文観の西大寺の僧に
文観は、弘安元年(1278)に播磨国(はりまのくに)に生まれ、13歳のときに法華山一乗寺(ほつけさんいちじょうじ)(兵庫県加西(かさい)市)で出家し、僧になりました。
法華山は、真言律宗の開祖叡尊(えいぞん)ゆかりの寺院であり、法華山で僧になった文観は、二年後には、叡尊がかつて住職であった奈良西大寺へはいり、西大寺二世長老の信空(しんくう)から教えを受けました。
正安三年(1302)に、西大寺の信空から教えを受け秘法を授けられた文観は、同年に醍醐寺報恩院の道順から阿闇梨(あじゃり:真言・天台の高僧)の位を持つ正規の僧となっています。
醍醐寺で得度した叡尊が、西大寺流の律宗をおこしたのちも、醍醐寺や高野山と関係を持ちつづけたように、文観もまた、正規の真言僧でありつつ、西大寺流の律僧としての活動をつづけました。
文観・後醍醐天皇は、ともに道順から灌頂
文観に灌頂(かんじょう:僧につく儀式)を授けた醍醐寺報恩院の道順は、皇太子時代の後醍醐天皇にも灌頂を授けています。
道順は、後醍醐天皇からずいぶん信頼された僧でした。
文観は、その道順からをも教えを受けています。
元亨三年(1323)に、文観は道順(元亨元年没)の高弟として内裏(御所)に召されました。
後醍醐天皇は、正中二年(1325)に文観を内供奉(ないぐぶ:天皇に特別に仕える職)に任じ、嘉暦二年(1327)、元徳二年(1322)には真言宗の秘法を、いずれも文観から受けています。
文観は猛烈なスピード出世をしました。
文観は、後醍醐天皇からずいぶん信頼されていたようです。(no4542)
*挿絵:後醍醐天皇
◇きのう(11/4)(10.490歩)