goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

テスコのギターが欲しかったんだよ

2007-10-09 03:05:06 | 60~70年代音楽


 正式名称はしらねど・・・上の写真のギターが欲しかったんだよ。
 まだ私が音楽ファンとして目覚めて間もないガキの頃。このギターが凄くかっこよく見えたものだった。

 これ、テスコのアンプ&スピーカー内蔵ギターです。今で言えば”ZOO-Ⅲ”みたいなものだね。ボリューム・コントローラーの隣に開いた斜めの切り込みから覗いているちっちゃなスピーカーがお洒落だった。
 と思えた、当時は。いや、今だってモノが目の前にあれば、同じように感じると思うよ。

 このギター、中学校の帰り道にある楽器屋のショーウィンドウに飾ってあって、学校の行きかえりに嫌でも目に入り、そのたびに悩ましい思いにさせられるのだった。

 やっと念願のギターを手に入れたものの、さっぱり上達する気配のない自分の指先にまだるっこしい思いをさせられていた、その頃の私としては、あのギターさえ手に入れば、バチバチにかっこいいギターが弾けるようになれるんじゃないか、そんな気がしてならなかった。
 だからそのギター、メチャクチャ欲しかったが、もちろん買う金なんかなかった。

 こうして今見るとダサいものだろうけどさ。まあ当時、今の青少年みたいに、いきなりファンダーだギブソンだと抜かすなんて思いもよらなかったからね。外国製のギターを持っている奴なんて見たことはなかったもの。ディスコに出ているGS予備軍の連中だって国産の安物を使っていた時代だよ。

 あの頃ちょうど、スパイダースの”夕陽が泣いている”が流行りかけていたっけ。GSブームがやって来る兆しは見え始めていたが、まだまだ”エレキブーム”の流れが主流で、加山雄三がモズライトのエレキ片手に”ランチャーズ”を従えて自作の歌をヒットさせまくっていた。それがメチャクチャかっこよく思えた、そんな時代の話なんだけどさあ。

ハーレムの月の下で

2007-10-08 04:40:08 | 北アメリカ

 昨夜、ネット上の知り合いの”バッキンガム爺さん”さんがご自身の日記に”秋の夜長に聴きたい曲”なんてテーマで書いておられたので、ちょっと真似して見たくなったのだった。
 で、選出したのが下のラインナップ。まあ、あくまでも”その時、そんな気分だった”ってな性質のものですが。

 
♪ウー・ベイビーベイビー/スモーキーロビンソンとミラクルズ
♪アースエンジェル/ペンギンズ
♪シックスティーン・キャンドルス/クレスツ
♪アイル・ビー・ホーム/フラミンゴス
♪1000マイル/ハートビーツ
♪ヤングボーイ・ブルース/ベン・E・キング
♪テンコマンドメンツ・オブ・ラブ/アーロン・ネヴィル
♪キャロライナ・サンシャインガール/ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレット
♪月光値千金/岸井明

 ようするに50~60年代の黒人コーラスグループのヒット曲を中心に、切なげなラブバラードものを、という形なんだけど、本気で選ぶならもっといろいろ入れたい曲もある。けどまあ、これはちょっとした散歩のついでに浮かんだ鼻唄みたいなもので、そこまでムキになる必要もないでしょう。

 この辺の、いわゆる”ドゥワップ”関係のスローバラードの、トロリと甘ったるく、下町の黒人の体温が伝わってくるような手触りは好きだ。

 ニューヨークの黒人街、例のハーレムなる地域の一角で、空にかかった戯画化された”お月様”を見上げながら、今日ではご法度らしい”カルピスのコマーシャルのイラスト”風の黒人が切ない気分になっている、なんてアメリカン・コミックの一風景。
 大都会ニューヨークの一角はいつしか彼らの遠い故郷、アフリカの小村と重なり合って行く。
 そんな風に現実を離れた楽園イメージでハーレムを夢想したら、人種問題にシリアスになっている人からはお叱りを受けようけれども。

 ”締め”にジェフ&エイモスによるジミー・ロジャースの1930年代ソングを持ってきているけれど、そういえばこれも今は遠い恋人への気持ちを空にかかった月に託して歌った歌だった。最後の曲も戦前日本の隠れた名ジャズシンガー、岸井明による月の宵賛歌。まあ、この曲はイメージとしては秋と言うより春の宵なんだろうけど。

 そうか、キイワードは月だったのか。それならここに辛口シンガー・ソングライターとして鳴らしたランディ・ニューマンが初期のアルバムにポツンと入れていた”ハーレムの月の下で”なんて曲を入れるのも一興だったなあ。あの歌は好きだった。あの歌も、幻想的な筆致で都会の上にかかる月と、その下の黒人たちの生活を描いていた。
 あの曲のオリジナルは、とっくに調べていてもよかったはずなんだけど、全然知らないや、どんな感じなのだろう。古いジャズの曲なんだろうけど。そのうちちゃんと調べて、出来れば音の方も手に入れなくちゃな。
 と、まあ、”書いてみただけ”みたいな小文で恐縮ですが、これにて。

ドラキュラ城の秋

2007-10-06 02:05:26 | ヨーロッパ


 ”EASTWIND”by Andy Irvine & Davy Spillane

 昔の”海外旅行怪談”の一つとして、こんなのがありましたね。

 ”香港の裏通りの怪しげな店に入ると、そこに異様な見世物があった。両手足を切り取られた女が、うつろな目でウワゴトをいいながら状態で横たわっている。
 実はそれは、当地を旅行中に暗黒街の人間に拉致された若い日本人の女で、薬漬けにされて売春を強要され、ボロボロになるまで使いまわされた挙句、そのような姿にされ、見世物になっているのだ”

 なんて話。事実とも思えないが、妙なリアルさがあるのも確かです。人はいつでも、自分の心の暗闇に通じる薄明の街の伝説を必要としているってことなんでしょうね。

 とうの香港の人々が、そんな闇に通ずる街の幻想の拠り所としていたのは、都会人たる彼らが嫌悪する永遠の田舎者たる”大陸中国”であるとも、中古ビル群に勝手に住み着いてしまった人々の街、”九龍城”である、とも聞きました。
 その香港も”返還”の時いたりて大陸中国に吸収され、九龍城址も廃棄され、今日の東アジアの闇の場所は、例の将軍様の国あたりでしょうかねえ。

 で、ここに取り出だしましたる”東風”なるアルバムは・・・これが製作されてから、もう15年も経つんですねえ。アイリッシュ・トラッド界で名プレイヤーとその名も高い Andy Irvine と Davy Spillane がバルカン半島の音楽に挑んだもはや歴史的傑作であります。

 西ヨーロッパのトラッドのミュージシャンがバルカン半島の、と言いますか東ヨーロッパの音楽に挑むのは必ずしもこれがはじめてでもないのかも知れませんが、このアルバムあたりで、その方法論が確立された、みたいな部分もあるのではないか。
 と言うか私は、西ヨーロッパのフォーク系の人々にとって、自らの、いわゆる自家薬籠中の音楽表現技術の範囲内で、”比較的容易に潜伏可能な異界”としての東ヨーロッパのイメージ形成が、このアルバム製作によってなされたと捉えているのですが。

 まあ、平たく言えば、西ヨーロッパのフォーク関係者にとって”いじり甲斐のある魔境”となったわけですね、バルカン音楽が。
 その、東西の文化が激突した結果たる独特のリズムや音階は、腕自慢の音楽家が挑戦するには、まさに恰好の難易度を所有する岩壁であったわけで。

 そしてこうして、その後も西側のミュージシャンによるさまざまな方向からのトライがバルカン音楽に対してなされてきたわけですが、それらの歴史が一段落ついた今、この音楽世界を改めて聞きなおしてみると、また独特の感慨に囚われます。

 そこに広がるのは、灰色の雲が行き秋風吹き抜ける広漠たる東欧の草原。さまざまな表現に接してきた耳には、非常に素直に、骨太の線で描かれると感じられる東欧音楽が鳴り渡る様はむしろ、ヨーロッパの原風景はそのような場にあると幻想させられたりするのでした。
 豪奢なヨーロッパの繁栄は実は、うたかたの幻であるのであって、これ、ここに風に吹かれている、今は無人のドラキュラ伯のかっての居城、その冷たい石作りの城砦の孤独な沈黙こそが彼等欧州人の心の故郷ではなかったのか。

 そういえば心理学者のフロイトも”恐怖”の定義を”かってそこにいて、戻ってきたもの”としていたものでした。古代においてはオリエント文化の後追いをしていたヨーロッパの人々。そして、そんな”東からの光”の面影を色濃く宿す、バルカンの地。
 彼等西欧の音楽家が競って行なった”魔境を目指す冒険行”は実は、彼らも気が付かないまま行なわれた”故郷への旅路”であったのかも知れないですねえ。

アラビアン・ポップス星取表

2007-10-03 05:22:10 | イスラム世界


 ”Nabil Shuail 2007”by Nabil Shuail

 クェートの大歌手だそうです。”大”ったって歌手としての実力もそうだが、体型がそれ以上に凄い。添付したジャケ写真をご覧いただけばお分かりの通り、相撲取りみたいな強力な存在感を放っております。こういう見かけの面白い人のCDは、文句なしで即、買ってしまうなあ。

 歌のほうも見かけをまったく裏切らない豪快なもので、ワイルドな節回しとリズムの乗りの典型的アラビアン・ポップスでぶっ飛ばす。非常に男っぽいガラガラ声に、太った人特有の甲高い倍音が含まれ、アルバムが繰り出す音の”異文化の産物”感をいやがうえにも盛り上げます。
 バックで鳴り渡る民俗打楽器も、なんだか歌手の個性に合わせて大きめの物を使っているんではないかと思ってしまう、レンジいっぱいに溢れんばかりの重量感と突撃力。

 ともかくその豪快な音楽性に恐れ入って聴き入るよりないんだが、こんなのは、たとえばパリあたりでアラブ移民によって作られた、お洒落なエスニック・ポップスの世界からは絶対に出てこないでしょう。

 このような音楽の構成要素は鋭利な時代感覚やら状況を射抜くセンスとかそんなものじゃなく、畑から抜いて来たばかりの野菜についている泥みたいな天然のパワー。
 小ざかしい事を言わんでドワァーッとやってしまったらええやんか、みたいな世界ですなあ。こういう土着のパワーに、インテリ音楽家はかないません。

 ことに。何度も聴いて行くうちに存在感を増して行くのが、アルバム中盤あたりから入ってくるバラード物。これはもう、アラブ演歌とでも表現するしかないもので、野太い声で切々と歌われるんだが、リズムで乗せられるダンスナンバーはともかく、こういった歌ものは、異邦人たるこちらとしてはどのように納得したら良いやら。
 現地の人々、こんな岩みたいな歌でしみじみしちゃうの?そのわけの分からなさに、不思議に胸がときめきます。

 このような”そびえ立つ異文化の壁”を前にして感ずる血の騒ぎは、まさにワールドもののファンとしての大いなる喜びでありましょうなあ。
 上品に言えば知的好奇心、なに、要するに根っからのヤジウマ根性なのでしょうが。サラーム・アレイコム。


ディズニーランドで暮らすには

2007-10-02 01:00:34 | ものがたり


 東京ディズニーランドで暮らしてみたい、なんて言ったら、よほどあの遊園地が好きなのだろうと思われそうであるが、そういうことは全然無い。あのような場所で遊んで面白く感ずるような感性を失ったのは、とうの昔だ。

 浦安にあるあの場所に行った事は、実は我が生涯に二度ほどあるのだが、どちらも付き合っていた女の歓心を買うのが目的で、私の趣味では全然無いのだ。
 だったらそんな場所で何故暮らしたいのだ、と問われても、ズバリの回答は思いつけない。なんとかコトバにしてみれば、出来るだけ広大な非日常の世界の中で、無味乾燥な日常を送ってみたいのだ、とでも。これでも、何の説明にもなっていないな。

 そもそも、どうやってあの中で暮らすのかといえば、なんか山の間を巡る西部開拓時代の蒸気機関車、みたいなアトラクションがあるでしょ。あの”山”の上の方に立っている書割り風のセットの家、あの中にこっそり、客にみつからないようにするから住まわせてくれないものかと思うのである。
 家のような形をしているが、まあ、実体は小さなものだろう。中が、たとえば四畳半くらいのものだったらちょうど良いや、学生時代を思い出して中に四枚半の畳をひいて、布団など持ち込むのである。ガス、水道など引いていただいて、簡単な炊事などさせていただけるとありがたいのだが。
 トイレは、園内のものを使うわけだが、”山の家”から出てくる姿を入園者に見られてはまずいだろうから、山陰に簡単な隠れ道など作ってもらうしかない。風呂は、何しろあれほどの規模の施設だ、おそらく当直する従業員用のものがありはしないか?そいつを同様に使わせてもらう。

 さて朝。”西部の山”に建つ”山小屋”の中に隠された四畳半下宿の万年床の中で目覚めた私は、二日酔いに苦しめられつつ(昨日の接待はきつかった)顔を洗い、朝食を食べ、そして山陰の道を通って、もう押し寄せてきている来園者を横目に、管理事務所の裏口なんかから園の外に出る。ディズニーランド詣での客たちのために、東京駅からの直通バスが運行されていたから、あれを通勤に利用させてもらおう。
 都心に出てする仕事は、もう、何のやりがいも無い灰色の仕事であって欲しい。

 夕方、その仕事に心身をすり減らして一日を終え、私は再びディズニーランド行きのバスの乗客となる。同乗者たちは、夜のディズニーランド観光を楽しみにするアベックたちだったりする。疲れ果て、浮かない顔をしてバスの座席に腰を下ろしているのは、もちろん、私一人である。
 やがてバスはディズニーランドに帰り着き(私以外の乗客にとっては、”到着”である、当然)私は、エレクトリカル・パレードとかなんとかいったものに熱狂する来園者たちを掻き分け、園内の目立たない道を辿って、山上の我が家に帰る。

 部屋に帰り着き、手に提げたコンビニの袋から出した缶ビールをプシュと開け、エビフライ弁当560円なり、を食べたりしよう。インスタントラーメンでもいいだろう。カップものではなく、袋入りのものがいい。作った鍋に割り箸を直接、突っ込み、食う、70年大学生風スタイル。
 部屋の隅の古びたテレビで野球の中継を見る。興味も無いチーム同士のどうでもいい消化試合を、いかにもつまらなそうに見よう。”下界”からの喧騒を遠く聞きながら。
 夜が更ければ、万年床にもぐりこんで眠る。
 園内の施設で遊んだりは、一切しない。そんな事のために東京ディズニーランドの住人になったのではないからだ。

 休みの日には、ディズニーランドの近くの海にでも行ってみよう。あるだろう何か、近くに。とりあえず、波打ち際くらい。別に行楽の名所などでなくても十分。汚れ放題でもかまわない。大量の水をたたえた空間の広がりがそこにあればそれで十分。その場所で一日中、空白の時を過ごそう。

ビルマのチョースキンの汎東アジア的歌謡性

2007-09-30 00:06:12 | アジア


 以前からこの件に関してはモヤモヤした思いを抱いていたんだけど、今回の事件が良い機会だ、あの国をこれからはビルマと呼ぼう。例のミャンマーというのは、軍事政権がオノレの都合で言い換えさせた国名だそうだからね。

 日本人ジャーナリストがビルマ軍兵士に殺害された事実を知ったビルマ市民が日本大使館に花びらを投げ入れたとのこと。これには泣かされました。そんな発想、我々にはないよねえ。こちらの方が本来のビルマ民衆の心と信じたい。

 それにしても我が日本の右翼諸君よ、君ら、日本の国民が他国の軍隊に正当な理由もなく殺害されたと言う知らせを聞いて、何の行動も起こさないのはなぜなんだ?腹が立たないのか、同胞が殺されたんだぜ!被害者の霊が”靖国”に収まって”軍神”とかいうブランド名を与えられなければ、やる気が起こりませんか?

 今回、君らのインチキ性、満天下に明らかになってしまったけどね、そんなことにも気が付いていないんだろう、ええ?

 さて。冒頭に掲げたこの写真は、ヤンゴンナウというサイト(http://www.yangonow.com/jpn/magazine/index.html)の、2003/6/3の記事から無断転載してしまったのですが(すみません!m(__)m)、いや、ビルマにお洒落な芸能雑誌が存在している事実をお知らせしたくて。

 今回、話題にしたいのは、雑誌の表紙の右側に写っているチョースキンという女性歌手のアルバム。私の手元には、えーと、これがタイトルなのかなあ、”ナイチンゲール・リン”という文字が内ジャケに見受けられます。他はすべてビルマ文字なので、もちろん読めず。

 このアルバムに収められているのは、マニアにはおなじみの、あの天然プログレともいいたい、のどかにして千変万化、天真爛漫にして複雑怪奇な、いつものビルマのポップスではありません。汎東アジア的とでも言えばいいのかな、たとえば香港あたりにあっても何も不思議ではない感じの、歌謡曲色の濃い普通のポップスばかりです。

 急に香港なんて地名を出してしまったのは、かの地で人気歌手&女優として活躍したサリー・イップのヒット曲、”真心真意過一生”のカバーが入っていたからなんだけど。

 でも、このアルバムのハイライトは、カーペンターズの”イエスタディ・ワンスモア”から山口百恵の”いい日旅立ち”のカバーへとたたみかけられるあたりかなあ。凄い選曲センス。もう、そこらのカラオケ屋じゃないんですから・・・

 しかも、アレンジ等、オリジナルの丸コピーであり、ビルマ音楽の独自性等、まったく見受けられないと言っていい。もちろん、それらがビルマ語で歌われるがゆえの特異性、そんなものはあるとはいえ。

 にもかかわらず。なんか、妙な魅力があるんですな、このアルバム。チョースキンの、なんだか中島みゆきなんかに通ずるような粘りつく歌い方の訴求力もあるんでしょうが、先にも書いた”汎東アジア的歌謡曲魂”のビルマ的展開具合が、非常に興味深く感じられる。

 ”歌謡曲魂”と書いたけど、”歌謡曲の呪縛”と表現してもいいかも知れない。
 東アジアの人々が、それぞれ独自の音楽を持ちながら、でもいつかこのような世界にたどり着いて”いい日旅立ち”とか、歌うに至ってしまう、そんなアジア人の宿命というか。因果というか。”分かっちゃいるけどやめられない性”というか。

 そんなものに落ち込むことの快感が、このアルバムにはある。

 ややこしい話を始めちゃったな。”どうしようもない歌謡性”の泥沼的魔力について。まあいずれ、もう少し分かりやすい説明が思いつけたら語り直します。中途半端ですみません。

日本政府の意思表明を予想

2007-09-29 04:45:28 | 時事


 「今回の件につきまして、我が国としましては日朝ピョンヤン宣言の精神に元ずき、強硬な抗議や制裁行動は行なわないことに決定いたしました。
 被害者の遺族は、グダグダ文句を言わないようにしてください。(官房長官・談話)」

 ○日本もミャンマー制裁検討入り、状況見極めてと首相
 (読売新聞 - 09月28日 13:57)
 政府は28日、ミャンマー軍事政権が反政府デモを武力弾圧し、日本人記者、長井健司さんら日本人を含む多数の死傷者が出ている事態を受け、ミャンマー政府に対する制裁の検討に入った。
 福田首相は28日昼、「直ちに制裁するかは、もう少し状況を見極めないといけない。ミャンマーへの日本の支援は、人道支援が多いので、そういう部分を含めて考えなくてはいけない」と記者団に語った。

福田のコメントを予想する

2007-09-28 21:33:19 | 時事


 予想される福田のコメント。

 「亡くなられたのは、危険な場所であると認識出来ておられる方のようですが。きちんと自己責任で行動していただきたかったと思いますね。国もそこまでは面倒は見切れませんから。
 まだ何か?ほかに質問がなければ、これで終わりにしますが。いいですね?」

 ○<ミャンマー>死亡の日本人、カメラマンの長井健司さんか
 (毎日新聞 - 09月27日 21:02)
 【バンコク井田純】在ミャンマー日本大使館によると27日、ミャンマー外務省から「ヤンゴン市内のスーレーパゴダ付近で、デモに巻き込まれて何人かが死亡した。そのうち1人が日本のパスポートを持っている」と連絡が入った。独立系ニュースプロダクション「APF通信社」(東京都港区)によると、男性は映像ジャーナリストの長井健司さん(50)=東京都中野区=とみられるという。

ミャンマーからのカセット再訪

2007-09-27 05:45:16 | アジア


 前半、ずっと以前に発表した文章の焼き直しになってしまって恐縮なのですが、そもそも、それで十分なほど変わらない現実に対する批判とお考えいただければと。

 私の目の前に一本のカセットがあって、ど真ん中にドーンと、まるでヘビメタのバンドのジャケみたいに見えるロゴでタイトルが記されている。
 が、読めない。どう発音するのか、いや、どちらから読むのかも分からない。不思議な形のミャンマー文字であるからだ。その下に英語で”Battle For Peace”とあるので、何とか意味合いの予想は付くのだが。

 これは、もうずいぶん以前、私の町で在日ミャンマー人たちによる、故郷の軍政に反対するパフォーマンスというか、告発集会が行われた際に会場で手に入れたものだ。
 収められている曲はすべてミャンマー語なのだが、歌詞カードに英文対訳が付いているので、意味は掴める。「私たちは、私たちの歴史を血で書く」なんて歌詞が歌われているようだ。

 他に、”歓迎されない訪問者””不良少年””真実の瞬間””平和への戦い”などなど、タイトルを挙げると、どんな傾向の歌が収められたものであるか、様子がつかめてくる。ジャケのミャンマー文字の下に、胸を銃撃で打ち抜かれ、血を滴らせる一羽の鳥が描かれている意味も分かってくる。

 さらに、カセットの裏には、「この歌集を自由を愛する人々に手渡してください」との英文も。
 サウンドは素朴極まりないフォークロック調で、60年代、デビュー当時の高石友也などを、ふと想起させる作りとなっている。ジャケのメタリックな仕上がりとの落差が不思議な感じだ。

 カセットが発表されたのは1992年の五月と記されている。そうか、あれからもう、十数年の歳月が流れたのだなあと、会場で知り合った何人かのミャンマー人の顔など思い出してみるのだが。

 その後、ミャンマーの現実はまるで変わっていないと思い知らされるニュースがこの数日、続いている。ついに昨日、ミャンマー国軍が反政府デモに参加した僧侶らを攻撃、5人の死者が出たと言う。
 相変わらず軍政は続いており、かの国の”解放”の象徴かとも思われるスーチー女史の軟禁状態も変わらぬままのようだ。
 カセットを作った人々は今、どこでどのような暮らしをし、何を思っているのだろうか。

 あれから私の音盤コレクションには、それなりの量のミャンマー・ポップスなども加わった。このカセットを聴き、「あのミャンマー音楽独特の”陽気な迷宮”みたいな個性は、まるで生かされていないなあ。どこの国でも聞けるような”反戦フォーク”ぶりで、こういう”運動”に関わる人たちの音楽性って、やっぱり似てきてしまうのかなあ」などと分かったような感想を漏らしてみたりするようにもなっているのだが。

 いやむしろマンネリなのは現実の方だろう。あいも変わらず権力者の暴力は苛酷に人々の上に振舞われて、飽く事がない。”いったい何人の死があれば十分なのか?”との、若き日のボブ・ディランの問いに対する答えもいまだ、示されてはいない。

 ミャンマー・ポップスのあののどかな響きに似つかわしい日常を、かの地の人々が手にするのはいつなのか。カセットを手に入れたあの日に、その場でミャンマーの人々と交わしたいくつかの言葉を思い返し、何が出来るわけでもない自分にもどかしい思いを禁じ得ないのだが。
 せめて我が日本政府、もう少しマシな対応は出来ないものか、などと思ってみる今日この頃である。


 ○<ミャンマー>デモ弾圧 軍事政権、強権体質あらわに
 (毎日新聞 - 09月26日 21:12)
 最高権力者のタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長は25日、ヤンゴンから約350キロ離れた新首都ネピドーで軍幹部を呼んで対策会議を開いたといわれ、この時に最終的にデモの武力鎮圧の方針を決定したとみられる。

 92年に辞任したソウマウン議長の後を継いで同評議会(当時は国家法秩序回復評議会=SLORC)議長の最高ポストについたタンシュエ上級大将は、当初は穏健路線を取り、95年7月には民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁を6年ぶりに解除。一時はスーチーさんとも直接対話して和解する姿勢を見せた。

 しかし、軟禁を解除するたびにスーチーさんが政治活動を活発に行うことを嫌い、03年5月に三たびスーチーさんを拘束してからは、スーチーさんと外部との接触をほぼ完全に断ち、民主化勢力を徹底的に封じ込める戦略を取ってきた。

 スーチーさん軟禁に対する国際社会の批判を受け、軍事政権は03年8月に7段階の民主化手続き「ロードマップ」を発表した。しかし、新憲法の原則を審議する国民会議は、軍の権力維持を担保する条項をふんだんに盛り込み、民政に移管後も軍が権力を確保する姿勢を鮮明にしていた。

 デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。軍事政権が強硬策に出れば出るほど、国民の反発と憤りを招き、さらなる反政府行動を招くのは確実だ。

 バンコクを拠点とするミャンマー人民主化団体「ビルマ連邦国民評議会」のソーアウン氏は「僧侶や学生たちは軍事政権の警告を無視してデモを続けた。これは強硬措置も予想したうえでの命がけの行動だ。暴力的手段をもって僧侶たちの行動を止めることはできないだろう」と話す。


世界の果てのピアノ

2007-09-26 04:07:24 | 太平洋地域


 ”Waikiki”by Rene Paulo

 テレビのドキュメンタリ-で見たんだけれど。ハワイ諸島のうち一番東の島は、その島の生物層の調査をする数人の学者以外立ち入り禁止なんだってね。島の本来の生態を調査できるように、なるべく自然のままの姿におかれているそうな。

 昔はアメリカ海軍の基地なんかあったんだそうだけどそこも放棄されて久しく、錆び付いた軍艦の破片が海水に洗われていたりする。打ち寄せる波と吹きつける風以外、なんの物音もしなくてね。時間の止ったような世界。世界の果てってのはつまりあんな場所じゃないかなあ、とか見ていて思ったものです。

 もっとも、そんな島の岸辺にも遠い大陸から、清涼飲料のプラスチック容器なんかが流れ着いていたりもするんだけれど。

 と言うわけで、ハワイアンのムード・ピアノという妙な代物であります。

 このレネという人は、ハワイの高級ホテルのショー・ラウンジ専属のピアノ弾きで、宿泊客のためにハワイの古くからの伝承曲なんかを華麗なソロピアノで奏でるのを生業としている。
 もう相当な高齢なんだけど、かくしゃくとしてピアノに向い、こうしてレコーディングなんかもしている。

 しかし、妙な音楽もあったものです。ハワイの古い曲なんてものは、和音二つ知っていれば演奏出来ちゃうようなシンプルな響きのものが多いのであって。それに大量の代理コードなどぶち込みまして装飾のフレーズをあれこれ織り込み、無理やりゴージャスな響きの音楽に仕上げてしまっている。

 まあ、彼は普通のバンドマン気質の人であって音楽的野心があるわけではない。ひたすらムード・ピアノのプレイヤーであり、ただたまたま、その勤務地がハワイのホテルであっただけである。結果的にそんな音楽が出来上がってしまった、それだけの事であって。

 で、こうして彼のこのアルバムなど聞いていると、例の”立ち入り禁止のハワイ東端の小島”に打ち寄せる波の音など思い出してしまうわけです。

 やはり、そのような場所にあるべき楽器ではないと感じられるのです、ピアノと言う楽器。でも、歴然とその場に存在してしまって、達者なテクニックで鍵盤に指を躍らせる演奏家がいる。そして彼の演奏を、ドレスアップしてカクテルなんか味わいつつ楽しむ人々がいる。人間の営為の、考えてみればずいぶんな奇妙さ。

 昔は、船に乗せられてこの島にやって来たのだろうなあ、ハワイにおける一台目のグランドピアノは。波に揺られて、調整などはメチャクチャになってたんだろうなあ。

 太古から変わらず島に寄せる波や風の響き、そいつは人間などが姿を消してしまった後も同じ調子で聴こえているんだろう。
 ピアノのフレーズの合間から、ふとした弾みで、そんな時を越えた太古の波や風の音が気配として聞こえてきてしまう時がある。人々が築き上げた文明の栄華の間隙をぬって、そいつは人の心に忍び寄り、響き渡る。

 ハワイの地霊の仕業なんでしょうねえ、これは。