”rancanganku bukanlah rancanganmu”by nancy sanger
あれは、このブログを始めたばかりの頃だったかなあ、近所のパン屋のオヤジが、まだ若いのに亡くなり、いざ葬式となって、彼がクリスチャンであったことが分かり呆れた、なんて事があった。
なぜ呆れたって、そのオヤジはわが町の夏祭り(当然ながら神道の行事)が大好きで、毎年町内神輿の先頭に立ち「どけどけどけどけぇぇぇいっ!祭りだ祭りだ祭りでぇいっ!」と大騒ぎしていたのであって、あれのどこがキリスト教徒だ。
とは言え、確かに葬儀の当日に教会に行くとオヤジの写真が飾られ、彼のために賛美歌が歌われていたのだった。配られた追悼の栞(?)に目を通せば、そこにはオヤジが子供の頃に洗礼を受けた事実が記されてあった。
しかしそんな人物がなぜ、あのようなねじり鉢巻のお祭り野郎だったの?と我々は大いに首をかしげたのだが、その際に見たキリスト教の簡素な葬儀をうらやましく感じたのだった、ついでに。
教会に集まって讃美歌を歌い、牧師の説教を聴く。それだけで済むならそれは良いよなあ。我が仏教の、あの煩雑な葬儀の次第って、なんとかならんのだろうか。これならいっその事、そのためだけにキリスト教に改宗したい気もする。
とは言え、いきなり牧師のところに行って「こっちの方が葬式の時、面倒くさくないみたいだから、今日から信者にしてくれないか。あ、宗教の話に興味はないから、ヨロシク!」とか言い出す訳にも行くまい。
そういえば司馬遼太郎の本に、初めて日本にやって来たキリスト教の宣教師一行と、日本の農夫の対話が載っていた。
農夫「あなたの説く宗教の素晴らしさは大変よく理解できました。私もぜひ仲間に加えていただきたく思います。けれど一つ、気になる部分がある。私がその宗教に改宗すると、他の宗教を信じ一生を終えた私の祖先たちは皆、地獄に落ちると聞きましたが、それは本当でしょうか?何とか彼らも救ってやっていただけないでしょうか?」
宣教師「それは出来ません。邪教を信じたまま人生を終えた者たちは皆、永遠に地獄の業火に焼かれるのです」
農夫「おお。それでは私は、あなたの宗教の信者になることは出来ません。私は祖先を不幸にするのは本位ではないからです」
宣教師「ジーザス」
というわけで、またもインドネシアのキリスト教系賛美歌ポップス(なんか上手い呼び方はないものだろうか)である、”ロハニ”のお話であります。
かの音楽に惹かれて若干のCDを集めてきたのだが、そのほとんどが若く美しい女性が可憐な声で歌い上げる趣向のものだった。まあ、実態はそれなりにベテラン歌手もいるロハニの世界だけれど、”芸風”としては”清純なる乙女”を標榜しているものがほとんどだった。
今回のナンシー女史はこれまでのロハニ歌手と比べると、やや”オトナ”の声質を前面に押し出しているあたり、異色と言えるのかもしれない。多くのロハニの歌い手たちのようにピンと張った高音ではなく、柔らかなアルトの声域をゆったりと響かせる。
これまでのロハニ歌手を聞き慣れた者としては、なんだかままならない人生の裏側も良く心得た飲み屋のママに話を聞いてもらっている、みたいな気分にならないこともない。
実際、結構リズムセクションがパワフルに響く曲もあり、それにゴスペルっぽいコーラスが絡んだりすると、昔好んで聞いていたアメリカ南部のスワンプサウンドなんかの手触りに通ずるものを感じてしまったりするのだった。
現地を知る人の話では、ロハニには実は、まだまださまざまに色合いの違ったパターンが存在しているそうで、何ならインドネシア音楽、このあたりだけを追求していっても十分楽しめるのではないか、などと思う。
インドネシアの宗教分布を調べてみると、イスラム教76.5%、キリスト教13.1%で、他にヒンズー教をはじめとする諸宗教、という勢力になっていて、国是としては信仰の自由はあるのだが、やはりイスラム教が支配的な国であるのは確かである。
そのような環境における賛美歌ポップスって、どのような立場なのか、なんて部分も含め、いろいろ興味を惹かれる、まだまだ知らない音楽、ロハニなのであった。