”Koleksi Klasik” by Anneke Gronloh
これはなかなかに初夏の夜にはふさわしい、ラウンジ感覚やらコロニアル感覚やらに溢れる作品集であります。アルバムの主人公、Anneke Gronlohはスラウェシ島出身で、60年代、インドネシアからオランダ、シンガポールと東西をまたにかけて活躍した大歌手だそうです。
音楽的にも相当な一人ワールドミュージック振りで、ムラユーやクロンチョンにハワイアンやラテンやアメリカン・ポップスが混在したカラフルな音楽世界を展開しています。明るくパワフルに、あくまでも欧米仕込みのショービジネスの世界っぽい”プロフェッショナル”な手触りで、それら音楽を完全に昇華した形で。
こんな人がいたんですねえ。凄い凄い。
ジャケ写真はずいぶん清楚な感じのものが使われていますが、検索でこの人の画像をあたってみると、「これは失礼、どこのオードリー・ヘップバーンかと思いました」とか言いたくなるようなファッションでヨーロッパの街角を行くお姿などに出会えます。こっちの方がこの人の普段の立ち居地だったのかなあ。音楽的にも。という気がします。
展開する音楽は先に述べたようにミクスチュア感覚溢れたものなのだけれど、それを処理する Anneke Gronloh女史の歌手としてのパフォーマンスは、あくまでも欧米の白人歌手の視点に立っているのですね。その当時のアメリカのポップス歌手の歌唱法の範囲内にきっちりと収まったもの。
一曲、犬の鳴き声なんかが効果音として使われたものがあるんですが、それなどを聴くと、ネタ元としての「ワンワンワルツ」なんかが想起されて、ああこの人はパティ・ペイジとかに憧れて歌手を目指したのかなあ、なんて感じがヒシヒシと伝わってくる。
そんな”アメリカンポップス”の歌い手が、たまたま出身地がアジアだったから、アジア的なレパートリーをも取り入れた”エキゾティックなショー”を欧米の大衆相手に行なっていた、という方向で理解するべきなのでしょう。
これら音楽を欧米の白人たちがどのように受け入れていたのか、なんとなく想像はつきます。例のマーチン・デニーのエキゾティック・サウンドとか、あんな具合だったんでしょう。まあ、それに文句を言ったって仕方がないです。ワールドミュージックの概念なんてない時代の話なのだから。
けど、当時のアジアの人々に彼女の音楽がどんな具合に聴こえていたのか、ぶっちゃけた話が聴きたいなあ。もはや尋ねようがないんだけど。今、この時代に生きる私は、こうして何ごとが起こっているかをそれなりに理解した上で、彼女の音楽を楽しんで聴けてしまうんだけど。
どんな感じだったのかなあ、故郷スラウェシのどこかの街角で、彼女のレコードがラジオから聴こえてきたとして。