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雑記・メンヘラの傲慢

凄いツイートを見た。


まず大前提として、普通の人だって物事を深く考えている。苦労している。悩んでいる。一生懸命お金を稼ぎ、パートナーを見つけ、子どもを作り、生活を頑張っている。というか、金稼いで子ども養ってる人間が考え無しなワケが無い。普通の人はいつも色々と悩んでいる。職場の人間関係、業務の内容、将来性……子どもが居る人ならもっと幅広い分野について、引っ切り無しに悩んでいる。恐らく大半のメンヘラよりも悩みのタネは多いだろう。

いっぽう、メンヘラ側の悩みとは何か……言うまでもなく、哲学的で抽象的なアレコレだろう。人は生まれるべきか、貧者は生きるべきか、障害者は生きるべきか、この世界は存在するべきか、自分の存在は許されているのか、いったい何が諸悪の根源なのか、ほんとうの幸いはいったいなんだろうか……。いちいち考えてもクソの役にも立たないようなことを、メンヘラたちは朝から晩まで考えている。

メンヘラは生活についての悩みよりも哲学的な悩みに没頭しがちである。何故か。生活が出来ないからである。メンヘラとの関わりが薄い普通の人々は知らないだろうが、ヤバめのメンヘラの生活能力の低さは想像を絶する。俺は職業柄、当事者との関わりが多い。居る界隈が界隈なので、プライベートで当事者と関わることも多い。ここでは複数人からの伝聞を元に、ヤバめのメンヘラの生活模様について大まかに記そう。

まず、メンヘラは朝起きられない。飯も食えない。歯も磨けない。ベッドの中で、スマホやパソコンの画面をひたすら眺めている。掃除も出来ない。ゴミ屋敷の中で、お菓子や即席麺や飲み物や冷凍食品を最低限口にする。もしくは、過剰に食べる。そうこうしている内に夜が来る。風呂はめんどうくさくて入れない。ぜんぜん眠れない。また朝が来る。処方された薬は飲み忘れている。通院の予約を忘れている。必要な書類は紛失している。仕事なんて出来るはずも無い。絶望。

メンヘラの一日はそうして終わる。

そんな人々が生活について悩めるだろうか?

否である。生活の基礎の基礎からつまずいているので、生活についての悩みなど抱きようが無いのだ。仕事が無いから業務内容で悩まない。収入が無いから給与について悩まない。関係する人間がいないから人間関係で悩まない。

そのようなメンヘラたちは、膨大な余暇をインターネットに費やし、バズっている話題を真に受けて苦痛を感じる以外にやることが無い。バズツイというのは卑近な話から論理を飛躍させた暴論がほとんどなので、抽象的で複雑な議論につながりやすい。だから、メンヘラたちは哲学的な悩みに夢中になっている。

そのうち、メンヘラたちは考える。

(我々メンヘラは哲学的な悩みに苦しんでいるのに、どうして普通の人々はそうじゃないんだろう?)

そんなもん「生活が忙しいから」に決まっているのだが、悲しきかな、メンヘラは生活を知らない。普通の人々と深く関わる機会が無いから。普通の人々がメンヘラについて知らないように、メンヘラもまた普通の人々について知らないのだ。

さらに悲しいことに、メンヘラの多くは発達障害を抱えており、他人の思いや考えを想像するのが生まれつき不得意である。そんなメンヘラが「普通の人々が哲学的な悩みに苦しまない理由」を考えると、どうなるか?

普通の人々は物事を深く考えないNPC、という結論が導き出される。

悲しい。あまりにも悲しい。

普通の人々だって物事を深く考えている。哲学的な悩みを抱くことだってある。わざわざインターネットで言わないだけかもしれない。あるいは仲の良い人にしか話さないだけかもしれない。はたまた誰にも言わずにいるだけかもしれない。そもそも言語化せずに抱えているだけかもしれない。

それらの可能性を一切考慮せず、「物事を深く考えないNPC」という結論に至ってしまい、あまつさえそれを公開してしまう。

物事を深く考えられないのはアナタの方ですよ、と言いたくなる。

一応ここで俺のスタンスを明記しておきたいが、俺は生活の悩みと哲学的な悩みに根本的な貴賤は無いと考えている。誰も彼も悩みたいように悩めば良い。悩みたくないのに悩んでしまうなら、悩む自分を許してあげたほうがいいだろう。

俺が問題にしたいのは、「哲学的な悩みは生活の悩みよりも高尚であり、哲学的に悩む我々こそ真の“人間”である」というような、メンヘラの傲慢・下卑た選民思想についてである。

このような下卑た選民思想はTwitterで頻繁に見られる。ヘビーユーザーの大半がメンヘラなので仕方ないことだ。

中でも有名なのはこれだろう。

バイト先の趣味一つないおばさんにキレられる瞬間、これ以上無いほどの絶望を感じる。お前はキルケゴールも萩原朔太郎もドストエフスキイも読んだこと無いだろ。Radioheadを聴いたこともハヌマーンで感動したこともsyrup16gで泣いたこともないだろ。そんなやつがおれに、おれに、おれに、

おばさん「全部あるのよ笑」

おばさんにだって趣味はある。場合によってはキルケゴールを読み、Radioheadを聞いていてもおかしくはない。仮にそうでなくても、じゃりン子チエを読みスピッツを聞いていたりはするだろう。そのとき、キルケゴールやRadioheadと比べて、じゃりン子チエとスピッツは下賤だとか、趣味としては無いも同然だとか、そういう話になるのだろうか。

そんなワケが無い。

キルケゴールや萩原朔太郎やドストエフスキイを読んだから何だと言うのか。Radioheadやハヌマーンやsyrup16gを聞いたから何だと言うのか。

内省的な作品を好んだところで内省を果たしたことにはならないし、孤独感を膨らませる作品を好んだところで感受性の証明にはならない。そもそも内省や孤独感や感受性なんて、やろうと思えばどこからでも捻り出せるものだ。まかり間違っても「これらを好んでいるから我々は感受性が豊かなのだ」というのはありえない。

メンヘラの傲慢の核心、そのグロテスクの最たる部分がここにある。

メンヘラっぽい趣味によって、メンヘラとしてのアイデンティティを誇示する。メンヘラとしてのアイデンティティを誇示することで、普通の人々を見下す。普通の人々を見下すことで、メンヘラの自分を特別な存在として肯定する。

で、「賢く心優しく想像力が豊かだから、傷つきやすくて社会に適応できない」という自己像を確かめていく。

言い難いが、実態は真逆だ。

「共感性や感受性に乏しく身勝手で被害者意識が強いため社会に適応できない」というのが実状である。結論だけは同じですね。

ここまででメンヘラの勘違いの仕組みについては粗方指摘したので、別の視点からの指摘も加えておきたい。

メンヘラが生きていられるのは普通の人々のおかげ

メンヘラがインターネットでメンメンヘラヘラしていられるのは、普通の人々のおかげである。普通の人々が作った端末機器、普通の人々が整備した回線、普通の人々が建てた家、普通の人々が構築したプラットフォームで、「普通の人々はNPC、深く物事を考えていない」などと言ってしまう。で、叩かれてヘラってお薬の処方量が増えたりする。そのお薬代も普通の人々の税金から捻出されている。普通の人々がメンヘラみたいにクヨクヨ悩まないおかげで、メンヘラは暮らせているのだ。メンヘラは普通の人々に感謝しろ、とまでは言わないんだけど、こうしてみると何か面白いですよね。

ここからは関係ありそうな余談を書きます。

そもそもメンヘラは特別ではない。

これはメンヘラに限らない。オタクを自認する人々の一部にも言っておきたい。
今時サブカルチャーだのカウンターカルチャーだので他者と差別化しようという考え方がもう間違っている。

アニメ映画の興行収入が何百億に達し、ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙が古今東西の哲学者を解説し、ごく普通の飲食店にボカロ曲やvtuberの歌が流れ、小学生が相対性理論や東方ボーカルを口ずさみ、普通の高校生が野獣先輩ダンスを踊り、中年社会人が5chまとめやソシャゲにかぶりつき、老夫婦が転スラやオバロを好んで視聴し、毎年何万人もが自殺し、ニディガキッズがODにハマるこの時代に、「メンヘラであること」「オタクであること」をアイデンティティにしようとするのが間違っている。メンヘラオタクの芸能人なんて腐るほどいる。発達障害や精神障害を公表している者も掃いて捨てるほどいる。

もはや精神病も弱者性もオタク趣味も、どこにでもあるごく普通のありふれた陳腐な属性に過ぎない。

もちろん、陳腐と無意味・無価値は違う。精神病も弱者性もオタク趣味も、見出だそうと思えば意味や価値を見出だせる。それは間違いない。

俺が言っているのは、「別に特別ではない」ということだ。バリバリ働いて妻子持ちの発達障害者や精神障害者だっている。そもそも発達障害や精神障害の診断なんて、病院に行けば簡単に下りる。何なら病院に行かなくても診断書がもらえるヤブだってある。障害者手帳だって、診断書があれば簡単に貰える。マイノリティやアウトサイダーとしてのアイデンティティに据えるには、少々簡単すぎると思う。

かと言って、「ODやリスカ、犯罪で『真のマイノリティ』になるぞお!」みたいなノリもやめてほしい。メチャクチャ迷惑だから。後、ODもリスカも犯罪も特別性のアピールとしては機能しない。『量産型の厄介者が陳腐な迷惑行為をした』というだけである。

要するに、特別になろうとするのをやめたほうがいい。コミュニティを想定しては外部へ外部へ抜け出ようとするのをやめるべきだ。キリが無いし、誰も幸せにならない。

「アイデンティティを自虐と苦悩だけで作ろうとするな」と言い換えても良いだろう。自分が何者であるかを語ろうとする際に、否定形と悩みばかりを語っていると大変なことになる。

メンヘラは言う。「恋人が出来たことがない」「マトモに働けない」「インスタやってない」「流行り物にハマったことがない」「出生とかいうグロい行為が許せない」「資本主義による搾取構造が辛い」……。

俺は聞く。「結局何がしたいの? どうなりたいの?」

メンヘラは往々にして上手く応えられない。

メンヘラには「したくないこと」、「なりたくない自己像」は無数にある。だが、「したいこと」「なりたい自己像」は全く思いつかない。メンヘラの頭は苦痛と疎外感でイッパイになっていて、他のものが入る余裕が無い。そうなると苦痛と疎外感だけでモラルやアイデンティティを構築するしかなくなる。袋小路になった思考回路で、メンヘラはようやく一つの答えを見つけ出す。

「何者か」になりたい!

「何者か」って、何?(アヤナミレイ)

わからない、と彼らは答える。マジで何なんだ。「スナーク狩り」とか「ゴドーを待ちながら」みたいな不条理文学の匂いがする。そういうのは文学として楽しむから良いのであって、実存としてヤったら破滅するだろ。

抽象的で哲学的な悩みというのは、世捨て人や遊び人のためのものだ。俗世に未練がある人が苦しみながら取り扱うには重たすぎる。ギリシャで哲学が花開いたのは、仕事を奴隷に任せ家事を女に任せていたからだ。今のインターネットで「サブカル哲学くねくね」と呼ばれている人々も、金と時間に余裕があるからクネクネしていられるのだ。持たざる者が真似してもロクなことにはならない。悲しいことだが。

おわりに

やめよう、弱者道徳。









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雑記・メンヘラの傲慢|javeです。
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