今週の日曜日、市内の某居酒屋で、藤沢発新作盆踊り制作に向けた下打ち合わせがあった。参加者は演出家・劇作家の白石氏、遊行フォーラム事務局長の高須氏、ジャーナリストの藤村氏、盆踊り研究家の柳田氏、HP「盆踊りの世界」管理者の石光氏、舞踊家の榊さん、そしてわたしの七人である。
盆踊り研究の集まりにテスラ研究家が混じっているのも妙な話だが、人にはいろいろな顔がある。地元藤沢では歴史・町おこしフォーラムの新戸である。
今回のテーマは、新しい盆踊りを立ち上げるまでのプロセスをどうするかだった。
冒頭、白石さんからこのような提案があった。
現在、各地で踊られている盆踊りを借りて、それらしくかたちをつけるのは簡単だろう。プロの振付師にお願いすればすむ話だ。しかし、それでは盆踊りのふるさとを自認する藤沢で、新しい盆踊りを立ち上げる意味がない。
大事なのは基礎となる踊り念仏である。まず、長野県の佐久や遊行寺に残る踊り念仏、「一遍聖絵」に描かれた踊り念仏などを検証しながら、踊り念仏のエッセンスを取り出す作業から始めるべきではないか。その基礎固めができれば、新しい盆踊りのかたちは自ずと決まってくるだろう。
この意見に全員が賛同した。わたしも新しい盆踊りは、藤沢市民が苦労してつくっていくところに意味があると思う。はじめから「盆ダンス」や「盆サンバ」に逃げないことが大切である。
歌や楽器にしても、一遍の和讃や「ささら」、鉦など、できるだけ古いものを尊重しようということで意見が一致した。その後も、スケジュールの決定、さらには盆踊りサミットの話題などで大いに盛り上がった。
今回、盆踊りによる町おこしに参加して、いろいろ考えさせることがあった。それは遊行フォーラムの活動や、遊行舎の演劇活動を通しても考えてきたことだが、新たに柳田さん、石光さん、榊さんといった若い人たちとの交流をへて、町おこしのあるべき姿が少しまとまってきたような気がする。
明日から、そのあたりのことを2回に分けて書いてみたいと思う。
盆踊り研究の集まりにテスラ研究家が混じっているのも妙な話だが、人にはいろいろな顔がある。地元藤沢では歴史・町おこしフォーラムの新戸である。
今回のテーマは、新しい盆踊りを立ち上げるまでのプロセスをどうするかだった。
冒頭、白石さんからこのような提案があった。
現在、各地で踊られている盆踊りを借りて、それらしくかたちをつけるのは簡単だろう。プロの振付師にお願いすればすむ話だ。しかし、それでは盆踊りのふるさとを自認する藤沢で、新しい盆踊りを立ち上げる意味がない。
大事なのは基礎となる踊り念仏である。まず、長野県の佐久や遊行寺に残る踊り念仏、「一遍聖絵」に描かれた踊り念仏などを検証しながら、踊り念仏のエッセンスを取り出す作業から始めるべきではないか。その基礎固めができれば、新しい盆踊りのかたちは自ずと決まってくるだろう。
この意見に全員が賛同した。わたしも新しい盆踊りは、藤沢市民が苦労してつくっていくところに意味があると思う。はじめから「盆ダンス」や「盆サンバ」に逃げないことが大切である。
歌や楽器にしても、一遍の和讃や「ささら」、鉦など、できるだけ古いものを尊重しようということで意見が一致した。その後も、スケジュールの決定、さらには盆踊りサミットの話題などで大いに盛り上がった。
今回、盆踊りによる町おこしに参加して、いろいろ考えさせることがあった。それは遊行フォーラムの活動や、遊行舎の演劇活動を通しても考えてきたことだが、新たに柳田さん、石光さん、榊さんといった若い人たちとの交流をへて、町おこしのあるべき姿が少しまとまってきたような気がする。
明日から、そのあたりのことを2回に分けて書いてみたいと思う。