人生にはさまざまな局面がある。その一方の極限はトイレで用を済ませた直後、ズボンのファスナーにオチンチンの皮を挟んでしまうことだろう。これは進退窮まる。
どうするったってファスナーを押し下げてオチンチンを責め苦から開放してやるしかないのだが、しっかと皮に食い込んだファスナーを動かすのは痛いだろうなあと当然予想はつき、容易に決心はつかない。男なら誰でも一度はやったことがあるはず、と言いたいところなのだが、いや、そう決まったものかどうか。まあ、とりあえず、私には経験がある。それも、いくらなんでも、と言った状況下に。
あれは高校3年の春だったと記憶している。放課後、下校しようとして私は、ちょっとオシッコしたくなったので下駄箱の隣にあるトイレに入ったのである。そこは、男子トイレの”小”をする場所に曇りガラスの嵌められた窓があり、オシッコしながら微妙に外が見えるようになっていた。さすがに場所が場所なので窓は全開にはならず、外の様子はちょっとだけ開けられたガラス戸の向こうに見えたり見えなかったり、と言ったところである。
そこで私は用を済まし、さて、とズボンのファスナーを上げたのだが、これがどういう成り行きだったかオチンチンの皮に食い込んでしまった。うわっ、こりゃ困ったな、とファスナーを下げようとしたのだが痛くてできない。とはいえ、そのままにしておくのも痛いのに変りはなく、ええいどうすりゃいいんだ、こんなザマを晒しているのを悪友たちに発見されたらえらい事だぞと焦れどもいかんともしがたく。
その最中。窓の向こうで聞き覚えのある声がした。それはなんと、私がその頃、”これはちょっと注目ではないか”と意識しかけていた隣のクラスのM子と、生徒会でなにやら役をやっている、学生運動の闘士で何かとうっとうしいTだったのだ。おやおや、なんて組み合わせだい。
ファスナーのもたらす激痛と戦いつつ二人の話を聞いていると、さらになんてこったい、どうやらTがMに思いを告白などしているようなのだ。おいおいTの奴、政治の話が大好きでえらく堅物のキャラ設定で行ってるくせして、M子みたいな、おとなしそうでいて実は男から声のかかるの待ってそうなタイプが好きなのかよ。おいおい。などと意外に思いつつ、ええいくそ、ここで思い切ってファスナーを下げてしまおうか、このままドツボにはまり続けていても埒があかないものな、ええいくそっ!
・・・と私が渾身の力を込めてファスナーを押し下げるのと同時に、M子はTに対し、交際をOKする言葉を口にしたのだった。
私はファスナーのアギトから救い出したオチンチンをパンツの中に納めた。皮が破れて出血、と想像していたのだが、そちらはどうやら無事だったようだ。そして。股間の痛みにガニマタとなってトイレから出た私が見たのは、なにやら親しげに話しながら下校して行くM子とTの後姿だった。
校門を出ると、薄汚い感じの青空がドヨ~ンとどこまでも頭上に広がっていた。
高校の前を通る国道を、土埃を上げて何台も何台もの建築資材を積んだトラックが走り過ぎて行った。
どこからか当時流行っていたグループサウンズの”タイガース”が歌う、「風は知らない」というフォーク調の歌が聞こえてきた。そうかあ、あれが俺のブザマな青春の思い出の一曲になるんだなあ、などとぼんやりと思ったものだった。その通りになったのだったが。
しかし人生、何があるやら分からんよ、あなた。あなたが愛の告白を受けている、その同じ場所、同じ瞬間に、オチンチンの皮をズボンのファスナーに挟んで悪戦苦闘している男がいて、しかもその男もあなたをにくからず思っている、なんて事だってあるんだからね。
”昨日鳴る 鐘も明日は無い 大空の広さを 風は知らない~♪”ってかぁ・・・