1.就業規則の変更による労働条件の不利益変更
労働契約法10条は、
「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」
と規定しています。これは「周知」と「合理(性)」を要件として、就業規則の変更による労働条件の不利益変更を認めるものです。
合理性が認められるのか否かの考慮要素として「労働条件変更の必要性」があります。
この「労働条件変更の必要性」との関係で、最三小判昭63.2.16労働判例512-7大曲市農協事件は、
「当該規則条項が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによつて労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有するものであることをいうと解される。特に、賃金、退職金など労働者にとつて重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである。」
と述べ、賃金減額を正当化するためには、特に高度の必要性が必要であることを判示しています。
ただ、抽象的に「高度の必要性」と言われても、何のことであるのかは判然としません。そのため、どのような場合に「高度の必要性」が認められるのかは、下級審裁判例を注視して行く中で相場感覚を養って行くしかありません。近時公刊された判例集に、この「高度の必要性」が消極的に理解された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京高判令7.3.27労働判例1333-5 国立研究開発法人精神・神経医療研究センター事件です。
2.国立研究開発法人精神・神経医療研究センター事件
本件は被告・被控訴人(国立研究開発法人・神経医療研究センター)が設置運営する病院で働く看護師や保育士が原告・控訴人となって、特殊業務手当を段階的に廃止することを定めた就業規則の変更の効力を争い、廃止がなければ得られたはずの金銭を請求した事件です。
廃止の可否を判断するにあたっては、労働契約法10条に沿った検討が行われているのですが、裁判所は、次のとおり述べて、労働条件変更の必要性を消極に理解しました。
(裁判所の判断)
「賃金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容でなければならないというべきである(最高裁判所昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号60頁参照)。」
(中略)
「本件特殊業務手当の廃止変更は、給与の性質を有する特殊業務手当を段階的に廃止するというもので、労働者にとっての重要な権利である給与を減額する実質的な不利益変更であるから、そのような変更を労働者に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性が存在することが必要である・・・。」
「この点につき、被控訴人は、本件変更当時の被控訴人の経営状況は、慢性的に経常収支が赤字であり、また、組織運営の原資となるキャッシュも減少し続け、繰越欠損金は増加し続けている状況であり、将来にわたって被控訴人の安定的な運営を継続していくことは極めて厳しい見通しにあったから、現在の収支で推移した場合、業務の廃止若しくは移管又は組織の廃止その他の所要の措置を受けうる状況にあったとして、特殊業務手当を廃止しなければならない高度の必要性があったと主張する。」
「確かに、補正後認定事実・・・によれば、被控訴人は、平成22年4月に独立行政法人となってから、平成27年3月までの第1期中期計画期間(5年間)、同年4月からの第2期中長期目標期間のうち本件変更がされた平成29年度までの3年間について、いずれも経常収支率が100%を下回り、繰越欠損金も平成22年度は約6200万円であったのが平成29年度には約27億4000万円まで増加し、資金残高は、平成22年度には約44億1000万円あったものが平成29年度には17億7500万円まで減少していることが認められる。しかしながら、被控訴人を含むNCは、研究部門と臨床部門が一体となって運営するという特徴があり、研究部門は収益性を目的とする事業ではないため、もともと経営改善の困難性が予想されていたという背景があり・・・、経常収支率がすぐに100%を超えることが期待されていたとは言い難いところ、繰越欠損金の増加も、資金残高の減少も、独立行政法人化した平成22年から平成23年度にかけての増加幅ないし減少幅が最も大きく、これは、平成22年4月に新病棟を開棟し、医療用機械備品等の投資額が大きかったためであること・・・、平成29年度の繰越欠損金が計画より増加したのは、病棟構成見直し工事の影響で入院患者数が計画に達しなかったこと等が原因であり、同年度中に改修が終わり、以降は患者数が増加しているため、翌年度は改善見込みであると被控訴人自身が評価していること、資金残高については、減少し続けていたわけではなく、平成24年度、平成25年度、平成27年度と増加していること・・・が認められる。このことに加え、被控訴人の医業収益は、平成22年度の約60億円から年々増加して平成29年度には約85億円まで増加していること、有利子負債も平成22年度の約30億7900万円から年々減少して平成29年度は約23億2300万円まで減少していること・・・、仮に、本件特殊業務手当の廃止変更がなく、特殊業務手当を全額支給した場合であっても、平成30年度、令和2年度及び令和3年度の経営収支は黒字になったと想定されること・・・を考慮すると、被控訴人の経営状態は、平成29年度までは経営収支率が100%になってはいなかったものの、弛まぬ経営努力の結果、医業収益は年々増加し、有利子負債も年々減少している状態にあり、少なくとも経営状態が悪化し続けているとか、危機的な状況にあるとかいった状態ではなかったものというべきである。このことは、厚生労働大臣が平成27年9月に通知した被控訴人の第1期中期目標期間の業務実績評価書において、被控訴人の総合評価がA、財務内容の改善に関する事項の評価がBとされ・・・、第2期中長期目標期間における平成27年度から平成29年度までの各事業年度における全体の評価も順にB、B、A、財務内容の改善に関する事業の評価もいずれもBとされていた・・・ところ、独立行政法人の評価に関する指針によれば、Bは標準(所期の目標を達成していると認められる状態)とされていることからも、裏付けられている。」
「そうすると、本件変更が実施された平成30年4月(ないしその検討がされていた平成29年度)当時における被控訴人の経営状態が、『将来にわたって被控訴人の安定的な運営を継続していくことは極めて厳しい見通しにあった』とは認めることができず、『現在の収支で推移した場合、業務の廃止若しくは移管又は組織の廃止その他の所要の措置を受けうる状況にあった』とも認めることができない。」
3.かなり厳格に理解された
本件で注目に値するのは「経営状態が悪化し続けている」「危機的な状態にある」「将来にわたって・・・安定的な運営を継続していくことは極めて厳しい見通しにあった」「業務の廃止若しくは移管又は組織の廃止その他の所要の措置を受けうる状況にあった」など、必要性をかなり厳格に理解していることが窺われる判断がなされている点です。
裁判所の判断は「高度の必要性」を具体化したものとして、就業規則による賃金等の不利益変更の効力を争ってゆくにあたり、実務上参考になります。