”Sanchez Gorio y sus Cantores”
サンチェス・ゴリオは1920年、スペイン生まれのバンドネオン弾きで、40年代頃からアルゼンチンでタンゴのプレイヤーとしての活動を始めている。
センチメンタルに異国情緒を歌い上げるスタイルで人気を得ていたとか、最初のヒット曲はウクライナの流行り唄をタンゴにアレンジしたものだったとかで、ちょっと聴いてみたかったのだ、彼の音を。なんともワールドミュージック好きの嗅覚を刺激する話じゃないか。
そんなわけで手に入れた、サンチェス楽団の1950年代から60年代にかけての録音を収めたこのCDである。
確かに、と頷きたくなる遠方への憧憬やら心に秘めた旅愁に溢れた作品集と感じられる。
まあ、当時のアルゼンチンの人々にとっての”エキゾティック”とはそもそもどういうものかなんて事、わかりゃしないのだが、音楽のうちに響いている一色変わったカラフルな哀感は、時間と空間を遠く隔てたこちらにも判別可能である。
普通のタンゴ楽団の専属歌手のような官能性の強い歌唱ではなく、どこか芝居がかったものを基調に感ずるサンチェス楽団の歌手たちの歌いぶりにまず心を惹かれた。
そして、いわゆるタンゴ楽団の得意とするたぐいの甘く切ないものでありつつも、どこかにひんやりとした独特の手触りを持つ、ストリングスの響き。
それらが、収録曲のそれぞれに配された、どれも一癖ある”異国情緒”の仕掛けを効果的に演出しているのだった。
異国情緒と言っても”異国”が具体的にどの国と特定できるわけでもない。また、特定できるほどの音楽的根拠が提示されているのでもない。
ただ遠い国の珍奇な風物への淡い憧れがゆらゆらと現われては消えて行くばかり。
そこには、タンゴお得意の南欧風の恋愛模様のセンティメントより、たとえば吹きつける北風に外套の襟を合わせる、遠い街への孤独な旅に寄せる感傷が吹き零れている。
というか・・・なんだか聴いているうちにサンチェス・ゴリオなる奇妙な名前の、このタンゴバンドのリーダーに、あの”あがた森魚”のイメージが二重写しになって来たのだった。
かの日本のベテラン・シンガー・ソングライターがずっとこだわり、展開してきた異郷幻視の旅、あれのタンゴ版がゴリオの音楽と言えるんじゃないだろうか。
そう思ってジャケを見ていると、いかにもラテン風の色男、みたいな口髭をたくわえたゴリオの風貌の向こうに浮んできたのだ。
病室の窓から見える寂しい港の風景ごしに、遠い異国のロマンスの幻に憧れの翼を羽ばたかせていた、病気がちな男の子とその夢想、なんてものが。
体質と言うか気質と言うか、両者はほんとに似ているんじゃないかなあ。