2025/11/11
雨の中を赤い傘で歩く人
11日の衆議院予算委員会で、売春防止法をめぐる議論が一気に動いた。
有志の会の緒方林太郎議員が、高市総理に対し「売春の相手方を罰する可能性について検討するよう、法務大臣に指示を出していただきたい」と求めたところ、高市総理はその場で「買春に係る規制の在り方について、必要な検討を行うことを法務大臣に指示します」と即答した。
すぐ背後にいた平口洋法務大臣も、「売春防止法を所管する法務省において、近時の社会情勢などを踏まえ、売買春に係る規制の在り方について必要な検討を行ってまいります」と答弁した。
総理の発言が委員会中に大臣指示へと直結するのは極めて異例である。
その一連のやり取りはスピード対応として報じられ、SNS上では驚きと賛否が交錯した。
背景には、82%という歴代2位の高支持率を維持する高市内閣が、若年層や無党派層の信頼を固めるために「道徳・秩序」を軸とした政治姿勢を強調していることがある。
そして、その延長線上に、買春行為そのものを処罰対象とする北欧型の制度――いわゆる「ノルウェーモデル」への注目が再び高まっている。
ノルウェーモデルの最大の特徴は、性を売る側ではなく、買う側を罰する「部分的非犯罪化」にある。
性労働者は被害者として扱われ、処罰されない。一方で、買春者は罰金や懲役刑の対象となる。理念的には「弱者の保護」と「需要の抑止」を同時に実現しようとする仕組みだ。
しかし、その理想が現実の現場で完全に機能しているとは言いがたい。
たとえば、性労働者が安全を確保するために共同で部屋を借りた場合でも、それが「売春の場所提供」とみなされて処罰されることがある。
「売る側は罰しない」と言いながら、実際には働く環境自体が違法化されている――その矛盾が制度の限界を浮かび上がらせる。
制度導入の当初、街頭での性売買は急速に減った。警察統計上も「成功」とされたが、実際には問題が地下へ移動しただけだった。
取引はインターネットやSNS、暗号化メッセージアプリなどを介して行われ、警察の目が届かない領域で拡大している。
暴力団や外国人ブローカーが暗躍し、搾取の構造はより巧妙化した。性労働者は表に出ることを恐れ、助けを求められないまま孤立していく。
つまり、社会から「見えなくなった」だけで、現実にはより深く根を張るようになったのだ。
抑止の結果として、市場の透明性は失われ、被害の把握すら難しくなっている。
覚醒剤を思い出してほしい。日本では販売も使用も厳しく禁止され、違反者には重い刑罰が科される。それでも完全に根絶されたことはない。
需要がある限り、どれほど厳しい規制をかけても闇市場は生まれる。
この構造は性売買にもよく似ている。性サービスを求める需要は社会の中に一定の割合で存在し、それを完全に否定することは現実的に不可能だ。
需要が消えないのに供給ルートを遮断すれば、必ず地下で新たな流通経路が形成される。
それを担うのは、しばしば暴力団や反社会的勢力であり、結果的に国家が犯罪組織に市場を委ねてしまう。
善意から生まれた政策が、意図せず地下経済を拡大させてしまう――それが「ノルウェーモデルのパラドックス」である。
ノルウェーでは買春が発覚すると高額の罰金または懲役刑が科される。
そのため、市民が公然と買春に関与することは大幅に減った。
しかし、買う側は摘発を恐れ、匿名性の高い方法を求めていく。暗号通貨による決済、闇サイト、海外遠征などが広まり、結果的に取引は国家の管理外へと逃げていく。
警察の取り締まりは象徴的な逮捕にとどまり、実態はより見えにくくなる。
こうした副作用は、制度の理念が現実の複雑な経済構造に追いついていないことを示している。
道徳的抑止が強まるほど、性労働は可視性を失い、危険と搾取のリスクが増していく。
対照的に、ニュージーランドでは2003年に「売春改革法」が施行され、売る側も買う側も非犯罪化された。
性産業を労働の一形態と認め、登録制度や税制、健康・安全基準を整えた。
警察は犯罪抑止ではなく、労働者保護の観点から現場と連携するようになり、暴力被害の通報率が上がった。
制度の目的は「性の商業化の是認」ではなく、「見えない領域の可視化」にある。
完全非犯罪化は放任ではなく、責任ある管理の形でもあるのだ。
ノルウェーモデルが禁止による保護なら、こちらは制度による保護。
どちらが現実的に被害を減らすのか、各国の比較は示唆的である。
ノルウェーモデルの根底には、「性を買う行為は女性への暴力である」という明確な倫理観がある。
しかし、法がモラルを全面的に代弁しはじめると、社会の多様な現実をすくい取れなくなる。
性産業の世界には、貧困、家庭問題、自己決定、嗜好など、さまざまな背景が交錯している。
すべてを「搾取」として定義することは、当事者の声を奪うことにもなりかねない。
倫理の純化が、社会の影をより深くしてしまう危険を忘れてはならない。
必要なのは、単なる善悪ではなく、現場のリアリティを踏まえた制度設計だ。
覚醒剤規制の目的は明確である。人体への破壊的影響があり、社会秩序を守るために使用を禁じる。
しかし性売買の場合、問題の中心は人体の危険ではなく、搾取と暴力、そして貧困構造にある。
行為そのものを禁じても、その根にある要因を除かなければ何も変わらない。
ならば、完全な禁止よりも、安全と尊厳を守る方向への政策転換が求められる。
ノルウェーモデルはその途上の試みとも言えるが、現状では「買うことの罪」だけを強調し、構造的問題の解決には至っていない。
規制の目的が「消すこと」ではなく「守ること」へと変わるとき、初めて社会は成熟する。
日本では長年、性風俗産業が法の狭間で存在を許されてきた。
黙認と規制のバランスの上で成り立つこの状況を、どう評価するかは分かれるところだ。
しかし、ノルウェーモデルのような厳罰型を導入した場合、確実に地下化が進む。
反社会的勢力の資金源が拡大し、現場の女性たちはさらに不安定な環境に追い込まれる可能性がある。
現実的な選択肢は、罰することよりも安全を保障すること。
現行法の枠内で透明化を進め、支援と監視のバランスをとることが、今の日本社会に求められている。
必要なのは倫理を声高に叫ぶことではなく、現実を見据えて「どう守るか」を設計する政治的想像力だ。
ノルウェーモデルは理念として立派である。
だが、禁止によって人間の欲望を消すことはできない。
覚醒剤がそうであるように、需要がある限り市場は地下で再生する。
規制が厳しくなればなるほど、反社会的勢力は潤い、弱者は孤立する。
本当に必要なのは、見えない化ではなく見える化。
法と道徳の狭間で現実を直視する勇気こそ、いまの政治に求められている。
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Tag: セックスワーク
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