引退試合まで2か月をきってしまったプロレスラーの棚橋弘至さんに、現在のお気持ち、ふるさと岐阜県での試合についてお話ししていただきました。
【出演者】
棚橋弘至さん
<プロフィール>
1976年、岐阜県大垣市生まれ。1999年、新日本プロレスに入門。同年デビュー。2006年、新日本プロレスの最高峰タイトル「IWGPヘビー級王座」を獲得。歴代最多8回戴冠、当時の最多の11回防衛を記録するなど“100年に一人の逸材”としてプロレス界をけん引。2023年、新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長に就任。
――本日のゲストの入場です!
棚橋:
新日本プロレス、100年に一人の逸材、そして、代表取締役社長、棚橋弘至です。みなさんよろしくお願いします。
――きょうは11月11日。11.11といえば、2007年の両国国技館ですね。
棚橋:
なんでおぼえているんですか?
――新日復活ののろしが上がった日と。
棚橋:
棚橋 VS. 後藤(洋央紀)のIWGPのヘビー級選手権試合がありまして。
――初の防衛戦でしたね。
棚橋:
そうですね。
――1万人の会場でわずか2,000人ちょっとでしたが伝説の試合といわれていますね。
棚橋:
動員は振るわなかったんですけど、めちゃくちゃ盛り上がって、1万人の歓声ぐらい聞こえました。
――そんな棚橋選手ですけど、来年の1月4日をもって現役引退なんですね。
棚橋:
昨年の10月に現役引退を発表しまして、残り2か月となりました。
――東京ドームでの対戦カードも決まりましたね。
棚橋:
つい先日、愛知県安城市での試合後にオカダ・カズチカがリングに上がってきて、翌日の会見で引退試合の相手がオカダ・カズチカに決まりました。
――対戦が決まったときのお気持ちは?
棚橋:
いろいろ候補はあったんですけど、「おまえか!」という感じになりましたね。「そうだよな」っていう気持ちでもあります。
――忘れられない試合がいくつもありますよね?
棚橋:
海外から帰ってきたオカダ・カズチカを、V11連続防衛していた僕が迎え撃ったんですけど、1発でやられたんですよ。防衛記録は止まるし、海のものとも山のものともまだわからないカズチカが一気に注目を浴びたという、あのインパクトを超える試合は出てないかなという気がしますね。
――来年の1月4日はどんな試合になりますか?
棚橋:
お互い年齢も重ねて、円熟味も増していると思いますが、にらみ合ったときに、たぎってきましたね。当時の記憶というか、気持ちがグワッと熱くなると体も影響しますからね。
――オカダ選手も「それまで疲れんじゃねぇぞ!」とエールを送っていましたね。
棚橋:
「生まれてから疲れたことがない!」ってずっと言っているのにね(笑)。
――あと54日となりましたけれど、いまどんなお気持ちですか?
棚橋:
さみしい気持ちはありますけど、全力で過ごしてきたので悔いはないんですよ。あとは最高のコンディションで1月4日の東京ドームを満員にして、盛り上げたいというのが、現役最後の野望ですね。
夢眠:
そんなに詳しいわけじゃないのに、めちゃくちゃ鳥肌が立ちました。
棚橋:
僕の熱量が伝わりましたね(笑)。
夢眠:
すごい気迫と熱量です。
棚橋:
100年に1人なんです(笑)。
――先週は、ふるさとの岐阜県で凱旋(がいせん)大会をされたそうですね?
棚橋:
いつも使わせていただいていた岐阜産業会館が取り壊しになって、なかなかプロレスができる会場がなかったんです。今回、岐阜メモリアルセンターという大きい会場を初めて使わせていただいて、4年ぶりの岐阜大会でした。
――ふるさとはどうでしたか?
棚橋:
もう最高でしたね。やはり“待ってました!”感がありますし、プロレスラーって日本全国の出身者がいますので、ご当地レスラーの歓声はいつも以上に大きいし、あと、両親が見に来てきてくれました。どの辺で見てるのかな? と思ったら最前列で見てました(笑)。
夢眠:
授業参観っぽい恥ずかしさはありますか?
棚橋:
それに近いですね。
夢眠:
いいとこ見せるぞ、みたいな?
棚橋:
どうしてもプロレスラーになりたいと言った僕を、快く送り出してくれた、そして、活躍することによって「棚橋さんのところの弘至くんがんばっとるね~」と、周りの人から言われることが親孝行かなと思ってやってきましたからね。
棚橋さんが光り輝ける理由、これからの夢と決意も語っていただきました。聴き逃し配信は11月18日まで。
【放送】
2025/11/11 「まんまる」