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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

イサーンの衝撃

2009-06-08 02:19:12 | アジア


 ”DAO NOY SOY ROCK”by DAO NOY SIANG ESARN

 何だこれは、と。ここは(笑)と付けておくべきなのかも知れない。あるいは(汗)か。
 タイの東北部、穀倉地帯にして最貧地域でもあり、また民謡の宝庫でもあるイサーン地方で歌われているローカル・ポップスの、これが最近の話題盤の一枚だそうなのだが。
 当方は、タイ関係では仏教ポップスの”レー”にかまけて、というか「一応これを押さえておけばいいや」などと舐めた姿勢でいたのだが、これが大間違い。その間にタイの音楽シーンはとんでもない事になっていたと反省させられたのは、かのネコジャンプたち、タイのへっぽこアイドルポップス・シーンの盛況を知ったときだった。同じように東北部のローカルポップスにも、こんなものが出て来ていたんだなあ。

 ともかく冒頭の”モーラム・ロック”のとんでもないノリがすべて。8ビートのドラムス鳴り渡り、勇壮にホーンは吹き鳴らされ、ヘビメタ調(というか、聴いているとなぜかアルフィーの高見沢の顔が浮んでならない)のギターの早弾きが頻繁に差し挟まれるこの曲に、すっかり恐れ入り、何度も聴き返す始末である。
 途中でフィーチュアされる早口の語り。これは、語り物歌芸としてのモーラム音楽の今日の姿と捉えれば良いのか、それともご本人たちはラップのつもりなのか。ともかく盛り上がりそうなものはすべてぶち込んでみました、みたいな狂騒世界が楽しい。
 また、それだけサウンドは爆走しているのに、歌唱はあくまでも濃厚に民謡調を引きずっていて、音楽の本質は”あくまでも田舎の演芸”であるのも嬉しい。愛嬌たっぷりの素っ頓狂な彼女らの歌声が実に痛快である。

 こんなのがコンスタントに生み出されてくるとしたら、そりゃ凄い話だなあと舌を巻いたのだが、韓国のポンチャクミュージックじゃあるまいし、そうは行かない。3曲目でストンとテンポは落ち、ゆったりとした田園地帯の情緒がたゆたう中で、哀感に満ちたメロディが歌い上げられる。こいつも、都会に行ってしまった恋人を忘れられない村娘の嘆き、みたいな歌なんだろうなあ。いや、そんな歌が多いという話を聞いたんでね。
 でも、この対比は凄いなあ。パワフルに飛ばしてみせる”ダンス部”と古きタイの田園の心をしみじみと伝える”バラード部”の落差と言うものが。その後、この両者がほぼ交互に聴かれるのだから、このアルバムでは。メンバーたちにしてみれば「何もおかしいことないじゃない?」と問い返してくるくらい自然な事なのかもしれないけれど。

 そういえばずいぶん前に明石家さんまのクイズ番組を見ていたらタイの話題になり、このイサーン地方の音楽がテーマの問題が出題されたんでびっくりした事がある。そこでイサーン名物、語り物演芸のモーラムの喉自慢コンテストなどという珍しいものが画面に映ったのだが、そこでさんまは言っていた。
 「この国ではまだ、こういう音楽が流行ってるんですなあ。そしていつか、この国でもサザンみたいな音楽が生まれてくるのでしょう」と。
 いや、そうじゃないんださんまちゃん。タイには”サザンみたいな音楽”はすでにあって、その一方で田舎の方ではこのような音楽が盛んに聞かれているんだってば。そんな奥行きが、まだ生き残っている例も外国にはあるんだよ。

 それにしても、50年代のアメリカンポップスかと見まごうイントロで始まり、そこにアコーディオンが鳴り渡ると一気に曲調が日本の昭和30年代歌謡曲のノリへと変わる9曲目には、なんとも不思議な気分にさせられた。しかもその歌が終わった直後に、またもアゲアゲのロック歌謡ショーが始まるのだから、たまりません。
 タイの高見沢(?)のギターも快調に唸りを上げて、GS調になるかと思えば山本リンダが出てきそうにもなったりしつつ、イサーン魂はいやがうえにも燃え上がるのだった。
 いやあ、こんな連中が続々と出てきたら面白い事になるだろうなあ、ほんとに。

蟹工船ブルース、不発。

2009-06-07 04:33:49 | 北アメリカ

 ”A Stranger Here”by Ramblin' Jack Elliott

 この4月に、あのランブリング・ジャック・エリオットが新しいアルバムを出していたと先日私は、立ち読みしていたグラビア雑誌の片隅の音楽情報コラムで知ったのだった。
 しかもその内容が、かっての世界経済大恐慌時代にアメリカで作られ歌われたブルース系の曲のカバーが中心になると言う事で、「ひええ~これは一本とられたね」と感心してしまったのだ。そりゃまったく、待ってましたと言うか適材適所というのか、うまい事を思いついたものだ。

 ジャックと言えば1930年代、ニューヨークの医者の息子として生まれ、が、音楽、それもアメリカの大衆音楽への情熱やみがたく、ギター抱えて放浪の旅へ出かけてしまった人だ。しかもその際の相棒がアメリカにおける社会派フォークの巨魁、ウディ・ガスリーなのだから、そりゃフォーク・シンガーとしての由緒は正しい(?)
 後年は病に倒れたウディに変わり、若い世代にウディの残した歌や古い伝承歌を若い世代に伝える架け橋ともなった人である。
 さすがに近年は”カミソリ”と呼ばれた若き日の切れ味は失われたものの、独特の枯れた味で、まだまだ聴かせるものを持っていた。

 今、未曾有(嫌がらせに”ミゾウユウ”と読むのを忘れないように)の不況が世界を覆い、人々は不安と絶望に閉ざされた灰色の日々をただうろたえて歩きまわる以外に方策を持たないかのように見える。
 そんな過酷な現実を踏まえ、かってのアメリカの”ハードタイムス”を目の当たりにし、歌い継いで来たジャックに、”あの頃”の歌をもう一度歌わせる、これはなかなかに刺激的な企画と言えよう。なるほどねえ、どんなものが出来上がるか、聴いてみたいと思うよ、それは。

 が、これが現物を聴いてみたらなんだかあんまり面白くなかったのだから世の中は、ままならないものである。なんかね、私にはそのアルバム、「ただやってるだけ」みたいに聴こえてしまったのだった。
 そもそも伴奏が基本のところで大間違いである。ジャズっぽくなったりカントリーっぽくなったりするバンドをバックに配しているが、今のジャックだったらギターの弾き語りでしょ。それで十分、というのではなく、それだけでなくてはならない。余計な音はいらないのだ。
 しかもそのバックの音が、これが”やってるだけ”の最たるものなのだなあ。実力派による手堅い伴奏みたいなのだけれど、まるでひらめきのようなものが感じられず、ただ地味なだけなのだ。

 しかも、それに乗っかるジャックの歌がまた、いつもの気ままにメロディを崩したり語りにしてしまったりの奔放なものでなく、妙に真面目くさって歌っちゃって、どうにも居心地が悪いのである。何をまともな歌手ぶっているんだよ、ジャック?
 ちゃんと調べたわけでもなく、聴いた音からの印象だけで言うけど、このアルバムのディレクターが、「きちんとしたこと」の好きな奴なんじゃないの?ジャックのような自由人とは、はじめからソリが合わない人物。それゆえ、伴奏は型にはまり、肝心の歌も”まともな歌手ごっこ”みたいな退屈なものになってしまった。もったいないなあ。

 いくら最高の食材を集めても、料理人が勘違いしたらすべてはぶち壊しだと。まあ、つまらない結論しか出てこないんだけどねえ。

夜霧の静岡空港

2009-06-06 02:47:14 | 時事
 ○<静岡空港>霧で2便欠航

 欠航騒動以前に、あんな空港に降りようとする乗客がいた、ということにまず驚いた。静岡って、わざわざ飛行機使って行く場所でもないだろ?しかも空港は、山の中の不便極まるロケーションだ。新幹線を使ったほうが、ほとんどの人たちにはよほど便利じゃないのか。
 その上、霧が出ると使えないって?

 この記事もおかしい。タイトルだけ見ると空港近くの立ち木が直接の原因で欠航が起こったかのような印象を与えるんだけれど、そうじゃなくてこの空港の滑走路が計器着陸装置が使えない欠陥滑走路だからじゃないか。これ、変な方向に記事を読む者のイメージを誘導しようとしていないか、毎日新聞?

 まあいずれにせよ、早いとここの無意味な空港の経営を断念してもらいたいものだ。無意味ゆえに避けがたく発生し続ける空港経営による赤字は、我々静岡県民の肩に重たくのしかかってくるんだからね。ふざけた話だよまったく。そしてゼネコンはじめ甘い汁を吸った連中は、とっとと逃げ出して知らん顔と。まさに霧の中だよなあ。


 ○<静岡空港>霧で2便欠航 立ち木問題が影響
 (毎日新聞 - 06月05日 21:52)
 4日に開港したばかりの静岡空港(静岡県島田市・牧之原市)で5日、日本航空と全日空の計2便が霧などのために着陸できず、到着地を中部国際空港(愛知県)に変更した。周辺に航空法の高さ制限を超える立ち木が残っていた静岡空港は滑走路を計画より短縮したため、視界がある程度悪くても着陸を可能にする計器着陸装置(ILS)が使えず、早くも影響が出た形だ。
 気象庁静岡空港出張所によると、空港周辺では5日午後3時ごろから霧が立ち込め、視界は400~500メートルだった。このため那覇発全日空784便(乗客38人)と新千歳発日本航空2858便(同68人)の2便が静岡空港への着陸を断念し、中部国際空港に降りた。また、両機を使って静岡空港を出発予定だった2便が欠航し、搭乗予定だった約150人に払い戻しなどの対応を取った。
 空港管理事務所の担当者は「ILSが使えないことで着陸できなかった可能性はある。梅雨入りも近く、心配だ」と話していた。【竹地広憲】



カタールにおける展開

2009-06-05 04:47:41 | イスラム世界
 ”Ali2002”by Ali Abdul Sattar
 
 本邦のアラブ音楽ファンはやはり、女性ボーカルものの愛好家が圧倒的なんだろうか?その種のものを置いてくれている奇特なレコード店の品揃えなど見るにつけても、どうもそのように思える。で、私はそのような事情を横目にアラブものは男性ボーカルもののほうが面白いと、一人でへそを曲げている。で、今回のこの盤もアラブ湾岸はカタール国の男声歌手であります。
 別に奇をてらっているつもりもなく男色傾向があるわけでもないんだが。どうも盤を漁っていると、目玉をギョロつかせたアラブ男の髭面がこちらを睨んでいるジャケばかり選んでしまうのだよな、きれいなネーちゃんが艶然と微笑むジャケが隣に並んでいると言うのに、物好きにも。

 でも。無骨な男っぽい歌声が無常な愛を前に”お慈悲をっ!”と狂おしく呟きつつ熱情を燃え上がらせ、イスラミックなコブシをグリグリと繰り出して行く。後ろで煽り立てる男声コーラス群。地の底から湧き出たかに思えるドクドクと脈打つ打楽器群がその熱情に火をつける。この辺のスリリングな感触、たまらんものがありますぜ。
 とか何とか言ってるが、実は我が内に脈々と受け継がれている浪曲好きな日本人の魂が、アラブ男声ものの世界にそれに近いものを感じ取り、身勝手な反応をしているだけかも知れないのよな、よく分かりませんが。

 このタイプの音楽に”湾岸の白装束音楽”との呼称を提言してくれたのはお世話になっているレコード店のY氏なのだが、確かに独特のものがあります。どんなものかといえば、アラブ世界の王道と言うのか、アラブ世界のど真ん中で伝統衣装を身にまとい、敬虔なる祈りのうちに生きている人々の平安なる音楽。同じアラブ・ポップスでも、北アフリカの外れ辺りのヤクザなダンス・ミュージックの刺々しさとは真逆な存在感があります。

 ディズニー映画の挿入歌でも始まるのかと思わせる、切なくさんざめくストリングスの響きに導かれたバラードものなど、かなりな不思議感覚である。異邦人たるこちらにしてみれば、アラブ歌謡とそのようなものの共棲って、なんとも落ち着かない気がするんだが。また、そんな曲が多いんだ、この盤は。アラブの人たちって、こういうものも好きなんだと認識を新たにさせられる部分も多い。

 それになにやら穢れなき少年たちのコーラスなどかぶったりした日には、「これはいったい何を歌っているのだ?」と、大いに気になってくるのだった。幸いにも付けられていた英文の歌詞要約に目を通せば、眠りにつく子供たちを見守りながら「この子らに平和な日々を」と祈る歌である事を知り、すっかり意表を衝かれてしまったりする。
 まあ、イスラミックなコブシをまわしているコワモテの歌だからと言って、子供への愛を歌っていけないことはないんだけれどね。

 などなどと異質な文化の感触に戸惑いつつも、下半身を直撃して来るドスの利いたリズムと熱くねちっこい迫力のコブシ・ボーカルにすっかり理屈ぬきで乗せられてもいる当方なのであった。やっぱアラブポップスは男声ものだよ。と思うがなあ。


ルミ、ベンチャーズを撃滅!

2009-06-04 04:57:43 | 60~70年代音楽

 ”ベンチャーズ・ヒットを歌う!”by 小山ルミ

 この盤、「いやあ、笑っちゃうぜ!」とか言って終わるはずだったんだけどね。ともかく買うときにはそのつもりでいたんだけれど。それどころじゃなかった。小山ルミを見くびっちゃあいけねえぜ。

 あの小山ルミがベンチャーズの作曲作品ばかりを歌った盤であります。まあそれは”二人の銀座”にはじまり”雨の御堂筋””京都慕情””北国の青い空”などなど一連のベンチャーズもののヒット曲をカバーした1971年度作品というのは、当時の歌手としてはそりゃああっても何の不思議もない企画盤なんだけど、”急がば回れ”とか”10番街の殺人”なんて曲に日本語詞をつけて歌いまくるってのはどういう発想なんだか。
 特に後者なんかは誰かがギャグで歌っていたなあ、「10番街で人が殺された~殺したのは誰だ~♪」なんて風に。あんな素っ頓狂な出来上がりになるよりしょーがねーだろ。

 そんな具合に隠れた奇怪盤をこちらとしては半分期待していたのだった。
 でも、聴いてみると何もゲテモノ盤でもなんでもないんだよね。これもやっぱり早過ぎたロック少女としての小山ルミのソウルフルな傑作アルバムだったのだ。
 いろんな意味で期待した(?)、”急がば回れ”や”10番街の殺人”はインストものでしか成立しない曲なんかではないんだね、普通に60年代のロック曲の解釈の一つとして聴けてしまう仕上がりになっていた。ゲテモノでもなんでもない、カッコ良いロック歌謡なんだ。

 そして、ベンチャーズの日本人歌手への提供曲に顕著な安い日本情緒(あれだけ日本に何度も来ていながらこの底の浅さ。さすがはアメリカ人だと呆れる)も、小山ルミにかかると軽く吹き飛ばされるというか漂白されてしまうところが嬉しい。使われている臭い和風の音階が小山ルミのロックな歌唱にかかるとさっぱり日本情緒をかもし出さない、この痛快さ。ザマミロだ。
 それにしても。実は私、小山ルミってリアルタイムで見ていても不思議はない世代なのにろくに記憶がない。これが残念だ。もっときっちり見ておけばよかった、聴いておけばよかったと大いに反省するのですよ、まったく。

1.二つのギター
2.雨の御堂筋
3.京都慕情
4.霧のめぐり逢い
5.二人の銀座
6.京都の恋
7.さすらいのギター
8.10番街の殺人
9.異国の人
10.急がば廻れ
11.東京ナイト
12.北国の青い空


台湾の秋を歩く

2009-06-02 04:00:20 | アジア
 ”Kissing The Future of Love”by Fish Leong

 どうもこのところ精神的に消耗してしまうような事が身の回りに連続して起きていて、なんだかな~・・・である。こんな時には台湾フォークでも聴いて癒されようか、なんて気分にもなるでしょ、それは。

 Fish Leongは1978年、マレーシアの生まれで、高校生の時に出た音楽コンクールで見出されて台湾に渡り、歌手として活躍するようになる。本籍は中国の広東省。なにやらややこしい・・・でもないのかなあ、華人の生き方からすれば。
 Fishなる妙な英語名は、彼女の本名と言うか中国名の”梁靜茹”のうち、”茹”を広東語で発音すると”魚”と同じ音になってしまうからそう決めたそうで、なんのこっちゃ?である。もう、その場のノリ一発で決めるんですかね、英語名なんてものは。

 全体に生ギターの爪弾きの音が支配するフォークなサウンド作りで、Fish Leongのアクのない歌唱スタイルと相まって、水彩画のような淡い感傷の世界を作り出している。
 やや隙間の多い音作りの中で美しいメロディを呟くように歌うのを聴いていると、秋の足音が聞こえる台湾の都会の情景と恋人たちの過ごす日々など映像として浮かんで来て、こちらまでつられて青春の日々の追憶に酔いかけるところだった(たいしたことはやってないんだけどねえ、当方は)

 2曲目などに顕著だが、クラシックまがいのメロディを聴かせどころに突っ込んで曲調の透明感を高めるやり方は、松田聖子の一連のヒット曲を連想させたりする。Fish Leongの可憐な歌唱と相まって、この曲などはフォーク調ポップスの傑作ではないか。
 日本曲カバーとしては、”つじあやの”のものを2曲取り上げており、なかでも”風になる”などはウクレレをメインに据えたコンパクトな響きで、こいつも好印象。

 大体は北京語で歌われているのだが、伝統的な中国歌謡のメロディを持つ11曲目の台湾語ナンバーのルーツを踏まえた濃厚な情感は、アルバム全体が軽く流れてしまわない碇の役割を演じ、深い印象を残す。
 年間ベスト10とかに挙げる事はないだろうけど、それとは別のところで愛してしまう一枚と言えよう。

 それにしても、作曲者のクレジットを見て行くと”人工衛星”とか”五月天怪獣”とかふざけた表記が目立つけれど、そんな名を名乗る意味が分からん。これも現地の流行なのか?やはり文化の垣根はあります。


ジュークボックス・タガログナイト

2009-06-01 04:31:23 | アジア

 ”THE MODERN JUKEBOX COLLECTION” by Sheryn Regis

 たとえば日本の演歌のある種のものとボレロみたいなラテンのバラードとのメロディの、根拠の良く分からない親和性、なんて事を考えたりする。それはかって、”とんねるず”がまだ”若手のお笑い”だった頃、”雨の西麻布”なんてラテン音楽臭い歌謡曲のシングル盤を出し、そいつをテレビ番組で歌う際、「この歌で演歌の心を知りました」とか、まあ半分以上ギャグであるにせよ言っていた、なんて挿話を持ち出して説明するのが良いのかも知れない。

 かって長きに渡ってその地を植民地支配し、少なからぬ文化的影響も残していったヨーロッパのラテンの国の熱情の音楽と、フィリピンの地にもともと根を張っていた大衆歌とが絶妙の交錯をし、奇蹟の旋律が生まれ出た瞬間なんてものを夢想してしまうのである、このような音楽に出会うと。

 これはフィリピンの実力派、シェリン・レジスが歌い上げるタガログ語ポップスのスタンダード・ナンバー集。そのほとんどすべてが切ないバラードである。涙の尾を引きながら星たちの瞬く夜空へ吸い込まれて行くような、たまらなく美しい恋歌が11曲。それにプラス・カラオケ4曲なのが、いやがうえにも”実用盤”である。

 ジャケ写真、いかにも一夜の享楽を求めて集う人々の残していった紫煙とアルコールとホステスの嬌声と客たちの猥談の残り香が染み付いているようなカーテンの前に置かれた古臭いジュークボックスが嬉しい。そいつにしどけなく寄りかかったレジスの姿。
 どの曲も熱唱であるが、昨今の日本の”歌姫”たちが誰でも彼でもやっているような、あの安易に”R&Bっぽい歌声”ではないのが良い。シェリン・レジスが思い切り声を張って歌い上げる、その発声はあくまでアジア歌謡。そいつはヨーロッパ人たちが海を渡ってやって来る遥か前からアジアの南の岸辺で行なわれていた恋歌の歌唱法に則った歌声だ。

 昼間の熱気のまだ残る南アジアの歓楽の通りに毒々しいネオンサインが灯り、人々のざわめきが通りを満たす。そこに一瞬、潮の香りを含んだ夕風が吹き抜けて行く。そして流れる恋歌一曲。


ニッケの花とバロックの笛

2009-05-31 01:17:13 | 南アメリカ


 ”Nuevos Cantares Del Peru”by Diana Baroni

 クラシック・ルーツの女性フルート奏者によるプログレッシヴ・フォルクローレ?と申しましょうか・・・
 アルバムのヌシ、ディアナ・バローニはもともとはクラシックの演奏家。スイスに遊学してバロック音楽を学んだが、故国アルゼンチンに帰国後、パラグアイのアルパ(現地の大衆音楽で使われる小型のハープです)奏者との出会いにより民俗系の音楽に目覚めた。
 以後、クラシックの演奏家とフォルクローレの歌手を兼業していると言う、ユニークな立場の人である。

 作り上げた音楽もそれにふさわしく独特なもので、バロック音楽の影響色濃い静謐な空気の中で泥臭いフォルクローレの楽曲が、けだるい響きのバローニ女史の歌声で流れて行く。なんとも不思議な取り合わせ。何曲かではお得意のフルートも聴かせてくれるが、こいつも吹きすぎず、上品にまとめているのが憎い。というか、もっと吹いてくれてもいいような気がするんだけどね。聴きたいんだがね(笑)

 彼女はペルーの女性作曲家、チャブーカ・グランダ Chabuca Granda(1920 - 83)を敬愛しているようで、このアルバムでは、その作品がいくつも取り上げられている。とか言ってるが、私がこの作曲家について知るところは少ない。毎度すいません。リマの街を愛し、多くの美しいワルツを書き残した作曲家で、その作品、「ニッケの花」は南米中で愛され、ペルー音楽を代表する歌となっているそうだ。これが知ってるすべてであります。

 どの歌も、いかにも温かい土の香りを感じさせる曲調で、それらの優しい持ち味の曲が、アンニュイな雰囲気のバローニの歌や、彼女がバロック音楽から学んだアイディアを投入した巧妙なアレンジで聴かされると、これがますます深いイメージの広がりを感じさせてくれ、なんだか豊かな気持ちになれるのだった。
 これ、やる人によっては嫌味になったりするパターンで、その辺、”クラシック育ち”を鼻にかけずに民衆音楽に敬意を払うバローニ女史の心意気が伝わってくる。

 彼女をサポートするアルパとバロック・ギターの二人も地味ながら堅牢なプレイを聴かせ、この水彩画のように淡い印象の、それでいて聴きこめば非常に奥深い音楽世界は、南米の民衆の心の水脈に静かにゆっくりと染み込んで行くのだった。
 

さすらい

2009-05-30 04:54:27 | いわゆる日記


 ”Orphans”by Tom Waits

 あれはなんという名の鳥だったかなあ。以前、調べたんだけど、もう忘れてしまった。
 ともかく、スズメくらいの大きさの鳥の小集団が一つ、もうずいぶん前から私の街の海岸線に沿って放浪を続けている。
 定まった安らぎの地というのは見つけられないのか、そもそも定住の習慣がないのか。ともかくある程度の高さのある木の葉の茂りを見つけてはそこにビッシリとたかり、チクチクチクと終日鳴いている。
 夕方の、ある決まった時間になると鳥たちは一斉に夕暮れの忍び寄る空にワッと飛び立ち、奇妙な幾何学もどきの模様を描いて、空の高みで飽くことなく旋回しているが、あれはエサでも捕食しているのか、それとも何か別の意味がある行動なのか。私には見当も付かない。

 連中を初めて見たのは町外れの港でだった。船着き場の端っこの防風林に留り、やかましく鳴きたてていた。ああ、この連中、いつかニュースで見たことがあるぞと私は思ったものだ。
 どこかの団地の近くの林に鳥たちが住み着いてしまい、近隣の住人たちが早朝からの鳴き声などに閉口している、が、大量の鳥をどう処理したら良いのか役所も困惑している、なんて内容のニュースだったと記憶している。
 わが町の鳥たちは、ニュースで見た集団とは比べものにならないくらいの小規模の団体ではあるが、それでも近くの立ち木にでも住み着かれたらうっとうしいだろうなあ、そうならないといいがなあ、などと思った。

 その年の暮れ頃だったか、鳥たちは近所のコンビニの店先の椰子の木を住処に選んだ。椰子の木と言っても、以前、その場で営業していたホテルが植えたもので、そこが廃業してから手入れをするものもなく、半分枯れかけた代物だったのだが。
 コンビニに買い物に行くたびに、あと通り一つだなあ、ウチの近くに住み着かないといいがなあ、やかましいのは御免だぜ、などと思いつつ鳥たちが取り付いて騒ぎ立てている枯れかけた椰子の木を見上げたものだ。
 だが私の心配は外れ、新年がやって来るのも待たずに鳥たちは、国道を挟んだガソリンスタンドの方に移動していた、いつの間にか。

 そんな事を繰り返し、気がつけば数年の歳月が流れ過ぎている。生命と言うのも結構しぶといものなのだなあと思う。彼ら鳥たちが命を繋ぐに適当な立ち木さえない、索漠たる我らが街の海岸線であるのに、鳥たちは絶滅もせずに、あちこちに住処を替えながらそれでも生き残っている。何をエサにしているのかさえ分からない。
 それでも、大繁殖はするはずはなくとも、さほど数を減らすでもなく、気がつけば何年かを生き抜いてしまっている。それともそんなに遠くないある日、「そういえばあの鳥たちはどうしたんだろう?このところ、鳴き声を聞いていないけれども」なんて形で彼らの終末に気付く日が来るのかもしれない。

 そういえば最近、鳥たちの鳴き声を聴いていないのだった。まあ、そんな事は、このところ頭の隅を去ることのない仕事上の困惑物件と比べればまったくどうでもいい事ではあるのだが。
 真夏かと思うような暑気が来たかと思えば薄ら寒い雨の日が続く。季節はまた来たり去って行き、生き残った私は取り残されて、ただここにいるだけの者である。
 というわけでTom Waitsが2006年に出した3枚組のアルバム、”Orphans”である。上の話とはあまり関係がない。ただこれをBGMにキイを叩いていたと言うだけの話。

 トムの音楽は初期の酔いどれジャズごっこ盤はめちゃくちゃ愛好したものだ。こちらも名うての酔っ払いと化しつつある時期だったので相性はよく感じ、彼の1stや2ndはターンテーブルに常に載ったままだったと言っていい。
 その後、彼は芸風を変えてしまい、なんだか酷く疲れる暗黒ソングを歌うようになったので、なんとなく距離を置くようになってしまった。それでも時に気になり、こうして新譜を買ってみたりする。
 今回のこの3枚組、なんだか事情がよくわからないのだが、未発表の拾遺集という奴だろうか。2枚目の”Bawlers”が、かって私が好んで聴いていたセンチメンタルな酔いどれ裏町詩人風情がここでだけ復活しているので、なかなか気持ちよく聴けたりするのだった。こちらは医師から過度の飲酒を諌められる身の上であり、酔っ払いの資格さえ失っているのだが。

 などと言っているうちに、酷薄な夜明けはいつの間にか窓の外に忍び寄っているのだった。また、取り残されたよ。

砂漠のトランス進行形

2009-05-29 04:52:17 | イスラム世界


 ”Achouf Chouf”by Said Rami

 毎度お馴染み、モロッコはベルベル人の音楽、レッガーダものの、今回はローカル派(?)のアルバムなど。
 とか言ってるが、主流派のレッガーダとか反主流派とか都会派とか田舎派とかがあるのかどうかもちろん知らない。ただ、このサイード・ラミ氏のサウンドが、いつも聴いているレッガーダものと比べて、ずいぶん鄙びた響きがあるなあと感じたので、とりあえず田舎派と呼んでみただけで。

 まず、打ち込みリズムなどの機械類はほどんど使われておらず、歌の後ろで響き渡るのは、民族楽器のアンサンブルに徹したサウンド。この音楽の最大の特徴と言えよう、性急な前のめりのリズムが民俗打楽器群によって提示される。打楽器群には、どうやら普通のドラムセットが加わっているようで、そいつがときおりシンバルをメインに突っ込んで来て、独特のアクセントを加える辺りが新機軸か。

 名称も形状も分からないが、バグパイプ系のビービー姦しい笛類やキーコキーコと聴こえる素朴なバイオリン系の弦楽器が終始鳴り渡って囃し立てる中、例のボコーダーによって変調されたロボット風ボーカルがイスラミックなコブシつきメロディを歌い上げる。
 考えてみれば、このボコーダーの使用とトラップ・ドラムの導入と、ときどき聴こえるキーボード以外はこのアルバム、音としては民俗音楽そのものと変わらないわけで、その辺のアンバランスな所がいかにも現在進行形の大衆音楽って感じで、妙にこちらの血を騒がせる。

 ほとんど掛け声の延長線上にあるかと思えるシンプル過ぎるメロディ。歌声は曲目が進むにつれて熱して来てコーラス隊とのコール&レスポンスなども始まり、”絶唱”の域に達する。ボコーダーがかかっていなければどう印象が変わっていただろう、本来はかなり無骨な男っぽいスタイルの歌声の持ち主である、サイード・ラミ氏。
 カーヌーンのタグイの民俗弦楽器の音を模したらしいキーボードが実に素朴なプレイでボーカルに絡み始める。そこまで来てもやはりモロッコと言うべきか、ウエットにはならず、歌声に終始乾いた砂漠の風が吹き抜けて行くイメージに変わりはない。

 ところでレッガーダなる名称、どんないわくインネンがあるのやらと思っていたんだけど、どうやら現地の言葉で単に歌舞音曲を指すだけの言葉らしい。知ってみれば何の事はない、シャンソンやカンツオーネが言葉の意味としては単に”歌”であったのと事情は同じか。たいていの人はレゲとの関係を想像したんだろうけど。とか言ってる私も、そんな想像をしていたんだけどね。

 などと言っているうち、アルバムはストンとあっけないほどのエンディングを迎える。それらしい盛り上げもなく、まるで「収録時間が来たんで終わっておきました」とでも言い出しそうな唐突な演奏終了。
 それまでの脳が痺れるみたいなせわしないトランス感覚といい、一応10曲入っているようなんだけど、各曲の切れ目がよく分からないところといい、やっぱり韓国のポンチャク・ミュージックとの似たもの同志感は否めない。なんか人を食った実もフタも無さに、あっけに取られてしまうのだ。

 という訳で、はい、このお話もストンと何の工夫も結論もなしに終わっときます。