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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スティールパン変奏曲

2009-05-28 03:13:45 | アンビエント、その他
 ”Steel Pan Plays Classic”

 このタイトルがそのまんますべてを物語る、とういった作品である。あのカリブ海はトリニダッド名物、ドラム缶を叩き伸ばして音程を刻みつけた旋律打楽器(?)であるスチール・パンでクラシックの有名曲を演奏してみせたもの。
 俎上に乗せられるのは、ショパン、バッハ、ドビュッシー、ラフマニノフ、パッヘルベルなどなどの作曲家たち。それらが、素っ頓狂なスティール・ドラムのキンキンポコポコした音によって奏でられて行く、この不思議な感触。あえてミスマッチに挑戦してみました、みたいな企画ものである。

 まあ、冒頭にサティの曲とか入ってると言えば、雰囲気は分かるね。あの陽気なお祭り楽器のスティール・パンが、ここではなんだか気取ってしずしずと、まるで別人みたいな顔をして”いかにも室内楽”なお上品な演奏を繰り広げる。
 曲によってギターやウクレレ、アコーディオンなどが並走するが、演奏は全体に淡く、あくまでもクールにメロディは辿られ、終わる。宣伝文句によればこの音楽、”都市生活者のためのサウンド・インテリア”なんだそうで、よく分からないが、まあ、そういうものなのだろう。しかし。

 全体に”心休まる”みたいな方向で演奏が行なわれているのだけれど、なんと言うのかなあ、この楽器が本来、その音色のうちに秘めている、ヒトビトの心を陽光の下のカーニバルに駆り立てる陽性のパワーみたいなもの、そいつが演奏が始まるとどこからか顔を出して辺りを飛び回るので、いくら気取って演奏してみても、どこかでその計画は破綻している感触がある。 ゆえに、製作者の目論見通りには心安らぐ世界は出来上がっていず、むしろ何かむずがゆいようなとぼけた問いかけが音の向こうから聴こえてくるような、不思議な世界がここには出来上がっているのだった。

 まあ、このような企画モノと言うのは、そのアイディアを「あ、スティール・パンでクラシックをやるのか。そりゃおかしいや。一本取られたね」と相手に思わせ、笑いの一つも取ってしまえばそれで成功、もうそれで十分なくらいのものではないか。って話は、いくらなんでも無茶過ぎるか。
 ともあれ。この盤を聞いているうちに心のうちに浮んでくる、どこに収まるべきか良く分からない、静かな疑問符みたいなものが面白く、ときどき妙に聴いてみたくなる不思議作ではある。

ハンガリー、草原の輝き

2009-05-27 04:08:56 | ヨーロッパ


 ”Szajrol Szajra” by BOGNAR SZILVIA, HERCZKU AGNES & SZALOKI AGI

 ハンガリーのトラッド・フォーク界で活躍する女性歌手3人のコラボレーション、という奴である。バックを務めるのも東欧トラッドの世界では名うてのミュージシャンぞろいで、まあ、豪華なラインナップもあったものだ。

 内容は、ハンガリーの民俗音楽のジャズ崩しとでも言ったらいいのだろうか。その特有の音楽性から、時としてやや陰鬱な方向に傾く面もあるハンガリー民謡が、腕達者な参加ミュージシャンによる、ハンガリーの民族性を生かしつつのジャジーなスイング感覚導入により、非常にポジティヴな躍動感を持って響いているのだ。

 ハンガリーらしい、東方的コブシを効かせるミステリアスな曲から、おなじみブルガリアの合唱曲など連想させる地声を高らかに響かせるコーラスなど、まさにやりたい放題の歌声が、次々に飛び出してきて、万華鏡を覗く思い。
 この音楽のもたらす開放感はなかなかに気持ちの良いもので、東欧の野に訪れた初夏の輝きなど空想させる。暖かい幸福感に満ちた音楽世界に、なんだか幸せのおすそ分けを戴いた気分になって来るのだ。

 終わり近く、これはタイトルからして宗教色の強い曲なのだろうと思われるが、”ベツレヘム”の清冽な美しさは忘れがたい。
 ハンガリー・トラッド界の充実を思い知らされる一作となった。

スーザン・ボイル真理教由来

2009-05-26 05:12:09 | 時事

 YouTubeで人気の“美声のおばさん”、オーディションで決勝進出(写真は準決勝のボイル女史。ITmedia)

 支持している人々の反応を見ていると、もはや新興宗教の粋に達している感のあるボイル女史騒ぎ。彼女の登場劇がはじめから仕込まれたものであろうとは、すでに日記に書いているんだけど→●感動屋稼業、つまりこれ、ドラマの構造としては”水戸黄門”なんですね。
 パッとしないオバサンが一声歌っただけで、ふんぞり返っていた審査員たちが一気に恐れ入ってしまう。世界を律していた位置関係が一気にひっくり返ってしまう。

 これ、なんてことない爺さんだった”越後のちりめん問屋の隠居”が、「ひかえおろう!」とお定まりの印籠を出して”天下の副将軍”たる本当の姿を現すと、それまで偉そうにしていた”お代官様”をはじめとした権力者たちが「ハハーッ!」と、その場にひれ伏してしまうあれと、話の運びはまったく同じだ。

 で、日々の生活の中でゴミ同然の扱いを受けていると自分の存在に不満を感じている人たちは、そんな姿に、いつか自分も本当の価値を認めてもらえ、栄光に包まれる日が来るのだ、と妄想を膨らませ、そのいつか訪れる輝きの幻に酔う、という次第。なんかいじましい話でありますなあ。

 それでも一筋の救いかと思えるのは、この件に関して書かれたmixi日記等、ネット内の書き込みの中にいくつか、「始めて見た時ほどの感動がないのはなぜだろう?」とか、戸惑いを孕んだ表現が見受けられること。マインドコントロールが溶け、現実が見え始めているんだね。まあ、良い傾向と言えるんじゃないの、うん。


 ○YouTubeで人気の“美声のおばさん”、オーディションで決勝進出
 (ITmediaニュース - 05月25日 15:21)
 英国のオーディション番組で美しい歌声を披露し、YouTubeで話題になったスーザン・ボイルさんが、決勝戦に進出した。
 ボイルさんは4月、英国のオーディション番組「Britain's Got Talent」に出演し、その美声で審査員と観客を圧倒。その場面はYouTubeに投稿され、3000万回以上再生された。
 ボイルさんは5月24日、Britain's Got Talentの準決勝でミュージカル「CATS」の「メモリー」を熱唱し、決勝進出枠を勝ち取った。決勝戦は5月30日に行われ、優勝者には10万ポンドとRoyal Variety Showへの出演権が与えられる。
 ボイルさんのビデオは同番組の公式サイトで視聴できる。同番組の放送局ITVは、通常は英国外からのアクセスを遮断しているが、オーディションのビデオは英国外からも視聴可能。Telegraphは番組関係者の発言として、ボイルさんの人気が非常に高いため、ITVは遮断措置を取らないことにしたと伝えている。

ミシシッピィ・ハイウェイ

2009-05-25 02:08:50 | 北アメリカ

 ”61 Highway Mississippi”

 以前も書いた事だけれど、経営していた店を閉じてしまい、もう定休日も何もない、今日が何曜日であろうと関係のない日々を過ごし出してからもう4年近くになるが、こうして日曜日の深夜となるとやっぱり憂鬱の虫に取り付かれるのはなぜだろうか。
 その上、医師に酒をひかえるように言われたので酒を飲むのは週に一回にしていて、その”札”は昨日使ってしまった。だから酩酊に頼るわけにも行かず、こうしてただじっと耐えているだけの夜更けだ。おまけに一日ずっとショボショボと雨が降っていて、ますます気勢はあがらない。

 こんな気分の時に妙に聴きたくなる盤と言うのがある。
 民俗音楽研究家のアラン・ロマックスがアメリカ南部をフィールドレコーディングして廻り、土地土地の民衆の音楽を録音した貴重にして長大な記録が存在する。その音源を、をさまざまなテーマに編集してアルバム化したシリーズがあって、たまに見かけると買っているのだが、これもその一つ。
 ”Southern Journey”というシリーズの第3集で、”Delta Country Blues,Spirituals,Work Songs & Dance Music”と副題が付いている。

 まさに市井の無名の音楽家たちの素朴な演奏を収めたシリーズなので、名を知っているミュージシャンと言えば、この盤ではフォークブルース歌手のフレッド・マクドゥエルくらいしかいない。
 他は何しろ”アーヴィン・ウェブとプリズナーズ”なんて人たちが並んでいるのであって。プリズナーズってバンドの名じゃないよ、こりゃ監獄レコーディングで、バックコーラスが本物の囚人たちって意味なんだから。というようなタグイの、実に”リアル”な音楽が収められている盤なのだった。

 冒頭から、無伴奏のフィールド・ハラー。錆びた声が歌う、まだ曲の体を成す以前の破片のようなメロディが、風の中で吹き千切れている。
 まるで我が国の祭囃子で使われる笛のような音色と構造の横笛がブルースを歌い、しわがれた男の歌声と不思議な掛け合いを演ずる。
 そこら辺の空き箱でも叩いているのだろう、さまざまな音色の打楽器たちが打ち鳴らされ、子供たちのコーラス隊が神の愛を歌う、黒人教会の礼拝。

 それらのプリミティヴな音楽にこうして挟まれる形になると、昔、初めて聞いたときにはずいぶん地味な歌手だと感じたフレッド・マクドゥエルが、ずいぶんと華麗なる存在に感じられ、なんだか可笑しくなってしまう。
 スライドギターを掻き鳴らし、マクドゥエルは歌う。知っているうちではもっとも長い道であるハイウエイ61のどこかに、ニューヨークで別れた彼女は姿を消して、もう帰って来ないと。

 その女ばかりではない。多分、足を踏み入れたものは皆、行方不明になってしまう道なのだろう、そのミシシッピーのハイウェイは。
 しのつく雨が曖昧にしてしまった視界の中で、モノクロームの人影が幻のように行き過ぎる、この南へ向う道路の上では。数えきれないほどの人生が送られているはずの、この南の回廊は、だが、不思議な孤独のエコーが鳴り響いている。

ブタベスト動乱

2009-05-23 21:38:27 | その他の日本の音楽


 ”ブタベスト”by たむらぱん

 最近、ガムのCMソングで昔のアニメ、「オオカミ少年ケン」の替え歌を使っているものがあって、ありゃりゃと思ったのであった。あの、「ボバンボバンボンバンボバンボン♪」って奴ね。あれの替え歌がCMに使われているわけです。と言って通じるのは私の同世代の人々だけなのかも知れないし、あるいは再放送とかで意外にそれ以後の世代にも知られているのかも知れない。

 ともかく、その歌いっぷりがなかなか人を食ったものがあり、この女性歌手はタダモノではなさそうだなと睨んだ。で、その素性を検索し、昨年の4月に出たと言うメジャー・デビューアルバムを買ってきてみれば、そのジャケが上の代物だよ。
 デビューアルバムのジャケ写真でブタの着ぐるみをつけて写ってみせる女ってのもなかなかいないだろう。で、アルバムタイトルは「ブタベスト」で、「お前ぶただな」なんて曲も入っている。聴いてみればポップなメロディにカラフルなサウンドとパワフルなリズム、音楽的にもやりたい放題の遊園地状態じゃないか。

 そもそも「たむらぱん」という面妖な名も、”田村歩美”なる歌手の一人プロジェクトの名称なんだそうだが、そういう話は説明されてもなんだか分からん場合が多いので、”たむらぱん”というアーティスト名と認識させてもらうことにする。
 もっとも彼女が作り歌う歌は、それほどボバンボバンボンなわけではなかった。確かに歌詞は一見破天荒なものだが、生き難い現実とのヒリヒリした相克を相当に真正面から描いた結果としてのそれである。

 彼女の見ている世界はめんどくさい現実色のギザギザであって、街を吹き抜けて行くのはいつも冷たい北風である。けれど見上げる空は常に青く澄んでいて、だから彼女は”ときめきと思しき道”を目指して駆け出さずにいられない。”ハリウッド”という曲が好きだね。浮ついたことだけ考えて生きていられたらと願う。
 彼女が覚醒した意識の持ち主であり、それゆえブタの着ぐるみを身にまとってジャケ写真に写らねばならなかった、そのあたりの事情は理解できたつもりである。

 ところで。ウイキペディアには”MySpace日本版発として初めての日本人シンガーソングライターである”とか書いてあった。というか、”たむらぱん”について知りたくてあちこち調べまわっていると、このパソコンの世界の新システムとして売出し中らしい”MySpace”なるものを世間にアピールするための記事にばかり出会い、なんだか鼻白んでしまうのだな。
 おそらく両者抱き合わせで売り込もうという業界の作戦なんだろうけど、そういうのってなんかしらけるんでいい加減にしておくが良いと思うがなあ。と、ついでに言っておこう。

 さて、あとは来月出ると言う”たむらぱん”の2ndアルバムが届くのを待つばかりだ。

フィレンゼの屈辱

2009-05-22 03:38:51 | アフリカ


 ”BEST OF PAPA WEMBA ”

 欧米で言うところのルンバ・コンゴリーズ、我が国ではなぜかリンガラ・ポップスと呼ばれる音楽。カリブ海からアフリカの地に里帰りしたアフロ・キューバン音楽が、再びアフリカの地に馴染んで、馥郁たるリズムの宮殿として生まれ変わった。
 アフリカど真ん中、コンゴに発してブラックアフリカ全域を席巻するリンガラポップスはこのようにして発生し発展して行った、と言う事でいいですか?
 めんどくさいなあ。こういう説明的な文章を書くのがともかく退屈で大嫌いなんだ、前にも書いたけど。何とか省略する方法は無いものですかね。

 で、ですね、そのリンガラの世界に”ロック世代”の感性を売り物に飛び込んで”ルンバロック”の看板を掲げてリンガラの世界を大改革した男、パパ・ウエンバ。こいつはかっこよかったですなあ。
 我が国でも一時は結構な人気者で、毎年のように来日して公演して行きましたな。今となっては、よくそんなことが起こり得たのかと呆れてしまうんだが。だって今、”結構な人気者で”と書いたけど、アフリカ音楽に注目している仲間なんて、今も昔も変わらず、ほんの一握りの物好きたちだけでしかなかったんだからさ。(何度も行なわれた日本公演、とはいえ、場所は東京ドームなんかじゃない、ほんとに小さな会場だったんだからね)

 あの頃の、あの盛り上がりはどうしたんだ、とか言いたくなるんだけれど、ようするにワールドミュージックのつかの間のブームもバブルと共に去ってしまって久しい、と言うわけだ。
 そんなわけで、遠いアフリカのポップス界の噂も途切れ途切れとなり、日本の我々がやって来た不況をどうにかして生き残らんとしていた頃、年代で言えば1990年代から2000年代にかけて。アフリカンポップスの総本山と人の呼ぶコンゴはキンシャサの街で、パパ・ウエンバもまた、生き残るための戦いを続けていた。その記録たるアルバムが、この二枚組CDであるわけだ。。あ~、やっと本題に入れる。ここまで来るのに疲れちゃったから本題は軽く流すけどね(おいおい・・・)

 冒頭、ギターなどよりシンセの目立つクールめいた音作りが聴こえてきて、日本や欧米を相手にするならともかく、現地アフリカでこんな音を出していたのかと驚かされる。
 もうここでは、かってのリンガラで聴かれたような、何本ものギターのフレーズが絡み合い、赤道直下の広大な雨林地帯を覆う木々の囁きあいが再現されたり、熱気のうちで鳴き交わす生き物たちのぬくもりを伝える分厚いコーラスが大気を震わせたりはしない。あるのは電子楽器中心に構成されたファンキーなダンスミュージックと、パパ・ウエンバのパワフルなソロの歌声ばかりだ。

 が、聴き進むにつれ音の内にはアフリカの熱い魂が徐々に漲って行き、こちらもいつかスピーカーの前で握りこぶしを固めている自分に気が付く次第。形はリンガラとかなり違ったものになったとはいえ、戸惑いが去れば後はパパ・ウエンバの構想する新しいアフリカ音楽の世界の広がりに魅了されるばかりなのだ。新しいリズムの展開、パワフルなコーラスの提示、いやもう、ともかく聴いてみてくれっ。

 私が一番好きになったのは意外に、二枚目の冒頭のちょっと気取った曲だったりする。あちこちの曲のうちで、掛け声に日本人の名前が使われていたり、”コンピラフネフネ”のメロディがブラスの音で変奏されたりするのはかなりむずがゆい気分だが、これも何度にも及んだ日本公演の”成果”なんだろう。
 でもやっぱり・・・現地の人たちにはどんな具合に迎えられたのかねえこの音は?とも思わずにはいられないのだが。

 そして。このアルバム評を絶賛では終われない事情に、最後に触れねばならない。ジャケ写真である。

 ジャケ裏の写真は、暗闇の中で目を見開き大口を開けたパパ・ウエンバの顔のアップである。バックの黒に顔の輪郭は溶け込み、目と歯ばかりがギラギラと目立つ絵柄。こんなの、フェラ・クティなんかがよくやっていた構図だけど。それから中ジャケ。金の”玉座”に座って、ハリウッド調?のキンキラキンの装飾品だけを身に付けた半裸のパパ・ウエンバ。彼のこんな姿は、はじめて見た。
 おい、いつの間に、そんなヨーロッパの白人連中のカビの生えたような”暗黒大陸アフリカ”観に沿った演出に付き合ってやり、奴らのご機嫌を取るような人間になってしまったんだ、パパ・ウエンバ?

 これはかなり情けないと言うか見たくない写真だった。フェラなんかがそのような写真を撮る際に滲ませたアイロニーは、そこには感じられない。ただ、グロテスクな昔ながらの”アフリカの土人”を演じて外国人の異国趣味にアピールしたい、そんなスケベ根性だけである、そこにあるのは。
 ウエンバよ、あなたはアルマーニのスーツでビシッと決めてマイクの前に立つのを好んだ”サップール”ではなかったのか?それが”カッコ良い”と認識されるものなら、たとえそこが赤道直下アフリカの熱気でうだりそうなディスコであろうと分厚い革ジャンを羽織ってステージに上る、そんな”ディンドングリッフ”精神で生きている男だったはずじゃないか?

 どういう事情でこうなったのか知らないが、やはり生きて行くのはままならないものがあると、舌の奥に苦いものの残る一枚ではあったのだった。音は結局は好きになれたんだけどねえ。

ラブ・ウインクスの幻を追って

2009-05-20 13:20:46 | 60~70年代音楽

 ”恋のコマンド”by ラブ・ウインクス

 やっぱ俺なんかの青春はさ、キャンディーズのさよならコンサートで終わったからさ。とかなんとかドサクサで言ってみたりする。もしかして年齢的に若干の矛盾が発生しているのかも知れないが、とくに気にしないことにしている。まあ多少の誤差はあれ、話の成り行きはそういうことだからだ。
 そのキャンディーズの人気が全盛だった1977年にラブ・ウインクスはデビューしている。三人組のその真ん中で歌っているコが蘭ちゃんの”そっくりさん”担当であり、ようするにキャンディーズの人気にあやかった、いわゆるバッタもんのグループだった。当時はいました、そんなグループがいくつも。

 目の前にメンバーの名が書かれた資料があるが、誰が誰やらよく分からない。その、真ん中で歌っていた子が平田というのかな?メンバーの名も把握できていない始末だ。資料に載っているジャケ写真を見ても、誰が蘭に似ているというのだ、という・・・
 なにしろ関西を中心に活躍していたグループであって、私も実はラブ・ウインクスの動く姿と言うものはテレビで一回見たことがあるだけなのだった。そして彼女らは、私の知らぬ間に解散してしまっていた。

 ”続・歌謡曲番外地”なるアンソロジーに彼女らの代表的ナンバー、”恋のコマンド”が収められているが、せこいマシンガンの発射音に導かれて、どこぞの刑事ものドラマのテーマ曲みたいなイントロが鳴り渡り、ラブ・ウインクスのコーラスが始まる。その、なんとかキャンデイースの歌声らしく聴かせようとしている苦心の歌唱がなかなか楽しい。結構それらしくて嬉しい。

 そんな楽しみ方でラブ・ウインクスのファンもやっていたのだが、まあ、本気で支持するのは当たり前だが本物のキャンディーズだけで十分と言う事で、ラブ・ウインクスの何枚かリリースされたシングル盤も買わずに来てしまった。
 今聞き返すと相当に楽しいんだがなあ。キャンディーズのB級感覚横溢するパロディともいえる、70年代アイドルポップスのあれこれ。”恋のコマンド”のB面なんか上沼恵美子の作詞だぜえ?関係者、何を考えていたんだか。

 これらの盤をリアルタイムで買うことさえ出来たのに、もったいない事をしたなあ。などといまさらの想いを抱きつつ、ラブ・ウインクスの盤を求めてネット空間を彷徨い、とんでもない高値で取引されていたらしいオークションの跡を見つけて呆れたりする。こちらとしては、貴重なオリジナルのアナログ盤を大枚はたいて手に入れる気もなく、「ラブ・ウインクスのシングル曲を集めればアルバム一枚でっち上げるくらい出来そうなのに、なんでやらないかなあ、レコード会社は」とか思うのみなのだが。

 などと無駄な文章を書きながら、なんとなく甘酸っぱい気分になっている自分が可笑しい。冗談でもなんでもなく、それなりに面白い時代だったよ、あの頃。どうしているのかねえ、ラブ・ウインクスのメンバーたちって。


美しきルイジアナ

2009-05-19 04:10:44 | 北アメリカ


 ”Bell Louisiana” by La Bande Feufollet

 アメリカ南部はルイジアナ州にケイジャンなる音楽があります。かの地に在住する少なからぬ数のフランス系の人々の間で継承されてきた民俗音楽というかローカルポップスですな。

 かって、アメリカのルーツ系ロックなど聴き始めた頃は、この”ケイジャン”の一言が放つ妖気になんとも血が騒いだものでありました。その種のレコードの中にときおり、この”ケイジャン風”と称される演奏がはさみ込めれていて、そのどれもが非常に気になるものでした。
 ベタベタに土臭いフィドルやアコーディオンの響き、素っ頓狂なツー・ステップやワルツのリズム、ときにフランス語で歌われる歌詞と、なにやら聞き慣れない者の耳には”異郷の儀式の音楽”めいて聴こえたものであります。(まあケイジャン、雑に言えばフランス語のカントリー&ウエスタンなんですが)

 彼らフレンチ・アメリカンの歴史と音楽の詳しいところは話し出すと非常に面倒くさいんで、すみません、お手数ですが何かの折にググっておいていただけますか?

 時は過ぎ。本物のケイジャン音楽の盤も手に入れる事が可能になって久しい今日でありますが、あの頃の仲間の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?あの”ブラックホーク”の狭苦しい椅子で過ごした音楽と珈琲の日々、忘れはしないぞ~。

 と言うわけで、La Bande Feufollet であります。どうやらこのバンド、ルイジアナ州のフレンチ・アメリカン文化の継承を志した若者たちによるケイジャン・ミュージックのバンドらしいのですが、ともかくメンバー、まだまだ思い切りコドモなのです。このデビュー盤が出た2001年の時点で、皆、中高生がいいところだったんじゃないでしょうか。
 青空の下、まさにチュー坊、といったファッションで得意げに楽器を抱え肩を並べて歩いてくるその姿がなんとも眩しく、オジサンとしては灰田勝彦氏の”新雪”など歌いたくなってしまうんですがね、まあ、関係ない話になりますが。

 その幼すぎる外見に反して、演奏はもうバチバチに決まっておりますな。コドモの課外授業なんて気配は微塵もない、正統派の軽快なケイジャンサウンドを叩き出しております。澄んだ朝の空気の中を真新しいバスケットシューズで思い切り駆け出して行く、そんなノリの音楽が次々に湧き出してくる。
 それについで飛び出してくる歌声は、これはさすがに子供のものですが、しかし歌っているのがメンバー中、美少女の誉れ高きブリトニー・ポラスキーちゃんなんで、これは文句の言いようもないでしょうが(??)

 ともかく瑞々しく清清しいまさにピュアな音。山深くで出会った穢れを知らぬ泉の水を口に含んだ、みたいな感覚にとらわれてしまう。そして、こんな子供たちの感性を育んだ土地、ルイジアナに、遠く離れた見物人たる私も思わず知らず喝采を叫んでいると言う次第で。

 おお、ベル・ルイジアナ!とね。

鏡像の花咲く夜

2009-05-18 03:26:20 | ヨーロッパ

 ”Mirror”by Caprice

 ロシアの、”この種のジャンル”における名バンドの、”幻のデビューアルバム”だそうである。なんでも1996年に録音されながら、なぜか今日まで公になっていなかったとか。”お蔵”になっていた、その理由は明らかにされていない。

 ロックバンドとして売られてはいるが、音楽のジャンルとしては完全にクラシックと言えるだろう。変拍子や12音階など含む重々しくもややこしいスコアが粛々と奏でられ、クライマックスにはゲストのオーケストラが分厚い咆哮を響かせる。
 メンバー表にもチェロやバイオリン、オーボエやバスーンあたりの奏者がずらりと並び、ロックの世界で馴染みの楽器はエレキベースとキーボードくらい。ボーカル担当の女性も、完全にクラシック畑のソプラノを高々と響かせている。巻き舌のロシア語の発声が、なにやら血のの騒ぐ想いに、こちらを誘う。

 先日も”Ashram”なる同趣向のイタリアのバンドについて書いてみたのだが、このバンドがやっているようなタイプの音楽の流れが一筋、ヨーロッパの大衆音楽の深い淵辺りにひっそりと流れているのを最近知り、ちょっと面白くなってあれこれ聞いてみているところなのだが、まあ、いまのところ得体の知れないままだ。
 ただ非常に気になるのは、これらの音楽を覆う濃厚な滅びの影だ。どのアルバムにも、救われる余地の見えない、深い悲しみが溢れているのを感じる。

 ジャンル的には”ネオ・クラシカル”とか称するらしいが、それも教えてくれた人の属するセクトだけの用語かもしれない。
 ロックとクラシックとはいっても、たとえばEL&Pが”展覧会の絵”を(しかし、例えが古いね)演奏した、あの頃のような”ロック、クラシックへ殴りこむ”なんてテンションはなく、演奏者はそもそもはじめからクラシック畑の訓練を受けてきた人々と想像される。
 彼らは完全にクラシックの演奏マナーと発想で音楽を奏でているのであって、むしろロックのジャンルで売られている事の方が不思議に思える。が、にもかかわらずロックである、あたりに彼らの閉じこもった迷宮の鍵があるのやも知れない。

 むしろ、子供の頃から聴いていたクラシックの世界に、「あれこれ突っ張ってはみたけれど、自分はやはりこの世界を出る事は叶わないんだ」との諦念を抱き、堕ちて行く。死せる物として地中深く地母神の生暖かい懐に抱かれる幻に酔う。だってもう、我々のこの世界は終わってしまっているのだから。
 そんな倒錯的な喜びに自らを放擲する退廃的な快楽の影を、これらの音楽から感じ取ってしまうのもまた、私の抱える彼らの同時代人としてのヤマイのゆえか?

 それにしても・・・精神世界にのみ咲く非在の花のなんと美しいことだろう。


タタールの残照

2009-05-17 03:58:16 | ヨーロッパ

 ”Tugan Tel” by Alsou

 アルスーを取り上げるのはこれで2度目かな。アルスーは"Алсу"と書きまして、一応、ロシアのポップス歌手であります。正式名は”アルスー・ラリフォブナ・サフィナ”となるそうで。
 一応と言うのは、彼女の出身がロシア内とはいってもその中のタタールスタン共和国と言う、いわば東方の”辺境”であり、しかも1983年生まれの彼女は9歳の時にイギリスに渡り、そこで教育を受けたと言う、かなり特殊な存在であるからです。

 そんな彼女は1999年の秋、シングル曲”Иногда(イナグダー/ときどき)”のビデオクリップの大好評を露払いとしてデビューアルバムをリリースし、ロシア・ポップス界の人気者となります。
 まあ、ぶっちゃけた話がアルスーは、エキゾティックな異郷出身、というエピソードがいかにもよく似合う、神秘的な風貌の美少女だったんですな。そんな彼女にジャケ写真で水着姿でも公開されて御覧なさい。そりゃスケベな男たちにはたまりませんよ。あ、自分の価値観が先行しました、すみません。

 もちろん、アルスーの音楽世界は魅力的だったんですね。彼女の世界に取り込まれると無機的なはずの打ち込みのリズムも独特の霧に巻かれたような気だるさをかもし出す・・・そんなエレクトリック・ポップスの幻想的響きの向こうにアルスーの、若い子らしからぬ落ち着きはらった歌声がモノクロの憂いを含んで広がって行く。しかも、歌っているのが異郷からやって来た神秘的な美少女だ。そりゃたまりませんよ。

 そんな具合にさんざんロシアの若者たちやらオヤジたちの心を翻弄したアルスーはその後、結婚やら出産やらと言う余計な事(いや、こっちにしてみれば断然そうです)を行なうために歌手を休業し、そして昨年出されたこれが、久しぶりの彼女のカムバック作であります。

 何より驚いてしまうのが、収められているすべての曲が彼女の故郷の言葉であるタタール語とバシキール語で歌われているという事実。そして音楽自体も、タタールの民謡をポップス調にアレンジして聴かせる、かなり民族色が濃いものとなっている。タイトルがそもそも、”故郷の物語”って意味なのであって。
 彼女のファン層の大半はもちろん、ロシア語を日常語としている人々なのであって、これは相当な冒険といえましょう。売れ行きなど、どうだったかと思うのですが、話題には十分なったのではないですかね。

 というか、南からのイスラム勢力の台頭に頭を痛めているロシア政府にしてみれば、「余計な事をしやがって」となるんじゃないですかね、このような民族主義を煽るような内容のアルバムを世に出すと言うのは。少なくとも、”旧ソ連”時代には考えられなかったことじゃないでしょうか。

 そんなものを出して、彼女の立場はどうなのかと言う気もするのですが、実はアルスーの父親と言うのは、今は知りませんが彼女のデビュー当時はタタールスタン選出の国会議員をやっていた人物。結構平気なのかも?
 いやいや、「権力者である親の七光りを十分活用してシュービジネス界で活躍する」と、「芸能者などに身を落として、伝統ある当家に恥をかかせるのか!!!と怒る父親にアカンベして歌手稼業を続ける」とでは大分違いますからね。彼女の場合、どちらなのかは毎度お馴染み、情報不足で分かっておりません。

 ともかくいえることは、このアルスーのカムバック作、なかなかにワールドミュージック者の血が騒ぐ出来である、ということ。アルバムの冒頭から、中央アジア情緒を強力に振りまいてみせる素朴な笛の音や、まったりとイスラミックなフレーズで揺れ動くアコーディオンの音に乗ってアルスーは、不思議な響きのタタール語で、砂嵐舞う土地の昔語りをじっくりと歌いかけてきます。その歌声はこれまで聴いた事もなかったようなリアルでパワフルなもの。

 聴く側のこちらとしても、スピーカーの向こうから吹き寄せてくる熱い砂漠の風を全身で受け止めるよりほかに、出来ることもないではありませんか。