東京で開催している「テスラ講座」の第3回は「テスラーガーンズバック連続体」(11月19日(土))。今回は「アメリカSFの父」ヒューゴー・ガーンズバックとの交友を軸に、テスラの発明的想像力がメディア形成に果たした役割を見ていこうと思っている。
その原稿を準備しているうちに、ガーンズバックこそ現在のITビジネス、オタクビジネスの先駆けではないかと思うようになった。
ルクセンブルグ生まれのガーンズバックは発明家を志して20歳でアメリカにわたった。発明家としては成功しなかったが、ビジネスの世界に転じて成功した。
20世紀初頭のアメリカは発明ブームにわき、とくに当時の最先端技術である無線の人気は高かった。彼はそれに乗り、またブームを先導するかたちで無線部品の通販ビジネスに進出したのである。
同時に通販カタログや無線雑誌「モダンエレクトリック」を発行、自らもライターとして健筆をふるった。この雑誌を通してアマチュア無線家同士のネットワーク構築にも成功した。
さらに無線雑誌の延長に世界最初の商業SF誌「アメージング・ストーリイズ」を創刊、サイエンス・フィクションのジャンル的なアイデンティティ確立に寄与した。この雑誌の読者欄を利用して「SFファンダム」というファン同士のコミュニティ成立にも貢献した。
ヒューゴー賞という有名なSF賞が彼の名前からとられたのもこうした業績による。
アマチュア無線家やSFファンが初期のITやインターネット普及の推進力となったことはよく指摘されている。彼らは元祖オタクとして、何十年も前からインターネット的世界を体験してきたし、技術的なことにもあまり抵抗感がなかったのである。
このようにネットメディアの開発者としてガーンズバックは、現代のホリエモンや三木谷さんの大先輩にあたる。いや、SFという巨大なコンテンツもあわせて開発したのだから、それ以上だろう。
そのガーンズバックが、テスラの影響下にいかにしてSF的/発明的想像力をふくらませていったか。そのあたりの話は本番で。
その原稿を準備しているうちに、ガーンズバックこそ現在のITビジネス、オタクビジネスの先駆けではないかと思うようになった。
ルクセンブルグ生まれのガーンズバックは発明家を志して20歳でアメリカにわたった。発明家としては成功しなかったが、ビジネスの世界に転じて成功した。
20世紀初頭のアメリカは発明ブームにわき、とくに当時の最先端技術である無線の人気は高かった。彼はそれに乗り、またブームを先導するかたちで無線部品の通販ビジネスに進出したのである。
同時に通販カタログや無線雑誌「モダンエレクトリック」を発行、自らもライターとして健筆をふるった。この雑誌を通してアマチュア無線家同士のネットワーク構築にも成功した。
さらに無線雑誌の延長に世界最初の商業SF誌「アメージング・ストーリイズ」を創刊、サイエンス・フィクションのジャンル的なアイデンティティ確立に寄与した。この雑誌の読者欄を利用して「SFファンダム」というファン同士のコミュニティ成立にも貢献した。
ヒューゴー賞という有名なSF賞が彼の名前からとられたのもこうした業績による。
アマチュア無線家やSFファンが初期のITやインターネット普及の推進力となったことはよく指摘されている。彼らは元祖オタクとして、何十年も前からインターネット的世界を体験してきたし、技術的なことにもあまり抵抗感がなかったのである。
このようにネットメディアの開発者としてガーンズバックは、現代のホリエモンや三木谷さんの大先輩にあたる。いや、SFという巨大なコンテンツもあわせて開発したのだから、それ以上だろう。
そのガーンズバックが、テスラの影響下にいかにしてSF的/発明的想像力をふくらませていったか。そのあたりの話は本番で。