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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スラウェシのパティ・ペイジ

2009-06-20 03:05:09 | アジア

 ”Koleksi Klasik” by Anneke Gronloh

 これはなかなかに初夏の夜にはふさわしい、ラウンジ感覚やらコロニアル感覚やらに溢れる作品集であります。アルバムの主人公、Anneke Gronlohはスラウェシ島出身で、60年代、インドネシアからオランダ、シンガポールと東西をまたにかけて活躍した大歌手だそうです。

 音楽的にも相当な一人ワールドミュージック振りで、ムラユーやクロンチョンにハワイアンやラテンやアメリカン・ポップスが混在したカラフルな音楽世界を展開しています。明るくパワフルに、あくまでも欧米仕込みのショービジネスの世界っぽい”プロフェッショナル”な手触りで、それら音楽を完全に昇華した形で。
 こんな人がいたんですねえ。凄い凄い。

 ジャケ写真はずいぶん清楚な感じのものが使われていますが、検索でこの人の画像をあたってみると、「これは失礼、どこのオードリー・ヘップバーンかと思いました」とか言いたくなるようなファッションでヨーロッパの街角を行くお姿などに出会えます。こっちの方がこの人の普段の立ち居地だったのかなあ。音楽的にも。という気がします。

 展開する音楽は先に述べたようにミクスチュア感覚溢れたものなのだけれど、それを処理する Anneke Gronloh女史の歌手としてのパフォーマンスは、あくまでも欧米の白人歌手の視点に立っているのですね。その当時のアメリカのポップス歌手の歌唱法の範囲内にきっちりと収まったもの。
 一曲、犬の鳴き声なんかが効果音として使われたものがあるんですが、それなどを聴くと、ネタ元としての「ワンワンワルツ」なんかが想起されて、ああこの人はパティ・ペイジとかに憧れて歌手を目指したのかなあ、なんて感じがヒシヒシと伝わってくる。

 そんな”アメリカンポップス”の歌い手が、たまたま出身地がアジアだったから、アジア的なレパートリーをも取り入れた”エキゾティックなショー”を欧米の大衆相手に行なっていた、という方向で理解するべきなのでしょう。
 これら音楽を欧米の白人たちがどのように受け入れていたのか、なんとなく想像はつきます。例のマーチン・デニーのエキゾティック・サウンドとか、あんな具合だったんでしょう。まあ、それに文句を言ったって仕方がないです。ワールドミュージックの概念なんてない時代の話なのだから。

 けど、当時のアジアの人々に彼女の音楽がどんな具合に聴こえていたのか、ぶっちゃけた話が聴きたいなあ。もはや尋ねようがないんだけど。今、この時代に生きる私は、こうして何ごとが起こっているかをそれなりに理解した上で、彼女の音楽を楽しんで聴けてしまうんだけど。
 どんな感じだったのかなあ、故郷スラウェシのどこかの街角で、彼女のレコードがラジオから聴こえてきたとして。


いらねえよ、VCD!

2009-06-19 04:59:04 | その他の評論

 今日、某ネット通販店から、注文してあったCDが届いた。さっそく聴いてみようとしたのだが、その中の一枚から音が出ない。なんだこれは不良品かと検めてみると、製品番号に”VCD”とある。しょうがねえなあ、もう。どうやら発送の際にCDとVCDを間違えて送って来てしまったようだ。

 さっそくクレームのメールを送ったのだが、さて、夜が明けたらどのような反応が返ってくるのか。まだ数度の買い物しかしていない、馴染みとはいえない店なので、こんなときどのような対応を見せるのか、非常に興味がある。店主氏には、私がこの先、店の客であり続けるか否かが決まる決戦の場であると自覚の上、事態の処理にあたってもらいたいものである。いや、大仰な話じゃなく本気です。

 注文したのはタイのポップスのCDなのだが、今、あらためてネット上の該当商品のカタログを見返してみると、ともかくかの国の商品、CDには皆、ことごとくそれに対応するVCDが存在するようなのだ。なんだろうねえ、タイって国も。いや、こんな状況が昨今の常識なんだろうか。
 しかもそれらCDとVCDはジャケがまるで同じデザインであるらしい。こりゃ、間違い易いよなあ。それだからこそ、商品発送に際しては注意怠りなきよう、お願いしたいものなのだが。

 しかし、それらCDとVCDを、それぞれ両方とも律儀に在庫しておくってことは、それら双方に顧客が存在するってことなんだろうか。CDしか基本的に購入しない私としては、いい迷惑としか言いようのない話である。そんなもの、いちいち両方とも集めなくたっていいじゃないか、ご同輩。VCDなんか、どうせ一回見れば終わりでしょ?
 とか言っても通じやしなんだろうなあ。

 私はVCDとか、ともかくその種の映像商品にはまったく興味がない。なぜって?音楽ファンだからだ。まあ、音楽を聴く上でのあくまで”資料”として一回ぐらいは見てもいいけど、そこまでだろう。
 目と耳、両方からの情報を受け止めるがために想像力の働く余地がなくなるからかと思うのだが、音楽関係のビデオと言うもの、一回見ればお腹一杯であり、繰り返し見たいと言う衝動にはさっぱり駆られないのだが、そうでもないですか?何であんなもの、買うの?

 とか言ってはみるものの、国によってはそちらの方がメインの商品であるとの情報もあり、なにやら面白くない雲行きを感ずる昨今なのであった。
 まあ、ともかくくだんの店主氏、とっとと誤送付の商品を取り替えてくれよなあ。どう対処するか、しっかり見させてもらうぞ。

雨上がりインドネシア

2009-06-18 02:31:42 | アジア
 ”Lenggie ”

 何だ、この子は?
 一応、”インドネシアン・シンガー・ソングライター”とかネットで見つけた写真には書いてあって、一応ポップ・インドネシアの領域に属すらしいが・・・たいした情報も見つからなかったところを見ると、このアルバムがデビュー作なんだろうか?
 などと、まだ正体のつかめていない子であります。何のことはない、ジャケ写真が加藤ローサちゃんに似ているように見えたんで、それだけでジャケ買いしました。

 中ジャケでも、セミアコのギターを抱えて爽やかに微笑む姿は、なんか帰国子女っぽい雰囲気を醸し出しております。実際、両親のどちらかがアメリカ人とか、そうでなくとも事情あってアメリカで育ったとか、そんな背景があるのではないか、なんて感じが音楽自体にも大きく色を染めています。
 収められた多くは自作の曲は、どれも涼やかなメジャーセブンスの和音が響き渡っているような、爽やかなフォーク調。Lenggieちゃんの歌声も、明るく伸びやかに広がって行きます。

 赤道直下で熱を孕む大気の底に、遠い昔、ヨーロッパからの支配者たちが置き忘れて行ったラテンの激情がエコーとなって聴こえてくる・・・なんて、これまでのポップ・インドネシアが引きずっていた過去の恩讐、歴史の尻尾とは、きれいに縁が切れている音楽と言えましょう。一番縁が深いのは、アメリカ西海岸のカントリー・フォーク調のポップスか。

 なんだかどの曲も雨上がりの街の匂いがしている感じです。一雨あって、それがあがったばかり。雨に洗われて生まれ変わったみたいに新鮮な表情を見せる街を、明るいファッションで着飾ったLenggieちゃんが明るい笑顔で闊歩して行きます。
 軽い音楽と言えばその通りなんですがね、なんだかこの音楽は、私のうちに凝り固まっていたアジア大衆音楽に関する固定観念を、その雨上がりの街を吹きぬける涼やかな風一陣とともに吹き飛ばしてくれるようで。

 これは一本や取られちゃったかな、なんて気がして来ているのであります、正直な話。2007年度作品。


タンゴの箱庭

2009-06-17 02:58:31 | 南アメリカ


 ”Bien Canyengue” by La Tubatango

 チューバを中央に置き、ギターにクラリネットにバンドネオン。陽の当たる公園のベンチに楽器が並んでいるだけでも不思議な光景だが、タンゴには過去においてこのような編成のバンドが人気を博した時代があるらしい。
 例によって、たいした資料にも出会えず詳しい話は出来ないのだが、その古いスタイルを懐かしむタンゴファンが多いのでその要望に応え、あえて回顧スタイルのバンドを結成し、吹き込んだのがこのアルバム、という次第のようだ。2005年、ブエノスアイレス録音。

 なにしろ空間を埋め尽くすような音の出ない、しかももちろんアコースティック楽器ばかりの4人編成でやっているので、音の隅々までもが見渡せるようなコンパクト感が実に愛らしく思える。なんだかオモチャのタンゴ、みたいな手触りの音楽なのだ。
 チューバがもっさりした音の動きでベースラインを追って行くのを聴いていると、”ジャグバンドによるタンゴ演奏”みたいにも聴こえ、ますますバンドの愛らしさ(?)は増して行く。

 チューバ奏者はしかし、よく聴けば相当な腕達者で、バンドネオンと結構複雑なパッセージの掛け合いを演じたりの離れ業を見せたりする。アップテンポのダンス曲においてはチューバがポンポンと置いて行くベース音のおかげでミニ版のブラスバンドの演奏みたいに聴こえる瞬間もあり、やっぱり愛らしい演奏というしかないのだった。
 他の楽器担当者もテクニシャンである事に変わりはなく、キビキビとしつつも時にユーモラスな表情を見せる、その温かみのある演奏を愛さずにはいられない。

 古いスタイルの演奏がテーマのバンドゆえ、取り上げている曲はほとんどがタンゴの古典と言う事で、もちろんそんな知識のない当方ではあるものの、その古めかしいセンティメントを歌うメロディラインには、それなりに”郷愁のようなもの”を覚える。
 そう、古い街角の風景を模したプラモデルとか食玩みたいなバンドなのだ。あるいは精巧に作られた箱庭だろうか。そんなものを見る楽しみ。

 別に明日に何かを生み出したりはしないだろうけど、暖かい日の差す午後のひととき、こんな連中に出会ったら人は皆、心の奥がちょっぴり暖かくなるのを感じ、微笑んで立ち止まるのではないか。それで十分だ。

目上の人

2009-06-16 06:24:42 | 時事


 下の記事を見て思い出したが、かって昭和天皇が訪米をされたとき、その帰国を出迎えた時の首相、仲宗根康弘は、堂々と「ご苦労様でした」と言ったものだ。
 なんであれにウヨクの連中が突っ込まなかったのかさっぱり分からない。あんなに失礼な話もないだろう。天皇ほど”目上”な人もいないんだから。
 仲宗根にしたら、あれはつい”本音”が出てしまったんだろうね。


 ○「これって~じゃないですか」は「ご存知とは思いますが、これは~です」と言おう
 (メンズノンノ - 06月15日 07:03)
 人間、見た目を変えたり性格を変えたりするのはなかなか難しく、人間の評価にも繋がってしまうが、簡単に変えられるものが一つだけある。「言葉遣い」だ。学生時代は言葉遣いはさほど気にしないで良いものの、就職活動の面接や実際に働き始めると、言葉遣い一つで評価が上がったり下がったりする。
 ここでは仕事現場での言葉遣いで絶対に間違えたくないものを紹介する。普段(OFF)とビジネスシーン(ON)では同じ意味でもこれだけ異なる。
■OFF■/■ON■
ぼく・オレ/わたくし
うちの会社/弊社・当社
そちらの会社/御社・貴社
どうですか?/いかがでしょう?
ほんとですか/そうなんですか・そうですか
これって~じゃないですか/ご存知とは思いますが、これは~です
 ちなみに、目上の人に「ご苦労様でした」と言うのは絶対にNG! これはあくまでも上司が部下に言うことば。職場によっては「お疲れ様でした」はOKだが、実はこのことばも「ねぎらい」の意味が入っているので、「課長、お疲れ様でございました」とより丁寧に言うのが無難。

久永美智子と奄美の新民謡

2009-06-14 03:27:42 | 奄美の音楽


 ”奄美物語・久永美智子シリーズ”

 まだ奄美の音楽の右も左もまるで分からぬまま(今だって分かっちゃいないのだが)、ただ我が心の中に突然生じた、行ったこともない南の島々へ寄せる熱病のような憧れの命ずるままに、手探りで奄美の音楽を探り始めた頃。
 サイフをカラにしつつかき集めた奄美方面のCDやらカセットで出会った奄美のミュージシャンのうち、なぜか気になる人の一人が、この久永美智子という人だった。
 彼女は奄美の、いわゆる”新民謡”の作曲家であり、彼女の作曲作品を集めたオムニバスCDがいくつも、奄美のレーベルから発売されている。また自身も歌い手として少なくないレコーディングも行なっている。奄美の新民謡界の現時点での最前線にいる人と言っていいのではあるまいか。

 彼女のペンになる歌は決して高度なテクニックなど使ってはいないし、革新的な何があるとも感じられないのだけれど、どれも独特の魅力を秘めていて、聴き終えた後に妙に心の底にコツンと何かが残って忘れられない。そして、沖縄のそれのようにあからさまではないものの、音楽のその奥に仄かに、そして確かに響いている南の島の潮の香。これもたまらない魅力だ。
 そんな人だったから彼女の足跡なりとも知りたく思ったのだけれど、あまりたいした資料にも出会えない。この人ならば、まあ、それほど年配と言うわけでもないけれど、それなりのキャリアも積んでいる人であろうし、まだまだ知らない名曲があるであろうと期待したが、実際あるのかないのか、それらにも出会えぬままだ。この辺り、なかなかもどかしいが、まあ、気長に追いかけて行こうと思う。

 新民謡と言うのは、いわゆる民謡とは直接の関係はなく、大正末期から昭和の初期頃まで日本中を巻き込んで盛り上がった、大衆文化運動だった。新しい時代に即した新しい日本の民謡を作ろうという趣旨で、その実は地方の産業キャンペーンであったりしたのだったが。
 有名無名の作詞家作曲家が運動に加わり、今日でも”日本の郷愁歌”などと呼ばれて愛唱されるいくつかの大衆歌が生まれはしたが、やがて”流行歌”の成立と共に新民謡は下火になって行った。
 そんな新民謡が奄美の地にのみ生き残り、人々に普通に愛好されていると言うのもずいぶん不思議な話だが、それに関しては私も良く分かっていないので、また後日と言う事で。
 ここでは、昭和30年代に全日本規模で大ヒットし、奄美ブームを作り出した、”島育ち”や”島のブルース”と言った曲が、つまり元々は奄美製の新民謡であった、と言う事だけ押さえておく。

 久永美智子の経歴を調べて意外だったのが、私はきっと歌謡曲の作曲家の教えを受けた、つまり専門的教育を受けた作曲家だと彼女を思い込んでいたのが、まったく的外れだった事。
 彼女は単なる歌好きな少女であっただけで、奄美は瀬戸内町の叔父の家で見つけた古いギターに手を触れてみるまで、作曲などに興味を持った事のない人だったようだ。
 そう知ってみると、先に述べた彼女の作曲家としての魅力の底にあるものも判るような気がしてくる。久永美智子の織りなすのは、まったくの市井の音楽愛好家が、大衆の嗅覚だけを頼りに手探りで紡ぎ出して来たメロディ群なのだった。

 今日、奄美の新民謡がどのような機能の仕方をしているのか、現地での扱いがよく分からずにいるのだが、こちら”内地”で奄美の音楽に興味を示す人々も、新民謡にはあまり関心を持ってはいないように思えて、残念な気がする。独特の奄美ローカルの歌謡曲としての味わいも心地良い今日の新民謡、私は好きなんだがねえ。
 もうちょっと応援してみようよ、何か新しい展開も生まれてくるかも知れないし、もう一度”化け”させられたら楽しいじゃないか、とか言いたい気分の私なのである。
 

水の中の旋律たち

2009-06-13 01:00:53 | アジア


 ”Emotions of the violin vol. 1” by AMPERE CINDERELLA

 タイのガール・ウループ、”シンデレラー”のメンバーがバイオリン演奏のみにより、所属するRSレーベルの歴代ヒット曲をインストものとして演奏し直したアルバムであります。
 すべて美しいメロディのバラードものばかりで、なんか宝石の中を旅して行くような気分になってきます。なんとも切ないですな、こんなものを深夜に一人で聴くのは。

 私はイージー・リスニング志向といいますか、ムードミュージックなんかが妙に好きだったりする。その辺の趣味で手に入れたものですが、ワールドものとしても大いに聴き応えがある作品と思います。タイ音楽の旋律の美しさを蒸留酒の作り方で純度高く抽出したみたいな、それはそれは甘美なアルバムとなっております。

 複数のキーボードが澄んだ和音の輪をあちこちでを紡ぎ出す清浄な音空間を、流麗な弦の響きがしなやかに身をくねらせながら泳いで行く。
 水の中のアジア、なんていうタイトルのアルバムを出した某女がいましたが、まさにしっとりと感傷の美学の中に水没した美しい古都としてのアジアの幻に酔うしかありません、こうなったら。

 バイオリン弾きの彼女が、いつのまにか美しい旋律で満たされたアジアと言う名の泉の畔に佇むのを幻視する。彼女がそっと泉の水を汲み上げれば旋律は大気のうちに甘美な流れとなって広がって行く。
 アジアの愛ある旋律の美しさを再認識して、なんとも万感迫ってしまいました。まあ、このアルバムの企画自体は安易なものなんでしょうけどね(笑)

砂漠とロミオとジュリエット

2009-06-12 04:47:10 | イスラム世界


 ”ROMEO ET JULIETTE ”by FATI RHIOUIA

 さて、毎度すみません、北アフリカはモロッコのレッガーダ周辺の音楽など。この種の音楽をシャアビ系と呼べばいいのだろうか。
 しかしこのシャアビって言葉も、意味としては”歌謡”とか、そんな意味しかないらしいし、この辺の、つまりマグレブ方面で今、盛り上がっている一連の音楽の上手い呼び名を誰か思いついてくれないものかと思う。
 この地方の音楽に入れ込むことになったのは、モロッコのベルベル人によるレッガーダなる音楽に惹かれての事だったわけだが、たとえば今回取り上げる音楽をジャンル的にそれに含めていいのかどうかが分からない。似たようなものとはいえ、よりライ・ミュージックに近い構造を持ってもいるようだし。

 と言うわけで、まあそれは誰か考えておいてくれ。今回は、この人もモロッコのベルベル人なのかなあ、FATI RHIOUIA 姐さんの歌う”ロミオとジュリエット”物語である。ともかくジャケにはそのような表題があり、確かに冒頭の曲ではロミオとジュリエットがどうのこうのと歌っているのが聴こえる。しかし。
 こんなにイスラム色濃厚な音楽であの悲恋物語をテーマに歌われても、なんか納得できない気分が残る。そもそも昔の英国においてシェイクスピアの書いたあのストーリーは、イスラムの教えと照らし合わせて、なんか問題は出てこないのか?出てきそうな気がするんだが。
 なんてことはどうでもいい、面白おかしい恋物語ならそれでいいのさ、ってのが庶民の立ち場であるのはもちろんだ。

 変な表現だが、このアルバムで聴ける音は一連のレッガーダ周辺の音の中ではかなり瀟洒な出来上がりと言って良さそうな気がする。結構抑制の利いた音作りで決して狂騒状態にはならないし、サウンドの構造がよく見渡せ、なにしろ聴いていて疲れないのである。いつもは素っ頓狂な旋律を吹き鳴らしてこちらの頭を痛くする民俗管楽器セクションも今日はきれいなハーモニーを形成している。電子楽器によるベース音の処理も面白い。

 そりゃこのアルバムでも、もはや北アフリカの裏通り名物って感じになって来た、前のめりにせわしなく突っ込むハチロクのリズムはドクドクと終始、熱く脈打っているし、姐さんの妖艶にコブシを利かしてイスラムのメロディを歌い上げるその声には、しっかりボコーダーがかかり、ロボ声化されて、妖しげで、しかも怪しげなレッガーダ気分をいやがうえにも高めている。
 サウンドのど真ん中で鳴り続ける、なんか日本の夏祭りの太鼓みたいな代物が打ち鳴らすリズムは、決して飼い馴らせない野生がこの音楽に潜んでいる事を、高らかに宣言してはいるのである。にもかかわらず狂騒状態にはならないこのアルバムのありようは、ちょっと心に留めておきたい。まあ、永遠に馬鹿騒ぎを続けるのも大いに意義あることなんだが。

 ところでこのアルバム、最後の曲がバサッと切り捨てるように突然の中断で終わるのだが、これは故障じゃなく、はじめからそうなっているのだろうか。ま、アバウトな音楽世界の事だからこんなものと言われればすぐに納得するようにこちらも鍛えられているし、大して気にもしていないんだが、しかし理由を知りたい好奇心はある。
 それにしても、これに収められている”イスラム風・ロミオとジュリエット”の歌詞内容、どんなんだろうなあ。知りたいものだなあ。

麦秋

2009-06-11 03:33:45 | その他の評論


 ”Unhalfbricking ”by Fairport Convention

 小春日和、と言う言葉の正確な意味はなんだったっけ?真冬の最中にふとした加減で、まるで春先のような穏やかな気候が訪れる瞬間、じゃなかったっけ?
 とすると、こんなのはどういうんだろう。何か決まった言い方はあるのか?というか、こんな感覚は誰でも感じているものかどうかも分からないのだが。

 それはちょうど今頃の季節。そろそろあちこちに、梅雨の向こうにひかえている夏の気配が感じられる頃。そんな季節のど真ん中に、ふと通りを涼しい、と言うよりシンと沈んだ感じで低い温度の風が抜けて行く感触がある。これを感ずると、おかしな話だけれど、「ああ、秋がやって来たんだな」とか思って、ちょっと切ない感情に襲われたりするのだった。

 そんな馬鹿な話はないのであって、だって時は初夏なんだから。これから来るのは秋じゃなく夏なんだから。
 それは分かっているのだが、そのヒヤッとした一塊の空気の感触は確かに”秋”なのであって、そいつがあんまりリアルに秋風だから、こちらも不合理だれど擬制の”秋の感傷”に、つい浸ってみたりしてしまうのだった。

 この感触ってなかなか好きでね。その”幻の秋”の感じは、昨今の薄味の秋じゃなく、私が子供の頃に満喫していたような、濃厚な秋の手触りが宿っているとも感じられる。切ないやら、懐かしいやら。なんとも奇妙な錯覚の世界の感傷に酔わされる面白さがある。

 どうですかね?これは私一人だけが感じている事なんでしょうか?それとも私が思っているよりもずっと普遍的な現象で、誰でも感じているようなものなんでしょうか。

 なんて事を言っていたら、「それは俳句の世界で言う初夏の季語、”麦秋”にあたるのではないか」なんて助言を戴いた。そうか、”麦秋”って言葉は前からなんとなく聞き知ってはいたが、この感触に関わる言葉だとはね。
 ウィキペディアなんかを探ってみると、

 ”麦秋(ばくしゅう)とは、麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のこと。麦が熟し、麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節。雨が少なく、乾燥した季節ではあるが、すぐ梅雨が始まるので、二毛作の農家にとって麦秋は短い”

 なんて記述に出会う。
 どうやら初夏の、辺りの木々が青々と茂る風景の中で麦だけが黄色く実り、収穫期を迎える、その取り合わせの玄妙さに関わる言葉のようだ。

  作家の島尾敏雄は、この夏の冷たい風を大変苦手にしていて、それに吹かれるとてきめんに体調を壊すので、炎天下でもオーバーコートを手放せなかったそうである。
 でもこの風、基本的には秋の収穫の気配を感じさせる、どちらかと言えば自然の豊饒につながるような、幸福の手触りのある風と感じている。

 この風の感触に通じる音楽は、なんてのはこじつけもいいところだが、イギリスのトラッド・ロックの開祖、フェアポート・コンベンションの『Unhalfbricking』なんてアルバムを持ち出したくなってくる。
 
 あのアルバムでフェアポートとそのメンバーたちは自分たちの進むべき音楽上の道を見出し、そちらへと創造の喜びと共に歩き始めたのだったが、同時に、そのアルバムの製作途中でドラマーを交通事故で失ってもいる。その後のバンドの航跡も、必ずしも順風満帆であったわけではないし、さらにその後、スター歌手だったサンディ・デニーも事故により早世することとなる。
 
 そんな、光と影とが交錯し、出帆したばかりのメンバーの、バンドの、青春の萌え立つ息吹と死のイメージが行き違う。エレクトリックギターやドラムスの響きが遠い過去に生きた人々の遺した船乗りの歌に新しい息吹を吹き込む。
 歌手のサンディ・デニーは、”時はこの地上を飛び立ち、どこへ行ってしまうのか”と静かに歌い上げ、そして彼女はその数年後、31歳の若さでこの世を去ってしまう。

 自然の豊饒と、その影で朽ち果ててゆくもの。生き代わり、死に代わる命たちの奔流。
 そんなあれこれを思うと、実に麦秋なアルバムだなあ、これは、とかよく分からない感慨を抱いたりしてしまうのである。

タイのヨッスィーの幻を追って

2009-06-09 04:58:33 | アジア


 ”BUNTUEK PLENG RUK”by Bew Kalayanee

 しばらく前から、ブログ仲間の”ころんさん”の書かれるタイ音楽に関する文章を興味深く読ませていただいている。なにしろタイとベトナム、とか決まった地域を集中的に聴いておられる方なので、同じワールドミュージック志向とはいっても、その姿勢は大分異なる。
 私は何しろ一つのジャンルをじっと聴き続けるのさえ苦手なほうなので、何につけ雑である。情報の拾い洩らしなど大量にある。まあ、そうでもなければ、世界中の音楽をつまみ食いして歩き回る事も難しいって事情もあるのだが(←言い訳)

 そんな訳で、ころんさんからの緻密な情報を大変に重宝しているのである。
 で、ころんさんのブログで知ったタイの歌手たちを”youtube”などで検索しては見聞を新たにしているのであり、いつぞや書いたタイのへっぽこアイドルデュオ、”ネコジャンプ”なども、そんな具合にころんさんのブログの記事で知ったものなのであって。

 最近ではこの、Bew Kalayaneeなるタイの新人女性歌手が気になってきている。タイの、まあ演歌のようなものである”ルークトゥン”の歌い手なのであるが、かなり逸脱の部分もあり、ロック編成のバッキング仕様やら、ルークトゥンの命である”コブシ”を使わずに歌ったアルバムなど出してみたり、ころんさんも戸惑う部分さまざまあり、と言ったところらしい。
 そりゃ面白そうな姉ちゃんだなと野次馬半分の気楽さで画像など探して見ているうちに、なんだか彼女のファンになりつつある自分に気がついたところなのだ。

 彼女の見た目に関して、ころんさんは

 >ガラの悪そうな品の無い顔をした娘ですね~。

 などとジョークを交えて印象を記しておられるのだが、その、まあよく言えばキップの良さそうな”男前”であり、悪く言えばいかにもガサツそうな雰囲気に、私はなんだかモーニング娘にいたヨッスィーこと吉澤ひとみ嬢など連想してしまったのだ。
 いやまあ、顔など全然似てませんよ。けど、なんかその大雑把な身のこなしとか、やや低めの声質など、どことなくなんとなく”男前”が売りだったヨッスィーを連想させられてしまったのだった。

 その辺りも加味しつつ、Bew Kalayanee なる歌手に惹かれ始めた。ルークトゥンというドメスティックな音楽の場に身を置きつつロック志向を見せるねじれた行き方は、実際、妙に惹かれるものがあるし、エレキギターのクールでヘヴィな響きと彼女の歌声、良いブレンドとなっていると感じられた。
 だから私がもっとも心惹かれる彼女のアルバムは、歌声からコブシを排してロック志向を表に出した問題の3枚目のアルバム、”BUNTUEK PLENG RUK”なのである。

 だが、正統派として長年、タイ音楽を愛好しておられる方々はコブシ付きで真面目にルークトゥンに取り組んでいる、その一つ前のアルバムを評価しておられるようで、この辺、私はなかなか分が悪い。
 と言うか、いや正直に告白すれば、自分が彼女のファンである事に気がついて慌ててネット通販に彼女のCDを注文したのはついさっきの事であり、今はただその商品をレコード店主氏がソッコーで送ってくれるのをただ待つしかない私なのである。
 まあ、話はそれからなのだ、実は。