”Un mondo fra le mani” by Claudia Bombardella Ensemble
このクラウディアという人はイタリアの伝統派大衆音楽家の中では一番不思議な人であると思う、私は。
と言っても理解不能な音楽をやっているって訳じゃない、非常に刺激的な世界を創出してくれるので、この人の音楽を聴くのは快感なのだが、何でこんな事を始めたのか、よく分からないのだ。
イタリアの伝統的大衆音楽を分解再構成して、(クラシックで言うところの)現代音楽っぽいスタイルにまとめたもの、そのような音楽を彼女はやっているのだが、このような迷宮的音楽志向の人が民俗音楽にここまで入れ込むというのも珍しい気がする。
ウッドベースやバイオリン等の弦のアンサンブルが複雑な和音やリズムパターンを繰り出すのをバックに、彼女は伝統色濃い自作曲を歌う。あるいは木管楽器やアコーディオンでかなり精神の内に沈み込むようなタッチの思索的ソロを取る。時には呪文のようなスキャットを聴かせてみたり。
そんなクラウディア・アンサンブルの演奏を聴いていると、伝統音楽をキイに大衆文化の流れの底にまで至り、時を遡行し、数百年のスケールで民衆文化の絵巻物が描かれて行く、カラフルで奥深い幻想にとらわれるのだ。
クラウディア女史の音楽的出自はクラシックと想像される。そうでなければ技術面で、ここで聴かれるタイプのテクニカルな演奏は不可能だろう。が、民俗音楽や即興演奏に入れ込み過ぎて、その世界からはみ出てしまった、そんな人なのではないか。
内ジャケの、演奏中の大暴れの写真など見るにつけても、どこへ行っても定められた世界の規格にははまりきれないお転婆(って年齢では、とうにないが)な彼女の性格が伝わって来て、なにやら微笑ましい気分になってくる。
いろいろな楽器をものにしているクラウディアだが、主に使用する楽器が、女性が演奏するのは、と言う以前に持っているだけでも大変だろうと思われるバリトン・サックスであるのも、彼女の無茶な性格を象徴していると言っていいだろう。彼女がロック・ミュージシャンの舞台に客演している写真を見たことがあるが、大柄なロック野郎の隣で小柄な彼女が巨大なバリトンサックスを構える姿は、相当に笑えた。
ともあれ。彼女には今後もいろいろと無茶な音楽活動をお願いしたいものだ。なんて願わなくともクラウディア女史は勝手にやるだろうけど。そういう人だから、きっと。