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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

思案橋の椰子の実

2008-06-21 02:00:49 | その他の日本の音楽


 ”思案橋ブルース”by 高橋勝とコロラティーノ

 黒潮圏文化なんて言葉もあるらしいが、赤道近くに発し、東シナ海を北上して日本の南岸に沿って行く巨大な海流である日本海流、いわゆる”黒潮”の流れに沿う形で東アジアの海洋性ポップスに関して論じてみたい、なんて思いがずっと以前からある。

 東南アジアの中華系ポップス歌手が出したカセットに収められていた、おそらくは現地のヒット曲のメドレーの中にポツポツと日本の演歌などが混じっているのを聴いているうち、”さまざまな民族の音楽を飲み込みつつ流れて行く東アジアポップスの潮流”なんてイメージが浮かんだのだ。
 が、どのように手をつけて良いのか分からず。まあ結局、書かずに終わるんだろうけど。

 そのイメージの歌謡潮流の片隅に置いておきたいと考えているのが、”川原 弘・作詞、作曲、高橋勝とコロラティーノ・歌”の、昭和43年のヒット曲、”思案橋ブルース”である。いかにも長崎から出て来たグループのヒット曲らしいエキゾティックなムード歌謡だった。

 ”話題の新曲”として売れ始めていた頃、テレビの歌謡番組でリアルタイムで聴いたあの歌の印象を、かなり異様なものとして記憶している。
 ボーカリストは全篇裏声で歌いっぱなしだったし、なんだか彼らが歌っている画面全体が不思議な湿気に包まれ、テレビの画面に結露が生じているような気さえした。

 これらは時の経過によって変形した記憶に違いなく、今日、この歌を聞き返してみればヴォーカリストは”裏声混じり”程度の歌唱を行なっているだけであり、テレビが画像の影響で湿気るはずがない。

 しかし。いいや。あれはまるで台風の際に赤道近くのエリアから熱気に湿った南の空気が押し上げられて日本の岸を覆うように、東南アジア音楽のエコーが流れ来て”思案橋ブルース”の調べの中に入り混じり、熱気と湿気を放っていたのだ、なんて妄想を繰り広げてみようかとも思ったりする。

 長崎をテーマにした歌謡曲に独特の、夏の夜の夢みたいな感触の正体ってなんだろう?ある種の異国情緒と、不思議な湿気に縁取られた幻想性。そいつは黒潮に乗って日本の港町に漂着した南の気配ではないのか。
 遥か南に通ずる歌謡水脈のイメージ。おそらくそいつが私の脳裏に、先に述べたような幻想を生じせしめたと考えられるのだが。

 それにしても、曲名となっている長崎の思案橋なるもの、この歌が作られた頃には川は暗渠となり橋自体は取り払われ、”思案橋”なる地名以外は残っていなかったと今回知り、ちょっと驚いた。橋の実態も無しに、よくあんな曲が出来たものだと思う。
 
”思案橋ブルース”

泣いているような長崎の街
雨に打たれてながれた
ふたつの心は
かえらないかえらない無情の雨よ
ああ長崎思案橋ブルース
 
川原弘:作詞 

沢知美を求めて

2008-06-19 03:06:04 | その他の日本の音楽


 ”人の気も知らないで”by 沢知美

 繁華街をちょっと外れたあたりに昔ながらの”ナイトクラブ”という奴があって、紫色の小さなネオンサインを夜の中に地味に燈している。その外観、私の少年時代からどこも変わっていないように思える。

 色気付き出した中高生の頃、その場所は神秘な夜の牙城に思えた。夜の世界に興味はあるものの、そこは自分のようなガキがとても近寄る資格のない場所。そう、あの頃は夜の遊びは本物の大人にしか許されていなかったのだった。ディスコへの出入りではない、ことは”ナイトクラブ”なのだ。
 その建物に近寄ると、もうずいぶんとくたびれた外観に気がつく。今、こんな時代遅れの昔ながらのナイトクラブに通う客など、はたしているものなのかどうか。

 毎度、こんな話をしているが、入ってしまった学校の校風に馴染めず、それよりなにより夢中になり始めたロックミュージックへの傾き、いよいよ増して行き、家出をして当時全盛だったグループサウンズの世界に身を投じる夢ばかりを見ていた高校時代。
 が、エレキギターを抱えてどこへ飛び込めば良いのか田舎の少年には見当もつかず、計画ばかりの家出は、ついに実行に移されることもなかった。唯一、ある弱小プロダクションからもたらされたスカウトの話は親にかぎつけられて潰され、ケツをまくって中途退学する気でいた高校に中途半端な気分のままついに卒業まで通い続けたブザマさ。

 熱い思いだけが見当違いの空振りを続ける、そんな悶々たる日々、ふとラジオから聞こえて来たのが沢知美の歌う、”モーニング・ブルース”だった。
 当時のテレビの人気深夜番組、”11PM”のカバーガールとして人気だった彼女の歌う、ということだが、私の記憶の中に彼女の姿がない。かの深夜番組はスケベ部門を中心に好んで見ていたはずだから、どこかで彼女の姿を目にしているはずなのだが。どこかに記憶の錯誤がある?まあ、その探求はいずれするとして。

 ともかく、その”モーニング・ブルース”には、やられた。ジャズ調歌謡、とでも言うんだろうか。ジャジーに弾むピアノに導かれ、結構ブルージィにうねるメロディを、ハスキー&セクシーな響きの裏に実は結構さばけた気風のいいおねーさん、みたいな雰囲気を漂わせた沢知美の歌声が歌い流して行く。レイジーだぜ。カッコいいぜ。
 ダルそうに、そぞろうっとうしくなりつつある恋を歌うその声が、生温かい日々の煉獄に倦んだあの頃の私の心に妙にフィットし、忘れられない曲となった。

 が、レコードを買うことはなかった。ガチガチのロック少年だった私が、歌謡曲なんか買うはずないじゃないか。そんな金もなかったし。
 が、おかげでこの歌は、変に心に深く刻まれることになってしまったのだ。あんな歌があったよなあ、と何度も思い起こす作業を繰り返すうちに。レコードを買っていれば、逆にここまで思い入れることもなかったかも知れないのであって。
 その奇妙な歌との関係は、レコード発売の年、1969年から遥か過ぎて2007年、沢知美のアルバムが初のCD化なるまで続いたのだった。とっとと再発しろよなあ、レコード会社よ。

 というわけで手に入れた沢知美のアルバムである。あの60年代末、非行少年にもなりきれずに行き所なく、登校拒否まがいを繰り返すだけの中途半端な落ちこぼれ少年にしてみればとても手が届かないように見えたオトナの世界である夜の街、昭和のネオン街の匂い横溢のたまらない一作である。そうかあ、あの”ナイトクラブ”の中では、こんな光景が展開されていたのか。

 沢知美の、意外に、といっては失礼か、なかなかに細かいところまで神経の行き届いた歌唱が、丁寧に60年代末期の日本の夜の盛り場最前線をたどって行く。”あの頃の大人”の吸っていた夜の空気に触れる感じだ。
 彼女はこのアルバムでこちらの世代、つまりガキども相手に歌いかけているわけではない。もっと上の酒場通いを普通に出来る世代を意識して歌われる歌。そう、当時、歌謡曲というものはオトナのものだった。
 ガキどもの手の届かないところでセクシーなオネーサンは、紫煙に巻かれつつキャバレーの観客たるハゲのオヤジども相手に過酷な戦いを繰り広げていたのだ。ガキの出る幕じゃなかったのだ、この時代。

 ”モーニング・ブルース”につながるブルース調の曲が多く含まれていると言うことはなく、「つめ」「あいつ」「ウナセラディ東京」などなど、当時の夜のムード歌謡の定番中心に選曲がなされている。演歌を歌ってもいわゆる演歌調にはならず、あくまでも”歌謡曲”である歌声が嬉しい。
 そう、「夜の歌謡曲」なのだ、この良さは。「ロンリー・ブルーナイト」「ポート・ヨコハマ」といった、このアルバムで初めて聴いた小曲が、非常に好ましい夜の歌謡の感触を伝えてくる。これは外国人の作曲となっているが出自はなんなのか、セロニアス・モンクの”ラウンド・ミッドナイト”を演歌化したような「メランコリー」なんて曲も面白い味を出している。

 それにしても、「ポート・ヨコハマ」「ウナセラディ東京」と続いて、不思議なタンゴ調の「夢の終わり」に至り「あいつ」で締める、オリジナル盤のエンディング、最強だわな。このアルバムのオリジナルが出された1969年、狂騒の(と言っていいだろう)高度成長をひた走る我が日本国の日陰で咲いていた庶民のひそやかな”インター”を聞け。

 もう我が国では絶滅してしまったかと思われる「歌謡曲」のつつましい感傷が夜霧に濡れつつ、大都会の深夜を静かに横切って行く。その足跡、失われて久しい。そう、あの古いキャバレー、一度、行ってみようか。意味ねーか、いまさら。

リベリアの一夜

2008-06-17 01:53:32 | アフリカ


 ”SONGS OF THE AFRICAN COAST, CAFE MUSIC OF LIBERIA ”

 先に、”ブラック・ヘブライ”の音楽について書いた際、アフリカのリベリアなる国がチラッと絡んだ。そこでこのアルバムを思い出して引っ張り出してみた次第。
 民俗音楽研究家のアーサー・アルバーツが1949年にアフリカはリベリアに赴いて行なったフィールド・レコーディングであり、その時点における西アフリカの大衆音楽の一様相が覗える仕様となっている。

 とはいってもこのリベリアなる国がややこしい国で、何度その歴史を読み返しても、その概要も把握が出来ない。
 そもそも19世紀の初めにアメリカ合衆国内の、奴隷の立場から解放された黒人たちをアフリカに帰し、ひとつの国を成立させようなど、どのような者が思いついたのか。ぶっちゃけた話、その予算は誰が出したのか?計画の成功にどれほどの目算があったのか?
 ともかくも、その運動を計画した”アメリカ植民協会”なる組織は西アフリカの一角に土地を獲得し、その土地に向けて何回にも渡ってアメリカからの黒人たちの”帰還”は行なわれた。

 当然ながら、というべきか、その土地に住んでいたアフリカ人と、”還って”来たアメリカ黒人たちとの間には、今日イスラエルとパレスチナとの間で起こっているのと同質の軋轢も発生した。
 また、強引に建国はしたものの、国を支える産業がないため、外国にゴムの木を貸与を依頼してみたり、時には外貨を稼ぐためにリベリア人労働者をスペイン領赤道ギニアに向けて船積みし、それが”かっての奴隷貿易と変わらないではないか”と国際的批判を受けるという、まことに皮肉な結果を呼んだりした。

 その他、この国の歴史は前述の帰還者と先住民の抗争やら帰還者同志による勢力争いなどが複雑に絡み合い、長きに渡る内戦が繰りかえされ、まことに錯綜した様相を呈している。

 このアルバムの前半には、1940年代終わり頃のそんなリベリアの、とあるピアノ・バーにおける”一夜のお楽しみ”が収められている。
 演ずるは、”ハワード・ヘイズとメリンダ”なる、ミュージシャンよりはあえて”芸人”と愛情込めて呼びたい感じのピアノ弾きと歌手のコンビである。コロニアル感覚横溢した、愉快な酒場芸が堪能出来る。
 後半には、40年代のリベリアの大衆音楽を体現すると考えていいのだろう、グリーンウッド・シンガーズなる歌と楽器演奏を共に行なう、こちらの感覚ではフォークグループと呼ぶしかないグループの、素朴なパフォーマンスが収められている。

 どちらも演目は古形のカリプソや、ラグタイムやらカントリー音楽やら、当時のアメリカ風ダンスホール音楽の影響色濃いものである。このような音楽が熱気わだかまる西アフリカの夜の中で溶け崩れ、やがてアフリカ独自のポピュラー音楽を形成して行ったのだろうな、などと想像すると、なんだか血が騒ぐものがあるのだ。

 ことに、アフリカ大衆音楽の古層を成す”ハイライフ・ミュージック”の世界で古典とされる”All fo You ”や、”ココナツの木の下で”などといった、アフリカ音楽好きには気になる曲の原型が聴けたのも嬉しいことだった。
 こんな音楽が流れていた、当時の西アフリカの街角のありよう、どんな感じだったんだろうな。その音楽を愛したリベリアの人々は、どのような喜怒哀楽を生きたのだろう。音の向こうに想いは膨らむ、膨らむ。

黒いユダヤ人?

2008-06-15 01:52:31 | 北アメリカ


 ”Soul Messages From Dimona ”

 アメリカにおける”ブラック・モスリム”なる集団を知った時も、ずいぶん不思議な気がしたものだった。なんでアラブ世界から地理的にも離れたアメリカ合衆国内の、しかも黒人たちに、イスラム教に帰依する集団が出て来たのだろう?と。まあ、これに関してはただ宗教上の存在でもなく、アメリカにおける黒人と白人の対立に関わる微妙な代物で、当方、いまだにそのすべてが理解できたともいえないのだが。

 とか言っていたら、このほど、”ブラック・ヘブライ”なんて自称する人々の存在を知ってしまい、ますます訳が分からなくなった次第。黒いユダヤ人?大体のところは知ったつもりでいた黒人文化、まだまだ未知の領域があるようだ。

 ことの起こりは近世、アメリカ大陸でユダヤ教と接した黒人たちの中に、それを受け入れる勢力が出て来たあたりのようだ。ここでもやはり黒人の社会運動にも関わりあいつつ、「ヤコブは実は黒人であり、我々がユダヤ教徒を名乗るに当たり、そもそも改宗の必要さえない」などなどの、ジャマイカのラスタ主義など想起させる主張なども行ないつつ、勢力を伸ばして行ったようだ。

 ここに挙げたアルバムは、その”ブラック・ヘブライ”の文化を代表するバンドと言えようか、1970年代から80年代にかけてイスラエルのディモーナなる街をベースに活躍していたファンクバンドたちのレコーディングを集めたものだ。
 CDのジャケを覆っている紙カバーの写真には、アフリカ人のようなインド人のような、はたまたハリウッド製作の聖書ネタの映画の登場人物のようにも見える衣服を身に付けた黒人たちの姿がある。彼らが”ブラック・ヘブライ”世界の音楽で主導的な存在だった”ソウル・メッセンジャーズ”のメンバーだそうな。

 70年代に「黒いヘブライ人」を名乗るアメリカの黒人グループがアフリカのリベリア(アメリカの黒人奴隷が帰還して建国した国)への移住を計り、が、それに失敗した後、イスラエルのディモーナに定住した、などという記録があるようだが、その連中がすなわち、ソウル・メッセンジャーズのメンバーにつながるのだろうか。ちなみに、イスラエル当局は彼らをユダヤ人とは認めていないそうだが。

 こうして調べてみると、なかなか微妙な存在といえそうなブラック・ヘブライである。
 そのサウンドも同じく。ようするに70~80年代のデトロイト~シカゴ風のソウル=ファンク・サウンドをベースにし、それにブラック・ヘブライとしてのメッセージを込めて出来上がっているもののようだ。
 あの当時のやや浮ついた(?)ノリの良いファンクサウンドに、当方にはなんとも正体不明に感じられる宗教的主張から来る辛気臭さが入り混じり、なんとも不思議な世界を描き出す。どこか腰の座らない落ち着かなさなど感じてしまうのは、彼らの浮き草的生き様が反映されているせい、と受け取るのが正しいのかどうか。

 ブラック・ヘブライの宗教運動としての厚みがどのくらいあるのか寡聞にして知らないのだが、はたしてこの”黒いユダヤ音楽”の明日はあるのか?と、”?”マークばかりが並んでしまうのである。
 ともかく未知の音楽、まだまだ世界には溢れているようで。

タクラマカンの月の下で

2008-06-13 00:30:38 | アジア


 ”新疆名歌”by 黒鴨子

 今回取り上げるのも、私が最近興味を持って聴いている中国のローカルポップス・シリーズの一枚。中国の人気女性コーラス・グループ、”黒鴨子(ヘイヤーズ)”による、新疆ウイグル自治区の大衆歌集です。
 まだまだアイドルで通用しそうな美しいコーラスで三人は、中国西北部、タクラマカン砂漠に天山山脈、なんて昔のNHKで”シルクロ-ド”のシリーズを見ていた人には懐かしいあたりに住む、ウイグル族の人々の伝承歌を歌って行きます。

 もちろん、この盤に民俗音楽的厳格さを求めると物足りないということになるんでしょう。
 なにしろヘイヤーズの三人は漢民族であり、歌詞もすべて中国語に訳されています。その彼女らが見事に洗練されたハーモニーで歌うメロディからは、ウイグルの人々の生活の匂いなどは、洗い流されてしまっているでしょう。
 そして、ベテランのアレンジャーによる巧妙な装飾の入ったサウンドは、新疆の砂漠の土埃り巻き起こる生々しい風土とは、大分かけ離れてしまっているのではないか。

 結果、出来上がったものは観光絵葉書的といいますか、埃を洗い落として風景化された新疆の”旅の想い出歌集”みたいなもの。
 でもねえ、これが良くないかといえばとんでもない、なんかすごく愛らしい作品集になっていて、「こりゃやられたなあ」と聞き惚れてしまって、愛聴盤となりそうな気配です。
 何が良いって、先に書いたように綺麗にアレンジされしまった新疆の歌、そのようにして純粋に”メロディ”として”歌謡曲”として聴いてみると、どの曲もめちゃくちゃ可憐で美しいんです。そんな旋律の目白押しなんですね、新疆の歌って。

 この地方の音楽にはずっと前から興味を持って聴いていたんだけど、これまでは現地のウイグルのミュージシャンの歌や演奏の泥臭い迫力とか、そんな方向ばかりに注目していて、その音楽がどれほど愛らしい旋律を持っているか、なんて事に意識が向いていなかった。だから、このアルバムを聴いて「一本取られたなあ」と頭を掻いた次第。

 いやほんとに。
 中央アジアの過酷な自然の中で、民族の十字路とも呼ばれる地に住むウイグルの人々が、さまざまに変転する歴史に翻弄されつつ心の中で紡いできたメロディの美しさ、優しさにこのアルバムで初めて気付かされました。いいんだよ、ほんとに可憐な曲ばかり。
 砂漠の中に咲く一輪の花。異民族の娘の美しい笑顔。オアシスの葡萄棚を吹き抜ける一条の風の爽やかさ。銀色の月の光の下を舞い踊る太古の幻。

 今回、中華人民共和国が新疆地区に対して行なっている強圧的支配等については、あえて触れませんでした。そいつはまた別の機会に、と言う事で。今は、”新疆の歌”のもたらす、優しい幻想に酔っていたいんでね。お許しを。
 

沖縄PWブルース

2008-06-10 05:35:17 | 沖縄の音楽


 ”「時代」-金城実、戦時戦後を歌う”

 このアルバムがこの5月にCD復刻されていたと、今、知った。なにやら懐かしく、昔買ったアナログ盤を取り出してみる。
 このアルバムも、買ってからもう20年近く経つ。当時、沖縄のローカル・レーベルのレコードを買うのは初めてだったんで内容よりもそのヴィジュアル面が興味深く、ともかくジャケ写真で関係者が正装し正座した姿に強力な印象を受けたのだった。

 沖縄民謡の重鎮である金城実が、戦前、戦中、戦後に沖縄で巷間歌われた歌を集め、歌った力作アルバムである。同時に、沖縄のナマの庶民史としても興味深いものがある。

 ともかく冒頭に収められた”裸足禁令の唄”からいきなりインパクトが強い。これは戦前、「アジアの盟主として君臨すべき大日本帝国の臣民が裸足で歩いているのは、見た目が悪い」との日本政府のお達しで、沖縄に”裸足禁止令”が発布された、その際に作られた”キャンペーンソング”のようだ。
 発掘されたこの歌の歌詞に歌いこまれていることで、長年謎だった裸足禁令発布の年が”紀元2601年”であると判明した、なんて話も聞いた。

 「裸足で出歩くなど、皇国臣民として恥ずかしいことだ」と歌われるのだが、それが教訓調ではあるものの沖縄の言葉で書かれてあり、またメロディもサウンド面もかなりディープな民謡調の作りであるあたり、さすがに沖縄・・・といっていいのかどうか。

 アナログ盤で言えばA面に戦前戦中の歌、B面に戦後を歌った歌が収められているのだが、A面の戦争完遂に向けての国威発揚ソングは、そしてまたB面の戦後のアメリカ民主主義礼賛ソングともども、やはり無理やり感が強い。
 歌による歴史の証言として厳粛なものはあるが、単純に歌として聴くのは、辛い部分もある。
 それでもさすが沖縄、とやっぱり言ってしまうが、「銃後の護り」なんて国策ソングが明るく軽快なラテンっぽいリズムになってしまっているのが楽しかったりはするのだが。

 一方、聞く者の心にシンと染み込んでくるのは、B面はじめに収められた”PW無情”や”屋嘉節”といった敗戦直後の悲しみや苦しみを歌った歌だ。ことに前者は、沖縄的でありながら同時に、まるで黒人のブルースをも思わせる独特のメロディ構成を持っており、心惹かれる。私がブルースマンだったら歌ってみたくなってるだろうな。

 主人公の金城実の、強靭な喉を唸らせた歌声も凄いが、そのバックで鳴り渡る三線とマンドリン、そして鼓のアンサンブルが発散する空気がど~んと重くて暑く、南シナ海を下り、遠くインドネシアあたりまで達しようかと思われる”南アジアの響き”を孕んでいるのには、何度聴いても唸らされる。
 実際、そのサウンドの持つ暑苦しい雰囲気は、ガムランの楽団に混じりこんでも区別がつかないんでは?歌われている内容が内容だけに、ますます複雑な気分になってくるのだ。

 戦争当時の為政者たちも、この黒潮を越えてアジアに向ってとうとうと流れて行く一筋のブラッドラインが孕む真の意味を読み取っていたら、あんな無茶はやらなかっただろうに、などと思ってみる。


【収録曲】

1.裸足禁令の唄 
2.強い日本人 
3.白黒節 
4.別れの盃 
5.銃後の護り 
6.新昭和節 
7.PW無情 
8.屋嘉節 
9.敗戦数え歌 
10.アメリカ節 
11.あこがれの唄 
12.果報節

香港シティライツ

2008-06-08 23:28:50 | アジア


 ”Fantasy” by Candy Lo

 もう何度もしてしまった話だが。1990年代の終わり近く、あの香港が99年の租借期間満了に伴い北京政府に返還されたのだが、それに先立つ数年間の香港ポップスに妙な思い入れを込めつつ、聞き込んでいた時期が私にはある。

 地上のリアルから、ほんの数センチ浮かび上がったような”借り物の土地と時間”の狭間から”世界の最先端”を鋭く照射していた都市世界・香港の輝きが、あの茫漠として巨大な中国大陸と大量の人民の波に埋もれ、窒息し、やがて雲散し霧消してしまうのではないか?
 そんな香港市民の焦り、不安、怒り、恐怖が、日々伝わってくるニュース等から、なんだか非常にリアルに感じられた気がした。

 だが、だからといってどうする?すでに返還は決定事項だ。あとはただ、容赦なく過ぎて行く時をただ見守ることだけが我々には許されている。
 香港市民のそんな想いが焼き付けられたように、虚無的な輝きを放ちつつ疾走する独特のダンス・ミュージックや、身をよじるように歌い上げられる、香港名物の華麗な、でもやっぱり名付けようのない終末観が吹き零れそうな美しいバラードなどなど。毎晩毎晩、安い酒に酔い痴れながら聴き続けたものだ。

 おそらく私は当時抱えていた、生きて行く上で先の見えない、オノレの進むべき道を見つけられない焦燥感と、香港の人々が”返還”を前にして、始末のしようのない屈託として懐に呑んでいると感じられた終末観とを無理やり重ね合わせて、いたのだ。
 勝手に作り上げた「俺って香港市民と魂の兄弟」なんて幻想に、さらに自己憐憫の粉を振りかけて、その”苦しみ”を楽しんでいた。
 本来、重ね合わせて考えるべき問題でもなかったのはもちろんである。そう考えてみるのが気持ち良かったから。それだけのこと。

 その後、香港があっけなく返還となり、多少のギクシャクはありつつも大陸中国にゆっくりと同化して行く頃になると私の妙な嵌め絵遊びは、まったく気合が入らなくなっていった。
 また、それまでひいきにして来た香港の歌手たちが「こうなったら金儲けに」と居直ったかのように、これまでの使用言語である香港方言、すなわち広東語で歌うのをやめて、大陸市場を意識した”標準語”たる北京語で歌ったCDなどをメイン商品として世に問い始めるたのも大いにしらける気持ちがあり、私はいつしか香港ポップスを聴く習慣をなくしていた。

 そして20世紀も終わり、本当ならもうとっくに月や火星に人類のドーム型都市なんぞが出来ている筈だったのに空振りに終わった21世紀暮らしにも慣れたある日、私はこのCDをレコード棚の隅に見つけたのである。

 キャンディ・ローなる歌手のアルバム。香港の歌手らしい。知らない名前。ショートカットの髪が印象的なシャープな雰囲気の人である。私が香港に興味を失った以後にデビューした人なんだろう。
 なんという理由もなく、気まぐれで購入した。考えてみれば、ほとんど10年ぶりにまともに聴く”香港の今の音”である。

 変わり果てた香港の音”だったら嫌だなあ。そしてあの、シュウシュウいう四声音が耳障りな北京語で歌われていたらどうしよう。などと嫌な予感を覚えつつ、スタートボタンを押す。
 が、聞こえてきたのは、あのアクの強い広東語の響きだった。それも、都会人らしい洗練とけだるさをまき散らし、気位も高いが気も強いぞ、の香港の女性歌手らしいテンションを持って、そいつは歌われていた。ああ、何も変わってはいないじゃないか。

 あとでネットで調べて知ったのだが、このキャンディ・ローなる歌手、結構ロック志向のある人のようで、きれいなメロディのバラードのど真ん中に突然、ハードなギターのカッティングなどぶち込んだりするのが困りものなのだが、しかし、あの昔ながらの香港ポップスの香りを十分に発散してくれていた。そいつが嬉しかった。
 ”香港ポップスのあの香り”と言っても、どのように説明すれば良いのか分からない。ギターのサウンドがどうで、という問題ではないのだ。

 よく映像で見るでしょう、香港の夜。キンキラキンに繁華街の明かりが燈り、そいつが港の水面に反射して揺れている。空を横切って最終便のジャンボジェットが、ほとんど街の真ん中と言いたい場所にある空港に吸い込まれて行く。
 そんな光景をバックにつかの間漂い、そしてまた消えて行くひと時の蜃気楼みたいに無意味がゆえに美しい、そんな音楽。

 まあ、わかりゃしないんだけどね、たった一枚聴いただけで、この10年間の香港の変化なんて。
 とはいえ。もう一度、あの喧騒の香港の街角をうろつきまわるのもいいかな、とまた思い始めた。
 人の生活は続いている筈なんだから、”返還”なんかとは関係なく。そりゃそうだ。そうなんだけどね。まあ、いろいろあるけど。

我が心、高原に

2008-06-06 04:29:30 | アジア


 ”高原之心 ”by 譚維維

 昔、平岡正明の文章の中に見つけて、以来、気に入ってときどき使っているフレーズなんですが、この一枚の作り出す酔いは深い。中国の新進実力派女性歌手、譚維維が2005年に世に問うた、中国民俗派ポップスの傑作です。

 民歌調とでも言うんでしょうか、中国本土でここ数年、中国各地の地方文化に焦点を当てた、かなりレベルの高い民族調ポップスのアルバムが続々とリリースされているようです。
 まあ、私も分かっているような事を言っていますが、最近、その動きに興味を持って追い始めたばかり、全体像はまだ把握できていない。が、とりあえずここの所取り上げているチベットものなどもその中から見つけたものであったりするんですが。

 そのどれもが収められた音楽の高度なレベルにふさわしいというべきか、豪華なジャケに収められていかにも芸術性が高そうな意匠が施されている。音楽のテーマになっている地方の多くが、中国国内ではあまり豊かとはいえない経済状態にある事を思えば、なんだか落ち着かない気分になって来たりもします。

 この”民歌ポップス・シリーズ”って、今日の中国大陸において富裕層をなす大都市圏の人々が、余裕が出来た日々のうちに”再発見”した、”ファンタスティックな異郷としての我が中国辺境”への興味に答える形で市場に出されているものじゃないかな、なんて考えているんですが。

 そのような作品群の中でも、ことのほか志の高い作品と感じられたのが、このアルバム、”高原之心”です。
 モンゴル、新疆ウイグル、そしてチベット等の”高原の民”の生活と音楽に思い入れを込めて作られた”異郷への音楽の捧げもの”的作品集。

 歌い手の譚維維(タン・ウェイウェイ)は音楽大学で”民族声楽学”を専攻した後、プロのポップス歌手としてデビューした人なんで、このような企画の主人公にはもってこいの人なんでしょう。現地では”彼女が歌えば大地がいななき、小鳥がさえずる”とか言われているようなんですが、まったく新人歌手とも思えないディープな歌声を聞かせてくれます。これが身長170センチ、スッと背筋の伸びた良い女でね。余計な話ですけど。

 作品内容は、先に挙げたような地方の民俗音楽を素材にした交響詩という表現が一番あっているのかも知れません。現地の音楽の諸要素を分解再構築して作り上げた質の高い幻想。
 深く長い夜の中をゆっくりと廻りながら走馬燈が描く、遠い幻想の風景。そんな手触りで、”辺境”たるチベットやモンゴルの人々と風土に寄せる想いが歌い上げられて行く。大編成の交響楽団と民族楽器の響きが良い具合にブレンドされて織り成されるサウンド作りもなかなか奥行き深く、質の高いファンタジーを提供しています。

 アルバムの終わり近く、突然飛び出して来るジャジーにしてレイジーな”ウランバートルの夜”のリアルな手触りが、ここで繰り広げられた音楽劇のすべてが、異境の音楽に憧れて思念の旅をする都会の幻視者の夢想の産物であった事を暗示しつつ、砂漠の空高くを舞う鷹やチベット高原の陽光のもとで見つけた真実などに関わる物語は終幕を迎えます。

 夜はまだ続く。アルバムを再度聴き直し、朝が来る前にもう一度、この幻想に酔いしれてみようか。
 作品集のもたらす酔いは、ともかく深いのだから。

チベット~タイ・魂の道

2008-06-05 04:02:52 | アジア


 ”花香飄来時”by 央金拉姆

 昨日に続きましてチベットものを。
 以前、ここでデビュー・アルバムを話題にした事のあるチベットのソンガー・ソングライター、ヤンチン・ラムの2作目が手に入った。

 前作は、彼女の内なるチベット幻想をアメリカン・フォーク的手法で展開させた、素朴でパーソナルなフォーク・ソング集とでもいうべきアルバムだったのだが、今回はなんとタイ録音。
 これは前作でも彼女の音楽に濃厚に影を落としていた仏教への信心つながりで、敬虔なる仏教国のタイに魂の共感を求める旅を行なった、なんて企画のようだ。あ、これは台湾のサイトの記事をいい加減に翻訳してみて得た情報なので、あんまり正確な情報と思わないでください。

 タイ録音の結果はなかなかに面白い出来上がりとなっていて、成功作と言えるだろう。摩訶不思議なタイの民俗楽器アンサンブルの玄妙なる響きに導かれるようにヤンチン・ラムの歌声は、前作とは比べものにならないほどの濃密なリアリティを獲得している。
 前作にひき続き、古い経文などに自作の民俗調のメロディをつけたものを歌っているのだが、前作の、あくまでも”内なる幻想の開示”的な文学少女の作品っぽい閉鎖的イメージとは異なっている。大きく懐を開いて聴く者の魂を受け止めるようなおおらかさ、暖かさが、今回の作品にはある。

 その歌唱もずっと地に足のついた、力強くふくよかなものとなっているし、彼女の書く民俗調のメロディも、千年前から歌い継がれたチベット民謡そのもののように響く。
 異郷であるタイでのレコーディングで、まるで故郷に帰ったかのように生き生きと自身の音楽を血肉化させているというのも不思議な話だ。が、このあたりにヤンチン・ラムのミュージシャンとしての個性を探る手がかりがあるのだろう。

 彼女は、彼女なりのより高い表現を求めるほど民族の血から遠ざかってしまう傾向があった。民族の魂を歌い上げる事を自分の使命と任じているにも関わらず。
 何しろ音楽大学を出て留学経験もあり、のインテリの人なのだ、ヤンチン・ラムは。しかも、彼女のファッションなどにもそれは顕著に現われているのだが、彼女は欧米人の視点でものを見る習慣も、おそらく身に付けている。
 我々日本人には珍しいことでもなんでもないそのことが、チベット人である彼女を、やや歪んだ自負をもって縛り付けていたのではないか。

 彼女の”民俗”表現は、もともと、かなり頑なで観念的なものがあった。
 そんな彼女の魂が、南国タイのおおらかな陽光のもとで現地の民俗音楽の響きに抱きとめられ、さまざまなこだわりを捨て、”汎アジア・汎仏教”という、より大きなくくりの中で自由になることが出来た。それが今回のアルバムの成功をもたらしたと言えるのではないか。ともかく収められた各曲の隅々にまで”御仏の祝福”が溢れている。

 最後に収められた、タイ語のお経の合唱に入り混じり、ヤンチン・ラムがチベット語の経文を歌い上げる”融合”なる曲にはちょっとまいった。今後は最恵国待遇で(?)彼女のファンをやって行くことにします。
 余計なお世話として。今回のアルバムのタイトルの日本語訳を”心に春が来た日は赤いスイートピー”とする事を提唱したいのだが。

 それにしても今回も台湾盤なのだが、彼女のアルバムは中国本土では聴くことが出来るのだろうか?そして故郷、チベットでは?

遥かなるチベット、見えないチベット

2008-06-04 00:30:05 | アジア


 ”吉祥天唱”by 巴桑

 チベット系の歌手を取り上げるのは、これで3人目だったかな。”巴桑”と書いて”パサン”と読むようです。2005年にデビュー・アルバムを出し、これは2作目のアルバム。まあ新進気鋭の歌手というところなのでしょう。チベット自治区文教委員にして国家2級演員である、とジャケの解説にありますが、それがどのような立場なのかは不勉強で分からず。

 中国の民族系ポップスではもう当たり前になってしまった、まるで絵本みたいな豪華な装丁の”紙ジャケ”を開くと、果てしない砂漠の上に広がる壮大な夕焼け、雪を頂いた山脈が静まり返った湖にその姿を写し、山々を越えてはるか彼方に流れる雲、カスミの彼方に幻のように浮かび上がる壮麗な寺院などなど、遥かなる異郷・チベットへの憧れが満載であります。こいつは旅情がかき立てられるわ。

 で、収められている曲も、広大なる辺境の大地の自然と生活、流れ過ぎた歴史などをテーマにした壮大なイメージのものが多い。
 おそらく巴桑は中国国内にあって”支配層”である漢民族が、”辺境と、その住民たる少数民族”に対して抱くエキゾチックな幻想を満たす事を稼業としているのではないですかね。まあ、各国音楽をつまみ食いする物好きなワールドミュージック・ファンとしては、こんな書き方をするのはむずがゆい気分なんですが。

 アルバム冒頭の曲は日本では”草原情歌”として知られている歌のようで。この歌などはいかにも中国の歌手、といった甲高い発声法でキンキンと迫ってくるのですが、その次の曲ではずいぶん印象が変わり、同じ甲高い声でもずいぶん柔らかく、奥行きのある歌唱が聴ける。
 何が違うのかと思えば、一曲目は中国語、二曲目はチベット語の歌なんですね。なるほどなあ。

 収録曲十二曲中半分ほどがチベット語の歌で、”チベット民歌”とか”チベット宮廷歌”などとジャンル名が打たれている。各ジャンルの違い、聞き分けるほどのチベット音楽への知識がこちらにないのが悲しいですが。どれも大自然との対話のうちに生まれて来たような悠然たる響きのメロディであるとしか言えない。
 おそらくこれらの歌が彼女の本領なのであろうと、これは聴いているだけでもはっきりと分かる。やっぱりこっちの方がリアルな感じで、歌声の向こうに広がる人々の生活が見えてくる感じなんですね。

 残りの半分を占める、中国語による、主に中国各地の民謡の歌唱は、漢民族の国で生きて行かねばならない”少数民族歌手”としての彼女の、まあ”営業活動”なのでありましょう。こっちはあまり深いものは感じない。とは言え、彼女のパワフルな高音の歌唱の迫力は、やっぱり凄いですが。

 ストリングス主体のオーケストラに中国の民族楽器が加わった形の、スケールの大きな演奏を繰り出すバックの音と相まって、そんな巴桑の天高く鳴り渡る歌声が、遥かなるチベット高原の詩情を描いて行く。
 ともかく描かれるイメージの雄大さに圧倒されてしまう。我々島国の住人なんかには想像もつかない巨大な自然の中に人々の暮らしがあり歴史があって、その彼方に遥かなるチベット高原の雄大な姿が霞んでいる。

 けどこれって、どの程度の”リアル”なんだろう?なんて事も、そりゃやっぱり考えてしまったりはしますけどね。その壮大な風景の下で、今何が起こっているのだろう、と。現実は、美しい絵はがきのようなものばかりであるはずはないのであって。
 一曲だけ収められている、毛沢東と中国共産党を讃える歌を歌う際の巴桑の心に去来するものは、それは複雑なものでしょうからね。