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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”島唄1”を探して

2008-02-10 23:33:46 | 奄美の音楽


 (写真は、”島育ち”ヒット時に奄美で行なわれた田端義夫のコンサート風景。後ろに張られた横断幕に見える”セントラル楽器”の文字に、奄美島唄ファンとしてはニヤリとさせられます)

 バタやんこと田端義夫氏の1995年発売のアルバム、「島唄」が欲しくてあちこちうろついているのだが、とうに絶版ということで、また中古品も見当たらず、諦めるしかないようだ。
 後にリリースされた、このアルバムの改訂版というのか、”島唄2”なるアルバムなら、今でもレコード会社のカタログに残っていて簡単に入手できるし、すでにこの場でも話題にしている。

 ”2”は、バタやんのかっての”島唄もの”のヒット曲にプラス、近年になって邂逅をはたした石垣島出身のロックバンド、”ビギン”とバタやんのセッションという形で、ビギンや喜納昌吉などのレパートリーに田端義夫が挑戦した、そんな音源とが半々に収められたものである。

 オリジナルの”島唄”は、つまり”島唄1”というべき盤は”2”の前半部分、つまり昭和30年代に田端義夫が放った一連の島唄もののヒット曲、およびその周辺曲ばかりをあつめたものだ。こいつが聞きたくて仕方がないのだ、私は。
 あ、もちろん、収められているのは島唄と言ってもピュアな民謡ではなく、歌謡曲調の、例の”新民謡”という奴ですな。

 判明した”島唄”の収録曲を表示してみる。

 *田端義夫/島唄

 1)チョッチョイ子守唄
 2)屋久の恋唄
 3)ニ見情話
 4)すりすり歌
 5)奄美小唄
 6)ゆうなの花
 7)永良部百合の花
 8)島有ち
 9)泡盛の島
 10)くろかみ
 11)シーちやん船唄
 12)デイゴの花
 13)徳之島小唄
 14)奄美の織姫
 15)奄美恋唄
 16)十九の春

 あ~聴きたい。半分以上、知らない曲だなあ。1)とか4)とか、「なんのこっちゃ?」と首をかしげる曲名には特に血が騒ぐ。

 子どもの頃の記憶に残っている歌もあり、まったく知らない唄もあり、と言うところなのだけれど、そのすべてに濃厚に漂っているのが、独特の斜に構えた雰囲気である。当時、流行だった”粋なマドロスさん”的センスと言うべきか。
 ”島唄1”に脈打っているのであろう生々しい潮の香りは、ビギンたちとの健全な空気に満ちたセッションからは生まれ得ない、昭和30年代風の”ちょい悪オヤジ”の心意気だ。

 フラリと港町にやってきて女を惚れさせ、でも「オカの暮らしはオイラにゃ似合わない」とニヒルに笑い、焼玉エンジンの音と潮に航跡だけ残して去って行く気ままな風来坊の姿は、当時、まだまだ貧しかった日本人の暮らしに吹き抜け、つかの間の自由の夢を唄って過ぎて行く一陣の風だったのだろう。

 アナログ盤時代にも、”島育ち/19の春”と題され、”バタやん独特の味わい、島唄ベスト16曲”と惹句の打たれた同趣向のLPが出ているのを確認している。この方面の愛好家は根強くいて、”島唄”の復刻をまっているのだ、なんとかなりませんかとレコード会社関係者各位にお願いしておく。

 まあ、ビギンとのセッションも悪くはないんですがね、かってのヒット曲に染み込んでいる昭和30年代の潮の匂いには、敵わないでしょう。

 かねてより気になっている、「なぜバタやんは南の島唄をレパートリーに入れることに、あれほど熱心だったのか?」の疑問への回答はいまだ得られずにいる。昭和37年、彼が東京は新橋の沖縄料理店で奄美の”新民謡”であるところの「島育ち」を耳にし、心惹かれたのが事の起こりとまでは分かったのだが。

 そして、このアルバムに収められている曲目の奄美への傾き具合から、彼の関心が沖縄より奄美に、より向いていたのは、どうやら確かなようだ。
 ”島育ち”などのヒットしていた当時、彼に”南島観”をテーマにインタビューなど行なわれなかったのだろうか?あればぜひ、読んでみたいのだが。それにしても欲しいなあ、”島唄1”が。

奄美笠利のテレキャスター

2008-02-09 02:32:32 | 奄美の音楽


 ”アイランドガール” by 中村瑞希

 ブログ仲間のNAKAさんからの影響で奄美の音楽を聴いてみたらこれが予想以上に面白くてすっかりはまってしまっている今日なのだが、考えてみれば、かの島の音楽を聴き始めて実質一ヶ月くらいしか経っていないのであって、良く平気でこんな文章を書けるなと自分でも思う。

 まあしかし、まだ何も分かっていない奴にしか見えない事もあるんだから、この文章だってそれなりに貴重になるかも知れません。”誤読の記録”としてね。ふん、ちくしょーめ。と言いつつ、今回も何の反省もなく書いてしまうのだが。

 奄美の民謡を聴き始めて驚かされた事のひとつは、三線の音の多様さだった。弾き手によって、これほどまでに音の響きが違うものだったのか。

 ある人の三線からは弦の狭間から激しく綾なすリズムの洪水が打ち出され、またある人の奏でる弦は、しっとりと濡れた情感で忍び泣く。へえ、文字通り弦が三本張ってあるだけの楽器なのに、奥が深いものだなあ。
 もちろん私は三線の巧拙などに言及できる知識など持ち合わせず、私なりの印象を語る事しか出来ないのだが。

 たとえば同世代的共感・・・というとうら若き女性であるあちらに失礼になるのかな・・・そうそう、ロック世代的共感を感じさせてくれる三線のプレイとして、中村瑞希嬢の演奏など挙げておきたい。

 純粋に技術的意味において上手い下手と言う辺りさえまだまだ分かっていない当方なのであるが、彼女が歌いながら奏でる三線には、軽薄ながらも「イエィ、ファンキィだぜい」などと乗せられてしまう。
 凛と背筋を伸ばした感じで空間を振るわせる瑞希嬢の歌声の魅力も大いに語っておかねばならないのだが、この三線の味わいも捨てがたく思うのだ。

 あまり湿度を含まない乾いた音質で、しなやかなバネを内に秘めて跳ね上がる三線のピッキングは、ごく当たり前にカッコ良い。
 60年代R&Bシーンにおけるメンフィスのスタジオのギター弾きがフェンダーのテレキャスターとかを使って織り成すリズムなど想起してしまうのだが、これは無茶な連想か?いや、そうでもないと思うよ。

 さて、私がもっと奄美の民謡に造詣を深めた暁には、以上の文章を「なんて見当はずれな事を言ってしまったんだろう」と頭を抱えることとなるのだろうか。

 頭を抱えたってその時はもう皆がさんざん目を通して私のピント外れの見解に呆れた後であり、後悔したって遅いのであるが、いや、かまやしないのさ。とりあえず私がこの時点で中村瑞希の三線のファンであったことを言っておければ十分だ。

正義の使途が舞い踊る

2008-02-07 03:45:56 | 時事


 タテマエ主義と言うか「言っていけない事は言ってはいけません!傷ついている人もいるのですっ!」とかクレームつけるのが大好きな人に”さあ、攻撃してください”と言わんばかりの標的を与えてしまった、というところなんじゃないでしょうか。

 ネット世界でもその種の人々のコミュとか行くと、冗談を言うこと自体、”罪”として断罪されますからね。

 騒いでいる人たちに一言言わせてもらえば、「あなた方は正義の使徒のつもりなんだろうが、やってることはリンチだよ」となりましょうか。

 ○暴言余波…倖田來未2月スケジュール白紙
 (デイリースポーツ - 02月03日 11:10)
 ラジオ番組での「35歳をまわると羊水が腐る」発言で批判が殺到し、自身のホームページ(HP)で謝罪した人気歌手・倖田來未(25)が2日、都内で行われたラジオの公開生番組の出演を自粛した。また、イメージキャラクターに起用されているコーセー化粧品「VISEE(ヴィセ)」のブランドサイトも閉鎖され、根拠のない“問題発言”の波紋が広がっている。
 エイベックスによると、倖田は都内の自宅で終日過ごし、当面は活動を自粛。1月30日に最新アルバム「Kingdom」を発売したばかりで、7日の福岡から地方のラジオ局などを回るキャンペーンが予定されていたが、すべてキャンセル。新たな番組出演は控えるが、すでに収録済みの日本テレビ・読売系「恋のから騒ぎ」はこの日放送され、今後のテレビ朝日・ABC系「徹子の部屋」(7日)などはテレビ局の判断で放送される見込みという。

”きょらうた”と”きゅらうた”の狭間に

2008-02-05 04:39:32 | 奄美の音楽


 この非常時に(?)また里アンナの話題で恐縮です。

 私の前に、奄美出身の歌手・里アンナのCDが2種置いてありまして、一枚は98年、彼女が”奄美民謡大賞”で新人賞を受賞し、その記念に奄美のローカルレーベル、”セントラル楽器”から出したデビューアルバム「きょらうた」です。

 で、もう一枚は、その後、”ポップスシンガー”になるために奄美から東京に活動拠点を移した彼女が昨年、初めて出したシングル、「きゅらうた」であります。上京後、ミニアルバムは出してきたけど、意外にシングルはこれが初めてだったんだな。

 しかしややこしいなあ。なんのこっちゃい、奄美の言葉を詳しくなんて知らないけど、「きょらうた」と「きゅらうた」と、どう違うんだ?インタビューなど読むと、里アンナ本人も勘違いしたなんて話が載っていて、ますますなんのこっちゃである。まぎらわしいタイトル付けをするなと言うのだ。

 先に書いた通り、私としてはデビュー盤で奄美の島歌を歌う彼女に惚れてファンになった者であるのだし、現在の彼女の目指す”ポップス”いや、この場合は”Jポップ”とか呼ぶんでしょうか、その辺の音楽にはあまり興味をもてない。それゆえ里アンナ・ファンとして現在の彼女にどのようなポジションで向き合うべきか、ちと困惑気味なのであった。

 そもそもは「きょらうた」の(つまり、デビュー盤の方ね)ジャケ写真が可愛かったから、というのが里アンナに注目するきっかけなんだから、彼女の音楽の方向性がどうのこうのというなよ、ってなものですが。でもまあミーハー系とは言え、一応、ワールドミュージックのファンなんでね。それは、お洒落なポップスより土の匂いがする民俗サウンドが出来れば聴きたいわけです。

 しかし里アンナ自身はこのあたり、どう自覚しているんだろう。自分の出自である”奄美の唄者”としての部分と”ポップス”の歌い手を目標としてプロの世界に足を踏み込んだ自分の、相克とかはあるんだろうか?
 ポップスの歌い手として世に問うたCDが3枚ともミニアルバムである、フルアルバムでもシングルでもない、ってのが彼女、あるいはそのスタッフの迷いを示しているんでは?とか勝手に深読みしてみたりするんだけど。

 もっともねえ・・・

 たとえば問題の「きゅらうた」(シングルのほうね)など、そもそもがコーラスグループの”サーカス”のメンバーが作り沖縄の歌い手に贈った歌なんだそうで、確かに”ここが聴かせどころだ!”ってあたりに沖縄音階、例の”ドミファソシド~♪”が登場して、沖縄気分を大いに盛り上げる。

 この辺、複雑な気分じゃないのかなあ、なんて思っていたのだ、私は。奄美を沖縄の一部と思っている人も結構いるし。歌うにあったって、「これはあくまでも沖縄風の唄で、奄美の音楽とはちょっとちがうんだけどなあ」なんて内心、忸怩たるものがあったんではないかと。

 ところが。さっきネットの某所で見つけた里アンナへのインタビュー記事を読んだところ。なんと、サーカスのメンバーの作った「きゅらうた」を歌いたいと言い出したのは里アンナ自身であると。一聴、「いい歌だなあ・・」と感銘を受けたんだそうで。
 うん、こちらが入れ込むほど、歌手自身はそのような方向には敏感にはなっていず、もっとおおらかな感性でいるのかなあ、などと拍子抜けした次第で。うん、筒井康隆の初期の短編にあるように、人はそれぞれに勝手な場所に穴を掘りつつ生きているのだろうね。

 変なところにこだわるのはつまらないかも、との啓示と受け取ることにした。
 



ラプラタ河のシナゴーク

2008-02-03 02:21:33 | 南アメリカ


 ”ciudad de nostalgia”by zully goldfarb

 これは面白いものを聴いた。アルゼンチンのユダヤ人コミュニティから登場して来た、もうベテランらしい女性歌手の2006年作のアルバムである。

 アルゼンチンばかりではない、スペインやキューバの曲も含まれているとのことだが、いかにも南欧風な、ノスタルジックな甘美さを多量に含む典型的なタンゴのメロディを、ややハスキーな声で巻き舌べらんめえ調、情熱的に歌いついで行く。裏町のギャングスターを歌った定番曲”ロコ”など、なかなか感動的に盛り上げる。このあたりは典型的なタンゴ歌手のありよう。

 だが、普通のアルゼンチンの歌手たちが発散させる、一夜限りの情熱、風の吹きようで明日はどうなってしまうか分からない移民文化の浮き草の危うさ、などとは一味違う生活者の手触りみたいなものがジワと伝わってくる。ここが興味深いところ。

 行きずりの男との恋愛のためにすべてを捨てて省みない、なんて世界ではなく、むしろ、稼ぎのない亭主や腹を空かせて泣く子どもたちのためによれたドレスをえいやっと身にまとい安酒場のステージに上がって行く、しぶとい生活者としての”歌手”の面影が唄のそこここに漂う。

 そのあたりが彼女の個性か。それともユダヤ人コミュニティの人々の間で母親的存在として歌い続けるとはそういうことなのかも知れない。

 2曲だけ収められているイディッシュ語によるユダヤの古謡は忘れがたい。
 それまで歌われていた世界からストンともう一段階、表現が深くなる。こちらが本音、と言うべきなのか、それとも若干の無理をして南米に生きるユダヤ人のアイデンティティを創造しているのか。2曲だけではすべては読み取れなかったが。

 伴奏はタンゴのフォームのまま行なわれるわけで、そこに起こるユダヤ伝統のメロディ(”マイム・マイム・マイム”とか”ドナドナ”とか、その辺を思い出していただきたい)との音楽上の相克も面白く、不思議なサウンドが出来上がっているのだ。この辺の曲ばかりで一枚、アルバムを作って欲しいと期待してみる。
 

偽奄美唄者への無謀なる道程

2008-02-02 02:02:24 | 奄美の音楽


 昔、あれは誰かがライ・クーダーとデヴィッド・リンドレイについて論じた文章の中でだったと記憶しているのだが、”ワールド・ミュージックへの接し方において”誠意派”と”大体あってりゃ良いや派”がいる、なんて話題があったものだ。
 ライのように「あくまでも誠意を持って」みたいな姿勢で(結果はどうあれ)異郷の音楽に取り組む者もいれば、リンドレィのように「この音楽への解釈、これで良いのかどうか分からないけど、とりあえずやっちゃおう」みたいな軽いノリ(内実はどうあれ)でやってしまう者もある、なんて内容だった。

 その伝で言えば私は明らかにリンドレイ派、それも相当に軽薄なそれである。
 たとえば現時点で私にとって一番”来ている音楽が奄美の島歌であるのは確かなのだが、まだ何枚かのCDを聴いただけ、この人は重要であろう、かの音楽に本気で接するには聴いておくべきだろうな、なんて人々の多くをまだ聴いてもいない、奄美の島歌の端っこを齧っただけの現時点で、もう自分で島歌を歌ってしまおうなんて気になっている。こんないい加減な話はありませんぜ。

 要は、島歌のCDを聴いていたら、バックの三線が奏でるリズム・パターンをギターのフレットの上に移し変えて繰り出すアイディアを思いついたのでさっそく実行に移してみたくなった、それだけの話なのだが。

 そんな当方のとりあえずの困惑は、島歌のCDの歌詞カードには納められている歌の歌詞がフルで記載されていない、という事実に関してである。こいつは困るよ、ただでさえ分からない奄美の言葉で歌われているんだから。

 今読んでいる「奄美丸ごと小百科」って本でも著者によってぼやかれているが、奄美の島歌って、余所者にはなかなか歌えるものじゃないです、これは。奄美のそれに比べれば沖縄の島歌の、余所者にもなんと覚えやすいメロディであったことか、である。大ファンであったとは言いがたい私にも口ずさめる歌が何曲もあるものな、沖縄の島歌には。

 何で奄美の島歌がそのように余所者に身に付け難いかといえば、その理由の一つは「小百科」の著者が述べているが如く、奄美の言葉が分からないからである。
 唄のメロディを身に付けるのに、歌詞の存在は頼りになる。それが意味の取れない外国語でも良い、たとえば英語のように聴き馴染んだものなら、判読可能な発音記号として大いに役に立つ。

 ところが当方がこれまで手に入れた奄美の島歌のCDは皆、歌詞カードに歌詞のすべてではなくその一部と唄の大意が記されているだけなのであって、これ、”どうせ意味が分からないんだから”と省略してるんだろうが、ちょっと困るなあ。

 意味が分からないからこそ、歌詞はすべて載せて欲しい。”ハァ~”といった片々たる掛け声に至るまで。未知の音楽を理解するよすがとなるんだから。文字として記された、余所者には聞き取りきれない歌の文句は。

 奄美の島歌をその土地の者以外が身に付け難い理由はもう一つ、そのメロディが近代的な歌謡のフォームではなく、よりアルカイックな古代歌謡のありようを示しているからだろう。今日的”唄のメロディ”ではなく、フレーズの連なりというかモード・ジャズ的というか、どう音楽的に表現していいのやら分からないが。

 そしてメロディ全体の構造も、”A-A'-B-A'で16小節、あるいは32小節”なんて形態ではないのだ、奄美の島歌は。”A-B-A-B-C-D-E-F”とか、”A-B-C-D-E-F”とか、”ポピュラー音楽としての洗練”が形成される以前の”民俗音楽”の様式によって提示される。

 沖縄の島歌が同じ”言葉が分からない音楽”でありながら奄美のそれに比して我ら余所者に比較的受け入れ易いのは、それらが今日的歌謡の体裁を整えているからだろう。逆に言えば、私が沖縄の島歌にない魅力を奄美の島歌に感じたのは、まさにその蒼古の歌謡の響きがスリリングだったからと言える。

 その”モード進行”メロディが伴奏の三線とリズミックに絡み合いながら進行して行く様が、かって好んで聴いていた戦前のアメリカ黒人たちのプリミティヴなデルタブルースなどと構造上似ている部分もあり、先に述べたように”ギター弾き語りによるアメリカ戦前ブルース風奄美島歌解釈”などという邪道を思いついてしまった次第。

 と、なにやら訳の分からん事を延々と書いてしまった訳だが、すまん、いつかもっと要領よく説明できる日も来ると思う。長~い目で見ていてください。むむむ・・・

退屈なるネットの達人・奄美編

2008-01-31 16:44:18 | 音楽論など

 相変らず奄美の民謡に興味を惹かれており、ネットの世界もあれこれ覗き歩いているのですが、ある奄美民謡愛好コミュに、こんなスレが立った。

 「あなたの好きな奄美民謡の歌手を挙げてください」

 まあ、愛好サイトの掲示板としては当たり前の話題ですね。で、そこに皆、それぞれごひいきの歌手の名を書いて行く訳ですが、中に一つ、こんな書き込みがあった。

 ~~~~~

 (書き手に”文章の勝手な流用”と文句をつけられても面白くないので、引用は省略させていただきます)

 ~~~~~

 ・・・。これを分かり易い日本語に訳しますと、

 「俺くらいの達人になるとよう、歌手本人と親しいなんてのは当たり前で、歌手の親とまで顔見知りで、その人となりにも詳しかったりするのよな。そこまで行ってはじめて、唄の奥義ってものが分かる。お前ら”この間初めてCD一枚聴きました”みたいな浅いファンなんかが一人前に奄美の民謡を語ってもらっちゃ困るんだよ。えーい、下がれ下がれ!この俺をどなたと心得る!」

 とでもなりましょうか。

 ハイハイハイ、よーく分かりました。あんたが大将、そこで勝手にオダ上げててください、ってなものですが。
 どこにでもいるんですねえ、こういう人種。ともかく他人に差をつけたくて仕方がない。ままならない現世で押さえつけられてる自我を、ネット世界と言う限定空間で思い切り膨れ上がらせて欲求不満の解消としているんでしょうな。何も知らない初心者を虚勢いっぱいの書き込みで恫喝し、ビビらせる事によってオノレのちっぽけな”需要人物願望”を満たす、と。

 そんなのねえ・・・つまらないじゃないか。もし本当に年季の入った知識も人脈も豊富なファンであるのならばむしろ、初心者たちがもっともっと奄美の民謡を好きになるように優しく導いてやったら良い。違いますか?

 なんて言ってみても、そんな”ネットの偉人”タイプの人々に話が通じたためしもないんですがね。まあ、なんと申しましょうか悲しい、そして見飽きた光景のお話でありました。

診察台上のアリア

2008-01-30 04:38:32 | いわゆる日記


 右下奥の歯が一本壊滅状態で近日中に抜かねばならず、なかなか気が重いことである。もう根しか残っていなかったんだけど、それ自体、もはやボロボロとかで。また歯科医も、それゆえに抜歯も難作業となり、余計痛いとか脅かしてくれるもんだから、ますます気が重い。

 思えば病院の待合室に流れるBGMというもの、音楽の存在に関するさまざまな形而上学的思考をもたらしてくれたものだった。ともかく順番待ちの果てには逃れようのない運命と言うものが待ち受けている。その前に無防備で揺れ動く人間のタマシイ。

 胃カメラの順番待ちなどというものは、喉に麻酔をかけるためのシロップ状の薬を口に含んで天を仰いだ姿勢のまま「ヤバいものが見つかったらどうしよう?」なんて不安に胸ふさがれつつ硬直している訳で、人生における悲喜劇を体現するような風情である。そんな時、人間にどんな音楽が必要か。

 歯科医の待合室で直面するのは、もう少し直接的な”痛み”への予感である。恐怖である。ああ、気が重いなあ。

 昔、ブライアン・イーノが”環境音楽”とか言うアイディアを提示し、”ミュージック・フォア・エアポート”なんてアルバムを世に問うた事があるが、「空港なんかより、病院の待合室用の音楽とか開発した方が多くの人々への救いになるんじゃないかなあ」なんて感想を抱いたものだった。まあ結局はお洒落ネタでしかないんだろうなあ、ああいうものは。イメージ的にも空港の方がお洒落なんでしょ。

 とりあえず待合室の不安状況で人は、あんまり感動的な音楽とか欲しないような気がする。”音楽ファンとしての自分を変えた一曲”なんてのがその場に流れて来てもらっても、私の場合は、であるがややうっとうしい感じだ。むしろ、特に個性も感じられない演奏により、そこそこきれいなメロディを淡々と流してくれるほうが癒しになる、救いになる。

 いや、この辺は微妙なところか。患者本人の抱えた病状にもよるだろうしね。

 いわゆるイージーリスニング、マントバーニとかのムード・ミュージックの存在意義を知ったのも歯科医の待合室でだった。ひたすらきれいなストリングス中心に、時代遅れの映画音楽や軽クラシックなど優雅にかなでる、あの音楽。
 その種のものはそれまで”一山いくらの無菌音楽”と馬鹿にしていたんだけれど、自分の抱えている”壊れやすい人体”なる難題と対峙しつつ審判の時を待つ病院の待合室では、どれほど救いとなった事か。

 先日は、診察台で大口を開けた状態で診察室に流れて来たのが、こいつもこれまであまり関心をもって聴いた記憶のないジャズのピアノ・トリオの軽妙な演奏だったのだが、その時の心境(「ヤバいな、次の処置は痛いのかな。この辺で終わりにして欲しいよな」)とピタリと一致、悩ましい筈の治療の時を、それなりに楽しく過ごさせてくれたのだった(痛くなかった、ということではないが)

 でもこういうのって、”スキー場で知り合ったカップル、街に帰ったら即、分かれる”の法則(?)に則り、その時の演奏者と曲目を調べCDを購入しても、そのままの楽しさを自分のリスニング・ルームにもたらしてくれるわけでもないのだろう。

 おそらくは・・・待ち時間なり診療を受ける時間なりに患者の心に生じた心の間隙にスポンとはまり込む特性を主眼とした選曲がなされているのだろうから。その辺は微妙なところで、選曲における何らかの法則など選曲者に尋ねても、彼もおそらく明確な答えの不能な、感性の幽冥境における作業かと想像する。

 それにしても、いつも行く歯科医院のBGMのメニューって、誰が考えているんだろう?その種のものの配信会社から流されてくるようだけれど、チャンネル選択くらいは医院側でするのだろうか?
 行きつけの歯科医院の担当医は特に音楽に興味はなさそうだが、流れて来る音楽に毎度、”外れ”はなく、見当違いなものを聴かされた記憶はない。で、行くたびに微妙にタイプの違う音楽が流れている。やっぱり配信会社の全コントロールなのかなあ?

 とかなんとか。いくら書いてみても、やっぱり抜歯せねばならぬと言う現実は変わることなく、運命の時はいずれやって来るのだった。

ロシアン・フォークの女王

2008-01-28 04:49:06 | ヨーロッパ


 ジャンナ・ビチェフスカヤ(Жанна Бичевская)

 ロシアの民衆の心を歌う、みたいな存在の人らしいですね。

1944年6月モスクワ生まれ。自ら採取した古いロシア民謡などをギターの弾き語りで歌い、人気を得る。その人気はロシア国内にとどまらず、パリのオリンピア劇場で8日連続公演、などという記録も打ち立てている。ロシア人民芸術家なんて称号も得ているようで。

 アルバムを聴いてみると、まさにロシアの大地の歌声、みたいな印象を受けます。
 お得意の12弦ギターの弾き語りで深々とした歌声を響かせ、真昼に聞いていても彼女の声が聞こえる範囲内は夜中、みたいな感じになる。ファドとか、あの辺の重たい歌い手を引き合いに出して語りたくなってきます。

 「ロシア版ジョーン・バエズ」なんて仇名された時期もあったようですが、確かに、彼女の初期のレコーディングなど聴きますと、気恥ずかしくなるほどジョーン・バエズ的と言いますか60年代のアメリカン・フォークっぽい感触がある。ギターなんかジョーン・バエズ通り越してデビュー当時の森山良子みたいでね。
 実際、自国の民謡を採取して歩き、そいつをギターの弾き語りで歌うなんて彼女の発想も、彼女が歌い始めた頃に知ったアメリカのフォーク歌手連中の活動がヒントになっているんじゃないかなあ。

 60を過ぎても今だ現役で歌い続けるジャンナですが、その歌手としての姿勢には、やや変化が覗えるそうな。1990年頃から、かって人民芸術家なんて称号をくれた国とはやや距離を置き、ロシアの民族色を薄め、むしろ宗教的な色合いが濃い歌を歌うようになっている、との事。

 この辺のニュアンスに興味があるのですが、なにぶんにもロシアの大衆音楽関係の情報なんかろくに入ってこないわけで(彼女の大ヒット曲、”ゴリーツィン中尉”について知りたくて検索かけたけど、ネット内に日本語の情報は無きに等しい)断片的な情報からあれこれ想像するよりない。

 でも、面白いと思うんですよ。彼女がもしかしたら心中に抱えていたかもしれない屈託など思うと。人民芸術家なんて称号を得て、それは、かっての”ソ連”においては”おいしい”立場であったのだろうけれども、彼女の本心としては、それほど名誉な事だったろうか?

 若き日、アメリカン・フォークの影響でギターをとって歌いだした人ですからね。内心、それなりにリベラルな、と言う表現でいいのかどうか、考え方の人ではなかったかと思うのですよ、彼女。ソ連の国家体制に違和感を感じていたのではないかと。
 それが、アメリカのフォークシンガーの行き方を真似て(想像が大分入っていますが、放っておいてください)自国のフォークロアの探求を行い、自らも歌ってみたところ大衆の人気を得、またソ連の国策にも都合の良い歌手として認知されてしまった。

 彼女自身は国家の方策とか関係なしに民族の心を探求していただけなんじゃないか?
 それゆえ、ソビエト連邦という国家が崩壊に向い、人民芸術家という、栄誉であると同時に彼女にかかっていた”縛り”でもあるようなものが解けると、それまでの民族歌手の看板をたたみ、自らの心との対話、宗教の世界に入っていってしまった。そんな裏事情があったんじゃないか?

 まあ、ロシア大衆音楽界に関する少な過ぎる情報から、当方が勝手に想像してみた物語なんですけどね、結局。

ケータイ小説としての赤軍派

2008-01-27 04:35:24 | その他の評論


 ネットの世界に連合赤軍の記録映画を研究するコミュなど出来たそうなので、やつらと、まあ同じ時代を生きた私としては若干の興味を抱き覗きに行ったのだった。
 そしたら、「彼らのまじめさ、ひたむきさに心を打たれた」とかそんなことがコミュ設立の趣旨として記してあって、暗澹たる気分になってしまったのでした。

 私は、もうあんな”純粋真理教”はこりごりだよ。

 一つの”真理”に囚われて他の何も見えなくなってしまう。その結果、とんでもない袋小路に入り込んで陰惨な命の削りあいに終始する。
 そんなのが”純粋”と言えるんだとすりゃ、”純粋”ってのは”狂信的”とか”小児病的”、あるいは単に”バカ”という意味しか持ちえないだろう。

 もうそんな愚は冒すまい、もうあんな悲し過ぎる喜劇はたくさんだと我々は学んだんじゃなかったのか。
 にもかかわらず。同じ愚かしさがもう一度グロテスクな戯画として繰り返されてしまったのが、あのオウム真理教の事件だった。若い信者たちは”尊師”とその教えに”ひたむき”に帰依し、その結果、”純粋”の旗印の下に陰惨な殺戮を繰り返すに至った。

 そしてまた、か?
 この”まじめ”や”ひたむき”なる呪文に酔い、”清く正しい私たち ”の、穢れた世の中に対する短絡的な最終戦争の夢こそが、青春なる狂気の時の永遠の玩弄物なんだろうか。どこかにないのか、この狂気を覚ます特効薬は。

 そして最後の締めは昨今流行の”涙”だ。「映画を見終えたとき私は感動で涙が止まりませんでした」と、この一言だけで映画の神聖化は完了する。

 神聖にして犯すべからず。昨今の若者たちの最高の神器、涙。

 「監督さんも泣きながら映画を取ったに違いありません」なんだって。
 そうだよなあ、”ハートブレイク・ホテル”の歌詞にもあったものな、「ホテルの人も 黒い背広で 涙流してる~♪」ってね。
 従業員が泣いてたんじゃホテルの仕事は務まらないだろう。なんて冗句も正義の使徒には通じません。やれやれ。

 真実から目をそらし、事件を自分に都合の良いファンタジィに作り変えるための工作としての”感動”やら”涙”やら。
 結局、映画を見た昨今の若者には赤軍派の事件が、世界の中心でなんとかかんとかやら”百倍泣けるケータイ小説”などの一種と感じられているのだろう。

 そんなに赤軍がお気に入りなら、今でもその残党は存在していますからそこに合流して、あなたの言われる”ひたむきでまじめな”人生を実体験したらいかが?とでも申し上げておきましょうか。