闇を生きる姿が光になる。
東京在住の女性A様から「これが自分なのだからこれで生きようと思うのだが、どうしても『このままじゃダメだ』とか『親に認められなきゃ』と思って苦しくなる。私から見ると坂爪さんは自己受容をできているように見えるから、お会いしてお話をしてみたいと思った」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。いつの間にか、私は私を認めることができるようになった。昔は違った。自己否定の嵐を、無力感や無価値感を抱えながら生きていた。一体、何が起きたのだろう。
父親は新潟県の新津というところに生まれた。祖父はヤクザみたいな男で、妻を早々と失い、再婚をしたが父親とは折り合いが悪かった。三人兄弟の長男として生まれた父親は、二人の弟を不幸な形で失っている。身内を全員亡くしたので、父親は新津の家を二束三文で売却した。故郷を失った父親は目に見えて落胆して「もう生きている意味もない」と言わんばかりの勢いで、毎日テレビの前に座り、酒を飲み、口数も減り、早々と眠るようになった。父親は、鬱病の薬を服用している。
母親は山形県の小国町というところに生まれた。五人兄弟の母には、行方不明になった兄がいる。ある日、母の元に「あなたの兄が北海道で問題を起こして保護されているから、身元引受人になって欲しい」と連絡が届き、飛行機で北海道に向かった。貧しい家庭に育ち、結婚をしてからも仕事や子育てに追われていた母親は、後にも先にも飛行機に乗ったのはこの時だけだった。六十歳を間近に控えて、ようやく一人の時間を持てるようになった頃、母親は「サイゼリヤに行ってみたい」と言った。生まれてはじめてサイゼリヤに行き、こんなものは見たことがないと言いながら楽しそうに食べる母親の姿を見て、泣きそうになった。
今から十年以上前、東京で問題を起こした私は行き場を失い、心身の安定を失い、実家に電話をした。電話に出た父親に「しばらく実家に帰らせて欲しいのだが、大丈夫だろうか」と聞いた。一度実家を出た男が、再び戻るのは許されないことだと思っていた。拒絶されるかと思ったが、父親は「当たり前だろう。お前は俺のこどもなんだからな」と言った。父親から愛されていないと感じたことはなかったが、実際に言葉にして伝えられたことはなかったため、この時、私の中にあった強張りの一つが、確実に溶け出したことを感じた。
実家に帰り、鬱病と統合失調症と椎間板ヘルニアを同時に発症した私は、半年間寝たきりの日々を過ごした。毎日死にたいと思い、ホームセンターに首を吊るためのロープを買いに行きたいと思っていたが、幸か不幸か体の自由が効かないため、死ぬことはなかった。時折、自宅の窓から外を歩く老人を見た時など、皮肉ではなく「その年までよく自殺をしないで生きてこれたな」と思ったりした。生きる自信のようなものが、私にはなかった。だが、母親は違った。ぶっ倒れている私を見て、母親は「あんたは大丈夫だよ」と言った。無様な姿を晒している私を、母親は隠そうとしなかった。自分が自分を大丈夫だと思えない時、自分以上に自分を信じてくれた母親の存在が、私を救った。ぶっ倒れた経験は最悪の出来事だったが、最悪の出来事を通じて、父親と母親の愛のようなものを感じた。多分、この時からだと思う。私から「親に認められたい」「親にわかってもらいたい」などの気持ちが、すっかり消え去っていた。
寝たきりの半年を過ごし、ようやく体の自由が効くようになった頃、父親が誕生日を迎えた。何か買ってやりたいけど、金がなかった私はリサイクルショップに行った。千円程度で買えるものはないかと物色したら、ビリーズブートキャンプのDVDが五百円で売られていた。父親も運動不足だと言っていたしちょうどいいかなと思った。家に帰り、父親と一緒にDVDを見たら、とてもじゃないけれど還暦間近の男がやれる内容ではなかった。父親は「買ってきてもらったのに悪いな」と言った。貧乏性の私は「それなら俺がやるか」と思って、死んだ魚のような目をしながらビリーズブートキャンプをやった。尋常ではない過酷さによる筋肉痛で、私は再び寝たきりになった。しかし、これまでの寝たきりとは質感が異なった。ああ、これが心地よい疲れというやつかと思い、毎日ビリーズブートキャンプをやっていたら鬱病も統合失調症も椎間板ヘルニアも薬なしで治った。
寝たきりだった時、ストレスによるジャムパンの食べ過ぎにより、一ヶ月で二十キロ太った。ビリーズブートキャンプの開始によって、目に見えて体重が減ることが楽しくなり、生まれてはじめて食べ物にも気を使うようになった。大好物のパンは、カロリー的には最悪なことを知った。小麦粉の代わりに豆腐を使うとカロリーを抑えられることを学んだ私は、料理未経験者なのに豆腐ベーグルなるものを作り出した。たまたまそれを知人に出したら「うまい。作り方を教えて欲しい」となり、料理教室の先生をやることになり、それが人気を博して、新潟と東京、果ては台湾でも料理教室をやるようになり、一躍、私は社会復帰した。
しばらく料理教室を続けていたが、ある日「俺は料理を極めたい訳ではない」と覚醒して、全部をやめた。ちょうどその頃、渋谷で同棲していた彼女からバレンタイデーの日に話があると言われ、チョコかなと思ったら別れ話を切り出された。その日から家のない生活がはじまり、家があったら絶対に出会わなかった人たちと会うようになり、こんな暮らしも面白いなと思って家なし生活を二年間続けていたら「ブログに感動した。さすがに家のない生活は大変でしょう。熱海でも良ければ家をご用意します」と読者の方からご連絡をいただき、現在暮らしている熱海の家が与えられた。
駆け足で自分の半生を語った。A様は「すごい」と言った。私も、私の人生をすごいと思う。意味がわからないし、俺ってなんなんだろうと思う。A様の質問の答えになっているかわからないが、私は「わからない」に支えられている。人生は何が起こるかわからない。わからないから、生きてこられた。私に愛のようなものがあるとしたら、それは父親と母親から学んだ。父親が「当たり前だろう。お前は俺のこどもなんだからな」と言ったように、母親が「あんたは大丈夫だよ」と言って私を隠そうとしなかったように、私も、私の目の前にいる人を見る。そう言う風にしか人を見ることはできないし、そう言う風にしか人を愛することはできない。私は、不幸を生きた父親と母親に最大限の敬意を払いたい。同じように、今、苦しみの中を生きている人にも敬意を払いたい。闇が濃いほど星は輝く。闇を生きる姿が光になる。
坂爪さん、こんばんは。
初めまして、◯◯◯◯と申します。
坂爪さんにお会いしたことはないのですが、ほぼ毎日、坂爪さんの文章から生きる力、勇気、パワーを得ています。
私はものすごいメンヘラで、最近は、内側にこもりすぎてしまい、今日はものすごいメンヘラを発動させてしまい、1人で苦しくなっていましたが、坂爪さんなら、内にこもるな!外に出ろ!と言いそうだったので、外に出てみました。すると、タイミングよく、楽しく話をできる相手が現れ、いい時間を過ごすことができました。また、私は1人だけど、1人じゃないと感じました。
友達も全然いなくて、人に言えないようなことをしている私ですが、面白く、激しく生きたいと思っています。
お会いしたこともないのに、このようなメッセージを送るのは気持ち悪いかなと思いましたが、送りたいから送ってみました。
いつもありがとうございます。
私にお金が入ったら、お会いするために、呼び寄せます。
おおまかな予定
11月17日(月)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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