平野威馬雄氏は戦後活躍した著名な文筆家で詩人である。専門の仏文学以外にもあらゆる分野に関心をもち、数多くの著作をあらわした。また、UFOファンで、一時期CBAとも関わりが深かった。その関わりの一部始終を書いたのが、唐沢氏も紹介している「それでも円盤は飛ぶ」(高文社)である。
この本はわたしがUFOに関心をもつきっかけにもなった著作でもあり、そのことは自著でもふれた。それでわたしと平野氏が同一人物だと誤解したのだろうというのが、唐沢氏の推理である。
たしかにそう考えると楓月氏の怒りがすっと頭にはいってくる。当時、楓月氏の本をちゃんと読んでいればすぐにわかった事実だが、そのときは関わりたくないという思いが先にたってそこまで考えられなかったのである。
しかしそうはいっても、私と平野氏を混同するというのはまったくありえない話である。
平野氏は1900年生まれ、わたしは1948年生まれ。50歳近く歳が離れている。しかも平野氏は1986年にはお亡くなりになられている。いくらオカルトがらみの話とはいえ、95年にニコラ・テスラの本を出せるわけがない。
そんなとんちんかんな批判に反応しないで正解だったと、あらためて思ったものである。
とまあ、長々と私事を書き連ねてきたが、唐沢氏のこのUFO本は、と学会風の批判(ツッコミ)本でもなく、礼賛(ボケ)本でもない。氏自身は自著を「B級ポップカルチャーの歴史を洗い直すもの」と位置づけているが、CBA問題のほか、アダムスキー問題、UFO情報論、UFO運動論、日本SFとのかかわりなど、戦後日本におけるUFO現象のありかたを探究した一書である。
氏は本書の最後で、戦後あれだけ騒がれたUFOを、現代人が見なくなったのはなぜだろうと疑問を提している。たしかに最近はUFOの話題がマスコミに取り上げられることは少ない。それはたぶん、現代人がUFOに象徴される未来を夢見られなくなったからだろうというのが唐沢氏の見解である。
そしてUFOが見られない時代は寂しい。「またUFOが飛び回る時代が来ればいいなと、最近の私は念じているのである」と結んでいる。
たしかに戦後、UFOは宇宙であり、来るべき科学であり、未来そのものだった。それらのもつイメージの力は現代日本ではたしかに衰えている。成熟社会にはいった現在ではやむをえない面もあるが、UFOと希望が重なりあっていた若々しい時代にほのかなノスタルジーを覚えることも事実である。
◎唐沢俊一「新・UFO入門」(幻冬舎新書)
この本はわたしがUFOに関心をもつきっかけにもなった著作でもあり、そのことは自著でもふれた。それでわたしと平野氏が同一人物だと誤解したのだろうというのが、唐沢氏の推理である。
たしかにそう考えると楓月氏の怒りがすっと頭にはいってくる。当時、楓月氏の本をちゃんと読んでいればすぐにわかった事実だが、そのときは関わりたくないという思いが先にたってそこまで考えられなかったのである。
しかしそうはいっても、私と平野氏を混同するというのはまったくありえない話である。
平野氏は1900年生まれ、わたしは1948年生まれ。50歳近く歳が離れている。しかも平野氏は1986年にはお亡くなりになられている。いくらオカルトがらみの話とはいえ、95年にニコラ・テスラの本を出せるわけがない。
そんなとんちんかんな批判に反応しないで正解だったと、あらためて思ったものである。
とまあ、長々と私事を書き連ねてきたが、唐沢氏のこのUFO本は、と学会風の批判(ツッコミ)本でもなく、礼賛(ボケ)本でもない。氏自身は自著を「B級ポップカルチャーの歴史を洗い直すもの」と位置づけているが、CBA問題のほか、アダムスキー問題、UFO情報論、UFO運動論、日本SFとのかかわりなど、戦後日本におけるUFO現象のありかたを探究した一書である。
氏は本書の最後で、戦後あれだけ騒がれたUFOを、現代人が見なくなったのはなぜだろうと疑問を提している。たしかに最近はUFOの話題がマスコミに取り上げられることは少ない。それはたぶん、現代人がUFOに象徴される未来を夢見られなくなったからだろうというのが唐沢氏の見解である。
そしてUFOが見られない時代は寂しい。「またUFOが飛び回る時代が来ればいいなと、最近の私は念じているのである」と結んでいる。
たしかに戦後、UFOは宇宙であり、来るべき科学であり、未来そのものだった。それらのもつイメージの力は現代日本ではたしかに衰えている。成熟社会にはいった現在ではやむをえない面もあるが、UFOと希望が重なりあっていた若々しい時代にほのかなノスタルジーを覚えることも事実である。
◎唐沢俊一「新・UFO入門」(幻冬舎新書)