、民衆の意識の底辺には、何事かわだかまるものがあるやも知れない。まあ、この件の解説は私なんかよりもっと適任者がいることでありましょうけど。

 ともかく私は、”福建ポップス”のえげつないばかりのパワフルな大衆パワーに襟首をつかまれた感じで、夢中でカセット(が多かった)やCD(は当時、まだ少なかった)を買い集めた。
 地図の上にはその”領土”が存在しない、にもかかわらす大衆に愛される、と言う形でやすやすと国境線も超え、東南アジアを覆う、”見えない共和国”を形成してしまっている音楽、という不思議さにも想像力を刺激された。

 手に入れたカセット群の中でもひときわ輝かしい光を放って感じられる少女歌手がいた。小鳳鳳という名の、まだミドルティーンの、マレーシア生まれの華人の歌い手だった。
 ともかく、その幼さにもかかわらず、と言ったらいいのか、それとも子供ゆえの生命力からと解釈すべきか、その歌はあつかましいばかりの迫力を放ち
、喉から吹き上げる大音声で朗々と歌い上げられる中国や日本の懐メロの数々は、実に痛快で、いくら聴いても飽きることがなかった。
 これはまた。とんでもないところに素敵な歌い手がいたものだ。

 南国らしく陽気にパワーアップされたリズム、ほのかにサウンドの中に紛れ込む、現地マレーの音楽性、異境にあってもしぶとく輝きを失わない中国大衆音楽、なぜか影を落とす日本の歌謡曲、などなどさまざまな要素が混ざり合い、グツグツと沸騰した、そんなサウンドに乗って快調に流れて行く小鳳鳳の歌声。やあ、いいな、いいな。まだ、ほんの15,6、そのくらいの女の子なんだけどねえ。

 などといっているうちに時は流れ。気まぐれな私としては、いくら小鳳鳳が気に入ったからといって、福建ポップスばかり聴いてもいられず、その他のアジアやアフリカやらの音に耽溺し、ひと時、福建ものの存在を忘れた。

 そのような事情で何年間かのインターバルをはさみ、私は先日、小鳳鳳の新譜の紹介に、ある店のカタログで出会ったのだった。そこに添えられたCDのジャケット写真で、すでにベテラン歌手の貫禄を漂わせ始めた小鳳鳳の姿があった。
 こいつはちょっとショックだったね。いやまあ、そりゃそうだよ。十数年前にファンだったミドルティーンの歌手、その子は今、当然、30歳を過ぎる。それはそうなんだけど。

 でも、私の心のうちには、でかい口をあけて思いっきりパワフルに福建歌謡を歌い上げる無邪気な南国の少女の面影が、あんまりはっきりくっきりと焼き付けられていたんでね。
 で、さて、小鳳鳳の新譜、聞いてみるべきかやめといた方が良いのか?どんな歌を歌ってるんだろうねえ、今は?

 それにしても今年は・・・はたしてまともに秋は来るんだろうか、私の大好きな季節。また、「来た」と認識するまもなく、木枯しの冬に直結してしまうんだろうか。


モザンビークの鰯雲

2007-09-10 22:46:17 | アフリカ


 ”Yellela”by Eyuphuro

 ケニアからタンザニアへ。そしてモザンビーク。ひねもすのたりのインド洋を左手に見ながら、アフリカ東海岸を南に向う。名所も多い。広大なる大地を切り裂く大地溝帯。人類発祥の地。キリマンジャロの頂上の豹の死体。
 それより何より。このあたりは”アフリカン・ポップスの微妙なところ”が気になるファンには見逃せないところ。

 遥か西アフリカでは、ユッスーやサリフの活躍で世界の最前線に躍り出た独自のポップスが躍動し、赤道直下のコンゴでは”アフリカンポップス総本山”の自負に溢れた洒落者のバンドマン連中が、天の神々も踊り倒せとオダを挙げる。
 冒頭に挙げた東アフリカの国々には、そんな極彩色のアフリカ大陸ポップス事情の、いわば裏通り、あるいはカウンター・カルチャーといった趣をそこはかとなく漂わせている。

 東アフリカとは古くから交易によって経済的、文化的に関係の深いアラブ世界。さらに大洋を挟んで対峙する南アジア諸国と蒼古より構成する”インド洋文化圏”なるもの。そして、そのど真ん中に呪物のように屹立する不思議の島、マダガスカル。
 これらの文化的背景が玄妙に絡み合い、独特の味を醸し出す東アフリカのポップス。古くから成立していた海洋性のアフリカ風アラビアン・ポップスであるターラブもあり、どこからどうして生まれ出たのかさっぱり分からぬ新しいサウンドもあり。興味は尽きない。

 そんな東アフリカはモザンビークからの、もうベテランと言っていいのかも知れないバンドが、新譜を出していた。これが2ndであり、と言っても前作、デビュー作が出たのは80年代というから、ほぼ20年ぶりのリリースとなる。悠然たるペースであるが、好き好んでそうなったのかは知らない、もちろん。そして残念ながら当方、前作は聞いていないのだが。

 男女一名ずつのボーカリストと、パーカッションが3名、加えてギターとベース、という編成。
 アフリカ音楽でパーカッション主体のサウンド作り、となると狂熱のリズムの饗宴を連想してしまうが、そこはそれ、だてに海峡を挟んでマダガスカル島が存在している訳ではない。そのサウンドはいかにもアフリカ東海岸のインド洋文化圏ポップス、どこかに潮の香りを感じさせるゆったりとしたノリの複合リズムを聴かせてくれる。

 それはちょうど日本のこの季節を例に取るのがふさわしい。
 まだ夏の暑苦しい太陽は空高く輝いているが、そんな日に、ふと吹き抜ける風一陣。そいつには明らかな秋の気配がしていて、いつの間にか忍び入っていた季節の変化に驚かされる、そんな、シンと静まった空気の固まりを忍ばせた夏の終わりの大気の手触り。
 そんな陰影が、マダガスカル島周辺ポップス(と、仮に呼んでみようか)には潜んでいる。
 その静けさは、どこからやって来たのかいつも不思議に思う、これまたこの地域のポップス特有の哀感を秘めたメロディ・ラインと微妙に響きあい、独特の世界を形作っている。

 光と影の微妙な混交を描きつつ、バンドの音は流れてゆく。ほのかにイスラム色も漂わせつつ、しみじみと哀感漂う女性歌手Zenaの歌声と、どちらかといえば飄々とした個性で歌い流す男性歌手、Issufo。

 二人の歌声の素朴さのわりに、歌詞の英語対訳を読んでみると、いわゆる”メッセージ色”の濃い内容が、やや意外である。
 アフリカの過酷な現実が、当然のものとしてそのような歌詞を歌わせているのか、それとも結成当時から国際舞台で活躍していたバンドの立場から、そのような歌が増えてしまったのだろうか。このあたりは、余所者があれこれ言えることでもないようだ。

 いずれにせよ、よく出来たアルバムで、なかなかの収穫だなと思うのだが、苦言一つ。男女二人のボーカリストはともにシンガー・ソングライターなのであって、自作の歌を交互にこのアルバムに収めているのだが、両者の個性、あんまり響きあっていないような気がする。

 ユッスー等、西アフリカの音に影響を受けたのではないかと思われる女性歌手、Zenaの音楽性と、コンゴあたりの音楽の影響もうかがえる昔ながらのアフリカン・ポップスのありようを受け継ぐスタイルの持ち主、そしてデビュー・アルバムからのメンバーであるIssufoの音楽世界とは、ちょっとズレがありはしないかなあ?
 Zenaがバンドを離れてソロアルバムを世に問い、Issufoがバンドの主導権を握るのがベストではないかと思う。やや社会派色の強いZenaの歌は、元来、飄々としたこのバンドの個性とはちょっと違うような気がする。まあ、この辺は趣味の問題、別の意見もあろうけれども。