テスラの生誕150年にあたる2006年7月10日を「国際テスラ記念日」に――。 ニューヨークのテスラ記念協会(Tesla Memorial Society of New york)は国連に対して、昨年からこう働きかけていた。結果的には成功しなかったが、その活動はテスラの業績を認知させるという意味では充分な効果を挙げたようだ。
この記事を通してあらためて考えたのは、テスラの業績は特定の個人や国家、団体の所有物ではないということだ。
クロアチアに生まれたテスラは、セルビア人の両親をもち、のちにはアメリカの市民権を獲得した。これら関係国家、民族がそのことを誇りをもつのは当然だと思う。しかし、それはテスラの業績が彼らの所有物であることを意味しない。
テスラは生前から民族、国家、組織などの闘争に翻弄されてきた。その騒動は死後もおさまらず米ソ冷戦、ユーゴスラヴィア紛争からカルト宗教の事件にまで利用された。
しかしテスラ自身認めているようにその知的遺産は人類共通の遺産なのである。国連との関わりでいえば、それはすでにグローバルな世界遺産なのであり、テスラデイは文字通りそれを再確認するための記念日にすぎない。今回、不調に終わったからといって嘆くにはあたらない。
日本での記念イベントも、そのようなテスラの世界性、普遍性を確認できるイベントにしなければ。そう願いつつ企画を練っているところである。
この記事を通してあらためて考えたのは、テスラの業績は特定の個人や国家、団体の所有物ではないということだ。
クロアチアに生まれたテスラは、セルビア人の両親をもち、のちにはアメリカの市民権を獲得した。これら関係国家、民族がそのことを誇りをもつのは当然だと思う。しかし、それはテスラの業績が彼らの所有物であることを意味しない。
テスラは生前から民族、国家、組織などの闘争に翻弄されてきた。その騒動は死後もおさまらず米ソ冷戦、ユーゴスラヴィア紛争からカルト宗教の事件にまで利用された。
しかしテスラ自身認めているようにその知的遺産は人類共通の遺産なのである。国連との関わりでいえば、それはすでにグローバルな世界遺産なのであり、テスラデイは文字通りそれを再確認するための記念日にすぎない。今回、不調に終わったからといって嘆くにはあたらない。
日本での記念イベントも、そのようなテスラの世界性、普遍性を確認できるイベントにしなければ。そう願いつつ企画を練っているところである。