goo blog サービス終了のお知らせ 

こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ありがとう。

2025-09-30 09:20:00 | 音楽帳

(今朝の空)

gooブログが10月1日早朝に更新終了する。
そこに向けてのこり数十時間。あと1日あるけれども、朝が弱いじぶんは今日が最後の更新になるだろう。ネコたちを横にしてPCに向かう朝。

もうのこりギリギリだなあ。。と、ぼそっとつぶやいた。
それと同時にPモデルの曲「のこりギリギリ」を思い出した。だが、そんな語呂合わせが最後の曲というのもなんだか寂しいな、と考えた。
しかし、なんでも身を起こすのが遅くて、なんでもやることがギリギリなのは何歳(いつく)になっても変わらない。そんな具合で、生きてきて損ばかりしてきた。そう実感する。

***

gooブログの終了が告げられたのは4月だっただろうか?そのときは心中(しんちゅう)でひどく驚いた。動揺した。
ネット、SNS・・・etc、この20年で時代のありさまが一変したのは百も承知だった。だが、それでも、個人個人が各々の場所に座して、ひとり何かをアタマで考えて、その考えたことを文字や写真などに託す。そんな姿があるのは、いつになってもヒトの基本形にみえ、その変わらぬ基本が含まれている「ブログ」という形態に何か正しさのようなものを感じてきた。笑われるだろうけど。だから言わないできたけれども。。。
でも、自己PRばかりで疲れる人のブログは見たくない。つまり今のブログの8割は見たくないのだけど。。そのいっぽうで真摯にじぶんのことばで何かを記し、何かを伝えようとしている、しずかなブログには惹かれて仕方がない。(例えばくもおさんやottokitcheさんみたいに。。たんにまっとうな人が好きなだけなのですが。)
だから、SNS全盛の世の中にまるで拮抗するように、いつまでも毅然と続いていたgooブログの姿はたのもしかった。世間がこれだけ変わっても2025年までそれを続けてくれたのだから、その役割は大きかった。

***

一番はじめに「ブログ」というものを知ったのは、ラジオ番組「荒川強啓デイキャッチ」だった。たぶんそれは2005年のゴールデンウィーク連休の日のこと。
その日の番組テーマが「ブログ」で、ブログを始めたという人たちと強啓さんが電話でやりとり。ブログって何なの?始めてみてどんな感じ?。電話に出た60代の奥さまは決してネットやデジタルに詳しくは無い方だったが、始めてみての感想を楽しそうに話していた。
当時は「ブログ」という名前の意味すらじぶんは知らず、その番組で初めてその存在を知った。その後そのラジオ番組に刺激を受けて、試しにやってみたら最初の記事がアップできた。あくまでも最初は実験だった。設定も適当だったし。
しかし、そんな実験している感覚のまま、おためしの延長線で最初の設定のまま、こうして20年続いてしまった。

わたしはしぶんの心身<こころとカラダ>の両面に障害を持っている。それがブログのタイトルにも反映している。何もいまさら言う話しでもないが。

十代の頃に読んでいた渋谷陽一さんの本に「人間とは人間という病気を持った、死滅することを前提とした不完全な生命体である」といった箇所があり、それに影響を受けたのもあるが、それ抜きでもわたしは毎日起きている(生きている)それだけで十分に息苦しさや違和感を絶えず抱いている。

こんなじぶんでも何とか生きている。そんな人はこの世にたくさん居る。そんなことを思い巡らせながら、誰か静かに苦しみながらもそれでも何とか生きていこうと手を伸ばしている人たちの灯台でありたい、といっときよく思い、繰り返しよくそう言ってきた。
アクセス数がどうこうとギャーギャー騒いでいる世間的人々の世界を離れ、この世の片隅でひたすら静かに海をながめ、光をともして回る灯台みたいな存在。
それは、深夜「開いててよかった」と思う場末のコンビニのように。。。いつもは行かないくせに、その明かりが見えるだけで、起きている人がいるというだけで何か安堵してしまう夜があるように。。。それが自殺したいと思った夜だったならば。じぶんが十代だった夜、死にそうな夜に救いになった何かを想い出すように。

しかし果たしてこのブログがどの程度、だれの何かになったかはわからない。でも、何とか20年死なずに灯台の守り人の任務だけは終えることはできた。

***

gooブログには本当にお世話になりました。こんな場がなかったら知り得ない体験を提供してもらって、つくづく感謝しています。
この場にかかわってきた大勢のスタッフの方々、長い間たいへんお世話になりました。


■ 細野晴臣&小坂忠「ありがとう」2005■

ありがとう 君の気まぐれにありがとう
ありがとう 君の出鱈目にありがとう
お世辞も皮肉の言葉にも ただどうもどうも
口から出る言葉は ただありがとうだけ

ありがとう 君の嘘っぱちにありがとう
ありがとう 君の薄笑いにありがとう
お世辞も皮肉の言葉にも ただどうもどうも
口から出る言葉は ただありがとうだけ

どうです 僕は 大地のように 関わる全てを受け入れるふり
だんだん馬鹿になってゆくのです

ありがとう 君の忠告にありがとう
ありがとう 君の親切にありがとう
石になった心の底に響いても
口から出る言葉は ただありがとうだけ

どうです 僕は 大地のように 関わる全てを受け入れるふり
だんだん馬鹿になってゆくのです

***

まだ設定を解放していないし、やり方が全くわからないので、数日頂くかもしれませんが、新しい引越し先は下記になります。こんな案内もギリギリですが。
https://hidamarunoneko.hatenablog.com/

「はらいそ」みたいに「この次はモアベターよ」などと言える何かがあるわけではないし、いったいいつまで元気でいられるかはわからない。
こんな世では、誰もがわからないけど。
しかし、この歌のように、ユーモアを忘れない細野さんみたいに、したたかに生きたいものである。

引き続きのお付き合いの数人の方は、これからもよろしくお願いします。
それではまた。

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秋の100曲:David Sylvian「September」1987

2025-09-25 14:00:00 | 音楽帳

9月19日(金)34℃から26℃へ、気温が驚くような急降下をした。
この日は一日じゅう、そう、四六時中 空ばかり見ていた。シャッターを切り続けた。
美しい高い空、ゆったり流れる雲。鳥が舞い、風が薫った。

そこから約一週間。
一度日曜に31℃にはなったものの、それ以外は抑え気味の気温。
湿度も低くて、さわやかな日々が続いている。

やっと好きな秋がやってきた。
そして、やっとこの曲を今年も聴ける日がやってきた。

■David Sylvian「September」1987■

空高く陽は輝き こだまする笑い声

鳥たちが古びた教会の 十字架に襲いかかる

ぼくら恋しているんだねと口に出してみる

ひそかに雨を待ちわびながら

コーラをすすりゲームを楽しむ

9月がまたやって来た

9月がまたやって来たんだ・・・・

たぶんこの秋は短くなるから、日々をだいじにしていきたい。

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散歩旅:池袋~雑司ヶ谷、目白(2025年9月14日)

2025-09-20 21:10:00 | 写真日和

あくまで個人的備忘録。9月14日の続き。
あまり歩いたことのないほうの道を行こう。せっかくなんだから。
そう思って3人にもそれを言い、やかましい池袋の喧騒を離れた。

ほんとはこのあいだの道にも、ずんずん行きたかったし・・・


この高速下ギリギリに交差して走る陸橋も登りたかったし・・・

これらの場所にも寄りたい・・・

この喫茶店にも興味はあったけど・・・

日没が迫っているので、雑司ヶ谷にむかった。

敬愛する荷風のお墓には時間切れで寄れず、またの機会に。。。

三叉路。

かわいいみみずくの石像がある、みみずく公園でトレイ休憩。

すると・・・んん?

徐々にズームイン。

屋根に熟睡中のチャトランを発見。眠れるくらいの陽気にすこしづつ近付いてきたんだなあ。

こちらも。。。

すてきな門、と撮影したら。。。

ニャルソック!

門番に「こんにちは」と陽気に声をかけたが、微動だにしない。
顔色一つ変えず堂々としたツラ構えだった。
番犬、ならぬ番ネコだな、きみは。。。ねえ、かわいいパンダちゃん。

ひっそりした並木通りの静けさに安堵する。

並木通りを抜けて、都電通りに出た。
三ノ輪で生まれ育ったじぶんは、どうにもこんな場所に弱い。すぐ郷愁に駆られる。

しかし線路際はすっかり変わってしまっていた。かなたに新宿が見える。

ぶつかったところは千登世橋。ここで目白通りと交差。いつも歩き旅では、この場所で夕暮れをむかえるのが好きだ。

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散歩旅:池袋(2025年9月14日)

2025-09-17 23:20:00 | 写真日和

7.8月ほどいのちにかかわるような暑さではないが、ジトジト湿気まみれでねばっこい暑さが9月後半でも続いている。
なんと9月17日の今日すら34℃。

***

7月あたまに「国宝」「フロントライン」「でっちあげ」と3本立て続けに映画を見た。
国宝ばかり持ち上げられている昨今だが、個人的にはあと二作のほうがなかなかに面白かった。

映画3本をダダダと連続で観た後、長い長い暑い夏休みをはさみ、約二か月以上空いた9月14日、ひさびさに映画へ。。。
さて、これらの映画の中で一番の傑作になるだらうか?!「タローマン」!。


MZ師、ハブ噛み師匠とひさびさに3人集まった。
大学卒業以降も30数年近く四六時中会ってきたのに、なんとこれが初めての3人での映画鑑賞だった。

再開発で驚くべき変化をしてしまった池袋の映画館(tohoなんちゃら)付近。映画「タローマン」を観たあと、しばらく喫茶店で休憩。その後、あてどもなく街を回遊した。


そりかえりマン、と通称呼んでいる場所で集合と言ったのだが。。。
3人ともかなりな大人になり、さすがに立入禁止のそりかえりマン真ん中にはいなかった。

この日の気温は32℃。まだましだけど、湿気が高い。

ひさしぶりに福しんでらーめんをいただいた。。。

空にはなみなみの雲。空も高くなってきた。空だけは秋っぽい。

映画館はとてつもない人の渦。

サンシャインが見える。人が少なければ、また水族館に行きたいな。。。

 

■映画『大長編 タローマン 万博大爆発』予告編(60秒)【8月22日(金)公開】■

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こころはどこにいったのか

2025-09-04 13:30:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

昨日、こころとかやさしさとかについて考えていた。
朝から考えながら、とちゅうしごとをしながら、昨日一日をすごした。
しかし、雑事に追われているうちに、気づいたら夕焼けが迫ってきた。真っ赤な夕焼けだった。
昨日一日で何か腑に落ちる考えにたどり着くことはなかった。

そのいっぽう、灰谷さんの本をガサガサ積み上げた中から探し出して、しごとに行く往来で読みたいと思った。だけど、読み出したところで一日目が終わった。
なぜ灰谷(健次郎)さんの本を取り出したんだろうか?

今朝、家人が昔のアニメーションを観て、泣いていた。彼女はこの半年、朝ドラ「あんぱん」に夢中だが、その流れでやなせ先生と手塚さんが組んだアニメーションがあるらしい、と発見した。わたしはしごとのしたくや色々雑事を言い訳にして、つきあって視ることをしなかった。
見なかったけれど、観なくとも自分にはそれが救いが無い何かと予期できた。
「見ろ」と家人に言われて数秒だけ・断片だけ画面を覗き見て、その段階で分かってしまった。
主役は動物たちだが、サーカスに売り払うとか、、、扱う人間たちの横暴によって、いきものたちのいのちがそまつにされる。


自分がおさない頃、70年代、こども向けのアニメやドラマやさまざまなおはなしには、このように絶望の中にあるやさしさを問う話しが多かったように思う。背景には手塚さん全盛だったのもおおいにあるけれど。それを見聞きしたおさなかったじぶんは、その悲劇を知った衝撃を自分のこころとからだにどうおさめればよいのか?まったく答えが見いだせないままだった。(きちんとした答えなんかあるわけがないのだけれども。)
ただ時間が経ち、その日寝て翌朝が来て、早く学校行け、と家から追いやられ、青白い顔で混雑する地下鉄にもまれているうちに、その日の課題・難問がつぎつぎ現れて、見聞きした悲劇の棘はこころに刺さったまま、時間経過とともに自分の後方に流されていった。
自分はそこで感じたつらさや泣きたい気持ちを忘れられず、それがだいじなことと分かりつつ、棘はささったまま。
そのつらさを保持しながらも、超えていくことが出来ないと思いながらも、現実を生き、日々少しづつ薄れていっただけだった。

家人のなみだにいろんなことを感じながら、一日が過ぎた。
こんなはなしをしながらも、
他人(ひと)にやさしくなれないじぶん。
他人(ひと)にやさしくなれない資本主義社会の一員として、いくぶんか染まってしまったじぶん。

情けないほどひ弱でナーヴァスだった自分は、今ではカメやアルマジロみたいな防御する甲羅あるいはハリセンボンみたいな針を表面にまとってしまったけれど、一枚下の中を覗けば、半世紀前と同じようにすぐに傷んでしまうむき出しのこころがそこにある。

半世紀以上ひたすら馬車馬のようにはたらきつめ、ボロボロになって疲れてしまったじぶん。
生産・消費の道具として追われる役割を離れ、もう一度こころについて考えてみたい。
あのおさなかったころ、何も持たない生身の姿。ひもじいけれど、一人でがんばって生きていたおさないじぶんを想いながら、照れやダサいなんていってごまかしウソをつく感情に任せないで、もう一度哲学的に考えたいのだ。

***

昨夜お風呂に入り、深夜1時ごろねどこに入ったが、ねむれないままねどこで3時を過ぎてしまった。3時を過ぎてもねむれなかった。
暗闇でイヤホンをしながらさまざまな雑念が交錯した。

こんな眠れない夜も、ぼくはもう半世紀以上過ごしてきた。
暗闇でうっすら見えるのは、寝息を立てて眠る家人。
トレイをして、別室に眠るネコを見に行った。
暗闇の中、にくきゅうを触りアタマを撫でた。

ひりひりするこころの中、えらぶ曲をめくり、ここにたどり着いた。
3人が再度邂逅した姿。目の前で見られた、この横浜の夜のことを想ったりした。

 

■Human Audio Sponge「Everybody Had A Hard Year」2007.05.19

(パシフィコ横浜・Smile Together Project 2007)■

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