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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

モスクワの街角で

2008-01-25 01:45:49 | ヨーロッパ


 ”Массква (Переиздание)”by Лера Массква

 お寒うございます。つーか、クソ寒い日々が続いておりますね。冬って毎年、こんなに寒かったでしたっけ?なんかさっきから喉にやばい痛みがあります。んも~。もはや大自然の私個人に向けての嫌がらせとしての気温低下としか思えなくなっております。
 あんまり腹が立つんでヤケクソで、私の知っている限りもっとも北の、寒そうな地域出身の歌手の話など。レーラ・モスクヴァ、1988年生まれのロシアのポップス歌手です。

 出身地は、ロシア共和国ヤマロ=ネネツ自治管区ノーヴィ・ウレンゴーイ。もう、完全に北極圏であります。寒そうだなあ。昔、NHKテレビでロシアの北極圏の人々の暮らしを北極海伝いに巡るドキュメンタリーなんてのを見ましたが、あんな環境で育ったのかなあ。

 もっとも彼女は普通のロシア人でありまして、北極圏のどこぞの少数民族とかの出身ではない。仕事の都合で北極圏の小さな町に暮らしていた両親の元に生まれた、というだけのようで。歌手活動も普通に首都モスクワを中心に行なっていて、つまり彼女の音楽に北極らしさは特に覗えません。まあ、表面的には。

 このデビューアルバムが出た2006年当時、ロシアポップスのファンの間で(しかし・・・日本にロシアのポップスのファンて全部で何人いるんだろう?)彼女の名がロシア共和国の首都、モスクワをもじったものである、なんて噂も流れましたが、どうやら本名と言うことのようで。
 こんな話が出たのも、やはり彼女の出身地があまりに辺境なんで、なにごとかその辺の意味合いを引き出したい、なんて想いがあるせいじゃないかなあ。

 アルバムは、ややオールドジャズっぽいマイナー・キーのアップテンポの曲で始まります。この一曲で、今の彼女が暮らす騒がしく落ち着きのない大都会、モスクワという舞台設定が完了するわけですな。

 そして始まる2曲目はメジャー・セブンス系のコードを掻き鳴らすエレキギターと控えめに流されるオルガンの響きが、私なんかの世代には60年代のアメリカ西海岸ポップスなど連想させずにはおかない。
 こんな曲を聴いていると、歌手・レーラ・モスクヴァの内に秘められた一人の”ロシアの今風の女の子”としての息遣い、みたいなものがサラッと街角の風景として描かれてているのを感じ、当方としても過ぎ去りし青春の日々など振り返って甘酸っぱい想いなど噛み締める次第です面目ない。

 また彼女の歌声がやや低めの心持ちドスを聞かせた味わいのものであり、いくつか見つけた写真も、どことなくなんとなく自分を取り巻く社会に違和感を抱きブツクサ不満を抱えていそうな風情であり、なんかアイドルというよりはロック姉ちゃん的翳りなど漂わすレーラのキャラも相まって、ますます”モスクワ青春物語”は盛り上がるのでありました意味不明だったらごめん。

 昨年、レーラ・モスクヴァは2枚目のアルバムを出しているようなのだけれど、今だ入手出来ずでもどかしい限り。現地ロシアでは結構人気者になっているみたいな彼女が次に展開して見せた世界がどのようなものか、早く覗いてみたいのだけれど。

ブエノスアイレス1970

2008-01-22 23:57:29 | 南アメリカ


 ”BUENOS AIRES Y YO” by ELADIA BLAZQUEZ

 ジャケ写真はブエノスアイレスの中心街なのだろう。高層ビル立ち並ぶ大都会の様子があしらわれているのだが、華やかな印象を受けない。それは現実の色彩がそうなのか、あるいはそのように彩色されているのか知らないが、なにか煤けた茶色じみた色合いが写真全体を覆っているからだ。

 このジャケ写真を見ながらアルバムを聴いていたら、その画面に差し込んでいる午後の日差しや通りの喧騒、排気ガスにまみれた交差点とそこに佇むビジネスマンたちの身のうちに蓄積しているであろう日々の疲労感などなど、昼下がりの倦怠に沈むブエノスアイレスの街の体温までが感じられるようで、なんだかどぎまぎしてしまったのだった。

 今日のアルゼンチン・タンゴ界を支える重要な作曲家の一人として高名な存在だった(1931 - 2005)ELADIA BLAZQUEZだが、もともとは無名のフォルクローレやスペイン歌謡歌いだったそうな。

 そうな、などと書いているが、アルゼンチンの地において「スペイン歌謡歌い」なる職業がどのようなポジションになるのか、不勉強にして知らない。が、この事実を記した記事の調子から私は、あまり芳しからざる稼業、といったニュアンスを感じ取ってしまったのだが。

 ともかくそんな彼女はある日、オズオズとタンゴの作曲を始め、その作品群はいつしかタンゴの世界で人々の愛唱するところとなり、ついにはいくつもの大ヒット曲が生まれていったのだった。
 このアルバムは、そんな彼女がタンゴの歌手兼作曲家としての強力な第一歩を記した記念碑的作品集といえるのだろう。1970年作である。

 などと分かったような事を言っているが、彼女の功績を正しく知っているわけではない。今、彼女の功績を記した記事を追い、「おお、あの曲も。そうかこの曲も、ELADIA BLAZQUEZのペンになるものだったのか」などと呑気な事を呟いている次第で。

 それでも収められている曲の、30年以上の時を隔ててもいまだに新鮮な輝きを失わない魅力を感じ取ってはいる。ことにタンゴ特有のリズムや和声の流れのうちに、ある種ジャズィ&ブルーズィとも呼びたいメロディが忍び入るあたりのカッコ良さには、ちょっとたまらんものがある。

 また、ELADIA BLAZQUEZの、自身の才能を自分でついに信ずるに至った、まさにその瞬間における力強い歌いっぷりや、バックを受け持つ楽団の、これまた力の入った演奏も素晴らしく、まさに音の向こうに1970年のブエノスアイレス最先端が生々しく息ずいている。

 裏ジャケの隅には”レジステンシア・デル・タンゴ”とある。抵抗のタンゴ。このように名付けられた名盤再発シリーズの一枚として、この盤はCD化されたのだ。
 何に対する抵抗かと言えば、当時世界を席巻していたロックの波に対するアルゼンチンのタンゴ・ミュージシャンによる抵抗だというのだからもともとはロックファンとして音楽好きになった身としては複雑な気分にならざるを得ない。

 そんな”抵抗運動”があったのか。闘いの趣旨としては、なんだかかっこ悪いような気がしないでもない。
 しかし、このアルバム全体に覗える、歌手、ミュージシャンもろともに覆った高揚は、確かにその”レジステンシア”の思いゆえに、であったのだろう。

 そして三十余年の歳月はロック、タンゴ、双方の音楽の上に流れた・・・

2007年度ベストアルバム10選

2008-01-21 01:38:58 | 年間ベストCD10選


1) BNAT REGGADA by Chaba Wafae (Morocco)
2) HIGHWAY TO HASSAKE by Omar Souleyman (Syria)
3) MGODRO GORI by Mikidache (Comores)
4) Девушкины песни by ПЕЛАГЕЯ(Russia)
5) SEMALAM by Sean Chazi (Malaysia)
6) 1ST ALBUM by On Hee Jung (韓国)
7) MUJIZAT ITU NYATA by Joy Tobing (Indonesia)
8) KOO BOON KOO BUAD 2 by Waipoj&Tossapol&Sriprai (Thailand)
9) BARAJANDO by Hernan Genovese (Argentina)
10) WALID TOUFIC 2007 by Walid Toufic (Lebanon)

1)昨年に続いて、またもレッガーダを一位に選んでしまった。ともかくこの堂々のアホさ加減には敬意を表するよりない。ヴォコーダーによるロボット風コブシ・ヴォーカルをヒラヒラと宙に舞わせつつ、あくまでも能天気に前のめりに一本調子の突撃をするさまは、韓国のポンチャク・ミュージックなどを連想してみたり。バッカだねえ、とはもちろんこの場合は褒め言葉。

2)世界中のどこへ行ってもアホな人はいる。もちろんシリアにもいる。うん、まあそういう事だ。大いに笑わされ、乗らせてもらいました。

3)アジア文化とアフリカ文化交錯するインド洋音楽の逸品。マダガスカル島の北に位置する小島コモロの、潮風吹き抜ける粋な島歌集。世界の路地裏における密かな楽しみ、みたいな裏通りの祝祭感覚に心ときめく。

4)ロシアの民族性を生かしたロックという方向で、なかなかの完成度と思う。もっとも、ネットにいくつか上がっている映像など見ると、ライブではさらに土俗性の匂う感じでやっているようで、そいつを音盤上でも披露して欲しいものです。

5)ある人のいわく、「マレーシアのナット・キング・コール」と。この一言で分かる人には分かるね。南国の伊達男、オシャレでクールなポップスを決めてくれた。

6)若くかわいい女の子たちによるディスコアレンジのトロット演歌の展開、というこの奇妙なブームがもっと燃え盛るのを、おおいに期待するものであります。ピリピリと唐辛子系の辛口刺激が快い。

7)以前より妙に気になっているロハニ・ミュージック。要するにインドネシア語によるゴスペルなんだが・・・なかなか言葉で説明の難しい不思議な魅力がある。ともかくあくまでも澄み切り、そしてパワフルなトビン嬢の歌声にすっかり魅了されてしまった。

8)毎度お馴染み、タイの仏教ポップス、”レー”である。今回は2大スター・プラス1による、お楽しみ演芸大会と言った風情。冒頭の語りでは、タイ語が分からない者にもどう考えても漫才としか受け取れないおどけたやり取りにのけぞる。宗教ポップスとか言うより、これは法事の後の宴会のようなものかと。

9)新人タンゴ歌手のデビュー盤なんだが、やってる事は古色蒼然。地味にギター伴奏でガルデル気取りの古典を歌い、後ろ向きの美学に酔い痴れる。そんな芸風が主流派を成しているかと想像されるアルゼンチン・タンゴのヴォーカル世界、その病み具合が美しい。

10)レバノンの重量級アラブポップス。棍棒で一撃!みたいなぶっとい迫力に圧倒される。


 と言うわけで。遅くなりましたが、昨年のベスト10など選んでみました。入れたかったけどはみ出てしまったもの、大量にあり。心残りではあるけれど、まあ仕方ないや。
 一国(あるいは一ジャンル)一枚、という”縛り”を設けました。また、制作年度は2007年のもの、一部2006年産品も”誤差の範囲内”として認める、制作年度の分からないものに関してはテキトーにやらせていただく、と言うことで。
 とにかく最近は怠惰なリスナーと化してしまっているので、購入したものの”未聴コーナー”に放り込んだままの気になる盤が溢れかえっている次第で、後で見直せば「何でアレを入れなかったのか?」と後悔するハメになる可能性も大なんだけど、この辺で一区切りつけておかないとベストそのものを発表しそこなうんで。

太陽を孕む唄・里アンナ

2008-01-19 03:07:57 | 奄美の音楽


 ”きょらうた”by 里アンナ

 上の盤、奄美の島歌CDを集め始めた際、ともかくジャケ写真が可愛いんで即、ジャケ買いを決行。ほかにも、パシフィック・ムーンから出ている”島歌”ってアルバムをはじめとして、なかなか可憐に写っているジャケ写真の多い人でして。

 けど、ジャケの裏を返すと、一瞬、「あ」と思うこともあり、いや、騙されたとか言うんじゃなくて、ただちょっとニュアンスが違うかな、と。いや、いずれにせよルックスの良い人であるのに違いは無いですよ。このアルバムの歌詞カードに添えられた高校の頃の浴衣姿の写真とか見るにつけても、かなり気になっていたクラスの男子もいたんではないか。

 けど、どっちがほんとの里アンナのルックスなんだ?まあ真相はパシフィック・ムーンから出ているライブDVDを見れば分かるんだろうが、ファンになって日の浅い私はまだ心の準備が出来ていないんで、それは出来ない。
 ・・・なんという事を言っているのかね。これがファンの書く文章であろうか。というか、音楽の話をせんかい。

 里アンナは、もうずいぶん前に奄美を離れて唄の現場を東京に移しているのだそうだ。活動は島歌だけにとどまらず、「ポップスシンガーを目指して」と言うことなので、その道では先輩に当たる元ちとせのような方向を考えているのか。その後にリリースされたアルバムも、前記”島歌”以外は純島歌の内容のものはなく、いわゆるJ-POP的なものの中に南の島的ニュアンスが漂う構成となっている。

 これは彼女が望んだ路線なのか知る由もないが、彼女のデビュー作である島歌アルバム”きょらうた”を聴いて彼女のファンになった者としては残念だ。

 里アンナの公式(?)キャッチフレーズは「精霊の宿る声」なんだそうで、これも元ちとせの、百年に一度だか千年に一度だかの歌声、といった売り文句を意識しているのだろうけど、そのような神秘めかした方向は、カラッと明るい個性を持った歌い手である里アンナには似つかわしくないように思える。

 全国デビュー前、奄美ローカルの島歌歌手だった頃の元ちとせの録音を聞くと、結構ドロドロした情念をたぎらせているのであって、精霊のなんのと言うあっちの世界の話は、そのような個性の持ち主に任せておいたほうが無難だろう。

 と言うわけでやっと本題の、アルバム”きょらうた”にたどり着いた。
 冒頭に書いたようにジャケ買いしてしまったこのアルバム、里アンナが18歳の時、奄美民謡大賞新人賞を受賞した記念に吹き込まれたものだ。

 まず引っかかったのが、冒頭の”朝花”に顕著にみられるのだが、フレーズの末尾をややアウト気味の音程で放り出すようにして終わるパターン。このような歌唱法の伝統が奄美の島歌にあるのか知らないが、なかなかファンキーでカッコ良く聴こえ、実はその一発で彼女の歌のファンになってしまったのだ。

 たとえば、ややストイックな個性でハードエッジな切れ味が魅力の中村瑞希とくらべると、里アンナの島歌はふくよかな温かみや明るさが感じられる。果汁100パーセントのジュースみたいな個性なのだ。
 そいつがなかなか好ましいので、その辺をアピールして行けばいいのになあ、精霊とか言うよりも。そして時には島歌のアルバムも出してくれれば、などと遠い街よりお願い申し上げる。

 うん、実は私、里アンナの”ポップス”もののアルバムも買ってしまっているんだけどね、「島歌ファンとしては残念だ」とか言いつつも。ファンなんてそんなものであります。
 

森のエコー

2008-01-18 03:48:37 | ヨーロッパ


 ”Starflowers” by Sinikka Langeland

 Sinikka Langeland と言えばノルウエィのフォーク歌手としてはもはや大物と言っていいんだろうが、何で彼女はフィンランドの民族弦楽器カンテレを弾き語るのだろう、と不思議に思ってはいた。今回やっと知ったのだが、彼女の両親はフィンランド人で、彼女は両親の移住先のノルウエィで生まれ育っただけ、そんな事情があるようだ。
 そいつを先に教えてくれなくちゃなあ。歌い手の血の中に関わる部分、いろいろ気になるトラッドのミュージシャンを聞く際には知っておきたい”諸事情”じゃないか。

 彼女の最新作であるこのアルバムは、このところのように強力に冷え込む冬の夜に一人で夜更かしなどする際、流しておくと実にはまる音の流れである。

 北国の歌手特有のと言っていいんだろうか、Sinikka の清涼感のあるボーカルが、寒気に閉ざされた長い冬の孤独の中で研ぎ澄まされたみたいな、まるでガラスの破片みたいな美しさのある(訳の分からない喩えですまん)メロディを淡々と積み上げて行くこのアルバムは、冬の夜の空気に良く馴染む。

 収められている作品はすべて、Hans Borli なる詩人の作品にSinikka が曲を付けたもの。浅学にしてこの詩人については何も知らない。ノルウエィの名のある詩人なのだろうか。歌詞カードにある詩の英語訳を読むと、夜の川の流れや遠い森の響きに耳を傾ける、そんな自然志向の瞑想的な作品が多いようだ。

 バックを務めるのはペットとサックス、生ベースとパーカッションという4人編成の、露骨にジャズのミュージシャンであって、彼らはSinikka の織り成す極北のメロディのローカル性に必要以上に調子を合わそうとはしていない。彼らはただ、素材たる彼女の音楽に、あくまでもジャズ・ミュージシャンとして対峙するのみである。紫煙に煙る昔気質のジャズ・クラブの一夜。

 北欧の民謡ルーツのシンガー・ソングライターであるSinikka の、静謐な哀感漂う音楽と、クールなジャズ・クラブのマナー。澄み切ったカンテレの弦の響きとブルージィなホーンセクションのアンサンブルとの不思議な絡み合い。ミスマッチのようでいて、聴き進むうちに違和感は無くなって行く。

 ただそこには、北欧を覆う神秘な森のエコーに耳をそばだてる無口な人々と、彼らが抱きしめて生きるシンと澄んだ孤独があるばかり。こいつはやっぱり冬の夜にははまり過ぎの音楽だろう。

奄美新民謡2・水の惑星から

2008-01-16 04:06:28 | 奄美の音楽


 ”海 果てしなく”by 久永さとみ(アルバム”奄美物語”所収)

 前回に続いて奄美新民謡を聴く訳ですが、なかなか悩ましいのは奄美のレコード店のカタログにある新民謡のアルバムのなかで、かなりのものが「10曲入っていれば歌入りは5曲で、後の半分はその5曲のカラオケ」という構成である、と言う事実。これで価格は10曲とも歌入りのものと変わらないんだから、う~む・・・

 新民謡なるもの、ただ聴くだけではなく歌うことが前提の音楽である事の証明と受け取れば良いのでありましょうか。

 とりあえず通販サイトの試聴コーナーを聴いて行き、まず興味を惹かれたのが久永美智子なる作曲家。それほど大量のアイテムが並んでいるわけでもない新民謡のジャンル中に彼女の名を冠したアルバムが2種も出ているあたり、斯道の大家と考えて良さそうな。その作風も、やはり基本は昔ながらの歌謡曲とはいえ微妙にオシャレな雰囲気も漂うようで、気になって来ます。

 ここで取り上げるのは彼女の名を冠したアルバムのうちの一つ、”奄美物語・久永美智子シリーズ”であります。収められているのは

1.ひれん海峡(久永美智子)
2.奄美の女(中島 章)
3.黄昏のラブソング(久永美智子)
4.南回帰線(久永さとみ)
5.海 果てしなく(久永さとみ)
6.奄美エアポート(川元末広)
7.わるつ(久永さとみ)
8.あまみ恋歌(久永美智子)

 の8曲、および各々のカラオケ(ううう・・・)

 歌伴はきわめてシンプル。あまりにもエレクトーンな奏法のキーボードの多重録音に、たまにそれ以外の楽器が一つ加わる程度のもので、このあたりはローカルポップス好きのワールドもののファンとしては、逆になにかありそで血が騒ぐ次第で。

 主人公たる作曲家(ご本人の歌も納められている)久永美智子氏は昭和17年生まれのカラオケ教室講師なる肩書きとなっておりまして、その他、歌い手の方々も名瀬市役所に勤務とか大工であるとか、いかにも街角の流行り歌がダイレクトに収められたという感じが麗しいです。

 居並ぶ各歌はどれも昔ながらの歌謡曲風とは言え、やはり”本土”のそれにはない、南国らしい伸びやかな歌心というものが感じられます。聞いていると奄美の海に沈む夕日を眺めながら時の過ぎ行くのも忘れて一杯やっているみたいな気分。いや、ほんとにそうしてみたいものですなあ。そうか、そんな時、アルバムのカラオケ部分が役に立つのか。

 通販サイトの試聴コーナーで断片として聴いていた時から心惹かれていた曲、”海 果てしなく”を、やはり何度も繰り返して聴いてしまう。

 これは、都会の華やかな暮らしを夢見て北の街に渡った女性が、おそらくは水商売に身を置きながら故郷の奄美を想う、といった趣向の演歌にはありがちな曲。
 とはいえ、歌い手の久永さとみ氏の歌いぶりは奄美の陽光あふれる自然がそのうちに脈打つようななんとも健全なもので、ネオンの街の不健康な翳りはあんまり感じられない。すでに歌の主人公は都会暮らしに見切りをつけて奄美に帰っているのかなあ、などと想像します。

 当方がこの歌に魅了されてしまったのは、歌の背景に広がる豊饒な海の広がり、そのイメージ。
 都会暮らしに疲れて歌の主人公が見つめる、裏町を縫う川の流れ。ネオンの輝きを写したその淀んだ水がやがては合流するその先に予見される広大な海の広がり。その溢れかえるような深い青の奔流は陽光を受けてキラキラ輝きながら、この水の惑星を巡って行く。

 まあ、こちらが勝手にイメージしているだけと言われりゃそれまでなんですが。というか、この文章を読んで過大な期待でCDを購入されたとしても、何の責任も取る予定はありませんから、ととりあえず言っておこうか。でも好きなんだよ、この歌。

奄美新民謡に触れる・1

2008-01-14 03:24:25 | 奄美の音楽


 奄美話が続いて恐縮ですが。まあ、奄美の音楽に興味を持ち始めて、その関係のレコード店の通販サイトなど覗きだした頃ですよ。当初の目的である民謡のコーナーの下に、なにやら面妖な”新民謡・奄美歌謡”なんてコーナーがあるわけです。こりゃなんだ?と。

 そちらをクリックしてみると、「奄美の女」「名瀬セレナーデ」「アダン花」「奄美エアポート」「徳之島小唄」などなど、奄美のエキゾティックな側面を強調した作風の、まあ言ってみりゃベタな観光ソングか?とも思われるタイトルの曲が収められたアルバムが並んでいる。

 その中に私なんかの世代には”子供の頃に三沢あけみの歌で聞き覚えのある曲”である「島育ち」なんて曲も混じっているのを見つけ、ああ、バタやんこと田端義夫が盛んにレパートリーに入れていた”奄美の島歌”とは、この辺のもののことだったんだな、と知る訳です。

 アルバムを取り寄せて聴いてみると、特に奄美の伝統音楽色は濃厚に感じられない、古いタイプの歌謡曲といった佇まいです。

 この辺がちょっと面白いなあと私の嗅覚が反応した次第で。”奄美ローカルの大衆歌謡”が2重に存在しているようだ。しかも、どちらもある意味、偏った存在の仕方で。
 片や純民謡(?)は、なにやら万葉の時代まで遡ろうかと言うアルカイックな様式美の中に立てこもり、もう一方の新民謡なるものは逆に妙に愛想良く、”そてつの実”やら”奄美ハブまつり”やらとご当地名産品を差し出し、物見高い観光客の欲求に応えてくれる。曲も歌いぶりも非常にベタに歌謡曲、歌詞も標準語であったりする。

 通販サイトに記されていた解説には、

 ”新民謡とは、大正末期から昭和の初めにかけて全国的なブームを呼んだご当地ソングの総称である。奄美の新民謡は、1.戦前期  2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期 三つの時代があった”

 とあります。

 この文章によると新民謡なるもの、特に奄美特有のものでもないようで。戦前のある時期、”新民謡”は日本各地に普遍的に存在したもののようだ。
 こいつは調べて見る価値ありかと思えます。今の耳で聴けば古いタイプの歌謡曲と聴こえちゃうんだけど、当時は日本の民衆の心を時代の先端の表現で語ろうとした斬新な試みだったんじゃないのか。本土では、どのような新民謡が作られていたんだろう。

 問題はその後、記されている部分で言えば2と3、”2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期”なのでしょう。本土ではそのまま忘れ去られてしまった新民謡だけど、奄美においては2度目、3度目の波が来ている。それゆえにリアルな手触りを持って新民謡は奄美の大衆文化の中に生き続けたのではないか。
 もちろんその後、奄美にも本土と同じく欧米化されたポップスも流入しているのでしょうから今日の新民謡、微妙な立場であるかと思われるんですが。

 ともあれ結果的に奄美の新民謡、非常にユニークな形で東アジア大衆歌謡連続帯の一隅にユニークなポジションを占めてしまっていると思われ、私としては、追いかけてみようかななどと考えたりもしている次第なのであります。

長雲ぬ坂よ

2008-01-11 04:17:22 | 奄美の音楽

 シンクロニシティとかって言うの?その種の神秘ネタってなにも信じていないんだけど、なにごとかに興味を持ったとたんに、その関係のものに妙にぶち当たる、なんてことは時に、ありうる。
 今回も。なんとなくつけていたテレビの、真夜中の名も知らない音楽番組で奄美の小特集など今あったばかりなんでちょっと驚いてしまった。

 まあ、番組の内容と言っても、”東京で夢を抱いて頑張る奄美出身のミュージシャンの卵たち”なんて、ありがちな青春群像ものであって、特に見るべき部分もなかったのだけれど。それでも、中村瑞希が地元の民謡酒場のような場所で三線を弾いて歌う姿をほんの数秒だけど見ることが出来たのは見つけものだった。

 で、先日、ここに書いた話の続きになる。これはなあ・・・後々、奄美の音楽についてもっと知識を持てたら「なんてピントはずれなことを書いちゃったんだろう」と反省すること必至の文章になるんだろうが・・・
 まず、オノレの書いた文章を引用するけど。

 >想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、
 >奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って
 >言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、
 >古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に
 >向うタイムマシン感覚。

 >歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で
 >出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくる
 >のではないか。
 >なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、
 >歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知ると
 >ますますムズムズするものを覚え。

 手探り状態で、届いた若干のCDを聴き進んでいるのだが、上に述べたような想いがますます膨れ上がっている状態だ。

 まず気になったのが歌詞のありようだった。急峻な坂道は彼岸へと至る渡し舟であり、船の艫に留る白鷺は神の化身である。そんな世界が、アルカイックというのか、シンと澄んだ余情を持って歌われる。

 例の”梁塵秘抄”などを想起させる、中世歌謡などまでも遡っていってしまうようなモノクロームの幻想を孕んで、時の流れにはむしろ竿差し、森羅万象に宿りたもう神々の隣に歌は存在している。
 歌を歌うという行為が、それらの神々とともに暮らしていた上代の人々との魂の交流を目的としているかのようだ。

 どうしても比べたくなってしまうが、沖縄の音楽などに見受けられる現在進行形の現実との関わりよう、あのようなものとは別の方向に歌が存在している。

 ひょっとしてそれは、あの”新民謡”なるものの存在が大きく作用しているかも、などと恥のかきついでに書いてみる。
 本土の普通の歌謡曲のようなフォームを持ち、標準語で歌われる、ある意味、外向きの奄美の歌。古くからの民謡ではなく、奄美における、より”今日的”な歌謡の創造として(それは、もはやアナクロの影が差しつつありはするのだが)世に送り込まれた大衆音楽。

 奄美における”世につれる歌”の役割は、あの”新民謡”が負い、何か別の祭祀を、純正民謡(?)は受け持っているのかもなあ、などと右も左も分からないうちにとりあえず想像してみる。あとで「なんてピント外れを言ってしまったんだ」と頭を抱えるかもしれないが、その時はその時である。

 とりあえず、本土においても沖縄においても事実上失われた音楽たるド歌謡曲たる”新民謡”が、そのハザマの奄美で不思議な形で息ついている、そのことだけでも十分面白い。あの音楽、当初想像したような”民謡のサイド・メニュー”以上の存在であるのは確かなようだ。
 なんて事を書いても、ほとんどの人には何の話やら分からないだろうなあ。意味不明の思い付きを書いてみただけです、お許しを。

この手のひらのミシシッピィ

2008-01-10 03:48:02 | 北アメリカ


 ”We'll Never Turn Back”by Mavis Staples

 ゴスペル・ファミリーコーラスのステイプル・シンガースといえば、かなり激渋の物件であり、私も熱心なファンであったとは言いがたいが、年に何度か父親の奏でる味わい深いギターの爪弾きに導かれて響き渡る娘たちのソウルフルな歌声を、ある種の渇望といった勢いで聴きたくなる夜などはあった。

 その一家の長姉、メイヴィスが昨年の春にソロアルバムを出していて、これはなかなかに感動ものなのだった。

 歌われているのは、彼女も音楽家として活動する上で深く関わっていた1960年代の黒人たちの公民権運動の中から生まれてきた歌ばかり。どれも彼女の自家薬籠中の、というべきか強力にゴスペル臭ただようものである。当時、黒人たちがそのような社会運動に関わるにあたり、黒人教会が果して来た役割を偲ばせるものがある。

 もう70歳に手の届こうかと言うメイヴィスの歌声は、若い頃のパワーは失われたものの、より懐の深い滋味に満ちたものとなっており、その時代の黒人たちの思いを包み込み、ダイレクトに今に伝えるが如くである。
 実に味わい深い歌声なのだが、しかしなぜ彼女は今、40年も前の歌を引っ張り出さねばならなかったのか?老境に至って抱いたノスタルジーから?いやいや・・・

 「私たちは二度と引き返さない」とあえて歌われねばならないのは、時のうねりの底で彼女らを昔と同じ状況に押し返そうとする力が台頭しているのを、彼女の芸術家としての感性が無意識に嗅ぎ取っているからだ。

 それは、ロック・ミュージシャンが何かというと「ロックンロールは決して死なない」と叫び歌う理由が、ロックンロールが死ぬ恐れがある、あるいはすでに死んでしまっているからであるのと同じこと。

 メイヴィスの音楽家としての感性は、やって来ている昔と変わらぬ辛い時と、それに飲み込まれぬために再び戦わねばならぬ戦い、そんな時代の到来の予感を魂の深いところで受け止めた。
 だから彼女は、これらの歌を歌わずに入られなかった。「我々はそんな暗い流れに決して敗れはしない。恐れることは無い」と人々に伝えるために。

 私にはこのアルバムがそう聴こえる。

 おりしも、増税に喘ぐ我が日本国民の上にこれから、諸物価値上げの大嵐が吹き荒れると、ラジオで経済評論家が語っていた。耐えられるのか、私たちの背骨は?
 さて。ゆるんだ靴紐を結び直して、冷戦下、ベルリンであの男が言った言葉でも真似て呟やき、立ち上がろうか。「自分もまた一人の、ミシシッピィで綿摘む農夫である」と。



ナイジェリア盤再発に乾杯!

2008-01-09 01:32:46 | アフリカ


 下は、”2007年にリリースされた再発盤(リイシュー盤)の中から、 「これはスゴかった」「この再発には泣けたゼ」と思われるアルバムを 10枚選らんで下さい”とのアンケートに対する回答です。
 ちとルールから外れた回答だけど、こんな表現しか思いつかなかった。AYINLA OMOWURAって、我が最愛の歌手なんだよな~。
 それにしてもナイジェリア盤、ともかく手に入りにくいんだよ~。現地に行った人にも難しいってんだから弱ったものです。なんとかならんかの~。

 ~~~~~

☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ CHALLENGE CUP 1974
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OMI TUNTUN TIRU
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ ABODE MECCO
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OWO TUTUN
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ AWA KISE OLODI WON
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / EGBE PARKERS
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / OGUN LONILE ARO
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / PALUDA
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / BOLOWO BATE
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / O'WOLE OLONGO


 かっては実現の可能性もなさそうな、単なるジョークにしかならなかった、アフリカはナイジェリアのイスラム系ポップス、”アパラ”や”フジ”や”サカラ”の70~80年代(全盛期!)のアルバムのCD再発が、なんと現地において着々と進んでいた!これは嬉しいニュースでした。
 もっとも、はるか彼方の、なおかつかなりワイルドな(?)リリース事情の国の事とて、現物の入手も困難を極めるのだけれど。
 そんな訳で上に挙げたのはあくまでも順不同。入ってきたリリース情報をコピーしただけで、入手出来なかった盤もいくつか混じっています。日本のレコード会社は出して・・・くれるわけ無いかぁ。

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