”Electro Duro”by Charlie Palmieri
初夏にちなんで島の音楽の話題、とか言ってカリブ海や地中海の島々の話でも書こうかと予定してたんだけど、考えてみると誰でも思いつくような話しか浮かんでこない。
などと言っていてもしょうがないから、今ちょうど聴いていたサルサの鬼才、チャーリー・パルミエリのこのアルバムでも取り上げることとする。
しかしサルサを島歌というんだろうか?サルサを”ニューヨーク・ラテン”と取れば違うともいえるし、その地に移植されたプエルトリコの音楽ととれば十分島歌だろうけど。
金属の指が鉄板に刻まれた鍵盤をまさぐるジャケ写真に顕されている如く、ラテンには珍しいオルガンをメインに据えたアルバムである。まあ、もともとオルガン音楽の好きな私であるのだが、このアルバムの不思議なサウンドの手触りは大好きなのであって。
オルガンは分厚いコード弾きでホーン・セクションの代理をしてみたり、快調にジャジーなアドリブ・ソロを弾きまくったり、やりたい放題の活躍ぶりである。
ともかく、サルサ音楽においては常時ど真ん中で鳴り続けているピアノがいない。ピアノ奏者がオルガン弾きと化す気まぐれを起こしたからである。そのポストモダンな(?)空白感と、電気楽器であるオルガンが、そのクールな電子音でサウンドの中枢を支配してしまっているゆえに、なんか全体が”白熱のテクノ”みたいな暑いんだか寒いんだかよく分からない微妙な空気に包まれる。
もっともサウンド自体は、何しろサルサという音楽が非常に勢いのあった70年代前半の録音ゆえ、実にパワフルである。しかし、その中央に居座るのがドリーミィなリバ-ブとかが糸を引くようにかけられたオルガンの音であり、そのパワフル加減にはどこかにある種の”工業臭さ”が漂う。
といっても、シンセのタグイを使っているわけでもなし、華麗なるオルガンのソロの向こうに見えてくる風景は”一時代前の未来派”みたいなタイプの”工業の面影”なんだけど。そう、昔のSF映画を見ている時みたいな”懐かしい未来”のぬくもりがあるんだな、この音には。
作られた時点ではシリアスな”時事もの”だったのだろう、アルバム中唯一のファンク・ナンバー、”タクシー・ドライバー”なんて曲も、今聴くと非常に和める曲だったりするのだった。
要するにこのアルバム、興隆期のサルサが夢見た未来の一様相といえるのだろう。
こいつもつまりは、アメリカ合衆国において彼らラテンの人々を含むマイノリティ勢力の間に強力な意識の高揚が見られた70年代初めの、”来なかった未来”に通ずる中絶した革命の忘れ形見とはいえないだろうか。
とか言ってるが、「ラテンバンドの主軸にオルガンが居座る」ってパターン、どの程度ユニークなものなんだろう?
以前、ここで取り上げた→●”オルガンのある街角”みたいに、足踏みオルガンとナマ楽器合同によるストリート・ミュージックなんてのがプエルトリコのお隣、キューバでは古くから行なわれているようだし、意外にこのスタイル、根の深いものかも知れないんですよね。