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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

謎の台湾演歌男

2007-12-07 03:28:07 | アジア


 ”漢家の張四郎”

 以前から、いつかは記事にしなけりゃなあ、とは思いつつも形にならなかった物件に関しての話題です。古くなり過ぎないうちに書いてしまいます。
 ここに掲げましたのは台湾の演歌歌手、”漢家の張四郎”のデビュー・カセットです。製作年度は・・・ああ、書いてないや。もう大分前、もしかしたら十年くらいも前に手に入れたのかもしれません。

 収められている12曲はすべて日本の演歌です。”旅姿三人男”とか”無法松の一生”なんてやや古めのものから、さらに遡って”船頭可愛や””大利根月夜”あたりの戦前もの、かと思えば”北酒場”や北島三郎の”祭り”などという、いくらか新しめなものも収められている。
 まあいずれにせよ、我が国の深夜のスナックでは死ぬほどお馴染みの、ベタと言いたくなるような曲目が並んでいるわけです。

 で、それらの歌がこのカセットではすべて、台湾語と日本語、両方の歌詞で交互に歌われている。ここが面白いところ。
 たとえば1番と3番があちらで付けられた台湾語の歌詞で、2番と4番がオリジナルの日本語の歌詞で。あるいはその逆、と言う形です。カセットの背にも、”台日語専輯”なんて書いてあって、どうやらそれが”売り”の一つらしい。

 これはまあ、このカセットを手に入れてくれた人からの伝聞で、何も裏を取った話じゃないんですが、このカセットは発売当時、台湾の田舎で密かに小ヒットしたんだそうです。
 が、なにしろカセット・オンリーというマイナー世界の話ですし、ヒットと言ってもたかが知れている。そしてそもそも日本語の演歌なんか、オシャレな台北のシティボーイ&ガールは見向きもしないだろうから、台湾中央の音楽ジャーナリズムでは話題にもならず、このカセットも、歌い手の”漢家の張四郎”の話題も、歌のネタモトである我が日本に伝えられることもなかった。

 ・・・日本では誰も知りませんもんね、こんなカセット、こんな歌手。
 おそらく、このカセットを買ったのは・・・かって日本が台湾を植民地支配していた時代に何らかの感情を持つ人々、そしてそれらの人々から何らかの文化的影響を受けた人たちなんでしょうね。日本の領有時代を懐かしく思っているなんて断ずるのは問題ですから、そうは書きませんけどね。実際、もっと微妙なものでしょう。

 ともかく彼らは田舎に住み、”カセットのみ”なんて文化状況を感受している。そして、ここに収められている日本演歌の世界を”好!”と感じ、次々にこのカセットを購った。
 歌詞は、すべて台湾語ではいけなかったんですね。日本語でないと気分が出ない。とはいえ、すべて日本語でオーケイ、というほど彼らは外国語に堪能ではなかったから、カセットをかけて一緒に歌えるよう、台湾語の部分も作らねばならなかった。

 それ以上のことは言えません。ともかくこのカセットに関しては何の資料にも出会えず、何か言えばテキトーな推測にしかならないんで。

 ちなみに。台湾においては、ここまで徹底せずとも、日本の歌が一曲や二曲、アルバムの中に紛れ込んでいるってのは珍しいことじゃないのです。
 台湾語の演歌であるとか、台湾の先住山地民族(戦前は”高砂族”とかよばれました)たちの音楽なんてジャンルの中では、怪しげな発音の日本の懐メロがあるいは切々と、あるいは楽しげに歌われる様に、容易に出会うことが出来ます。

 台湾語の(つまり台湾の支配者階級の使用言語である北京語ではない)演歌や山地民族ポップス・・・そんなものを聴くのは、台湾において決して恵まれた立場にある人々じゃないですね。社会の底辺で働いていたり、少数民族としての軋轢の中に日々を送っていたり。そんな人たちが非常にディープなありようで日本の演歌を愛していたりする。この辺、チェックですね。
 (いやまあ、その一方で日本のアイドルに入れあげる少女たち、なんて風俗も台湾の都会には見受けられますが)

 カセットに話を戻します。主人公の”漢家の張四郎”は、いまどき日本でもなかなかお目にかかれないくらい粋でイナセで男らしい、キリッとした演歌歌手振りで、なかなか聞かせてくれます。
 日本語も上手いものですが、たまに発音が怪しかったりするところがある。非常にうまい外国人の日本語、というレベルでしょうか。
 ともかく予備知識なしに歌だけ聴かされたら外国人の歌う演歌だなんて、ちょっと分からないでしょうね。

 彼が自身で書いたらしい自己紹介文には、”おどうさん是日本京都人”なんて表記があり、このあたり象徴的です。父親を日本語表記する知識はあるが、”おどうさん”と、”と”に濁点をつけてしまった。日本語を教科書からではなく口伝いに習得した、これが証拠とは言えませんかね?

 彼の自己紹介文は以下のように結ばれます。”四郎最懐念日本演歌 欲更熱愛台湾民謡”と。
 彼の実像をもっと知りたいんだけれど、現在までのところ、それは叶わずにいます。その後、カセットはリリースしたんだろうか?日々、どのような活動を?などなど、興味深々なんですけれどね。何かご存知のかた、ご教示いただければ幸いです。

Soraちゃんのトロット

2007-12-05 23:12:43 | アジア


 ”Pledge Eternal Love Promise to Love Each Other Forever” by Jang sora

 どうもそんな流れが出来かけているんじゃないか、なんて事を書いた記憶があるんだけど、どうやら本当にそんな流行が来ているみたいな韓国音楽シーンであります。
 どんな流れって、日本ではアイドル歌手としてとうぜん扱われるようなタイプの、可愛いルックスの子を次々にトロット、つまりド演歌歌手としてデビューさせてしまう、というブーム。

 まあ、こちらとしては韓国のトロットは好きだし、それを歌うのが若いかわいい女の子であると言うのならますます大歓迎で何も問題はないんだけど、これはどういうブームなの?という疑問はある。日本でもたまにある民族文化回帰的気風とアイドル嗜好が変な風に結びついた?まあ、そんなところなんだろうけれど。

 気がついている、ブームの特徴を挙げてみます。

 1)ディスコアレンジ、それも安易なアゲアゲ・ムードのディスコアレンジである。
 2)取り上げられる曲は、あくまでもオーソドックスな演歌や歌謡曲である。
 3)アレンジは常に一本調子で、あまり劇的展開なしで進行する。
 4)それ以前の大前提として、ともかく可愛い子に歌わせる。

 こんなところで。いや、たいした発見はないですね(笑)

 と言うわけで今回も韓国のトロット・アイドル、 Jang Soraちゃんを紹介いたします。

 これがデビューアルバム、そしてルックス的にはこの子あたりが私は一番好みかなあ。上に挙げたジャケ写真ではなんか高島礼子みたいな顔に写ってますが、中ジャケの各写真(歌詞カードが、ほとんどミニ写真集みたいな構造になっている)では、もっと今日風の陰影を感じさせるルックスです。

 彼女はこれまで紹介してきたかわい子ちゃん系トロット歌手のような、ディスコのビートに乗ってハードに演歌を吠える鉄火肌の硬派な歌い手たちとは、ちょっと違う個性を持っている。実力派であるに違いはないんだけど、演歌というよりはやや歌謡曲よりの女性的な泣き節が、その歌声の中心にあるんですな。
 そんな彼女の個性に合わせて、収められている曲目もこの種のものとしては歌謡曲寄りの選曲となっており、アレンジも、この種のものとしては多彩な奥行きが楽しめる。

 もちろんこちらは韓国語は理解不能なんで何を歌っているのかは分からないんだけど、日本の昭和30年代のもののような、そうでもないような曲調のベタな歌謡曲が打ち込みのリズムに乗り、”いまどきの若い子”の歌声で、なおかつ意味の分からない異郷の言葉で次々に歌い流されて行く。

 そいつを聴いていると、過去と未来、懐かしい情景と見たこともない風景がゴタマゼになった奇妙な未来都市が、キムチとヤキイカの匂いを漂わせて玄界灘を船出して行く、そんな幻覚を見る思いなのであります。

審査員狩りの夜

2007-12-04 04:15:46 | その他の評論


 なんかこれ、凄く気持ち悪い事件だなあ。優勝作品にクレームを付けた人たちって、作品内容が、とか運営方法が、とかいろいろ指摘しているようだけど、言いたいことは要するに「優しいサンタさんをいじめるなんて許せない!」って”義憤”なんでしょ?

 さまざまな苦情内容ってのは、その怒りに公共性を帯びさせるための、そして「自分はもっと高邁な理想を掲げているのだ」と自らに信じ込ませるための口実に過ぎないんじゃないの?

 で、人々はそいつを掲げ、”サンタ狩り”に大賞を与えてしまった審査員たちを”正義の刃を振るう聖戦士”の姿で攻撃している訳だ。「自分たちは正義のための戦いをしているのだから、反抗するものは悪魔だ」なんて大書された旗を振りつつ。

 何のことはない、それじゃ、”サンタ狩り”と同じことだよ。”審査員狩り”じゃないか。
 今度は自分たちが、映像の中でサンタに暴行している連中と同じ事を審査員たちに対してしてしまっている、その滑稽さ、グロテスクさに気がついていない。
 あなたが主演の”審査員狩り”は、果たして”サンタ狩り”より立派な作品といえるんだろうか?
 そんな”あくまでも正義”な人々の、ヒステリックに硬直した”ピュアさ”を私は大いに恐怖します。

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 ○7人の審査員」と「不特定多数の住民」の間で――第1回「ニコニコ映画祭」騒動
  (ITmediaニュース - 12月03日 14:20)

 「こんな動画を選ぶなんて」――ユーザーから募集したユニークな動画作品に賞を授与する「第1回 国際ニコニコ映画祭」の大賞受賞作が、「面白くない上に暴力的」などとユーザーから批判が殺到。審査員の1人のブログに対して批判コメントが相次ぎ、ブログで謝罪に追い込まれる事態に発展した。
 ニコニコ動画は、多数の一般ユーザーが盛り上げて急成長したサービス。人気動画は再生回数の多さで分かり、いわばユーザー全員が“審査”に参加しているとも言える点も人気を集めた理由だ。
 これに対して映画祭は、専門家など少数の審査員が優秀作を選ぶ形。一般ユーザーの声は反映されておらず、このギャップが受賞作に対する批判コメントの殺到で浮き彫りになった形だ。
 ニコニコ映画祭は、ユーザーからオリジナルの動画作品を募集し、ユニークな作品に賞を授与する企画。第1回は11月上旬に作品を募集し、204作品が応募。1次審査で28作品が選ばれ、タレントの松嶋初音さんや、ビジュアリストの手塚眞さん、ニワンゴ取締役で2ちゃんねる管理人の西村博之さんなど7人が最終審査に参加した。
 大賞に選んだのは、繁華街でサンタクロースを追いかけてつかまえ、馬乗りになって殴る――という内容の「サンタ狩り」。だが、この作品が受賞作として公表されると、ユーザーからは「暴力的」「いじめだ」「悲しい気分になった」「何が面白いか分からない」といったコメントが殺到した。
 審査の様子をまとめた動画にも批判コメントが殺到。「サンタ狩り」を審査しているシーンでは「これを選ぶなんて信じられない」といったコメントとともに、松嶋さんなど審査員への中傷が多数書き込まれた。
 中傷は松嶋さんのブログにも飛び火し、松嶋さんは「今回はわたしの発言で気分を害するようなことになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」などとブログで謝罪し、サンタ狩りを推した理由などを丁寧に説明した。
 ニコニコ動画の開発者ブログは29日付けで、批判は「映画祭への期待が予想以上に大きかったためだと前向きに受け止めている」とした上で、大賞作品については「審査方法も結果も間違っていたとは考えていない」とした。
 ただ、「よりユーザーが楽しめるような映画祭になるよう、選考過程や基準についてもっと明確にするなど、運営方法を改善していきたい」と、反省点をふまえて映画祭の運営も見直す方針を明らかにした。

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近くて遠き台湾演歌

2007-12-03 03:13:14 | アジア


 ”錯愛”by 龍千玉

 と言うわけで。今年の春にリリースされた台湾演歌の大御所、龍千玉の最新作、”錯愛”であります。やはりベテランの満を持しての新作、相当の貫禄を感じさせる出来上がりとなっております。

 もう十数年前になるのか、台湾の演歌に興味を持って聞いたみた初めての作品群の一つに龍千玉の”傷跡”なんてアルバムがあって、その時点でもすでに彼女は大御所であった訳で、だったら今の年齢は、なんて話題をファンがしていてはいかんのだけれど、いや、ジャケ写真なんか一瞬、まだまだ行けそうなねーちゃんに見えるけど、まあしかし良く見ると。

 閑話休題。で、その十数年前に初めてまともに聴いた台湾の演歌だったのだけれど、国境を挟んだ彼我の文化の行き違い、なんて思いに頭がクラクラしてきたものでした。
 なにしろいきなり飛び出してくる、フル・オーケストラによる”これが演歌だ!”みたいな大げさなイントロと、街角の流しのおにーさんから直送みたいな、やさぐれたギターの爪弾き。それは日本の演歌がもうずっと前、そうだな、昭和40年代の前半あたりに置き忘れてきた、極彩色のド演歌世界だったのであります。

 これはいったいなんだろう?日本の過去の大衆文化が、遠く離れた文化も民族も違う外国で現役で機能している。なにしろ音楽的にそのまんま、だけではなく、尺八やツズミといった和楽器が大々的に鳴り渡りさえするのであって。

 そんな楽器が演歌のフォームの中で鳴り渡ると私などの場合、昔の高倉健あたりが主演のヤクザ映画など思い出さずにはいられないのですな。
 男には、負けると分かっている出入りにも行かなきゃならねえ時もある。義理ゆえに。「お供させていただきやす」「おうよ」なんつってねえ。ドスをのんで義兄弟が死を覚悟の歩を進める夜道に桜吹雪が散ったりいたします。そこに聴こえ来る尺八一閃。

 でも、そんな風景、台湾演歌の聞き手である台湾の人々に見えているとも思えず。彼らにとって日本の演歌って何なのだろう?
 もちろん、そのハザマには胡弓の音高々と鳴り渡る中華情緒万溢の伝統的歌謡も収められてはいるんだけど、メインデイッシュはやはり、台湾演歌界が勝手に正統を継承してしまったらしい日本の昔の演歌のパターンなのであって。

 なにしろ油断して聞いていると、”ギャン”とか”ミャン”なんて音の印象が強く残るアクの強い台湾語に混じって”忘れな~い”とか”さようなら~”なんて日本語の歌詞さえ聞こえてきてしまうし、その後に控えるのは映画”愛染かつら”の主題歌として高名な日本の歌謡曲、”旅の夜風”の台湾語ヴァージョンだったりする。

 ワールドミュージック好きの日本人としては、この居心地がいいようなよくないようなむずがゆい感覚、どう対処したらよいのかさっぱり分からないのでありました。
 といって、「日本人と日本の文化は台湾の民衆に大いに愛されているのだ」などと調子に乗ったら、どこかでこっぴどいしっぺ返しにあうぞ、なんて予感もまた、非常にする訳でしてね。この辺の微妙なところ、いまだに良く分からない。

 そして、久しぶりに聴いた龍千玉の新譜”錯愛”なのですが。豪華なフルオーケストラが、臆面もなく、なんて表現がいかにもふさわしいド演歌のフレーズを奏で、そして今回はストリングスまでが加わっているんで、ゴージャスさはいや増しとなる。それがまた、ある種スペーシィとも言いたいアレンジのセンスなのであって、プログレかよ、と。
 この辺、もはや日本人の感覚ではなく、台湾演歌界も日本演歌の臍帯を離れつつあると言えましょうか。

 さらにそれに絡むギターの音色にはディストーションがかかっていて、かっての街角の演歌流しのおにーさんっぽさの代わりに、いかにもロック兄ちゃんっぽいプレイだったりする。こちらが勝手に時が止まった世界みたいに思っていた台湾演歌の世界にもやはり、時代の波は押し寄せているんですなあ。

 そして相変らず貫禄の龍千玉の歌声。バックに鳴り渡る豪華なストリングスの響きに包まれたその豊饒さは、台湾民衆の体温みたいなものをジトッと伝えてくるのでありました。

打ち消しながらやって来る

2007-12-02 00:17:42 | いわゆる日記


 本日、いやもう昨日になったのか、近所の開業医のところにインフルエンザの予防注射に行って来る。この冬は流行が早いと聞いていたが、このところずっと風邪気味で打つに打てなかったのだ。抗体が出来るまで2週間か。間に合えばいいけどな。

 そこの開業医で注射してもらうのは初めてで、これまでは街の総合病院で打っていた。が、考えてみればどこで打とうと注射の中身は同じなのであり、それならばいろんなヤマイをたくさんの人が持ち寄る大病院にわざわざ行くより、なにやら暇そうな近所の開業医のところで打てばいいやと今年やっと気がついたのだ、私は。

 形どおり体温とか測られつつ待つうち、医師に名を呼ばれる。ホイホイと立ち上がると、なんと注射器片手の医師が診察室から出て来て、「ああ、そのままでいいからね。今日は待合室が混んでいないし」とか言いつつ、私の腕に注射器を突き刺す。う~む、待合室で立ちながらの状態で注射されたのは初めてだぞ。

 なんかあの医師、診察室の中に俺に見せたくないものがあったのではないか?とか、ほんとに今注射されたのはインフルエンザの予防注射なのだろうな?とか頭の中を?マークで一杯にしつつ医院を後にする。とりあえず、まったく所要時間なし、というのは計画通りなのだが、なんかすっきりせず。

 今年も、竹内マリアの”問題の歌”が流れる季節になったのだなあ。なんのCMだったか、毎年、彼女の同じ歌が決まってこの時期、流れるでしょう、それも非常に頻繁に。私にはこのような歌詞に聴こえるのだが。

 ”クリスマスが今年もやって来る 楽しかった思い出を 打ち消しながら”

 そんな歌詞であるわけないのだけれど、そう私には聞こえてならないのだ、毎年。
 そう聴こえるというのはそう感じているからだろうなあ。子供の頃はそれなりに光り輝く季節に思えたクリスマス関係、いつの間にこんなにくすんで感じられるようになってしまったのだろう。こんな事を感じているのは私くらいのものなのか。

 子供の頃は、来るべき明日というのは光に満ちていて、今日よりは明日が幸福であるはずだった。そう信じられた。そんな想いが集大成されたものの一つが”楽しいクリスマス”だった。でももう私は知ってしまった。サンタさんがなんぼ活躍しようと、世界は幸福なんかに包まれることはない。なにをいまさら、なことを言っているなあ、私も。

 で、あなた、聴こえませんか?例の竹内マリヤの歌詞。”楽しかった思い出を 打ち消しながら”と。私にはそう聞こえてならないんだけどなあ。

アテネのボス、唸る

2007-11-30 03:05:36 | ヨーロッパ


 ”SALTADOROS”by MICHALIS JENITSARIS

 やあ、CDを整理していたらこんなものが出てきてしまった。これは、ギリシャの大衆音楽を聴き始めたばかりの頃の愛聴盤だった。

 第1次世界大戦とその後の混乱期におけるギリシャとトルコの領土分捕り合戦の結果、さまざまに両国間の国境線は引き直された。この辺の事情は何度解説を読んでもややこしくて良く分からないので私に詳しい解説など求めないで欲しいものだが、ともかくその結果、突然トルコ領となった土地を追われギリシャ本国に強制帰国(?)させられた大量の人々が発生した。

 トルコの文化の強い影響下で生きて来た人々が、住みなれぬ”祖国ギリシャ”にほとんど難民として流入するに当たってはさまざまな混乱があったろう。特に私などが興味を惹かれるのが、そこで拮抗したトルコの文化とギリシャの文化。しかも舞台は、たとえば大都会アテネの底辺の悪場所。
 で、そのハザマに生まれたのが、このレベーティカなる音楽という次第であります。

 はじめて聴いたレベーティカは、かのジャンルの初期の名演を収めたという”Funf Griechen in der Holle”なるアンソロジーでだった。
 タイトルが示すようにドイツ盤で、解説もドイツ語しか付いていなかったので、いまだに詳しいバックグラウンドも分からないままなのだが、地を這いずり回るような重心の低いリズムと、濃厚に粘りつきながらかき鳴らされるギリシャの民族楽器ブズーキの調べ、そしてまるでブルースシンガーみたいな歌声にすっかり魅了されてしまったものだった。

 先に大都会アテネの悪場所、なんて書いたが、なにしろ発祥したばかりのレベーティカが演奏されていた場所にはハッシシを吸わせる店などが居並び、ヤクザや売春婦が横行するあたりだそうで、たしかに、そのアンソロジーに収められた音楽には、いかにもそんな雰囲気が溢れていたものだった。

 「他人事と思って呑気な事を言うな」とか叱られそうだが、都市の底辺に立ち込めるヤバいヤクザな雰囲気の中へ身を沈めてこのような音楽を生み出して行く、その痺れるような快感というもの、たまらなかったろうな、なんて空想してしまうのです。いや実際、もの凄く面白かったろうと思うのですよ。その時代、その場に生きていたら。

 で、今回の盤は、そのアンソロジーでも強烈な印象を発していた、レベ-ティカ界のボス、みたいな人物なのでしょう、MICHALIS JENITSARISの1990年度のライブ盤であります。

 カイゼル髭というんでしょうか、ピンと跳ね上がった立派な髭でブズーキを抱えてポーズを決めたそのお姿は、なんだかスターリンに良く似ていて、そういえばかの独裁者氏はソビエト連邦はグルジアの出身だったし、レベーティカ発祥を巡る小アジアの国際関係の舞台とそう遠くはない生まれだ。血の連鎖としてまったく関係なくもないんでは?などと思うと、こいつもちょっと血が騒ぐのだけれど。

 この盤もドイツ盤で解説は全然読めないのだが、なんとなく分かる部分を拾い読んで行くとどうやら JENITSARIS の生年は1917年のようで、この盤はかなり歳がいってからの演奏といえるのだろう。

 実際、彼の1940年代の演奏が収められていたアンソロジーでは、エレクトリック・ブズーキの爪弾きも妖しく、非常にギトギトした手触りの生臭い歌を聞かせていたのだが、この盤ではずいぶんと枯れた印象を受ける。とはいえ、悪場所のおっかないボスの貫禄はむしろ増していて、ブルースシンガーっぽさはますます濃厚となっているのだが。

 音楽的にはブルースとはまるで似てはいないんだけどね。なぜかブルースを引き合いに出したくなる、その音楽的濃さ、根深ささが魅力であります。この辺の間合いが面白いねえ。重々しく繰り出されるリズムなんかは、まるで「お控えなすっておくんなせえ」と、ヤクザが古典的仁義を切っているみたいでね。

ワイルドマン・フロム・ボルネオ

2007-11-28 23:44:57 | その他の評論


 ネットの世界にはいろいろふざけたサイトがあるもので、たとえば”世界の三面記事”なんてブログは、なかなか秀逸と言いますかしょうもないといいますか、いやまいったね、と言いましょうか。そのムチャクチャさに徹した姿勢、まことに端倪すべからざるものがあります。

 要するに”東スポ”ですな。世界のあちこちから到底信じられないようなニュースを探してきてはブログにアップしている。

 集まった記事のタイトルだけを記しても、”スピード違反のトレーラーを止めてみたら、荷台から20個以上の人間の生首が ”とか、”病院の霊安室で92才老女の遺体と屍姦した24才検査技師 ”とか、”ジェルキング -- ペニスの長さ・外周を3 - 8cm 大きくする体操”とか、まったくこんなアホな話を良く思いつくものだ、そして良く集めたものだと呆れるばかり。

 最近の”ヒット作”は、”ボルネオ島でオランウータンが人間相手の売春を強要されている”ってのなんですが。
 まあ、いうまでもなくオランウータンと性交したがる男なんて、そうはいない訳で、こんな話をまともに信じる方がおかしいんですが。しかも”オランウータン売春”が好評で客が引きもきらず、なんて内容なんだから、ますます疑わしい。

 ところがこれ、なんと某ソーシャルネットワーキングサービス内の某コミュニティで、この話をメンバー全員、本気に取ってしまったんですな。

 話が本物かどうかなんて検証も省いてメンバー各氏、このアホ・ストーリーをいきなり全面的に信じてしまい、感傷モードやら義憤モードに入って、「胸が痛いです」「ボニー、ごめんね」とかクソ甘いコメントを次々に書き連ねている。あ、ボニーってのは問題のオランウータンの名です。

 世の中には疑う事を知らない人っているんですねえ。あそこのサイトに載ってる他のニュースも全部本気で読んでるんでしょうか、あのヒトビトは。 信じてるんでしょうねえ、オランウータンの話をあれだけ簡単に信じ込んでしまったくらいですから。
 大丈夫か、訳の分からないインチキ宗教とかサギとかにそのうち引っかからないようにしろよ・・・

 PS.
 以上が昨日までの話。
 今夜、そのコミュを覗いてみたら、オランウータンに関するトピは削除されてました。理由説明は無し。
 メンバーが現実を見る理性を獲得し、そのトピを恥じたがゆえの処置であれば少しは救われるけど・・・どうなんでしょうねえ。


 下に、”ブログ・世界の三面記事”掲載の問題の記事を全文引用します。

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○売春宿で客を取る裸のオランウータン

<インドネシア発> 「ボルネオ・オランウータン・サバイバル・ファウンデーション」*に保護されているポニーは、数奇な運命を辿ってきたオランウータンである。実は、彼女はここに連れて来られる前まで、売春宿で人間を相手に体を売っていたのだ。

(*1999年に発足した同基金は、ペットとして捕獲されたり、山火事等で親をなくしたオランウータンを森に戻す活動をしている。)

ポニーが発見されたのは、ボルネオ島にある小さな村(元記事によると、どうやら売春に特化した村であるようだ)の売春宿で、彼女はくさりで壁につながれ、マットレスの上に横たわっていたという。

オランウータンは、赤茶けた少し長めの毛に覆われた動物であるが、ポニーは、体中の毛を剃られ丸裸だった。

男性が近づくと、彼女はくるりと背を向け、お尻を突き出したかと思うと、ぐるぐる回し始め、セックスを誘うような素振りをしたという。保護された時、彼女は6、7才であったと推定されるが、それまで長期にわたり売春宿の女性経営者(マダム)の元にいたようだ。

基金側はポニーを助け出そうとしたのだが、マダムは、ポニーは皆に可愛がられ、稼ぎもいいからと引き渡しを頑に拒否。ポニーは宝くじの当選番号を引いたりしたこともあり、幸運をもたらす存在として見られていたというのも、断る理由の一つだったようだ。

売春宿には、もちろん女性たちも働いていたが、オランウータンとセックスするという物珍しさから、そこを訪れる客の多くはポニーを指名したという。

当時、ポニーは毛を一日おきに剃られていたため、皮膚はただれ、吹き出物だらけだった。あらわになった地肌を蚊は容赦なく刺し、痒くてたまらない彼女は蚊の刺し傷を掻き続け、そこからばい菌に感染した。その上、指輪やネックレスまで身に付けさせられていた。ポニーは見るに耐えない状態だったという。

ポニーをそこから救い出そうと、基金のワーカーたちは森林警備官と地元の役人たちを引き連れ、一年にわたり何度も売春宿に足を運んだが、その度村人たちに妨害された。彼らは銃と毒が塗られたナイフをちらつかせ、ワーカーたちを脅したそうだ。

最終的にAK-47(自動小銃)で武装した35人の警官が出動し、やっとオランウータンを救出することができた。ポニーがつながれていたくさりをワーカーたちがはずそうとした時、マダムは、「私のベビーを連れて行かないで!」と、泣き叫んだという。

インドネシアにはこのケースのような動物虐待を裁く法的処罰がなく、ポニーを囲っていたマダムらは何のおとがめも受けていない。

http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-151.html

弟のいる情景

2007-11-27 01:28:44 | その他の評論


 昨今、何がなんだか訳の分からないものを挙げて行けばきりはないのだが、とりあえず今目に付いたものを一つ。
 テレビで吉永小百合がやっているコマーシャルで”シャープの液晶アクオス”とかいうのがあるのだが、それにこんなセリフが読み上げられるヴァージョンがある。

 「炎の画家と言われたゴッホには、彼の生活を応援し続けた弟テオがいました。炎を生涯にわたって支え続けた弟でした」

 ゴッホの絵、「ひまわり」かなんかが画面に映し出され、そんな”紹介文”がしみじみと語られるのだが、それで終わりなのである。まあ、確かにゴッホにはそのような弟がいた。しかし、「だからどうした?」と言えばどうもしないのであって、”そのような弟がいた”だけで話は終わり。

 そんな弟は偉いですね、でもなければ兄弟の結びつきは美しいですね、でもない、生活費は弟にたかるばかり、そんな兄貴がいたら迷惑ですね、でもない。ただ、”そんな弟がいました”しか言おうとしないのだ、吉永小百合は。
 もちろん、その話がコマーシャルの本題である”シャープの家電を売り込む”と何の関係があるのか、まったく分からない。

 「そうか、ゴッホには生活の面倒を見てくれていた弟がいたのか。それじゃ、シャープのテレビでも買いに行こうか」なんて発想を消費者がする事を想定しているのか、このコマーシャル製作者は。謎だ。

 シャープのコマーシャルというのはこれまでのものを見ても、妙に”当社は良心的企業です”みたいな自己満足の臭気に満ちていて、それが鼻につき不愉快だったのだが、こいつは鼻につく以前に何がなんだか訳が分からん。
 CMが流れるたびに首をかしげているのだが、まあ、たいていの人は気にもせずに見流しているんだろうなあ。

ブルックリン・カウボーイの夢の軌跡

2007-11-25 23:32:55 | 北アメリカ

 ”Bull Durham Sacks & Railroad Tracks ”by Jack Elliott

 23,24日と続けて田端義夫に関して書いてみたんだけど、ずっと気になっていたのが、彼の海への傾斜というか、「なぜ南島なのか?なぜマドロスなのか?」というあたり。
 ともかく、歌手としてデビューする以前は大阪の町中で幼い頃から貧しい家計を助けるため、丁稚奉公(本人談)に精を出す日々を送っていたバタヤンなのであって、湘南の海で遊んで育った加山雄三とは環境が違い過ぎる。あの”海の男”の潮の香を、バタヤンはどのようにして身に付けたのか?

 バタヤンの奄美や琉球への思い入れの内実と言うもの、まあそれに関しては、気長に調べてゆくうち分かってくることもあるでしょう、と言うことで現在のところは収めるよりないんですがね。

 ”マドロスもの”に関しては、この日録で以前、岡晴夫について書いてみたこともある(粋なマドロスの航跡を追って)んだけど、要するに当時の流行だったのでしょう、と言う方向で納得は出来る。
 抑圧的な日常に縛られて生きるよりなかった当時の大衆にとって、颯爽と船を駆って海を越えて行く”マドロスさん”の姿は、叶わぬ夢の実現だったんでしょうな。そいつを”夢を売る稼業”たる芸能人が、歌謡曲歌手が、演じて見せるのは、何も不思議はないですわね。

 と、ここでふとランブリン・ジャック・エリオットのことなど連想してしまったのですね。いきなり話がアメリカのフォーク歌手に飛んでしまって恐縮ですが。

 Jack Elliott(1931年8月1日~  )は、歴史上の評価としては、あのウディ・ガスリーの放浪の相棒をつとめ、ウディの音楽を後進のボブ・ディランやウディの息子のアーロなどに伝えた人物としてアメリカのフォーク史に名を残す人物だが、自身の、”カミソリ”とあだ名された切れ味でアメリカのトラディショナル・フォークを、あくまでもカッコ良く歌いきった、その芸風も忘れがたいものがある。

 ニューヨークの医者の息子と生まれながらもカウボーイの生活に憧れ、ついにはロデオの世界に飛び込み、その際に覚えたギターをお供に、社会派フォークの始祖であるウディやバンジョー奏者のデロル・アダムスと、アメリカ各地はおろかヨーロッパまでも歌い歩き、いつの間にかジャックはアメリカ伝承音楽界の伝説的存在となっていた。

 彼は、ニューヨークの医者の息子と調べれば分かる出自でありながら、”放浪の歌うカウボーイ”と自称し、ジャックのファンもそれを虚偽と知りながら、ジャック・エリオットの歌を”生粋のカウボーイの歌”として楽しんだ。これなんかある意味でアメリカ版の”マドロスさん歌手”みたいなものではないですかねえ?

 何でも彼はステージではひどい田舎訛りで喋ったが、正式な場では、実に”ニューヨークの医者の息子”らしいきれいな英国風アクセントの英語を使いこなすんだそうな。
 しかも彼がステージで話す訛った英語は、いかにも都会人が真似した訛りで、完全にネタは割れているとか。それでもその事で彼を非難する者もいない。まあ、デーモン小暮に向って「お前が悪魔のはずはない」と文句を言うようなものなんでしょうね。それはヤボというものだ。

 この逸話からしても、そして彼があくまでも地を這うが如くの大衆の根に関わる伝承歌にこだわり歌い続けている、そのあたりの間合いからしても、実に”マドロスさん歌手”的な存在ではないですか。

 大衆の幻想の中の”昔ながらのカウボーイ”を演じきって、どうやらアメリカ・トラディショナル音楽界の最長老組の一員となってしまったジャック。
 添付したジャケ写真は、1970年にジャックの発表したアルバムのものです。放浪の歌が多く収められたもので、”中年”のとばくちでふと足をとめ、歩いてきた道を振り返り、溜息一つ、みたいな感慨が漏れ聴こえる作品ですが、彼の、ポーズがあまりに身につき過ぎて、もはや何がリアルかも分からなくなってしまった音楽人生はまだまだ続くのでした。


続・バタやんの島歌

2007-11-24 00:06:07 | その他の日本の音楽


 さて、昨日の続き。

 田端義夫氏の”島歌もの”として有名なのが”十九の春”という曲であります。例の「私があなたにほれたのは ちょうど十九の春でした」って奴ですね。もう、バタやん島歌の代名詞みたいな存在の唄です。

 ちょっと気になっていたんだけど、この唄、沖縄特有のあの音階、”ドミファソシド~♪”じゃなくて何音階って言うんだろう、”ドレミソラド~♪”って、まあ普通の演歌なんかで使われる音階で出来ているんですね。
 あれれ?とは思ったものの、まあ、沖縄にはこのような音階も存在したのやも知れず、あるいは”本土”の影響とかでそのような音階が使われる例もあったのかな、などと深く考えずにいたんですが、今回、この文章を書くについて調べているうちに正体が知れた。

 ”十九の春”は、なんとあの大正演歌の添田唖蝉坊の唄がモトネタだったんですね。

 添田唖蝉坊といえば、まだ庶民には新聞なんてものさえ高価で手が出ない時代、バイオリンを奏でながら辻々で時事ネタの歌を歌い、その場でガリ版刷りの歌本を売って生計を立てていた、あの辻演歌師の世界の大物ですね。と言うより私なんかの世代には、フォークシンガーの高田渡が唖蝉坊の歌詞にアメリカン・フォークのメロディをつけて歌っていた、なんてエピソードで親しい人物。

 その唖蝉坊が街頭で歌い、庶民の間で流行させていた唄が、どういう経路を辿ってか琉球の遊郭地帯に流れ込み、そこの遊女の間で好んで歌われるうち琉球の普通の人々の間でも親しまれるようになったんだそうで。

 言われて見ると3番の、”(ウグイスが)ホケキョホケキョと鳴いていた”なんて歌詞はいかにも唖蝉坊好みというか。ウグイスの鳴き声と”法華経”をかけているわけでしょ?唖蝉坊は、いかにも単なる掛け声みたいに”トツアッセー、マシタカゼーゼ”なんて唄いつつ、実は”圧政、増したか税、税”って暗喩になっている、なんて仕込みを好みましたからね。

 そして、CDのクレジットを検めてみれば、”十九の春”の作詞作曲者の欄は”沖縄俗謡歌”となっている。なるほど微妙な記述ですね、これも。こんな表現しかしようがないというところでしょうか。

 こういう話を聞くと、なんかワールドミュージック魂が刺激されてゾクゾクしてしまうのですね。

 まだ”本土”から琉球へ渡るのもなかなか思うに任せなかったであろう時代、どのような人物が、何の用事で海を越え、遊郭に寄った理由は分かるものの(笑)その結果として歌を伝えたのだろう。当時の沖縄の人々の心に、添田唖蝉坊作のその歌はどんな具合に響いたのだろう?
 そんな、人間たちの繰り広げるドラマの間を流れ流れて行く音楽というもののありようを思うと、血が騒いでならないのです。

 それにしても、どうしても分からないのが田端義夫氏の歌に流れる潮の香の出所。彼の履歴を洗ってみても、加山雄三が海の若大将であるような具合の事情があるわけでなし、むしろ海とはあんまり関係のない人生を送ってるんだが・・・

 そして、彼のうちにずいぶん濃厚にあったらしい”島歌”へのこだわりの出所も気になります。
 過去に他の歌手によってレコード化されたものの、奄美大島のみでのローカル・ヒットに終わっていた歌、「島育ち」を強引にカヴァー・レコーディングし、ついにヒットさせてしまった昭和38年の逸話なども忘れがたいし、そもそも奄美沖縄絡みの歌のレコーディングの数も普通ではない。

 ともかくバタヤンの南島への思いいれ、ただ事ではない雰囲気を漂わすわけで、このうえはとりあえずその正体解明のためのとっかかりとして、どのような曲目が収録されていたのかさえ今のところ分かっていない”島歌1”でも手に入れたいものだなあ、と切望したりしているのであります。