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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

裏町の慈母

2007-11-08 03:37:27 | アジア


 ”rancanganku bukanlah rancanganmu”by nancy sanger

 あれは、このブログを始めたばかりの頃だったかなあ、近所のパン屋のオヤジが、まだ若いのに亡くなり、いざ葬式となって、彼がクリスチャンであったことが分かり呆れた、なんて事があった。
 なぜ呆れたって、そのオヤジはわが町の夏祭り(当然ながら神道の行事)が大好きで、毎年町内神輿の先頭に立ち「どけどけどけどけぇぇぇいっ!祭りだ祭りだ祭りでぇいっ!」と大騒ぎしていたのであって、あれのどこがキリスト教徒だ。

 とは言え、確かに葬儀の当日に教会に行くとオヤジの写真が飾られ、彼のために賛美歌が歌われていたのだった。配られた追悼の栞(?)に目を通せば、そこにはオヤジが子供の頃に洗礼を受けた事実が記されてあった。
 しかしそんな人物がなぜ、あのようなねじり鉢巻のお祭り野郎だったの?と我々は大いに首をかしげたのだが、その際に見たキリスト教の簡素な葬儀をうらやましく感じたのだった、ついでに。

 教会に集まって讃美歌を歌い、牧師の説教を聴く。それだけで済むならそれは良いよなあ。我が仏教の、あの煩雑な葬儀の次第って、なんとかならんのだろうか。これならいっその事、そのためだけにキリスト教に改宗したい気もする。
 とは言え、いきなり牧師のところに行って「こっちの方が葬式の時、面倒くさくないみたいだから、今日から信者にしてくれないか。あ、宗教の話に興味はないから、ヨロシク!」とか言い出す訳にも行くまい。

 そういえば司馬遼太郎の本に、初めて日本にやって来たキリスト教の宣教師一行と、日本の農夫の対話が載っていた。

 農夫「あなたの説く宗教の素晴らしさは大変よく理解できました。私もぜひ仲間に加えていただきたく思います。けれど一つ、気になる部分がある。私がその宗教に改宗すると、他の宗教を信じ一生を終えた私の祖先たちは皆、地獄に落ちると聞きましたが、それは本当でしょうか?何とか彼らも救ってやっていただけないでしょうか?」
 宣教師「それは出来ません。邪教を信じたまま人生を終えた者たちは皆、永遠に地獄の業火に焼かれるのです」
 農夫「おお。それでは私は、あなたの宗教の信者になることは出来ません。私は祖先を不幸にするのは本位ではないからです」
 宣教師「ジーザス」

 というわけで、またもインドネシアのキリスト教系賛美歌ポップス(なんか上手い呼び方はないものだろうか)である、”ロハニ”のお話であります。

 かの音楽に惹かれて若干のCDを集めてきたのだが、そのほとんどが若く美しい女性が可憐な声で歌い上げる趣向のものだった。まあ、実態はそれなりにベテラン歌手もいるロハニの世界だけれど、”芸風”としては”清純なる乙女”を標榜しているものがほとんどだった。

 今回のナンシー女史はこれまでのロハニ歌手と比べると、やや”オトナ”の声質を前面に押し出しているあたり、異色と言えるのかもしれない。多くのロハニの歌い手たちのようにピンと張った高音ではなく、柔らかなアルトの声域をゆったりと響かせる。
 これまでのロハニ歌手を聞き慣れた者としては、なんだかままならない人生の裏側も良く心得た飲み屋のママに話を聞いてもらっている、みたいな気分にならないこともない。

 実際、結構リズムセクションがパワフルに響く曲もあり、それにゴスペルっぽいコーラスが絡んだりすると、昔好んで聞いていたアメリカ南部のスワンプサウンドなんかの手触りに通ずるものを感じてしまったりするのだった。

 現地を知る人の話では、ロハニには実は、まだまださまざまに色合いの違ったパターンが存在しているそうで、何ならインドネシア音楽、このあたりだけを追求していっても十分楽しめるのではないか、などと思う。

 インドネシアの宗教分布を調べてみると、イスラム教76.5%、キリスト教13.1%で、他にヒンズー教をはじめとする諸宗教、という勢力になっていて、国是としては信仰の自由はあるのだが、やはりイスラム教が支配的な国であるのは確かである。
 そのような環境における賛美歌ポップスって、どのような立場なのか、なんて部分も含め、いろいろ興味を惹かれる、まだまだ知らない音楽、ロハニなのであった。

あの頃、ポーランドで

2007-11-07 03:05:39 | ヨーロッパ


 ”Ojciec chrzestny dominika” by Jozef Skrzek

 朝晩はすっかり冷え込むようになりまして、さて、さらに続けて東欧話であります。

 これはポーランド・プログレ界を代表するロックバンド、”SBB”の中心人物、ヨゼフ・スクルチェフが1981年に出した、彼としては初めてのソロ・アルバムです。このアルバムはほとんどリアルタイムで聞いたのですが、当時の私、すっかり東欧ロックといいますか共産圏ロックにはまっていたのでありました。

 まあこれも難儀な世界で、なにしろ当時の東欧といえば、一党独裁の専制政府にどの国も支配されていて、そこでは政府が秘密警察なんかを使ってガッチリ国民の生活を押さえ込んでいた。
 ロックなんて”西側”の腐敗した文化は基本的にご法度だったし、まともにレコードも楽器も音楽に関する情報も手に入らない状態で、そんな環境下であえてロックをやる情熱には敬意をはらうにしても、出来上がってくる作品はやっぱりどうしようもなくダサかった。

 けど、その独特のダサさに不思議な魅力があるのもさらに捻じ曲がった真実で、その辺の微妙なところに反応が出来る感性の持ち主たちが奇特にも東欧ロックのファンをやっていたのですな。
 この感覚、無理やり分析してしまえば、東欧ロックを覆っていた閉塞感、抑圧感に、ままにならない日常生活から生じた、自らの背負った抑圧感を重ね合わせて共感幻想を抱いていた、なんて事にでもなるんでしょうか。まあ、単に変なもの好きと呼ぶべきなのかも知れないが。

 もっとも今回のスクルチェフのアルバムあたりになると、なにしろポーランド・ロック界の最高峰ですからね、そんな歪んだ快楽話は持ち出す必要もなく、普通に当時のプログレッシヴ・ロック作品として高評価を与えられる質の高さがあるんですが。

 まずアルバムを手にしてギョッとさせられるのは、そのジャケ写真です。上に添付した画像でその辺のニュアンスをお分かりいただけるかどうか・・・

 長髪を振り乱してキーボードに向うスクルチェフのパネル写真を真ん中に、球技やらクラシックバレーやらに興ずる少年少女の姿があり、また、旧ソ連だったらピオネールというんですかね、赤いスカーフを首に巻いた共産党少年団の姿なども見える。
 それら子どもたちが妙に生気のない顔立ちで居並ぶ真ん中に、まるで遺影みたいに掲げられたスクルチェフの写真。

 ブラック・ユーモアと取るべきなんでしょうね。
 当時の労働党政府が押し付けて来ていたのであろう、”期待される青年像”を演ずる子供達の空疎な表情が重苦しいものを伝えてきます。こいつは裏返された哄笑であるのか、それとも苦い諦念の表出であるのか。

 収められた音は、LP盤ではAB面一曲ずつのシンフォニックな組曲形式の壮大なもの。

 教会の鐘の音で始まり、その後の展開でも目立つのはキーボードの多重録音で組み上げられた教会オルガン的なプレイ、というあたり、宗教的な作品かとも思いかけるんですが、まあ、ヨーロッパのこの種の音ではありがちでもあり、スクルチェフが基本的にはキーボード・プレイヤーであるんで、この辺はむしろ、彼の音楽の素地と言うか基礎教養が顕わになっていると取るべきなんでしょう。

 濃密な深層意識の胎内巡り、みたいな暗黒の音楽世界が開示され、スクルチェフの歌声が悲痛な響きのメロディを歌い上げる。聞き終えると一旅終えた気分になる、重量作品であります。

 なにしろボーカルはポーランド語であり、ジャケに記されているのもことごとく、あたりまえながらポーランド語なんで、このアルバムが何をテーマにしているのかが分からないのがもどかしいのですが。というか、初めて聞いてから四半世紀も分からないままに放っておくなよ、というものですが。

 ちょっと不思議なのは、冒頭と終わり近くにブルース調のハーモニカが聞こえること。クラシック色の濃いこのアルバムなのになあと首を傾げるんですが、後日、スクルチェフが所属しているバンド、”SBB”が何を意味するのか知って驚いた。これは”シレジア・ブルースバンド”の略なんですね。あいつら、もともとはブルースをやっていたのかあ。
 60年代末、ロックの世界がブルースに傾斜していた頃、古い言葉を使えば”鉄のカーテン”の向こう、ポーランドの古都シレジアにおいて彼らも、”西側”の我々と同じようにアメリカの黒人のあのどす黒い音楽に夢中になっていたのかと知ると、それもまた味わいの深い話だなあ、と思えてくるのでした。

Plastic Peopleの噂

2007-11-06 03:28:45 | ヨーロッパ


 ”Egon Bondys Happyhearts Club Banned”by Plastic People of the Universe

 そんな訳で、秋にちなむ音楽の話でも、と言うことで。とか言うだけで、先日来、大分関係のない方向に行ってますが。

 で、秋と言えば東欧です。何でそうなると問われても返答に困るが、なんとなくあの辺っていつも秋みたいな感じがしませんか?緑豊かだけどあんまり生命力感じない沃野がシンと広がる中に、崩れかけた古城とか。ドナウ川沿いに中世から続くまるごと美術品、みたいな町並みが秋空の下に広がっているとか。

 東欧と言うか”東ヨーロッパ共産圏”のロックに興味を持って聞き始めたのは70年代の終わり頃だったかなあ。チェコの”Plastic People of the Universe”なるバンドの噂あたりがきっかけになって。

 何でもそのバンドはサウンドもその主張も非常に過激なものであって、何しろ当時はまだ東欧諸国はどこも一党独裁の閉ざされた国情だったから、バンドは治安当局から大いに締め付けを受けた。
 ついにはライブを行なうのもままならない状態に追い込まれ、バンドは地下に潜ったそうですな。で、こっそり行なわれたレコーディングの成果である録音テープはチェコを訪れた支持者の外国人などに託され、こっそり国境線の向こうでプレスされ、レコードとなって皮肉なことにチェコ国外の音楽ファンのみの間で評判を得るようになる。

 なんだか五木寛之がデビュー当時に書いていたジャズ小説のロック版みたいな話ですが、これにはなかなか好奇心を刺激され、現物を聞いてみたいと熱烈に思ったものです。けど、そんなレコード、どこに行けば手に入るのか見当もつかずで、あちこち通好みの怪しげな輸入レコード店を探しまわったものでした。

 で、その2年後くらいかなあ、まるでごく普通の大手チェーンのレコード店の片隅に、私は気になっていた”Plastic People”のアルバムを見つけるのです。
 アルバムのタイトルは、ビートルズの”サージェント・ペパーズ・・・”のパロディらしい、”Egon Bondys Happyhearts Club Banned”であり、どうやらこれはチェコからカナダに持ち出されたテープを音盤化した、彼らの”外国での2ndアルバム”のようでした。
 こいつは良かったとさっそく買って帰って聞いてみると・・・
 そうだなあ、ロックバンドのくせしてシロホンなんかがフィーチュアされていたり、グロテスクにデフォルメされたコーラスが哄笑まじりに響いてみたりで、フランク・ザッパのマザースの音楽のやや温度を下げたもの、みたいな感じに、私には聞こえました。

 その、いかにもな前衛ロックのサウンドと、裏ジャケの写真の、古い歴史を感じさせるプラハの街角とそこに居並ぶ並ぶバンドのメンバーとその支持者たちの、”いかにもヒッピー”みたいな風体の対比やら、片隅に記された、「このアルバムが世に出るにあたってさまざまな協力をしてくれた、名前を出すわけには行かない人々に感謝を」なんて謝辞などに大いに惹かれてしまいましてですね、すっかり”Plastic People”のファンになってしまった。

 とは言え、その後のバンドの噂も伝わっては来ず、レコードも手に入らずで、いつしか彼らの事は記憶の隅に追いやられていったのでした。同じ東欧出身の、もう少し聞き易いサウンドのバンドなどにも出会い、そちらに興味が行ってしまったりもしました。
 そしてこうして時は流れ。例の東欧諸国の一党独裁政権が将棋倒し状態で打ち倒され、改革の波が押し寄せ、ベールに覆われていた東欧各国の大衆音楽にも触れる機会が増えていったのでありました。

 今、ヨーロッパのマニアなロック音楽を扱う通販レコード店のカタログなど開いてみると、”Plastic People”のCDは、そうだなあ10種近く並んでいますな。彼らが”幻のバンド”だった頃の音源の再発やら、チェコの”開放”の後、自由に音楽が演奏できるようになってからの新譜やら。
 そして私はそれらのアイテムに、とくに興味を持つこともなくカタログを繰るのでした。まあ、あいつらのサウンドは大体分かったからいいよ、と。

 この辺もいかがなものか、我が事ながらと思うのですが、何のことはない、”政府当局の弾圧により、自由に演奏活動も出来ない悲劇のバンド”なる”神話”が解けてしまうと、それほどまでに入れ込むほどのバンドかなあ?とか思い始めてあんまり聞く気にならなくなってしまっているんですな。
 まあ、こんな話はありますよ、そこまで政治的な舞台まで行かずとも。ひょんなことで知り合ったマイナーなバンドをヒイキしていたが、彼らが売れ始めるとつまらなくなって応援をやめてしまうとかね。

 それにしても。時に思うんですが、改革前のチェコで”Plastic People”が受けていた弾圧の話というのも、どこまで本当なんですかね?”西側”の音楽ジャーナリズムがオーバーに報じていた部分や、バンド自身が、”苦悩のバンドの神話”を利用していた部分だって、もしかしたらあったかもしれないですからね。

 いや、吉行淳之介がかって言ったとおり、詩のあとには散文がやってくる。という話ですわ。う~ん、やっぱり秋らしい話にはならなかったな・・・

秋も暮れ行く

2007-11-05 04:01:57 | 北アメリカ


 ”A Blossom Fell”by Nat King Cole

 今日、用事で車で出かけた際、ある喫茶店が、もうクリスマスのデコレーションらしきもので店を覆っていたんで、驚いちゃったのでした。いくらなんでも気が早かろうよ。けど、もう今年も残り2ヶ月?そいつにも驚くね。

 この数年で、我が町の相貌もずいぶん変わりました。街の基幹産業(?)たる老舗のホテルが次々に打ち壊され、リゾートマンションに立て替えられている。そして街の通りは続々と商店街が店じまいをして行き、いわゆる”シャッター通り”と化して行く。繁盛しているかに見えるのはコンビニばかりのようで。ひときわ薄ら寒い風景だ。古くからの顔見知りの人々も、スッとまるで消えるみたいに居場所のなくなった街を去った。

 リゾートマンションとコンビニだけしかない世界って、どういう経済原理で動くんだ?そもそもマンションを買う金をどうやって手に入れるんだ?などとブツブツ呟きながら眺める街も、気が付けばすっかり晩秋の冷たい灰色の風が吹き抜けて行くようになっていたのでした。

 そうしてふとカーステレオに放り込んだMDから流れ出した曲が、まあ、間が良くてね、なんだか反省させられちゃった。秋になったから秋らしい音楽でも選んでブログに書いてみようかなあ、とか思っていたけど横道に逸れてばかりだなあ、と。
 かかった曲はナット・キング・コールの名唱で知られる、”ブロッサム・フォール”でした。キング・コール1955年のヒット曲。作詞曲・ハワードバーンズ、ハロルドコーネリアス、ジョンドミニク。

 キング・コールの好きな曲ばかりを集めた私家版ベストMDは車の中に入れっぱなしになっていて、おりに触れて聴けるようになっているんだけど、しかるべき曲がしかるべき瞬間にかかるとは限らない。この曲も、なぜか夏の盛りに車を運転していると炎天下の渋滞時に聴こえてきたりして、あやや、これをこんな場面で聞いたらもったいないと慌てて早送りにしたりしてたのでした。

 ブロッサム・フォール。かってあれほど固く誓い合った愛は季節の移り変わりとともに色あせ、約束は反故にされ、かっての恋人は新しい人と、月の光の下で抱きあう。そして私は恋の不実に関するジプシーの占いの決まり文句などに思いをはせる。通りを覆う落葉の中で。

 コートの襟を立てたキング・コールがニューヨークの下町、もちろん1950年代のそこを、思いに沈みながら歩を進める様が聞いているだけで浮かんでくるような、切なくも美しいバラードでね、これくらい晩秋にふさわしい歌もないだろうと思う。

映画「三丁目の夕日」批判

2007-11-03 01:38:10 | その他の評論


 先ほどテレビで、「三丁目の夕日」とか言う映画が放映された。なんでも昭和30年代が舞台、と言うかテーマの映画だそうで。
 それなら、その時代をガキながらも生き、それなりに思いいれもある当方、とりあえずなにごとか心動かされるものがあるかと思いチャンネルをあわせてみたのだが、結果はただむかっ腹がたっただけであった。

 まず言っておこう。自分は”30年代の日本”のリアルタイマーだが、あそこで描かれていたような時代にいた記憶はない。当時の日本は断じてあのような世界ではなかった。

 ともかく、感傷でベタベタの、自己陶酔の優しさごっこで埋め尽くされたフィルムであり、たとえノスタルジィが過去を美しいセピア色に染め上げるものとしても、あれはひどい。現実の昭和30年代とは、まるで無関係の内容なのだから。
 力道山をテレビで見るシーンを流しておけば、それで昭和30年代が出来上がりだなんて、そんな安易な。

 そもそも登場人物に時代のリアリティがない。あの時代、我が国はまだまだ貧乏だったんだが、国民一人一人には、何もなくなってしまった焼け跡から立ち上がった明日に向うエネルギーというものが、まだリアルに燃えていたんだ。
 少なくともあの頃の日本人は、映画の登場人物みたいにウダウダ泣き言や言い訳ばかりしていなかったよ。

 映画制作者の、”私は、心優しかった過去を懐かしむ心優しい私です”に酔っているだけの大公開オナニー映画というのが最終評価だろうね。
 描かれるエピソード一つ一つにしても、今風のせせこましい、重箱の隅をつつくようなお涙頂戴物語ばかりなのだから、どこが昭和30年代だ?であって、お話にならない。
 
 頻繁に流れた映画のテーマ曲らしきものが、メキシコ民謡、”ラ・ゴロンドリーナ”に極似していたのも興ざめ。”ラ・ゴロンドリーナ”はメキシコの有名な別れの曲だからね。パクってバレないレベルの曲じゃないよ。分かってるのか、作曲担当者?
 あのメロディが流れるたびに、もの凄く場違いな気色の悪い思いをしたのさ、ワールドミュージック・ファンとしては。

 あの頃、街に流れていたのは美空ひばりだ、小林旭だ、フランク永井だ、子どもらのヒーローは植木等だ。
 あのパワフルで、でもどこかに空っ風の吹きぬける30年代歌謡の気配が画面にまったく感じられない。映し出されるのは出演者たちの垂れ流しの泣きっ面ばかり。
 もう一度言うが、あんなに毎日メソメソしちゃいなかったんだよ、昭和30年代の人間は。そんな風で生き抜けるもんか、あの時代を。

 ともかく、あんな映画はこの世界に必要はない。昭和30年代を懐かしむには、あの頃の日活の無国籍アクション映画があれば十分。あの心意気が昭和30年代だ。無意味な映画作りによる資源の無駄遣いはやめようや。

途上にて

2007-11-02 03:59:30 | いわゆる日記


 あ~、なじかは知らねど心侘びてしまった。生きて行くのは面倒くさいですね。

 昨日、我がアパートへの入居希望者があったので、とりあえず部屋へ案内する。1LDKパターンと2LDKパターン。相手は幼児と幼稚園児、二人の子を持つ夫婦である。
 一通り見たあと、あの部分は新しくならないのかとか要望いろいろ。

 若い頃なら「そんなうっとうしいこと言うなら他所へ行け」とか返していたろうが、今では私もすっかり丸くなって、ハアハアすみません、いろいろこちらも予算と言うものがありましてと低姿勢を保つ。
 要するに入居してもらって家賃をもらう、それだけの事なのだ、こちらの仕事は。何を考えているのやら分からない食えないオヤジ、というものになり切るには、どんな修行が必要なのだろうかと思ったりする。

 そしてついには家賃がもう少し・・・という方向へ。つまりはいろいろ部屋の欠点を指摘しておいて、部屋代をもっと安くしろ、と言いたかったのだね。まあ、そんなことだろうとは思ったのだが。
 こちらもそれを予期して予算を考えていたので、そのあたりまでは引き下がる。それ以上を望むならお断りしよう、としたあたりで「それではまた来ます」と相手は立ち上がる。「名勝負だ」と、ふと思い、おかしくもない場面なのに笑いそうになる。

 さて、どうだろうか。無事に入居まで行くだろうか。その気ありありのようにも、ただ冷やかしのようにも見える。その辺をハッシと見破れるようにならぬうちは、私もまだまだ修行が足りない、と言うことなのだろう。

 かって金子光晴翁は詠った。「いつになったら 人の腹を読むそんなこすからい 目つきがなくなり 自分勝手の正義をふり廻さずに すむのだろう」と。

 つーか、私の本業はシンガー・ソングライターで、こちらの仕事は歌だけでは食って行けないからついでにやっているだけなんだけどね。まあ、歌の仕事なんて、もう10年以上ご無沙汰なんだが。
 自由への道は遠く遥かだ。

 家に帰ったら、この夏、お盆の帰省中に交通事故を起こし、ご主人は即死、奥さんと子供たちも重傷を負っていまだ病院から出てくることが出来ない、という大変な目に会った入居者のAさん一家の分の家賃が届いていた。
 払う立場の人がいないといってもいい状況なのだが、どうやらAさんの勤め先の女社長が立て替えていてくれるようなのだ。こちらもこの先、どうなることだろう。いつか家賃がもらえなくなったとして、じゃあどうすればいいのだ。

 今日、いつもの道をウォーキングしていて、なぜか途中で力尽きてしまい、フラフラとなりつつ家に帰った。深く静かに疲れ切っている、という状態なのかも知れない。あの”もう歩く力はないのに、帰り道はまだ大分ある”って感じがつまり、生きて行くってことなのかなあ。たまらんなあ。

 余談。
 映画「続・三丁目の夕日」のコマーシャルが頻繁にテレビで流れているが、「約束したじゃないですか!」とか、変声期真っ只中みたいな男の子の声で叫ぶヴァージョンは勘弁してくれないか。あの声、気色悪くてしょうがない。
 なんかあの声、思春期初期の生臭い性の懊悩を濃厚に周囲に振りまいている気がするんだよなあ。ああ気持ち悪い。やめろよなあ。

ウィスキー・ア・ゴーゴーを遠く離れて

2007-10-30 23:02:05 | 60~70年代音楽


 ”At The Whisky A Go Go”by JOHNNY RIVERS

 音楽ファンとして目覚めたばかりだった中学生の頃。

 通い始めたレコード屋の壁に、当時、つまり60年代に”ミスター・ゴーゴー”とあだ名され、いくつものヒット曲を放ったアメリカのロック歌手、ジョニー・リヴァースの、ライブ・スポット”ウィスキー・ア・ゴーゴー”において録音されたライブLPが飾ってあった。
 その頃の私は彼がどんな歌を歌うアーティストなのかは知らなかったが、ギターを抱えたジャケ写真がかっこ良かったので、店に行くたびに見とれていた。というか、彼が抱えているギターが欲しくてならなかったのだった。

 すると、私をよほどのジョニー・リヴァースのファンなのだろうと誤解したらしい店員が、好意でそのアルバムをある日、聞かせてくれたのだった。
 初めて耳にする彼の音楽は。チャック・ベリーのカヴァー等、あえて死語を使うがノリノリのシンプルなロックンロール連発で、あ、こいつはごく当たり前にかっこいいなと思えた。「かっこいい曲なら何でもホイホイ歌ってしまう」みたいな腰の軽さはむしろ、”フットワークの軽い自由な魂の発露”と感じられ、それにも好感が持てた。

 とは言え、当時私がもらっていた小遣いでは、すでに忠誠を誓っていたローリング・ストーンズのシングル盤を買うのが精一杯で、ジャニー・リバースのアルバムなどとても手が届かず、それはそのままになってしまったのだが。
 そしてその後も、ある程度の金が自由になってからジョニー・リバースの盤を買う、と言うこともなかった。それよりも当時、よりナウだったニューロックやら、その後にはシンガー・ソングライターやらアメリカ南部サウンドなど追いかけるのに忙殺されて、いつの間にか”ミスター・ゴーゴー”のことは忘れて行ったのだった。

 さらにそれから長い長い年月が過ぎ・・・私はロック好きのおにーさんからロック好きのオヤジになっていた。
 そんなある日、ネットの上のみの知り合いだった音楽ライターのYN氏が突然、田舎の私の家を訪ねてきた。呆れたことに「レコーディングをしないか?良ければ自分がプロデュースをするが?」との提案だった。

 当時、70年代音楽の掘り起こしがちょっとしたブームで、その時代、レコーディングの機会にも恵まれないまま、ライブハウスや路上やらで歌った過去しかない私にまで、お呼びがかかってしまったのだった。そんな名もないシンガーの、どこを流れていたやら?の伝説(?)を追いかけて、「あ、それはあいつのことじゃないか?」と私に思い当たる彼の執念にも呆れるが。

 「その歳でデビューでもいいじゃないですか、イアン・デュリーの例もあるし」と彼は笑って私の肩を叩き、私の心の底でくすぶっていた青春残侠伝に火を注ぐのだった。
 いつの間にか乗せられて、ギターの弾き語りでデモテープを取った。ギターの腕は昔よりマシになった気がしたが、歌はひどいもので、何より自分の作った歌なのに歌詞がまるで覚えられないのに、我が事ながら閉口した。

 しばらくして、デモを聞いた、YN氏のお仲間の音楽評論家氏からメールをもらった。

 「あなたのその、ジョニー・リバースのライブみたいなワイルドなノリを生かした盤を作るといいんじゃないでしょうか」

 うわぁ・・・これにはビックリしてしまったのだった。

 そのデモテープの中の私は、そう言われてみると確かに、あの日店員が聞かせてくれた壁のレコード、”ウイスキー・ア・ゴーゴーのジョニー・リバース”みたい、とは言わないけれど、そんなものになったつもりのミスター・ゴーゴー気分でギターをガシャガシャかき鳴らしつつ、歌いまくっていたのだった。いや、確かに「こいつ、影響受けやがって」みたいなものが感じられるの、その時初めて気が付いたんだけど。

 三つ子の魂百まで、と言うのはここで使ったら見当違いの言葉ですな。なんて言ったらいいんだろうな。

 ともかくあの時、店員が聞かせてくれたレコードのたった一回の記憶が、パフォーマーとしての私をずっと”あんな風にやりたい衝動”と言う形で支えて来ていたのかなあと、なんだか”遠い目”気分になってしまったのでありました。
 (あ、私のレコード・デビューはその後、プロデューサー役のYN氏とひどい喧嘩して、オジャンになりました)

 いやあ、想えばはるか遠くに来たものです。あんまり成長はしていないんだけどね。歳だけは取った。それにしても、その後、ジョニー・リバースはどんな歌手人生を歩んだんだろうな。それも知らない。ひどい話か。

見えない街、イスタンブール

2007-10-29 02:04:23 | イスラム世界


 ”7'n Eitirdin”by Nazanoncel

 最初、トルコ版の”小倉ゆうこりん”みたいなものかな?とか思っちゃったのでした。

 不思議な衣装を着けてマンドリンを抱えた歌手ご本人のジャケ写真は、我が国のギャル諸嬢がそうするようにクチャクチャといたずら書きで縁取られていて、ピンクのジャケを開けると、これまた奇妙な感覚のカラーイラストが描き込まれた歌詞カードが絵葉書感覚で封入されている。このディープな不思議ちゃん世界。

 もっとも、詳しく見て行くと、収められている曲はすべて自身の作詞作曲で、編曲もプロデュースもご本人の手になり、ジャケのマンドリンも撮影用に持っているだけじゃなくて中で実際に腕前を披露しているし、カラーイラストも自分で描いているし、と言う具合でして。
 この、自身のメルヘン世界を自力で仕切れちゃうあたり、結構ベテランなんじゃないの?って気配あり、不思議少女で通る年齢ではない可能性も大なり。ゆうこりんじゃなく、谷山浩子あたりを想起すべきかもしれないですな、これは。

 飛び出してきた音は、その念の入ったビジュアルに負けない、なかなかに鋭い感性をうかがわせる幻想世界の響きでした。必要最小限の電気楽器とリズムに、トルコの伝統的な打楽器やら、彼女自身の奏でる民族楽器などが絡み、アラブ音楽の伝統にのっとるような、どこかそっぽを向いたような、ともかく非常に私的な響きのする音楽世界。

 こいつはなかなか興味深いポジションにいる人で、だってトルコというか中東の音楽と言うもの、いくらワールドもののファンとしてそれなりに聴き慣れているとは言うものの、やはり現地の者ではない我々には風変わりな異郷の音楽に違いないですから。
 そしてこのアルバムでは、そんな異邦の人たるnazan嬢が、自ら夢想した虚数の世界を音楽を利用して構築にかかっているわけで。異世界の二乗だ。
 はたしてどんな世界が展開されているのやら、好奇心がうずきますな。

 と言うわけでアルバムを腰を据えて聞いて見ますと。

 実は、ジャケのイメージほどブッ飛んだキャラはないですな、彼女。むしろ、しっとりと沈んだ口調で、ほとんどモノクロに近い内省の世界を歌い上げています。もちろん、歌詞はトルコ語なんで、何をテーマに歌っているのかはわかりゃしないんですが。

 アラブの音楽が基礎にはなっているのですが、彼女はそれが本来持っているネットリとした官能性を、ここでは拭い去りました。その代りに音楽の正面に置いたのは、独特の内向きの哀愁と、あちこちに漂う、どこか寄る辺ない放浪の面影。旋律が、ときにロシア民謡っぽく響く瞬間もないではない。
 いつか、本来、故郷であるはずのイスタンブールの街角を、非常な疎外感を持って彷徨する年季の入った文学少女の、長い独白に付き合っている気分になってくる。

 イスタンブールの町の上空には重苦しく灰色の雲が垂れていて。いつもは海の輝きに満ちているはずの、アジアとヨーロッパを隔て向かい合うポスプラス海峡は霧に閉ざされていて。
 そうそう、青少年の頃に私も、そんな気分で街をさすらった日々があったっけ。

 なんて次第で。相変らず正体分からぬものの、その音楽とひとしきり付き合ったら、なんだか私も彼女と心の交流が成立したような。気分になったってのは、それもまた幻想だろうなあ。

次の波を40年間待っていた砂浜で

2007-10-27 21:26:12 | 音楽論など


 「夏だ海だと歌ってるだけのクセして、なにを悩む必要があるんだい?」
 (あるラジオ番組における、ビーチボーイズに対する泉谷しげるのコメントより)

 mixiでお知り合いになった”バッキンガム爺さん”さんと言う方がご自身の日記で、”究極のビーチボーイズ”なる企画をやっておられた。

 これは、爺さんさんがご自身の楽しみのためにビーチボーイズのコンピレーションCDを作ろうとし、20曲を選んだのだが、残りが決まらない。あとCDには9曲入るのだが、さてあなたなら何を入れますか?というものである。
 いわゆるベスト10企画のようでいて、すでに3分の2の曲は決定済みというタガがはめてあるのが新機軸ですな。

 で、さっそくやってみようとしたのだが、どうも意気が上がらない。何か、自分のうちで”ビーチボーイズの推し曲を挙げることによって、自分のポップス論を語りたい”みたいな衝動が熟してこないのですな。
 これはなんなのだろうと首をひねったのだが、つまりは私にとってビーチボーイズというバンドがどこからどこまで”リアル”であるのかよく分からないから、どうもつかみ所が見つからない、と言うところなのではなかろうかと。

 ”無心の時代”といいますか、ビーチボーイズが陽気なサーフィン・ミュージックのヒットを連発していた60年代、私は音楽ファンの初期段階にいて、どちらかと言えばイギリスのビート・バンドに熱中していた。アメリカのバンドには、積極的な興味はなかったのだ。

 とは言えあの頃のポピュラー音楽ファンの通例として、ヒットパレードに興味がないわけはなかったから、その種のラジオ番組は好んで聞いていたし、自然にビーチボーイズのヒット曲には馴染んでいて、いつの間にかいくつかの好きな曲は出来上がっていた。まあ、イギリスのバンドに対するほどには入れ込んでいなかったとは言え。

 それが「こいつら、凄げえや!」とのけぞるハメになった一発が、言わずと知れた、であろう”グッド・ヴァイブレーション”である。能天気な若者のお遊び気分を歌っているだけのバンド(だとしても、それで十分偉大であるのだが)と認識していたビーチボーイズが、こんなにかっこいい”ポップスを超えるポップス”を展開して見せるなんて。それこそ、”こりゃ一本取られたな”でありますな。いやあ、こんなんだったら以前からファンをやっていればよかった。

 そんなわけで大いに見直す気になったビーチボーイズであって、こうなると次の曲が気になってくる。なんでも次の曲はさらに凄いものになる、との噂であります。ところがこれが、いくら待ってもリリースされない。さんざん焦らされたあげく・・・

 問題の”次の曲”を最初に聞いたのは、受験勉強中の夜、机の上に置いたラジオから流れていた洋楽ベストテン番組だったんですが、なんかこれが分かったような分からないような曲でね。もうこちらは聞く前から”凄い一発”を迎える気分は出来上がっていて、盛り上がる用意は十分だったので拍子抜けもいいところです。
 それが例のヴァン・ダイク・パークスとの作業による”英雄と悪漢”であって、まあセンスの良い凝った曲であるのは理解できたが、楽しい曲とは思えなかったし、”グッド・ヴァイブレーション”のようなタイプの衝撃は、そこにはなかった。

 そしてその頃、伝説の闘いが、カリフォルニアのスタジオでは始まっていたのですな。
 ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンによる、新しいロックの扉を開けんとする、今日ではもう知らない者もないあの闘いが。”スマイル”なる未完のアルバムに関わる、壮絶な魂の地獄が。

 でも、当時、海の彼方でファンをやっていたこちらはそんなこと知らないから、「な~んだかなあ、ビーチボーイズの次の曲って、あんまり面白くなかったじゃん」と、ブライアンの苦闘の成果の一つを軽く浮け流してしまっていた。

 あ、ここで表現者に対する偉大な芸術家物語やらお涙頂戴物語などを積み上げるのは意味ないですね。
 ミュージシャンなんてものはオノレが好き好んでやっているものであって、嫌になったらやめたらいい、それだけですから。やめずに続けているのはつまり、その仕事が好きなんですよ、結局。好きで続けていることに辛いも何もないでしょ。
 だから、つまんない曲はつまんないと反応するのは、ゼニカネ払ってCD買ったりライブ見に行ったりしているファンとしての正当にして正直な姿勢です。それだけですわね。

 で、話は冒頭に戻りまして、たとえば私はブライアン・ジョーンズが亡くなった時点でローリング・ストーンズは終わったと捉えている訳ですね。その後の活動は惰性、さらにその後は”企業の論理”というカンフル剤を打たれて死につつも生きながらえさせられているゾンビ状態と。

 その伝で行くと、ビーチボーイズって、いつ”終わった”んだろう?いや、まだ続いてるじゃないかと言う方もおられるでしょう、ストーンズのケースと同じく。でも私には今のビーチボーイズは、昔のメンバーの一部が勝手に結成した同名の別バンドと思えてならない。

 あの”ココモ”とかヒットさせているのが、私にとっての”あのビーチボーイズ”と同じバンドとは思えないんですよ。まあ、”思いたくない”と言うべきかも知れないが。ともかく何かが、何かが欠落しているように感じられてならないわけで。そんな連中に”ビーチボーイズ正統”を名乗られても納得するわけには行かない。

 もっともことの性格上、その欠落とは何なのかを誰にも分かるようには説明できないのがこちらも苦しいところで・・・
 ともかく、ブライアンがドラッグ浸りになって隠遁してしまったりバンド内のゴタゴタがあったりメンバーが亡くなったりのドサクサのうちに、すべてがナアナアで解決澄み扱いとなっているみたいな感じで。どうもうさんくさくていけません。

 などと言ってますが、ではそのさらに以前はどうなのか。”スマイル”以前と以後ではどうなのか、また、さらに以前には何かなかったのか、そのあたりは一繋がりに”ビーチボーイズ”扱いは出来るのか、などと考えているうちにビーチボーイズについて考えること自体が面倒になってしまったってのが私の事情で。

 とまあ、こんな実のない話をするのに長い文章を書いてしまって申し訳ない。なんかねえ、こんな事をしてしまうあたり、私には私なりのビーチボーイズへの思い入れがあるんでしょうねえ、やっぱり。それがきちんと文章化できるようになるまで、しばしお待ちを。

二ヶ月早いクリスマス、しかも赤道直下

2007-10-26 02:07:28 | アジア


 ”Dignity”by Angel Karamoy

 そもそもがイスラム教国というイメージも強いインドネシアに、なぜそんなものが存在しているのかがよく分からないキリスト教音楽の”ロハニ”のお話であります。
 そして、どうもこの種の、事情の良く分からない異邦の人間には謎の多い音楽につい心惹かれてしまう物好きな性分の私なのであって。タイだったら仏教ポップスの”レー”に興味津々、とかね。

 ともかく、どれほどの人数がいるのやら知らないけどインドネシアのクリスチャンたちの間でかなりの人気を集めているらしく、新譜も新人も次々に登場してくる”ロハニ”であります。

 このロハニなるもの、要するにキリスト教徒が教会の外で日常的に愛唱する準賛美歌(?)的な音楽なのであって。曲調はことごとく清浄な賛美歌調で、それが洗練された都会派のサウンドに乗り、揃いも揃って実力派の歌手たちにより心を込めて歌われるという美しい世界。

 基本的にはR&Bっぽい志向のポップ・インドネシアの歌手による作品が多くて、だからまあ、その音楽の佇まいを我が日本の音楽ファンに手っ取り早く理解してもらうには、あの”ミーシャ”あたりがクリスマス商戦に向けてリリースしたバラードの新曲など想像してもらえばだいたい当たっています。

 その種のバラードものが粘りっこいインドネシア語で延々と歌われる世界。それがロハニ。

 今回の盤も、そのロハニの新人のデビュー盤なんだけど、聞いていると堂々たるといいますか、落ち着き払った雰囲気で力強くも清純な歌を歌い上げている。これでほんとに新人なのかね?もはや独自の世界を築きかけている、そのある種の貫禄に舌を巻かずにはいられません。

 検索をかけてみると、まあ、この種の人の通例として現地語のサイトにしか出てこないんで、詳細は分からないんだけど、”インドネシアン・アクトレス”といった表現も見られ、もしかしたら女優が本職なのかも知れない。確かにきれいな子ではあります。女優の余技と考えるには歌が上手過ぎる気もしますが。

 こうして日本で勝手にファンをやっている身には、「ロハニ、来ているのかもな?」とか思えてくるくらい盛況に感じられるその勢いなのですが。ひょっとしたら現地インドネシアの大衆には宗教関係なく、単に美しいバラードものの音楽のジャンルとして愛好されているのかも知れないです、そんな気もします。

 それにしても、事情を知らずにロハニを聞いたら、誰も赤道直下の国のポップスとは思わないんじゃないか。だって確実に歌手の肩越しに見える窓のむこうには雪が降ってます、サンタクロースのソリに付けられた鈴の音が聞こえてます。そんな音楽なんだものなあ。どういう気分で愛好しているのか、本当のところを尋ねてみたいですね、これは。