”思案橋ブルース”by 高橋勝とコロラティーノ
黒潮圏文化なんて言葉もあるらしいが、赤道近くに発し、東シナ海を北上して日本の南岸に沿って行く巨大な海流である日本海流、いわゆる”黒潮”の流れに沿う形で東アジアの海洋性ポップスに関して論じてみたい、なんて思いがずっと以前からある。
東南アジアの中華系ポップス歌手が出したカセットに収められていた、おそらくは現地のヒット曲のメドレーの中にポツポツと日本の演歌などが混じっているのを聴いているうち、”さまざまな民族の音楽を飲み込みつつ流れて行く東アジアポップスの潮流”なんてイメージが浮かんだのだ。
が、どのように手をつけて良いのか分からず。まあ結局、書かずに終わるんだろうけど。
そのイメージの歌謡潮流の片隅に置いておきたいと考えているのが、”川原 弘・作詞、作曲、高橋勝とコロラティーノ・歌”の、昭和43年のヒット曲、”思案橋ブルース”である。いかにも長崎から出て来たグループのヒット曲らしいエキゾティックなムード歌謡だった。
”話題の新曲”として売れ始めていた頃、テレビの歌謡番組でリアルタイムで聴いたあの歌の印象を、かなり異様なものとして記憶している。
ボーカリストは全篇裏声で歌いっぱなしだったし、なんだか彼らが歌っている画面全体が不思議な湿気に包まれ、テレビの画面に結露が生じているような気さえした。
これらは時の経過によって変形した記憶に違いなく、今日、この歌を聞き返してみればヴォーカリストは”裏声混じり”程度の歌唱を行なっているだけであり、テレビが画像の影響で湿気るはずがない。
しかし。いいや。あれはまるで台風の際に赤道近くのエリアから熱気に湿った南の空気が押し上げられて日本の岸を覆うように、東南アジア音楽のエコーが流れ来て”思案橋ブルース”の調べの中に入り混じり、熱気と湿気を放っていたのだ、なんて妄想を繰り広げてみようかとも思ったりする。
長崎をテーマにした歌謡曲に独特の、夏の夜の夢みたいな感触の正体ってなんだろう?ある種の異国情緒と、不思議な湿気に縁取られた幻想性。そいつは黒潮に乗って日本の港町に漂着した南の気配ではないのか。
遥か南に通ずる歌謡水脈のイメージ。おそらくそいつが私の脳裏に、先に述べたような幻想を生じせしめたと考えられるのだが。
それにしても、曲名となっている長崎の思案橋なるもの、この歌が作られた頃には川は暗渠となり橋自体は取り払われ、”思案橋”なる地名以外は残っていなかったと今回知り、ちょっと驚いた。橋の実態も無しに、よくあんな曲が出来たものだと思う。
”思案橋ブルース”
泣いているような長崎の街
雨に打たれてながれた
ふたつの心は
かえらないかえらない無情の雨よ
ああ長崎思案橋ブルース
川原弘:作詞