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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

何を企む?携帯音楽キャンペーン

2008-04-05 05:33:41 | 時事


 昨日の、”携帯音楽キャンペーンを疑う”話の続きです。ブログ仲間の”ころん”さんから下のようなご意見をいただきました。注目すべきご指摘だと思います。
 私も、あのキャンペーンの裏側について具体的な何を掴んでいる訳でもありません。だた、どうしようもない不気味さ、これはどうしても感じざるを得ません。

 もっともらしいメンツのミュージシャンを動員し、いかにも音楽の将来を誠実に思いやる、みたいな顔して用意したコメントを読み上げさせ、しかし、画面にキャンペーンの主催者の名は明示されない。
 携帯と著作権に関するキャンペーンのその趣旨、もっともらしいが、その裏になにごとかありそうだなと疑わせるに十分な、うさんくささがあります。

 「要するに何を言いたいのか?」に関しては、意図してぼやかした表現となっている。そうじゃないか?そもそも本当に携帯の音楽だけですむことなのかい、キャンペーンの行く末は?
 一番肝心なことについては、実は明かされていないのではないか、そんな疑いがわだかまって晴れることがない。

 この件に関して検索をかけてみてください。キャンペーンに関する賛同、というかゴマスリというか、それともいっそ大政翼賛会的記事が、どれほどネット内にアップされているかお分かりになるでしょう。
 何か、もうすでに我々は包囲されている、なんて気分になってきます。

 もう一度、このキャンペーンの後ろで名を隠している組織の名を挙げてみます。まず直接キャンペーンを主催しているのは、”社団法人・日本レコード協会”です。そして、それを後援しているのが”NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイル、レーベルモバイル、ドワンゴ、エムティーアイ、および関係省庁”です。

 この件について何かご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

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 ☆ころんさんからいただいたご意見

 私も変なコマーシャルだな~と思ってました。密かに著作権の非親告罪化を図るという動きがまたまた出てきていますし、それと連動したコマーシャルなのかという気がしています。
著作権が非親告罪化されたら、警察による文化監視社会になってしまいますからね~。我々がやっているようなブログなんかは摘発対象となって、一発で逮捕されてしまいますよね。ミュージシャン自身も、誰かと似たフレーズを作っただけで逮捕されるということにもなりかねません。音楽を含む全ての文化が衰退してしまう可能性のある、トンデモない動きだと思います。まあコマーシャルに出ているミュージシャン達が、そんなことを考えたことがあるのかどうかは知りませんが…。
こういう部分から著作権侵害は絶対ダメ!というイメージを人々に植え付けて、なし崩し的に著作権の非親告罪化に持っていこうというプロジェクトのように感じてしまいますが、考え過ぎでしょうか?

 ~~~~~

うさんくさい携帯音楽キャンペーン

2008-04-04 04:30:42 | 時事


 なんかこの頃、「気持ち悪いなあ」と感じて仕方ないのが、伊藤由奈、DJ OZMA、東方神起、BONNIE PINK、mihimaruGTの5組の”アーティスト”が登場し、真面目くさった口調で”携帯音楽を守りたい”とか言う、あれは意見広告とでも言うのかな、テレビのコマーシャル。ときどき放映されるのが目に付くようになりましたな。

 あれの正体が一見ではよく分からなくて、でも、5組とも日頃あんまり見せた事のない表情をして、どこかただ事ではないみたいな雰囲気を漂わせているのが妙に気になる。
 「違法な音楽ファイルの利用はやめましょう」なんて呼びかけもあり、放映されるたび、どのような組織が流しているのだろうと画面に目を凝らすけど、テレビの画面に、その意見広告が誰の名において流されているのか、明記されていないのがまた、怪しい雰囲気だ。
 呼びかけはするが、「誰の名において」に関しては明示されない。こんなの、うさんくさいとか言いようがないでしょ。

 検索かけてみると、どうやらあのCMの仕掛け人は”社団法人・日本レコード協会”ということらしい。”携帯電話向けの音楽配信の現場で、違法な配信が急増しているゆえ、携帯のメインユーザーである若年層に音楽著作権啓発をするために行なっているキャンペーン”というんですがね。
 これに協力しているのが、”NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイル、レーベルモバイル、ドワンゴ、エムティーアイ、および関係省庁”だそうで。大プロジェクトじゃないか。なのになぜ、名を名乗らないんだろうな?

 「日経パソコン」(http://pc.nikkeibp.co.jp/pc/npcs/aw/index.html)から、ちょっと引用しますが、

 ~~~~~

 携帯電話向けの音楽配信サイトは「着うた」「着うたフル」として広く普及しているが、権利者に無断で楽曲データを無料配信する違法サイトも急増しており問題となっている。
 「特に10代のユーザーの売上が目に見えて減少しており、『着うたは無料』という認識さえ広がりつつある状態」(ソニー・ミュージックエンタテインメント 取締役の秦幸雄氏)という。

 ~~~~~

 のだそうで、”配信サイトが適法か違法かを判別できる仕組みを整備することで、違法サイトの排除を図る””認証マークの導入により、こうした状況の打開を図る”なんて事を考えているのだそうな。
 別に名を隠して行なわねばならない事業でもないだろうに。なんでその事業の意見広告が署名入りじゃないのかな?やっぱり怪しくないか?

 このような業界の動きを見ていてなにやら嫌な予感がしてしまうのは、音楽業界には最悪の前例があるからだろう。
 あの、”音楽の違法コピーを根絶するために”なんてお題目を掲げて消費者を盗人扱いした最悪の物件、”コピーコントロールCD”である。

 あんなものを平気で世に出せる感覚の持ち主である音楽業界、今度もまた、ろくでもない思い付きがあるんじゃないだろうな?とつい疑ってしまうのは、当たり前の話である。
 そもそも、なんか後ろ暗いこと、あんまり人に知られたくないことがあるから、意見広告に自分の名を出せないんじゃないの?具体的に何をやる気か知らないけどさ。あるいはこの件にかこつけて、なにやら別の策謀があるとかね。

 それに著作権と言えば、どうにも利権ヤクザとしか言いようのない活動が目立つ、お馴染みの某組織の存在もチラチラ見えてくるわけでね。

 ”5組のアーティスト”たちに、「これは音楽業界にとって非常に大切なキャンペーンだからね。おふざけは無しだよ」とか言ってこわばった顔させて撮影している現場など想像するにつけても・・・音楽ファンの皆さん、また不愉快な時代がやって来るかも知れません。とりあえずいつでも対抗手段を取れるよう、心構えだけは持っておきましょう。と、とりあえず呼びかけておきます。

ローマに至るすべての道で

2008-04-03 02:47:52 | 北アメリカ


”Cara Mia”by Jay & Americans

 さて。昨日の続き、またまたアメリカ合衆国におけるイタリア移民ポップスの話でありますが。

 非常にぶきっちょに純粋であったがゆえに現実と正面からぶち当たって砕け散ってしまったみたいな印象のラスカルズもいれば、同時期になんだかとても能天気にイタリア的であったかに思えるグループもいた、というお話でありまして。いや、かれらにだって人生上の波風、戦いは、そりゃあったに違いはないんでしょうが。
 同じようにニューヨークのイタリア系移民たちの間から出て来たグループ、”ジェイとアメリカンズ”であります。

 私はこのグループを、60年代末に日本でもそこそこヒットした”This Magic Moment”という、ドリフターズ(アメリカの、だよ。黒人のコーラスグループの、だよ)のヒット曲のカヴァーで知ったのですが、彼らの歴史はさらに古く、1962年に”She Cried”という売り上げ全米5位にまで上昇したヒット曲で世に出ている。ビートルズ旋風の到来以前から活躍していたグループ、ということになる。

 この”She Cried”が、カンツォーネ風メロディのポップスを黒人コーラスグループを真似たスタイルで聞かせる、という代物でありました。
 こちらはグループのイタリア性は捜すまでもない、むしろ、それを売り物にしていた感がある。私が持っていたアルバムなど見ましても、ミュージカル”南太平洋”で歌われた”魅惑の宵(Some Enchanted Evening)”やら、ムードミュージックのマントヴァーニをカヴァーした、モロにイタリア出自の曲、”カラミア(Cara Mia)”などという、普通、ロックのグループはそんな歌は歌わないぜ、といったラインナップが並んでいる次第で。

 しかもそれらの曲はことごとく、リード・ヴォーカルのジェイ・ブラックの張り上げる、厚かましいほどの明るい歌声で満たされているのでありまして、まこと、合衆国内のイタリア人たちにとっては、絵に描いたような”下町の我らがテナー”だったのではないかと想像されるのであります。
 同じ時代、ラスカルズが苦悩しつつ這い登っていった”ポピュラー音楽道”を、ジェイとアメリカンズは、なにしろ他人のヒット曲のカヴァーも多いし、非常に陽気に能天気に駆け抜けていったみたいに見える。ちなみに、”魅惑の宵”は全米13位、”カラミア”は全米4位の売り上げでした。

 彼らなんか見ていると、アメリカ芸能界イタリア系の大先輩であるフランク・シナトラとかディーン・マーチンみたいな、いかにもショービジネスっぽいポピュラー歌手の流れに連なる系列かと思える。合衆国内のイタリア人社会の血縁な中から立ち上がって来た履歴が透けて見えるようで。
 いや、それを思うと一方的に能天気な連中なんて言っていられないのかも知れないなあ。彼らの歩いた道に淀んでいたであろう、イタリア系の闇社会(分かるね?)に通ずる昔ながらのショービジネスの滓は、掻き分けて泳ぐに易いばかりでもなかったとの想像もまた可能なのであって。

 そんなジェイとアメリカンズの音楽の、どこまでも能天気であって、かつどこかに昔ながらの芸能界チックな胡散臭さを漂わせたヤクザなノリはいかにも大衆音楽の王道を行く感がありまして。
 憎めないなあと言いますか、かなわんなあ、と言いますか、ともかくえげつない存在感を持ちましてアメリカ大衆音楽史にベッタリとローマへと至る弧を描いているのでありました。

ラスカルズの”イタリア”を求めて

2008-04-02 03:13:42 | 北アメリカ


 ”Groovin'”by The Young Rascals

 毎度、昔話で恐縮でありますが。どうも検証しておきたい過去というのがあれこれあり、そいつを何とか解決しないと先へ進めないというか、まあそっちの方が面白いからついそちらに傾いてしまう次第で。どうかお付き合いいただきたく平にお願いする次第であります。

 自分への宿題と言うか、なんとか文章にしてみたいと思いつつ形にならないこと、と言うのがあって、たとえば「ラスカルズのイタリア性って何だ?」なんて問題である。
 ラスカルズは主に1960年代に活躍したアメリカの、いわゆるブルーアイド・ソウル、白人なのにも関わらず非常に濃厚な黒人的フィーリングを持った音楽を作り出していたバンドだった。

 これは誰の言葉だったかなあ、「60年代は誰もがラスカルズか、あるいはラヴィン・スプーンフルになりたいと考えていた」なんて60年代のアメリカにおけるロックミュージシャン志向の若者たちの心証が証言されているのだが、あちらではそれほどの人気を誇っていたようだ。

 私も彼らのレコードに始めて接した際、それは”グッドラヴィン”や”ムスタング・サリー”といった黒人R&B歌手のヒット曲をカヴァーしたものだったのだが、そのキリッと引き締まってスイングする硬質なカッコ良さに魅了されてしまったものだ。
 そんなラスカルズのオリジナル曲、「グルーヴィン」が、彼らがアマチュア時代に憧れていたR&B歌手たちに逆にカヴァーされたのは、黒人音楽にひたすら憧れ続けた彼らの素晴らしい勲章だったろう。

 が、その後彼らは黒人音楽に入れ込むあまりに”黒人ミュージシャンが出演しないコンサートには出ない”などの宣言を行い、まだまだ保守的だったアメリカ社会をますます狭く生きることになってしまう。ことにもともと保守的な南部ではバッシングといっていい状態となり、ついには営業もままならなくなって、自らの良心から来るこだわりの袋小路に入り込んだまま、解散に追い込まれてしまうのだが。

 でも、私が気になっているのは、このような、ファンの皆が注目しているであろう彼らと黒人音楽のかかわりではない。ニューヨークのイタリア系移民社会から飛び出してきたこのバンド、ラスカルズの音楽の内側には、どのような形で祖国イタリアの血が流れていたのだろう?って疑問である。

 まあ、表面的には何もないです。ラスカルズの残したレコード群を聴く限り、イタリアっぽさなんてものはどこにも覗えない。
 そこには、黒人音楽に憧れ続けた白人の若者たちが、はじめは憧れの歌手たちのコピーから始まり、やがては自らの表現としての音楽がそのまま”黒人と見分けの付かない音楽”であるような境地を掴み、ついには黒人ミュージシャンのほうがラスカルズの曲のカバーを行なうに至る、そんな青春物語(?)が展開されているばかり。

 だけど、ラスカルズの音楽を少し視線を引いて俯瞰で見ると、その溢れんばかりの向日性のエネルギーに溢れた歌心、みたいなものは確かに、あのイタリア人独特のものと考えていいんじゃないかって思えてならない。
 うん、まあでも、それは私がそう感じているってだけの話でね。その件に関して、譜面に書いて示せるような根拠は何もないのであって。この辺が苦しいところなんだけどねえ。
 

ジンギスカン撃滅

2008-03-31 22:08:29 | ヨーロッパ

 ”GENGHIS KHAN ”by DSCHINGHIS KHAN

 モーニング娘の妹分、みたいな存在のベリーズ工房ってグループがいるんだけど、そのコたちの新曲が、昔、あれは20年以上前だっけ、ディスコ・ブームのおりに流行った”ジンギスカン”だ。
 ”ジン、ジン、ジンギスカ~ン♪”とかいうロシア民謡まがいのメロディを、土木工事みたいなリズムと下品なユーモアで処理した曲である。

 あの曲、リアルタイムで聞いたときもずいぶんくだらない唄だなあと辟易したんだが、今、改めてベリーズ工房の唄で聴いてみるとやっぱり愚劣な曲というほかはなく、なぜあんなものをわざわざリメイクしたのか、その理由が分からない。
 あんな曲が意外にいまどきの連中には受けるのかな、と思っていたら、売る側が期待したほどは売れていないようだと言う情報が入って来た。なにをやりたかったのかね、あそこの事務所は。

 しかしあの曲、なんでロシア風メロディで”ジンギスカン”なのかが分からない。西欧人の感覚ではモンゴルはロシアの一部なんだろうか?なんて正面から不思議がるのもアホらしいんだが、ちょっと調べてみると、原曲を歌っているのはドイツ出身のグループで、グループの名称そのものがジンギスカン。ますます意味分からず。もう、考えるのも嫌になって来るが。

 さらに、このジンギスカンなるグループの他のレパートリーのタイトルがムチャクチャである事実も気になってきた。
 「さらばマダガスカル」「サムライ」「イスラエル」「栄光のローマ」「めざせモスクワ」「インカ帝国」「哀愁のピストレーロ」「闘牛士の死にオーレ!」などなど。なんじゃこれは。これらはいったい、どのような曲であるのか。どれも全然知らないんだが、聴いてみたいような聴きたくないような。

 まあ、「サムライ」は中華風の曲という解説文も見つかったので、他の曲もそのレベルの底の浅い”ワールドもの”ぶりであって、さほど深刻に受け取るほどのものではなかろうと想像はつくのだが。

 でも、この辺で我が好奇心はほんのちょっとムズムズしてくるのだ。ともかくほのかにワールドミュージックの匂いがしてきたのだから。
 しかも、裏町歌謡愛好家としては認知せざるを得ない、猥雑な庶民のエネルギーとか、その種の匂いである。そのインチキ臭さ、アナーキィなデタラメさ加減の向こうから漂ってくる、救いようのない聖凡人たちの実もフタもない日々の祈りのエコーである。

 なおかつ、ジンギスカンのメンバーもドイツ人ばかりではなく、ハンガリー人やオランダ人、さらには南アフリカ人までも在籍しているというカラフルな民族構成であったようだ。なんだったんだ、こいつらは?
 この辺り全部含めてこのジンギスカンなるグループ、あれこれ受け狙いの乱痴気騒ぎを重ねた結果の偶然として、当時の東西冷戦構造やら植民地対宗主国の構図やら、いろいろ絡まりあった非常にややこしい伏魔殿としてのヨーロッパの戯画になっていたと取ってよいのではないか。

 などと思いつき、あれこれ検索をかけるものの、ダンス・ミュージックのグループ、”ジンギスカン”に関しては、その方面の分析や、あるいはそのための資料には出会えず、ただ「アルバム全曲外れなし!ぜ~んぶゴキゲンなダンスサウンド!」なんて浮ついた惹き句に出会うのみ。
 うん、まあ、私のようなウワゴト言いつつディスコ音楽の周辺を嗅ぎまわる、なんてのはヤボもいいところなんだろうなあ。

 そもそもどのようなものが音楽としての存在意義を持つか、なんてつまらない事を言う気もないが、”ジンギスカン”のやっていたあの騒がしいだけの曲は、聴いているだけでも、ただひたすら苦痛だ、というんでは、やはり勘弁してもらうより仕方がないだろう。
 でもねえ、なんか心の底で気になるものがないでもないのよなあ。なんかあるのかも知れないよねえ、あのバカ騒ぎの底には。

木々の日々

2008-03-30 00:35:57 | ヨーロッパ


 ”Sway With Me”by Judy Dunlop & Ashley Hutchings

 大島弓子が「綿の国星」で「なんと凄い季節なのでしょう」と描いたのは今頃の季節を表現したんでしたっけ?もう少し後の時期?あ、私、マンガは好きですが猫は嫌いなんでヨロシク。

 この日曜日が東京あたりでは桜の見ごろとかで、テレビの天気予報のコーナーではお花見情報とか盛んに取り上げているけれど、私にしてみればなんかピント外れの感じだ。だってねえ・・・
 最近は話題にもされるようになってきたが、このあたりの名物である冬咲きの桜が私の街にもあって、それらはとっくの昔に満開を迎え、そしてとうに散ってしまい、今ではすっかり葉桜になってしまっているからだ。いまさら桜の話題をされてもなあ。みんな、遅れてるっつーんだよ。なんていうのはこちらの言いがかりだろうが。でも実感。

 そういえば私の街にやって来た観光客たちが満開の桜の下に立ち、「あれ、もう桜が咲いている!?」「この辺だけ一時的に凄く暖かい日とか、あったのかなあ?」なんて驚きの声を挙げつつケイタイで盛んに写真を撮って行ったのは、もう一ヶ月も前の話か。
 いわゆる普通の桜も私の町にはあるのであって、それらは順当に(?)今が満開の時を迎えているのだが、街の人々はもう見飽きているんで一瞥も与えず、なんだか可哀相な気もする。

 桜を見たかったら私の町に2月においでよ。山の手の別荘地帯なんかでは道路に被るように植えられた早咲きの木々が壮麗な桜のアーチを作ってるよ。

 と言うわけで、「木々に関する音楽」など取り上げておこうと思ったら、こんな古いアルバムを引っ張り出すことになってしまった。もう十数年前、英国トラッド・フォーク界の大物、アスレイ・ハッチングスが新進(当時は)女性シンガー・ソングライターのジュディ・ダンロップを主役に迎えて作ったアルバム、”Sway with Me”である。

 ピアノの弾き語りもあれば、古い民謡の演奏もあり。英国フォーク界の腕利きが集合して奏でた木々と、それとともに過ごした人間の日々への賛歌。明るい日差しと、春に芽吹く木々の息遣いが爽やかに迸る、みたいな作品だ。
 ともかく収められた楽曲のすべてが木々をテーマにしている。
 柳の木の根元に破れた恋を思って泣き伏す乙女もいれば、犯した罪ゆえに木下に吊るされた罪人もおり、最後には木々からの恵み、果物を使ったパイを食す実況音(?)で幕を閉じる。

 アシュレイ・ハッチングスの、トラッド・フォークとフォークロックが巧みに交差する音つくりと、突然主役に抜擢されたジュディ・ダンロップの新鮮な歌声が心地良い。二人が、この作品発表の後に夫婦となってしまったのは余計な出来事だったが(!?)

 木々は、私たちに語りかける。
 「あなたがたが我々のもとを去り、地上に降り立って暮らしを始めてから、どれだけの歳月が流れたことだろう。我々はこの丘に立ち、あなたがたの”文明”が空高くそびえるのを見た。あなたがたの”帝国”が大きく版図を広げ、そして崩れ去るのを見た。あなたがたは、はたして幸せになれたのだろうか?」

 失われたものは、もう戻ってくることはないんだけれど、さて一休み。丘に登って木々の元に行き、ひととき風に吹かれてみようか。春だねえ。
 

トルコ歌謡夜の最前線70’

2008-03-28 03:23:46 | イスラム世界


 ”Aşkların En Güzeli”by Deniz Seki

 と言うわけで前回に続き”中東の懐メロ・シリーズ”であります。
 これはトルコのセクシー系歌手、”Deniz Seki”が1970年代のトルコ歌謡の名曲群を再生させたアルバムだそうで。

 冒頭から、歌手の歌いっぷりもバックのサウンドも、なんだか倍賞千恵子の”さよならはダンスの後で”あたりを連想させる、いかにも歌謡曲な世界が展開されます。
 エレキギターのリズム・カッティングが印象的なリズムセクションと、アラビックな旋律を奏でる民俗弦楽器に重なる切ないストリングスの響き。いやあ、”歌謡曲”だなあ。

 曲調は多彩で、ギリシャっぽいメランコリーが展開されるかと思えば、フラメンコ・ギターが駆け抜ける情熱の迸るナンバーもあり。そしてどの曲も、非常に生々しいメロディ・ラインを持っている。
 今日のこの方面のポップスで聴かれるような、”アラビックなメロディが妖しげに”という感じよりは、”切ない短調のメロディ”が支配的な世界。要するに”正しい民俗ポップス”というよりは”下世話な大衆娯楽としての歌謡曲”なんですな。

 イスラム世界における”ベタな歌謡曲”のありよう、なんてものを考えてみたくなったりします。あるいは、国境を越えて偏在する”下世話な民衆音楽”なんてイメージ。
 唄のバックでリズムを叩き出しているのは、ワールドミュージック的な意味でかっこ良い民俗打楽器じゃなくてボンゴだったりする。で、「ああ、この国でも昔、ラテンが流行った時期があるんだなあ」なんて分かってしまったりする仕組みで。

 どこの国においてもこの種のベタな歌謡曲世界は、その国の大衆音楽シーンが成熟へ向うとともに失われていってしまうのだけれど、これは仕方のないものなんですかね?なんだか惜しい気もするんだが。

テヘランのマンボな夜

2008-03-25 00:51:09 | イスラム世界


 ”Best of 60's (Music of 1960-1969)”

 1970年代にイランに革命が起こり、それまでの親アメリカ王政からイスラム共和国に生まれ変わる。これはそれ以前、イランにおける1960年代のポピュラー音楽を集めたアルバムである。
 アメリカにおいてペルシャン・ポップスを大量にリリースしているカルテックス・レコード社の編集によるイランポップス年代記シリーズの一枚。解説文の一つもなく、収められた歌手たちの名もよく分からず、といった状態である。

 冒頭いきなり、くぐもったエレキギターのソロが切ないマイナー・キイのメロディを奏で、そのまま”ウナセラディ東京”みたいなラテンのバラードが始まる。なるほど、かって世界を覆っていたラテン・ブームはイランをも巻き込んでいたのだなあと感心させられつつ、そのまま革命以前のイランのポップス世界真っ只中に連れて行かれる寸法だ。
 あとに続く曲たちも、中東ムードの甘美に曲がりくねったリズムとメロディが開陳されはするものの、ラテンをはじめとする西欧ポップスの影響はいちじるしい。

 ”アランフェス協奏曲”みたいなメロディが切々と歌い上げられる、そのバックに鳴り響くのはイランの伝統的打楽器ではなくボンゴの連打であり、そっと和音を重ねるのはホテルのサパークラブ風とでも表現したいエレクトーンの響きであったりする。
 ベースギターはロックっぽいラインを描き、ドラムもピアノも、当時のポピュラー音楽の世界標準を露骨に追ったプレイを聞かせる。欧米の60年代ポップスを聴いて育って来たこちらの血を騒がせるほどの臭気を発する。

 次々に登場する歌手たちも、今日のイスラム圏の歌手たちとは異質の、「実は家では西欧のポップスを聴いています。フランク・シナトラに憧れて歌手になりました」なんて雰囲気を濃厚に漂わせている。そんな歌手たちが、日本人であるこちらが「ああ懐かしいな、子供の頃聴いた歌謡曲みたいだ」と感ぜられる”懐メロ”を切々と歌い上げてしまうのだ。
 うわあ橋幸男だ、あれれ舟木一夫だ。

 ラストを飾る、男女のデュオによる陽気なラテンのダンスナンバーにおいては、「チャチャチャ!ウーッ!」なんて掛け声が響きさえするのであって。
 今日、真面目なイスラム教徒たちが聴いたら、非常に罪深い音楽と聴こえるのかも知れない。それほど、この当時のイランのポップスは西欧世界に大きく窓を開けていた。この、伸びやかで奔放な大衆音楽がそのまま育っていたら、どのような世界が展開されていたのだろう。

 ・・・などと、失われてしまったきらびやかなテヘランの夜を懐かしんだら叱れるのかなあ、真面目なイランの人に。まあ、無責任な外国の野次馬の勝手な空想と大目に見ていただきたく思う所存であります。

Night They Drove Old 奄美 Down

2008-03-23 02:44:58 | 奄美の音楽


 ”武下和平傑作選”

 CDがまわり音が聞こえてくるなり、「あ、これはザ・バンドじゃないか」とふと思ってしまい、その発想のムチャクチャさに我ながら笑ってしまったのだが、いや、実は結構それで当たりじゃないか、とも思っているのさ。

 ずっと前に手に入れていたのだけれど、聴くきっかけが攫めずにいたCDだった。
 なにしろこのCD、”奄美の民謡を芸術の域にまで高めた男”と言われる伝説的歌手、武下和平の若き日の傑作選なのである。今日の奄美の民謡歌手で彼の影響下にないものはいない、とも言われている大歌手である。CDの帯にだって”天才唄者”とド~ンと大きな文字で書かれているのである。

 あんまり早く聴いてしまったらもったいないじゃないか。それに、もし聴いて「これのどこが良いの?」なんて反応しか出来なかったらそいつもヤバいしねえ。

 とかなんとか、封も切っていないCDを目の前に逡巡を続けていた私だが、いつまでもそんな事をしていても仕方がない、意を決して聴いてみた感想が「ザ・バンドみたいだな」である。
 ザ・バンドといえば、70年代アメリカンロックの最高峰と評判の高いあのロックバンドであって、三線一丁による奄美民謡の弾き語りである武下和平の音楽と、表面上の共通点は何もない。

 が、例えばそのカラカラに乾いた冬の木立が北風に吹かれて鳴っているみたいな枯れ切った三線の響きは、ザ・バンドの1stアルバム、”ミュージック・フロム・ビッグピンク”で聴かれるレスリーの回転スピーカーを通した独特のシュワシュワしたギターの響きに似てはいないか。
 彼の奄美民謡独特の裏声混じりの歌声は、ザ・バンドのアルバムで聴き慣れた、あの色で言えば焦げ茶色にくぐもったディープな裏声による男たちの渋いコーラスを、どこか連想させはしないか。

 そもそもその音楽の佇まいの堂々の貫禄ぶりや、郷土の土に根ざした揺るぎのない音楽性、あまりにもディープ過ぎるゆえに、時に不気味な印象さえ与えるテンション高い感情表現などなど、奥の部分での共通点はかなりのものなのである。

 裏声交じりゆえ、一瞬中性的な歌声と思わせておいて、次の瞬間にはブルースシンガーばりのワイルドな唸り声、吠え声で聴く者を叩きのめす、その唄者としての豪腕ぶりには一発でトリコになってしまった。荒れ狂う木枯しみたいな迫力じゃないか。
 三線が打ち出す、寄せては返すリズムの妙は、海に囲まれた奄美ゆえに生まれたものと考えて良いのだろうか?奄美の民謡に、あまり”南の音楽”とか”海の音楽”とかの印象は抱かず、むしろ古代歌謡が生々しい響きを持って今日まで歌い継がれている、その事実に魅せられてきた私なのだが、武下和平の三線のリズムには、確かに大いなる海の潮の響きが感ぜられる。

 こいつは確かに凄いね。なるほど”天才唄者”の名にふさわしい歌い手と言えるだろう。と分かってしまうと、手元にある武下和平の作品は、後は比較的最近作の”立神”だけであるのがもの凄く頼りなくなってくる。
 もっと聞かせろ、武下和平を!と、これから、どれだけあるのか分からない、もしかしたらそのほとんどはもう入手困難になってしまっているのかも知れない、武下の作品を求めてジタバタしなければならなくなったのであるが、いや、こんな”厄介ごと”はもちろん大歓迎なのである。

 しかし、面白い音楽のタネは尽きまじ、だねえ。出会えてよかった奄美やら武下やら。

ケルトの押し付けを排す

2008-03-22 05:59:38 | いわゆる日記


 (ラーメンの丼の模様とケルトの遺跡の文様と似てないか?)

 まずは先日の続き。Yの葬儀にはやっぱり覚悟を決めて(?)行ってきた。行ってみたら、これもYの人柄なんだろうか、えらく参列者の多い葬儀で、とにかく車を停める場所がない。会場の整理係ももはやヤケを起こしていて、「その辺に停めて置いてください」と、寺とは何の関係もない近所の駐車場を指さす有様。

 まあ、しょうがないからね、私もそこに車を停めて、文句が出ないうちにと、大急ぎで彼の家族に挨拶をし、焼香だけして帰って来たのだが。これは感傷的になっている暇がなくて、逆に良かったのかもしれない。
 実は、葬儀会場へ行く途中、車のハンドルを握る腕が妙なこわばり方をしていて、「やだなあ」と感じていたのだ。何を俺はテンパっているのだ、と。けどねえ。

 友人の死を体験するのは、それは、これが初めてではない。けれどYは、ほんの小さな頃からの遊び仲間なのだ。オトナになってからだって、すぐ近所にある奴の店に飲みに行っていたんだ。そいつが今日から、もうこの世にいないのだから。

 そして帰り道。暗くなった国道を車を走らせつつ、自分がなぜYの葬儀に出るのに乗り気になれなかったのか、本当のところがやっと分かった。
 私は、菊の花なんかに飾られた祭壇の上にYの写真なんか見つけたら、自分は泣いてしまうんではないかと恐れていたのだった。
 実際行ってみれば、車を置いた場所が問題だったので気もそぞろのままに焼香を済ませ、祭壇の写真なんか見る余裕もなかったのであるが。

 現実と言うのはいつもこんな具合に索漠たるものである。

 で、本日のお話。これも先日と似たような話になってしまうんだけど。

 さきほど、長嶋一茂が主演らしき、”ポストマン”なる映画の宣伝番組がテレビから流れていた。どうやら映画では大々的にアイルランド風のトラッドというか、いわゆる”ケルトっぽい”音楽が頻繁に流れる仕組みのようだった。
 一茂やら北乃きいやらの演技のバックに、いわゆるケルトっぽいフィドルやティン・ホイッスルの嫋々たる演奏が被る。

 まあ、私もヨーロッパの古い民謡は好きで、いわゆるトラッド・ファンのはしくれだから、聴き始めは良い気持ちで聞いていたのだった。不思議な切なさと懐かしさに溢れた、遠い昔に失われたヨーロッパ先住民の残したメロディ。
 が、しばらくすると、その演奏が鼻についてくるのだ。なんだか、その音楽がそこにあることの不自然さが、非常に居心地の悪いものと感ぜられてくる。

 一茂たちが出ているのは、どう見ても”ケルティック”とは関係のない、日本の日常を舞台の映画なのである。そこに”ケルトな”音楽が割り込まねばならない理由は、基本的にはないのである。それは、そのような立場の音楽をあえて使うファイクの面白さ狙いという手法もあるが、それを成立させるための配慮のタグイは、どう見てもなされていない作品である。

 聴いて行くうち、無理やり木に竹を接いだわざとらしさの先に、「こんな音楽を持ってくる私ってセンスが良いでしょ?音楽ファンだったら分かるよね?」といった観衆への甘えたもたれかかりも感じられはじめ、ますます不愉快となっていった私だった。

 昨年あたりからかなあ、テレビのコマーシャルとかのBGMに、”いわゆるケルティック”なメロディが頻繁に使われるようになった。”サリー・ガーデン”あり”シェナンドー”あり、ともかくくどいくらいに日々、”ケルトなメロディ”を聞く羽目となった。。
 その真っ只中、”ケルティック・ウーマン”なるアイルランドのコーラスグループの唄の、まったく押し付けと言いたくなる過多オンエアに、すっかり食傷してしまい、何の恨みもないそのグループを、あるアンケートの”嫌悪するミュージシャン”の一位に挙げてしまったりしたものだった。

 なにか我が国の”業界”にケルト贔屓の仕掛け人のタグイがいるのだろうか?などと勘ぐりたくなってくるのだが。
 あれらの音楽をCM界に持ち込んだ者、どのような立場か知らないが、もしいるとして。
 ご当人としては「自分は我が国における”ケルティック”な音楽の普及に貢献した」なんて浮かれた自己評価に淫しているんではないかと思う。

 だがそれは、残念ながら見当はずれの認識だ。
 音楽には、その性質に応じた流れるべき場、というものがあるだろう。今風に言えば”読むべき空気”というものが。
 日常的に垂れ流すのに向いた音楽もあれば、プライベートな時間に密室の秘儀として聴くべき音楽と言うものもあるはずだ。
 そして”ケルトな音楽”は、ここ日本においてはまだまだ、秘儀の範疇に収められるべき音楽であろう。

 アイルランドでは、そのような音楽が日常的に奏でられているのかも知れないが、ここ日本と、かの国とは文化も風土も異なるのだ。デリケートな配慮がなされてしかるべきなのは当たり前である。
 ただ単にあちこちで垂れ流し、無理やり聴かせれば聞き馴染んでファンになるに違いない、なんて考えは、音楽ファンをブロイラーかなんかと間違えているぞ。その行為、むしろ我が国における”ケルト”のイメージに悪い手垢を付けてしまう結果しか生まないのではないかと、私などは危惧しているのだ。

 なんて書いてみても分からないんだろうなあ。困ったもんだよ、無神経な奴って。