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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

マグレブ式狩猟歌

2008-09-18 01:59:12 | イスラム世界


 ”abidat r'ma sorba”

 現時点で、ワールドミュージックシーンの間違いも無く最先端にいるのが北アフリカのアラブ世界なのだが、世界のほとんどの人がその事に気がついていない。いや、ワールドミュージックという概念そのものに興味を持つ人がろくにいないんだから、そりゃしょうがない。
 北アフリカのアラブ人たちも自分たちのやりたい音楽をやっているだけで、最先端も何も知ったことではないだろうし、まあ、こんな事を書いてみるのも余計なお世話でしかないのだが。

 というわけで今回の盤。これはその北アフリカはモロッコ在住のベルベル人社会で、狩猟の際、獲物を追い込むために奏でられていた伝統音楽を再生させたものだとか。
 とにかく凄いテンションが終始漲っている音楽で、一聴、圧倒されてしまうのだった。

 前のめりの性急なノリで打ち鳴らされる民俗パーカッション群のワイルドな響き。そして鍛えられた声質の雄々しくも鋭い表情のボーカル陣が、それに乗って歌というよりは呪文、あるいは祝詞みたいなシンプルなメロディのコール&レスポンスを歌い交わす。
 聴いているだけでも血圧が上がってくるようだ。いったいどんな動物を追いまわしたのか?この音楽の中に受け継がれている猟人たちの血の騒ぎの熱さに驚きつつ、思う。

 サハラ砂漠を吹く風には極めてよくお似合いの、あくまでもクールに乾ききった表情の中に、研ぎ澄まされた激情が駆け抜ける。
 ふと、ブラック・アフリカの怒号王、ナイジェリアのアパラ・ミュージックの突撃隊長だった、故・アインラ・オモウラの音楽など思い出す。オモウラの音楽と迫力において張り合える音楽など、この時代に”新譜”として聴けようとは予想だにしなかったので、これは嬉しい驚きなのだが。

 それにしても、このせき立てられる様な性急なノリと攻撃性。どこまでが伝統に由来し、どこまでが今日を生きる者の抱え込んだ抑圧に由来するのか。
 なんて事をふと考えた。中ジャケ写真の、民族衣装を身にまとって草原で伝統的遊牧民の暮らしを演じ、あるいはまた、ジーンズを履いてあくまでも今日を生きる若者としての表情を浮かべつつモロッコの古びた街角をのし歩く、このユニットのメンバーの写真を見ながら。

 鮮烈な鞭の一閃、みたいな音楽。”空耳アワー”的話題ではあるが、中途で「ヤバイ!」「ヤバイ!」「ヤバイ!」「ヤバイ!」と聞こえる怒号の応報の瞬間があり、うんまったくだ、ヤバい音楽もあったものだなあと納得してしまった次第。
 やっぱり北アフリカからは目が離せない。

”加護営業”のうさんくささ

2008-09-17 04:24:30 | いわゆる日記


 リストカットといい未成年者喫煙といい、ともかく心の病関係者がちょっとでも隙を見せれば強引に顔を突っ込み、その道の権威者ズラして高所からものを言うという”加護営業”は順調に稼動しているようですな。
 それにしても加護はなぜ、あんなにも偉そうに出来るんだろう?”自殺未遂か?"と疑われた某少年俳優に対するコメントなんかには呆れるしかなかったんだけれど。

 で、加護のバックにいる事務所関係者というもの、どういう神経でいるのか。どのくらいの商売が成り立っているのか知らないが、その結果として明らかに、一人の単にバカな女を大勘違い人間へと変身させているわけだが。この”勘違い”だって”心の病”だよ、もちろん。

 加護とかかわりを持って喜んでいる社会運動関係者ってのも分からない。話題になって人を呼べればそれで良いのか?そんな事をすれば自分がそれまで築きあげてきた実績、いや、その社会運動自体までもがすべてうさんくさく見えてしまうって、分かっているのかな?

 そして、加護が何かやるたびに、下のように全面的支持の内容の記事を掲げるマスコミって何?何らかのビジネス上のつながりがあるわけ?
 とにかくうさんくさいよなあ、あれに関わるすべてのものが。

 ○加護ちゃん 自殺未遂者に生きるエールを送る!
 (日刊サイゾー - 09月16日 09:10)
 9月13日(土)、新宿ロフトプラスワンで、自殺防止を呼びかけるイベント「ストップ自殺!~あなたは1人ぼっちじゃない~」が行われ、特別ゲストとして、元モーニング娘。の加護亜依(20)が登場した。
 今イベントは、自殺未遂体験者の話を聞くとともに、どうやって「生きづらさ」を乗り越えたかについてゲストを交えて話し合い、死を考える人々へ生きるメッセージを投げかけようという趣旨。
 前半では、対人恐怖症やパニック障害などで自殺未遂を経験した5人が、絶望の淵から生きる気力を取り戻すまでの体験談を語り、詩の朗読やライブなどのパフォーマンスを行った。自らの孤独とやりきれなさを切々とつづった詩の朗読には、客席のあちらこちらからはすすり泣きが聞こえるほど。
 そして後半では、作家の中山美里さんと、加護ちゃんことタレントの加護亜依を招いて、「生きづらさ」をテーマにトークライブを実施。加護が登場すると、前半の神妙な雰囲気とは一変、会場は異様な盛り上がりを見せる展開に。
 自らも自殺未遂経験者である同イベントの主催者・月乃光司氏に「僕たちの仲間です!」と紹介された加護。司会者から「今まで生きている中で、一番辛かったことは?」と聞かれると、「未成年の時に喫煙をして事務所を謹慎、解雇になった時。でも、母親が叱ってくれたり、周りの人間が頑張っている姿を見ていたら、『もう一回頑張ろう』って、段々と前向きになれて。私は1人だと悲劇のヒロインみたいになっちゃうので、色んな場所に行って色んな人と話すことで、ストレス発散になって考え方も変えることができました」と、自虐ネタも織り交ぜつつ語り、観客の笑いを誘った。
 さらに、「落ち込んだ時の対処法は?」という質問には、「プールに行って、人魚姫になった気持ちで泳ぐ。苦しくなるまで泳ぐと、最後に負けないぞ、という気分になってやる気が出るんです」と明るく回答。また、作家の中山さんから「私は16、17歳のころは辛い時期を過ごしてきたのですが、加護さんの思春期はどんな辛さがありましたか?」と聞かれると、「当時はモー娘。にいた時ですが、基本的に辛いと思ったことはありません。17歳のころは、最高の青春でしたね!!」と、笑顔を見せた。
 最後には「落ちこんだ時は色んな人と話すことが大切。『加護亜依LIVE~未成年白書~』の中で私はいろんな人と対談したのですが、とても勇気をもらった。だから、この本を読んで私みたいに前向きになってくれる人がいたら嬉しいです!」と、8月25日に発売した著書の宣伝も卒なくこなした。

西海ブルース

2008-09-16 02:20:22 | その他の日本の音楽

 ”ふたりで歩いた あの坂道も 霧にかすんで 哭いている
  浮いて流れる あの歌は 君とうたった 西海ブルース”(永田貴子 作詞)

 先日の夕食時、ぼんやりテレビを見ていたら、70年代に人気を博した歌謡コーラスグループである”内山田洋とクールファイブ”のメンバーが集まり、同窓会みたいなものが出身地長崎を舞台に始まったのだった。

 すでにリーダーの内山田氏も亡き人となった今、いかにも旧友再会みたいな雰囲気を醸し出しつつ、しかしその裏にこじれ倒したかっての人間関係などそこはかとなく伺わせつつの番組を、画面に出てきたメンバーが一部妖怪化(外見が)しているのにのけぞりつつ見ていたら、流れてきたのが”西海ブルース”だった。

 なんでもこれは長崎のクラブ回り時代にクールファイブが吹き込んだ自主制作盤であり、これが中央のレコード会社の目に留まり、全国デビューの運びになったという事の次第のようだ。
 おそらく私ははじめて聞く歌と思われるのだが、これが実に良い塩梅の長崎演歌であって、すっかり気に入ってしまったのだった。

 当方には以前よりぼんやりと夢想している、東アジア歌謡連続帯とでも言うべき音楽地図の構想がある。この場にも何度か書いたが。
 東南アジアより連なる、まるで黒潮に乗って運ばれてきたかのような音楽の流れを妄想している。具体性も何もなく、学術的裏付けはさらになく、どちらかといえば東アジア大衆音楽に捧げる詩のようなものなのだが。

 その連続帯構想では北辺の地に想定している長崎に、独特の音楽が存在していると仮定してみたい。その”長崎音楽”の重要な構成要員として迎えたくなる曲だったのだ、”西海ブルース”は。
 この歌には長崎ネタの唄特有の、まったりとした暖かさとカラフルな異国情緒が伺え、何より歌の中で雨が降っている(九十九島の 磯辺にも 真珠色した 雨が降る)のだ。

 そういえば長崎をテーマにした歌謡曲のほとんどは歌の中で雨が降っている、なんて話をどこかで読んだ事があるのだが、こいつなどは我が妄想の有力なる援軍として歓迎したい。その雨は南の島から海を越えて北上して来たスコールの面影に違いないのだ、詩的に言えば。気象予報官の見解は無視する事とする。

 私の妄想する”長崎音楽”の先駆としては、渡辺はま子の「雨のオランダ坂」(昭和22年)あたりを置いておこうか。”こぬか雨降る港の町の 蒼いガス灯のオランダ坂で 泣いて別れたマドロスさんは”なんて感じの歌なのだが。
 この種の長崎歌を集めたアンソロジーなど出ていないものかなあ、などと思うのだが。いや、私のような妄想に囚われている者でなくとも、これは聴きたいよね。

 そういえば今年はまだ、台風らしきものがやって来ていないな、私の地方には。台風の来訪の露払いとしてやって来るあの感触。
 それこそ南の海から吹き寄せられてきた湿った熱風が我が海辺の街の通りを満たす、あの感触を今年はまだ味わっていない。このまま秋になるとも思えないのだが。

アフリカの神が降臨した頃

2008-09-13 21:17:01 | アフリカ


 ”African Scream Contest ”
 <Raw & Psychedelic Afro Beat From Benin & Togo 70's>

 数日前に、「スライ・ストーンの屈託も知らずに呑気に音楽形式だけ流用して軽薄に盛り上がる”お手軽ファンク”なんか大嫌いだ」、とかなんとか書いた私でありますが、この盤は良いよ!

 60年代末から70年代初めにかけて、西アフリカはベニンとトーゴ両国で燃え上がったいくつもの”ご当地ファンクバンド”のレコーディングを再録したアルバム。
 つまり、アメリカ合衆国々内のアフロ=アメリカンの人々の間で発生したファンクなる濃厚なダンスミュージックが大西洋を渡ってアフリカに逆輸入というか先祖がえりをし、アフリカの人々にも広く愛好され演奏され踊られた、その記録である。

 で、聴いてみた感想なんですが、工夫のない言い方で恐縮ですが、60年代と70年代の狭間、アフリカのこのあたりのファンク・シーンは凄い事になっていたんだね!
 アメリカのファンクバンドの影響が、どのようにして当時の西アフリカにもたらされ、どのように受け入れられたのか、詳しい話は付属の小冊子に書いてあるみたいなんだけど、英語なんで面倒でまだ読んでいない。申し訳ない。ちなみにこのCDはドイツの編集盤。

 海を渡った音楽を聴く際の楽しみに”誤読を味わう”というのがある。
 たとえばこの盤に収められた演奏から、当時のアフリカの人々がいかにアメリカのファンクミュージックを誤解しつつ受け入れて行ったか、なんてあたりを楽しむわけで。

 実際、ここで聴かれる西アフリカ製の”ファンクミュージック”は、本場アメリカのそれとは、やる側は同じつもりだったかもしれないが結果としては相当に見当はずれなものになっているものが多い。
 まあ、我々も我が国の60年代グループサウンズの音楽を聴く際、当時の日本人の感性によって誤読されたロックミュージックを笑って楽しむ、なんて事をしますな。

 けど、この場合の”誤読”は最高の結果をもたらしているのだった、意外にも。

 たとえば、冒頭に収められた”Lokonon Andre & Les Volcans”の演奏などは、西アフリカ風に変形してしまった”ファンクミュージック”の演奏が、とてつもなくかっこ良いアフリカ特有のダンス・ミュージックを結果として生み出してしまっている。
 アタマの、無伴奏の強力に渋い歌声に始まり、無骨にスイングする演奏が脈打つリズムを送り込むタイミングといい、黒く、地を這うような重いビートといい、これはまるで全盛期のナイジェリアのフジ・ミュージックあたりに極めて近い演奏と言えるだろう。

 ここでは、アメリカのファンク・サウンドをアフリカ風に捻じ曲げつつ模しているうちにミュージシャンたちの上にアフリカの祖霊が降臨して来る、アフリカの伝統音楽の真髄に触れてしまっている、そんな素晴らしい瞬間を何度も味わうことが出来る。
 その後に続くバンドたちも各々のやり方で、同じように熱く美しい”アフリカの声”を発するに至ってしまっているのであって。こんなに美しい瞬間の連続は、たまりませんな。

 あくまでもミュージシャン当人たちは、彼らのヒーローたるアメリカのファンクバンドに近付きたいと一途に思ってやっていただけなのに、というあたりがまた素敵だ。自覚がないままにとんでもない事をやっていた、その辺の間合いがね。
 これらのバンドたちの活躍はひと時の花火と終わってしまったようで、これが契機となって現地独自のポップスが生まれたりシーンとして成立はしなかったのは、なんとも惜しく思われるのだった。

 まあ、あの地域も大衆音楽を育むどころではない時期も長かったわけで。このあたりは複雑な気分ですなあ。
 というか、ここまで黒く脈打つ、禍々しいまでの切れ味を示すアフロ・ポップスが今日ではあまり聴けなくなっている事実もまた、残念に思える次第。

続・でっちあげの”放送禁止”

2008-09-12 02:53:43 | その他の日本の音楽


 9日に”でっちあげの”放送禁止”なる文章を書きましたが、これに関してはmixiでも話題にしてみました。すると、いくつかの反応がありましたので、それのご報告。
 他の方が寄せてくれた私の文章への反応をそのまま載せたい所ですが著作権の問題もあり、それに対する私のレスのみ、ここに紹介します。まあ、何が話題となったかはご想像いただけるのではないかと・・・
 中途半端な記事で恐縮なのですが、お読みいただければと。

 ~~~~~

 Aさんへ
 まったく、ショービジネス=モンキービジネス、呆れますわ。
 さらにさらに、それに乗せられて仕掛け人のもくろみ通りに反応する”一般大衆”ってのが、もの凄く気持ち悪いです。”統治されたがる人々”というんでしょうか。なんなんだろなあ・・・

 Bさんへ
 始まりは苦情のコメント一本とか、そんなものだったかもしれません。そいつを猿芝居に持って行った策士がいるんでしょうねえ。
 
 Cさんへ
 ”コンビニがわざわざ偽装を行なう”というのは、まあ確かにオーバーな話というか”釣り”気味のブラックユーモアですが、あの記事の中で”コンビニで自粛”の事実がいつの間にか巧妙に”放送禁止”にすりかえられている。これはご覧になったとおりですね。現実に、我々の目の前で偽装は行なわれているわけです。

 Dさんへ
 「100人聞いて99人が」のくだりは、私も突っ込みどころだと感じていました。
 そもそも”100人聞いて99人がいいといってくれる”なんてありうると思うのか?本気で言っているなら思いあがりもいいところで、”100人聞いてその半分にでも関心を持ってもらえたら奇跡”くらいがいいところでしょうね。いいとか悪いとか感想を持ってもらえるのは、その先の事で。いい気なものですわ。

 Aさんの言われるとおり、「一人でも」がそのように動き出す事を想定すると・・・こいつは非常に危険な考えといわざるを得ないでしょうね。ますますヤバい、と。

 Aさんへ
 そういえば以前、「朝まで生テレビ」で差別に関する討論が行なわれた際、「あきらかに事実誤認に元ずく見当違いのクレームでも争わずに謝罪を行なう」なんて話も出ていましたね。
 放送禁止とか発売禁止とか普通に言われている現象、実態はこのような”自粛”であるわけで。そのような状況下で歌を世に出す側が「100人中一人でも」と言ってしまう。今回の件、はじめに思っていたよりさらに深い問題を孕んでいそうです。

文芸スライ

2008-09-11 03:35:08 | 北アメリカ


 ”Stand! ”by Sly & the Family Stone

 某音楽雑誌を立ち読みしていたら、この秋に”スライ&ファミリーストーンの”という肩書きで通じるだろうけど、あのスライ・スト-ンが来日するなんて記事があって困惑してしまったのだった。

 それは私もスライの音楽、ことに彼が1960年代の終わりと1970年代の始めに世に問うた2つのアルバムのファンであること間違いないのだから、彼の来日が気にならないわけはない。が、”あれ”からもう30年の歳月が経っているのだ。来日の報に気楽に喝采を叫ぶ訳には行かない。むしろ、「大丈夫なのかいな?」と心配が先にたつ。

 スライといえば”ファンク・ミュージックの革命児”である。で、その”ファンク”なる形式を踏襲している音楽を聴いて私が普通に抱く感想は「ま~ったく、ドカンドカンと無神経な騒音を力任せに立てやがって!盛り上がりさえすればそれでいいのか?頭悪いミュージシャンって、これだから嫌だよなあ」といったものであって、もうハナから音楽と認めていなかったりする。

 それもこれも、スライが60年代と70年代の狭間で、その音楽を相手に戦った孤独な戦いが心のうちに引っかかっているからで、そんな苦しみも体験せずにお前ら、勝手にファンクなんかやる資格があると思っているのかと、うん、言葉にしてみればほとんど言いがかりなんだが。

 スライが69年に発表した”スタンド!(Stand!)”は、あの高揚していた時代の精神をそのまま活写したような陽性のエネルギーに溢れた作品だった。

 黒人のスライがリーダーながら、彼のバンド、ファミリー・ストーンには黒人と白人のメンバーが入り乱れ、それだけではなく女性のメンバーが、それもありがちな”ボーカル要員”ではなく楽器のプレイヤーとして参加し、当時のソウル系のバンドとしては珍しく服装もバラバラ、ステージで演奏しながらのダンスも自然発生的に始まり、リード歌手役も各メンバーが廻り持ちした結果、”決起集会”的な盛り上がりをいやがうえにも醸し出すものだった。

 そのようなスタイルが強靭なリズムを伴って展開され、”長いこと座り込み続け過ぎたお前”を”立ち上がれ!”と煽り立て、あるいはわらべ歌のメロディを編みこんだ飄逸なメロディが白人たちに「共生」の手を差し伸べるメッセージを歌い上げていた。
 つまりはスライの提示したその音楽世界では、時代の影に圧殺されていた人間性の陽のあたる部分の回復が力強く宣言されていた。

 それで事が済めばよかったのだが。

 そしてそれから2年の歳月を置いて1971年に発表された次作、”暴動(There's a Riot Goin' On)”には、”スタンド!”とはまったく様相の異なる世界、陰性のファンク・ワールドが横たわっていたのだった。

 異様な呟きを洩らしつつ暴れまわるエレキベース。なぜかサウンドの要にいて、奇怪な呪物として無機的なリズムを送り続けるリズムボックス。
 そこではグツグツと暗闇の中に煮えたぎるリズムの海に異様な音塊が浮き沈みし、陽性のエネルギーに溢れていた前作とある意味逆の、人の心に住む悪魔的要素への祝祭が行なわれていた。

 この、1960年代と70年代の谷間を挟んで発表された二作品の内容の乖離具合が、”青春文芸としてのスライ”物語を決定的に成立させた。「あの太陽の神に祝福されていたスライが、何の理由があって闇の世界にのたうつことになったのか?」と。 
 現実にスライはその後長いことドラッグ浸りの生活から抜け出すことが出来ず、ミュージシャンとしても不調の闇に沈んで無為に時を過ごし、まさに定番の、凋落した天才物語を身をもって演じた。

 これはたとえば、”スマイル”という、もし完成させ得たならばロックの歴史を変える大傑作になっていたのであろう作品を完成途上で放り出して、やはりドラッグの海に沈んで行ったビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの惨憺たる伝記に、もちろん通ずるところがある。
 どちらも苦悩する芸術家物語として我々の大いに好むところのものであって。甘い感傷を勝手に添加し、我々は彼らの物語と音楽を何度も反芻し楽しむ。

 だけど考えてみればスライやブライアンって、いったい何に悩んで、あんな具合に目の前にある栄光を価値なきものの様に放擲するような生き方を選んじゃったんだろう?
 まあ、あの自分の人生を自らめちゃくちゃにしてしまうような負のエネルギーと表裏一体のものとして彼らの表現者としての天才はあったのだろう、なんて凡夫たる我々は勝手に納得してますけどね。連中の精神構造って、どうなっているんだろう?そして、そんな彼らの物語をことのほか好む我々の精神構造は?

 何の話をしていたんだっけか?ああ、スライが来日。本人に聞いても分からないだろうなあ。というか、ほんとに大丈夫なのか、スライは?ステージに立っていたのか、最近は?いや、もちろん危なっかしくて恐ろしくて見に行けませんてば、ファンとしては。

でっち上げの”放送禁止”

2008-09-09 02:56:42 | その他の日本の音楽


 森山直太郎の新曲、「生きてることがつらいなら」が問題となっているそうですけど・・・

 問題にするほどの曲かね?話題の歌詞は意味ありげにこけおどしの語彙を並べているが、よく読めば凡庸なことしか言ってはいない。
 結局、歌手と楽曲の話題作りのために”放送禁止騒動”がでっち上げられ、皆、それにやすやすと乗せられてあれこれ論争を始めている、それだけの事じゃないのか?

 だって、ニュースの表題に”禁止曲”なんて打たれてるけど、この曲を放送禁止にした放送局なんてないよね?この曲をかけて会社をクビになった放送局員って、いるの?
 この曲をかけると何の法律に引っかかるの?そんな法律はないよね。

 この曲を流さないと決めたというコンビニだって、実は影でつながりがあって、話題作りに協力してるって事はないのか?
 どうしても店内でその曲をかけなきゃ売り上げが落ちるってものでもなし。そもそもコンビニって物を売る商売で、音楽聴かせる場所じゃないから、どうでもいいでしょ、この曲をかけるかかけないか、なんて。

 ありもしない”禁止の脅威”がぶち上げられ、そいつをネタに、偽装のイベントが走り出す。北朝鮮なんかがよく使う、”我が国への侵略の意図がある”なんて声明とある意味、同質じゃないか。

 そして騒動の後で気が付いてみれば。

 ”問題曲”として話題になったことによる宣伝効果によってCDの売り上げも上々、レコード会社はホクホク顔。 
 歌手本人はまるで受難のヒーローを見るみたいな視線に送られて、”ワンランク上のアーティスト”のポジションに鎮座ましましている。
 そして”賢い消費者”の皆さんは、買い込んだCDを前に、「聴いてみればいい曲なんだよ」とか、こいつも仕掛け人の思惑通り、”予定されたエリート意識”の中で自己満足するという仕組み。

 ”一同めでたく舞い納める”って奴だね、能の用語で言えば。

 まったくものを疑う事を知らない人々って、ある意味、幸福だよねえ。

 ああ、恐ろしい。

 ○直太朗が“放送禁止曲”NHKで全部歌う
 (日刊スポーツ - 09月08日 09:52)
 歌手森山直太朗(32)がNHK「MUSIC JAPAN」(11日深夜0時10分放送)で、一部コンビニエンスストアの店内放送の禁止など、賛否両論の論争が起こっている新曲「生きてることが辛いなら」を約4分半フルコーラスする。民放では、編成上の理由から3分程度の披露だが「今回は作品として、すべての歌詞をきちんと聞いてもらいたい」というNHK側の意向から、異例の、初フルコーラスが決まった。
 フルコーラスが放送される直前には、歌詞の意味や騒動についての思いなどを語った森山のインタビューが約3分間流れる。同番組では異例の構成。不特定多数が出入りするコンビニでは歌詞の一部だけを耳にする可能性があり、一部のチェーンが店内放送を禁止にしたことを重く受け止めたようだ。
 「メッセージは詞の全体に込められています。全体を聞いてほしい」とコメントしてきた森山だが、同番組でコンビニの措置について聞かれ「すごくいい判断なんじゃないかとは思いました。誰かをむげに傷付けてしまうっていう、それだけはやっぱ嫌だ。100人聞いて99人がいいと言ってくれても、1人がネガティブな受け取り方をしてしまうのは、望んでいない」と話したという。
 同番組は07年4月にスタートしたJ-POPの最新ヒット曲を紹介する30分番組。ナビゲーターの関根麻里(23)に代わって自ら森山にインタビューした番組の石原真チーフプロデューサー(50)は「歌にいい印象を持っていない視聴者がいることは理解しているが、世に問うべき曲だと思っている。最後まで通して聞いてみてください、と紹介したい」と話した。

遥か台湾の岸辺に

2008-09-07 01:43:23 | アジア


 ”飲乎酔”by 楊瀞

 えーい、いい加減にしろと言うしかない蒸し暑さが続いているのだが、暦の上ではもう9月になっているのである。

 宵の口、日課のウォーキングに出かけると、海岸では相変らず観光客たちが暗くなった海に向い、花火を打ったりビーチバレーに興じたり、あるいはただそぞろ歩いたりしているのを見かける。
 その勢いは、だが、真夏と比べるとさすがに寂しいものがあり、そもそも断然人数は減っている。

 彼らに一夏踏み荒らされてデコボコとなってしまっている砂浜に力なく波が打ち寄せる様子は、まるでこの夏の酷い暑さに海までが疲弊しきったかのように見える。
 そんな海を横目に遊歩道を歩いて行くと、時に涼しい風は吹きぬけ、また道際では秋の虫がとっくに鳴き出しており、このクソ暑さではさっぱり実感がわかないものの、秋はすでに忍び寄っていると思い知らされる。

 この夏は、沖縄の音楽ばかり聴いていた。それまでは、”沖縄音楽至上主義者”とでも言うべき沖縄音楽びいきの人々の、「沖縄の音楽こそ偉大である。沖縄の音楽家こそ正しい。沖縄のすべてが正しく、疑問を差し挟む者はすなわち反革命である」みたいな物言いに閉口してまるで聴く気になれなかった音楽だったのだが。
 だが、昨年末から奄美の音楽を聴き出したことのついでに、そのお隣の音楽も聴いておこうと気まぐれを起こし、そしたら手もなくはまってしまったという次第である。

 それまで沖縄びいきの人々が入れ込んでいた革命的シマウタ(?)は避け、別に革命と関係なさそうな”単なる沖縄の歌謡曲としてのシマウタの側面”を探る間合いで聴いてみたのが成功だったと思っている。一度こだわりが破れると、沖縄の音楽はまさに堰を切ったようにこちらの心に流れ込んできた。

 故・高田渡がよくその詩にメロディを付けて歌っていた沖縄の詩人、山之口獏が”端書”という短い詩を書いている。かって愛していた女性に宛てた詩で、「あなたが彼と寝ると想像するだけで、あんなに暑かった台湾が、さらに、耐え難いほど暑くなるように思われる」といった内容なのだが、そういえば台湾は沖縄のさらに南にある。

 と、改めて確認してしまうくらい、いかにも熱帯の音楽という感じの沖縄のシマウタと並べてみると、台湾の音楽には熱帯臭さが感じられない。
 大衆音楽の手触りからだけで判断すると、どう考えても台湾は沖縄より北にあり、冬にはきっちり雪まで降り、しかも積もりそうな印象まである。

 それは台湾の”公式”な面を支配しているのが、かって国共内戦で毛沢東の共産党に破れ、台湾の地に落ち延びて、とりあえずその島の支配者となった国民党政権の中華民国であり、文化の面にもその影が落ちている、その証左であるのだろう。台湾の公式な文化の根はいまだ大陸にある。

 その一方、台湾の草の根階級と書いてしまうが、そちらを構成している、台湾語を喋る、国民党がやって来る以前から台湾の住人だった人々とその子孫たちの文化にはそれなりに風土に適応した個性が存在しているように私には聞こえている。

 たとえばその一つが、アクの強い台湾語で歌われる台湾の演歌だろう。

 かって日本が行なった台湾の植民地支配の置き土産の一つであろうその音楽は、昭和30年代あたりの日本の演歌に基本を置き、それに台湾風の洗練が加わった、独特の味わいがあり、”沖縄の南”の熱気を強力に歌い上げている。

 典型的な”古賀政夫スタイル”のギターの爪弾きが奏でられ、尺八が嫋々と鳴り渡り、琴の音の響きに導かれて、ネットリとしたコブシ回しの歌声が聞こえてくる。
 今日の日本の演歌界では”時代遅れ”として採用されないような典型的な演歌のメロディ、歌唱法、アレンジなどが”臆面もなく”展開される。時に台湾語の歌詞に”忘れない~忘れない~♪”などと日本語のリフレインが入り混じり、驚かされたりもする。

 現地ではおそらく、”下層階級の聴く音楽”などと認識されているのではないかこの音楽の、日本のそれとも韓国のそれとも異質な、南国独特ののどかな個性を持った演歌表現が私にはたまらなく愛らしいものと感じられている。

 私の最近のお気に入り演歌歌手が、上に挙げた楊瀞(ヤン・チン)である。何枚か集めたCDのジャケ写真を見る限りは、日本のグラビア・アイドルの”オシリーナ”こと秋山莉奈に似ている。似ているような気がしないでもない。どうでもいいことではあるが。
 濃厚な歌い方が当たり前みたいな台湾演歌の世界においては珍しい、清純派といえる可憐なコブシ回しが愛らしい。というか今日風に言えば”萌える”のであって。たまりまへんわ。

 彼女はここ数年、出身地である台湾からシンガポールやマレーシアなど、中華系の人々のニーズが存在する東南アジア地域に活動の中心を移しているそうな。そちらの方により大きなビジネスチャンスが潜在じているということなのだろう。
 地図の上に引かれた国境線など無視してパワフルに脈打つ大衆音楽のダイナミズムのありようなどうかがわせて、こいつも血の騒ぐ情報と受け取っている。

 夜更けの浜辺に、まだわだかまる暑気。そいつもまた、黒潮と共に立ち昇って来た、遥か南の島のエコーと受け取れば。いや、それでも暑苦しいものは暑苦しいんだけどさ。早く秋らしい秋が来ないものか。

ペルーのバラの色

2008-09-05 03:58:42 | 南アメリカ


 ”COLOR DE ROSA / Poesia y Cantos negros” by SUSANA BACA

 このCDの販売店でつけられていたタイトル和訳が、”スサーナ・バカ/バラの色~黒人の詞と歌 ”ということで。南米ペルーの、アフリカ系音楽界の大物女性歌手だそうだ。
 彼女が80年代にキューバを訪れて現地の大物ミュージシャンをバックに吹き込んだ記念碑的作品集。

 大物歌手と言っても、聴いていて”起立!”とかせねばならない気分にさせる威圧的な波長を発する歌い手ではない。
 むしろつつましい個性の持ち主で、民衆のうちに息付く旋律の一つ一つを愛しむように素朴に誠実に歌い上げる人という感じがする。その歌声が非常に味わい深いものであるのはもちろんなのだが。

 キューバ音楽の重鎮連中が顔を並べたバッキングは非常に洗練され、全体の出来上がりも格調高い。”アフロ・ペルー音楽の宝”を迎えて、キューバの人々なりに誠意を尽くした様子が伺える美しいセッションだ。

 だからここではペルー民衆の汗と埃、血と汗と涙の生々しさが濃厚に香る、という世界は展開されていない。どちらかといえばモノクロームの世界。
 心落ち着けて音楽に向い、ペルーのアフリカ系民衆の喜怒哀楽とその歴史に思いをはせる、そんな聴き方がふさわしいといえるかも知れない。

 抑制された表現のうちにそこはかとない哀愁をにじませた素朴な旋律が、静かに、だが力強く脈打つリズムに支えられて歌い上げられて行く。
 その過程でときに、いかにもラテン世界のものらしい非常に甘美なメロディがフワッと姿を現し、鮮やかな光芒を空間に描く。その瞬間の豪奢な輝きは、まさに民衆の心のうちにだけ存在可能な宝石の輝きを目の当たりにする趣がある。

 それにしてもタイトルのバラの色・・・何度も聞き返すうちに”漆黒”であるように感ぜられてならないのであるけれど・・・

いらねえよ、”DARKNESS”

2008-09-03 16:03:14 | その他の日本の音楽

 ”浅川マキII”by 浅川マキ

 EMIとか言うレコード会社、バカじゃねーの?と、とりあえず言っておこうか。いや、浅川マキのアルバムの発売状況に関しての話なんだけど。

 この間、酔ったついでにふと浅川マキの歌を聴きたくなったんだけど、手元には彼女のデビュー盤のCDしかない。で、それ以後のアルバムを買っておこうかと思って通販サイトを覗いてみたんだけど、やっぱり、あの中途半端な”DARKNESS”のシリーズしかカタログには生きていないんだな。まだこんな状況なのか。呆れました。

 もうどこから見ても大ベテランの浅川マキがかってリリースしたアルバムが、なぜかもう長いことオリジナルな形のものはすべて廃盤のままにされている。この”過去の名作再発掘CD再発売ブーム(?)”の中で、これは極めて異様な状態といえよう。

 その代りに世に出ている浅川作品は、”DARKNESS”なる、60~70年代の初期のレコーディングと、90年代以降の、まあ最近といっていいレコーディング作品とが不自然に抱き合わせにされた奇妙な2枚組CDのシリーズだけなのである。

 なんだろうねえ、これは?ともかくかって出たアルバムの内容をズタズタに切り裂き、まるで発表年代の異なるレコーディングと混ぜ合わせて歪んだ切り張りみたいな盤を出す。そして、その一方でオリジナルな形の盤が手に入るような形になっているならともかく、切り張り盤の”DARKNESS”しか手に入らない状態にしておく。

 なにこれ?浅川マキのファンへの嫌がらせ?他の、浅川マキより知名度が低いであろうと思われるアーティストでさえ、やれデジリマだ、やれ紙ジャケだと口実を並べ立て、何度もCD再発が繰り返されているというのに。
 ”DARKNESS”がシリーズ化されてから、もう10年以上経っているんだからね、ちょっとひどすぎるでしょ、これは。

 で、”DARKNESS”の小売価格も5000円を上回り、つまり価格だけは再発盤と言うよりは新録盤のような設定のアコギな商売。信じられない。

 調べてみたら昨年が浅川マキのデビュー40周年だったらしいんだけどね。それなら、キリの良いところで”浅川マキ・オリジナル・レコーディング完全復刻など、大々的に行なわれても良さそうなものだと思うんだが。
 それがなぜそうならず、彼女のレコーディングだけ、こんなズタズタに切り刻まれた半端な形で放り出されているのか。説明できるんなら説明して欲しいぞ、EMI関係者よ。

PS.
 ”ウィキペディア”によれば、「歌手本人が盤の音質が気に入らないので廃盤にせざるをえなかった」なんてレコード会社のコメントがあるが、気に入らないのだったら気に入るような音質にする努力をし、再発を図るのがあなたがたの仕事だろうと謹んで申し上げたい。