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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ノルウェーの春待つ花束

2009-02-04 02:31:52 | ヨーロッパ


 ”Songar Fra Havdal”by UNNI BOKSASP

 ノルウェーの中堅フォーク・シンガー、Unni Boksaspによる民謡集である。2007年作。
 彼女が師と仰ぐ、Magnhild Almhjellという、どう発音すれば良いのか分からん名前の女性民謡歌手が生前、持ち歌としていた曲ばかりを集めたもので、彼女へのトリビュート・アルバムと考えていいようだ。

 とはいっても、このMagnhild Almhjellなる人は民謡の歌い手として高名だったわけでもないようである。はっきりしたことは分からないが、ごく平凡なノルウェー女性としての生涯を全うした、そんな人のようで。
 勝手に想像すれば、自国の民謡に興味を持った少女時代のUnniが、田舎に住む遠縁の歌好きのおばあちゃんにいろいろ昔の歌を教えてもらっていた。その思い出に捧げる意味でこのアルバムは作られた、なんていきさつがあるのではないか。

 収められているのは、実に素朴な民謡の数々である。北国特有の、シンと澄んだ清らかなメロディ。どこかに朴訥に口ごもるようなニュアンスが漂い、いつまでも終わらぬ冬の灰色の空を想起させる翳りが、その旋律に、より深い味わいをもたらしている。
 歌のテーマはキリスト教に関する歌、子供の遊び歌、農作業の歌、漁業の歌、子守唄、ほんのつかの間で過ぎ去ってしまった若き日の輝きへの賛歌、などなど。

 それをUnniは、北欧名物の共鳴弦付バイオリンやリュート、リラなどの古楽器や、私などは小学校の教室の隅で見かけた記憶のある足踏み式オルガンなどによる、非常にシンプルなアンサンブルをバックに歌う。
 とはいっても、これらの曲のオリジナルはすべて無伴奏で歌われていたそうで、これでも華美過ぎる(?)演出なのである。

 今回、歌の持ち味を生かすためにあくまでも素朴な歌唱に徹するUnniだが、終わり近く、彼女自身、お気に入りのメロディと称する14曲目、”Kara Tu Omna”で、もの凄く技巧的なヨーデル風ボーカリゼーションを聴かせ、ハッとさせてくれる。遠慮せず、こんなのをガンガン聴かせてくれればと思うのだが、これは下品な期待というものなのだろう。

 歌詞カードに添えられたMagnhild Almhjellの思い出のスナップ写真数枚から想像する彼女の生活は、とても豊かとはいえないものだったのだろう。
 それでも、森の入り口に建てられた傾きかけた古い山小屋は、短い北国の夏の日差しの中で、まるでお伽噺の舞台装置としか見えないし、その前でテーブルの上に思い出の写真や記念品を並べ、花をあしらったもの(これはノルウェーにおける生け花に相当するものなんだろうか?)の脇に立つMagnhild Almhjellは、とても幸せそうな老婆に見える。
 それでいいじゃないか、と無責任な見物人たる旅人の私はとりあえず思っておくことにする。

 それにしてもこの盤、最初に聴いた時はあまりに地味過ぎ、一度は売却候補の段ボールの中に投げ込んであったのだ。それが、ふと気を取り直して聴いてみたら噛めば噛むほど、というか味わいの深い代物だと分かった次第。ああ、危なかったなあ。

モスクワの匂い、冬のロック

2009-02-03 04:04:46 | ヨーロッパ
 ”Magnit ”by Julia Savicheva 

 ロシアのロック姉ちゃんの3rdアルバムである。2006年作。
 小回りの利きそうなギター主体のシンプルなバンドをバックに、小気味の良いロックをキビキビと歌っている。”拝啓、モスクワの路上より”みたいな感じだろうか。
 冒頭の曲、ロシアの哀愁一杯のメロディとロックの元気の良いリズムとが交じり合ってはじける感じが、まず良い。

 とか言ってるけど、基本的には「ロックそのものはもういいや」って立場の私である。この種の音楽は、もう私の心の中では終わってしまったものであり、いまさら入れ込む理由もない。
 が、それでも冬のど真ん中になると毎年、ふと聞きたくなる瞬間があり、こうして夜中、彼女の音楽と一人向き合うことになる。

 そうなる理由は、なんだか錆びたみたいな色調のジャケ写真に包まれたこのアルバムの中の、ロシアの若き女性ロッカー、Julia Savichevaの音楽が、遠いモスクワの今の空気、かの地の若者たちが呼吸しているヒリヒリした空気の匂いをダイレクトに伝えているみたいな感触があるからだ。
 その、おそらくはラフでタフな、でも決定的に未熟な戸惑いの中にある世界と、遠く離れた土地で年老いつつあるこの私が、不思議な異次元ポケットでつながっているみたいな幻想を、私の脳内に作り出す力が、どうやらあるようなのだ、彼女の音楽には。

 歌詞の一節一節を噛み締めるようにリズムに乗せて行く。ロックとはいえ、無駄な絶叫調やら過度な感傷に陥らない歌い方が良い。
 明日の見えない閉塞感の中で、それでも絶望に陥らずに一歩一歩光を求め歩み扉を叩き続ける、みたいな彼女の想いを、それは象徴している様だ。
 ああ、今、プロフィールを読んでいて知ったんだが、彼女はまだ20代の前半なんだね。

 とか言っているうちに夜は明け始め、私はベッドにもぐりこむ。モスクワは今頃、深夜なんだろうか?


バルカン風小指の噛みかた

2009-02-01 01:21:00 | ヨーロッパ


 ”Esti vagabond”by RUKMINI

 なにしろ、この歌手のアルバムを輸入しようとしたレコード店店主氏に現地ルーマニアの業者から、「我が国の音楽がこんなものばかりだと思わないで欲しい」なる便りが届いたというのだから穏やかでない。”ルーマニアのお恥ずかしポップス・NO1”とでも勝手に命名しておこうかと思います。

 恥ずかしいのは中身の音楽だけでなく、ジャケもご覧の通り。これが裏ジャケでは”手ブラ”状態となります。
 まあでも東欧というかロシアをはじめ旧共産圏の国々のレコード会社って、昨今はかなりの数がこのピンナップ路線を取っているわけで、かの国々の女性歌手の皆さん、ほとんどがこんな目に遭っている。このアルバムだけがどうというものでもないですが。

 で、音のほうですが、やはりバルカンといいますか、オリエントの響きの強いものとなっています。
 ”ダンツクツクツクダッックツクツク♪”みたいなイスラミックなリズムがせわしなく繰り出され、笛やアコーディオンがやはりアラブの色濃い旋律を奏で、ルクミニ女史の甲高く、可憐といえば言えないこともない声がユラユラとコブシを廻しつつ舞い踊るという次第。

 聴き進めば、バルカンっぽい、なんてレベルは簡単に乗り越えられてしまい、音の風向きはアジアの奥深く、インド洋の東あたりまで彷徨い出でて行く。ヨーロッパ臭さなんて、もうどこを探しても見つからない。
 ここまで来るとアルバム参加者の民族的出自が気になってきます。ルーマニア人がラテンの血を引く民族とは知っているんだが、それ以外に、どんな民族がいるのか?

 などと怪しむうちに、このアルバムの白眉と言える時間がやって来ます。5曲目の”Diwana”って曲、イントロが由紀さおりの”夜明けのスキャット”であり、歌の本体(?)は、伊東ゆかりの”小指の思い出”です。似ているとかそんなのではなく、まったくそのままのメロディ。それを、ごく真面目にカバーしております。

 こんなことも、実にアジアのミュージシャンっぽいものを感じてしまいますな。一応地図上はヨーロッパに属する土地のミュージシャンが、どういうルートで仕入れたのか、日本の歌謡曲を、もうベッタベタの感傷をこめて歌い上げてしまう。最近、構想中の”歌謡曲国際主義論”とかをぶち上げたくなって来ますが。

 う~ん、ルーマニアにはこんな音楽があったのか。そして、かの国のレコード輸出業者からは、「こんなものが俺の国の音楽の代表と思われたらたまらないぜ」と、”恥”の意識をもって認識されている。なんかちょっと、ルーマニアの大衆文化のありようなど興味を惹かれますね。
 と、まあ、これ以上は想像も進まないのでありますが。アルバムのほうは、バンドがインド方面から帰らぬまま、END。

マンマ・ミーア撃滅!

2009-01-31 01:10:26 | 音楽論など


 なんかこのところ、「マンマ・ミーア」とかいう外国のミュージカル映画のコマーシャルがやたらと流れておりますねえ。「世界中を幸福にしたミュージカル」とか言ってるけど、ほんとかね?
 その映画の流れ過ぎのCMに、すっかりうんざりしている私をどうしてくれる。少なくとも幸福ではないぞ、そのおかげで。

 そもそもが日本人にミュージカルに関わるってのは無理なんじゃないでしょうか。やるだけじゃなく、もうただ見るだけでも向いてないって気がする。
 日本人がミュージカルに関わっている風景って言うのはねえ、性格の暗い人が何かの行きがかりで自分の家でホームパーティとかやる羽目になってしまって、必死になって作り笑顔を浮かべ、頬を強張らせてホスト役をあい努めている、みたいな感じで、悲痛でしょうがないのだ。

 やっぱりああいうものはさ、「無神経」とカナを振るしかないようなアメリカ人の、もう嫌になるほどバカ明るいノリがあってこそ成立する世界で、日本人の手におえるものじゃありませんて。

 だって、普通に生活してる筈の人がいきなり立ち上がって大声で歌い出すんだから。
 で、周囲の人々もそれに和して立ち上がり、こんなに喜ばしいことがこの世にあるだろうかといわんばかりの笑顔を浮かべつつ、歌えや踊れ。ついには街中巻き込んでの大群舞の大騒ぎ。
 何をやってるんだ、この人たちは?
 繊細なるアジア人には、体力的にも精神的にもついて行けるものじゃあないでしょ、それは。

 だから、そんなものを見てみろ見てみろと陽気な宣伝流されたって。そりゃ、うんざりするばかりだよ。いい加減にしてくれないか。

 などということを書いてみました。
 必要以上にバカ明るい「マンマ・ミーア」のCMを見ていて、その押し付けがましい盛り上げぶりに、すっかり閉口してしまったんでね。
 あ、”本当は仲が悪い”との噂の松田聖子親子が出てくるヴァージョンは、あまりに嘘臭くて、逆に笑えます。楽しいです、ある意味。

台湾フォーク、あの頃。

2009-01-30 00:50:32 | アジア

 ”The Best Collection of Popular Music”by 李碧華

 濡れたような歌声、なんて表現は特に珍しいものでもないわけだけれど、歌手の歌声における水分の含有量を表す基準なんてものがあるだろうか。

 台湾の実力派女性歌手、李碧華の歌声を聞いていて、いつもそんな事を考えてしまう。
 彼女の場合、水分含有量は120パーセントといったところではないだろうか。すなわち、水分は多過ぎて吹き零れてしまう。
 澄んだ歌声が透明な空気を震わせつつ渡って行く、その狭間から清浄な水滴がこぼれ落ちる・・・そんなイメージを喚起する李碧華の歌声なのだ。

 水分過多とはいっても、彼女の場合、メソメソした陰鬱な泣き節ではない。新鮮な果実を丸齧りした際に口の中に広がる爽やかな水気の広がり、あの感触に近い、透明感のあるものである。
 そもそもその歌いっぷりの凛としたありようは安易な泣き節とは対極にあるものである。いつもスッと背筋を伸ばして歌っているような端正な美学に元ずき揺るぎのない、みたいな李碧華の歌いぶり。むしろその”水っ気”の多さは彼女の歌に宿る生命力の証しと考えるべきではないか。

 彼女が90年代に出した”郷土口承文学”のシリーズは、台湾の民衆の間に古くから伝わる大衆歌の数々を丁寧なアレンジと歌唱で歌い継いだもので、私の長年の愛聴盤だった。
 深夜、一人で酔いどれてはCDを廻し、台湾の片田舎の、行ったこともないくせに不思議に懐かしい風景と人々の暮らしの温もりに陶然となりつつ耳を傾けていると、時の過ぎるのも忘れた。

 そのアルバムについては以前、この場に書いたが、今回の作品は、そのさらに前、おそらくはデビュー当時の李碧華の歌唱を集めたものかと思われる発掘音源集である。録音されたのは80年代頃だろうか。
 ジャケで、まだ女学生然とした李碧華がギターを抱えている。収められているのは当時の台湾の歌謡界で流行していたのだろう、フォーク調の歌謡曲が多い。まだオリジナル曲にも不自由していたのだろう、カバー曲ばかりのようだ。

 中には日本曲の”瀬戸の花嫁”や韓国のバラード、”別離(イビョル)”なども含まれているのだが、曲調に合わせてコブシを廻したりせず、あくまでも端正にメロディを追って行く歌い口は、この頃からもう彼女は、私の知っている李碧華だったのだなと、半分微笑ましく、半分恐れ入る思いだ。
 微笑ましくといえば、ともかく次々に飛び出してくる台湾風フォークソング歌謡にも、なんだか気持ちがムズムズするものを覚える。そうなんだ、日本人と似たような感性で作られた曲が多いんだよねえ。いかにもギターを抱えてあまり深く考えずに作ってしまった、みたいな。C-Am-F-G7、とかなんとか、安易なコード進行で受けを狙うみたいな。

 ここに収められている曲が吹き込まれた頃、台湾の世情はどうだったのだろうか、などとも思ってみる。ひょっとして、長く長く続いた戒厳令が解除され、自由の風らしきものが台湾の社会に吹き始めた頃だったのではないか。
 昨年末、急逝した飯島愛に関するニュースを見ていて、台湾の民衆のあの事件に対する意外な関心の高さを知った。聞けば、戒厳令解除とともに彼女が主演のアダルトビデオが自由の風に乗ってかの地に流入し、飯島愛は台湾のスケベ心にとっての自由の女神となっていたそうな。

 台湾を知る人々は、時の流れのうちに、もうあの島はかっての素朴な人情を失ってしまったという。もう世界のどこにもある、刺々しい目つきをして欲望を追う世界と同じ場所になってしまったと。
 私には、それに関してなにごとか意見するほどの知識もないのだが。
 ただ、むずがゆい思いをしつつ、心の微妙な部分で彼らと共有する”恥ずかしい過去”を伝えてくる”安易なフォーク歌謡”のメロディを追ってみるだけだ。与えられたメロディを懸命に追おうとする李碧華の、まだ幼さを宿した歌声を噛み締めてみるだけだ。そして、ただ行きずりの風に吹かれただけでどうにでもなってしまう人の生を思う。

 李碧華の新譜というのも、この頃聞いていないが彼女は元気でやっているのだろうか。
 考えてみれば私は、彼女の年齢とか結婚はしているのかとか、そんなプライベートを何も知らないと今頃になって思い至るのだった。まあいいんだ。この世界のどこかに、こんな歌を歌う女性がいて、私はその歌を好んで聴いている、それだけの話だから。

朝焼けのバルト海

2009-01-28 04:21:04 | ヨーロッパ

 ”MEILE”by Geltona

 バルト三国の一国、リトアニアの女性歌手、”ジェルトナ”の2005年のアルバム。

 ”かってアイドルとして活躍後、今は大人の歌手に成長しました”くらいのポジションにいるのかなあ、なんて、オシャレな破れジーンズからお尻の割れ目をちょっとだけ覗かせて物憂げに寝転がった中ジャケの歌手の写真を眺めてなんとなく想像してみる。
 まあ、リトアニアのポピュラー音楽界に関する情報なんてひとっかけらも持っていませんから、勝手に想像逞しくするよりないです。

 全体、”素朴なヨーロッパのローカル・ポップス”って雰囲気の音なんだけど、その感触は悪くないです。
 それなりに洗練されたポップ・サウンドに乗って軽快な歌声を聴かせるのだけれど、そのポップなメロディの底に、基調音みたいに深く切ない、甘酸っぱい感傷が潜んでいて、聴き進むうちに、そいつがジワジワと聞く者の胸にも染み込んでくる。

 これは私だけが感じることなのかなあ。どの曲にも、朝焼けの港と、そこを出て行く船のイメージがある。ジェルトナ女史は桟橋に立ってその船を見送っていたり、あるいは自身が船の上の旅人になり、一人デッキから、遠くなって行く港を眺めていたりする。さまざまに形を変えながら、離別と流浪のイメージが潮の香りと共に現われては消えて行く。
 アルバムからあふれ出したそんな諸行無常、人は出会いいつか別れる、なんて儚い感傷が、いつの間にか当方は見たこともない筈の、朝焼けのバルト海を染めて行く。

 明るく歌ってはいるんだけど、その底の方で時に冷たい孤独の影が差す感じのあるジェルトナの歌声は、彼女が美人であるだけになんか気になるものがあります。なんて言い方もどうかと思うけど、このひんやりとした感じが、バルト海に面した北欧の国ゆえの味わいなんだろうか。
 それにしてもジェルトナの歌声の鼻にかかった感じ、どこかで聴いた事があるよなあと思っていたんだけど、そうか、ときおり松本伊代に似ている感じになる歌声なのでした。

 他のアルバムも聴く機会があるといいけどなあ。そんな事を時の運にまかせるよりない、ここがワールドミュージック者の切ない定めだぜ、と最後はなぜか”渡り鳥シリーズ”の小林旭と化してみる。

ウクライナの一夜

2009-01-26 02:30:00 | ヨーロッパ
 ”A Moment of Spring. Ring Bell Wind ” by Ruslana

 ウクライナの女性シンガー・ソングライター、ルスラナのアルバム。
 彼女は2004年のユーロヴィジョン・ソングコンテストにおいて、自作の”ワイルド・ダンス”なる曲で見事に優勝を勝ち取るという、おそらく東ヨーロッパというかスラブ圏では初ではないかという快挙を成し遂げる事になる。

 だが、今回のこのアルバムは、その6年前、まだルスラナがウクライナ・ローカルの 地味な歌い手だった頃の作品である。例えて言えばドクター・ジョンが”ガンボ”でロックシーン中央に打って出る以前にひっそりとリリースしていた怪作”グリグリ”にでもあたろうか。

 実際、”ワイルド・ダンス”は名も分からない異郷の古き神々の秘祭、みたいなエキゾティックな響きが横溢する不思議な手触りのダンスミュージックで、ワールドミュージック好き、民俗学好きの当方としては相当に血が騒いだものだった。
 が、その神なるものの正体がよく分からない。ひょっとして彼女自身が、どこか異郷の民族の血をひく者であるのかも知れない。そんな話も聞いた記憶もあるのだが、まだ確たることは言えない状態である。

 このアルバムは、闇に松明を掲げ異境の祭の司祭に名乗りを上げる、そんな方向にふっ切れる以前のルスラナが贈る、夜の内緒話の花束である。
 どの曲もひそやかな囁き声で、父祖からの秘密の言い伝えを夜の静粛に紛れてこっそり交し合う、みたいな妖しげな魅力に満ちている。(そういえばジャケ写真もなんだかホラー映画のサントラみたいだ)

 リズミックなナンバーをシャウトする場面もあるのだが、それもどこか気持ちとしてはオフ気味みたいな、どこか遠くで叫んでいるみたいなおぼろな距離感がある。
 東欧名物といおうか、モノクロームな感触のエレクトリック・ポップスもあれば、美しいメロディを切々と訴えかけるバラードも含まれているのだが、そのどれもが擦りガラスの向こうの世界のようにあてどなく遠いものに感じられる。

 あるいは、ケイト・ブッシュを連想させられたり、また谷山浩子を思い出したりしながら、ヨーロッパの古い街の古い家で、夜を徹して古老の昔話を聞かされているような気分になっても来るのだった。
 そしていつしか。いつまでも明けることのない夜のしじまに、遠い昔に過ぎ去ってしまったものたちへの名付けようのない懐かしい思いが哀切の尾を引いて横切って行ったり。

 とてもこの6年後に、あの”ワイルド・ダンス”の大爆発をするルスラナと同一人物とも思えないのだが。まあ、時間という奴は何をする河からないやね。歌詞も相当に面白そうなんだが、もちろんすべてウクライナ語で歌われているんで、一言も分からず。


ラゴス行き最終出口

2009-01-23 04:27:24 | アフリカ


 ” HAPPY DAY ”by Oluwe

 この頃、なんとなく気になっているナイジェリアのヒップホップ。手に入る機会があったんで、その中で一番マイナーでローカル、というこのアルバムを買ってみた。ヨルバ語のラップをやるというんだが、人相も悪くていいじゃないか。
 で、ほんとにマイナーな人らしくて、彼に関する情報を求めてネットの世界を探りまわったんだけど、記述一行、画像一枚、出てこなかった。無名の新人ってところなんだろうねえ。ちなみにこれ、2008年盤。

 気になっているとは言っても、「ヒップホップ」と銘打っている以上、アメリカの黒人が、いや、いまや世界中の若者がやってるような、どこに参りましても変わり映えもせず同じような出来上がりの「レベルは~低いが~クラブじゃ~オシャレ~♪」みたいな音を聞かされる危険性は十分あるわけだから、恐る恐るCDを回転させてみたわけですよ。

 まず聞こえてくるのはドッスンバッタンと重苦しくも性急な打ち込みのリズム。シンセがその裏で悲痛な響きの短調の和音を積み上げて行く。そいつに乗ってアルバムの主人公、OLUWEの野太い吠え声が響く。いかにもアフリカ風なもっこりとしたコーラスがコール&レスポンス状態で後に続く。

 ラップ、とはいっても。それは確かにそうなんだけど、そこにはやっぱり濃厚にヨルバの血が息ずいている感じだ。フジやらジュジュやらの伝統的部族ポップスの語り口にかなり通ずるところのある、時にイスラミックなメリスマさえ聞こえる代物なのである。
 見えない大蛇が通り過ぎて行くような、音楽の底に沈む深いコブシのうねりが伝わってくる、そんな歌いっぷりの”ラップ”なのである。

 良かった。こいつ、”当たり”だよ。”アクセント言語”であるところのヨルバ語でラップを行なったがために言語の呪縛により、こんなことが起こっているのかなあ、などとも思ったのだが、まあ、確証はない。
 その後、”むずかしいべ”とか”あとでブス”とか”サイコー”とか”虫歯”なんて空耳アワーを展開しつつOLUWEの”ラップ”は続いて行くのだが。うん、ほんとにこれ、いいんじゃないか?

 私なんかが初対面した頃、80年代の、地の底から湧き上がって来るようなどす黒いリズムの蠕動や情感の迸りが、なんだか希薄になってしまった感も否めない昨今のナイジェリアのイスラム系音楽である。
 そして、なぜか理由は知らないが、今日のフジ・ミュージックやアパラ・ミュージックが失ってしまった、そんなどす黒い音楽的衝動は、むしろこのようなラップを演ずるナイジェリア人に受け継がれているような気配がある。
 いや、まだ2~3枚しかその種のアルバムを聞いてはいないのだがね、どうもそんな感じを受けるのだ。

 まだ・・・実は一度見放しかけたナイジェリアの音楽だが、そうやらまだまだ捨てたものではなさそうだ、そんな風に信じてもいいような可能性を、私はこのアルバムに感じる。いけるよ、まだ。と思うよ。

もう一人のマキの不在

2009-01-22 05:25:39 | 60~70年代音楽


 ”カルメン・マキ真夜中詩集ーろうそくの消えるまで”

 いつぞや、「浅川マキの過去のレコーディングが今、”ダークネス”なる中途半端な編集盤シリーズがあるだけで、すべて絶版状態にあるのはどういうわけだ?」などと書いたが、同じ時期に活躍したもう一人のマキ、カルメン・マキのデビュー当時のアルバムも絶版状態が続いているのはどういうわけだ?

 いやね、今、ふと彼女のデビュー盤が気になって調べてみようと検索してみたら、”ロック転向後”の、つまり”カルメン・マキ&オズ”の状態になってからの情報ばかりがドカドカ出て来て、それ以前の資料にまるで出会えなくてなんだか妙な気分なってしまったから。
 まるで何者かが彼女のデビュー当時の記録を意識的に隠蔽しようと工作した後の、”処理済み”の情報群をあてがわれた、みたいな感じだ。
 通販サイトに当たってみても、当時の音源は2枚組のベストアルバム、あるいは6曲入りのミニアルバムがあるだけで、オリジナル盤は”絶版物件”としての表示さえされていなかったりする。
 そりゃ、2枚組から曲を拾えばデビュー盤を再構成するのは、実は可能なんだけど、こちらはジャケも含めたオリジナル盤の再発が欲しいのであってね。

 おっかしいなあ。何しろ当時の彼女は”時には母のない子のように”なんてヒット曲をもって紅白歌合戦にさえ出たというのだから、そんな時代の記録がまとめられていず、音源も絶版に近い状態とは、変じゃないか。
 もしかして、”私はロックです”と意固地になっちゃった彼女があんまりロックじゃない自分のデビュー当時を”若き日の失態”と考え、封印しようとしていて、”信者”である彼女のファン連中もその意を汲んで、当時のことには触れないようにしている、なんてことはないか?などと空想するのだが。

 あ、ちなみに、”ロック転向後”のカルメン・マキの歌に私は、まーーーーーったく興味はございません。ロックフェス通いをしていた若い頃、何度も生で聞いたが、ありがちなジャニス・フォロワー、それだけとしか思えなかったし、その評価は今でも変わらない。何で皆があんなに思い入れを持って語るのか、さっぱり分からないね。

 で、デビュー当時のカルメンマキ、ちょっと今、聴きたい気分なんですがねえ、なんとかならないか。
 リアルタイムでは彼女の歌、さほど興味を惹かれはしなかったのだが、この歳になって再検証してみたい気持ちになって来ている、あれはなんだったのか、と。
 そんな私としては、なんともじれったい気分なのであった。

 当時の彼女といえば、ダルい感じでフォーク調の歌を歌う、あの頃流行の”アンングラ女優”というキャラ設定だった。インドっぽいイメージの絞り染めの服など身にまとい、同じく、いかにもヒッピーなヘアバンドで長い髪をまとめ、ベルボトムのジーンズに裸足、なんて風体だったな。
 で、そんな彼女が歌っていたのは主に、寺山修司作詞、田中未知作曲の独特のフォーク調の歌だった。

 寺山の書いた劇の劇中歌などもあったのかな?まあ要するに寺山修司がイメージした”ナウいヒッピーの歌う唄”を実行するのが当時のカルメン・マキの仕事だったわけだ。その作業に倦んだゆえに彼女は、”ロック”の世界に逃走したのかとも想像されるのだけれど。
 まあ、それはおいておいて。
 その辺の唄を聞き直したくなっている私というのは、要するに寺山の想定した60年代風ヒッピー像とそれに仮託した寺山の詩の世界に触れたい欲求の中にあるということなのであろう。

 ”時には・・・”に続くシングル曲が確か”山羊にひかれて”だった。この唄なんかは、当時の彼女のイメージ設定をそのまま唄にしたようなものですな。
 なんとなくインド~中近東のイメージの乾いた砂漠の風景の中に、ヒッピー姿の彼女が山羊にひかれ、歩を進めて行く。周囲には千年も二千年もの昔から変わらぬ、どことも知れぬオアシスにおける人々の暮らしが展開されていて。

 この、どこかシンと静まり返って乾き切った、そしてなにか作りものめいて、実はどこにも行きどころのない、奇妙な漂白と孤独のイメージ。
 それが生ギターの響きが印象的な音数の少ないサウンドと、田中未知の書いたシンプルなメロディに導かれるまま、訥々と織り成されて行く。
 うん、30年以上の歳月の過ぎ去った今こそ、この寺山系内宇宙ともいうべき風景の中に身を置いてみたい。そんな欲求が自分の心の底にある事を改めて確認したのだよ、私は。
 
 で、どうなのさ。何とかならないの?カルメン・マキのデビュー・アルバムをCD再発して世に出すって事に、何か障害はあるのかなあ?聴きたいんだけどね、今。


☆ カルメン・マキ 真夜中詩集ーろうそくの消えるまでー

A 
1.時には母のない子のように 
2.家なき子 
3.二人のことば 
4.戦争は知らない 
5.マキの子守唄 
B 
1.山羊にひかれて 
2.だいせんじがけだらなよさ 
3.さよならだけが人生ならば 
4.ロバと小父さん 
5.かもめ 
6.時には母のない子のように

へっぽこの地平へ

2009-01-21 03:07:39 | アジア


 ”Lady Ready”by Neko Jump

 今、ネコジャンプが”来ている”ようだ、なんてこと言ったらタイのポップスに詳しい人に「とっくに時代はネコジャンプだよ。今頃、何を寝ぼけた事を言ってるんだ」と笑われそうな気もするなあ。
 まあ、それも天罰覿面だな。私はタイの大衆音楽に関しては、毎度お馴染み”レー”なる仏教系音楽に夢中になっていて、逆に言えばタイの音楽はそれを聴いておけばいいだろう、なんてたかをくくっていたわけだから。
 でもまあ、それはある面、しょうがないんだよ。こちとら世界中の音楽を相手にしている訳なんで、各地方の細かい変容や先端の動きには追いきれない部分は出てくるのであって。

 とはいえ、普通の音楽ファンはネコジャンプなんてグループを知りはしないんで、タイ音楽ファンに笑われるのは覚悟の上で、ちょっと説明しておくが。
 ネコジャンプはタイの人気アイドル・デュオ。NueyとJamの双子姉妹からなり、2007年に初めてのフルアルバム(それまではミニアルバムしか出していなかった)である ”Lady Ready”をリリースし、なんと日本公演さえ行っている。
 とはいえ公演を行ったのが秋葉原にあるフィギュア製作で有名な”海洋堂”関連の建物の一角であり、まあ要するに一部関係者が異常な盛り上がりをみせただけ、ということなんだろう。だってあなたもこんな話、初耳でしょう?

 ネコジャンプがそのような場所で支持を受けたのも、彼女らが秋葉原名物の”メイド喫茶”のメイドの制服をそのままステージ衣装に使ったり、チェック柄のセーラー服を身に付けたりの、秋葉原に出入りするヒトビトの、いわば琴線に触れる演出で売っているグループだったからのようである。
 といってもそれは、日本の先端文化に憧れる東南アジアの若者の欲望の一典型の実体化としてネコジャンプがタイの地で演じていたアイドルとしての演出であって、まさか日本のオタク諸氏に受けることなんか考えていたわけではないだろう。
 まあ、日本のオタク諸氏もそれは承知の上で面白がって騒いでみたのだろうが。

 それでもネコジャンプのアルバムを聞いたり映像を見たりすると、その日本かぶれ(?)ぶりに、日本人としてはむずがゆくなる部分もないではない。
 プロモーションビデオの冒頭、いきなり「こんにちは」と日本語の挨拶はあり、アルバムには”カワイイボーイ”なるタイトルの日本語の歌詞混じりのバラードが収められ、バックアップするプロジェクト・チームは”カミカゼ”の名を名乗りと一事が万事、その調子だからである。そもそも彼女らのデュオの名前自体に、”ネコ”なる日本語が使われているのだから。

 もっとも私はその部分に関して”ネコジャンプの時代が来ている”と感じているのではない。
 そんな彼女らが行なっている独特の脱力表現に、妙に心惹かれるものがあるからだ。
 東南アジアのポップスに詳しいブログ仲間のころんさん言われるところの”へっぽこ”表現である。こいつが、酷薄な風の吹き抜ける現代に、過酷な日々を生きる我々の、その脇の下をくすぐっては逃げて行く、得体の知れない子鬼の姿と見えるからである。

 結構考えの行き届いた楽曲とバッキングにより、ある時はダンサブル、ある時は切なくと、巧妙な青春ポップスの骨組みが提示される。
 と、そこに、まこと気の抜けるような、飴玉を口に含んで歌っているような甘ったるい調子で、なんとも頼りない歌唱力の、NueyとJam姉妹の歌がフラフラとヒラヒラと始まる。何しろ歌唱に使われているのがマイペンライな響きのタイ語なのであるから、脱力の色はますます濃くなる。

 そこに現出するのは、ピンク色の桃源郷とも、崩壊寸前で踏みとどまるポップミュージックの黄昏とも見える光景である。
 このへたっぴ感覚がもたらす不思議な価値観の混乱を、私は”へっぽこ主義”の根幹にあるものと、とりあえず想定したのであるが、いやまあ、こんなこというのはつまらない話だねえ。
 彼女ら二人の歌声を前に、「いやあ、時代は”へっぽこ”だねえ」と呟き見守るのが正しいへっぽこ野朗の生き方だろう。それにしてもタイって、どうしてこんなに不思議な音楽が次々に出てくるのだろうか。