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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

オルガンなサルサ

2008-07-11 04:10:45 | 南アメリカ


 ”Electro Duro”by Charlie Palmieri

 初夏にちなんで島の音楽の話題、とか言ってカリブ海や地中海の島々の話でも書こうかと予定してたんだけど、考えてみると誰でも思いつくような話しか浮かんでこない。

 などと言っていてもしょうがないから、今ちょうど聴いていたサルサの鬼才、チャーリー・パルミエリのこのアルバムでも取り上げることとする。
 しかしサルサを島歌というんだろうか?サルサを”ニューヨーク・ラテン”と取れば違うともいえるし、その地に移植されたプエルトリコの音楽ととれば十分島歌だろうけど。

 金属の指が鉄板に刻まれた鍵盤をまさぐるジャケ写真に顕されている如く、ラテンには珍しいオルガンをメインに据えたアルバムである。まあ、もともとオルガン音楽の好きな私であるのだが、このアルバムの不思議なサウンドの手触りは大好きなのであって。
 オルガンは分厚いコード弾きでホーン・セクションの代理をしてみたり、快調にジャジーなアドリブ・ソロを弾きまくったり、やりたい放題の活躍ぶりである。

 ともかく、サルサ音楽においては常時ど真ん中で鳴り続けているピアノがいない。ピアノ奏者がオルガン弾きと化す気まぐれを起こしたからである。そのポストモダンな(?)空白感と、電気楽器であるオルガンが、そのクールな電子音でサウンドの中枢を支配してしまっているゆえに、なんか全体が”白熱のテクノ”みたいな暑いんだか寒いんだかよく分からない微妙な空気に包まれる。

 もっともサウンド自体は、何しろサルサという音楽が非常に勢いのあった70年代前半の録音ゆえ、実にパワフルである。しかし、その中央に居座るのがドリーミィなリバ-ブとかが糸を引くようにかけられたオルガンの音であり、そのパワフル加減にはどこかにある種の”工業臭さ”が漂う。

 といっても、シンセのタグイを使っているわけでもなし、華麗なるオルガンのソロの向こうに見えてくる風景は”一時代前の未来派”みたいなタイプの”工業の面影”なんだけど。そう、昔のSF映画を見ている時みたいな”懐かしい未来”のぬくもりがあるんだな、この音には。
 作られた時点ではシリアスな”時事もの”だったのだろう、アルバム中唯一のファンク・ナンバー、”タクシー・ドライバー”なんて曲も、今聴くと非常に和める曲だったりするのだった。

 要するにこのアルバム、興隆期のサルサが夢見た未来の一様相といえるのだろう。
 こいつもつまりは、アメリカ合衆国において彼らラテンの人々を含むマイノリティ勢力の間に強力な意識の高揚が見られた70年代初めの、”来なかった未来”に通ずる中絶した革命の忘れ形見とはいえないだろうか。

 とか言ってるが、「ラテンバンドの主軸にオルガンが居座る」ってパターン、どの程度ユニークなものなんだろう?
 以前、ここで取り上げた→●”オルガンのある街角”みたいに、足踏みオルガンとナマ楽器合同によるストリート・ミュージックなんてのがプエルトリコのお隣、キューバでは古くから行なわれているようだし、意外にこのスタイル、根の深いものかも知れないんですよね。

霧の夜に

2008-07-10 04:04:16 | いわゆる日記


 先の週末、街はひどい霧に包まれていた。日課の夜のウォーキングで出かけ、高台から見下ろす街は、なんだかゼラチンの覆いか葛きり細工でもすっぽりと上空に被せられたみたいで、白く煙る霧の中にうずくまり、さっぱり広がって行かないネオンサインをあちこちでまたたかせていた。

 最近のウォーキングのコースとしている、街外れの丘の上で解体中のNホテルを廻るコース。ウォーキング仲間である近所の喫茶店主に薦められたコースなのだが、さすがに歩きでがあり、グルっと一周してホテルの跡地を見上げるK駅の駅前広場に出ると、見事に一汗かいている。

 もうほとんど解体作業の終わったNホテルの跡地沿いの道を歩いていると後ろから。あれをなんと説明したらいいのだろう。泣き喚く何人かの赤ん坊の声のようなものを非常にプアーな再生装置で鳴らしている、そんな感じの音が背後から追いかけてきた。

 怪訝に思って振り返ると、夜霧の中から現われた大型のスクーターが、その鳴き声のようなものを大音量で鳴らしながら道を下ってくるところ。私を追い越してしまってもその音は鳴り続けていたから警笛のタグイでもないのだろう。

 あれはいったいなんだったんだ?走り去ったスクーターを呆然と見送ったのだが、いまだに分からずにいる。

 kホテル跡地と、私の歩いていた夜には人影も途絶えるうら寂しい道を挟んだ向こう側には隣り合う形で墓地があるので、それらしい怪談でも浮かんで来そうな雰囲気もある。
 しかし分からない。あの鳴き声はいったいなんだ?大型スクーターに装備するカーステレオの一種があるのは知っているが、そのようなものか。としても、音楽ではなくあんな妙な騒音をわざわざ聞く必要があるのか?

 おぎゃあおぎゃあと。夜霧を突いて音を響かせ。走り抜けて行くスクーター。

 街中に入ると、物欲しげな顔をして夜の街を歩く観光客に「お兄さん、良いコいるよ」などと声をかけるのを稼業としている、まあ、顔見知りといっていい婆さんが、声をかけてきた。

 「あらまあ、こんばんは。せいが出るねえ、こんな日まで。あれ・・・あんた、さっきここを通ったよねえ?顔を見たもの」
 通っていないのだが。とうとう、私のドッペルゲンガーまでうろつくようになったのか、こんな霧の夜は。

 家に帰りつくと夜霧はますます濃密となっており、私の町では珍しい若者の集団が近所のコンビニの駐車場にたむろしているのが幻のように虚ろに覗え、そいつもまたなにかの映画のオープニングのように非現実的な影を帯びているのだった。

 そういや、トム・ウエイツに”On a Foggy Night ”って歌がありましたっけね、こんな状況を歌っているんじゃなかったっけ?というだけの話で申し訳ないです。


ジャカルタのサウダージ

2008-07-07 02:33:13 | アジア


 ”Nostalgia Bossanova”by Rafika Duri

 島歌シリーズ、その4です。今回はインドネシア編。まあ、インドネシア音楽を”島歌”とはあんまり言わない気もしますがね。いや、たまたま今、聴いていて気持ちが良かったものだから。

 このアルバム、インドネシア・ポップの古典をボサノバにアレンジして歌いなおしたもののようです。
 とはいえ私はインドネシア音楽というとジャイポンガンとかプルコルン・コルンなどの土着ローカル・ポップスばかり聴いてきたので、”ポップ・インドネシア”とジャンル的には呼ぶのですか、この辺の都会派(?)のポップスはまるで聴き馴染みがない。

 この辺が残念なところで、きちんと聞いてきた人には、「ああ、あの曲がこんな感じになるのか」とか、楽しんで聴けるんでしょうけど、私は”はじめからこういう曲なのだ”という認識しか出来ず。まあ、しょうがないですが。

 もっとも、ポップ・インドネシア関連を後追いで今頃聞き始めていて、それらの音楽の奥に息ずくラテンの血のざわめき、なんてあたりに興味がある私などには、このボサノバ・アレンジ大会、実に好都合といいましょうか。ほーらやっぱりラテン系列のアレンジがピッタリはまるじゃないか、とね。

 おそらくは大昔にポルトガル人たちがインドネシアの地に置いていったラテンの魂がインドネシアの人々の感性の深い所に眠っていて、そいつがときどき目を覚ましては、例の”サウダージ”って奴、切ない感傷の種を分泌するんじゃないのか。そいつがインドネシアのポップスの実は芯になっているんじゃないだろうか?
 まあ勝手な妄想、すまんです。

 歌手の方も私はこれが初聴きなんだけど、他にもボサノバもののアルバムを出しているようで、この辺が得意技なのか?なかなか清楚に素直に歌ってくれて気持ちが良いです。慎ましやかな囁き調の歌声が真夏日のソーメンのごとき清涼感を運んでくれます。

 それにしても切ないメロディが多いなあ。青春の日々の感傷とか、ガンガン蘇るんだよね。このアルバムを聴いていると。こんな夏の夜は特に。

海流の中の島々

2008-07-06 01:42:14 | 太平洋地域


 ”Islands”by Cyrus Faryar

 奄美島歌、バハマのギタリストと並べてみたら、なんとなく流れで”島の歌を歌う人々”の特集をはじめてみる気になっている。まあ、夏らしくて良いじゃないか。
 そうなると、まず挨拶を通しておかねばならないのがサイラス・ファーヤーである、私の場合は。

 サイラスは1970年代初めに地味に活躍し、2枚の”幻の名盤”をそっと時代の片隅に残していったアメリカ(一応)のシンガー・ソングライターである。まあ、それ以外にも仲間と作ったコーラスグループでの活躍もあるのだが、そいつはこっちへ置いておく事とする。

 ともかくこの人のアルバムは手に入りにくくてね、つまりは本国アメリカでろくに売れちゃいなかったから、盤の絶対数が少なかったって事なんだろうが、当時はそこまで気が廻らず、盤の入手困難の現実は即、サイラスのミュージシャンとしての神格化に寄与した。

 サイラスはイラン人の父と英国人の母との間に生まれ、父親の仕事の都合で世界各地を転々としつつ育った人物で、とりあえずハワイの地を永久の住処と定めたようだが、まさに生きたワールドミュージックみたいな存在といえよう。そんな彼のライフストーリーは彼の音楽にも大いに影を落とし、不思議にエキゾティックな感触を作り出していた。

 サイラスの2枚目のアルバムである、この”アイランド”は、そんな彼の魂の故郷ハワイ、をとりあえずの舞台に、だが音楽そのものはハワイ音楽というよりはもう少し漠然たる定義を行った方が適当だろう。太平洋のただ中の”海流の中の島々”にイメージを託し、展開してみせた彼の音楽による文明批評のための幻想空間とでも言うべきものとなっている。

 展開されるのは、ハワイ音楽とは似て非なるもの、むしろ根底には、60年代ニューヨークのフォーク・シーンでユニークなギタープレイを売り物に、独特のブルージィな音楽を展開していたフレッド・ニールあたりに親和性がある気がする。フレッド・ニールについてはこのアルバムでも、名曲”ドルフィン”がカヴァーされているが。

 あるいは独特の書き割り的南国楽園音楽を創造して見せたマーチン・デニーなどにも通ずる感覚もあるようだ。

 過酷な現実と断絶されたその場所。時の止まったような世界は静けさと安らぎと、そして奇妙な淡い悲しみに満たされている。
 広大な海の広がりと空を紅く染めて沈み行く夕日のイメージ。まるで巨大なバスタブと化したかのような幻想の中の大洋。浮かぶ島々は、人々がそれぞれに心に抱いた孤独の表彰だろうか。

 終盤に歌われる、ハリー・ニルソン作の「パラダイス」の、”楽園としてのポップ・ミュージック”そのものを体現するかのような愛らしいメロディが切ない。ニルソンがこの世を去ってすでに久しい今となっては。

バハマのスーダラ野郎

2008-07-04 16:44:31 | 南アメリカ

 ”Happy All the Time” by Joseph Spence

 海辺で三線を構えた奄美の唄者の事など書いたら、同じ南国の、海を感じさせる弾き語り師、ジョセフ・スペンスのことなど思い出した。もっともスペンスはバカ陽気な芸風であり、思索的な奄美の清正とはあまりにも対照的なミュージシャンであるが。

 スペンスはアメリカはバハマ諸島のミュージシャン。ギターの弾き語りでジュビリーソングというのか、神を讃える歌などを独特のタッチで歌う。レパートリーの多くはアメリカ南部の同種のギター弾き語り宣教師(?)たちと似たような素朴な民謡調のものではあるのだが、そのぶっ飛んだパフォーマンスゆえにスペンスを、むしろ南米のミュージシャン扱いしてみたくなる。

 ちょっとマニアな音楽ファンなら、あのライ・クーダーのギター奏法に大きな影響を与えたプレイヤーとしてジョセフ・スペンスの名は記憶されているはずだ。そのギター・スタイル、ラグタイム・ブルース風とでもいうのか、低音の動きに相当な迫力を持つ独特のリズミカルな奏法なのだが、ともかくミストーンが多い。多いというより、もともとスペンスは正確なプレイなど心がけていないような気がする。

 「まあ、大体合っていれば良いや」位の意識でやっているのではないか。完璧に弾き切ったら凄いだろうな、と思えるフレーズをガンとかましかけてはミスし、リズムがヨレヨレとなりつつ、曲の小節が字余り状態で終止してみたりする。あるいは、突発的に狂乱のアドリブに突入し、あげく、収拾がつかなくなって尻切れトンボ状態で終わったり。豪快に笑ってごまかす本人に反省の色は覗えない。

 それは唄に関しても同じことで、自らの奏でるギターに合わせた鼻歌レベルの歌唱を実に楽しげに行なうが、真面目に最後までメロディを歌い上げようとか夢にも考えていないのは確実である。途中で笑い出したりゲハゲハと咳き込んでみたり、なんてのはごく当たり前のこと。

 今回、この文章を書くために久しぶりにスペンスのこの盤を聞き返してみたのだが、興が乗り、早口言葉みたいな歌詞を即興で歌いだすあたりはまるでレゲのラップ(専門用語でなんと呼ぶのか知らないが)に近いものがあり、これには驚いた。こんな事、とっくにやっていたんだな。
 やはりカリブ海沿岸のミュージシャンなんだなあ。ちょっと丸木舟をこいで渡った先はすぐジャマイカ、くらいの間合いなのであって、こいつは楽しい。このラップ芸(?)を集中的にやっている盤など欲しくなってきた次第。あるものならの話だが。

 それにしても、この人のいい加減な個性というもの、バハマという土地柄に立脚する個性なんだろうか、それともスペンスが個人的に高田純二みたいなノリの人なんだろうか?などと考えてみるのだが、もちろん結論は出ず、まあ、スペンスの真似していい加減に終わっておくか、とかなんとか。

 いやあ、暑いですねえ。急に真夏になってしまいましたね。変な気候ですねえ。いかがお過ごしですか。

黒潮のブルースが聞こえる

2008-07-02 15:38:00 | 奄美の音楽


 ”黒潮の唄・ちょうきくじょ”by 清正芳計

 相変らず、訳がわかっているのかそうでないのかも定かならぬ状態で奄美の民謡を聴き続けているのだが、男性歌手で最も好きな人は?と問われれば、まあ、この人ではなかろうかと。
 もともとが太く低い声質のこの人が声を裏返し、奄美独特のファルセットを巧妙に駆使する歌唱法を行なう。その瞬間に立ち込める潮風の香りと、吹き抜ける海風に晒された人々の暮らしの哀感、そんなものをたまらない魅力に感じている。

 CDのタイトルに”黒潮の唄”とあり、帯の惹き句には”南海のブルースが聞こえる”とある。ジャケにも、三線を構えて磯に佇む彼の写真が使われている。
 この人の歌に海の響きと独特の哀感を聞き取ってしまうのは、どうやら私一人ではないらしい。とは言え、特別にこの人の持ち歌に”海もの”が多いわけでもなく、いったいそれがどこから生まれているのか、いまだ正体がつかめずにいる。

 そもそも、島歌の唄者たちの爪弾く三線の音がそれぞれ微妙に異なる味わいがあると知ったのも、この人の演奏を聴いてからだった。
 しっとりと濡れたような弦の響きが深い哀愁の尾を引いて風の中に消えて行く、その独特の味わいに酔い、そうか、弾き手によってこれほどまでに三線の音とは違っているのかと認識を新たにしたものだった。

 海を感じる唄とはいえ、彼の海は、加山雄三の海でも、ましてやビーチボーイズのそれとも異なる。大いに異なる。
 この人の歌声の上には、いつも灰色の厚ぼったい雲が広がっている。周囲には風が吹きつけている。磯に人影はまばらであり、その向こうに広がる海は板子一枚下は地獄の、漁師たちの過酷な職場であり、旅人たちに永の別離を強いる強大な空白である。そこに吹き抜ける、生あるものすべてが甘受せねばならぬ、生きてあることの孤独。
 それでも一筋の開放感が差し込んでいるのは、そこが凍りつく北国の海ではなく、大洋に向って開けた、黒潮の流れ来る奄美の海であるからだろうか。

 CD終盤近くに収められた”かんつめ節”の中に、恵まれぬ人生を生き、不幸な死に終わった女性に向けて「鳥も通わぬ島に行って共に暮らそう」と呼びかける一節がある。”鳥も通わぬ島”などというものは文明からの疎外の象徴みたいな表現であるのに、それが絶望の果てに仄見える一筋の光明を意味するが如くに歌われている。
 この唄は清正のオリジナルではないが、まことに彼の歌世界の色合いとでも言うものをよく顕している一節かと思う。

 清正は2000年に60代のはじめで亡くなっている。まだ若かった。このCD収録曲以外にも録音が残されているのなら、せめてもう一枚、彼のアルバムをリリースして欲しいと切に願う。

日本捏造

2008-06-30 16:21:28 | 音楽論など


 ”The Rough Guide to the Music of Japan ”

 イギリスのレコード会社が”The Rough Guide to the Music of ~”なんてワールドもののシリーズを大分前から出していますな。各国の大衆音楽の概要を紹介するって趣旨の、まあ旅の本の”地球の歩き方”シリーズみたいなものです。
 私はもう欧米人によるワールドミュージックの紹介とかにあんまり興味がないので、この種のものには手を出していず、詳しいことは分からないのですが、かなりの数の盤が出ていて、もちろん、我が日本の音楽を紹介する盤も出ている次第で。

 で、この盤がその”The Rough Guide to the Music of Japan ”であるわけです。
 編集は日本の大衆音楽に詳しい、と定評のあるらしいイギリス人音楽ライターのポール・フィッシャー氏。1999年に、すでに同じく彼の編集で日本音楽の”ラフ・ガイド”は出ていて、これは第2弾、もしくは改訂版にあたるようです。
 で・・・と今回、その内容を検めてみたのですがね。

 1、は民謡の”熊本ハイヤ節”であり、また2、と3も今日的アレンジを加えられているものの、奄美と沖縄のそれぞれ民謡、4も沖縄民謡の巨匠ですな。それから9、が河内音頭、10、が筝曲、11、が雅楽、13、が小唄と、この辺が地道に日本の伝統音楽を押さえてある、まあ、盤におけるタテマエの部分と申しましょうか。15、の笠置シズ子、16、の都はるみもそれに加えてよいのかも知れない。

 このように俯瞰的にさまざまな日本音楽の切片を並べ立てて何が分かるのかなあ?と疑問に思わないでもないのですが、まあ、このような企画ものにおいては仕方がないことなのかも知れません。

 今回、どうかなあ?と首を傾げてしまったのは、それ以外の部分なのですな。下に全メニューを挙げてみましたが、これらの音楽、あなた、聴いたことがありますか?というか、これらのもの、日本の大衆のほとんどが聴いた事もないし、ジャンルとして愛好もしていない、聴かせてもおそらく”自分たちの音楽”としてピンとは来ないであろう代物である。

 民謡のロック化を試みるグループ(2)、アイヌ音楽ネタのダブ・バンド(5)、アメリカ人とイギリス人による琉球音楽ユニット(6)、一部の人々からは絶対的な信仰を集めているらしいマニア好みのロックバンド(8)、僧侶による声明とギター奏者の共演(12)、浪曲師がアメリカで結成していた三味線入りブルーグラス・バンド(14)って、こりゃなんなのよ?でありますな。
 (16)の都はるみだって、あんまり聴かれている曲じゃないでしょ、これは。なんでわざわざ、この曲が置かれる訳?

 最後に収められている”渋さ知らズ”だって、”その種のセクトの支持者の玩弄物”って印象しかないんだけどなあ。ファンの方々には申し訳ないですが、いや、”輪”の外から眺めている私のような者には彼らへの評価、過大なものとしか感じられないんですよ。彼らの音楽、本当に日本を代表する物件といえましょうか?もちろん、普通の意味でのポピュラリティなんかありゃしませんよね。彼らを知ってる日本人と知らない日本人とでは、後者の方が圧倒的に多いのは言うまでもない。

 というわけでこのアルバム、つまりは大昔、マルコ=ポーロが”東方における見聞”として並べ立てたデタラメにも相当するファンタジーでしかないのではないか。あるいは”日本通”の英国人、ポール・フィッシャー氏が勝手に夢見た”あるべき日本音楽”の姿。
 いや、そういうものを作ったって、そりゃかまいませんがね。ただ、いやしくも”ラフ・ガイド”と銘打ったアルバムがこの内容って、いかがなものかと。
 この分で行くと、各種ある外国音楽の紹介盤てのも、あんまり本気に受け取らない方が無事なんだろうなあ、とか思った次第であります。


 ★The Rough Guide to the Music of Japan 収録曲目

1. Ushibuka Haiya Bushi
2. Yagaefu
3. Subayado Bushi
4. Koza Renka
5. East of Kunashiri
6. Shinkaichi [Saru's Meditation Dub]
7. Asadoya Yunta
8. Ah Wakaranai
9. Kawachi No Ryu
10. Futatsu No Hensokyoku Sakura Sakura
11. Hyojo Netori
12. Gobai
13. Hara No Tatsutokya
14. Appalchian Shamisen
15. Tokyo Boogie Woogie
16. Yuhizaka
17. Tokyo Bushi
18. Akkan
19. Bonus Materials [CD-ROM Track][*]

バートン・クレーンの世界

2008-06-29 02:09:46 | その他の日本の音楽


 ”バートン・クレーン作品集”

 戦前の日本のジャズソングを集めたアルバムなど聴いていると時に外国人歌手による不思議な日本語の歌が紛れ込んでいるのに出逢う。「家に帰りたい 野心がありません 頭が痛い おなかが大変」なんて調子の舌足らずの日本語をとぼけた調子で歌った、なかなかに人を食った出来上がりの曲ばかりである。

 ああ、この時代にもすでに我が国の芸能界には”外タレ”というのがいて、こんな奇妙な歌を歌ってウケを取っていたのかなあなどと感心したものだ。

 ちなみにその歌手、バートン・クレーンの本業は当時日本で発行されていた英字新聞、”ジャパン・アドバタイザー”の記者である。彼が宴会の席でアメリカのポピュラー・ソングに日本語の妙な歌詞を付けて歌っているのを聴いたレコード会社の社長(米国人)が吹き込みを薦めたのが事の始まりのようだ。基本は宴会芸なのですな。

 2006年にバートン・クレーンの散逸していた吹き込み曲を集めた、集大成的ともいえる、このアルバムが出た。発売は”バートンクレーン発行委員会”となっていて、この歌手の強力なマニアも確実に存在しているのだなあと、その丁寧な仕事に恐れ入った次第。
 で、出来上がったアルバムを聴いてみるとこれが珍曲奇曲の目白押しで、なかなか凄まじい代物である。こんな曲たちが1930年代初めの日本に”流行歌”として流布していたとはなあ。

 基本的には酒好き女好きのお調子者の外人、というキャラ設定の語り手が、”マヌケな不良外人と銀座のカフェーの女給”などという構図を取りつつ、その”青い目に写った日本社会”を戯画化して描き出して行く、そんな趣が見えてくる。
 とは言ってもそいつは結果としてそのような傾向が作品群に漂うという話で、これらの歌が生み出されたリアルタイムにおける事情は、”外人コミックシンガー”なる素材を生かして、どのようにヒット曲を作り出そうか、そのための創意工夫の歴史なのだろうけど。

 使われるメロディは、歌い手がアメリカで聞き覚えた来たのであろう、俗なポップスや民謡、ホームソングのタグイであるようだ。分野を特に定めず、平均的アメリカ人が当時好んで愛唱していたのであろう雑多なジャンルの歌に、素材を求めた。
 このあたり、日本の俗とアメリカの俗が微妙に絡み合い、不思議なハーモニー、あるいは誤解による混乱(?)を醸し出していて、こいつは聞き流して行くとかなり楽しい。

 とは言え、アルバム一枚、全25曲にじっくり付き合うと結構疲れてしまう部分もあるのもまた事実である。
 ”補作詞家”としてバートン・クレーンを支えた森岩雄の活躍も大きく作用していそうだが、その歌の世界、当時の日本の文化状況に深くコミットし過ぎ、構成が懲り過ぎの感を受ける曲もないではないのだ。

 クレーンのデビュー曲であり最大のヒット曲であるという”酒が飲みたい”みたいなシンプルな世界をただ追っていたら、もっと気軽に聞き流せる”ジャズ小唄”の世界が出来上がっていたのではないか。ちょっと惜しい気がする。
 まあ、これもファンの欲張りな要求であって、こんな楽しい歌の世界が戦前の日本に存在していた、それだけで十分に嬉しくなる話なんだけどね。

 また、バックを務める日本のコロムビア・ジャズバンドの演奏の見事さには敬意を表するよりない。これだけ多様な音楽をこなしながら、破綻する瞬間というものがないのだから。なんて褒め方も失礼かも知れないが。

 それにしてもバートンのとぼけた日本語の言葉遣いの裏側から顔を覗かせる、その結構厭世的な人生観には、時にドキリとさせられもする。彼の歌が巷に流れていた時代の、日本は国際連盟を脱退、ドイツではナチスが政権を獲得、なんて世相を反映しているのだろうか。

 ”仕方がない”(バートン・クレーン作詞)

 僕は君に惚れたし 君も僕が好き
 でもお金がなければ生きられない
 君背中を向ける 僕は下を向く
 いくじがないから仕方がない

 産業合理化なんて誰が言い出した
 僕には妻子があるし2号まである
 どうせ駄目なものなら殺しておくれよ
 このまま生きていても仕方がない

奄美の土俗ファンク!

2008-06-26 03:22:32 | 奄美の音楽


 ”ハブマンショー”by サーモン&ガーリック

 これは奄美の民謡をモトネタに、ファンクというのかヒップホップというのか、その辺の用語の使い方がよく分からないのだが、ともかくその辺の音楽のアイディアを持ち込み、かなりブラックなユーモアを味付けとして新展開させてみせたバンド、というかユニット(この辺も、何か特別な呼び名があるのやも知れず)の、今のところ唯一のCD作品。

 バンドの形としてはヴォーカルの二人がそれぞれ三線とパーカッションを担当し、それにベースとドラムが加わる、というもの。ともかく最初に聞いたときは、「あやや、奄美にここまで行っちゃっている連中がいるのか」と、すっかり嬉しくなったものだ。

 ドスドスと脈打つ低音に乗って、一見ラフなように聞こえるが実は結構計算の行き届いた三線がかき鳴らされ、ワイルドな歌声がファンキーに骨太にダンスミュージック化された奄美の民謡を唸りまくる。こいつは相当な聴きものである。もっとやれ、もっとやれと声援送りつつ握り拳を固めた次第。

 あちこちに泥絵の具を叩きつけるようにまき散らされるジョークのタグイは、強力に奄美文化の伝統臭を放っており、こいつも楽しい。
 ともかく各所で奄美のコトバが連発される、それだけでも非常に痛快な気分になるのであって、昔々、アフリカのミュージシャンがリンガラ語で会話する様子を収めたテープを聞かせてもらった事など思い出してしまった。ただ話されるだけで十分ファンキーな音楽として成立するコトバってのがあるんだよ。

 冒頭、奄美で伝統的に挨拶代わりにうたわれる”あさばな節”が取り上げられていたので「なんと律儀な連中」と可笑しくなってしまったのだが、これもまた、彼ら一流のジョークなのかも。
 ライブではかなりの人気者となっているみたいだが、当方はこのCDが初対面。しかもこのCDにしてからが奄美限定発売なのだそうで、あんまり全国展開する気がない連中なのか?もともとは知り合いの結婚式のお座興として始まったバンドということで、”地元の仲間内での演奏”にこだわりでもあるのだろうか。

 もっとも、”内地”の音楽産業に下手に手を出されて音楽を変節、劣化させられるよりは、そのような流れに抗するパワーが確立されるまで、”奄美ローカル”にこだわるのも得策といえるだろう。
 ともあれ、これは嬉しい連中がいたもので、次々にあとに続くものが出てきたらと思うと、なんかゾクゾクしてしまうのであった。

肝がなさ節

2008-06-24 02:45:28 | 沖縄の音楽


 ”肝がなさ節”by 饒辺愛子

 さてこのアルバムの表題曲、沖縄民謡界のベテラン(1945年生)歌手であり、コザで民謡クラブ「なんた浜」を経営もしておられる、饒辺愛子さんのヒット曲であります。購入したアルバムの冒頭に収められていたこの歌、妙に耳残りがして何度も何度も聞き返してしまったんで、何か書いてみようと思った次第。

 この人は20代の頃、ラジオ沖縄で”民謡三人娘”のメンバーとして活躍し、65年に「なんた浜」でレコードデビュー、その後、88年にリリースした、この「肝がなさ節」がロングランヒットとなった、とのこと。ともかく、”沖縄の母”的な、味わい深い歌唱を聞かせてくれる人です。
 それにしても。いやあこの歌、最初に聞いたときはコミックソングと信じ込んでいたのさっ。

 あまり沖縄臭くない、むしろ韓国の民謡とかアメリカのカントリー・ミュージックのフィドルのフレーズとかを連想させる一癖あるメロディと、巧妙に韻を踏んだ歌詞が非常にトリッキーな印象を与え、これは絶対可笑しい歌だ、とか私は信じ込んだのですな。
 作曲者名を検めると”普久原恒勇”とある。ああ、それならね。
 普久原恒勇は、普通の意味での沖縄臭くないところが逆に非常に沖縄を感じさせるなんて、まったく一筋縄では行かない作風の沖縄の大物作曲家である。

 奄美の音楽を聴き始めたことで得た別の視点から、これまであまり馴染めずにいた沖縄の音楽を聴き直してみようと考えている昨今、キイポイントとなる存在のような予感がしているのであります、この人。まあ、それはそれとして。この人の作るメロディなら、それはこちらの固定概念を揺さぶって当たり前だな。

 そして、あまりにもリズミカルに軽妙に韻が踏まれているゆえに沖縄の言葉が分からない悲しさ、てっきりコミックソングかと思った歌詞も、調べてみれば人の心と愛のありようを深く切り込んだ内容になっていると知る有様で。異文化に接する際には早合点は禁物と、いまさらながらの思いをいたした次第でありました。
 でもほんとにこの曲は流しているだけで心地良くなれる曲で、なにかというと聞き返してしまうのですな。

 それにしても、このアルバムに何曲も収録されている、いかにも古い日本の歌謡曲の尻尾を引きずるマイナー・キーの悲しげな演歌は、音楽雑誌の”沖縄の音楽特集”なんて際にはオミットされている世界ですな。キナ・ショウキチ経由で沖縄に接し、ソウルフラワーなんとかがレコーディングに参加、なんて話題を正面に押し立てて作り上げられた沖縄のイメージからすると雰囲気ぶち壊しとなるからなかった事にされているのか?ちょっと揚げ足取り根性で注目してみたくなってます。

 その他、”ケーヒットゥリ節”の地味ファンクな手触りの心地良さや、最後に収められたデビュー曲の”なんた浜”の、静かな宇宙との対話のなんという美しさなどなど、まだまだ楽しめそうな盤なのでありますが、この辺で。

 肝がなさ節 (作詞とりみどり 作曲普久原恒勇)

 里がするかなさ 肌がなさ かなさ 年重び重び肝ぬかなさ
 肝がなさらやー 思みかなさらや