昨夜に続いてラジオ・ネタですが。
先週のNHKラジオ、”ラジオ深夜便”で、日本のロカビリー歌手の特集なんてのをやってましたね。
まあ、そんなに興味をそそられるテーマでもないんでなんとなく聞いていたんだけど、しょっぱなの小坂一也の”ハートブレイクホテル”には、ちょっと考えを改めねばなんて気にさせられましたね。
小坂一也、意外と頑張って歌っていたんだなあ、ロカビリー全盛当時は。オリジナル盤では、結構ハードな”ロックな不良”の面影を漂わせた、今日の耳で聴いても結構血が騒ぐ歌唱を聴かせていたんだ。
こちらは歌手としては一線を退いて俳優業を主にしていた小坂氏の姿ばかり記憶に残っていて、彼がよく演じていたちょっと気弱な中年男とか、そんな具合の歌を歌っていたように思い込んでいたんだが、失礼な話だった。
それにしても、やっぱり不思議なハートブレイク・ホテルの歌詞である。「ホテルの人も黒い背広で涙こらえてる」って段があるのだけれど。いくら”恋に破れた若者たち”が集まる失恋ホテルと言えど、従業員まで涙ぐんでちゃ仕事にならないでしょ。
このフレーズそのままの情景を思い浮かべると非常にシュールな映像が出来上がり、昔からお気に入りだったのです、この歌詞。
まあ、本気で探せば当時の凄い英語歌詞和訳は続々と見つかるんでしょうね。この間、かまやつひろし氏がテレビで言っていたけど、”カーネル大佐”って歌詞があったと。「だってね、カーネルってのが”大佐”って意味なんだからさ」と、かまやつ氏は笑っていたんだけど、番組の司会の小堺一機は何が可笑しいのかよく分かっていなかったようだ。なんだ、今でも状況は同じようなものか。
その他、山下敬二郎も平尾マサアキ先生も、私がこれまで持っていた日本のロカビリアンのイメージ(それらは主に、私が幼少期にテレビなどで彼らを見た記憶から出来上がっている)の、あんまりパッとしないそれとはやや手触りの違う歌唱を聞かせていた。彼らの当時の歌唱もまた、結構カッコ良かったんだ。
私が見て来た日本のロカビリアンって、なんかクニャクニャした動作でニヤニヤ笑いながらマイクに向い、フニャフニャした歌を歌うと言うイメージがあったが、あれは後年の退廃の姿だったと言うことか?
彼らの帝国はどんな風に興隆をし、どのように崩れ去って行ったのか。これまで考えたこともなかった、ずっと前に過ぎ去った彼らの青春の日々など想ってみる。
そんな中で、若き日のかまやつひろしは、独特の甲高い声の世界をもう確立していたのには、大いに興味を惹かれたのだった。あの歌唱スタイルって、誰からの影響なのだろう?
などなど。そしてふと、我が音楽の師匠、ナイトクラブのギター弾きだったT氏の事になど思い至る。彼はときどきロカビリーの日々に関し、”いまさら言っても仕方がない繰言”として、こうぼやいていた。
「俺もなあ、カントリーっぽいギターを弾けたら、あの頃、何とかなっていたんだが」
チャーリー・クリスチャンのギターに惹かれてギターを始め、戦後の混乱期にお定まりの進駐軍キャンプ周りをした後、一時期、全盛時代の山下敬二郎のバンドにいたそうだ。その後、私の町に流れて来た、その事情は知らない。古いタイプの、優雅なスタイルのジャズ・ギターを弾く人だった。まあ、確かにロカビリーの伴奏には向いていなかったかも、だけどね。
などと故人であるような書き方をしてしまったが、彼はまだ健在である。キャバレーの楽師の職などカラオケに奪われて久しく、今はただ街の港の桟橋で日がな一日釣り糸を垂れて時間の流れ去るのを待つだけの日々だが。かってのボス、山下敬二郎については、「あんなに優しい人はいないね」と言っていた。