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テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

SF大会で人生を間違えないために

2009-03-12 17:05:13 | Weblog
 来年、東京でTOKON10(第49回日本SF大会、立花眞奈美実行委員長、斎藤喜美子事務局長)が開催される。
 わたしがTOKON8の運営に参加したのは1982年のことだったから、もう四半世紀以上前のことになる。その間に東京で一回しか開かれていなかったというのに改めて驚いた。東京にパワーがなかったというより、地方ががんばったというべきだろう。
 わたしはもはやロートルだが、久々の東京だし、なにかお手伝いできることがあればと考えている。

 1982年のTOKON8当時は、「スターウオーズ」「未知との遭遇」などが引き起こしたSFブームが続いていたこともあって、SF大会の人気は高かった。1500人の定員はすぐにいっぱいになった。それもろくに宣伝しないで、その数だった。
 最初からその気で宣伝していれば、おそらく1万人ぐらいは集まっていたのではないだろうか。これは決してオーバーな数字ではない。締め切り後も、その倍近くの申し込みがあったし、志賀隆生ががんばったプログラムブックの広告の数を見れば、当時のSFに対するメディアの期待の大きさがわかるからである。

 企画段階の中心になったのは「イスカーチェリ」「科学魔界」「SF論叢」といった当時、硬派を自認していたファンジンだった。東京でSF大会をやろうと言い出したのが誰かはよく覚えていないが、気が付いた時にはみないっせいに走り出していた。
 実行委員長にSF評論で活躍されていた大宮信光さんを立て、柴野拓美さん、野田昌宏さんなどにもご協力をお願いした。実行段階では牧眞司さん、鹿野司さんら、東京理科大や日大などのSF研やそのOBも加わった。

 わたしは企画担当ということになり、実行委員から企画を募った。御前憲弘さんが時刊新聞のアイデアを出したり、中井紀夫さんが会場ツアーを提案したり、とさまざまな企画が提出された。わたしも「大宮信光・松岡正剛対談」とか、いくつか企画をでっちあげた。「大江健三郎・井上ひさし・筒井康隆」パネルという無理目の企画も考え、実現寸前までいったが、諸事情から頓挫した。オープニングCG、ドキュメントフィルム「福島正実」の未完成(原因はどちらも予算超過。とくにCGについては、途中で製作費を知って真っ青になった)などとともに、今思い返しても残念である。

 考えてみると、企画だけみても不思議な混沌とした大会だった。波津博明、沼野充義のソ連・東欧(左翼?)SF誌「イスカーチェリ」、巽孝之のポストモダンSF誌「科学魔界」、志賀隆生、永田弘太郎、そしてわたしのサブカル+現代思想誌「SF論叢」が、SF大会というコンベンショナルなイベントを共同開催しようというのだから、おかしなことにもなる。
 しかもこの3誌、みな理屈はいいが、実際に動ける仲間は10人もいなかった。結局、それ以前に大会の運営経験のある人たちの助けを借りることになる。
 個人的には、台頭しつつあったアニメなど映像SFに対する活字SFへのこだわり、ニューウェーブの再評価、SFと現代文学、現代思想、ポストモダンの融合など隠されたテーマもあった。ファンダム的には反「一の日会」というテーマもあったかもしれない。しかし当日が近づくにつれ目が回るような忙しさになり、そんなことはどうでもよくなった。最後なんとか辻つま合わせができたのは、SF大会という伝統の力のなせる技だろう。
 大きな事故がなかったのも幸いだった。直後、大宮実行委員長は心労の余り倒れてしまったが。
 これを機にわたしは役所勤めをやめ、あとあとまで、「あのときおまえが役所をやめなければと」と母親や姉に言われ続ける原因となった。そういう意味でも、思い入れが深い。来年までには、どこかで機会をつくって思い出話などもできればと思っている。
 若いSFファンがSF大会で人生を間違えないためにも。