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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”十番街の殺人”は、もう聴けない

2008-03-20 14:38:09 | いわゆる日記


 2月18日の日記に、”同級生のYが良くないヤマイに罹り、重篤な状態にある”と書いたが、今朝、Yが亡くなったとの知らせがあった。これはきついなあ。

 先にも書いた通り、柔道の猛者で道場を開いて子供たちの指導に当たっていたYだが、私にとっては”中学時代のエレキギター友達”とでも呼ぶべき存在だった。
 中学生だったある日、幼馴染みの彼が、意外にも達者にエレキギターを弾きこなすのを見て、私は自分でもギターを弾いてみようなどと言う気を起こした、と言っても過言ではない。

 病気の話を初めて聞いた時も、あの屈強なYのことだ、きっとそんなものケロリと克服してしまうさ、なんて思ったのだが、こればかりはそうは行かなかったようだ。

 その後もずっとベンチャーズ探求の道を歩いた彼と、ワールドミュージックというか世界中の裏町歌謡を漁る方向に進んだ私とではあまり接点はなく、その後は一緒に演奏する機会もなかったのだが、こうなってみると、一回ぐらいは遊びでバンドでも組んでみるべきだったのではないか、なんて思えてくる。まあ、いまさら言ってみても仕方がないのだが。

 あと何時間後かにはYの通夜がK寺である。そいつに出席するかどうか、いまだに決められずにいる。そんなものに出てYの死を確認してしまいたくない、なんて想いがある。そんなものに出ずにいればある日、通りの向こうから健康を取り戻したYが「やあ、心配かけたけど、もうすっかり治ったんだよ」と、いつもの笑顔で現われるのではないか、なんて気がする。 

 もちろん、私の理性は「そんな事はありえない」と告げているのだが。もしそんなことが本当に起こったとすればその時は、Yは私の肩を叩き、「さあ、一緒に行こうよ。久しぶりにお前のギターを聴かせてくれよ」とか言いつつ、あっちの世界に私まで連れて行ってしまうだろう。そいつはしばし、願い下げにしたい。

 それにしても、Yが経営していた店に飾られていたモズライトのエレキギターのコレクションは、どうなるのかなあ。余計なお世話だけれども。
 今日は天気の具合が悪く寒の戻りがあり、冷たい雨が朝から降っている。この世の旅の真っ只中で思う。この人生にどう対処すべきか、たぶん一生分からないままだろうなと。

チベットを生きる日々

2008-03-19 04:51:17 | 時事


 日記がストップしてしまっている。

 チベットについて書いてみたいと思うのだが、私が思いつくようなことはすでに多くの人によって書かれている。その人々以上の特別な知識や意見が私にあるわけでもなく、わざわざ凡庸な発言を一つその列に加えるのも、気が進まない。とは言え、何か書かねば、自分に納得が行かない気もしている。
 先に進めず後にも戻れず、ここにこのままいるわけにも行かず、なにやらもどかしい場所にはまり込んでしまっている。

 日本テレビで放映された「東京大空襲」を見た。というかテレビをつけっぱなしでいたら始まってしまった。”開局55周年記念ドラマ”だそうな。

 なにやら感傷的な女性ボーカル、しかも英語によるものが物語のバックに流されっぱなしになっていた。
 これ、どういう神経か分からない。その”英語を使う国”と戦争やっているときの話でしょ?英語を使う国の爆撃機が爆弾を落としたから、そこらじゅうが火の海になっている訳でしょ?人々が死んでいっているわけでしょ?にもかかわらず、「最新流行の英語の歌を流しておくからオシャレな気分になれ」と言うのかね?

 小泉文夫氏が生前 時代劇のBGMに西洋音楽が使われることの違和感を何度も指摘していたものだったが、実際、ドラマ作りをやっている人々の、この辺のグロテスクな感性というのはまったく理解しがたい。
 頭の上にちょんまげを乗せた役者たちが江戸時代の市井を舞台の”捕り物帳”を演じているバックに高々とトランペットのソロを鳴り響かせてなぜ平気でいられるのか。
 同じように。太平洋戦争末期の日本における人々の日々を描いたドラマのその後ろに、なんで英語の唄を流せるんだよ。

 情緒過多な音楽の使用によってすべてを感傷の海に沈め、ドロドロのスープ様の海の中で何もかもを曖昧にしてしまう。今日の”テレビドラマ化”ってそういうもののようだ。
 ドラマ作りをする人々にとって東京大空襲がどうのこうのなんて、実はどうでもいいんだよね、それは単に「目先を変えてみました」ってだけのこと。昨日は新作のブランド物のバッグだったものが、今日は爆撃に炎上する東京である、それらは等価で並べられている。

 この種の”ドラマ化”の手法って、あのトレンディドラマの流行あたりから常套手段となったように記憶しているのだが。
 あのベタベタと垂れ流される甘ったるい音楽群を抜き取ったら、そこにはいつもの「怒鳴れば熱演、泣けば感動」という趣旨の、愚劣な役者たちの演技が残るだけ。ともかく怒鳴りっぱなし、泣きっぱなしなのよな。

 そしてブラウン管のこちら側には、そんな稚拙な罠に感性を鈍磨させられ、飼い馴らされた視聴者の淀んだ視線がある。
 「怒鳴っているから熱演なんだろうな。泣いているから感動しとこうか。今かかっている曲、オシャレだな。こんどCD屋へ入ったら探してみよう・・・」

 先日来、チベットの事を書いておこうとしてるのだが、何も書き出せずにいる。

最近、不愉快な唄

2008-03-15 23:46:06 | その他の日本の音楽


 え~と。あ、先に言っておきますが、今回の文章、ガキは読まないでください。お願いしておきます。
 で。さて。

 今、あれはギョーカイで一押しということになってるんでしょうか、テレビのコマーシャルなんかでやたらと「ここにいるよ」って唄が流れて来ますな、スポットCMとかで。
 詳しい正体を検索してみると、こんな情報が上がってまいりました。

 >ここにいるよ feat.青山テルマ
 >タイアップ ●TBS系 全国ネット CDTV 9月度 エンディングテーマ
 >アーティスト ●SoulJa 作詞 ●SoulJa 作曲 ●SoulJa

 私ねえ、あの唄がな~んか知らんが虫が好かなくて、聴こえてくるたびに顔をしかめてるんですよ。同意していただけるか見当も付かないが。とにかく冒頭の一節が流れてくるだけでも不愉快で、ほんの一刻のCM放映時間が耐えられない気分。
 あのかっこつけた囁き調の自己陶酔傾向の強い歌唱の内に、いまどきの自己中心方向にやたら性格の悪い若い女たちに、「その調子でどんどん増長しろよ」とそそのかすようなメッセージが溢れかえっているように感じられてならない。実に不愉快である。

 、一旦そんな気分になってしまうと、その歌が逆にますます耳に付くようになってしまう。するとますますその曲が嫌いになって・・・という悪循環。

 せめて、あの唄の何がそんなに気に触るのかと思って、まず歌詞を検索してみると、CMでオンエアされている部分の後に男コトバの詞がズラッと連なっているんですな。どうやら男女のデュエットものらしい。で、後半部分はラップになるんでしょう。これは聴かなくても字面から想像できる。

 なるほど、ソウルっぽいバラードもので男女デュエットで、途中でラップが入りぃのと。海外のモトネタが透けて見えるような話ですな。クリエーチヴなこってす。
 このラップなるもの、中村とうよう氏が「表現としてはとうに腐った」と看破してからもう20年以上は経つと思うけど、腐臭はすでに我が国の若い衆をも覆いつくした。

 この男の側の詞というものがまた、君をどうすりゃ良かったこうすりゃ良かった俺はどうだったこうだったこういう事情があったからあーだこーだとグダグダグダグダとオノレのこまごまとした都合を並べ立てる、まことに見苦しい、潔くない代物で。
 うひゃあ、CMで聞こえてきた部分だけでも不愉快だったのに、あの先、まだ別種の腹立たしい部分が続くのか。さぞかし、「俺はワルだぜ」みたいなポーズ付きでやってくれるんだろうなあ、ラップを。これまた予定調和の世界で。

 この男女両方の歌詞なんか、私がずっと以前から指摘している”日本の今日のポップスの歌詞における男女のありよう”の、まさに典型例と言えましょう。つまり、”男は言い訳に終始し、女は「素敵な素敵なワタシ」への自己陶酔以外、何も見ない”っての。
 このパターンも、私が気が付いてからでも相当な歳月が経過しているんだけど、いつまで続けるつもりだ?まだ飽きないんだろうか。

 と、老ポップスファンの私の神経を逆撫でする部分だけで出来上がっているようなこの曲、それゆえにさぞかし、昨今の青少年の支持を集めているんでしょうなあ。
 そうでなくても、なにしろあれだけのオンエア量、すでに彼らは「自分たちはこの唄を支持すればいいんだな」と、社会を管理する側の指令を、つまりは”空気”を読んでいるに違いないもの。

 と言うわけで。まあ、つまんないね、嫌いな唄について書くのも。と言いながら延々と書いてしまったが。

アンディ・ラウの明けない夜

2008-03-14 01:56:35 | アジア


 1997年7月1日、香港が99年間の”租借期間”を終え、イギリスから中国に”返還”された。
 それに先立つ数年間に発表された香港ポップスの、そのうちに渦巻く行き所のない焦燥感と終末観に不思議な魅力を感じてしまい、こちらもまた、その熱に伝染したかのような具合で聴き入っていた事情は、すでにこの場所に何度か書いた。

 避けるすべもなくやって来る”借り物の土地、借り物の時間”の終焉。彼らの生きる舞台は、特殊な事情を抱えて現実から数センチ浮き上がった華麗な虚飾の世界から、広大にして茫漠たる中華人民共和国の、当たり前の辺土と化す。

 世界の一方の先鋭に立っていた都市・香港の誇り高き市民が、彼らが”愚鈍な田舎者”と軽蔑していた大陸中国の人の波に飲まれ、いつか同化してしまう運命を受け入れざるを得ない、その恐怖。外国に逃げ出せる金持ちは良いだろう。だが、我々は・・・
 その底にある、「恰好付けてはいるが、実は我々は大陸の人々と同じ中国人なのだ」という、香港市民のプライドからは認めたくはない諦念。

 そのような袋小路の苛立ちやら閉塞感やらがない交ぜとなって、残された時間の終わりにどう対処するのが最良の選択なのか見当もつかぬままにただ舞い踊る、暗い熱にうかされて炸裂する香港ポップスの退廃的なダンス・ビートが、オノレの生きる日々に感じていた焦燥感と微妙に共鳴し、私は夢中になって香港ポップスを聴き続けていた。
 勝手な幻想を香港ポップスに見ていただけではないかと言われれば”その通り”と答えるしかないのではあるが。

 そして香港返還の時は拍子抜けするほど静かに訪れ、私は大いなる喪失感を感じながら、その式典のテレビ中継に見入ったのだった。
 さすがに私も、「英国の植民地支配から抜け出た香港市民よ。北京政府の支配にもNO!を叩きつけ、今こそ”自由香港政府”の樹立を!」とか実現性のない”理想”を香港市民に押し付ける無茶など考えてはいなかったが。

 その1年ほど前、香港の”歌う映画スター”であったアンディ・ラウ(劉 徳華)が発表した、”中国人”なるシングル曲は非常に印象深いものだった。

 いつもはオシャレなブランド物のスーツに身を固め、粋なアクションものや華麗な恋愛ものの映画の主役を演じていたアンディ・ラウが、ダサい人民服を着込み、大量の赤旗たなびく万里の長城にロケした大掛かりなプロモーション・ビデオの中で、”我らが数千年の歴史の誇り。世界の人々よ、寄り来て見よ、我らこそ中国人!”なる絵に書いたような民族意識発揚歌を、真顔で歌い上げていたのだ。

 中国人とは、なんと食えない連中なのだと、私は辟易してその曲を迎えたものだった。
 ”返還”が目の前に迫った途端、そのような曲を直立不動で歌い上げて、新しい支配者である北京政府にヨイショしてみせる。そんなあからさまな”処世術”を恥ずることもなく堂々と演じる。なんと身もフタもない。
 この曲の登場あたりから私の香港ポップスへの思い入れもなんとなく腰砕けとなり、いつか私は、あんなに入れ込んでいた香港ポップスを聴くこともなくなっていた。

 さらに時は流れ、香港は口に含まれた飴玉が解けて行くようにゆっくりと中華人民共和国の内部に取り込まれていっているように見える。そして私はあの曲、”中国人”を、まあ、あれはあれでしょうがないんだろうな、くらいな気持ちで見ることが出来るようにもなっている。 
 身もフタもない処世術とは言うが、そもそも中国の近代史そのものが身もフタもなかったのだ。そんな現実を生き残るには、あのようなあからさまな処世術をも平気で演じてみせる精神を持ち合わせねばならなかったのだ、それはそれで仕方がなかったのだ、と。
 まあ、だからといって”中国人”のシングル盤を今から買い求めて聴いてみようとも思わないが。

 海外ニュースを見ていたら、そのアンディ・ラウに関する、下のような、なんとも呆れるような事件の報告がなされていた。まあいつの世も、生きて行くのはナンギなことではある。

 ○今度はアンディを訴える!?父親自殺の最強ストーカー女性「みんな彼のせい」―中国
 
 2008年3月11日、先月突然新聞社を提訴したアンディ・ラウ(劉徳華)の狂信的ファン楊麗娟(ヤン・リージュエン)さん。父親が投身自殺したのは彼のせいだとして、今度はアンディに対し損害賠償を求めて裁判を起こすという。広東省広州市の「新快報」と「金羊網」が報じた。
 昨年3月、アンディ宛の遺書を残し香港の海に身を投げた楊さんの父親。10代の頃からアンディの熱狂的ファンだった娘のために、父親は「追っかけ」資金を捻出しようと自宅を売ったり、臓器を売ろうとしたり必死に努力していた。その娘にアンディが直接会ってくれるよう遺書に書き残していた父親だが、この事件を報道した新聞社を楊さんは先月突然「名誉毀損」で提訴、慰謝料30万元(約450万円)を要求した。
 父の自殺はアンディがマネージャーを通して彼女を「親不孝」と中傷したせいだとして、楊さんは間もなくアンディ・ラウ本人に対し、謝罪と損害賠償を求める裁判を広州市で起こすと話している。ちなみに無職の彼女がこれらの裁判費用をどうやって調達するのか不思議に思う人間も多い。

 ( Record China - 03月12日 18:03)
 http://www.recordchina.co.jp/index.html

チベット高原の風になって

2008-03-11 22:32:55 | アジア


 ”央金”by 央金拉姆 (Yangjin Lamu)

 前回に続き中国辺境もの。これは珍しいかもしれない、チベットの女性シンガー・ソングライター、”ヤンチン・ラム”のアルバムであります。2006年作。もちろん、私もこれが初対面。
 ジャケ写真で、バンジョーを抱えてラスタみたいな髪形をした彼女は、昔、バービー・ボーイズで唄っていた杏子みたいに見えます。が、中ジャケでチベット高原を歩いている姿は、なんだか山下久美子にも似ているように見える。

 チベットの風物を紹介するフィルムとか見ていても、修行する僧侶の姿くらいしか写らないし、考えてみればチベットの若い女性が何を考えどのような暮らしをしているかなんて全然知りませんな、我々は。

 サウンドの方はきわめてシンプル。ほぼ全曲、相棒の中国人らしきアコースティック・ギター弾き一人をバックに、ハスキーな、というより泥臭い感触の歌声を響かせます。
 彼女の歌うメロディラインは・・・どことなくモンゴルの民謡に似ているように感ずる。非常に素朴で無骨な、民俗音楽そのものみたいな。

 モンゴルとチベットって、必ずしも地理的に近しいわけでもないのに、文化的にずいぶん共通するものがあるようですね。なんて話をしてみても私の不勉強がバレるだけ・・・という以前に、こんなことに誰も興味はないわな。

 バックのギター弾きが70年代アメリカン・ミュージック好きを隠さないプレイをするので、主人公のラムの書く素朴なメロディとで不思議なハーモニーを醸し出している。素朴なようで、その裏に意外な洗練が潜んでいるかのようにも感じられる、奇妙な隠し絵みたいな効果。

 その辺の効果は計算してのことか偶然そうなっているのか、なんとも分からないが、この高度情報社会に生きながら、”辺境のミュージシャンだから素朴”とかステロタイプを信じ込むほうが想像力なさ過ぎるのかも知れません。このアルバムの中にも、オーストラリアの先住民の民族楽器を使ってユニークなサウンドを披露する曲なども含まれている事であるし。

 ジャケ裏の曲目表が凄い。何文字というのか知らないが、どちらから読むのかも分からぬチベット語の表記の後に漢字表記、さらにその後に英語訳が付いている。なんだか異様な迫力を感じる。
 あっと。これは台湾盤であり、チベット語で歌われてはいるが解説は中国語、帯には”体験全然不同的西蔵心霊音楽”なんてあり、どうやら不思議物件大好きな、中国大陸外在住の中国人向けに発売されたもののようです。

 歌詞カードの知っている漢字を拾い読みして行くと、各曲のテーマは”仏教信仰と自然との調和”のようです。仏教への思いいれはかなり深くすべての曲を覆っており、とはいえ、宗教音楽という感じでもない。チベット人の暮らしの中に、いかに仏教信仰が大きな位置を占めているかの証しと取るべきでしょう。

 それにしても作詞家の名前が凄くて、”化身掘蔵大師鄭金大楽洲”とか”第六世達頼棘疵一倉央嘉措”ってなんなのさ?チベットの偉い仏教家の名を漢字化するとこうなる、ということなのか?などと思いつつ歌詞カードを見ていたら、6曲目の作詞家にさらに凄い名を見つけた。なんと、”釈迦牟尼佛”と。おおお、お釈迦様まで担ぎ出したか。
 というかつまり、お釈迦様の言葉にそのまま曲を付けたのでしょうな。その他の曲も、お経に曲をつけて歌ってみた、みたいなものがかなりある。

 どの曲にも、ただっ広い高原で一人で風に吹かれているような、独特の寂寥感が満ちていて、なんだか後を引く音楽です。

 チベットというと、北京政府による過酷な独立運動圧殺の動きなど、どうしても思い出さずにはいられないのだが、ここで聴かれる素朴な祈りに満ちた音楽に接した後では、その暴挙はますますやりきれないものに思えてきます。
 どうかあの高原の地に御仏の加護がありますようにと、馴れぬ祈りなどあげてみる気まぐれを許していただきたい。


行く雲は天山を越えて

2008-03-09 04:22:55 | アジア


 ”The River Of Yaluzangbu” by 甘雅丹(Gan Ya Dan)

 中国人の万事大げさな美学を”CDのデジパック”という素材にぶつけたらこうなるんだろうなと思わせる絵本みたいなパッケージを開けると、そこには蒙古の草原やらタクラマカン砂漠の砂礫が広がっていたのでありました。

 最近の中国大陸の女性ボーカルものが結構充実しているような情報が入っては来ていたんでした。が。

 あの中華フォークみたいな小奇麗な世界は、アジアのポップスを聴き始めの頃にはなにしろ癖がなくて聴き易いんで愛好したものだけど、それなりにリスナーとしてキャリアを積んで来ると逆に引っ掛かりがなくて物足りなくなって来ましてね。
 同じ中国系の人々のポップスでも、例えば東南アジアの中華街発のローカルものなどのほうがよりスリリングに感じられたし。

 そんな訳で、その種のものは”外角低めに見送る”という対処をしてきた私でありました。
 でも、このようにチベット高原を流れる大河の名などタイトルに冠され、民族衣装に身を包んだジャケなど見せられると、やはり気にはなってくる。

 中国の民謡系ポップス歌手が、”西域もの”というのか、チベット、モンゴル、あるいは新疆ウイグル自治区あたりの”周縁文化”に焦点を当てて製作したアルバムだそうです。2006年度作品。
 まあ、昔NHKでやっていた番組、”シルクロード”なども好んでみていた私でありますし、司馬遼太郎の中国辺境ものの著作も愛読してきました。こんなテーマを提示されては聞かずにはおれないわけで。

 冒頭、生ギターのコード弾きに導かれ、落ち着いたアルトの歌声が響きます。続いてストリングス・オーケストラが壮大な西域の空気を運んできます。チベットの僧院の上空に瞬く微かな星のざわめきや、タクラマカン砂漠の、はるか昔に滅び去った都に吹き抜ける風の音とか。

 若手の実力派、みたいな彼女を聴くのは無論初めてなんだけど、澄んだ落ち着いた歌声が西域の青く澄んだ青空高くに舞い上がって行く、そのイメージが非常に快く響きます。湿度0パーセントといいましょうか。
 民俗音楽色はほのかに香る程度。やはり中華系フォークの爽やかなメロディによる西域旅行記、といった内容なんだけど、まあ、もともとディープな内容は期待してないんで(笑)

 とか言ってますがね、内封されたブックレットの、雪を頂いた天山山脈の雄大な姿を見ながら甘雅丹の歌声に身を任せていたら、彼女の歌声が織り成す時間と空間を越えたイメージの旅がもの凄く気持ちが良かったのも確かなのでした。
 太古、楼蘭の都に住んだ娘についての幻想や、天山山脈を駆け下りる春の雪溶け水の鮮烈な迸りや、遥かな高原を埋める花々の物語・・・

 たまにはこんなものも良いです。春先、ひとときの幻想に酔いつつのうたた寝のお供には。

世俗賛美歌とバッハのコラール

2008-03-08 02:21:38 | ヨーロッパ


 ”Kyriekoral”by Sinikka Langeland & Kåre Nordstoga
 
 先に、ノルウエイの高名な(多分)詩人の作品に自らメロディをつけ、ジャズマンをバックに歌ったアルバムについてここで取り上げました、ノルウエイのベテラン・フォーク歌手、Sinikka Langelandが、こんなアルバムを出していました。教会オルガン奏者のKåre Nordstogaと組んでの教会音楽集です。副題に、”ノルウエイの伝統的賛美歌とバッハのコラール”と。

 こういうのって、キリスト教社会ではクリスマスの季節商品として結構流通しているようで、イギリスのトラッド・バンドのスティールアイ・スパンが、過去に出した賛美歌もののシングルがクリスマスごとに売れてくれるので、営業上ずいぶん助かっている、なんて話を聞いたことがあります。

 共演と言っても、オルガンの演奏がありSinikkaの無伴奏ボーカルがあり、といったほぼ交互の演奏がほとんどで、オルガン演奏をバックにSinikkaが歌う、という瞬間は、全部あわせても数小節しかありません。不思議な構成だなあと思いつつ”コラール”なる賛美歌の形式について調べてみると、”賛美歌が歌われる前にコラール前奏曲が演奏される”なる解説に出会いまして、ああ、その形式にのっとっているのかと。

 なんてことはとっくに分かっているべきことなんですかね?お許し願いたい。全世界の大衆音楽のファンをやってると、個々の音楽にいちいち詳しくなってる余裕はないもので。って、居直ることはないんですが。

 無知ついでに言ってしまいますが、教会オルガンって、こんな風な音の録り方をするのが通常なんだろうか?オーディオの知識もまるでないんで、録音技術面に関する突っ込んだ話が出来ないのがもどかしいのですが。

 ともかくここでの教会オルガンは、いかにも手に馴染んだ木工製品、みたいな暖かい音がしてます。教会オルガンって、もっと鋭い音のイメージだったんですが、金属的ではなく、長年使い込んであちこち丸く磨り減った古い家具が音楽を奏でているイメージ。
 この音なら確かに人の魂を暖かく包んで厳しい冬を超えることも可能であろう、なんて思えたりします。

 Sinikkaの歌声は、クラシックの訓練を受けた者のそれではありません。そのように歌おうとはハナからしてはいない。いつも通りの、”ノルウエイの大衆伝承音楽に強い影響を受けた独特の感性を持つシンガー・ソングライター”としての癖のある歌い方で、古い賛美歌群を独特のテンションを持って歌い上げています。

 この人、おそらくはもともとジョニ・ミッチェルとかに影響を受けつつ、自らの歌手としての個性を築いて行ったのではないか?と私は想像してます。そんな発声法なんですね。ジョニから受けた影響を羅針盤代わりに、ノルウエイの伝統音楽の森に分け入って行った人。
 なおかつ彼女は、人種的にはフィンランド人で、おそらく心の隅に、どのレベルの重みでか分かりませんがノルウエイの地における一種の異邦人意識というか疎外感は抱えていたのではないか?なんて想像しているのですが。

 そんな若き日の彼女が、遠くカナダの地の歌い手、ジョニ・ミッチェル音楽世界をヒントとしつつ、唄によって自らを表現する道を見つけていった。そんな次第だったんじゃないですかねえ。Sinikkaの作る歌にも、あきらかに”ジョニ節”みたいな感触があるもの。

 ”救い”やら”癒し”やら。ともかく人々の諸事情を飲み込みつつ時は移って行く。新しい季節がやってくる。
 この不思議なコンビの奏でる讃美歌は、当方にとっては異文化の産物でしかない筈、にもかかわらず、なぜか不思議なリアリティを持って響いてくるのでありました。

”奄美小唄”と歌謡曲の永遠

2008-03-06 01:33:39 | 奄美の音楽


 今年の正月、街をぶらぶら散歩しておりましたらね。なにしろ観光地の事でありますからそれなりにわが街で新年を迎えた観光客で賑わっておりまして、見慣れた街の風景が、微妙にそのニュアンスを変えていて不思議な気分だったのでした。

 いつも暇そうな、横丁の特に旨くもないラーメン屋は、いつの間にか近くに同業種のない地の利を得て”行列の出来るラーメン屋”となっていたし(いいのかよ、あれで?それは、観光客諸氏が好き好んで店先に並んでいるんだから、こちらの責任じゃないけど)我々地元民には「このクソ寒い中、おもてでコーヒーなんか飲めるもんかよ」と不評だったメインストリートの喫茶店のテラス席は家族連れの観光客で盛況だったり。

 日頃のぱっとしない姿を知っている身としては、なんだか観光客諸氏がペテンにかけられているようで、申し訳ないみたいである。
 でもまあ、街が盛況なのは何も悪いことじゃないしね。などと思いつつ通りを行くと、観光客たちのリゾート気分が地元民のこちらにも伝染して来たのか、別に良い事があったわけでもないのに、まるで幸せみたいな気分になって来たんで可笑しくなってしまった。

 おりから港では観光船の入港を知らせる汽笛が鳴り、ああ、どこからか子供の頃に嗅いだ”お正月の匂い”がするなあ、などとこいつも正体不明の感傷に襲われる。そして、つい鼻歌で出るのは、バタやんこと田端義夫氏の南島歌謡集”島唄2”で聴いて以来、すっかり愛唱歌となってしまった”奄美小唄”であったりするのです。

 この唄は前回取り上げた”奄美新民謡名曲集”にも入ってました。”名瀬の港の夕波月に 誰を慕うて千鳥よ鳴くか”って唄ですな。昭和33年度作品。

 何の事情があってか”内地”に出かけたまま便りもない恋人を待ちあぐむ島の乙女の切ない思いを描いた作品。なんてこと言ってますが、実は「どんな唄だっけ?」と歌詞カードを改めて開いたりしたくらい、まあ、ありがちな歌謡曲です。
 南の島のエキゾチックな風景をバックに、果たされない恋の悩みが銭湯の壁に描かれた富士山の絵みたいな様式化された構図で歌われている。

 歌謡曲って、これでいいんだと思います。日常の閉塞感にちょっぴり風穴を開けてくれる気の効いた情景と、簡単に共鳴可能な恋愛に関わる感傷と。そんなものから得られるひと時の慰藉、それで十分。

 昭和30年代、東京の沖縄料理店で”島育ち”を初めて聴いてピンと来たバタやん、奄美に渡って、これら奄美の”新民謡という名のご当地歌謡曲群”に出会った際には宝の山に出会った心地だったんじゃなかろうか。その当時を田端義夫本人が語ったものに接してみたいという当方の願望はいまだ満たされていないんだけど。

 なんか、当時は船で14時間もかけて奄美に渡ったんだそうですね。”島育ち”のヒットを受けて、初めて奄美で”田端義夫ショー”を行なうために奄美に赴いたバタやん一行は。そのステージでバタやんは歓迎してくれた奄美の人々に「曲のヒットを記念して奄美に碑を建てたい」といったら、”碑(ヒ)”なる音は奄美では猥褻方向で大変な意味になってしまうとかで集まった観客大笑い、なんて一幕もあったそうだけど。

 そんな事はどうでもいいのであって。

 ”奄美小唄”の歌詞に”定期船なら鹿児島通い なぜに届かぬ内地の便り”って部分がありまして、これ、バタやんの同じく南島歌謡シリーズのヒット曲、”十九の春”の歌詞、”一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市に住みながら 遭えぬわが身の切なさよ”なんて部分に共鳴する感もあり、ちょっと面白く思う。
 どちらも郵便制度を肴に、寄る辺ない身の孤独に、近代というシステムの中に潜む疎外感に言及している訳ですな。

 などとヤボを言っている間にも、名瀬の港は夕波小波、乙女の嘆きのうちに今日も暮れて行くのでありました。

奄美新民謡名曲集・序説

2008-03-04 04:24:22 | 奄美の音楽


 と言うわけで。相変らずの抜けない風邪から来る鼻水ジュルジュル状態で「南の島はえ~の~。明るい日差しの下で暮らしたいよな~」などとウワゴトを呟きつつ、”奄美新民謡名曲集”なるCDを聞いておる次第です。”唄の郷土史”と副題が打たれております。

 この”新民謡”なるもの、民謡と名乗る割には奄美の民謡、島唄とは関係のない音楽でありまして、大正末期から昭和初期にかけて全日本的規模で詩人や作曲家たちによって起こされた文化運動である”新民謡運動”の産物という次第で。
 新民謡運動とは、各地のローカル文化を生かした新しい日本の郷土歌を作ろう、なんて運動だったようです。そこから生まれた作品の一つが大正10年の作品、”船頭小唄”だった。この辺から中山晋平・野口雨情の作詞作曲コンビが生まれ、数々のヒット曲を世に送る事となるわけですが。

 この運動、”本土”たる日本の全国的ブームが去った後も、奄美では独自の形で続いていたようです。そうなった理由の本当のところやら、続いたというがその規模は?なんてあたりに興味は尽きませんが。
 例えば太平洋戦争後の一時期、奄美諸島がアメリカ軍政府の支配下に入り、日本から隔絶された奄美の人々が、その想いの行き所を新民謡の創作に求めた、なんて解説にも出会っております。さらにその後、昭和37年にご存知バタやんの「島育ち」のヒットによる島唄ブーム(?)に刺激され、またまた奄美の新民謡が活性化した、など。
 そのあたりの歴史がこのCDには製作年代順に収められているというわけで。

 しょっぱなに収められている”永良部百合の花”が昭和6年作で最も古い作品。これは私も子供の頃に聴いた記憶がある歌で、当時、バタやんの喚起した島唄ブームにのって掘り起こされ、”内地”の歌手によって歌われていたのだろう。
 例の沖縄音階が使われているので沖縄の民謡かと思っていたのだが、元は奄美諸島の徳之島の俗謡との事。なるほど、沖縄音階は徳之島を北限とする、なんて説を思い出させます。

 以下、昭和初期の頃の奄美の生活のありよう。当時の政策による徳之島の繁栄。戦後の、本土から切り離された生活の厳しさや故国への望郷の思い、その後やって来た復興の活気などなどが、独特の味わいを持つ”奄美ローカルの歌謡曲”としての”新民謡”によって歌いつずられて行く。

 ざっと聴いてみると、戦前の録音は古めかしいのは当然と言うか仕方がないとして、今でも”有効”な唄もあれば、思い出の中に眠らせておくしかない唄もある。その辺はちょっと考えてみたくなりますな。
 大体、”奄美の今をこの唄に込めて”みたいな高い理想を仮託されて作り上げられた、リアルタイムでは”立派な歌”だったのだろう歌の多くは、古びてしまっているといって良いんではないでしょうか。

 逆に、たわいない、と言うと語弊があるかもしれないが、しがない歌謡曲、というともっと語弊があるか、いや要するに”単なる唄”(だから・・・良い意味でね)ほど、今日でも通用するような魅力を秘めていたりする。このあたりに秘められた”大衆音楽の真実”って奴を思うと、なかなかに血が騒ぐ想いがいたします。
 田端義夫の取り上げた「島育ち」なんて唄も、そんな”なんでもないがゆえに素敵な唄”なんだけど、これ、昭和14年の作品なんだな。バタやんに取り上げられて全国的なヒット曲になるまで、23年の歳月が過ぎていた、というのも味わい深いエピソードと思います。

 なんてダラダラ書いていてもまとまらないしきりがないな。まあ今回は新民謡の歴史をまとめたアルバムをざっと見渡して、ほんのイントロ代わりと言うことで。またいずれ、突っ込んだ話は。
 しかし、太平洋戦争と米軍による占領期を挟んで奄美の人々が生きて来た生々しい現代史を聴き下る(変な表現だが)のは、やはり万感の思いがあります。いや、そのような感想を洩らす予定ではなかったのだけれど。

マダガスカル・太陽の賜物

2008-03-03 00:46:14 | アフリカ


 "Sofera" by Rajery

 あ~調子悪い。
 いやね、このところ、すっかりしつこい風邪にやられてまして。何をする気にもなれない。
 記事の更新もままならず申し訳ないです。

 それにしても妙な風邪で。他の方々も同じですかねえ。それほど熱は出ないものの、いつまでも喉の痛みが引かず、ずっと頭が重苦しく、妙な寒気が体の中心にわだかまっている。
 こんな調子の日は部屋でおとなしくしていたいんだが、そんなときに限ってしょうもない用事が出来てしまって、鼻汁ジュルジュル喉ゲホゲホ状態で問題解決に出かけねばならなくなったりする。そんなもんですねえ。あ~調子悪い。

 そんなときはアフリカ音楽、それも”熱帯が盛り上がる!”みたいな奴じゃなく、爽やかなマダガスカル方面が良いですなあ。明るい太陽の下、押し寄せ、そして引いて行くしなやかなリズムの潮流に身を任せて来たるべき春の日を夢見る。

 さて、さっき検索をかけたら”ヴァリハのプリンス”なんてチャッチ・フレーズも目に付いたマダガスカルのRajeryの昨年作です。やあしまったな、昨年聞いていたら我が年間ベスト10に確実に入れていたのになあと歯噛みする思い。良い作品です。私好みのアルバムです。

 冒頭、ホッコリしたアフリカ人独特の分厚いコーラスが聴こえ、続いて軽快なリズムに導かれ、ヴァリハの軽やかなアルペジオが素朴な和音を奏でる。マダガスカル独特の、竹筒の周囲に弦を張り渡したハープというか琴というか、の楽器であるヴァリハの、まさに風みたいなタッチで鳴り渡る軽やかな感触が快い。
 そして始まるRajeryのボーカル。これもひたすら爽やかで良いです、うっとうしい冬の日にすっかり飽いた身には。

 曲調はカリプソ、それもまんまハリー・ベラフォンテが「おい、それは俺が歌う曲だろ?」と怒鳴り込んできそうなメロディで、ああすいません、でもいいじゃないですか、ついでだから一緒に歌っちゃいましょうよ、と言われたらベラフォンテも苦笑しつつコーラスに加わるかもしれない。

 ともかくそんな人懐こいRajeryの人間性がよく投影された音楽で、ちょっと立ち寄って一杯飲んで行こうかなんて思わせる、音楽の基本の部分に溢れる気安さが嬉しい。

 走り抜けるリズム、カラカラと鳴り渡るヴァリハ、憂鬱を撥ね退ける陽気な鼻歌。空で微笑むお日さまの賜物。ほかにいったい何が必要なんだい?とRajeryは笑いかけてくる。

 上記、検索をかけている途中で、”ヴァリハのジャンゴ・ラインハルト”なんて表現にも出会って、まるで共通するところのない演奏と思えたんで首をかしげたんだけれど、なんとRajeryは子供の頃の怪我が原因で右手の指を失っているんだね。それでジャンゴの名なんかが引き合いに出されたのか。

 ヴァリハというのは先に述べたとおり、竹筒の周りに張り巡らせた弦を両手で掴むようにして掻き鳴らす楽器で、あれを片手だけでどうやって演奏しているのか、まるで見当がつかない。う~む・・・
 とはいえ、そんな事実を持ち出して”だから偉い!”なんて方向に話を持っていってしまうと、昨今の我が国のテレビ事情と同じ愚劣なお涙頂戴感動押し付け話に堕ちてしまうので、ここは”参考までに”程度で収めておきたい。

 さて、もう一度、不思議の島、マダガスカルに溢れる陽の光と潮の香りを堪能するとしよう。