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裸のヤコブ

・・・ ・・・・

【S】 手の中にあるもの

2008年05月28日 | small axe

2008年6月29日(日)から、札幌市役所本庁1階ロビーにて、このような催しが開かれます。

ヒロシマ・ナガサキ原爆展

※スキャナーで読み込んで処理した画像のため、見づらくなっていて申し訳ありません。


 今日のブログを書くために、情報収集をしようと色々なHPをのぞいていたのですが、偶然見つけてしまいました。こんな映画があることを、全然知らなかった自分が恥ずかしいです。札幌でもシアターキノで上映していたようですが、全く知りませんでした。


※画像をクリックすると公式HPに飛びます。勝手に画像をお借りしました。問題があればお知らせ下さい。

 実は、いったん長い文章を書いていたのですが、全て消してしまいました。カラフルなラベルに彩られた空っぽの「ビン」のような言葉たち・・・・恥ずかしくてお見せできませんでした。

 「平和を願う」と口にするものとして、謙虚な気持ちでこれからも勉強させてもらいます(何度も足を運び、広島や長崎が原爆だけではないということも理解しているつもりです)。



私たちの手の中にあるもの・・・それは大切にしなくてはならないもの。




デリケートな問題だからこそ、目をそらさずにいたいものです。













こんな話題のあとで恐縮ですが・・・
CD好評発売中

私のもう一つのブログ
裸のヤコブ【In the Light】で2曲だけ試聴できます。
ぜひ、ご購入の参考にして下さい。

現在、私のCD「Binghiman Apartment」を販売しているお店は・・・

◆文教堂平岸5条店
  3階 CDストア→ここの試聴機(器?)で試聴できます。
  Tel_011(815)8850

◆コーチャンフォー
 ミュンヘン大橋店  Tel_011(817)3000

  ・・・新作のコーナーに置かれていたとの情報がありました。

◆コーチャンフォー
 美しが丘店
  Tel_011(889)2600

◆コーチャンフォー
 新川店
  Tel_011(769)1011

◆玉光堂楽器センター
  Tel_011(231)5575


の5店舗です。即、購入希望の方はこれらのお店でご購入ください。また、通信販売もどしどししていきます。通販用口座もできあがりましたので、メールを頂いた方には口座番号を含め発送方法や送料についてなど連絡をさせていただきます。通販の問い合わせも含め、ご質問や購入の連絡は下記メール・アドレスまでお願いします。試聴後のご感想等はメールでもコメントでもかまいませんのそちらもよろしくお願いします。

iyahkie@gmail.com


Binghiman Apartment
5曲入り 1500円(税込み)




ONE LOVE


 


【S】 胸が痛いです…

2007年01月19日 | small axe
 gooのブログの機能にある「ランダムブログ」というものを、暇じゃないけど暇つぶし(他人はこれを現実逃避という)に何度もクリックしていたら、胸が締め付けられるブログに出会ってしまったのでここで紹介しようと思います。ぜひ、お心当たりのある方は連絡をお願いします。

 そのブログとは「2004年10月5日に広島県で自分の娘が殺害されました。その犯人に関する情報を求めてます。」といった内容が中心の、npo-friendsさんが書かれている“SA・TO・MI ~娘への想い~”です。

 たとえそれが病気であったとしても自分の娘が死んでしまうなんて、そんなことどうしても認めたくないだろうし、心がばらばらになってしまいそう。それが誰かによって殺されてしまうなんて…と、娘をもつ身としては心が締め付けられて苦しくなってしまうのです。だから自分にも何かできることはないかなぁと考え、ここで紹介することにしました(了承を得ることなく紹介して申し訳ありません)。

 犯人逮捕が事件の解決とは考えていませんが、まずはそこからのような気がしています。1日も早い犯人逮捕を願っています。


追記:今日のブログに問題があれば、すぐに連絡(コメント)してください。ただちに削除いたします。



ONE LOVE





npo-friendsさんのブログより…

我が家の事件について簡単なコメントを書きます。

事件ですが
・いつ?→平成16年10月5日
・時間 →午後三時頃
・場所 →廿日市市上平良
で発生しました。

犯人像ですが、当時となりますが

・年齢 →十代後半~二十代前半かな?
・身長 →165~170cmくらい
・特徴 →体は、がっちりしていた。その割に顔は小さい。
      眼とマユ毛は、もう少し近いかも知れません。
      髪の毛の色は黒に近い。(よく見れば茶髪)
      そして写真のように短く立った感じです。
      (似顔絵より額は狭いです。)
      この顔からは、相当なワルと思い込みがちですが
      第一印象は、普通の男性に見えるでしょう。
      (人によっては、カッコイイ男性にも見えます)
      ほほにニキビ有り(ゴジラ松井の感じかも)      

・服装 →当時、黒っぽい服を着ていた。

※犯人似顔絵を掲載しました。新しい情報は順次、追加していきます。

事件から約2年と3ヶ月が経ちます。今一度、皆さん思い出して下さい。
その当時
・急に姿を見なくなったとか髪型を変えた。
・一時期、行動や言動がいつもと違っていた。

など、必ずそんな行動があったと思います。
例えば、犯人が家族と暮らしていれば家族の人は
「旅行に出ている。」とか「就職や学校で家を出た。」
または「病気で寝ているか入院した。」
と答えるでしょう。
姿を見ない日が数日~数ヶ月あるいはあの日以来ずっとかもしれません。

旅行なのか?逃亡なのか?の判断は警察の方が行われます。
髪型や髪の毛の色にしてもそうです。
「気分転換に変えてみた。」とか「こんな色にしてみたかった。」
と答えるでしょう。
どんなささいな事でも良いですから、教えて下さい。

皆さん東京の町田で起きた女子高生の事件を覚えていますか?
最近では周南市の事件を覚えていますか?
一見、犯罪を起こすようには見えない男子生徒が起こした事件です。
だから皆さんも自分で判断しないで下さい。
そしてどんな小さな情報でも送信して下さい。

皆様の声を待ってますので、よろしくお願いします。




事件の内容は・・・・広島ホームテレビHPより

(2004年10月7日(木)の記事) おととい廿日市市内の民家で女子高生が刺し殺された事件で、事件現場に直面した妹の証言から犯人像が浮かび上がってきました。髪は短く茶色、体はがっちりしていたということです。この事件は廿日市市上平良の民家で、廿日市高校2年の北口聡美さんと祖母のミチヨさんが若い男に刃物で刺され、聡美さんが死亡したものです。この時、ミチヨさんと一緒にいた聡美さんの妹の証言が明らかになりました。犯人と見られる男は髪は短く茶色、がっちりした体型で、細い目をしており、年は10代後半から30歳ぐらいまでと言うことです。警察ではこの証言から似顔絵を作り、聞き込み捜査を行っています。また今回の事件では、襲われたミチヨさんも警察に通報していたことが明らかになりました。警察によりますとミチヨさんは聡美さんが倒れていた「離れ」で刺された後、「母屋」まで逃げ、犯人が入ってこないように家のカギを掛けてから通報したということです。しかし電話口では、泣きじゃくるばかりのものだったということです。ミチヨさんは意識不明の重体でしたが、現在は意識を取り戻し徐々に回復してきているということです。




【S】 small axe (6) ~教育基本法改正・愛国心②~

2006年12月18日 | small axe
 今から5ヶ月ほど前、「戦争の作り方~憲法を変えて戦争に行こう~ 」と題して、私の言いたい「戦争反対」について書かせてもらいました。古い読者(?)の方ならご存知かと思います。まだ読んでいない方はまずそちらをお読みになってから、今回のブログを読んでいただきたいと思います。

 その時に紹介した本“戦争の作り方“には、どういう手順を踏んで戦争へ突入していくのかが書かれていますが、その中に学校ではいい国民はなにをしなければならないか、を教わります。どんな国やどんな人が悪者か、も教わります。」というフレーズが出てきます。(P12です。) そうなんです。学校で何を教わるのかっていうことが、平和を考える上でとても重要なことなのです。






 で、教育基本法です。small axe(4)でも書きましたが、制定以来49年ぶりに全面改正されることになりました。その最大の焦点はといえばやはり「愛国心」。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という不思議な文章を伴って盛り込まれることになった「心」の教育です。

 実はこの考え方に関わって、改正が決定していないうちから福岡県の小学校の半数がかなり怪しい動きを展開していたらしいのです。その動きとは、「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」という評価項目が、今年度から6年生の通知表の社会科の観点項目として盛り込まれ、学期ごとに学習到達度に応じてABCの3段階で評価されていたというのです。

 なんでしょう、これ。(この評価を導入した小学校の通知表は教育委員会がお金を出して印刷され、採用しなかった学校の通知表は学校側でお金を出して印刷していた、というのも驚きです。) この通知表だけじゃなく、「愛国心」を教えることとなったこれからは、外国籍の子どもが日本の小学校で勉強する場合はどのように評価されるのでしょうか。国籍は日本でも、親の国籍が(片方でも)違う場合はどうでしょう。


いや、こんな難しい話をしたいのではありません。


 誰かに愛して欲しいとき、私達は一方的に「愛してください(もしくは愛しなさい)」と言うでしょうか? そんなことはありませんよね。愛してもらえるように自分を磨いたり、誠意を持って人と接したりするように心がけますよね。これがどうして「人」から「国」に対象が変わっただけで、”愛されるのにふさわしい自分になる”よりも先に、「愛さなければなりません」がくるのでしょうか。嘘をついて人(国民)をまるめこもうとする政治家が牛耳っているこの国を、いったいどうやって「愛せ!」というのでしょうか。(あのタウンミーティングってやつの話です)


 勘違いしないで欲しいのですが、私はこの国が嫌いなわけではなく、むしろ愛しています。それはインドにはじめて旅行した時にしばらく接することのできなかった日本人の「優しさ」や「心遣い」、いい意味での「人あたりの良さ」、そしてそれをよしとする世の中、それをとても懐かしく、いとおしく感じたことから生まれた素直な気持ちです。自分が厳しい条件の国でも旅ができるのは、このあたたかな場所があるからだとわかったことで、その気持ちはさらに強まったのです。


 国を愛すること。それは本来、歓迎されるべきこと。「日本にはね、こんなすばらしい風習があるんだよ」「日本にはね、こんな粋なことがあってね」「日本人のこういうところをあの国の人は美しいと言っていたよ」などと語れる、そんな自然体から生まれる”愛国心”が、本当の意味での「愛」なんじゃないかなぁと思ってやまないのです。





 自分の娘には「こんなに素敵なことがいっぱいあるんだよ」と言い続けられる父親でいたいんですよね・・・。


ONE LOVE

【S】 small axe (5) ~古い車が好き~

2006年11月22日 | small axe


 なんとなく、本当になんとなく車屋さんに行ってみた。車屋さんといっても中古車専門店。なにしろ自分は「廃れていくもの愛好家」なのである。そこで私はいままで何も気にしていなかった事実(勉強不足ということなのだが)を知らされてしまったのだ。

店員さん「古い車はちょっとだけ税金が高くなりますけどね。ディーゼルの場合はそれよりも2年損するんですよ。」

私「何ですって?」

と言うことで調べてみた。(北海道についてです。それぞれの地域についてはお調べください)



●環境負荷の大きい自動車に対する重課(税率表N表)

適用対象:賦課期日(4月1日)現在、新車新規登録後
       ディーゼル車     … 11年を超えるもの
       ガソリン車・LPG車 … 13年を超えるもの

税   率:対象自動車の税率を約10%重課


●環境負荷の小さな自動車に対する減税

平成17年4月1日~平成18年3月31日に新車新規登録をした車が対象。軽減するのは平成18年度分だけ

適応対象:電気自動車、メタノール自動車、天然ガス自動車
                次のマークがついている車
       
税   率:税率の50%軽課

適応対象:次のマークがついている車
       
       
税   率:税率の25%軽課


 ”自動車税のグリーン化”などと銘打っているこの制度、一見「政府も環境に配慮しているのだね…」などと思ってしまいそうな重課・軽課措置だが、ここで考えて欲しい。本当にそれだけなのだろうか。

 環境にだけ着目しているなら、電気自動車に代表される一般的にクリーンだと言われる自動車の軽課がなぜ1年だけなのだろうか。どうも「国民に中古車じゃない新しい車を購入させ、しっかりとした数字であらわれる金の周りをよくしたい(経済が上向きですよ、と言いたい)のではないか」と勘ぐってしまうのだ。車の排気ガスによる環境破壊は理解できる。が、車の生産に使われるエネルギーの消費=環境破壊を無視したような、企業側には有利で消費者である国民にだけ我慢や浪費を強いるような、そんな考えがあるのではないか。古い車を大切に乗っている人(簡単に使い捨てをしない人)、あるいは洋服のリサイクルのように中古車を購入する人の税金が高くなっていることが理解できない。しかも11年(13年)たったらそれは車を乗り換えるまで永遠に続いていくのだ。せめて軽課のように1年でよいのではないか。

 古いものを大切にすることで環境破壊につながっている罪と、新しいものを作りつづけることでの環境破壊。どうも今のこの国では「古いものを大切にすること」は分が悪いらしい。新しいエンジン、クリーンな車、それらを作り出すことは悪いことじゃない。しかし、それだけに力を注ぐのではなく、どうやったら古い車を今の環境の制度に適応させながら長く乗りつづけることができるのか、触媒や燃料の開発をすることもしっかりやってもらいたいのである。

 ものを大切にする意識を、国民にだけもとめるのは良くない。つじつまの合わない理論を振りかざして我々を苦しめないで欲しい。


それが
廃れていくもの愛好家の叫びなのでした。


ONE LOVE

【S】 small axe (4) ~教育基本法について①~

2006年11月16日 | small axe

 松坂の60億円もBIG NEWSだが、自分の気持ちから考えてこっち。何年か前から問題になり、昨夜のニュース番組の話題にもなっていた「教育基本法改正」の焦点とも言われる『愛国心』について何回かに分けて書いてみようと思う(連続ではないかもしれないが)。



 その前に、教育基本法とは何者なのだろう。色々な文献やHPを見ても難しい言葉が並んでいて、奥深くまで理解しようとする気持ちもなえてしまうものが多い。そこで”Iyahkie訳”の教育基本法(現行型)を書いてみた。興味のない人はここで窓を閉じてしまうのかもしれないが、ちょびっとだけでも読んで欲しい。これを読む人はこの法律の下に学校生活を送ってきたのだから。


教育基本法(Iyahkie訳) 
1947年3月31日からこうすることになります

 ぼくらは憲法で、「ぼくら自身が権力を持とう」「文化的な国にしよう」「世界の平和と人類の福祉に役立っていこう」という決意を示したよね。この決意を実現させるためには教育がとっても大切なんだ。
 ぼくらは個人の尊さを大切にし、真理と平和を求めながら、個性豊かな文化の創造を目指す教育を実行していかなければならないんだ。
 だからここで憲法にあわせて、教育の目的をはっきりさせ、新しい“教育の基本”をしっかりと決めるために、この法律を決めたんだ。


第1条(教育の目的)
・教育は人格の完成を目指すものだよ。
・「平和な世の中の一員として、正しいことを愛し、個人の価値を大切にし、よく働いて自主的に考え動いていく健康な人」を育てなければならないのさ。


第2条(教育のこれから進むべき方向)
 教育の目的を達成するために…
・学ぶことの自由を大切にするよ。
・実生活にあったものを勉強させたいね。
・命令ではなく、自分から進んで何かを行う気持ちを養っていこう。
・他人との協力によって文化の創造と発展をさせていこうね。


第3条(教育をうける機会は平等に)
・誰でも平等に教育を受けるべきなのさ。
・経済的な理由で教育がうけられないならば、いろいろな方法を説明しなければダメさ。とにかく平等に勉強できる機会を作ろうよ。


第4条(義務教育)
・保護者はその子供に9年間の義務教育をうけさせなければならないからね。
・公立の学校は義務教育について授業料を取っちゃだめだよ。



第5条(男女共学)
・男女は認め合って協力し合わなければならないのだから、男女共学はOKなんだ。


第6条(学校教育)
・学校を設置できる人たちは決まっているよ。勝手に作れないんだ。
・教員は奉仕者なのだから、自分の仕事を自覚してしっかり働きなさい。そのために教員の身分は大切にするし、正しく待遇もするよ。


第7条(社会教育)
・家庭教育や社会で行われる教育は国関係で奨めるよ。
・国や地方公共団体は図書館や博物館、公民館などのを作ったり、学校施設の利用などを通して教育の目的が実現されるようにしなければならないからね。


第8条(政治教育)
・まともな国民として必要な政治的教養は、教育でも大切にしなくてはならないからね。
・学校は政治的活動(政党の支持・反対)をしてはいけないよ。


第9条(宗教教育)
・教育上、宗教を「OKとする気持ち」や「社会生活での地位」を大切にしなきゃだめだよ。
・公立の学校では特定の宗教のための宗教教育や宗教活動をしてはいけないことになっているからね。


第10条(国などの権限に応じて教育政策を実施するには)
・全国民に対して直接責任を持って行うんだよ。
・教育の目的をやりとおすために必要な色々な条件の整備を目的じゃなきゃダメだよ。


第11条(主要な規則以外の、種々のこまごまとした規則)
今までに書かれたことを実現するのに必要なら、それにあった正しい法を決めればいいからね。


これらにあわせて
この法律はお知らせした日から有効なんですよ。



さて、いかがだろうか。自分で訳していてもなんだかわけがわからない文章もあり、Wikipediaで調べてみても見つからない言葉なんかもあったりする。(例えば「期する」だ。どういう意味なのかわからんぞ!)そんな状態だがなんとなく読みとってみると、教育の重要な理念としては「個人の尊厳」と「文化」と「平和」を大切にする人間を育てようぜ!ってことなんだな、と。

 で、今問題になっている「いじめ」「履修問題」だが、この現行型教育基本法をもう一度しっかりやることでも、十分クリアされる問題だと思うのだがいかがなものだろうか。個人の尊厳を大切にすることでいじめはなくなっていくだろうし、誰でも平等に教育をうけることをしっかりやれば、履修漏れなんてなくなるだろう。それなのになぜ改正しなくてはいけないのか。そこに「愛国心」という賛否両論がうずまくのを防ぐことなどできない、なんだかわからないキーワードが出現したのだろう。

 とまぁ難しい話を書いてきたが、ここで2300字を超えてしまったので、愛国心に関わることについてはまたの機会に書かせていただこうと思う。長々と堅い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


ONE LOVE


【S】 small axe (3) 悪魔か仏サマか

2006年11月09日 | small axe

万波医師についてだ。彼らは悪魔なのか、それとも仏サマなのか。


腎臓は腰のあたりに2個あります。
腎臓の主な働きは
1,生体の代謝産物(老廃物)を排泄します。
2,体液の濃度・量・pHの調節をします。
3,これによって、生体の体内環境を一定にする。 
 
 


 個人的に考えることはあるにせよ、ブログという公開日記の中で書くつもりのなかった話題だ。しかし、「万波兄弟万歳」「やっていることが間違っているなら法がおかしい」「彼らこそ正義だ!」チックなブログを多く見かけ(なんだかレゲエについて書いている人に多く見られた。REBELとはそういうことなのか?)、我慢ができず書くことにした。どこのブログで書いているかなどはちょっと検索するとHITすると思うのでわざわざここで書く必要はないと思うので、ひかえさせて頂く。


さて、あなたは・・・


Q:国、あるいはこの国のシステムなどに疑問を持っているか。

A:はっきりとYESだ。
  このブログでも「small axe」として書いているとおりだ。



Q:病気(癌など)を持っている可能性のある腎臓を使い、生体間移植を行った万波医師らは悪魔のような存在か。

A:当然NOだ。
 なぜかは下の文章を読んでもらえばわかると思う。おそらく「万波医師がんばれ」と言っている方々と同じ理由からではないだろうか。



Q:透析患者あるいはその家族の苦労を考えると、癌が発症する可能性のある腎臓の生体間移植が許されると思うか。

A:これまたYESだ。
 人工透析とは4時間ほど時間をかけ、人工腎臓と呼ばれる装置に体内の血液を送り、血液中のいらないものを取り除き、余分な水分を捨てて濃度の調節をおこなったりして血液をきれいにしてから体内に戻すことだそうで、腎臓に問題を抱える方のなかには、これを週に3度ほど行わなければ命の危険にさらされる場合もあるらしいのだ。とすると、どんな腎臓であろうと、本人や家族にしてみたらわらにもすがる思いだろう。病気になっても良い。透析のわずらわしさから開放されたい、といったところかもしれない。
 また、2004年3月末まで資料だが、腎臓移植の希望者は26736人。そのうち正規の手続きで移植手術をされたのが2383人。なんと希望者の8.9%しか手術されないのが現状なのである。



Q:では透析の苦しみから患者さんを救った万波医師たちは、仏様のような存在か。

A:残念ながら答えはNOだ。
 はじめに書いた、様々なブログでは、病気の腎臓を使ったとしても「透析の苦しみから救った医師」「感謝されるべき対象」として応援したり彼らの行為を支持したりしている。しかし、本当にそちら側からの視点だけで物事を判断して良いのだろうか。

 言いたいことをがまんできなくなった…というのはここからの内容だ。先日ニュースを見ていたら、この問題に関して衝撃的な事実を語る老夫婦が出ていた(これまたマスコミがでっち上げた偽情報の可能性もあるのだが、ここでは取材されていた老人の言葉を素直に受け取ることにする)。奥様の方が長年臓器に病気を抱え、ついに手術によって摘出することになった。手術前、万波医師から「こことここに病気があるのでこれらを摘出します」と言った説明がされたが、なんと健康であるはずの腎臓が無断で摘出されてしまっていたと言うのだ。旦那様が言うには「もしかしたら妻の健康な腎臓が移植に使われているのかもしれない…」と口にしていたのだ。

 「万波医師がんばれ」「万波兄弟を応援」などと簡単に口にしている方々は、透析から開放された側の視点からだけではなく、無断で腎臓を一つ切り取られてしまった側からの視点をお持ちなのだろうか。病院というある意味閉ざされた空間で、別の手術をしている最中に腎臓を盗む人を「バビロン倒壊への旗印」として祭り上げていいものだろうか。


 結論的なことをここに書くが、もしかしたら帰宅後に新しい情報でまったく正反対のことを明日になると考えるかもしれない。あくまでも今はこう考えているということで読んでいただきたい。

 私は悪魔か仏サマかを判断するのでもなく、応援するのでもひねりつぶすものでもなく、彼らもまたシステムの被害者として哀れに思えてしまうのだ。患者でも医師でも、“法の犠牲者”がこれ以上生まれないよう、命の尊さや病に苦しむ本人や家族のことを真剣に考えた、温かな法の整備をして欲しいと願ってやまないのだ。核の保有を議論する暇があったら、もっと身近な、実際に苦しんでいる人に目を向けることも必要じゃないだろうか。


政治家さん、どうですか。



ONE LOVE


【S】 small axe (2)

2006年10月31日 | small axe

 なんだか臭い。嫌なにおいがする。煙草を吸わないことで嗅覚が冴えているからではないはずだ。確実に、嫌なにおいが立ち込めているのだ。


まず、最近加熱しているいじめによる自殺の問題。


ここより画像をお借りしています。
問題があればご連絡ください。



 あやふやで信頼されるわけがない学校側の対応は攻撃されるに余りある情けない動きだ。中でも岐阜県の中学校2年生女子の部活内いじめについては、学校側の証言が二転三転するなど、遺族の側からしてみると「いいかげんにしろ!」と憤りを隠せない内容だろう。


 
しかし、なのだ。毎日のマスコミの報道を見ていると、なんだか違和感を感じるのだ。

     学校の対応がまずい!
     どうして学校はいじめの事実を隠したがるのだ!
     いじめがあったことを素直に認めたらどうなんだ!
     こんな学校の体制になったのは何が原因なんだ?
    (暗に教育基本法のことを言っている場合が多い)

などなど…

 
報道の、マスコミ人の心の奥底に、「子供達を大切に思う気持ち」があるのだろうか。子供達、あるいは学校と直接対峙している家庭にとって最良の方法は何なのかという一番大切な部分が欠落したまま、ただ問題を大きくするような報道に終始しているように思えるのだ。

 
 
いじめを容認するわけでもなく、いじめられた(られている)子供達を突き放すような考えでもなく、純粋にいじめに憎しみを持つ一人の親として言わせてもらうと、「いじめがあったんだから素直に認めろ!」との報道を、遺書に名前のあったいじめを行っていた子供ならびにその親はどんな思いでそれを受け止めるのだろうと考えてしまうのだ。まともな親なら「うちの子があの子をいじめて死に追いやってしまった…」と真剣に考えるだろう。おかしな親なら「学校が悪いからうちの子があんなことをしてしまったのよ!」と責任転嫁するのかもしれない。そうなることが、これらの問題を解決する最良の方法なのだろうか。学校側に対して「世論」という正義を振りかざし、恐怖政治のような方法で「いじめを無くそう」という学校としてのスローガンだけ立てさせること、それがいじめを根絶やしにする最良の方法なのだろうか。



私はそうは思わない。



 
いじめをはじめとした人間関係のトラブルを解決するには、もっともっとハートフルな教育が必要なのではないだろうか。いや、教育という“くくり”ではないな。ハートフルな世の中、大人達の関係が温かいものにならなければならないのだと考えているのだ。何かあると必要以上に問題視され、マスコミに「世論」と「報道の自由」をたてにいじめられる世の中。それを「正義」だと胸を張って言うマスコミ人。「は?」である。


 
しかも(ここからがにおいの話になってくるのだが)、今の学校の問題がここまで大きく取り扱われているその後ろに、政治的なにおいがするのだ。表向きの正義の裏に、政治の黒い影が見え隠れするのだ。安倍内閣の大きな方向性の中に「教育基本法の改正」というものがある。あの「愛国心」を取り入れるか取り入れないかとかで話題になったものであるが、2005年1月の新聞に改正案原案が掲載された当初は、唐突な改正案ということでかなりの反発もあったように記憶している。しかし、最近になって、いや、安倍内閣発足後、「学校がよろしくない状況になっているんですよ=何か手立てをこうじないと大変なことになりますよ=ほ~ら、改正した方が良いでしょう!」的な流れを感じるのだ。そうじゃなければ、ここ最近の学校問題の露呈はタイミングが良すぎるじゃないですか!いじめに限らず、高校の履修科目の話であるとかも含め。


 
教育基本法改正については、私個人まだまだ勉強が足りないので「絶対反対!」と声を大にして言うべきではないと考えている。しかし、改正するにせよしないにせよ、その法律にとっては「子供達が主人公である」と言う考えを持って話し合いがなされるべきだと思うのだ。




 
いつの時代も、大人の勝手な都合に振り回されるのは子供達だったりするのだから…。





 
自戒の意味もこめて。



ONE LOVE



追記:皆様からのお言葉のおかげであいかわらず離煙は続いております。ありがとうございます。(今日で3週間です)


【S】 small axe

2006年09月26日 | small axe

 丹波哲郎氏が死後の世界へと旅立ったということを気にする人もいる。幼稚園児の散歩中に車が突っ込み、2名の幼い天使が空に舞い戻っていったことも大問題だ。そして安倍晋三政権。今日はちっぽけな斧が大木に立ち向かってみようと思います。(こんなカテゴリーなのにまじめな話ですよ)。お題は「教育」。





 安倍晋三氏の、政権公約の柱は教育改革。その改革の中で英国サッチャー政権の過激な学校作りを模倣しようかな…と考えているらしいのです。サッチャー政権時代の教育っていうのを簡単に書くと、学校の独自性を廃し(国が管理)、国の権力の元、学校を調査し、学校の評価を公表…というもので、その結果「基礎学力の低下」「教育機会格差の拡大」「退学者の続出」「彼らによる犯罪の増加」という結果をたどっていったらしいのです(いろいろなところに書いてありましたが、因果関係については調査中)。なんだか、今現在の“学校=子供たちの現状”とあまり変わらないように思えますよね。このような状況をイギリスの真似事で切り抜けられるとは到底思えないのです。イギリスではサッチャー時代の反省を元にブレア首相が社会保障費を削ってまで教育予算を3割増やし、「落ちこぼれを出さない教育」に力を注いでいるそうです。


それなのに!です。


 入閣が確実と思われる某政治家は、あるTV番組でこんなことをのたまっていました。

「公務員、特に教師の給料を大幅に削減すべきだ!」と。

 そこで終われば「何だと~!」と攻撃の対象になるのですが、そこが政治家!「削減した分を子供達のために使うようにしなければならない!」と逃げ口上をしっかりと用意していたのです。これを見たあまり真剣に子供達の将来を考えていない親達は「そうだそうだ!先生なんて給料泥棒なんだからその分をうちの子達に使ってよ!」などと思ったことでしょう。

こんなことで良いのでしょうか。

 私はこう考えるのです。真剣に子供たちのことを考えるなら、教育はとても大切だと。その教育を担うべき先生の給料を減らすと、なりたいと思う人が減っていき、結局、教師に“しか”なれなかった人が子供を教えるようになるのです。採用される教師全員が無能だといっているのではありませんが、そうなると当然全体的な質が落ちてくるのは目に見えています。現にバブル期には「バブル採用」と言われるようにあまり苦労せず教師になれた人が多いらしく、その結果がTVで騒がれている学校(教師)問題につながっているじゃないですか。

 北海道では何年も前の「食の祭典」の大赤字や、新幹線の建設のための赤字がかさみ、北海道職員(教師を含む)の給料が大幅に削減されているそうです。しかも一人年間100万円近く。

 こんなので良いのでしょうか。これが「日本を大切にする」政策なんでしょうか。金を目的にした人材が良いというのではなく、有能な人間を集めるためにはある程度優遇しても良いのではないか言いたいのです。教師に“しか”なれなかった人にではなく、どうしてもなりたかった人に子供たちを任せたいな、と。

 昔、ある有名小説家が書いた本(雑誌かな?)で読んだことがあります。ロックは「学校なんてくそ食らえって音楽」で、レゲエは「学校を作る音楽」だと。これはジャマイカのラスタマンが学校を自分達のお金で作って、できの良い先生を雇って子供たちに勉強を教えてもらっている、という事実を受けての発言だったと記憶しています。映画「ロッカーズ」の中でもホースマウスが「教育は大事だ」と言っていたじゃないですか!


 子供たちに光を与える。いや、子供たちに光の見つけ方を教えてあげることが教育ではないのですか?政治家の皆さん。



ONE LOVE