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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥かなるハートブレイク・ホテル

2009-02-18 23:20:09 | その他の日本の音楽


 昨夜に続いてラジオ・ネタですが。

 先週のNHKラジオ、”ラジオ深夜便”で、日本のロカビリー歌手の特集なんてのをやってましたね。
 まあ、そんなに興味をそそられるテーマでもないんでなんとなく聞いていたんだけど、しょっぱなの小坂一也の”ハートブレイクホテル”には、ちょっと考えを改めねばなんて気にさせられましたね。
 小坂一也、意外と頑張って歌っていたんだなあ、ロカビリー全盛当時は。オリジナル盤では、結構ハードな”ロックな不良”の面影を漂わせた、今日の耳で聴いても結構血が騒ぐ歌唱を聴かせていたんだ。
 こちらは歌手としては一線を退いて俳優業を主にしていた小坂氏の姿ばかり記憶に残っていて、彼がよく演じていたちょっと気弱な中年男とか、そんな具合の歌を歌っていたように思い込んでいたんだが、失礼な話だった。

 それにしても、やっぱり不思議なハートブレイク・ホテルの歌詞である。「ホテルの人も黒い背広で涙こらえてる」って段があるのだけれど。いくら”恋に破れた若者たち”が集まる失恋ホテルと言えど、従業員まで涙ぐんでちゃ仕事にならないでしょ。
 このフレーズそのままの情景を思い浮かべると非常にシュールな映像が出来上がり、昔からお気に入りだったのです、この歌詞。
 まあ、本気で探せば当時の凄い英語歌詞和訳は続々と見つかるんでしょうね。この間、かまやつひろし氏がテレビで言っていたけど、”カーネル大佐”って歌詞があったと。「だってね、カーネルってのが”大佐”って意味なんだからさ」と、かまやつ氏は笑っていたんだけど、番組の司会の小堺一機は何が可笑しいのかよく分かっていなかったようだ。なんだ、今でも状況は同じようなものか。

 その他、山下敬二郎も平尾マサアキ先生も、私がこれまで持っていた日本のロカビリアンのイメージ(それらは主に、私が幼少期にテレビなどで彼らを見た記憶から出来上がっている)の、あんまりパッとしないそれとはやや手触りの違う歌唱を聞かせていた。彼らの当時の歌唱もまた、結構カッコ良かったんだ。
 私が見て来た日本のロカビリアンって、なんかクニャクニャした動作でニヤニヤ笑いながらマイクに向い、フニャフニャした歌を歌うと言うイメージがあったが、あれは後年の退廃の姿だったと言うことか?
 彼らの帝国はどんな風に興隆をし、どのように崩れ去って行ったのか。これまで考えたこともなかった、ずっと前に過ぎ去った彼らの青春の日々など想ってみる。

 そんな中で、若き日のかまやつひろしは、独特の甲高い声の世界をもう確立していたのには、大いに興味を惹かれたのだった。あの歌唱スタイルって、誰からの影響なのだろう?

 などなど。そしてふと、我が音楽の師匠、ナイトクラブのギター弾きだったT氏の事になど思い至る。彼はときどきロカビリーの日々に関し、”いまさら言っても仕方がない繰言”として、こうぼやいていた。
 「俺もなあ、カントリーっぽいギターを弾けたら、あの頃、何とかなっていたんだが」
 チャーリー・クリスチャンのギターに惹かれてギターを始め、戦後の混乱期にお定まりの進駐軍キャンプ周りをした後、一時期、全盛時代の山下敬二郎のバンドにいたそうだ。その後、私の町に流れて来た、その事情は知らない。古いタイプの、優雅なスタイルのジャズ・ギターを弾く人だった。まあ、確かにロカビリーの伴奏には向いていなかったかも、だけどね。

 などと故人であるような書き方をしてしまったが、彼はまだ健在である。キャバレーの楽師の職などカラオケに奪われて久しく、今はただ街の港の桟橋で日がな一日釣り糸を垂れて時間の流れ去るのを待つだけの日々だが。かってのボス、山下敬二郎については、「あんなに優しい人はいないね」と言っていた。


櫓太鼓in三味線

2009-02-17 05:24:40 | その他の日本の音楽


 日曜日の早朝というか。いやそれは世間的な時間の観念で、当方の感覚としてはまだ土曜日の深夜のつもりなのだが、まあそんな事はどうでもいいのだが、つまり日曜の朝早くにラジオのニッポン放送で桂米朝師匠の寄席四方山話、みたいな番組をやっている。
 米朝師匠がいろいろ関係者を招き寄席の世界の思い出話などする番組で、生活時間の滅茶苦茶な私は、お年寄りのための早朝番組なのであろうそれを聴きながら寝酒を飲んでいたりするわけで、まったく申し訳ない次第だ。

 その番組でこの間、”櫓太鼓”なる三味線芸の特集があり、これがなかなか面白かったのだった。
 この芸、要するに太鼓の乱れ打ちの様子を三味線の早弾きで模写してみせる、と言う寄席芸のようだ。ちなみに櫓太鼓なるもの自体は広辞苑によれば”劇場で、開場や閉場を知らせるために櫓の上で打つ太鼓”となっている。この太鼓の演奏を三味線で表現するわけだ。

 まず最初にトクナガリチョウなる人物による演奏が流されたのだが、まさに火を吹くような早弾きであって、思わず聴き入ってしまう。何より意表を衝かれたのが、それは明治時代の録音との事だったが、まるで今日との感覚のずれがないこと。昨日の録音だと言われても納得してしまったのではないか。
 その後も、漫才の合間に演じられるもの等、さまざまなヴァージョンの三味線による”櫓太鼓”の演奏がオンエアされたのだが、漫才の喋くりの部分は確かに昔の芸だなあと言う感じなのだが、曲弾きの段になると時代の流れを感じることがない。非常に今日的な感性による演奏に感じられたのだ。

 それは、音階も違えばリズムの種類も違う。同じものとは聴こえはしないのだが、その、まさに曲芸的演奏を成り立たせている精神は今日、ヘビメタのギター弾き連中の内に流れるものと変わらないのではないか、なんて思えた。
 考えてみれば、打楽器である太鼓の演奏を弦楽器である三味線(三味線もまあ、半分打楽器みたいなものだが)で模写してみせる、なんてのは近代芸術っぽい発想ではある。この辺、ポストモダンがどーのこーの、なんて話が得意な人は大張り切りになるんだろうが、当方、その種の教養の用意はありません、すんませんなあ。

 その辺の発想って、三味線弾きの技術者としての血の滾りが暴走した挙句のものなんだろうけど、その”技の魂”が時代の精神の垣根をも飛び越えてしまった、なんて当方には感じられたのですわ。なんか、意味の通じる文章になっているかどうか自信はないけど。まあ、面白いもんだなあ、と。
 ついでに。この種の演奏は”邪道”とか”ケレン”とか言われて、本格派の三味線弾きからは忌避されたんだそうな。まあ、そういうものでしょうな。

 ☆図は、歌川広重による浮世絵、”両国回向院太鼓やぐらの図 ”をあしらった切手。

 (先日よりぼやいているパソコンの不調、どこかへ吹っ飛んでしまったよ?直ってしまったのか?なんて油断していると、いきなりガツンと食らうのがパソコントラブルって奴のいやらしさなんだろうけど)

ミャンマーの春風に

2009-02-16 04:11:34 | アジア


 え~昨日は悲観的な事を書きましたが、本日も何とか無事にここまでやってこれました。このままパソコンが直ってくれちゃったり・・・は無理なんだろうけどなあ、やっぱり。

 ”Yin Htel Ka Soe Pi”by May Sweet

 ミャンマーの中堅の、と言っていいんだろうか歌手、メースイのこのアルバムについて書こうとしてなんとなく検索をかけてみたら、彼女が昨年の春、イギリスで交通事故で亡くなっている事を知り、驚いてしまった。まあ私にしてみれば何枚かアルバムを持っている、と言う程度の、まだ良く知らない歌手であるのだけれども、それなりに粛然たる気持ちになる。
 それにしても、ロンドン在住だったのか?どういう事情か分からないけれども。ややこしい国内事情を抱えた国における芸人稼業について、あれこれ想像してみたりする。

 始めの数曲はミャンマーお得意の、あの奔放な構成の天然プログレポップスではなく、マイナー・キイの、汎アジア的とも言いたい哀愁を帯びた熱帯ナイトクラブっぽいリズム歌謡が続く。東南アジアの熱く湿った夜の中に染み出して行くようなメースイの歌声に、彼女への哀悼の想いなど、つい誘われてしまう。

 と、5曲目に飛び出してきた、聞き覚えのあるメロディ。あ、これは昔、”アフリカの準国歌”とも言われていた”マライカ”のメロディじゃないか。こうして聴くとミャンマー風のメロディとしか思えないけれども。付け加えられたサビのメロディにもミャンマーらしさが滲み、なかなか楽しい作品になっている。

 この辺りからアルバムは、東南アジア・ナイトクラブ調のミラーボールきらめく世界を切り上げ、湿気と闇のイメージを一気に拭い去り、ロック・サイド(?)の展開となって行く。
 カントリー・ロック調の8曲目(ジャケはすべてミャンマー文字だから、曲名なんか読めないよ勿論)をはじめとして、その後はテンポの良いロック調の曲が続く。

 ”緩めのロッカ・バラード”みたいな処理となっている11曲目、あれれ、タイトル忘れちゃったなあ、昔、好きだった曲なんだよ。メースイの声もよく伸びて、青空の下のもどかしき青春の日々の懊悩など切なく歌い上げ、忘れがたい出来上がりとなっている。
 それ以外も、欧米のポップスに詳しい人が聞いたらカバー・ネタを発見できるのかも知れない。そう思わせるくらい、親しみやすい曲調のナンバーの連発である。それでもどこかにミャンマーらしさは匂うんだけどね、気配として。

 伴奏陣も、ベダルスチールを模した、もの凄い早弾きのソロを聴かせたりするギターには舌を巻かされたし、キーボードの奴が”こいつは絶対にディープ・パープルのファンだろう”と思われる大熱演のソロを披露して笑わせてくれたり。私がはじめてミャンマーのポップスを聴いた頃のぎこちなさとは隔世の感がある。皆、上手くなったよなあ。上から目線で偉そうに言って申し訳ないけどさあ。

 などなど・・・なんだよこれ、普通に良い出来のポップ・アルバムじゃないか。ミャンマー調の迷宮構造は最後まで現われないが、それでも十分楽しめる。どの曲も明るくパワフルなメースイの歌声によく似合っていて、ちょっとノスタルジックで切なくて、なかなか気持ちよいポップスになってるんだ。
 なんだかますます彼女、メースイの急逝が惜しく思えてきてしまったなあ。ともかく冥福を祈ります。


 ”17 Mar 2008 ... Myanmar's famous actress and singer May Sweet died in head on collision car accident near M4 Motorway in London, United Kingdom. ”

 (”KyiMayKaung ”より。http://kyimaykaung.blogspot.com/2008/03/famous-burmese-singer-may-sweet-dies-in.html)



台湾の月の下で

2009-02-15 03:40:11 | アジア

 はじめに。今、パソコンがかなり調子が悪いです。もしかしたら修理に出したり、あるいは新品に買い替え、なんて事になるかも知れない。その場合は当然、ここの更新も中断する事になりますが、問題解決すれば必ず戻って来ますんで、更新が滞ってもときどき覗いて見てくださいまし。どうかよろしく。

 ”魚仔(he-ya)” by 魚仔

 これはかなり良いよ!私はファンになりましたね。台湾の台湾語ポップス界の新人、魚仔ちゃんのデビュー・アルバムです。

 エキゾティックな顔立ちのジャケ写真をご覧になれば一目で分かると思いますが、漢民族ではなく台湾先住民の血を引く子のようです。排湾(パイワル)族の血筋とか。と言っても音の方は先住民歌謡の色濃厚な内容ではなく、いかにも台湾っぽいライト感覚のフォーク&ポップスです。そこに、ほのかに異民族情緒が漂う。その辺りの微妙な感触がたまりませんね。

 1990年生まれと言う魚仔ちゃんですが、CDが回り出し、まず流れてくるのは、”珠を転がすような”って表現がいかにもふさわしい愛らしいコロコロした歌声。やや低めではありますが、それもこの子のエキゾティックな個性を際立たせる方向に作用していて好ましい。

 サウンドの方は生ギターのアンサンブルをメインに押し出し、そこに軽く弦が被さったりのシンプルな構造。収められている各曲も、いかにもフォークギターの弾き語りに似合う感じの、自然な流れの美しいフォークタッチのバラードがメインです。本来、アクの強い台湾語もここでは、魚仔ちゃんのエキゾティックな魅力を引き立てる役割を演じていますね。

 そんな曲を、魚仔ちゃんのコロコロ転がる歌声でしみじみ聴かされると、なんだか台湾の田舎の、海の見える小さな町の夕暮れを散歩しているみたいな気分になりましてね。これは実に良い気分の春の宵の一幕であります。
 ことに、テネシーワルツでも始めるのかと思わせるイントロの5曲目の曲なんか、まさにそんな春宵気分が横溢でありまして、たまりませんね。

 ちょっとそこらまでお散歩しましょ、だってこんな月の夜だもの・・・


だいせんじがけだらなよさ

2009-02-14 06:30:34 | 60~70年代音楽


 ”寺山修司とともに生きて”by 田中未知

 田中未知といえば、寺山修司の”天井桟敷”の初期からのスタッフであり、寺山の詩のいくつかに印象的なメロディをつけた作曲家でもあった。そのコンビの最大のヒット作は、あのカルメン・マキの”時には母のないこのように”なのであるが。
 もう大分前の日曜日の朝、朝日新聞の朝刊の書評ページに載っていた、その田中未知の自伝とも寺山論とも言いうる著作に関する文章に目を通し、私はありゃりゃと頭を抱えてしまったのだった。

 なぜって。マヌケな話なんだが、私は著者の田中未知を男性であるとその時まで信じ込んでいたからだ。
 真相は、寺山の公私共にわたる秘書を勤め、彼を支えた女性であり、寺山の死後は、ヨーロッパの片田舎を、まるで自分を埋葬するかのように放浪してまわる生活を選んだ人であった。
 でも。なぜなんだろうなあ、私はこの人を男性と信じ込んでいた。才能溢れる、快活でちょっぴり皮肉屋であり、寺山の傍にあって、時に寺山を鋭い警句でやり込めたりしている、そんな人物であると。

 と言うか、考えてみれば私は田中未知の仕事を詳しく知っているわけではなく、ただ前出のカルメン・マキの出したデビューアルバムを青少年の頃、先輩に聞かせてもらい、田中未知作のメロディに、それなりの感興を抱いた、と言うだけの話だったのだ。

 時は激動の60年代末。聞かせてくれた先輩はすでに大学生であり、今で言うサブカルチャーの支持者であり、その種のことが好きそうな私を、いわばオルグでもするような気で、そのアルバムを聞かせ、寺山の演劇の何たるかを語って聞かせてくれた・・・ようなのだが、その件は何も覚えていない。
 ただ、午後の陽光が差し込む部屋の中に響いていた、田中がカルメン・マキのために書いた牧歌調のメロディだけが印象に残った。「さよならだけが人生だ」そのアンサー・ソングである「さよならだけが人生ならば」などなど。

 そのアルバムに収められていたのはギターをはじめたばかりの私にもコード進行の予想のつくような素朴なメロディばかりだったが、これはおそらく、もっと技巧の凝らした音楽を作ることも可能な人が、寺山の詩のテーマと歌い手のキャラに合わせてあえて演じてみせた素朴さのように感じた。
 これに関しては田中未知がその後、結構メジャーな映画の音楽を担当し、複雑なスコアをものにしていたことから、結構あたっていたのではないかと思う。

 それにしても・・・考えてみればもう何十年も前の話ということになってしまうのに、その時に一度聴いただけの「さよならだけが人生だ」などのメロディをいまだに覚えているってどういうことだろうか。
 でさあ。もう一回言うけど、カルメン・マキの初期、フォーク期のアルバム、現在絶版状態だけどさ、何とか再発出来ませんか、レコード会社の皆さん。廃盤にしておく理由と言うものが分からないんだよね、私には。


韓国歌謡ラップの明日はどっちだ?

2009-02-11 04:04:32 | アジア


 ”vol.4 Buy Turtles ”by Turtles

 苦手な冬にうんざり気分でありまして、ヤケクソで北国音楽に関する文章をこのところ書いているのですが、それも辛気臭くて嫌になってきた。そこで、さらに気分を変えて、頭沸いてるバカ・ミュージックでも取り上げてみようか、などと。

 韓国のラップ・チーム、Turtlesといえばこの場に、昨年の8月のはじめでしたか、彼らの5枚目のアルバムについて書いた事がありました。今ウケのお笑いコンビ、”髭男爵”の山田ルイ53世に、顔も声も芸風もそこはかとなく似ている男と、なにやら無駄に色っぽいおねーちゃん二人によるチームであります。
 ラップといっても、オシャレに決めようとか俺たちゃ最先端だぜ!みたいな意識はまずないみたいで、濃厚に演歌臭、歌謡曲臭漂うメロディを男女の掛け合いで陽気に、かつ悪乗り気味で歌い飛ばして行く、というあたりにコンセプトの主眼があるようで。

 リーダーの”タートルマン”なるオヤジは中年臭を隠すことなく厚かましい歌謡ラップを朗々と歌い上げ、女子二人も、これは相当トロット演歌の現場なんかで鍛えられて来たのではないかと想像されるタフな喉によるコブシの入ったコーラスでそれに応えます。
 全体としてはいかにも下世話な出来上がりで、ラップと言っても人前ではかっこ悪くてちょっと聴く気にはなれない。が、その溢れるいい加減さが、気の塞いでいるときなんかには結構救いになる。なんて辺りが、私が彼らを愛好する根拠でしょうか。

 今回のアルバムは2006年に出た彼らの4thアルバム。なんか柄でもない”夏のバカンス”がテーマになっているようで、夏の浜辺に似合いそうな軽快なナンバーが続き、”韓国風トロピカル歌謡・ウクレレ入り”みたいな一発も聴けて、これは楽しいですな。
 加えて、余談ですが、内ジャケにはビーチバレーやらクルージングやらに興ずるメンバーの写真があり、それを見ると女子メンバーは二人とも、なかなかの巨乳であることなどが分かり、こいつはますます報われない人生を送る者の救いとなる構図であります。

 などと勝手な事を書いてきましたが、このグループのリーダー、タートルマンは昨年、急病で亡くなってしまったんだそうで、ものごとやっぱり上手くは行かないと嘆息した次第であります。

フィンランド、冬の密室遊戯

2009-02-10 05:28:20 | ヨーロッパ


 ”FAR IN!”by Arto Jarvera

 さらに続きます、クソ寒い冬はもう嫌だ記念・北国ミュージック特集。
 今回は、考えてみれば”もうこの先はありません”とはとんでもない国の呼び名もあったものだ、のフィンランドであります。
 かの国の民衆音楽にはバイオリン楽団によるダンス音楽演奏の伝統があり、時に十数人にのぼるバイオリン弾きと、それに加えるところのリズム・セクションとして生ベースと古色蒼然たる足踏み式オルガン、という奇妙な編成の楽団が居並び、祭りの席で夜を徹して演奏が繰り広げられる、なんて話を以前書いたことがありましたが。

 そんなフィンランド伝統のバイオリン楽団の最高峰の位置にあるJPPなるバンドのリーダー、Arto Jarvelaが2004年に世に問うたソロアルバムであります。
 これがまあ、その種のアルバムに極めてありがちな代物で、なんだか笑えてさえ来てしまったんですが。
 ともかく全編、やりたい放題であります。冒頭、聞こえてきたエレキギターによるリズム・カッティングに「おや、電気楽器の使用とは珍しいな、彼としては」とか呑気な事を言っていたらおいて行かれてしまう。

 Jarveraは、ここではすべての楽器を自分で演奏しています。バイオリンは当然として、ニッケルアルパやカンテレといった北欧各国の民族楽器、さらにギター、マンドリンから、はてはアフリカのマリンバや親指ピアノまで持ち出し、深夜の密室の祭祀、といった雰囲気の瞑想的な音世界を創造している。
 リズムの部分はシークエンサー・ドラムにまかせ、自ら作り上げた不思議な音のアンサンブルをバックに、実にイマジネイティブなバイオリン演奏を聞かせるJarveraに、フィンランド伝統音楽の守護者としての面影はもうどこにも見つけることは出来ません。ありていに言って、好きなことやって遊び倒すガキの姿であります、これは。

 演奏されている曲も、フィンランドを訪れたパキスタンの民族楽団から影響を受けてJarveraが書き上げた曲やら、東欧のジプシー・バンド、タラフ&ハイドゥークスのレパートリーをややジャズの要素も含めつつ演奏してみたり、もうなにものにもとらわれることない自由奔放な姿勢のものばかり。
 私が何より痛快に感じたのは、そんな彼のバイオリンの音が、あくまでも民俗音楽のプレイヤーのそれであること。クラシックの演奏家からは顰蹙買いそうな音色がお茶目で、憎めません。

 降り積もる雪の中、シンと静けさに閉ざされた北欧の冬の夜など想います。ストーブの火の前で一人、好きな音楽を相手にアイディアをこらし、このアルバムの構想を練るJarveraの姿など。
 そう、やっぱり一人遊びする子供の姿なんだなあ、このアルバムの音から浮かび上がってくるのは。Jarveraはもう、相当の年齢のはずなんだけどね。この”オタクの魂、百まで”の遊び心に乾杯したい。

ナシ族ジャンプはいつ跳ねる?

2009-02-09 02:07:40 | アジア

 ”納西珍珠(The Naxi Pearl)”by Dapomaji

 これまで何枚か取り上げてきた大陸中国の地方在住少数民族の民歌シリーズ。これは雲南省の北辺に住むナシ族なる人々の音楽だそうな。

 まあ音楽の話は後にして歌手のルックス的には、このダーポマーチーさん(文字化けの可能性を考慮、歌手名の漢字表記はやめておきます)が今のところ地方民歌シリーズ中、一番可愛いと言えるんじゃないか。
 これは南方系の顔ですなあ。エキゾティックな、むしろSF的といいたい民族衣装をまとっても全然負けないキャラの立ち具合であります。

 その彼女が、まさに玉を転がすような、という表現がいかにも似合う可憐な声を張り上げ、歌うナシの民歌は、なんだか春の夜空に浮んだお月様、みたいな、ある種のシュールな輝きに満ちて夜空に弾むのでした。
 辺境の風変わりな音楽の味わいは溢れそうなんだけど、田舎臭さや泥臭さはあまり伝わってこない。
 どう、と説明も難しいけど、曲想にも演奏にも月夜に妖精が跳ねて遊んでいるみたいなぶっ飛んだ感触があり、これが可憐な響きのボーカルと相まって、良い具合の幻想味と躍動感を醸し出しているのだった。

 中国民族の音楽からくどさを取って軽妙さを増したみたいな感じかな。
 まあ、商用音楽として市場に出すにあたって、異郷の人の耳にも快いようにアレンジは成され、しかも歌うのが民俗派アイドル声の持ち主、ダーボマーチー嬢と来ている、ってのもあるんだろうけどね。
 雲南省といえば民俗音楽の宝庫らしいし、何より南に下れば、不可思議ポップスの国ミャンマーに音楽大国タイがひかえている。現実に、両国とは民族的にもつながりがあるようで、その後のナシ族ポップスの発展、ちょっと期待してみたくなるのだった。

 それにしてもどんな人々?とナシ族を検索にかけてみたらいきなり、「一妻多夫制」なんて言葉が飛び出してきてのけぞる。元来母系社会で女性の地位が高いとか。
 また、かって一部本好きの間で”可愛い”と評判となった不思議な絵文字、”トンパ文字”の使用民族でもあった。
 ははあ、あのユネスコにも”今日、唯一の生きた象形文字”と認定されたというあの文字は、この民族が作り出したものだったのか。

 もう、決定的に”可愛い”が売りの民族なのね。って私も勝手な決め付けをするけどさ。けどもう予言しておく。きっとこの辺りからそのうち、ネコジャンプみたいな連中が出てくるぞ。


桜色の向こうにナポリ

2009-02-07 03:33:19 | いわゆる日記


 ”O Sole Mio-Favourite Italian Songs” by Luciano Pavarotti

 もう昨日になってしまった金曜日、ちょっとした用事を片付けた後、まだ昼下がりだったし天気も良かったんで、街の高台にある別荘地帯を軽くドライブしてみたんだけど、これが凄かったね。
 なにが「そのうち桜前線の便りも」だよ、天気予報官諸君!私の街はとっくに桜は満開となりかけてるぜっ!まあ、要するにこちらに植えられているのが早咲きの品種だって、それだけの話ではあるものの。

 駅裏の道を上がって行くと、JRの線路がトンネルに入り込むあたりを見下ろす道路に沿って植えられた桜が、ここは街一番日当たりが良いのかね、もう満開状態になっていて、ちょっとした見ものだ。
 そのあたりに戦前の華族が残した広大な庭園があり、今は梅の名所として名高く、観光客がバスを連ねて訪れるようになっているんだけど、観光客連中も梅はそっちのけで桜の並木に見入り、盛んに記念写真を撮ったりしている。

 そこを通り過ぎてさらに坂を上り別荘地帯に入って行くと、さらにあちこちで花開きつつある桜の群生があって、ともかく天気の良さもあり、寒さに震え上がっていた昨日までの重苦しい気分がむしろ非現実的だ。
 いやもう春だね。すでに当地では桜満開も目前かと思えている。大島弓子のマンガにあった、「なんという凄い季節でしょう」ってセリフが何度も頭に浮んだ。

 別荘地帯をクネクネと縫って走る道を抜けて行くと、カーブを曲がるごとに「あれ、いつのまに」なんてビックリするような光景が展開されていて、ああ、こちらが冬の寒さに身をかがめているうちに、こんなことになっていたんだなあ。なるほど、人間の都合なんかとは関係なく、季節は確実に巡っているようだ。

 助手席に座っていた老母が溜息をついた。「もったいないねえ、これを誰も見ていないんだから」と。そうなんだねえ。観光客はこんなところまで上がってこないし、別荘地帯の住人もこの状態を知ってや知らずや、家々はどこも閑散とした雰囲気で人影もない。桜がいくら咲き誇ろうと、それを目にする者は気まぐれな通りがかりの我々くらいのものなのである。
 いやそもそも、この別荘地帯なるもの、どれほど機能しているのやら?もしかしたらこの洒落た家々も持ち主たちはとうに没落し、不動産会社の持ち物にでもなってしまっているのやも知れぬ。だってほんとに、人がいるのなんて見たことあるのは中の数軒しかないものなあ、別荘地帯では。

 などという事を考えながらのんびり桜の下をドライブしつつ聴いていたのが、このアルバムである。急いで言っておくけど、当方、クラシック音楽には何の知識もない。普通、聴く習慣もない。このアルバムだって”イタリア民謡集”ということで手に入れただけの代物である。

 誰かが書いてたなあ、「パヴァロッティはナポリの出身でもないのだから、そんな彼の歌うナポリ民謡に何の意味があろうか」なんて、このアルバムへの否定的文章を。
 そんな細かいニュアンスまで、我がポンニチの人間に感じ取ることが可能なのかねえ。まあ、その人には可能だから、そう書いてるんだろうけど。
 クラシックには興味のないワールドミュージック・ファンの立場から言わせてもらえば、ここに収められた曲というのは”専門家が作曲したナポリ民謡風の歌曲”なのであって、本物のナポリの民謡とはそもそもあまり関係がない。ほんとのナポリの民謡というのは、もっとイスラム色の濃いものであってね。こんなに部外者にとって聴きやすい音楽じゃあありません。

 だから、そんな”民謡ということになっている歌曲”を相手に、歌い手の生まれや育ちにこだわってみるのは、どれだけの意味があるのやら?ですなあ。そんな事を言う人は、たとえばNCCPなんかが復興させたドロドロのナポリ民謡とか、聴いたことがあるんだろうか?
 ようするにこれ、歌謡曲でしょ?ご当地ソングでしょ?
 とかなんとか言いつつ車を駆って行くと、別荘地帯一の桜の群生地帯に至り、その辺はまだまだ咲き初めと言うところで、まだまだなのだけれど、しかし順調に咲けば凄いことになりそうだなあ、なんて感触があり、母はまた「もったいないねえ」との溜息をつくことになる。

 ちょうど良い具合に、その辺でアルバムの曲目は「はるかなるサンタルチア」から「カタリ、カタリ」へと移行するところで、いやあ、良い按配でありましたとさ。なんでこう春先の気分というのはイタリアの音楽に合うんだろうかね。
 以上、桜の満開目前の某所よりお送りいたしました。春はもうすぐ。

冬のラトビア

2009-02-06 02:59:36 | ヨーロッパ

 ”ILGI”by Totari

 えーい、もう寒い日に飽き飽きして、ヤケクソでわざと寒そうな北国の音楽ばかりこのところ取り上げているわけなんですがね。
 そんなわけで取り上げる作品は今回もバルト三国の一国、ラトヴィアの5人組民謡グループの2005年作。

 ジャケ写真。人々が朝焼けの中で手をつなぎ、輪を作って向かい合っている様は、なかなか神秘的な構図です。古代の祭事など連想させられるんですが。
 歌詞カードの片隅に記された短いメモによると実際にこの作は、季節の移行に関わる伝統的祝祭行事と、そこで歌われた古代の宗教歌を蘇らせる試みが行なわれているようです。

 素朴な民俗系弦楽器が奏でる呪術的なリフに導かれて、男女のコーラスが、シンプルな旋律を繰り返し歌い上げる。寄せては返す波のようなメロディの反復が、古代の祭祀の雰囲気を盛り立てて行く。

 それは時に地の底から響く祖霊の呻きのようにおどろおどろしく聞こえ、あるいは時に、子供の遊戯歌のようにも、さらには母親の歌う子守唄のようにも響く。ともかくどのメロディも非常に蒼古的と申しましょうか、今どき民俗音楽の中でしか聞けないようなプリミティブな構成のものばかり。

 以前、この場でも取り上げた、同じ北欧はフィンランドのトラッドバンドが古代の熊狩りの音楽を再現してみせた作品、”Karhujuhla The Bear Feast”などを想起せずにはいられません。実際、かなり似ている部分があるんだ。
 これは、あの大作に影響を受けたとかいうより、あの世界に共鳴の意を表して見せた、なんて感じじゃないだろうか?「こちら側にも同じような手触りの音楽があるんだよ」と。

 などと思いつつ聞き返していると、大昔にバルト三国地域やスカンジナヴィア半島を結んで成立していた、バルト海沿岸古代文化圏・・・なんて妄想が頭を過ぎり、なんだか楽しくなってくるんですけどね。